:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(若干の補足)

2008-02-09 21:25:49 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-02-09 21:25:49



         
ロサト教授は誤りを教えたか?-(若干の補足)


命のキャンペーン

 グアム滞在もあと数日というとき、マリンドライヴからGPO(グアム・プレミアム・アウトレット)ショッピングモールへ曲がる交差点の角に大勢の人だかりがしていた。みな手に手にプラカードを持って、信号待ちの車の列に何やらしきりにアピールしている。気をつけてプラカードの文字を辿ると、

STOP ABORTION NOW!
(堕胎をすぐやめよう!)


ABORTION KILLS CHILDREN!
(堕胎は子供殺人!)

FIDELITY TO CHASTITY
Christ’s Direction to all!
(貞節を守ること、それはキリストの万民への教え!)

Jesus We Love You.
(イエスよ、あなたを愛します)


LIFE IS THE ONLY CHOICE
(命、それが唯一の選択!)

などの文字が躍っていた。
 好奇心に駆られて、車を安全なところに止めて、交差点に引き返し、若者たちに質問をすると、堕胎容認新法の是非をめぐる島民投票で、反対票を投じるよう呼びかける、キャンペーンだと言うことだった。
 現代社会では、大別すると二つの文明しかない。
 一つは死の文明
 もう一つは生命の文明だ。
 「命の文明」を支えるものは、死に打ち勝ったキリストの復活の命を信じ、死後の永遠の生命を信じるキリスト教以外にはない。不可知論や、仏教的諦観では足りない。
 「死の文明」を支えるものは、世俗主義(神聖な超越的価値不在)、弱肉強食の経済的価値至上主義(拝金主義、「お金の神様」崇拝)、無制約の格差拡大と弱者切り捨ての新自由主義経済(小泉・竹中)、快楽主義、等である。
 グアム島にも、お金の神様はぬかりなく上陸している。その背景は、日本人を始めとして、韓国人、中国人の観光ブームと、米軍基地特需である。グアムで今、死の文明は最も弱い無抵抗な命、胎児、の抹殺を合法化しようとしている。それに対して立ち上がったのが、カトリックの若いボランティアーたちだった。
 少子化は、死の文明の勝利の目に見える明らかな徴である。
クリスチャンホームの平均の子供の数が、その国の平均と同じだと言うことは、命の文明が形骸化し、死の文明に屈服したことを意味している。教皇のお膝元のイタリアを始めとして、ヨーロッパ、アメリカ、日本など、みな例外ではない。名ばかりのキリスト教が、命の文明の担い手であることをやめて、死の文明の軍門に下ったことを意味している。
 大雑把に言って、一組の夫婦が生涯に平均2.08人の子供を残さないと、その国の人口は減り始めると言われる。教皇のお膝もとイタリアでの1.17を最低とし、日本は1.3あたりと思われる。平均2.0を下回ると、逆鼠算式に人口減少は加速する。たとえば、日本の場合、現在の人口1億2700万は、50年後には9000万を切ると言われる。
 司祭不足の問題に取り組むとき、なぜ命の文明の担い手であるべきキリスト教会が豊かな命の恵に満ち溢れていないのか、なぜ外の世俗社会と変わりなく信者の間でも少子高齢化が進んでいるのかを、先ず問わないのは何故か?司祭を増やすためには信仰共同体の中での少子化を克服しなければならないと言う方向には考えず、あたかも少子化は神の意思であるかのように無条件に受け入れ、今後も司祭は増えないと言う悲観論を前提に、「共同司牧」などと言う小手先の辻褄合わせに走るのは何故か?
 それは、教会の政策立案を担う聖職者たちが、自らの信仰が形骸化し、空洞化していること、世俗化との妥協の結果死の文明に飲み込まれてしまっているという現実と、正面から向き合うことを恐れるからに他ならない。
 命の文明の擁護者であり教会の指導をゆだねられた牧者にとって、自分たちが司牧するクリスチャンホームの出生率が、死の文明の世俗社会のそれと同じなのは何故か、と言う問題に向き合うことは恐ろしいことであるに違いない。それはうっかり開くと何が飛び出すか分からないパンドラの箱を開けてしまったときのような、収拾のつかない大混乱になることが、本能的に予感されるからである。自分たちの信仰の正体が白日の下に晒され、弁明の出来ない事態に立ち至ることを恐れるのであろう。
 しかし、地球温暖化が人災であり、その是正が文明を救うための急務であるのと同じように、キリスト教会における少子化も、信仰が失われた結果の人災であり、放置すれば教会が滅びる深刻な問題であることに一日も早く気付かなければならない。
 ここに、世俗化社会の死の文明に飲み込まれたキリスト教の中で、命に満ちた新しい動きが見られる。教皇ヨハネ・パウロ二世がローマ教区に設立し、いまや世界70数箇所で姉妹校が誘致されたレデンプトーリス・マーテル神学院と、それらを満たすだけの神学生を送り出している「新求道共同体」である。
 日本には、高松教区の深堀前司教が世界に先駆け誘致した7番目の姉妹校がある。そこには、九州、沖縄を除く全国11司教区から集まった神学生全員に匹敵する数の元気な神学生たちが、日本でいちばん小さな司教区一つのためだけに集まっている。
 新求道共同体は、洗礼の恵を再発見する回心の道で、この道を歩む人たちの間では、1家庭あたりの子供の数は、平均5人に近いと言われている。これは第三世界や回教圏の平均よりも高いはずである。望んでも子宝に恵まれない夫婦が、信仰ゆえに2人、3人、4人の養子を迎えるケースも稀ではない。
 堕胎という殺人は論外として、産児制限や受胎調節はどういう方法なら自然に反しないとして教会から許されるか、と言う後ろ向きの低次元の議論ではない。健康な夫婦の自然な愛の営みは、神の前に24時間、365日、常に新しい命の恵に対して寛大に、英雄的に開かれているように、と言う理想を真面目に受け止める人たちである。神の摂理に対する絶対的信頼と、教会共同体からの精神的、経済的な支援無しには考えられない現代の奇跡と言うほかは無い。
 日本の教会にも、今は引退、または天国に凱旋した司教たちによって招請された宣教家族たちが、まだ恐らく20数家族全国に居るはずだが、彼らの中に、8人、10人、それ以上の子供に恵まれた大家族が数多くいる。その彼らは、この奇跡、キリスト教に基づく命の文明のわかりやすい生き証人たちである。彼らのつつましい、犠牲の多い沈黙の生活それ自体が、周りの死の文明に対する強烈な信仰の証、宣教活動である。
 少子高齢化社会における司祭不足への本当の答えはこれである。共同司牧では断じてない、と私は思う。
 

