:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 喜ばしいお知らせ(つづき)

2022-05-27 00:00:01 | ★ ホイヴェルス師

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喜ばしいお知らせ(つづき)

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 先のブログ「喜ばしいお知らせ」はまことに舌足らずの半端な記事に終わってしまいました。それで、つい続きを書きたくなりました。

 神様は絶妙なおはからいで歪んだ定規を使ってまっすぐな線を引かれ、来るべきコロナに備えて「偲ぶ会」をあらかじめ安全地帯に移してくださいました。それは、偉大な宣教師であったホイヴェルス神父様を「偲ぶ会」には、まだ果たすべき役割があると神様が思われたからでしょう。それが日本の新しい福音宣教の始まりとなる小さな芽として護られ、育ち、やがて大きな樹に育つことが望まれているからに違いないと思います。 

 一口に「福音宣教」と言いますが、それがどういうものであるか、どうあるべきか、を正しく理解することは容易なことではありません。教会が言葉だけのスローガンとしてそれを掲げても、「福音宣教」の内実が深く理解されなければ、ただの空念仏に終わり、その結果として何事も起こりません。

 聖書には「回心して福音を信じなさい」とか「全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16.15)とか、「信じて洗礼を受ける者は救われる」とかいうことばが散見されます。また、洗礼を受けたものに対しては、あなたがたは「地の塩」であるとか、「世の光」であると言われ(マタイ5章参照)る一方で、「だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が着けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」(マタイ5.13)という言葉もあります。

 とは言え、これらの言葉が具体的に何を意味しているかを深く理解している人がどれだけいるかは、実に心もとないかぎりです。

 一見すると、教会は単純素朴に、人は洗礼を受ければ救われる(受けなかった人は救われない)などと言って、ただ闇雲に洗礼を授けさえすれば、それでよしとしているかのようです。

 たとえば、初代教会から中世を経てごく最近まで、乳幼児の死亡率が非常に高かったため、洗礼を受けないうちに死んでしまったら救われないから大変とばかりに、生まれる子供にすぐ洗礼を授ける習慣が支配的でした。実際に、洗礼が間に合わなくて死んだ嬰児の魂は、はたして救われて天国に入れるか、それとも入れなかったか、などという議論が大真面目にされてきたのです。実に馬鹿馬鹿しい話だと思われるかもしれませんが、これらはほんの一例に過ぎません。

 また、教会人は気安く「福音宣教は大切だ」といいますが、成人した常識のある信仰者にとって「洗礼」とはなにか、「救い」とはなにか、洗礼と救いはどう関係しているかなどについて、正しく深い見識を持っている人が、信者の間でも、司祭でも、高位聖職者であってさえも、どれだけいるかを思うと、極めて心もとない話です。

 洗礼を授ける条件としては、「地の塩」、「世の光」として生涯を生きる準備のある成熟した大人の信仰を想定しています。では、まだ物心のついていない幼児に洗礼を授ける場合、その子が将来成熟した信仰を持つようになることをどのように担保するというのでしょうか。

 それは、子供の信仰養育に責任を負っている親たちの信仰と教会共同体の信仰がその子を大切に育て、信仰を十全に伝えていくことを前提としています。しかし、もし、その親たちと教会がその責任を果たさず、子供の信仰教育をないがしろにし、福音宣教に対しても曖昧な態度をとるならば、子供たちの洗礼は「塩味のしない塩」「光りを放たない灯」を粗製乱造する結果となり、その子の魂の救済のためにも、世の福音化のためにも役に立ちません。

 他方では、塩味のする真の塩として生きる信者に親しく接し、心で深く繋がっている人たちは、すでに塩味のついた人であり、彼らの灯に照らされてすでに闇から明るみに入っているので、洗礼を受ける前からすでに神の救いに与っています。

