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私の「インドの旅」の総集編(3)
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今回は(3)自然宗教発生のメカニズムです。
(1)導入
(2)インカルチュレーションのイデオロギー
(3)自然宗教発生のメカニズム
(4)超自然宗教の誕生―「私は在る」と名乗る神
(5)「超自然宗教」の「自然宗教」化
(6)神々の凋落
a)自然宗教の凋落
b) キリスト教の凋落
c) モンの神の登場 天上と地上の三位一体
(7)遠藤批判
(8)田川批判
(9)絵に描いた餅は食えない
(10)超自然宗教の復権
(3)自然宗教発生のメカニズム
話を進めるためには、まず宗教というものがどのようにして発生し発展していったかを、もう一度ふり返ってみる必要があるだろう。
138億年前に誕生した宇宙は進化を重ねて今日の姿になった。そのなかには、少なく見積もっても2兆個以の銀河がふくまれると推定される。そして、我々の太陽系が属する天の川銀河を例にとれば、一つの銀河の中に2000~4000億個もの恒星があり、各恒星は普通数個以上の惑星を伴っている。だから、ひとはあまりの数に幻惑されて、知的な生命体の住む星が地球のほかにも無数にあるだろうと空想するかもしれない。
一個の銀河の姿がこれだ。宇宙にはこんなのが2兆個もある。その一つの銀河の中に2000~4000億個の太陽があって・・・
確かにそれは、科学者のナイーブなロマンとしてはいいかもしれない。しかし、私は、微生物に準ずるものや、ある種の生命体は多々あり得たとしても、芽生えた生命が系統的に進化し、その先端に理性と自由意思を備えた生命体、「わたし」という自我に目覚めた人格(ペルソナ)を備えた個体の集団である人類の出現にまで達し得たのは、無数の銀河系の中でも我々の天の川銀河の地球という惑星一つだけだとするのが正解だと考えている。確率論から言ってもそうだが、少なくとも神学的には確かにそういう結論になる。(しかし、その点について今は深入りしない。)
なお、一言付け加えれば、従って、SFのスターウオーズというものは、知的異星人と地球人との戦いとしてではなく、宇宙に拡散した地球人同士の戦いとしていつか不可避的に起こり得るとしても、人類が十分広く宇宙に拡散するまでは、当分お預けになるだろうと言うことだ。
さて、この宇宙全体を自然と呼べば、人間の営み=文化も宗教も=は自然の一部を構成する。
自然は人間に恵みをもたらすが、一旦荒ぶれば恐ろしい災厄をもたらすものであることは経験的によく知られている。「Covid-19」や、「かつて経験したことのない大雨」などが卑近な例だ。しかも、高慢な金持ちや政治家たちがそれを甘く見れば、想定外に長引き、甚大な人災に発展することにもなりかねない。日本は今まさにその瀬戸際にある。
その自然の圧倒的な力の背後に人間は、想像力を駆使して恐るべき力と意思を持った「神」を思い描き、その神に名前を与え、像を刻み、寺社を建て、専門職の祭司を任じてその神に祈祷と供え物を捧げさせ、より多くの恵みを引き出し、禍を遠ざけようと考えた。元はと言えば、これは、人間の力で自然を何とかしてコントロールしよういう素朴な試みだった。それはまた、禍や恵みが神によってもたらされるものであるのなら、祈りとお供えと礼拝で神に恭順を尽くす、うわべは身を低くして謙虚に神にお願いする形をとりながら、その裏には、何としてでも神を操作し支配しよう、最後には人間が神よりも偉いものになろうと言う無意識の下心がはじめから透けて見えていた。事実、自然科学の進歩と、技術革新の飛躍的成果とともに、人類は原始的な自然宗教を必要としなくなって、次第に片隅に追いやってきた歴史がある。
