:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 哲学はひと休み 「ホイヴェルス師と女性」

2020-02-18 00:00:08 | ★ ホイヴェルス師

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哲学はひと休み

ホイヴェルス師と女性

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能の舞台の間に狂言が挟まれるように、「哲学」の話しの間に、ちょっと一休みして、

軽い話題を挟むのは、適切な対応ではないかと思います。

 

 

ポケットのiPhoneが鳴った! ディスプレイには「須賀」(仮名)とあるが、思い当たらない。なのに、ここに名前が現れるのは何故??・・・あり得ない・・・

不審に思いつつ出てみると、聞こえてきたのは決して若くはない女性の声だった。

電話の主は私から封書を受けとったと主張する。

私から封書を? だが、須賀と言う名の女性に手紙を出した覚えはない!

私の戸惑いをよそに「須賀」さんは、お構いなしに続ける。

せっかくお誘い頂いたのに、出かけられなくて残念でした。 だが、神父さんに一度お会いしたい! 是非! それで、いつお会いできますか? と畳みかけてくる・・・

 

 

落ち着いて話しを聞くうちに分かってきたことを要約する。

彼女(須賀女史、94才)は、私からホイヴェルス師の42回目の追悼ミサの案内を受けとったのだそうだ。

それは、昨年の69日の命日の記念ミサへの出席をうながす印刷物だったから、恐らく、昨年の4-5月頃のものだったろうと思われるのだが、それを彼女は、あたかもほんの数日前のことのように話される。

彼女の住所・氏名は、追悼ミサの世話役を長くされた森田氏から引き継いだ239人分の名簿にあったのだろうが、わたしには彼女との面識がなかった。携帯に名前が現れたのは、欠席通知の電話を受けたとき、無意識に iPhone の電話帳に登録したからだと思われる。

求めに押されて訪問の日を約束し、「では、11時にお伺いします」と私は言った。

彼女は、「29日、日曜日の11時ですね」と念を押し、「楽しみにお待ちします」という言葉で電話は終わった。

 

 

約束の日のちょうど11時にわたしは清瀬市の老人ホームに着いた。だが、彼女はこの日が私と約束した日であることをきれいに忘れ、私を待ってはいなかった。

職員に案内されて2階の彼女の居室に入ると、初めて会う品のいい老婦人は、私の出現に一瞬けげんそうな顔をされたが、やがてのほどに記憶が繋がり、大歓迎に変わった。

職員が去ると、堰を切ったように古い昔話を延々と始められた。どれもこれも興味深い話だった。

ところが、さて、その続きは、と募る興味に身を乗り出したまさにその時、話は突然一時間前に始まったあの一連の話の最初に戻った。そして、さっきと同じ一連の物語がまた延々と続いた。それはまるでエンドレステープのように、同じメロディーが繰り返された。その間にも、11時半ごろには、昼食の用意が出来ましたと職員が知らせに来たが、彼女は、今日はお客様だから後で外食する。ここの食事はキャンセルしてほしい、と言って、話はさらに続いた。

繰り返しが第3ラウンドに入ったころ、時計の針は2時半を回っていた。

私に促されて、須賀さんはホームの受付の許可を取り、私の車に乗り込んで施設に近いとある和風レストランに入った。

彼女は、「わたしお寿司が食べたかったのよ」と言って、にぎり寿司を頼んだ。

 

 

須賀さんはホイヴェルス師から洗礼を受けたのだった。それは薄暗い香部屋(ミサの準備をする部屋)の中だった、と彼女は記憶する。見知らぬ背の高い大学教授の男性と二人で洗礼を受けた。その男性は洗礼の時滂沱の涙を流された。それを見て、彼女も思わず涙が込み上げて、一緒に泣いた。

終戦の日、皇居前広場の砂利の上に土下座し、ひれ伏して玉音を聴きながらむせび泣いた。近くに割腹自殺をした人がいた。

戦後まもなく、四谷のイグナチオ教会のベンチに跪いて祈っていたら、隣で祈っていたアメリカ人の男性が話しかけてきて、どうかこのロザリオで祈ってくださいと言って自分のロザリオを彼女にくれた。そのロザリオがこれです、と彼女の部屋の天井の蛍光灯から下がっている目立って大きめの黒いロザリオを指した。広島に原爆を落としたアメリカ人だが、彼の息子も戦死したのかもしれない、と彼女は思っていた。