 教会で信仰入門の手ほどきを受けている求道者が亡くなると、教会はその人を洗礼を受けた信者と同等に扱い、キリスト者として教会の墓地に葬る古くからの習慣は、その事と呼応しています。求道者が地の塩としての責務と世の光となる使命を理解して洗礼を望むようになるとすれば、それこそ天において大きな喜びとなるでしょう。

 偉大な宣教師だったホイヴェルス神父を「偲ぶ会」に集い、祈り、ともにミサに与かる皆さんは、知らぬ間にホイヴェルス師の塩味によって味付けされ、師の宣教魂の灯に照らされて光の中を歩み始めているのです。 

 神の国は近づいています。十字架の苦しみの中で死に、葬られ、三日目に復活したイエス・キリストの救いの恵みと贖いの力は、信者だけではなく、まだ洗礼は受けてないがホイヴェルス師の魅力に引き寄せられて「偲ぶ会」に参加したお友達にも、すでに届きはじめていると確信します。

 もし幸い、その人たちの中から、この世を腐敗からまもり味をつける塩となり、この世の闇を照らす光りとなる招きを感じて洗礼を望む人が現れたら、天のホイヴェルス神父様はどれほど喜ばれることでしょう。このホイヴェルス神父を偲ぶ会が、宣教の使命に生きる真のキリスト者を育て、世に送り出す場として受け継がれていくことを、ホイヴェルス神父は望んでおられます。「偲ぶ会」にとって、これほどの「喜ばしい知らせ」がほかにあるでしょうか。

 「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(マルコ9.40)と聖書にあるように、ホイヴェルス神父様の追悼ミサに反対しない人は、みな神父様の友であり、神の国はすでにその人たちに届いているのです。

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 ホイヴェルス師の 第45回 追悼ミサと懇親会

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日  時: 2022年6月9日(木) 午後3時から5時半ごろまで (ミサと懇親会)

場  所: JR四谷駅 麹町口1分 主婦会館プラザエフ (部屋は当日入り口に表示)

参加希望者はこのブログのコメント欄(右下の「谷口神父」のさらに下に小さな細い字で コメント とあるのをクリックして)に

  • お名前
  • ご住所とe-mailアドレス
  • 追悼ミサ参加します

とお書きください。プライバシーは護られます。コロナ対策を万全にし、ゆとりのある広さの部屋を確保するために、あらかじめ参加希望者のおよその数を把握したいと思います。

谷口幸紀神父

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★ 喜ばしいお知らせ

2022-05-22 00:04:39 | ★ ホイヴェルス師

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喜ばしいお知らせ

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 私は4年前の2018年5月29日に「悲しいお知らせ」という題のブログを書きました。

 今回は「喜ばしいお知らせ」という題で書きます。

 29日の「悲しいお知らせ」の内容と、それに深く関連した21日の「ごあいさつ」のブログがどのようなものであったかは、このブログの末尾にそれぞれの リンク を記しましたので、興味のおありの方はお読みください。

 今回の「喜ばしいお知らせ」は、一言で言えば第45回目の節目の追悼ミサを無事祝うことが出来ること、そして、この追悼ミサがこれからも祝い続けられる展望が立ち、また続けるべき意義がある、ということに尽きます。

 この「展望」と「意義」は様々な困難を克服する過程から生まれたものでした。それがどんなドラマに満ちた曲折であったかを少しふりかえってみましょう。

 すべては5年前、「ごあいさつ」のブログがアップされたことから始まりました。ブログが掲載された日と同じ21日付けで、一年前に前任者の主任司祭のもとで与えられていた正式の聖堂・ホールの使用許可証が、着任早々の新しい主任司祭から、突然一方的に取り消されたのです。

 それは、ホイヴェルス神父様の追悼式を不可能にしようする意図が見え透いた一撃で、長く国際金融業で仕事をしてきた人間の社会常識に反する、全くあり得ない手荒な仕打ちでした。

