:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ウランバートル(モンゴル)発=アジアの宣教師の集い 《厳しい宣教事情》(そのー2)

2018-09-30 00:01:00 | ★ 旅行

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ウランバートル(モンゴル)アジアの宣教師の集い

《厳しい宣教事情(そのー2)

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先日都内のある女子修道院の朝ミサを頼まれて出かけたら、帰りにモンゴル出身のシスターから、「昨日モンゴルの司教様がお亡くなりになった、お祈りください」と言われて耳を疑った。モンゴルの司教様と言えば、この8月中旬に首都ウランバートルでお目にかかったばかりだ。まだ60歳台とお見受けしたが、かくしゃくとしておられた。それが朝椅子に座った姿勢で亡くなっているのを発見されたと言う。心臓麻痺ではないかということだった。78歳のわたしなど、いつお呼びがかからないとも限らないと、身の引き締まる思いだ。

 

司教様の追悼もかねてブログを続けよう。

黙想の家のチャペルは居住棟から少し離れて斜面に建っている。斜面はお花畑のようで、日本の高山にも見られる豹紋蝶が乱舞している。

足元には、なんとエーデルワイスが群生しているではないか。エーデルワイスといえばスイスやオーストリアなどドイツ語圏のアルプスに咲くものと思っていた私は大感激だった。日本アルプスで見たことがないが、北海道の山にはあるのだろうか?

一人一人の紹介を受ける司教様

ミサの中で説教をする司教様

パンと葡萄酒を奉献する司教様

手焼きの種なしパンを人数分に割く

12角形の角取りをした大きな杯でブドー酒(キリストのおん血)を皆で回し飲みする。

ミサが終わると皆で祭壇を囲み手を打ち鳴らしながら輪になって踊る。

司教様とモンゴルの国旗を囲んで記念写真

昼食はスズの容器のなかで熱く熱した石と羊肉を一緒に入れて蒸し焼きにするモンゴルの独特の料理。

ワイルドで美味しい料理の出来上がりがそれぞれのテーブルに。

 食後、リキュールが入って、ペットボトルをマイクに見立てて熱唱する司教様は、もうこの世にいないのだ。

集いの合間を縫って合宿所を抜け出した。道端で運よくヤクと出会った。羊をちょっと大きくしたものを想像していたが、どっこい、大きい。オスは体長3メートル、肩の高さ2メートルにも及ぶと言う。牛の仲間だが牛よりさらに大きい。長い毛は柔らかい肌触りのカシミヤの原料だ。

30分も行くと広大な草原地帯にはいる。これだ!私はこの景色を見たかった!

遠くに長い細い糸のようなものが動いている。ズームレンズで引き寄せると2両のディーゼル機関車に曳かれた貨物列車だった。手前のゲル(移動用の白いテント家屋)の周りには家畜が放牧されている。

羊もいる

一軒のゲルに近付いた。

中に入れてもらった。最低限の家財道具が揃っている。

何人家族だろう?いま中には3人しかいないが・・・

真ん中にストーブが。これで煮炊きをし、極寒の冬には暖房になるのだろう。

どのゲルも同じ大きさに見える。これでは貧富の差はあり得ないか?大きなホームセンターに行けば、ゲルの全てのパーツが売られていると言う。

モンゴルと言えば、英雄ジンギスカンの騎馬軍団。フン族の戦士たちは東欧のハンガリーにまで版図を広げ国を築いた。

騎馬で子牛を追う少年

 騎馬で羊の群れを牧する青年

私の姿を見て穴に逃れようとする小動物。プレーリードックみたいだが、別にちゃんとした名前があるだろう。空港の免税店の毛皮の装身具の材料だろうか。

話し合いの中でアジアの宣教事情は各国各様に厳しいものがあることがわかってきた。モンゴルでの宣教は初代司教を失って、大きく後退を余儀なくされるだろう。マレイシア、インドネシアは回教からの締め付けで厳しい。パキスタンはもっと厳しい。キリスト教徒を一人殺せば天国に行けると信じる過激さがある。パキスタンにレデンプトーリス・マーテル神学校が開設されたとき、高松の神学校から優秀なのが一人、リーダー格の先輩神学生として送り込まれた。クリスマスには狂信的な回教徒が神学校を襲撃する恐れがあると言う情報に、政府は銃を持った兵士を複数送って神学校を護衛しなければならなかった。そんな緊張の連続に耐えられず、高松から派遣された神学生は神経を壊して国に帰って行った。宣教に入って命を落とす「殉教」のリスクが現実の可能性としてあるのだ。タイやビルまでは仏教を実践している人たちへの宣教と改宗は極めて困難だ。仏教の締め付けの弱い僻地の少数民族には期待が持てると言う。中国は無神論的共産主義の一党独裁で、愛国教会とバチカンとつながる非合法化された地下教会の問題は今も解消されていない。教皇フランシスコはいろいろ模索しているようだが・・・。