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★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(むすび)

2008-02-07 10:30:55 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-02-07 10:30:55

     


          ロサト教授は誤りを教えたか?-(むすび)

 グアムのご夫人の素朴な失望と違和感は、少子高齢化社会のあおりをうけた圧倒的な司祭不足の対策として日本の教会が導入した、いわゆる「共同司牧」制度に起因するものだった。
 ロサト教授の教会論によれば、教会は生きた細胞のようなもので、細胞質は信徒、核は主任司祭に喩えられ、核を失った細胞質はやがて死に、細胞質に守られない裸の核も生きてはいけないことを言おうとするものであった。だから、幾つかの教会から細胞質である信徒たちに包まれた核である司祭を抜き取り、抜き取った裸の核を寄せ集める「共同司牧」方式は「共同死牧」と呼ぶのが相応しい。
 ローマの教皇庁立グレゴリアーナ大学は、世界のカトリック神学界の最高峰であると言われている。ロサト教授はそこで教壇に立つことを許されているからには、単に語学に秀でているだけではなく、第二バチカン公会議後のカトリック神学の最先端であると同時に、中庸を得た穏健な学説の提唱者の一人であるはずではないか。
 日本で教会の方針を立案している指導者達は、その大部分が公会議の新しい指針が咀嚼され整理され体系化される以前の、つまり、宗教改革時代の遺物の古い神学で頭が固まった人々ではないだろうか。彼らが、今グレゴリアーナ大学に入りなおして、ロサト教授の講義を受け、少子高齢化に伴う司祭不足に如何に対処すべきか、と言う設問に対して、得意になって「共同死牧方式」を展開したら、みんな間違いなく落第、追試となるに違いない。
 それは、ヨハネによる福音書10章11-17節の聖書の解釈に合わないし、教会の頭、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の考えにも抵触する。
 少子化とその副産物である高齢化社会は、人間の英知も努力も届かない、歴史の必然的・宿命的所与であって、神の摂理が定めた、動かない現実と考え、それを無批判、無抵抗に受け入れ、そこを出発点にして対策を立てるべきものではない。
 少子高齢化は、現代の社会の第一世界における世俗化の産物に過ぎない。それは、2000年の教会の歴史の中で、せいぜいこの40-50年間の間に生じた特異な現象である。
 それは、地球温暖化と同じく、人間の営み、人間の自由な選択が引き起こした現象、人間の罪が招き寄せた災厄であって、人間の英知と努力で克服すべき課題である。
 如何にしてカトリック家庭の少子化に歯止めをかけ、如何にして司祭のなり手を増やすかこそが、先ず第一に考えられなければならない。その意味で、「共同死牧」は、この課題との取り組みを放棄した敗北主義の辻褄合わせに過ぎない。
 少子化は、人間のエゴイズム、快楽主義、唯物主義、お金の神様の偶像化、神への信仰と神の摂理への信頼を放棄したことの必然的帰結に他ならない。少子化は「死の文明」の当然の帰結であり、人間の罪が引き寄せた結果あって、黙って屈服する他は無い自然の摂理でもなければ、まして神の望んだことでもない。
 アンソニー大司教のように、レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院の姉妹校を誘致した先進的な司教たちは、聖書と、教会の伝統と、公会議の教えと、新しい神学に忠実に福音的回心を行えば、少子化は現実に克服できることを証明している。
 以上の一連の考察から、ロサト教授の教会論は正しかった、そして「共同司牧」は間違っている、と結論付けられる。

