:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 私の「インドの旅」の総集編(3)

2021-08-24 00:00:01 | ★ インドの旅から

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私の「インドの旅」の総集編(3)

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今回は(3)自然宗教発生のメカニズムです。

     (1)導入

     (2)インカルチュレーションのイデオロギー

     (3)自然宗教発生のメカニズム

     (4)超自然宗教の誕生―「私は在る」と名乗る神

     (5)「超自然宗教」の「自然宗教」化

     (6)神々の凋落

        a)自然宗教の凋落

        b) キリスト教の凋落

        c) モンの神の登場 天上と地上の三位一体

     (7)遠藤批判

     (8)田川批判

     (9)絵に描いた餅は食えない

      (10)超自然宗教の復権

 

(3)自然宗教発生のメカニズム

 話を進めるためには、まず宗教というものがどのようにして発生し発展していったかを、もう一度ふり返ってみる必要があるだろう。

 138億年前に誕生した宇宙は進化を重ねて今日の姿になった。そのなかには、少なく見積もっても2兆個以の銀河がふくまれると推定される。そして、我々の太陽系が属する天の川銀河を例にとれば、一つの銀河の中に2000~4000億個もの恒星があり、各恒星は普通数個以上の惑星を伴っている。だから、ひとはあまりの数に幻惑されて、知的な生命体の住む星が地球のほかにも無数にあるだろうと空想するかもしれない。

 

一個の銀河の姿がこれだ。宇宙にはこんなのが2兆個もある。その一つの銀河の中に2000~4000億個の太陽があって・・・

 確かにそれは、科学者のナイーブなロマンとしてはいいかもしれない。しかし、私は、微生物に準ずるものや、ある種の生命体は多々あり得たとしても、芽生えた生命が系統的に進化し、その先端に理性と自由意思を備えた生命体、「わたし」という自我に目覚めた人格(ペルソナ)を備えた個体の集団である人類の出現にまで達し得たのは、無数の銀河系の中でも我々の天の川銀河の地球という惑星一つだけだとするのが正解だと考えている。確率論から言ってもそうだが、少なくとも神学的には確かにそういう結論になる。(しかし、その点について今は深入りしない。)

 なお、一言付け加えれば、従って、SFのスターウオーズというものは、知的異星人と地球人との戦いとしてではなく、宇宙に拡散した地球人同士の戦いとしていつか不可避的に起こり得るとしても、人類が十分広く宇宙に拡散するまでは、当分お預けになるだろうと言うことだ。

 さて、この宇宙全体を自然と呼べば、人間の営み=文化も宗教も=は自然の一部を構成する。

 自然は人間に恵みをもたらすが、一旦荒ぶれば恐ろしい災厄をもたらすものであることは経験的によく知られている。「Covid-19」や、「かつて経験したことのない大雨」などが卑近な例だ。しかも、高慢な金持ちや政治家たちがそれを甘く見れば、想定外に長引き、甚大な人災に発展することにもなりかねない。日本は今まさにその瀬戸際にある。

 その自然の圧倒的な力の背後に人間は、想像力を駆使して恐るべき力と意思を持った「神」を思い描き、その神に名前を与え、像を刻み、寺社を建て、専門職の祭司を任じてその神に祈祷と供え物を捧げさせ、より多くの恵みを引き出し、禍を遠ざけようと考えた。元はと言えば、これは、人間の力で自然を何とかしてコントロールしよういう素朴な試みだった。それはまた、禍や恵みが神によってもたらされるものであるのなら、祈りとお供えと礼拝で神に恭順を尽くす、うわべは身を低くして謙虚に神にお願いする形をとりながら、その裏には、何としてでも神を操作し支配しよう、最後には人間が神よりも偉いものになろうと言う無意識の下心がはじめから透けて見えていた。事実、自然科学の進歩と、技術革新の飛躍的成果とともに、人類は原始的な自然宗教を必要としなくなって、次第に片隅に追いやってきた歴史がある。

 ともあれ、この人間が生み出した宗教は、自らも自然の一部である人間の営みから始まり、自然の中で完結しているという意味において「自然宗教」と呼ばれるのが相応しい。

 私はインドを旅して、ヒンズー教の神々の像と神殿を数多く見て歩いた。サンガムの沐浴の一大ページェントの中にも身を置いてみた。ベトナムでは大乗仏教を、モンゴルでは原始的なシャーマニズムやチベット仏教の僧侶たちの生活にも接した。