日本はではカトリック教会を取り巻く環境は格段にいい。信教の自由は大幅に保証され、国としては宣教師の入国も比較的容易だ。だから、バチカンがアジアのための宣教拠点として「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」を東京に置くことを決めたのは当を得ている。問題は、世界最先端の最も純粋な拝金主義(マンモンの神)の存在と、「イデオロギー化したインカルチュレーション(土着主義)と、ナショナリズムと、ほとんど自然宗教に近いエコロジーへの傾倒」だと思う。これは私の私見には終わらない。最近UCAニュースかどこかで教皇フランシスコの文章の中に類似の言葉を読んだ。

 

 

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★ ウランバートル(モンゴル)発=アジアの宣教師の集い 《厳しい宣教事情》(そのー1)

2018-09-20 00:00:07 | ★ 旅行

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ウランバートル(モンゴル)発=アジアの宣教師の集い

《厳しい宣教事情》(そのー1)

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ウランバートルの「ジンギスカン」国際空港の正面の夜景。大きさは日本のローカル空港並み

市内の大通りの緑地帯にラクダのキャラバンの彫刻群像が

モンゴルの戦争記念の丘へ

日本軍との戦争のモザイク壁画。丘の頂をぐるりと囲む壁画には、対中、対ドイツ、対ソ連の場面が

 

モニュメントの一郭で鷹匠ならぬ鷲(わし)匠が。黒い革の目隠しの下に鋭いくちばしが 日本の空を舞うトンビに比べると、その大きさは2倍かそれ以上。日本の空にトンビが舞うように、モンゴルの空には鷲(わし)が悠々と舞う。 

 モンゴルの人口300万人。そのうち半数の150万人がウランバートルに集中。 

冬はマイナス40度にも達する 集中暖房と火力発電の工場か

 

建築中のビルの間の空き地にはゲル(テント家屋)が点在している

注意してみると原始宗教のシャーマニズムの石塚があちこちに

背の高い二人はマレーシアの宣教師 黒シャツは同僚のルイス神父

チベット仏教寺院の前で

大きな仏陀の立像

読経する僧侶たち

仏像の前のお賽銭

仏陀の涅槃像の前で油を入れたガラスコップに火をともす婦人たち

  

ウランバートルの郊外 車で約1時間の黙想の家で司教の到着を待つ

司教を待つひと時 黙想の家の食堂の壁には興味深い額が掛かっていた

よく見るとモンゴル人に日常生活の場面が50-60景もユーモラスに描かれている まさに生活曼荼羅だ

丘の上でシャーマニズムのお供えと奏楽の儀式の場面

羽飾りの帽子をかぶったシャーマンが太鼓を打ち鳴らしながら踊っている アメリカインディアン アラスカのエスキモーなどと共通のルーツかもしれない 

ラクダの背に家財を摘んで移動する遊牧民のキャラバン

目的地に着くと白く丸いテントの家ゲルを建てる遊牧民

馬のお尻に焼きごてで印をつける遊牧民の一家

野馬追い

おや、穴を掘って板を二枚渡して囲いの中でトイレをする人 つい一昔前日本の田舎にも同じ光景が

馬の交尾を見て思わず顔を覆う若い娘 怖い顔でその髪を引っ張るおばさん

ゲルの解体現場 どさくさに紛れてテント布の下で男女が重なってキスをしている?

出産の瞬間 介助する二人の女と産婆さん

 駱駝と馬がみているのに・・・おおらかなものだ

そうかと思ったら 羊の乳しぼり風景 こんな調子で50シーン余りが一枚に書き込まれて、カトリックの黙想の家の食堂の壁を楽しく飾っている

司教様が到着。彼はモンゴルにおける宗教事情を話してくれた。

モンゴル政府は数年前にバチカンとの外交関係を望んだ。しかし、モンゴル政府は宗教に関して寛容ではないと司教は言う。フィリッピン国籍の司教は3か月ごとにビザを更新しなければならない。宣教のために司祭を入れることは認められるが、一人の外国人宣教師は5人のモンゴル人に対して雇用を創出しなければならない。仮に、一人当たり300ドルの給料を支払うとして、一人の宣教師が入ると5人を養うために15-16万円を用意しなければならない。10人の宣教師を迎えるために毎月150万円、年間1500万円を教会は用意しなければならないのだ。司教にとって、小さなモンゴルの教会にとって、大きな財政的負担になっている。

原始的なシャーマニズムや伝統的なチベット仏教は一部に根強く残っているが、多くの人は共産主義的無神論教育の洗礼を受けている。

人口の半分の多くが遊牧民で、余りにも希薄に散在しているので宣教師との安定的な接触は望めない。etc.

アジアン宣教。難しいのはモンゴルだけではない。いずれの国にも、それぞれの困難があることが分かった。それについても語られなければならない。

(つづく) 

 

 

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