            * * * * * * * 

                《 教 訓 》

 羊は牧者の声をよく聞き分けなければならない。誰が本当のよき牧者で、誰がただの雇われ人であるか、また、誰が牧者を装った狼であるかを識別しなければならない。それは、我々個々の羊が、聖書を読み、教会の長い伝統に学び、教会の頭であるローマ教皇の声を聞き分け、祈りの中で聖霊の照らしと識別の恵みを求めながら、最後は自分の良心に従ってなすべき、孤独な、しかし自由な作業である。
 大切なことは、グアムのご夫人ように素朴に、「あっ!これは変だぞ、これは何かおかしい!」、と信仰的本能を頼りにストレートに反応することである。期せずして多くの信徒が何かおかしいぞと直感したことがあれば、それぞれに勇気を持って声をあげなければならない。沈黙はいけない。
 しかし、今の教会には、そうした健全な信仰のセンスを自由に開放する場所が無い。そればかりか、その自由を抑圧し、沈黙を強いる重苦しい雰囲気が漂っているように思われる。
 卑近な例が、司教団の官報にも等しいカトリック新聞である。それは、多様な意見、健全な批判精神が自由に反映された活気に満ちた紙面と言うには程遠いものがある。(購読者数の低迷はその当然の結果であろう。)と言うことは、そういう声、そういう意見が編集部に届いても、それを取り上げる度量が編集者に無いことを暗示しているのではなかろうか。どう考えても、それらを握りつぶし、自由な言論を封じ込めるメカニズムが働いているような気がしてならない。現に、信徒の中から、質問をぶつけたが、回答が返ってこなかった、投書したが、紙面に取り上げてもらえなかった、と言う失望の声が上がった事例を知っている。
 教会の中で自由な言論、考えの多様性、「民の声」が封じられれば、羊の群れは簡単に誤りの中に導かれ、迷い、教会は衰えることになる。
 民の声を封じるなら、「石が叫びだす」(ルカ19章40節)というイエスのことばを思い出したい。(終わり)

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★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(その4)

2008-02-05 13:20:09 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-02-05 13:20:09



           ロサト教授は誤りを教えたか?-(その4)

アンソニー大司教の場合

 わたしがグアムに行ったきっかけは、高松教区のサンチャゴ神父からの一本の国際電話だった。彼は、グアムのアンソニー大司教の要請に応えた深堀前高松司教によって、グアムに派遣され、チャランパゴ教会の主任司祭をしていた。 その彼が、故郷のエクアドルに里帰りする間を繋ぐ留守番の神父を探していた。ちょうど信州の野尻湖が雪に閉ざされる真冬とあって、二つ返事で引き受けた。昨年の1月のことだった。
 アンソニー大司教は、誠実で働き者のサンチャゴ神父を、ことのほか可愛がっていた。そして、彼の教会の留守番役、主任司祭臨時代行として来たわたしを、快く受け入れてくれた。
 グアム島はちょうど淡路島ほどの広さ(549平方キロ)で、人口もほぼ同じ(約17万人)で、16世紀初めにマゼランに発見されて以来、住民の75%がカトリック信者というお国柄である。
 第二次大戦後、主としてカプチン会(フランシスコ会系)のアメリカ人宣教師によって維持されてきた教会は、司祭の高齢化と数の減少に悩み、アメリカ国内の召命の低迷のあおりで、新しい宣教師の補充も絶望的であった。
 大司教は数年前にローマの「レデンプトーリス・マーテル神学院」の姉妹校をグアムに誘致した。日本のホテル資本が40億円かけて建設した120室余りの豪華リゾートホテルを、たった2億円で買い取り、神学校に改造した。もともとスペインの修道院をイメージして設計されたホテルだったから、まるで神学校への転用を予定していたかのようなおあつらえ向きの建物だった。

     
        グアムの「レデンプトーリス・マーテル」神学院 (上空のセスナから)

