:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 世界青年大会(WYD)現在進行形

2016-07-26 22:37:58 | ★ WYD 世界青年大会

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 世界青年大会(WYD)現在進行形

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ワールド・ユース・デー(WYD)2016 は既に始まっている。

3年前のリオ(ブラジル)が最後の参加と心に決めていたのに、今年のクラカウ(ポーランド)でフランシスコ教皇が主催する大会に日本からの「新求道共同体」の若者ら110人ほどが、モスクワとその近郊の巡礼を経てポーランドに繰り込むと聞いて、76歳の「青年」の心が動いた。

モスクワは冷戦終結前のソ連時代に何度か訪れた懐かしい土地柄だったからだ。

モスクワに着いてもう1週間以上が経過した。書くべきことがすでに山積してきた。いつまでもカルメンの葬儀に関わっている時ではない。しかし、最後に一言、カルメンの葬儀ミサ野一部始終は、日本語の音声解説入りで見られることが分かった。物好きのお方はどうぞフォローしてみてください。

日本語吹き替え 「カルメンの葬儀」 ユーチューブ

https://youtu.be/U3Vy8dAv9no

 

さて、話しを本題に戻しましょう。とは言っても、今朝は4時半のモーニングコールに叩き起こされて、5時半にはバスに乗り、ワルシャワ空港に向かう。この種の巡礼に特有のクレージースケジュールで、ブログを書いている暇もない。

クレムリンの中も見た、セルゲイ・ポサードにも行った。ウラジミールにも。ドストエフスキーの家も、トルストイの家も。モスクワ川の遊覧船にも、地下鉄にも。全ては日本に帰ってからゆっくり書くことになるのだろうか。

 

 

 

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★ ユーチューブ フランシスコ教皇 カルメンの葬儀に弔文

2016-07-25 05:55:52 | ★ WYD 世界青年大会

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(ユーチューブ) カルメンの葬儀にフランシスコ教皇弔文

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ロシア人に日本のカトリック教会の情報事情を北朝鮮と比較されてショックを受けていても始まらない。問題は教会の底辺の発信力の不足と怠慢に返ってくるのだから。

マドリッドの大聖堂でのカルメンの葬儀の一部始終は、世界中でテレビ同時中継されたと言ったが、その時間を逃した人は見そびれたのかと思ったら、2時間余りの葬儀の一部始終がその後ユーチューブにアップされたと聞いたので開いてみた。なるほど、簡単に見られる。便利な時代になったものだ。だが、スペイン語は苦手なのと、モスクワでの団体巡礼旅行中の縛りがあって、ブログを書く暇もないので全部は見なかったが、その冒頭で教皇フランシスコがキコに宛てて短いが心のこもった弔文が読まれていたので、それだけは紹介したいと思う。

The broadcast from 13tv.es has been put onto youtube and will be easier to watch
you can see it here (the full 2 hours)

https://www.youtube.com/watch?v=gXu9zkg8tR0&index=1&list=PLxNlAmSTkh2puxaDbZMkQ0dm6NbSIRFPw 

フランシスコ教皇はキコ・アルグエイヨにメッセージを送り、アルグエイヨと共に新求道期間の道を設立したカルメン・エルナンデスの死に際して彼の愛情と霊的な親密さをはっきりと示された。

私の訳は固いとの定評だが、なるべく原文に近く訳そうと気を配っているためでもある。

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エルナンデスはマドリッドの彼女の自宅で水曜日に85歳で亡くなった。

マドリッドのカルロス・オソロ・シエラ大司教が司式と、数名の枢機卿たちと司教たちが共同司式による彼女の葬儀ミサは、今日マドリッドで執り行われた。

 

 

教皇のメッセージは以下の通り: 