終戦後の混乱の中、上野の地下道にはいつも30人以上の浮浪児たちがたむろしていた。進駐軍アメリカ兵からの差し回しの大量のお赤飯を子供たちに配っていた。すると、そのご飯の中からたばこの吸い殻が出てきた。一瞬手が止まった。その時、彼女は敗戦国民の惨めさをしみじみと噛み締めた。しかし、気を取り直して吸い殻をそっと捨てて、お腹のすいた子供たちに残りの赤飯を全部配り終えた。

修道院に入る決心をして、ホイヴェルス師にその意向を報告した。師がどこの修道院に入るのかねと聞かれるので、藤沢の聖心愛子会に入りますと答えたら、神父は「ありがとう」と言われた。その時彼女は師が何故「ありがとう」と言われたのかわからなかったが、入ってみてなるほどと思った。聖心愛子会の総長のシスター御園(みその)テレジアはホイヴェルス師の故郷ウエストファーレンの出身で、もしかしたら師の幼馴染みだったのかもしれない。「自分の愛する人の会に入ってくれて有り難う」と言う意味だったと須賀さんは理解した。私にも、思い当たるふしがあった。

 

 

ホイヴェルス師は何かにつけ、当時学生だった私をお供に連れて、あちらこちらに出かけられた。病人の訪問、信者の小グループの遠足、友人に会いに行くときなども、度々呼ばれて師のお側にいた。師が歌舞伎座でご自分の新作歌舞伎「細川ガラシャ夫人」を中村歌右衛門の女形で一か月通しで打たれたときも、私は師の右隣りの席で初日、中の日、落の日も常に一緒だった。そして師は私にカトリック新聞の半ページに亙る演劇評を書かせた。また、私も師を座禅道場にお誘いしたりしたものだった。

私は、師が以前からしばしば藤沢の聖心愛子会に行かれるのを知っていた。しかし、師が私をそこへ連れていかれたことは一度もなかった。いま、御園のテレジアのそばにいた須賀さんの証言を聞いて、ハット思い当るものがあった。ああ、そういうことだったのだ。これは師にとって特別な二人だけの濃密な時間だったのだ。そこでは私など、お邪魔虫でしかない。私は深く納得した。

 

 

世の聖者の陰にはほとんど常に聖女がいた。いない方が稀で、不自然でさえある。アシジの聖フランシスコの陰に聖女クララがいた。聖ベネディクトの陰には聖スコラスティカがいた。そもそも、ナザレのイエスのそばにはマグダラのマリアがいたではないか。

新求道共同体の創始者キコのパートナーは年上の女性カルメンだった。キコとカルメンとマリオ神父は新求道共同体の最高指導者チームを構成し、三位一体のごとく常に起居を共にしていた。そして、誰かその一人が欠けるときは、速やかにその後継者を選ぶことが、キコ自身が作成した「規約」の中に定められていた。しかし、カルメンを愛していたキコは、「規約」の定めにもかかわらずカルメンの後継者選びを先延ばしにしていたふしがある。ベネディクト16世教皇に、教皇が認可した「規約」は順守されなければならないと指摘されて、キコはようやく若いスペイン美人のアセンシオンを選んだ。

私はかねがねホイヴェルス師の傍に女性の匂いがしないことを不自然に思い、またほとんど不満にも思っていた。いま、御園のテレジアの下で薫陶を受け長くその身近にいた須賀さんの証言の中に、ウエストファーレンの同郷のドイツ人女性テレジアが、はるばる日本まで追って来て、ホイヴェルス師の傍らに寄り添っていたのは、単なる偶然ではなかろうと想像し、納得し、ほっと心温もる思いを抱いた。

 

 

