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告白(懺悔)しに行けない?
それなら神と話しなさい、そして赦しを願いなさい!
フランシスコ教皇(朝ミサの説教より)
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ユーチューブで見る教皇の朝ミサ
2020年3月20日10時5分、教皇の住居「聖マルタの家」の朝ミサより。
今朝6時過ぎ、パソコンをあけてメールをチェックしていた。そしたら、偶然フランシスコ教皇のプライベートミサにユーチューブで与ることが出来た。
フランシスコ教皇はこの日のミサもコロナヴィールスの犠牲者と患者に捧げた。この日のミサは特に医療従事者に捧げられた。
説教の中で教皇は、その日の福音ルカ15章の放蕩息子の物語について語った。教皇は言った:物語の中の父親は一日中、何日も、何か月も、何年もの間、日に何度も屋上のテラスに行って、遠くから帰って来るかもしれない息子を待ち続けた。そしてついに遠くの方にその息子を見つけた。
教皇はまた言った:あの息子が父の家に帰る一歩を踏み出さなければならなかったのと同様に、「あなたもお父さんのもと、パパのもとに帰りなさい。彼はあなたを待っている。私たちに話しかけているのは神の優しさです。今こそ自分たちの内面に分け入り、父を思い出し、私たちのパパである神のもとに帰るべきときです。」
フランシスコ教皇は、私たちが「いいえ、教皇様、帰るのは恥ずかしい・・・いっぱい悪いことをし、沢山罪を犯したから・・・」と言うのを知っている。しかし、主は何といわれるだろう?「帰っておいで、癒してあげよう・・・」 と。
「あなたを待っている父のところに帰りなさい」と、教皇は言います:「慈しみの神は私たちを癒す。生涯におけるたくさんの傷を癒し、私たちが犯した沢山のひどい罪を赦して下さる。誰にも自分の罪がある!」
教皇は信徒に「神に立ち返るのは父親の抱擁に帰ることだ」ということを、また預言者イザヤの「あなたの罪が緋のように真っ赤であっても、雪のように白くなるだろう」という約束を思い出させる。
神は「私たちの心を変えることが出来る。しかし、帰る道への一歩を踏み出す必要がある。それは神の方へ行くことではなく、家に帰ることだ」ということをフランシスコ教皇は強調する。
キリスト教の伝統では、この回心は赦しの秘跡、告白、懺悔、の中に組み入れらえている。それは神が私たちを清め、純白にし、抱擁する瞬間だ。
だが、家から出られないのにどうしたらいい・・・? コロナヴィールス!
今日、多くの人は言うかもしれない。「だけど教皇様、家から出られないのに、どこに神父を、聴罪司祭を見つけることが出来ますか?」と。 「私は主と和解したい。彼に抱擁されたい。パパに抱かれたい・・・だけど、家から出られない! 司祭を見つけられないならどうしたらいい?」
イエズス会士の教皇は言う:「簡単なことだ。告白を聴いてくれる司祭が見つからないなら、神様と直接話しなさい。彼はあなたの父だ。そして彼に、私はこれをしました、この罪を犯しました、あれも・・・ゴメンナサイ、と言いなさい。」そして痛悔の心を込めて赦しを願いなさい。後で機会があったら赦しの秘跡を受けますが、いますぐ赦してください」と言いなさい。
もしそうしたら、あなたは直ちに神の恵みの中に戻ります、と教皇は言う。あなたは司祭がいなくても神の赦しを受けることが出来る、とフランシスコ教皇は言います。
よく考えなさい。今こそあなたの魂が雪よりも白くなるチャンスです、と教皇は言う。
普段は、フランシスコのチャペルでのミサには小さな信者のグループが招かれるが、バチカンの判断で、コロナヴィールスの期間中は、一般参加者無しに教皇と数人の付き人だけで行われる。
その代り、教皇ミサは少なくとも4月3日までは、週日の午前7時(バチカン時間)にバチカンのメディアで世界中の信徒に向けて放映される。