 今年、この神学校の初穂の3人の司祭たちが巣立っていく。神学生が30人ほど在籍しているから、順調に行けば、今後10年間に約30人の司祭が誕生するはずである。
 アンソニー大司教による神学校の誘致は、深刻な司祭不足問題に対する明確な解答であった。今後10年以内に、グアム大司教区の24の教会に十分な数の司祭を供給した後は、マリアナ諸島、ミクロネシア、ハワイ諸島へ、必要な数の司祭と宣教師を供給できる余力を持つようになるだろう。
 1980年代の後半に、前教皇ヨハネ・パウロ二世がローマ郊外にローマ教区立として新設した神学校(わたしは確かそこの3回生だったと思う)は、1965年に幕を閉じたカトリック教会の改革会議(第二バチカン公会議)の重要な決定、即ち司祭の養成の新しい指針、をはじめて実験する画期的な試みであった。
 わたしは、その神学校に受け入れられて3年目には、早くもローマのサンジョヴァンニ・ラテラノ教会でルイニ枢機卿から助祭に叙階されたが、同期生は20人ほどであった。その数は、伝統あるローマ教区立神学院「コレジオ・ロマーノ」の卒業生の数と拮抗していた。以来15年、ローマ教区に誕生する新司祭の二人に一人はこの新しい神学院の卒業生である。
 高松教区には、深堀前司教によって「高松教区立国際宣教神学院レデンプトーリス・マーテル」が1990年12月に設立された。教皇ヨハネ・パウロ二世がローマに設立した同名の神学院の7番目の姉妹校であった。
 ローマの第1号が設立されて20年以上たった今日、同名の姉妹校の数は全世界に70数校を数えるに至った。世界中で司祭職への召命が激減している中にあって、この新しいタイプの新学校だけが、常に若い神学生であふれている。アンソニー大司教が開設したグアムの神学校も例外ではない。
 この現代の奇跡のような豊かな召命の秘密は、新求道共同体という存在である。アンソニー大司教は、パウロ六世、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世の歴代教皇が異口同音に高く評価し、全世界の司教たちに導入を推奨したこの共同体を、自分の教区に取り入れ、その一貫としてローマの神学校の姉妹校を誘致したのである。
 それだけではない。この共同体では、訓練された一般の信徒が、メンバーの回心と福音的養成の指導に当たるのだが、アンソニー大司教みずから、一人の信者として、そうした信徒に自らを委ね、その導きのもとに、回心の道の第一歩から謙遜に歩み始めたのである。
 グアムの教会の或る信者はわたしに、大司教はもともとは権威主義的で気難しくとっつきにくい雲の上人だったが、その彼が、新求道共同体の回心の道を一般信徒に混じって歩み始めてから次第に変わり、いまでは信徒たちから、特に子供たちから愛される親しみやすい身近な牧者になった、と話してくれた。
 日本では、大分教区の平山元司教様が、同じように一信徒として、共同体のカテキスタの指導に身をゆだね、謙遜に回心の道を初歩から歩んでおられる。これこそ、信徒の上に立つ牧者の鑑ではないだろうか。
 私は、ただひとり野尻湖の山荘に篭もり、深い雪に閉ざされ、凍りつく冬のさなかに居るが、昨年の冬に続いて今年も招かれたグアムのひと時は、まことに暖かい(単に気候だけでなく)心和む世界だった。
 しかし、日本に古くから言われている通り、「冬来たりなば、春遠からじ」である。全てを委ねて祈りつつ待つなら、神様は、必ず春を用意して待っていてくださるにちがいない。アーメン!

      
          自分で自分を幽閉した冬の山荘・・・・
        窓の腰より高い積雪に届きそうな長いツララ  けれど、窓辺の
        フリージアにはしっかり蕾が膨らんで、今にも匂いそう・・・・

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★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(その3)

2008-02-03 00:01:37 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-02-03 00:01:37

               
         
           ロサト教授は誤りを教えたか?-(その3)

○ 聖書にはなんと書いてある?
  (ヨハネによる福音書10章11-17節)

 「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(11節)
 この「わたし」は第一義的にはナザレのイエス自身を指す。良い彼は「羊のために」すなわち、全人類のために、2000年近く前にパレスチナのエルサレムの町の丘の上でユダヤ人の過ぎ越しの祭りの時に、十字架の上で命を捨てた。
 この同じ羊飼いと羊の群れの喩えは、二義的には、個々の教会とその司祭に関しても当てはまる。
 プロテスタントの教会には羊飼いとして牧師家族が居る。羊である教会員と牧師との絆は強く、教会員が牧師を生活的に養い、牧師は教会員を霊的に牧会する。その姿は、一つの生きた生命体として、ロサト教授の細胞の喩えに良く当てはまる。
 カトリック教会の場合も、つい30~40年前までは、ロサト教授の喩えに良く馴染むクラシックな側面を持っていた。そこでは、司祭と信徒は核と細胞質のように一つの命を形成する安定した閉じられた関係にあった。
 何れも、その原型はキリストと弟子たちの関係にあったといえる。要するにそれがキリスト教2000年の変わらぬ姿であった。