ホイヴェルス師は、彼の初期の単行本「時間の流れに」(1969年、ユニヴァーサル文庫・絶版)の中で、男女の心の機微について「恋の石段」と言う戯曲を書いている。

登場人物は「隠者」「男(実存哲学者)」「女(深層心理学者)」「禅師」に加えて、四谷の土手に「恋の石段」を築いた「親方」と「ニコヨン(労働者)」の6人だ。

【第一幕】と【第二幕】の実存哲学者と深層心理学者(和子)の恋の展開も洞察に富んでいて面白いが、それは省略。戯曲の【第三幕】で和子が禅の老師にその恋の悩みを打ち明ける場面は圧巻だ。

和子の悩みとは、若い助教授の実存哲学者と恋に落ちたが、実存哲学者がその恋で自分の自由を縛られたくない、とためらっていることだった。

それに対して老師は、「人間は例外なしに罠にかかる」がその罠を逃れることによってこそ人は幸福になれると言った。和子から見れば、老師は愛を我慢して心の自由を守っている。老師から見れば、和子は煩悩のかせに縛られて魂の自由を失おうとしている。和子が男なら、自分の老師の座を譲りたいのに、と思うほど彼女を愛しているのだが・・・。

老師と和子のやり取りのすべてを再現することはとても出来ないが、老師が辿り着いた境地、つまり老師の「悟り」とは「孝順」(まごころをこめて仕えること)だった。

しかし、和子に「老師様は誰に孝順を尽くすのですか」と問われて、老師は絶句し、答えに窮する。

和子はひるまず、低い声で「私が老師様に孝順を尽くしてもよろしいですか」と問う。

老師は珍しく声を荒げて「私を神にするのか、偶像にするのか」と叫ぶ。

和子「愛の心で仕えてもよろしいでしょう?」

老師「仮象の世界では心が乱れる。束縛されない心、それがわしの道じゃ。」

和子「老師様、その道はあなたをどこへ連れて行くのです?」

老師「・・・・・・」

やりとりはさらに続くが、省く。和子は最後に許された「孝順」のささやかな印として、老師に一服のお茶を差し上げ、去って行く。

ドラマはさらに、【第四幕】、【第五幕】へと劇的に発展していくが、これも省略する。

ホイヴェルス師はここで愛の問題に対する仏教的、禅的悟りの限界を描き出しているが、同時に、自分をモデルにした隠遁者の役柄中に秘められた男女の愛の問題を隠して語ろうとしていない。

わたしは、須賀さんから聞いた御園のテレジアとホイヴェルス師の特別な親密さの中に、その秘密が隠されていたことに気がついた。

 

御園のテレジアと言えば、軽いエピソードが思い出される。ホイヴェルス師の霊的パートナーだったテレジアは、修道会の創立者としてたいへん有能な女性であったらしい。30代の私がコメルツバンクのデュッセルドルフ本店で働いていた頃、お隣のケルンの町にはすでに御園のテレジアの創立した日本の会の支部修道院があった。

ドイツでは、毎年カーニバルが盛大に行われる。普段真面目で無口なドイツ人が、こんな時、陽気に羽目をはずして、街は仮想姿の男女で沸き返る。

その年のカーニバルの日、ケルンの大聖堂の近くで、酔っ払った逞しい青い目の青年が、修道服で仮装した若い娘を抱き上げ、肩車して一日ケルンの町を練り歩いたそうだ。

困ったことに、そのシスターの仮装をした娘とは、実は、お使いで街に出た本物の日本人修道女だった。それ以来、ケルンの同修道院では、カーニバルの間は厳しく外出が禁止されることになった、とさ!

思い出すだけでも、思わす笑いたくなる微笑ましい光景ではないですか?

