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シンフォニー 《無垢な人々の苦しみ》
= アウシュヴィッツ編 = ②
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早々とボランティア―の場内整理係が配置に就き始めた
午後4時開演なのに、正午には人が入り始めた
前の方に席が取れれば、舞台の様子も見えるが、1万2000席の最後尾では舞台の人は豆粒ほどにしか見えない
各所に配置された大きなスピーカーと大きな電光スクリーンだけが頼りになる
イスラエルの旗を掲げたグループは、クラカウあたりからのユダヤ人の団体だろうか
リュックを背負ったシスターの姿もある
キコがどんなルートを使ってどのような層の人々を招待しているのだろうか、興味がある
キコは、続々と入ってくる一般聴衆のほうに目をやって、なにやら満足げだ
早々とクラカウの大司教、スタニスラオ枢機卿が前方の来賓席のあたりに姿を現した
彼はポーランド出身のヨハネ・パウロ二世教皇の秘書だった
大司教になってかなり太ったように見受けられる
その左側の司教の顔も見覚えがあるが、さて、どこの誰だったか・・・
左の写真の真ん中、黒いキッパ(ユダヤ人の男性が頭に乗せる皿形の帽子)のラビ(ユダヤ教の教師)と挨拶しているのは、
オーストリアのウイーンの大司教のシェーンボルン枢機卿(カトリックの枢機卿は赤のキッパを頭に乗せるのが習わし)。
彼は今回のコンクラーベ(教皇選挙)では有力な教皇候補だったと言う話をきいた。
右の写真でシェーンボルン枢機卿と話をしているのは、たしかホロコーストの生き残りのラビのアルトゥール・シュナイアー師
ではないか、そして右側で右を向いているのは全米ユダヤ人協会国際部長のラビ・ローゼンだ。
いずれもアメリカでのシンフォニーツアーのとき、ニューヨークでも、シカゴでも、ボストンでも重要な役割を演じた人たちだった。
来賓のラビたちと歓談するキコ
バチカン側からは、元コル・ウヌムのコルデス枢機卿(左)、
信徒評議会議長のリュウコ枢機卿(右)などおなじみの顔が並んでいる
たぶん、ポーランドのユダヤ人社会の中で有力なラビたちなのだろう。 アメリカツアーの会場では見かけなかった
顔ぶれが大勢いる。
いよいよ演奏開始。 スペイン人の若い指揮者 パウ が客席に向かって一礼をする。
コンサートホールの生の音とは違うが、大スピーカーから吐き出される演奏はそれなりに強烈な迫力がある
この日、アウシュビッツ第二強制収容所を訪れた人々は皆、それを遠くに聞いただろう
人々は、このアウシュヴィッツの殺人工場と言う特別な環境で、
ガス室で殺され、焼却炉で灰にされていった110万の人の
「無垢な人々の苦しみ」
という表題で演奏された5楽章のシンフォニーをどういう感動をもって受け止めただろうか
その大部分がユダヤ人だったこの魂たちの苦しみには、一体どういう意味があったのか
同じヤーウエの神をいただくユダヤ教徒とキリスト教徒の
2000年にわたる相互憎悪(と言ってはきつすぎれば)、相互否定、相互拒否
の不幸な歴史にこのシンフォニーは終止符を打ち
相互の赦しと和解に道を開き、
一致して唯一の創造主なる神の 救済の福音伝達に協力し
ともに復活と永遠の命を告白する第一歩を印す歴史的な出来事の始まりがここにあった
キコのシンフォニーに応えて、ユダヤ教の会堂の有名な歌い手が、
ホロコーストの悲劇の哀歌を朗々と歌い上げた
その中で、アウシュヴィッツ、ダッハウ、トレブリンカ、等々、
一連の世界に有名な強制収容所の名前が、メロディーを付けずに連呼された
クラカウの大司教スタニスラオ枢機卿が結びの挨拶に立ち、この日の歴史的な意味について話した
来賓席の後ろあたりで、見知らぬご婦人が私を呼び止め、
「あなたは人ばかり写しているが、たまには自分も写ればいい」
といって、カメラを取り上げ、シャッターを押してくれた。
全てのプログラムが終り、余韻をかみしめ名残を惜しむ交流が舞台と客席の間にあった
2013年の東欧の長い夏の日もいつしか終わり、太陽が西の空に沈もうとしていた。
次はポーランドの首都ワルシャワの東にあるルブリンの町での演奏だ。
昨年5月のアメリカ東部のコンサートツアーの記事と合わせて読んでいただくと
全体が立体的に見えてきます。是非お勧め!
( つ づ く )