 しかし、最近あらためて新鮮な衝撃を受けたのは、NHKスペシャルが放映した今年の東大寺二月堂の修二会(シュニエ=「お水取り」)の映像だった。それはまさに「コロナウイルス退散の祈願を込めた行事」そのものだった。(注―2) 

 

   

         奈良東大寺のお水取り              二月堂の廊下を走る松明の火

 

 幻想的な松明の炎の祭典の動画の中で、11人の練業衆が、

       「新型コロナウイルスをはじめとする

       疫癘(えきれい)の難を消除(しょうじょ)せしめ~~

       世界を安穏に持(たも)たしめんことを~~」

 と、熱心に唱和している姿が映しだされた。また、その錬業衆の一人、清水公仁さんはアナウンサーのインタビューに答えて、「念じて、感じて、思って、(身体を)打って、しびれて、もうろうとする意識の中で、一日も早く(コロナ禍が)何とかなってほしい気持ちで観音様にお願いするしかない」と熱く語っているのを見て、ああ、ここに純粋な自然宗教の典型的な姿が具現されているな、と感慨を深くした。特に、一歩間違えば骨折しかねないほど激しく飛び上がっては身体を打ち付けるしぐさと、寒い夜の静かな堂内に響き渡るその乾いた音には、自然宗教ならではの悲壮感が漂っていた。

 NHKスペシャルのコメントには、「中国大陸で生まれた大乗仏教の一つ、華厳宗は、日本に736年に伝わった。中国では消滅したが、『お水取り』は、南無観自在菩薩と八つの神を呼び込んで疫病退散を祈願する1300年の祈りを原初のままの姿でいまに伝えている」とあった。

 私は自然宗教をご利益主義としてただ全否定的にのみ捉える者ではない。他方では、ご利益を全く説かない、ご利益から限りなく縁遠い自然宗教があることも知っている。

 例えば、私の限られた経験から言えば、曹洞宗の「只管打坐」などがそれに近いのではないだろうか。

 私の師匠は今や伝説の名僧、「昭和の最後の雲水」と讃えられた澤木興道老師で、その高弟であり、ご自身も高僧の誉れ高い内山興正老師のことを生意気にも兄弟子ぐらいに思っている私だが、澤木老師が、只管打坐を指して、「ただひたすら座るだけ。座ったとて何にもならん。何にもならんけど、いや、何にもならんからこそ、座るのだ。」という意味のことを言われたとき、私は何となく、これこそ本物の禅だと納得したのを思い出す。潔癖にご利益を忌避する純粋な自然宗教の典型をそこに見たからだ。

 座禅を知りたいと、まだ手探りで右往左往していた頃、確か黄檗山万福寺で開かれた入門的参禅会に、会費を払って参加したことがあった。呼吸法に始まり、考案、禅問答、悟りの境地、などの説明を聞いて、私は、黄檗宗がどんなものかさっぱり分からなかったが、感覚的には臨済宗の考案禅に近いものかな?と思った。

 しかし、仏教と言っても一律ではない。私は、四国の高松のカトリック教会で主任司祭をしていた頃、有名な四国八十八か所の名刹の一つにX寺というのがあって、そこの若い住職と親しくなった。

 彼は、わたしとはべ平連(70年代のベトナム反戦運動)などの共通体験があり、自らは医者を生業とし、ずっと東京で暮らすつもりでいたようだが、住職である父上が早く亡くなられて、長男の彼以外に後を継ぐ者がいないと言うことで、親族の意向に押し切られて四国に帰ってきた。それでも、主義を貫いて境内にクリニックを開いて生計を立て、寺は荒れるに任せていたのだが、地域の期待や行政の後押しもあって、次第に整備せざるを得なくなっていったようだ。

 それはそうだろう、八十八ヶ所の他のお寺が、みなそろってお遍路さん相手に寺の経営に精出しているのに、お能の演目の舞台でもある名刹が、草ぼうぼうの荒れ放題と言うわけにもいくまい。彼の信念とは関係なく、世間の期待に押されて寺は次第に整備されていった。 