 「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父がわたしを知っておられ、私が父を知っているのと同じである。」(14-15a節)
 司牧に当たる主任司祭は、自分の教会の信徒の霊的状態、生活状態を良く知っていなければならない。そのためには、司祭は自分の教会の司牧に専念し、自分の教会の信徒一人ひとり、教会員の家庭との接触を密にし、交わりを深めなければならないだろう。その鏡は、天の父とイエスの関係である。
 共同司牧方式は、羊飼いが自分の羊を知る、と言う目的から言うと、聖書の言葉に全く相反する、反福音的な、人間の浅知恵の産物だと言うほかはない。
 カトリックの教会と違って、プロテスタントの教会は、ピラミッド型の強固な組織を持たないから、牧師のなり手が少なくなったからといって、共同司牧などと言う安易な解決方法には、幸いにも極めて馴染みにくい。
 日本のカトリック教会が導入に踏み切ったこの方式は、幾つかの教会を、それらの教会の数より少ない人数の司祭がローテーションを組んで均等に巡回すると言うもので、複数の司祭が複数の教会に広く浅く均等に関わることを特徴とする。それは、必然的に、個々の司祭はどの教会のどの信徒とも希薄なかかわりしか持たないことをも意味する。「牧者が羊を知り、羊も牧者を知る」ことを構造的に困難にするシステムであると言うほかはない。
 羊の側からしても、毎週顔が変わり、同じ顔はたまにしか来ないというのでは、いざと言うときにどの司祭を当てにすればいいのか全く分からないことになる。どの司祭も自分のことを気にかけていてくれる信頼できる牧者とは思えない。結局、ついていくべき牧者を持たない「迷える羊の群れ」となる。

 「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。私は命を、再び受けるために、捨てる。」(16-17a節)
 いくつもの教会を掛け持ちする司祭は、誰も「この囲い」と呼べる特定の教会を持たないことになる。したがって、「この囲いに入っていないほかの羊」と呼ぶべきものもない。また、誰も彼の声を聞き分けることはないだろう。だから、共同司牧方式では「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」事が決して起こらないシステムである。司祭達は、自分が関わる教会のどの一つに対しても、そのために命を捨てるほどの愛着も責任も感じないだろう。共同司牧は、よき牧者に関する聖書のキリストのモデルに相反するものであると断定せざるを得ない。

 「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。」(12-13節)
 「一人の羊飼いに導かれる一つの群れ」と言う考えからすれば、共同司牧における司祭は、自分が責任を負って導くべき特定の「一つの群」を持たないから、羊飼いではなく、雇われ人に過ぎない。「狼が来る」と言う言葉で象徴される何か深刻な危機に直面すれば、皆一様に責任を回避し、「羊を置き去りにして逃げる」に違いない。その意味で、共同司牧に同調し、それに協力する司祭は、羊のために命を捨てる「良い羊飼い」とは言えないのではないだろうか。そんな司祭が、私は「狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」ような事は決してしないと誓っても、はたして羊はそれを信用するだろうか。

○ 教会の頭、ローマ教皇はなんと言っている?

 わたしは、1年間の「サバティカル・イヤー」を申し渡されて、教区を離れてローマに行くことを命じられていた間、ローマで実に多くの収穫を得た。初めの半年間は、教皇庁立ラテラノ大学の「ヨハネパウロ二世研究所」に通って、やや真面目に勉強したが、それに飽きると、亜紀書房の求めに応じて、自分としては処女作になる本の執筆の傍ら、昼間は遺跡や博物館、美術館めぐり、夜はオペラやコンサートや、特に多数ある小さな芝居小屋で、古典や、コメディーや、政治風刺劇などを見てまわるのを楽しみにした。(まだの方は、是非「バンカー、そして神父」-ウオールストリートからバチカンへ-〔亜紀書房〕をお読み下さい。このブログの通奏低音です。) ローマでの1年間、多くの司祭や教授たちとの友情、ワインをかたむけながらの彼らとの議論は、わたしの目を開くために大いに助けとなった。
 現代の少子化、高齢化社会の問題、それとの関連で、世界的な司祭のなり手激減の問題も、そんな対話の中で何度も熱く議論された。そして、或る司祭は、全教皇ヨハネ・パウロ二世の言葉として「司祭不足が今後も続くものと想定し、避け得ない現実としてその前に屈服し、その対策に没頭するのは誤りである。むしろ、司祭のなり手が減少した原因を究明し、司祭の召命が増えるよう抜本的な手を打つことこそ重要である。」と言う意味の言葉を述べられた(書かれた)と言うことを教えてくれた。
 そのとき、わたしはそれがいつ何処で話された(または、どのようなドキュメントの中に収録されている)かについてメモを取ることをしなかったので、今ここに正確に引用することが出来ないのはまことに残念である(インターネットで教皇の全ホミリアと全文章をイタリア語で検索すれば見付かるかもしれない)が、いかにもヨハネ・パウロ二世教皇らしい考え方である。
 彼が、そのとき、自分がローマに開いたレデンプトーリス・マーテル神学院と世界に展開しているその姉妹校(現在7
5校を越え、ますます増えつつある)のこと、それらの神学校を満たしている若い神学生たち、そしてそれらの神学生を生み出している新求道共同体の子沢山の大家族たちを念頭に置いていたことは想像に難くない。