ともあれ、この人間が生み出した宗教は、自らも自然の一部である人間の営みから始まり、自然の中で完結しているという意味において「自然宗教」と呼ばれるのが相応しい。
私はインドを旅して、ヒンズー教の神々の像と神殿を数多く見て歩いた。サンガムの沐浴の一大ページェントの中にも身を置いてみた。ベトナムでは大乗仏教を、モンゴルでは原始的なシャーマニズムやチベット仏教の僧侶たちの生活にも接した。
しかし、最近あらためて新鮮な衝撃を受けたのは、NHKスペシャルが放映した今年の東大寺二月堂の修二会(シュニエ=「お水取り」)の映像だった。それはまさに「コロナウイルス退散の祈願を込めた行事」そのものだった。(注―2)
奈良東大寺のお水取り 二月堂の廊下を走る松明の火
幻想的な松明の炎の祭典の動画の中で、11人の練業衆が、
「新型コロナウイルスをはじめとする
疫癘(えきれい)の難を消除(しょうじょ)せしめ~~
世界を安穏に持(たも)たしめんことを~~」
と、熱心に唱和している姿が映しだされた。また、その錬業衆の一人、清水公仁さんはアナウンサーのインタビューに答えて、「念じて、感じて、思って、(身体を)打って、しびれて、もうろうとする意識の中で、一日も早く(コロナ禍が)何とかなってほしい気持ちで観音様にお願いするしかない」と熱く語っているのを見て、ああ、ここに純粋な自然宗教の典型的な姿が具現されているな、と感慨を深くした。特に、一歩間違えば骨折しかねないほど激しく飛び上がっては身体を打ち付けるしぐさと、寒い夜の静かな堂内に響き渡るその乾いた音には、自然宗教ならではの悲壮感が漂っていた。
NHKスペシャルのコメントには、「中国大陸で生まれた大乗仏教の一つ、華厳宗は、日本に736年に伝わった。中国では消滅したが、『お水取り』は、南無観自在菩薩と八つの神を呼び込んで疫病退散を祈願する1300年の祈りを原初のままの姿でいまに伝えている」とあった。
私は自然宗教をご利益主義としてただ全否定的にのみ捉える者ではない。他方では、ご利益を全く説かない、ご利益から限りなく縁遠い自然宗教があることも知っている。
例えば、私の限られた経験から言えば、曹洞宗の「只管打坐」などがそれに近いのではないだろうか。
私の師匠は今や伝説の名僧、「昭和の最後の雲水」と讃えられた澤木興道老師で、その高弟であり、ご自身も高僧の誉れ高い内山興正老師のことを生意気にも兄弟子ぐらいに思っている私だが、澤木老師が、只管打坐を指して、「ただひたすら座るだけ。座ったとて何にもならん。何にもならんけど、いや、何にもならんからこそ、座るのだ。」という意味のことを言われたとき、私は何となく、これこそ本物の禅だと納得したのを思い出す。潔癖にご利益を忌避する純粋な自然宗教の典型をそこに見たからだ。
座禅を知りたいと、まだ手探りで右往左往していた頃、確か黄檗山万福寺で開かれた入門的参禅会に、会費を払って参加したことがあった。呼吸法に始まり、考案、禅問答、悟りの境地、などの説明を聞いて、私は、黄檗宗がどんなものかさっぱり分からなかったが、感覚的には臨済宗の考案禅に近いものかな?と思った。
しかし、仏教と言っても一律ではない。私は、四国の高松のカトリック教会で主任司祭をしていた頃、有名な四国八十八か所の名刹の一つにX寺というのがあって、そこの若い住職と親しくなった。
彼は、わたしとはべ平連(70年代のベトナム反戦運動)などの共通体験があり、自らは医者を生業とし、ずっと東京で暮らすつもりでいたようだが、住職である父上が早く亡くなられて、長男の彼以外に後を継ぐ者がいないと言うことで、親族の意向に押し切られて四国に帰ってきた。それでも、主義を貫いて境内にクリニックを開いて生計を立て、寺は荒れるに任せていたのだが、地域の期待や行政の後押しもあって、次第に整備せざるを得なくなっていったようだ。