 困り果てた私は、ホイヴェルス神父様と神様に祈りました。「もしあなたのお心にかなうことなら、どうかこの難局を打開してください。奇跡を起こして代わりの場所をお与えください。もし、お望みでなければ、代わりの場所を決してお与えにならないでください。」と。

 スリルに満ちた数日間の格闘(詳細はブログ「悲しいお知らせ」に詳述) の末、イグナチオ教会の目と鼻の先の主婦会館に代わりの会場が見つかりました。私は、これはは神様ご自身が、追悼ミサの継続を望んでおられるしるしだと確信しました。

 九死に一生をえて、第41回目の追悼ミサは確か80人ほどの参加者を得て無事盛会のうちに行われましたが、それはまさに嵐の中の船出でした。42回目は同じ会場で平穏に行われました。                                   

 第43回目と第44回目は、コロナ禍にも拘わらず、緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置が一時解除されていた谷間を縫って、主婦会館側の万全のコロナ対策に支えられ、つつがなく行われたのも不思議と言えば不思議なことでした。

 この度、第45回目の節目の追悼ミサを祝う準備を進めながら、今までの経緯をふりかえって、パンデミックと神様の特別なおはからいの不思議な関係をあらためて深く思わずにはいられませんでした。

 この2-3年間、世界中はコロナ禍の影響で様相を一変しました。日本の教会も例外ではなく、私の目には過剰とも思われるほど神経質に反応したように映りました。

 高齢の信者さんには、重症化の危険があるとして、教会に来ないことが勧められたと言う話も聞きました。一般の信者さんたちを4組に分けて、毎週の日曜日に一つの組だけがミサに参加することが許され、結果的に月に一度しか主日のミサに与かれない、与っても聖歌は歌われないなどでした。そして、あらゆる教会活動が停止、または休眠状態になりました。一言で言うと、なるべく教会に来ないことが勧められているかのような不思議な空気が支配していました。

 第41回目の追悼ミサお引き受けしたときには、誰一人として2年後にコロナ禍が地球を覆うことを予見できませんでした。もし追悼ミサをイグナチを教会で行うことが出来ていたら、第42回目まではその流れで無事に行われたことでしょう。しかし、それ以降はコロナ自粛で聖堂の使用も、ましてや懇親会なども、確実に禁止されていたに違いありません。そして、もしコロナ対策の一環として教会での追悼ミサの中止の要請を受けたら、わたしたちもそれに素直に従うほかに手はなかったでしょう。それを不服として、手の平を返すように教会の外に開催場所を求めて出ていくなどと言うことはさすがに出来ない相談で、第一私自身もそんな手は思いつかなかったことでしょう。結果として42回を最後に一昨年も去年も開催出来ぬまま、今頃は師の追悼ミサは自然消滅の運命を辿っていたにちがいありません。

 しかし、神様の思し召しは別のところにありました。神様はコロナを地上に送ることはとっくにご存知で、師の追悼ミサがパンデミックから護られて存続できるように、あらかじめ手を打ってくださったのも神様でした。

 いま振り返ってみると、41回目の時にイグナチオ教会でできなかった事、そしてあらかじめ別の会場を確保できていたことは、全て神様のみ摂理の一環だったと言うほかはありません。「もし思し召しならば、相応しい会場をお与え下さい」という祈りに対して、ホイヴェルス神父様も神様ご自身も「私は望む、続けなさい」とお答えになりました。

 それだけではありません。教会の施設の使用禁止の背後にどのような人間的意図があったにせよ、神様はその思いを利用して、コロナ禍に耐えて追悼ミサを継続できる安全な場所をご自身であらかじめ備えてくださったのです。あのとき何事もなく船出していたら今頃コロナの嵐の中で沈没する運命にあった追悼ミサを救い、継続を可能にするために神様が敢えてあの妨害を許し、それを利用して、コロナを生き延びる手を打ってくださったのだということを思い知ったのでした。