 ヨハネ・パウロ二世は自らの実験のよって自分の言葉を裏づけ、「共同司牧」の誤りであることを暗に示しているのだと思う。(つづく) 

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★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(その2)

2008-01-30 06:01:53 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-01-30 12:54:52

           
          
           ロサト教授は誤りを教えたか?-(その2)

「共同司牧」

 グアム在住の日本婦人にショックを与えたのは、日本の教会に導入されたいわゆる「共同司牧」と呼ばれる新方式である。
 3つ、4つ、5つ、時にはそれ以上の数の教会を、その教会の数より少ない人数の司祭たちが共同で司牧する方式で、司祭達は中核的教会一箇所、時にはどの教会でもない第三の場所、で共同生活をするのが基本のようである。
 どの教会にも固定した主任司祭は常駐せず、原則的には、日曜日毎に違う顔の司祭がミサのために巡回する。司祭のグループに幹事役がいるとしても、主任司祭とそれを補佐する助任司祭との間の関係のように、一方が他方に命令し、他方がそれに従順するかつてのような上下関係はない。基本的にはみんな対等な立場で協力し合うのであろう。
 一見、極めて民主的で合理的なシステムのように見える。世俗の機関や企業が要員不足のときに採用するお決まりの対策で、別に新らしみはない。問題は、それがキリストの命を生きる神秘的な体にたとえられる「教会」という生きた信仰共同体にそのまま当てはまるか、と言う点である。
 ロサト教授によれば、教会は一つの生命を持った有機的細胞である。細胞質は信徒たち、核は司祭である。核とそれを包む細胞質が一組、対になってはじめて一つの命、一個の細胞を形成する。
 それに対して、共同司牧と言うのは、幾つかの細胞からそれぞれの核を抜き取り、裸の核だけを寄せ集めて別のところに置き、4つ、5つの教会を2、3人の神父が、6つ、7つの教会を3-5人の神父が、日曜ごとにローテーションを組んで掛け持ちするシステムである。信徒からすれば、毎週やってくる神父の顔が違うし、平日には教会に神父が居ない、と言うことになる。要するに、各教会は常に核のいない細胞の状態に置かれるのである。
 司祭だけの共同生活は、賄いさんを雇う費用を割り勘にすれば経済効率もいいだろう。しかし、一人ひとりの司祭に、彼を牧者、父として慕い、常に彼を家族的に包み込む安定した特定の信徒の群れは存在しない。
 カトリックの司祭は独身主義を建前とする。自分の教会の信徒たちと言う大家族に暖かく包まれ守られることが無くなった個々の司祭達は、何処でその孤独を満たすことになるのだろうかと、俗物の私は、余計な心配をする。

   
「共同司牧」は「共同牧」?

○細胞から人工的に核を抜き取ると、やがて細胞質は死滅する。抜き取られた核も、細胞質に守られ栄養を受けることが出来ないから死んでしまう。

 もしロサト教授が正しければ、主任司祭が常駐しなくなった小教区教会は、核を抜かれた細胞質のように、やがて衰微し死んでいくことになる。また、細胞質に護られなくなった裸の核のように、小教区から切り離され孤立した司祭も、何人か寄り合って経済的効率を達成しても、自分の教会の信徒らによる精神的支えを失っては、やがて枯渇して、霊的にはいずれ死んで行く事になる。
 
○細胞質の中に核がある。核には染色体があり、生命を維持し伝えて行くために必要な情報をDNAとして守っている。

 信徒たちで聖書を読み、分かち合うだけで、自分たちの信仰を支え、誤り無く歩むことが出来るのであれば、それはいわゆる無教会主義の教会の集会に等しく、ミサをしたり、説教をしたり、告白を聞いたりする司祭は要らない。しかし、カトリック教会である限り、核としての司祭は必須である。