 彼は大変な読書家で、住まいには大書庫があった。彼はそれら広いジャンルの本を全部読んでいる様子だったから、私はただただ恐れ入ったものだ。

 その彼が、自分の寺で若い僧侶たちのために勉強会を開いていて、私にも聴きに来ないかと誘ってくれたことがあった。たまたま私が参加した日の講師は、通常の護摩行の10倍もの護摩木を焚く大荒行を成し遂げたお坊さんだった。

 

生ける不道明王になるために

 

 密教の荒行と言えば、比叡山の千日回峰行などが有名だが、真言宗の護摩焚きの行も半端ではない。何日も朝からぶっ続けに膨大な量の護摩木を焚く炎のま近に座ると、赤外線で顔や手は火ぶくれになる。俗に「火炙り地獄」といわれ、成し遂げると阿闍梨とか生身の不動明王と呼ばれ、常人にはない神通力を獲得したと見做される。講話の中で「床の間にかけられた梅の花が描かれた掛け軸に向かって、『えいッ!』と活を入れると、あら不思議、庭から鶯が舞い降りて掛け軸の梅の枝にとまって絵の一部に溶け込んでしまった。また『えいッ!』と活を入れると、絵の鶯が羽ばたいて庭に飛び去った」などという話をしてくれたので、わたしは、ウーン、と恐れ入ったのを思い出す。

 あのインテリの、読書家の、左翼の活動家で無神論者だった彼も、八十八か所の名刹の住職ともなると、立場上そういう奇譚に話を合わせなければならなくなるのかな、さぞ辛いだろうな、といささか同情を込めた醒めた思いに浸ったことを思い出す。

 真言密教の護摩焚きの行と言えば、仏教以前イラン高原に成立していたゾロアスター教(拝火教)に由来するものとされているが、空海(弘法大師)が遣唐使として中国に渡ったころの唐の都には、キリスト教の一派の景教(ネストリウス派)の寺院である大秦寺が盛えていたという。空海は大秦寺の僧「景浄」と親交があったようで、空海はそこで「灌頂」を受けている。この灌頂は頭に水をかける儀式で、元来の仏教にはなく、恐らくキリスト教の洗礼に起源を持つものではないかと言われている。

 私の友人の住職は、医院の他に老人ホームも経営しているが、個人的には「谷口神父。今の仏教ではうちの養老院のおばあちゃんたちは救えない。かまわないからキリスト教の話をしに来てくれないか」と誘ってきた。私はその後間もなく四国を離れたので、この招きは実現しなかったが、空海の教えをよく研究すれば、景教由来の救いの教えが真言宗の中にすでに内包されていたことも明らかになるかもしれないと思った。

 四国巡礼八十八か所と言えば、ある意味で今も仏教が日本人の生活の中に生きている貴重なケースだが、その教えの内容はパレスチナからローマ帝国、インド、中国、最後に日本へと伝搬されていく過程で、様々な要素を取り込んだ複雑な混交宗教の様相を呈していると思われる。

 その点、澤木興道老師は、単純明快、生涯純粋でブレることが無かった。

 京都の鷹ヶ峯の破れ寺、安泰寺で、冬の寒い朝4時頃に、老師の私室に内弟子だけが数人、許されてお茶をいただきに招き入れられる。この時間だけは一日の沈黙が破られ、老師と和やかに懇談することが許される。

 そんなある朝、老師はまだ学生だった私に、「おまえは耶蘇(カトリック信者)だったな。まあ、よろしい、そこに座っていなさい」と、ことさらに目をかけて下さった。

 座禅なんかしても何にもならない。だからひたすら座るだけ。「凡夫が凡夫で凡夫する」のみ。と教えた老師に私はこころから感謝している。

 座禅しても何にもならない、と言われたが、そんなことはない。私は今も(畳に坐布を敷いて座ることはないが)祈るときは腰から上は座禅の姿勢(禅定)に入る。相対するのは「無」でも「空」でもなく、「私はある」の神であり、「復活したキリスト」のみ前に鎮まるために最高の助けになっている。

