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鐘の声
ホイヴェルス著 =時間の流れに=
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在りし日の聖イグナチオ教会 (イラスト)
イグナチオ教会では、このあいだも、鐘をならして荘厳な式をはじめました。鐘の音を聞くと、子供の頃のなつかしい故郷のことが私の胸に浮かんで来ます。鐘の音は何と不思議な力をもっているのでしょう。
鐘の音を一番楽しく聞いたのは――それは中学生の頃でしたが――土曜日の午後、とくにお祝いの日の前の午後でありました。学校が終わってから町の広場に行きました。そこには中世の昔から残っているゴシック式の聖堂がそびえていました。その高い塔からあしたの日曜日を告げる鐘がなり始めました。四つの鐘です。まず高い音のがなると、段々に一番低い音のまでが鳴りだします。四つの鐘は仲よく調和的に鳴りました。腹わたにしみ通るような重い鐘の声、その振動で町中の空気はふるえました。高い声の鐘はこの重いどっしりした響の上におどり上るようでした。また、この音は天からの声、神の声のように響きました。六日間の苦労と勉強が終わって明日は喜びの日、日曜日なのです、私はじっと広場に立って、このやわらかい暖い音の波を浴びながら、永遠の喜びが確かなものであることを感じました。
私の兄もこの鐘の音を聞きます。しかし兄は機械に深い興味をもっていましたから、鐘の音よりも鐘そのものを見たかったのです。まもなく私たち二人は塔に登る許しをもらいました。条件としては今度の土曜日に少し鐘を鳴らす手伝いをしなければなりません。むろん私たちは喜んで約束しました。土曜日を一生けんめい待っていました。その日が来て、私たちは案内され、塔の中のほの暗い高い階段を登って行きました。てっぺんに着くととても広い「鐘の部屋」に入りました。まず目の前にある大きな鐘を眺めました。普通の教会でしたら、長い綱を下から引いて鐘を鳴らします。しかし、この鐘は大きくて違う方法で動かします。まだ電力のないときでしたから、鐘の上に丸太をつけて、その片方を足で踏みます。それにはまず梯子で鐘の上に登り、そのそばの台の上に立って両手で鉄の棒の手すりにつかまり、左の足は台の上においたまま、右の足で鐘の上の丸太を力いっぱい踏みおろします。すると段々に鐘は調子づいて動きだします。兄と私は一番大きい鐘には体力が足りませんでしたから、そのほかの方をうけもちました。そして小さい方は早く鳴りだし、大きくて重い方はあとからおくれてそれについてきました。これは鐘を鳴らすことの一つのわざであり美しさであります。このひびきをきく人は必ず町のあちこちに立ちどまってじっと耳をかたむけます。こうして私は一生けんめい鐘の音をつくり出して、塔の窓から四方に送りました。町の上をこえて、森までも、遠くの山までも。
その聖堂の鐘は風に運ばれますと、五、六時間はなれたところまでもよくきこえました。こうして鐘のことを実際に経験しましたから学校でドイツ文学の時間に鐘をたたえる詩や場面は前よりずっとよくわかったのです。たとえばゲーテの「ファウスト」の中で、聖週間すなわち教会の鐘がならない期間のあと復活祭の始めに鐘が鳴るとき、絶望するファウストはそれをきいてふたたび生命に対して希望がわいてきますが、これは何と実感のこもった場面となったことでしょう。あるいはシラーの「鐘の歌」。これは長い詩ですが、始めから終わりまでとても面白くよみました。これは人生のよろこびと悲しみにともなう聖堂の鐘のひびきをきくようでした。
私が若いとき聞いた鐘と日本で聞いた鐘とどちらがよいかなどきくのは、困った質問です。どちらもよいものでありますから。
ハンザの都市リューベックにいたときのことでした。やはり土曜日の午後、どの教会からも無数の鐘がひびき、町中はそのメロディーにひたされました。私はうれしくてたまらず、そこに来ていたハンブルク領事館の日本人の友だちに「これはとてもいいではありませんか」といいました。その方はただ「まあ、やかましい」とこたえました。
またこれと反対に、私は最近ヨーロッパから来た友だちにお寺の鐘を紹介したいと思いました。するとその人はつまらなそうな顔つきで「たいしたことじゃない、単調すぎる」といいました。
でも、私は日本こそ西と東から世界のもっともよいものが集まって来るところだと思います。ふしぎにも鐘についてもそうなるらしいのです。
三年前の八月六日、原爆の記念日に、広島で行なわれた大きな平和教会の献堂式に参列しました。そのとき高い塔から四つの鐘が鳴り始めました。全く夢のような気もちでした。完全な調和のひびき、深い平安の感じをおぼえました。人類が、これから先あゆむ道に対して新しい希望が湧いてきました。ところで私のそばに立ってこの鐘のメロディーをきいていた人は誰でしょう。むかしふるさとの町で鐘のところに一緒にのぼったほかならぬ私の兄でありました。そして、この平和の鐘を作った者も、実は同じ兄だったのです。
「鐘の声」これも私の好きな一編です。
わたしが若いころに第二の故郷かと思って住んだデュッセルドルフも、50歳を目前に神学生として移り住んだローマも、教会の鐘の声に満ちた都会です。しかし、いまはほとんどが電気時計にプログラムされた通り時が来たら勝手に鳴り出す仕組みで、ホイヴェルス少年が塔に登って足で蹴って鳴らした時代のような人間の温もりは失われています。
68年前にわたしが洗礼を受けた神戸の六甲教会は、東京の聖イグナチオ教会を設計した同じグロッタース神父の手によるもので、ひと回り小さいことを別にすれば形はそっくりでした。塔のうえには鐘があり、朝、昼、晩のお告げの祈りや、ミサの始まりを告げる鐘の音は、結婚式、お葬式にもそれぞれの表情で遠くまで鳴り響き、町の風物詩だったことを懐かしく思い出します。
ある日など、NHKの音響技師たちが磁気テープの録音機材を広場の芝生に持ち込んで、聖イグナチオ教会の鐘の音を熱心に録音していましたが、きっと何かのドラマの効果音として使うためではなかったでしょうか。
時間の流れは想い出の詰まった懐かしい六甲教会も聖イグナチオ教会も歴史の過去に押し流し、今ある楕円形のコンサートホールのような新しい建物には、神の家としての荘厳さは失われ、鐘楼は無くなり、二度と鐘の声は聞かれません。
猛烈な勢いで世界を襲った世俗化の波は、人々に神様の存在を告げていた鐘の声もただの騒音として駆逐し、沈黙させてしまったのでしょう。それにしても、二度と鳴ることのなくなったあの鐘は、今どこで埃をかぶっているのでしょうか。
広島の平和記念大聖堂の鐘楼からは、ホイヴェルス神父様のお兄さんが作って寄贈された鐘が今も現役で鳴り続けているのでしょうか。生きているうちにもう一度自分の耳で確かめてみたいものです。