 ホイヴェルス神父様はかつて、「神様は歪んだ定規を用いてまっすぐな線を引くことがお出来になる」と言われましたが、今回それを身に染みて実感した次第です。いま私は晴れやかな心で神様に深く感謝しています。

 では、神様はなぜそこまでしてこの追悼ミサの継続を護られたのでしょうか。それは私にとって新たな謎となりましたが、その謎の答えはきっと、私たちが追悼するホイヴェルス神父様の生涯の中に探しあてられるに違いありません。

 ホイヴェルス神父様は日本に初めてキリスト教をもたらした聖フランシスコ・ザビエルの流れを汲むイエズス会の宣教師です。師は日本人を愛し、日本の文化を愛して、日本に神様の救いの恵みをもたらすために生涯を捧げられました。

 わたしたちは、師のご遺志をついで、日本の福音化、宣教の使命を果たすために微力を尽くすことに招かれています。私たちは、師の追悼ミサに集い、宣教とは具体的にどういうことかをあらためて考え、実際に日本の福音宣教のために手を汚すべきです。そのために私たちは祈り、ともに考え、小さな一歩を踏み出さなければなりません。

 師の生前を知る世代は大いに師の遺徳を語り次いでください。若い世代は師の残された業績から宣教の使命を学び取り、具体的な行動に結び付けていきたいものです。

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 ホイヴェルス師の 第45回 追悼ミサと懇親会

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日  時: 2022年6月9日(木) 午後3時から5時半ごろまで (ミサと懇親会)

場  所: JR四谷駅 麹町口1分 主婦会館プラザエフ (部屋は当日入り口に表示)

 

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 2018年5月29日のブログ記事一覧-:〔続〕ウサギの日記 (goo.ne.jp)

ブログ「ごあいさつ」ーホイヴェルス師第41回追悼ミサー は ここをクリック

2018年5月21日のブログ記事一覧-:〔続〕ウサギの日記 (goo.ne.jp)

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★ ヘルマン・ホイヴェルス師の 第45回 追悼ミサ

2022-05-17 00:00:01 | ★ ホイヴェルス師

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ヘルマン・ホイヴェルス師の 第45回 追悼ミサ

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 来たる6月9日(木)、ホイヴェルス師の没後 第45回目 の節目の追悼ミサが行われます。一人の宣教師の没後、追悼ミサが毎年行われ、45回も続いてなお人が集うという話は、日本の教会では前代未聞の特筆すべきことではないでしょうか。

 ホイヴェルス師は、日本人と日本の文化を深く愛された司祭、そして、多くの日本人から愛された司祭でした。

 このホイヴェルス神父をひとことで言えば、「現代日本に生きた偉大な宣教師」と言うことが出来るでしょう。

 ホイヴェルス師は、16世紀、日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルと同じイエズス会の会員で、ドイツのウエストファーレン出身。師が日本に来て40数年ぶりに故郷のドライエルヴァルデ(訳せば「三ツ森村」)の生家に帰られた時、私は師の少年時代の勉強部屋で師と二人だけで師の姪のタンテ・アンナの手料理をいただきながら、歌舞伎「ガラシャ夫人」のドイツ公演の計画や日本の宣教について語り合いました。

 師は1923年9月1日の関東大震災の1週間前にキリスト教の宣教のために日本に来られました。

 上智大学の2代目学長になり、第2次世界大戦のときは軍部の圧力で学長を退くと、四谷の聖イグナチオ教会を開いて初代主任司祭を長く務め、その後も名誉主任司祭として1977年6月9日に帰天するまで、愛する日本人への宣教のために生涯をささげられました。

 宣教とは何か。それは、天地万物の創造主の神が存在すること、その神が長い進化の歴史の頂点に理性と自由意思を備えた人格を持つ人間を創造し、死後その人間は深い眠りに就くが、世の終わりの日には神の子キリストの十字架上の死からの復活の力によって、罪の贖いとからだの復活と永遠の命を人類に与え、終わりなく神の愛の中に憩うよう定められていると言う「よい知らせ」をすべての人に伝えることです。 