○細胞の中と外を分ける境界が細胞膜である。細胞膜の内側には細胞質があり、細胞質はその膜を通して、外界と栄養や老廃物のやり取りをする。

 DNAを保つ核に相当する司祭を欠くと、カトリック教会の生命を他のものと質的に区別すべき判断の根拠が失われ、有機的な生命体としてのアイデンティティーを包み込む細胞膜も溶けてしまって、他の宗派・宗団と変わらなくなってしまう。

○細胞膜の中の細胞質と核は、相互に依存し合いながら、一つの生きる単位を構成するものだから、その有機的結合を破壊すると、必然的に死に至る。

 ロサト教授の教会論とその喩えが正しいとすれば、日本のカトリック教会が採用している「共同司牧」は、結局は「共同牧」と言うことになりはしまいか?
 日本をはじめ、富める第一世界は、どこも少子・高齢化社会で、年寄りの司祭から待った無しでどんどん死んで行く間に、その後を埋める若い司祭、新しい命、は一向に育ってこない。司祭不足はまさに深刻化の一途を辿っていて、歯止めがかかる兆しは今のところ全く無い。
 共同司牧方式とは、要するに、そのような悲観的展望を不可抗力の所与として受け入れ、当面の辻褄を合わせるために編み出された場当たり的対応策に過ぎないのではないか。どこにその聖書的、神学的、歴史的根拠があるのか知りたいものだ。
 恐らくロサト教授は間違っていないだろう。むしろ、共同司牧方式が根本的な誤りを含んでおり、いずれ必ず失敗し、破綻すると考えるべきだと思われる。
 私は、根本的解決は全く別のところにあり、それは現実に可能であると確信するものであるが、今回はここで一区切りとする。(つづく)

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★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(その1)

2008-01-28 07:23:49 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-01-28 07:23:49

     


       ロサト教授は誤りを教えたか?-(その1)


ステキな国際結婚式

 (クイズ第1問) 日本から結婚式を挙げるためにグアムに行くカップルは、年間どれぐらい?・・5000組?・・その倍?・・・3倍?
 (第2問) では、グアムから結婚式のためにわざわざ日本に来るカップルは、年間何組ぐらい?
 私は、2007年には少なくとも一組いたことを知っている。何故知っている?それは、司式司祭が他ならぬ私だったからだ。
 妙高高原の洒落たログハウス風チャペルで、グアムからやってきたカップルに、花嫁の洗礼式と堅信式、二人の結婚式、花嫁の初聖体、それらを一つのミサの中で一気に挙行。神父稼業の私にとっても、恐らく最初で最後の経験になりはしまいか?花嫁はグアムに渡った日本女性、花婿はアメリカ国籍のグアムの男性(チャモロ族)。彼の姉妹や親戚と、彼女のご両親や友人などが一堂に会して、家庭的な披露宴は楽しく盛り上がった。丘の上のレストランの周りには、信州林檎がたわわに実って、遠来の客を歓迎した。

 上越の豪雪地帯に連なる長野県北、野尻湖畔で凍えていた私を、グアムのチャモロの一族が、司式のお礼にと避寒に招いてくれた。お陰様で、常夏の浜辺で心行くまで魂の洗濯をすることが出来た。
                   
グアムのご夫人

 今回、3度目の訪問で、30年近く前に日本からグアムに渡った中年のご夫人に再会した。彼女は、有名なミッションスクールの寄宿舎でシスターたちから、カトリックの信仰教育を受けて入信した。古いスタイルの信仰を固く守ってきた彼女は、日本に里帰りする度に、日曜は必ず、実家に近い教会へミサに与りに行ったものだそうだ。
 それが、いつの頃からか、教会に行く度に司式の神父さんの顔が毎週違うようになった。告白(懺悔)や霊的な相談に行こうと思っても、普段の日の司祭館は無人の館だった。ああ、日本の教会はすっかり変わってしまったな・・・・、という失望が彼女を襲った。
 以前は、教会には必ず主任司祭が住んでいた。信者にとって、司祭は信徒の群れを見守っていてくれる羊飼い、頼れる霊的お父さんだった。神父も信者の顔と名前を全部知っていて、子供たちには慕われ、各家庭の事情にまで詳しく通じていた。「そういう神父様の居なくなった教会なんて、もう教会じゃない!」
 彼女は率直に言った。「このままでは、日本の教会はいずれ廃れてしまうにちかいない」、と。
 