私の二人の師 ヘルマンホイヴェルス神父と澤木興道老師 60年近く前の写真 古いネガフィルムの山から一か月前に発掘した貴重な一枚 老師の額のサロンパスが何とも可愛い

 澤木興道老師はもう居ない。最近、追憶の旅で、私が接心に通った安泰寺のあった京都の鷹が峰を訪ねてみたら、ボンネットバスが通った砂利の坂道は舗装され、うっそうとした竹林や松林は切り拓かれて広大な住宅地に変わり、昔日の面影は全くなかった。安泰寺があったと思われる場所は、今は小さな公園になり、真ん中に植えられた楠の根元には、「昔、安泰寺ここにありき。」の札とともに、「今は都会の喧騒を避けて兵庫県の丹波の山奥に移転し久しい。」という意味の言葉が記されていた。その現在の安泰寺の様子も、NHKのドキュメンタリーとして放映されたのを見たが、そこには、欧米から青い目の青年たちが何かを求めて集まっているようだった。番組では、ある外国人の若者が何も見つけず、虚しく途中で帰っていった。昔の破れ寺とは比べものにならない整った道場のように見受けたが、昔日の安泰寺の内実がどこまで受け継がれているのか、私には分からない。

 現代社会では、原始的で素朴な自然宗教は文明と自然科学の進歩につれて神秘のヴェールがはぎ取られ、一見するところあまり流行らなくなっているようだが、そうではない。すべての自然宗教は、それなりの進化を遂げながら、行きつくところ「お金の神様」、別の名を「マンモンの神」という、に収斂していったことは、すでに詳述したのでここでは繰り返さない。(注-2)

 それは、一言で言えば、すべての自然宗教に共通の神が「お金の神様」であり、それはあらゆる自然宗教の発生の最初から萌芽として含まれていたもので、文明の発展とともに次第にその本性が顕わになり、いまや世界中で人間の魂を奴隷化するこの世で最強の神として君臨している。自然宗教は、もとはと言えば人間が自然に潜むと考えた神を制御しようと試みた人間の営みだったが、皮肉なことに、科学技術の進歩とともに姿を現したものは、人間の欲望の化身、お金の神様、マンモンの神だった。そして、人間はその神を支配するどころか、逆に組み伏せられ、挙げてお金の神様の奴隷になってしまっている。

 その事を見事に言い当てたのは、ローマのヴェネチア宮殿の中のサンマルコ寺院の主任司祭で、私がパラサイト学生神父として世話になったドン・ロマーノ神父だった。彼は「人間がマンモンの神への奴隷状態からやっと解放されるのは、棺桶の蓋に最後の釘が打たれて約15分後だ」と言ったのが忘れられない。イタリアの棺桶は数日を待たずして斎場の焼却炉で燃やされる駅弁の折のようなペラペラの素材に布張りした日本のものとは異なり、錫で内張した堅い茶色の木のずっしりと重い棺桶だ。土中に埋葬されても、かなりの期間原型を保っている。

 ことほど左様に、自然宗教の「お金の神様」は、自称無神論者も含めて、すべての人類を奴隷とする恐るべき神様で、自然宗教から生まれたものではあるが、私には、はっきりとした意思と野望を抱いた生ける化け物のように思えてならない。

 このお金の神様に取りつかれると人間がどんなに変わるかの実例を私は国際金融業に携わっていた頃にしっかりと見てきたが、長くなるのでその話は次回に譲るとしよう。

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注-2:ブログ「私の『インドの旅』と遠藤周作の『深い河』(3)」(2021年5月7日)参照。

  (つづく)

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★ 私の「インドの旅」の総集編(1)と(2)

2021-08-12 00:00:01 | ★ インドの旅から

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私の「インドの旅」の総集編(1)と(2)

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(1)導入

 Covid-19 (新型コロナウイルス)のショックで一年遅れた「2020東京オリンピック」も終わった。

 実は、1964年の第一回東京オリンピックの開会式の夜、私は横浜から船でインドの旅に出た。だから、東京オリンピックを経験するのは今回が初めてになる。第1回のは、敗戦からの復興を象徴したオリンピックだったが、今回のは自然の猛威に対する人間の無力さを見せつけるものとなった。