 師は宣教を通じて実に多くの日本人にキリスト教の真理を伝え、信仰へと導きました。

 ほんの一例をあげれば、田中耕太郎最高裁判所長官や、優秀な哲学者、科学者の大学教授らを育てる傍ら、多くの子供たちや無名の信者たちからも愛され慕われました。哲学者、詩人であり、劇作家であって、名女形歌右衛門を主役に細川ガラシャ夫人を歌舞伎座で一か月公演したり、宝生流の舞台で春ごとに復活のキリスト能を奉納したり、今のお金で数億円をかけて「日本二十六聖人」の映画を当時の松竹トップの俳優を動員して制作したり、国からは外国人が受けられる最高の勲章を与えられたりしました。それでいて、常に謙遜に子共たちや無名の貧しい人たちの友でありつづけ、一言で言えば、全ての人にすべてとなることができる方でした。

 わたしが最近のブログでホイヴェルス師の初期のエッセイを、今は絶版の「時間の流れに」から何篇か取って紹介したのは、生前の師の姿に接したことのない世代にも、師の面影と魅力を伝え、師について学び、その魂を受け継ぎ、師の生涯の使命であった福音宣教の情熱を分かち合いたいと思ったからです。

 話は飛躍しますが、アメリカの大富豪、スペースXでは宇宙開発をし、ツイッター社の買収話でも世を驚かせたイーロン・マスク氏は「日本消滅」というショッキングな予言をしました。それは日本の急激な人口減少に因んだものでしたが、その意味では、「日本の教会消滅」の危機はそれ以上の勢いで差し迫っていて、今日ほど福音宣教が喫緊の課題になった時代はかつてありません。

 コロナウイルスの蔓延を受けて、国が最初の緊急事態宣言を発出するや、全国のカトリック教会は過剰なまでに反応しました。

 重症化のリスクの高い高齢者は日曜のミサに参加しないように求められたり、信徒を4班にわけて、各日曜日一つの班だけがミサに招かれ、結果的に月に一度しか教会に行くことが許されなかったりで、要は、なるべく教会にいかないことが良いこととして勧められる結果となりました。数年にわたって教会にいかないことに馴れしまった信者たちは、コロナが下火になって社会に日常の活気が戻っても、海外旅行や娯楽やスポーツと同じように教会にも以前と同じ熱心さで人々が戻ってくるかは疑わしい。ひとたび楽な生き方に慣れてしまうと、人はなかなか負荷の高い元の生活には戻ろうとしないものです。

 もともと宣教に無関心であった教会に、コロナを機に信者が怠惰な方に流れたまま戻って来なければ、日本の「教会消滅」は一気に加速するばかりです。だから、今こそ心を引きしめて踏ん張るべきときでではないですか。

 それなのに、日本の教会では、司教団として、又は、どこかの司教区レベルで、あるいは、修道会の緊急のスローガンとして、さらにある奇特な主任司祭のイニシャティブとして、現在の教会の最優先課題として「宣教」を高く掲げる姿が見えてこないのはどうしたことでしょう。

 もし、誰も声をあげず、立って先頭を歩もうとしないのであれば、不肖の私が、ホイヴェルス神父様の生前のお姿を知る最後の世代の一人として、この記念すべき 第45回 の追悼ミサを機会として、新しい「宣教」の開始 を宣言したいと思います。

 一種のインスピレーションとして、ホイヴェルス神父様の声として、師の生前の姿に接したことのない世代にも、師の宣教の熱意を受け渡し、福音宣教の火を新たに燃え上がらせる運動を始めることの必要性を強く感じます。神様のお望みに応えるために、師の記念日に集い、ともに祈り、互いに自分たちの召命を語り合い、神様の愛を証しする使命のために立ち上がりたいものです。どうすればいいかは、集まって祈れば上から示されるでしょう。初めは小さな火であっても、ともに神様を賛美しながら、やがて大きく燃え広がっていきましょう。