マドリッドの新求道期間の道の(キコ)アルグエイヨ氏へ

わたしは、カルメン・エルナンデス女史がイエスに対する愛と偉大な宣教の熱意で特徴づけられた長い生涯を終えられたという報せを感動のうちに受け取りました。この苦痛に満ちた離別の時にあたり、私は愛情を込めて彼女のすべての家族と、彼女が共同設立者である新求道期間の道のメンバーたちと、そしてまたとくに、具体的には洗礼の意味を再発見し信仰の生涯教育の道を示した彼女の使徒的熱情を評価した多くの人々のそばにいます。私は、彼女が教会に対する誠実な愛に動かされて、どこにおいても、またもっとも打ち捨てられた遠くに居る人々に対して、福音を宣べ伝えるために生涯を費やした証しのために主に感謝します。

わたしは彼女が永遠の過ぎ越しの喜びの中に受け入れられ、彼女を知っていた人たちと、彼女の福音宣教の熱意を司教たちや司祭たちとの活発な交わりの中で生き生きと保って全ての人に対する忍耐と憐れみを実践しながら新求道期間の道に関わった人たちを励ますために、彼女の魂を神様のみ心に委ねます。

この願いを込めて、私は処女(おとめ)マリアの執り成しを呼び求め、この葬儀に参列した人々に私の使徒的祝福を与えます。

フランシスコ教皇
バチカンにて、2016年7月20日

 

 

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★ モスクワ = 着くや否やの 「大ショック」!!

2016-07-22 13:09:29 | ★ WYD 世界青年大会

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「モスクワ」 = 着くや否やの 「大ショック」!!

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成田12時発のアエロフロートで現地時間16時にモスクワに着いた。グレゴリオ「道」の日本の責任者)とそのパートナーのピラㇽと3人で飛ぶはずが、グレゴリオは急遽一日早めてカルメンの葬儀に間に合うように昨日(20日のこと)一人でマドリッドに発っていたから、着いたのはピラㇽと私の二人だけだった。

出迎えのマリアの車でデルタホテルに入った。カルメンの葬儀はマドリッドの司教座大聖堂(内陣の壁画とステンドグラスはキコの作品。脇祭壇にはキコの聖母子像の絵がキコの壁画に囲まれて安置されている)で盛大に行われ、その一部始終は世界中にテレビで同時中継されていて、日本でもBSか何かで見られるのだそうだが、日本でそのことを知る人は殆どいない。しかし、出迎えのマリアによれば、7時からモスクワの大聖堂で司教司式のカルメンの追悼ミサがあるということだったので、チェックインも早々に地下鉄に乗った。モスクワでは、市内の移動は車より地下鉄の方が便利なことは東京と変わりない。

司教座聖堂は赤レンガ造りのゴチック様式で新しい建物のようだった。5人の共同司式司祭を従えての司教ミサは荘厳だった。説教はロシア語だから、時々「カルメン」とか、「キコ」とか言う単語が耳に飛び込むほかは全くわからなかった。参列者は期待したほど多くはなかったが、その多くは共同体のメンバーだっただろうか。モスクワの共同体の歴史は日本よりも浅い。公に活動ができるようになったのはソ連崩壊以後のことだろう。市内に4つの共同体があるそうだから、日本の東京と横浜の共同体を合わせたぐらいのものだろうかと思う。

ミサが終わったら、マリアが香部屋(祭壇わきの準備室)に行って大司教に挨拶しようと言いだした。そこでの共通語はスパニョーロ(スペイン語とイタリア語を混ぜたようなもの)の他、英語やドイツ語が役に立った。

カルメンの葬儀がマドリッドの大聖堂で行われ、その様子が全世界にテレビで生中継され、日本でも見られるというのもさることながら、モスクワの大聖堂でマドリッドに連携して追悼ミサが行われているというのも、新鮮な驚きだった。恐らく世界各地で同様の現象が起こっているのだろうと想像に難くない。

カルメンの死が国際レベルではそれほどポピュラーでホットな話題なのに、日本では全く知る人がいないという事実に、軽いカルチャーショックとともにあらためて気づかされた。

日本の教会では、世界のカトリック教会で何が行われ、今何が話題になっているか、ということについて、殆ど情報がなく、信者の間でも殆ど関心がないということに、モスクワの人々が逆に驚いている様子だった。「その孤立状態はまるで北朝鮮の庶民並ではないか?」というさりげない比喩に、私は大ショックを受けた。