 ともあれ、25歳の多感な目に映った旅の印象を、私はカトリックの布教誌「聖心の使徒」に連載したが、今回のブログ「インドの旅」シリーズは、57年前の記事を復刻したものに若干のコメントを添える形で進んだ。そして、最後から二番目の第19信「サンガムの沐浴」まで辿り着いたのは今年の3月だった。

 本来なら、続いて最後の第20信を書いてとっくに終わるはずの連載だったが、「ガンジス川の沐浴」とくれば、遠藤の最後の長編小説「深い河」が連想される。私は「深い河」とともに、彼の最初の長編小説「沈黙」に対して、日頃から物申すところがあったから、急遽予定を変えて、この機会に、遠藤批判に集中することにした。

 先ず、私は遠藤が洗礼を受けた経緯と、日本における彼の信仰形成をたどってみた。彼は母親と相前後して中学生のときトリックの洗礼を受けているが、当時日本中、いや世界中どこでもそうであったように、遠藤母子とも取り立てて言うほどの信仰入門教育を受けた気配がなかった。(注1)

 周作が「ヨーロッパで触れたキリスト教は、父性的原理を強調するあまり、母性的なものを求める日本人の霊性に合わない」とか、「日本人としてキリスト教徒であることは、ダブダブの洋服を着せられたように息苦しく、それを体に合うように仕立て直すことが自分の生涯の課題であった」とか言って、キリスト教を日本の精神風土に根付かせようと腐心したとか言われている。

 また、人はいとも簡単に「キリスト教的唯一神論と日本的汎神論の矛盾」が遠藤の生涯のテーマだったとか、遠藤が「深い河」で目指したものは「日本人のキリスト教」、別の言葉で言えば「世界に通じる普遍的なキリスト教」だったと言うが、それは一体どういう意味か?これらは批判的に検証されなければならない。

 それで、書き始めてみたら、アッと言う間にA4の下書きで20頁を越えてしまった。

 これは一回のブログには長すぎる。しかし、ただ小出しに分割してだらだらと書いても、誰も読んではくれない。それで、一計を案じて筋書きを目次風に前もって掲げて、それに沿って内容を推敲しながら数回のブログに分割してアップすることにした。

 その目次というのは以下の通りだ。

 

     (1)導入

     (2)インカルチュレーションのイデオロギー (ここまでは今回のブログでカバーする)

     (3)自然宗教発生のメカニズム

     (4)超自然宗教の誕生―「私は在る」と名乗る神との出会い

     (5)「超自然宗教」の「自然宗教」化

     (6)神々の凋落

        a)自然宗教の凋落

        b) キリスト教の凋落

        c) マンモンの神の登場 天上と地上の三位一体

     (7)遠藤批判

     (8)田川批判

     (9)絵に描いた餅は食えない

     (10)超自然宗教の復権

 

 取り敢えず試しにこの目次に沿ってしばらく「私の『インドの旅』の総集編」を展開してみよう。実はいま書いているこの部分が既に(1)「導入」に相当する。

 今回は、多分(2)「インカルチュレーションのイデオロギー」までで一回分としては十分な長さになるだろう。私ももう81歳になった。このやり方で果たして読まれるだろうか、など気にしない。書きたいときに、書きたいことを、書きたいように書くことにしよう、と開き直っている。

 

(2)インカルチュレーションのイデオロギー

 「カトリック作家」を売りにして世に出た遠藤は、こと宗教に関しては、日本ではまわりが和服姿でいる中で、少年時代に洗礼を受けた自分ひとりだけ洋服を着ているような居心地の悪さを体験したようだが、その遠藤が、幸運にも戦後初めてのフランス行き留学生3人の中に選ばれたのは、フランス人宣教師ネラン神父の尽力のおかげであったが、初めてキリスト教的西欧社会に接して、自分はカトリックの洗礼を受けているのに、今度は洋服社会の中で自分一人だけ和服を着ているような強い違和感をおぼえたようである。

 それは、日本ではカトリックであるために日本の文化に溶け込めず、フランスではカトリック信者であるはずなのに西洋文化の中に溶け込めなかったことを意味しているのだろう。