 そもそも「宣教」とは何か。「宣教」を具体的にどう実践すればいいか。各自が自分の持ち場でなにをすることが出来るかなど、具体的に研究し、学んでいきましょう。

 このブログを読まれた方の中には、おなじ危機感を抱きながら孤立して動けなかった方も多いのではないでしょうか。連帯と継続は力です。この思いに共感される方は、繋がりを求めて多数お集まり下さい。お待ち申し上げます。

 

 ホイヴェルス師の 第45回 追悼ミサと懇親会

日  時: 2022年6月9日(木) 午後3時から5時半ごろまで (ミサと懇親会)

場  所: JR四谷駅 麹町口1分 主婦会館プラザエフ (部屋は当日入り口に表示)

 

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谷口幸紀神父

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★ 「ことば」 H・ホイヴェルス随筆集「時間の流れに」よりー(8)

2022-05-09 01:00:01 | ★ ホイヴェルス著 =時間の流れに=

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「ことば」

H・ホイヴェルス随筆集「時間の流れに」よりー(8)

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十二月の二十日、私の所にこんな手紙が来ました。

  しんぷさま、おさむくなりましたね。ルリ子はいつもげんきでがっこうへいっています。

  おとうさまもだいぶげんきになりました。ルリ子ががっこうからかえってきたら、しんぷさまがおだしになったおてがみにはきれいなごえがはいっていました。どうもありがとうございました。でもおてがみのなかにことばがないのでさみしかったです。しんぷさまおしょうがつにあそびにきてください。さようなら。

  ホイヴェルスしんぷさま

                                 ヘルマンナ・ルリ子

 

 このヘルマンナ・ルリ子は七つになる子供です。どうしてヘルマンナという名前がつけられたかというと、こんなわけです。二年前にこの子供は兄さんとお母さんといっしょに洗礼を受けることを望みました。5歳でしたが十一歳の兄よりも、そして法学者の父親よりもずっとよく教えのことがわかっていました。父親は神とか世界とかのことがまだはっきりつかめないで、いわば藪の中に踏み迷って街道に出ることができないひとです。霊名は何にしょうかとたずねますと、その子はどうしても私の霊名をつけてくださいというのです。私は、それは困りますね、ヘルマンは本当の聖人のではなく福者になっただけですから、それに男のなまえです、と話してやりました。しかし、子供はいっこうに承知しません。そのときふと日本の名高い童貞さま(注:修道女のこと)でやはりヘルマンナという名前の方がいることを私は思いうかべました。まあまあ、この子にヘルマンナという霊名をつけてもよいのだと思いました。

 それ以来、ときどきこの子は手紙を書いてよこします。まだ小学校に上がっていないのですが、平仮名だけでなら書くことができます。宛名もやはり平仮名で書くのです。郵便屋さんは慣れたもので、いつもちゃんと判読して私の所へ配達してくれます。さあ、私も返事を出すのに、やはり平仮名で書かなければなりませんでした。今度のクリスマスには少し楽をしようと思って、本屋さんへ行き、沢山のご絵の中から、特に気にいったサッソフェラトとコレジオのものを選んで、そのご絵のうらに簡単に『クリスマスおめでとう、一九五二年、ヘルマンナ・ルリ子さまに ヘルマン・ホイヴェルスより』と書きました。お母さんと兄さんにも同じように出しました。すると、先ほどのような『おてがみの中にことばがないので、寂しかった』という返事がきたのです。今まで何カ月の苦心してきた仕事の上にぱっと明かりがついたような気がしました。私は今まで自分の言葉で、ソクラテスや聖トマスの言葉を用いて人びとに神の啓示が必要であることを示そうと努めてきました。つまり、『神のみことば』がなければどんな人間の 言葉も馬の耳に念仏のように素通りしてしまうということを説明しようとしていたのです。ところが、そうしているときにこの七歳の子供からあの手紙がきて、ほんのわずかな言葉で世界とか人間とか神とかについてはっきりと悟らせてくれたのです。