以下、改めてカルメンを偲んでその生前の姿をたどってみよう

キコもカルメンもまだ20歳台後半か。マドリッド郊外のスラムで共同体を形成し始めた頃

ヨハネパウロ2世とカルメン

聖ヨハネパウロ2世とキコ、カルメン、マリオ神父

カルメンの元気だったころ 彼女の話は聞く若者たちを大いに沸かせたものだった

彼女はある意味でキコ以上の人気者だった

その語り口には一種のカリスマ的権威が宿っているように感じられた

ベネディクト16世と共同体の3人の創始者グループ

今の教皇フランシスコとすっかりお婆ちゃんになったカルメン

私がイスラエルのドームスガリレアで最後に見たカルメンの後姿、足首がマッチ棒のように細くなり、人の手にすがりながらとぼとぼと歩いていた翳の薄い姿が目に焼き付いている

 

昨夜、ミサ後の夕食をとったのが10時すぎ。まだ道端で新聞が読める明るさだったが、デュッセルドルフに住んだことのある私はさほど驚かなかった。しかし、今朝4時に目が覚めたら外はもうすっかり明るかった。多分3時ごろには夜明けだったのだろう。もう少し北に行けば白夜の世界なのだ、と思うと異国に来た思いがひしひしと迫ってくる。

(つづく)

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★ キコのパートナー、カルメンが逝った日(2016.07.20)

2016-07-20 17:10:40 | ★ WYD 世界青年大会

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キコのパートナー、カルメンが逝った日(2016.07.19)

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今朝、一通のメールが届いた。キコが書いたカルメン・エルナンデスの訃報だった。カルメンはキコの生涯の伴侶だった。しかし、彼らは結婚した夫婦ではなかった。愛し合う「同志」という言葉が二人には適当と言うべきか。

若かりし日のカルメン(28歳)

 

キコの書いた訃報

マドリッド、2016年7月19日

親愛なる兄弟の皆さん、重大なお知らせをいたします : 今日16時45分、私たちの姉妹カルメンが天に旅立ちました。私たちの主イエスが彼女の魂をご自分のものとされるために来られたことは確かです。

わたしたち、特に私は、彼女がいなくなったことで苦しみますが、私たちの主イエスが彼女をご自分のものとされたことを知って満足しています。

カルメンは「道」にとって何と偉大な助けだったことでしょう!決して私におもねることはなく、常に教会の善のためを思っていました。なんと強い女性!彼女のような人は前代未聞です。 若者たちに告げる時、教皇様と共に、いまクラカウに於けるように、彼女は彼らに常に言いました:「女性は教会の中で最も重要な存在です。なぜならばその体内に生命の工場を持っているからです。 このことの為に、創世記の第1ページから黙示録の最後まで、悪魔は常に女性を追い悩ますのです。そして、結論として、「キコをあなたたちに贈る」!と言っていました。

早く死んで彼女と再びむすばれたいと願います。カルメンは私にとって素晴らしい出来事でした:女性として、その偉大な才能によって、そのカリスマで、彼女の教皇に対する愛によって、特に彼女の教会に対する愛において。

さて兄弟の皆さん、私の魂は悲しみに満ちています。なぜなら彼女が私たちとともにいないからです。しかし、信仰が私を助け、彼女がキリストと共にいることを確信させてくれます。彼女の為に祈って下さい。カルメンの記念としてみんな一緒にミサを奉げて下さい。

マドリッドの大司教様は、カルメンの葬儀をカテドラルで彼女の遺体の前で行うことを受け入れ、恐らくロウコ枢機卿が司式なさるでしょう。この葬儀にはヨーロッパの旅人たちが招かれていますので参加できるならどうぞ。後日正確な日取りをお知らせします。

元気を出しなさい、キリストは復活してわたしたちの為に死に打ち勝ちました!