 そこから、西欧のキリスト教をそのまま日本に移植しても根が腐るだけだ、キリスト教を日本の精神風土に合った形に改変しない限り、決して日本に根付くことはないと考え、さらに、日本の精神風土に抵抗なく溶け込めるものへの変容をなし遂げたキリスト教こそ、世界中のあらゆる精神的風土の中に根付くことのできる本当の普遍的なキリスト教になれるはずだ、という壮大なビジョンを持った、と「沈黙」と「深い河」を読んだ私は勝手に善意に理解した。

 他方、有名な井上洋治神父の「アッバ、アッバ、南無アッバ」節(ぶし)は、イエス・キリストの天のおん父なる神を親しみを込めて呼ぶ「アッバ」という言葉に、敢えて「南無」を冠したものであるが、それを「南無阿弥陀仏」の6文字が不可分の一語に結晶した形で慣用されている現実と重ねると、「南無」に続く「アッバ」を「阿弥陀仏」と等価的・互換的にイメージさせる絶妙な効果を発揮することを、十分承知の上でのことと思われる。要するに、井上の「南無アッバ」とは「南無阿弥陀仏」のことなのだ、という連想効果を生むのである。そこには、超自然宗教の神「私はある」を自然宗教の仏様と同等のもののごとくに拝ませるものがあり、行きつくところはキリスト教の信仰内容を日本の自然宗教の宗教心で置き換えようとするものではないか。「沈黙」や「深い河」で遠藤はこのイデオロギーを小説に託して展開していると言えよう。

 しかし、本物のインカルチュレーションはそんなものではない。

 たとえば、ヘルマン・ホイヴェルス神父が日本の伝統歌舞伎の様式を用いて「細川ガラシャ夫人」の殉教を、当代一の女形(おやま)歌右衛門を主役に、東京銀座の歌舞伎座で一か月の公演を打った、とか、宝生流の能の舞台で「復活のキリスト」を演じたなどの試みは、キリスト教の核心部分を日本の伝統文化・芸術様式を使って表現すると言うもので、本来のキリスト教の魂を日本文化へ受肉させる試みと言えるだろう。

 当時の宝生流17世宗家の法生九郎が、ホイヴェルス神父の才能と情熱に共鳴したことに加えて、翁面、尉面、女面、男面、鬼面、仏面など、物語の登場人物の役回りに応じて着ける面を伝統的に厳しく制限された類型の中から選ぶ慣例を破って、敢えて新たに「復活のキリストの面」を日本でただ一面だけ別格として能面師木戸久平に彫らせたホイヴェルス神父の力量は特筆に値する。

 ちなみに、バチカン宮殿で最近この「キリストの復活」能が演じられたと言うニュースを読んだが、原作者神父の没後40年目に日本にただ一面だけしかないキリストの面とともに能「復活のキリスト」がローマで蘇ったのだ。

 死者の「復活」はキリスト教信仰の神髄だが、これこそ、日本の伝統の中にキリスト教の本質を一ミリも妥協することなく受肉させた本当の意味での「インカルチュレーション」­=「キリスト教の土着化」というべきではないだろうか。

 もし遠藤・井上流インカルチュレーションのイデオロギーに従って「キリストの復活」が能の舞台で演じられたと仮定すれば、必然的に能の伝統としきたりに従って、キリストの役がつける能面も既存の面の類型の中から選ばれるわけで、その場合は中尉や男面ではなく仏面が充てられたにちがいないが、それはキリストの復活の意味を多分意図的にゆがめる結果になっていただろう。もちろん、遠藤には初めからキリスト教の教義を日本の伝統芸能で演じると言う発想そのものが欠落していただろうから、そう言う問題自体が生じ得ないのだが・・・。

 ホイヴェルス神父の「復活能」に遠藤とは180度真逆のベクトルが見て取れる。

 

バチカン宮殿で舞われた世界にたった一枚の復活のキリストの能面

 

 私は、この遠藤・井上流の「キリスト教のインカルチュレーション」という「イデオロギー」の中に明らかな誤謬と危険な毒素を撒き散らそうという巧妙な意図が潜んでいると感じてきた。それはここで正しく指摘され、きびしく排除されなければならない。

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注-1:「私の『インドの旅』と遠藤周作の『深い河』(そのー2)」(4月13日)参照。

 

(つづく)

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