それはそうだろう、八十八ヶ所の他のお寺が、みなそろってお遍路さん相手に寺の経営に精出しているのに、お能の演目の舞台でもある名刹が、草ぼうぼうの荒れ放題と言うわけにもいくまい。彼の信念とは関係なく、世間の期待に押されて寺は次第に整備されていった。
彼は大変な読書家で、住まいには大書庫があった。彼はそれら広いジャンルの本を全部読んでいる様子だったから、私はただただ恐れ入ったものだ。
その彼が、自分の寺で若い僧侶たちのために勉強会を開いていて、私にも聴きに来ないかと誘ってくれたことがあった。たまたま私が参加した日の講師は、通常の護摩行の10倍もの護摩木を焚く大荒行を成し遂げたお坊さんだった。
生ける不道明王になるために
密教の荒行と言えば、比叡山の千日回峰行などが有名だが、真言宗の護摩焚きの行も半端ではない。何日も朝からぶっ続けに膨大な量の護摩木を焚く炎のま近に座ると、赤外線で顔や手は火ぶくれになる。俗に「火炙り地獄」といわれ、成し遂げると阿闍梨とか生身の不動明王と呼ばれ、常人にはない神通力を獲得したと見做される。講話の中で「床の間にかけられた梅の花が描かれた掛け軸に向かって、『えいッ!』と活を入れると、あら不思議、庭から鶯が舞い降りて掛け軸の梅の枝にとまって絵の一部に溶け込んでしまった。また『えいッ!』と活を入れると、絵の鶯が羽ばたいて庭に飛び去った」などという話をしてくれたので、わたしは、ウーン、と恐れ入ったのを思い出す。
あのインテリの、読書家の、左翼の活動家で無神論者だった彼も、八十八か所の名刹の住職ともなると、立場上そういう奇譚に話を合わせなければならなくなるのかな、さぞ辛いだろうな、といささか同情を込めた醒めた思いに浸ったことを思い出す。
真言密教の護摩焚きの行と言えば、仏教以前イラン高原に成立していたゾロアスター教(拝火教)に由来するものとされているが、空海(弘法大師)が遣唐使として中国に渡ったころの唐の都には、キリスト教の一派の景教(ネストリウス派)の寺院である大秦寺が盛えていたという。空海は大秦寺の僧「景浄」と親交があったようで、空海はそこで「灌頂」を受けている。この灌頂は頭に水をかける儀式で、元来の仏教にはなく、恐らくキリスト教の洗礼に起源を持つものではないかと言われている。
私の友人の住職は、医院の他に老人ホームも経営しているが、個人的には「谷口神父。今の仏教ではうちの養老院のおばあちゃんたちは救えない。かまわないからキリスト教の話をしに来てくれないか」と誘ってきた。私はその後間もなく四国を離れたので、この招きは実現しなかったが、空海の教えをよく研究すれば、景教由来の救いの教えが真言宗の中にすでに内包されていたことも明らかになるかもしれないと思った。
四国巡礼八十八か所と言えば、ある意味で今も仏教が日本人の生活の中に生きている貴重なケースだが、その教えの内容はパレスチナからローマ帝国、インド、中国、最後に日本へと伝搬されていく過程で、様々な要素を取り込んだ複雑な混交宗教の様相を呈していると思われる。
その点、澤木興道老師は、単純明快、生涯純粋でブレることが無かった。
京都の鷹ヶ峯の破れ寺、安泰寺で、冬の寒い朝4時頃に、老師の私室に内弟子だけが数人、許されてお茶をいただきに招き入れられる。この時間だけは一日の沈黙が破られ、老師と和やかに懇談することが許される。
そんなある朝、老師はまだ学生だった私に、「おまえは耶蘇(カトリック信者)だったな。まあ、よろしい、そこに座っていなさい」と、ことさらに目をかけて下さった。
座禅なんかしても何にもならない。だからひたすら座るだけ。「凡夫が凡夫で凡夫する」のみ。と教えた老師に私はこころから感謝している。