 

 

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★ 創造と進化④ 「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」

2020-02-01 00:00:01 | ★ 創造と進化

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「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」

(ヘルマン・ホイヴェルス師のことば)

  創造と進化(4)

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人気のシンガーソングライター、中島みゆきはテレビにはあまり出ないが、ちょっと低めのビロードのような声が素敵で、以前から聞いている。

 

最近の彼女の「糸」の世界は演歌なみに単純明快。 「縦の糸」「横の糸」は男と女。遠い空の下で「わたし」と「あなた」が、ある日出逢った。

なぜこの時に? なぜこの人と? それは偶然? それとも必然・・・? なんて、野暮な詮索はしない。

 

それに引き換え、須賀敦子の世界は格段に意味合いが深い。1929年(昭和4年)生まれ。聖心女子大の一期生。国連難民高等弁務官の緒方貞子と同期。6年後輩には上皇后美智子様がいる。敦子は慶応の大学院を中退してパリに留学。ローマへ、ミラノでイタリア人と結婚、わずか5年で夫と死別して帰国。慶応、聖心、上智の非常勤講師をしながら、52歳で博士号。62才のとき「ミラノ霧の風景」で女流文学賞を受賞して彗星のごとく文壇にデビューしたが、短い煌めきを残して69才で帰天。癌だった。

須賀敦子の「縦の糸」は夜の無人の駅で列車を待っている「時間」「横の糸」は夜行列車が駅ごとに乗せていく「祭の賑わい」。

夜行列車は駅ごとに人間の生の営みを乗せ、無機質で希薄な時間に生命を吹き込んで「時」を紡いでいく。

 

皆さん!皆さんは私のこんな退屈な語り口に飽きて、そろそろ忍耐を失いかけておられるのではないでしょうか?

じつは、「<創造と進化>シリーズはつまらない」、という声が早速わたしの耳に届いています。わたしが生きているうちに、いつか本腰を据えて真面目に取り組もう温めてきた大切なテーマ。本論に入る前に読者に飽きられてしまったらどうしよう、と焦ります。

 

〔原題〕"A BRIEF HISTORY OF TIME"

「車椅子の物理学者」の異名を持つホーキング博士は、“A brief history of time” という本の中で、物理学の数式を一つ多く入れるたびに読者は半減すると言って、特殊相対性理論の方程式

E=mc

以外は、一切の数式を排除して、狙い通り一冊をベストセラ―に導きました。

私の場合は、方程式の数の問題ではない。一体どこをどう工夫すれば、無事ホイヴェルス神父の

「人間の歴史は二本の糸を撚り合わせたもの」

という命題まで、皆さんの興味を繋ぎ止めることが出来るのでしょうか。

 

そもそも、ホイヴェルス師の「二本の糸」とは何だったのでしょう。それは中島みゆきの糸とも、須賀敦子のそれとも次元を異にします。

ホイヴェルス師によれば、「歴史とは、<神の英知><人間の愚かさ>の二本の紐が撚り合わさって創られるもの」と定義されます。

それは、みゆきの「2次元」の平板なものではなく、敦子の、時間によって紡がれていく人間の賑わい、つまり、「3次元の空間に時間を添えた「4次元」の話しでもありません。

ホイヴェルス師の話は、須賀の4次元の世界を遥かに越えて、全く異次元の存在「神」を持ち込むことで、一気に広大無辺の世界に飛翔していくのです。しかも、師は「神を知る人の哲学的探求ほど、心楽しい知的な営みはない」とまで言われました・・・。

ちょ-っと待った!

師は、一方では、神を知らない哲学者が、まじめに存在の根拠と人生の意味を問い続けるなら、最後には藤村青年のように華厳の滝から身を投じるか、ソクラテスのように毒盃を仰いで死を選ぶか、はたまた、ニーチェのように精神を壊して病院に入るしかないと言われました。

他方では、哲学者の存在理由はどこにあるか、という問いには、「存在の根拠を探求し予感し、驚くこと」と言うにとどめ、暗に、それ以上進むことは危険だ、と警告しているかのようです。

さらに、「哲学者」と題する小品の主人公の口を借りて、「僕らはドン・キホーテのような悲劇的な格好をした騎士ですよ。私たちが神について論ずることは不敬です。」と言わせ、「私たち哲学者は Vom lieben Gott(なつかしい神についての)話をする権利を有していない。」と結んでいます。

それらは、「神を知る人の哲学的探求は、実に心楽しい最高の知的遊びだ」という師のことばと、どこかで矛盾しないでしょうか。この見かけ上の矛盾を一体どう解消すべきでしょうか。

 答えは次回のお楽しみ。

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