私が来て、彼女に口づけして、「頑張れ」と言うまで待っていてくれたことは、私にとって感動的でした。私が彼女に口づけした後に彼女は息を引き取りました。

                                                 キコ・アルグエイヨ

 

左がカルメン(「新求道期間の道」40年の歩みより)

 

カルメン2009年1月(当時73歳)

キコは神父(聖職者)ではない。世俗を棄てた修道者でもない。生涯市井に生きる一信徒の身分に徹した。キコは私と同じ1939年生まれだが、3つ年上の元修道女のカルメンと若い時にコンビを組んで、マリオというイタリア人の神父と共に。常に3人一組で世界の「新求道共同体」の最高指導者として働いてきた。

結婚して家庭をもうけ子供たちを生まなかったが、キコ、カルメン、マリオ神父の3人組は、新求道期間の道を歩む多くの夫婦たちに、5人、8人、10人、13人、時にはそれ以上の子沢山の家庭をつくらせ、この半世紀近くの間に、世界中に150万人(か、もしかしてそれ以上ではないかと私は推計するのだが・・・)のメンバーを数えるに至っている。この勢いで行けば、あと半世紀の間に億の単位の集団に育つかもしれないのだ。少子化に悩む日本の社会にキコの共同体が根付けば、問題は消えるだろうに・・・。

教皇フランシスコは、最近、病床のカルメンに見舞いの電話を掛けたそうだが、その教皇は「キコについてはいろいろなことが言えるが、一つはっきりしていることは彼が聖人だということだ」という意味の問題発言をして、私をいたくまごつかせたものだが、私は5月のサントリーホールでのコンサートを準備する過程でキコと極めて親密に接してみて、かれの人間臭さに深い印象を受けた。彼は、遠く日本まで来ていて、カルメンの状態について非常に気にかけているのを目の当たりにしてきた。ほぼ3つ年上のカルメンとキコの結びつきは、姉弟的とか、友情とか、同志的とか言う月並みな言葉では尽くせない、男女の間の新しいタイプの愛の絆だったと私は言いたい。

そういうのってありなんだ、と妙に納得するものがあった。歴史を振り返ってみても、常に聖人の陰に聖女ありだった。

キリストとマグダラのマリアがその典型か?

ところで、私、明日から旅に出ます!

モスクワ、ワルシャワ、クラカウ、ミュンヘン、ドナウヴェールト、ローマと回って、8月11日に帰国の予定。

モスクワは日ソ円卓会議で何度か訪れて懐かしい。

クラカウでは教皇フランシスコの呼びかけで「世界青年大会」(ワールドユースデー)が開かれる。

ドナウ川沿いのドイツの片田舎には、古い友を訪ねます。

ローマの神学校ではキコが新しい壁画に挑戦しているはず。システィーナ礼拝堂の正面のミケランジェロの「最後の審判」の壁画より大きな、「黙示録」に主題を得た大壁画に果敢に挑戦するキコに会えるかも。

わたしは、足掛け8年になるローマ生活に終止符を打ち、日本に帰る準備として私物を取りに行くのも今回の目的の一つ。

帰国後になるが、旅のブログをお楽しみに。

 

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★ シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」のDVDを見る会 《広島》

2016-07-08 22:44:46 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」

DVD を見る会 《広島》

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 広島駅にほど近い幟町の高級マンション街の一角、太田川の川岸の桜並木の木陰のテラスで昼食を頂き、「大人の休日割引」の利く新幹線「さくら」に乗った。大阪で「ひかり」に乗り換えて東京に着くまでに、昨日の出来事をブログに残そうと思う。

キコは郡山公演でも、東京はサントリーホールの公演でも、最後に「後日、皆さん集まってシンフォニーの感想を語り合う会を開いてください」と言い残して日本を去っていった。広島からわざわざ東京まで聴きに来たKさん一家は、どうせ集まりを開くなら、と私に声をかけてくださった。場所はKさん宅の応接間。実は6年前(?)のその場所でK家の長男の結婚式を私が司式したという、実にご縁の深いご家族だ。 

 リビングの壁の大きな画面には、皆さんが三々五々揃うまで、KFB福島朝日テレビが制作したシンフォニーの1時間物のドキュメンタリー番組を流して間を繋いだ。 

 

11時もまわった頃、予定の人の顔は大体そろったようだった。16-7人だろうか。今日は東京のサントリーホールでの演奏ではなく、5月6日の郡山公演のDVDが披露されることになっていた。 