グレゴリアーナ大学

 私は、司祭になるために、東京の大神学校に送られるはずだった。しかし、意外にも私は入学を許されなかった。50歳と言う年齢だけが理由だったかどうか、詳しい説明は受けなかった。
 お陰様でと言うべきか、私はローマの「レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院」という学寮に入れることになった。正直なところ、私は送られた先がどんなところか、日本を発つときには何の予備知識も持ち合わせていなかった。
 着いてみて分かったが、これは、前教皇ヨハネ・パウロ二世が、第二バチカン公会議の司祭養成に関する指針を実践するために、ローマ教区立として設立した新しい神学院で、120人余りの神学生が世界40数カ国余りから集まって、活気に満ちていた。
 神学の勉強は、ローマ市内のトレビの泉のすぐ近くにある教皇庁立グレゴリアーナ大学ですることになった。全世界100数十カ国からエリート学生が集まってくる。郊外の学寮からは、専用バスで30分ほどの距離であった。
 グレゴリアーナ大学は教皇庁立だが、運営はイエズス会という修道会に委託されていて、カトリック神学に関しては、世界の最高学府として認められていた。そして、この高いレベルを維持して来たのが教授陣であるが、彼らには3つの資質が求められていた。
 ① 当然のことながら、世界中のカトリック大学から選りすぐられた、当代一流の学者であること。
 ② 各専門の分野で、単に超一流であるだけでなく、その学説において、左にも右にも偏しない中庸を得たものであること。何世紀にも亘って、同大学が世界のトップの座を維持してきた秘訣はそこにあった。ローマ教皇が交代しても、常に新教皇の信頼を繋ぎとめるための知恵なのである。だから、学者としては如何に抜きん出ていても、その姿勢に偏りのある人は教授にはなれないと言われている。著名な古生物学者テイヤール・ド・シャルダンが教授になれないどころか、学説の出版を禁じられたのが、いい例であった。
 ③ その上に求められるのが語学力である。同大学の公用語が、英、独、仏、西、伊の5カ国語であると言うことは、そこで教壇に立つためには、少なくともこの5カ国語を母国語並に完全にマスターしていなければならないという意味である。(天下の東大の教授方は、ここではほぼ全員失格かもしれないし、東京の大神学校の教授方も先ず駄目だろう。)しかし、現実には、この公用語5カ国語しかできないと言うのは恥ずかしい話で、教授によっては8ヶ国語でも、10ヶ国語でも、時には20カ国以上も自由に操ると言う、お化けのようなポリグロット(語学の天才)集団であるから驚かされる。

ロサト教授の教会論

 そんなスーパー教授たちから、最先端・最高レベルのカトリック神学を直接学ぶ機会に恵まれたのだから、私はよほどの果報者で、よくぞ私の入学を拒んでくれたと、東京大神学校には大感謝である。
 グレゴリアーナ大学の2年目だったか、私が学んだ「教会論」という必須科目の教授に、ロサト先生と言うアメリカ人(と記憶する)のイエズス会士がいた。年のころは、私より少し下だったと思う。明るく、抱擁力のある教授で、学期が始まってすぐ、クラスでただ一人の日本人である年寄りの私に目をとめ、非常に可愛がってくださった。
 彼は、その広範な講義のある部分で、信徒の信仰生活の場である個々の教会を、人間の細胞に喩えられた。

○ 細胞の中と外を分ける境界が細胞膜である。細胞膜の内側には細胞質があり、細胞質はその膜を通して、外界と栄養や老廃物のやり取りをする。
○ 細胞質の中に核がある。核には染色体があり、生命を維持し伝えて行くために必要な情報をDNAとして守っている。
○ 細胞から人工的に核を抜き取ると、やがて細胞質は死滅する。抜き取られた核も、細胞質に守られ栄養を受けることが出来ないから死んでしまう。
○ 細胞膜の中の細胞質と核は、相互に依存し合いながら、一つの生きる単位を構成し、その有機的結合を破壊すると、いずれ必ず死に至る。

 信仰生活の基本的な場である個々の教会(カトリックでは「小教区」と呼ぶ)の信徒と司祭の生命的結びつきをうまく説明した分かりやすい喩えとして、感心して聴いた。
 カトリック教会では、複数の小教区を統括する司教区とその長である司教との関係を、結婚に喩える習慣がある。司教の指にはめられた指輪はその結婚の徴である。小教区と主任司祭の関係も、その任期中は同じように結婚に喩えてもいいだろう。キリストは、その関係を羊の群れとその牧者に喩えている。
 ロサト教授の教説は、前述の「有名なミッションスクールの寄宿舎でシスターたちから、トリックの信仰教育を受けて入信し、古いスタイルの信仰を固く守ってきたグアム在住の夫人」の教会観にピタリと一致する。それはまた、私の心情、信念とも符合する。そればかりではない。日本中の教会の、非常に多くの信徒の声なき声も、直感的にそれを支持しているに違いないと私は思っている。
 ところが、久々に故国に帰ったその夫人が目の当たりにし、嘆息をもって直面した日本の教会の現状は、そのロサト教授の説とは真っ向から対立するもの、すなわち、いわゆる「共同司牧」だったのである。
 では、ロサト教授は間違っているのだろうか?(つづく)


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