座禅しても何にもならない、と言われたが、そんなことはない。私は今も(畳に坐布を敷いて座ることはないが)祈るときは腰から上は座禅の姿勢(禅定)に入る。相対するのは「無」でも「空」でもなく、「私はある」の神であり、「復活したキリスト」のみ前に鎮まるために最高の助けになっている。
私の二人の師 ヘルマンホイヴェルス神父と澤木興道老師 60年近く前の写真 古いネガフィルムの山から一か月前に発掘した貴重な一枚 老師の額のサロンパスが何とも可愛い
澤木興道老師はもう居ない。最近、追憶の旅で、私が接心に通った安泰寺のあった京都の鷹が峰を訪ねてみたら、ボンネットバスが通った砂利の坂道は舗装され、うっそうとした竹林や松林は切り拓かれて広大な住宅地に変わり、昔日の面影は全くなかった。安泰寺があったと思われる場所は、今は小さな公園になり、真ん中に植えられた楠の根元には、「昔、安泰寺ここにありき。」の札とともに、「今は都会の喧騒を避けて兵庫県の丹波の山奥に移転し久しい。」という意味の言葉が記されていた。その現在の安泰寺の様子も、NHKのドキュメンタリーとして放映されたのを見たが、そこには、欧米から青い目の青年たちが何かを求めて集まっているようだった。番組では、ある外国人の若者が何も見つけず、虚しく途中で帰っていった。昔の破れ寺とは比べものにならない整った道場のように見受けたが、昔日の安泰寺の内実がどこまで受け継がれているのか、私には分からない。
現代社会では、原始的で素朴な自然宗教は文明と自然科学の進歩につれて神秘のヴェールがはぎ取られ、一見するところあまり流行らなくなっているようだが、そうではない。すべての自然宗教は、それなりの進化を遂げながら、行きつくところ「お金の神様」、別の名を「マンモンの神」という、に収斂していったことは、すでに詳述したのでここでは繰り返さない。(注-2)
それは、一言で言えば、すべての自然宗教に共通の神が「お金の神様」であり、それはあらゆる自然宗教の発生の最初から萌芽として含まれていたもので、文明の発展とともに次第にその本性が顕わになり、いまや世界中で人間の魂を奴隷化するこの世で最強の神として君臨している。自然宗教は、もとはと言えば人間が自然に潜むと考えた神を制御しようと試みた人間の営みだったが、皮肉なことに、科学技術の進歩とともに姿を現したものは、人間の欲望の化身、お金の神様、マンモンの神だった。そして、人間はその神を支配するどころか、逆に組み伏せられ、挙げてお金の神様の奴隷になってしまっている。
その事を見事に言い当てたのは、ローマのヴェネチア宮殿の中のサンマルコ寺院の主任司祭で、私がパラサイト学生神父として世話になったドン・ロマーノ神父だった。彼は「人間がマンモンの神への奴隷状態からやっと解放されるのは、棺桶の蓋に最後の釘が打たれて約15分後だ」と言ったのが忘れられない。イタリアの棺桶は数日を待たずして斎場の焼却炉で燃やされる駅弁の折のようなペラペラの素材に布張りした日本のものとは異なり、錫で内張した堅い茶色の木のずっしりと重い棺桶だ。土中に埋葬されても、かなりの期間原型を保っている。
ことほど左様に、自然宗教の「お金の神様」は、自称無神論者も含めて、すべての人類を奴隷とする恐るべき神様で、自然宗教から生まれたものではあるが、私には、はっきりとした意思と野望を抱いた生ける化け物のように思えてならない。
このお金の神様に取りつかれると人間がどんなに変わるかの実例を私は国際金融業に携わっていた頃にしっかりと見てきたが、長くなるのでその話は次回に譲るとしよう。
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注-2:ブログ「私の『インドの旅』と遠藤周作の『深い河』(3)」(2021年5月7日)参照。
(つづく)