 私はその子供につぎのような返事を書きました。

「ヘルマンナ・ルリ子さま。『お手紙にことばがなかったのでさみしかった』のですって。ほんとにそのとおりですね。この世で一番美しいものでも心のこもった言葉がそこについていなければあまりねうちはありません。私はきれいなご絵であなたを喜ばせて上げたかったのです。しかし手紙を書くのをなまけました。ご絵だけではやっぱりあなたにはさみにかったのですね。

 では言葉はなぜそんなにねうちがあるものなのでしょう。それは心から出て来て、またほかの人の心の中へひびいていくものだからです。ルリ子の言葉は私にクリスマスのわけをはっきり教えてくれました。今まで誰もこれほどに説明してくれた者はいませんでした。神はこの美しい世を私たちにお与えになりました。でもそのときに言葉がいっしょに与えられなかったら、私たちもやはり『お言葉がなかったのでさみしかった』というでありましょう。ですから、神はお言葉を私たちに下さろうとなさったのです。しかも、そのお言葉をこの上ない贈物として私たちの心に、ふかく、やさしく、したしくくださるおつもりでした。預言者の言葉だけでは足りないとお思いになったのです。いくら預言者の言葉でも、それは人の心や口を通して神のお言葉がひびいているにすぎません。神はおんみずから私たちの目に見えるようなお姿でお降りになり、人間の顔や口をもって話しかけようと思召されたのです。ベトレヘムにマリアの子としてお生まれになったのです。私たちはもはやさみしくはありません。イエズスさまはたくさんのお言葉を私たちにお話になりました。

 ヘルマンナ・ルリ子さま、おてがみがこんなにながくなりました。私が心に思っていることを、もう十分かきつくしたと思います。ちょうど、イエズスさまが神のお考えをわたしたちに十分おつたえになったようにね。ヨハネ福音書にもこんなふうに書いてあります。『誰もかつて神を見たてまつりし人はあらず、父の御ふところまします独子の自ら説きあらわしたまいしなり』・・・・」

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 ちょっと季節外れをおゆるし下さい。クリスマスのはなしでごめんなさい。

 このエッセイを読んでいると、家族ぐるみの洗礼の時など、求めに応じて、イヴェルス神父はキリスト教の教えの神髄を十分深く理解していない成人にも、状況判断いかんでは寛大に洗礼を受けることをお許しになっていたことがうかがえ知られます。洗礼当時5歳だったルリ子の方が兄よりも法学者の父親よりも神の真理をより深く理解していることを承知の上で、その家族全員に洗礼を受けることを許されたようにです。それとも、ルリ子のお父さんはこの時一緒に洗礼をうけなかった? そこは謎として残りますね。

 イエスが子供たちを大切にされたように、ホイヴェルス神父さまも幼い供と対等な目線で交わりをもたれました。ルリ子ちゃんと「ことば」をめぐって交わされたこの対話も、神のみことば、ギリシャ語では神のロゴス、おとめマリアから生まれた神の独り子、に関する師の深い思索の世界が、子供にもわかる平易な言葉で丁寧に展開されています。

 神の御手による天地万物の創造的進化のみわざも、理性をもって「ことば」を解する人間の創造に至るまではまだ未完成であったし、創られた人間も、本性に従って本能で神を賛美している自然界との付き合いだけでは満足できず、神のみことばの受肉、神の子イエス・キリストの出現をまつまで、人は寂しい思いで時の過ぎゆくのをじっと待っていたであろうことを、ルリ子と対話しながらしみじみと思い知られたホイヴェルス神父の姿が際立ってくるお話でした。 

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