 ハイビジョンの画面はなかなかきれいで、それを私のカメラで撮った画像もブログに使えるぐらいの画質を維持している。 

 子育ての真っ最中の若いお母さんたちも見に来て下さった。福島出身のご婦人もいた。思いが重なって涙ぐむ人もいた。キコの音楽が終わって、復興ソング「花は咲く」が演奏される場面では、その曲の歌詞が配られて、皆で一緒に歌った。気恥ずかしかったが、頑張って私も歌った。 

 DVDの鑑賞が終わると、自己紹介と感想を述べあう時間になった。全員が何かを話した。立って話しているマリアはスペイン人で2児のお母さん。小さい時に宣教家族の一員として両親にくっついて日本にやってきた。異国に移り住んで日本社会に溶け込むまで、色んな苦労をしたという話も出た。ピンクの半袖の女性が初めから何故か涙を流していた。腕組みの男性は私より3つほど年上で、ベトナム戦争に参加した元米軍将校だが、彼の戦場体験のほんの一部を聞いて、皆深い印象を受けて押し黙ってしまった。 

 ちょうどお腹の空いたころに会は終わった。みんなで手作りのカレーを食べて和やかに余韻を楽しんだ。キコのシンフォニーのコンサートは、音楽会会場で終わるその場限りのイヴェントとは一味違った、不思議な余韻を日本の社会に残していったような気がする。

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★ 神様は多元説がお好き?

2016-07-07 11:24:57 | ★ 神学的省察

 

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神様は多元説がお好き?

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あなたは地球以外の惑星に、他の銀河系に、或いは広大な宇宙のどこかに、地球人と意思の疎通ができる知的生命体(宇宙人)が居ると思われますか?

「もちろん居るさ!」というあなたに私も共感を覚えます。そうでなければワクワクするようなSF小説は成り立ちませんからね。

この狭い地球上でも、人類の起源について諸説がありました。進化の過程のある時期に、期せずして幾つかの離れた場所で、霊長類の個体が相前後して自我に目覚め、人間になった。北京原人や、ヨーロッパのネアンデルタール人や、アフリカの〇×原人、等々。アジアには黄色人種がいて、ヨーロッパには白人が、アフリカには黒人が、そしてアメリカ大陸には赤い肌のインディアンが居るのも、それならば簡単に納得が行くでしょうか?

ところが、遺伝子工学が進歩するにつれて、現在地球上に生息するすべての人類が、各人の祖先を辿っていくと、一人の例外もなく全員がたった一人の女性の個体にたどり着くという事実が突き止められました。なんと、黒人も白人も、黄色人種もアメリカインディアンも、皆、遠い祖先に生きた一人の女性を母とする大家族だというのです。科学者は、その一人の女性を、旧約聖書に現れた最初の女性に関する記述「アダムは女をエバ(命)と名付けました。彼女がすべて命あるものの母となったからである。」(創世記3章20節)に因んで、「エバ」と名付けたのでした。

この話は、よろず多元説を好まれる人士にとっては、手痛い一敗となったに違いありません。

しかし、一元説であれ、多元説であれ、目の前の現状がそれによって左右されるので無ければ、そんなことどちらでも良いではないか、とあなたは言われますか?どっこい、私にはそう暢気に構えてもいられない深い事情があるのです。

1969年7月16日に、アポロ11号のニール・アームストロング船長が月面に第1歩を記した時、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という予言的な言葉を残しています。

あれから約半世紀たった今、IT技術革新は凄まじく、中学生が手にしているアイフォーンの容量は、アポロ宇宙船に積まれた電子頭脳の何倍もの大きさではないかと素人の私は想像するのですが、その格段に進化した人口頭脳を生かして、近い将来、再び人類が地球を飛び出し、先ず月に橋頭保を、そこから、火星に、太陽系外に、さらに我らの銀河系の外にまで拡散していくのは、最早時間の問題だろうと思うのですが、その過程で、人類はついに宇宙人(ET)と遭遇するのでしょうか?

もしそうなれば、私は深刻な危機に陥り、鬱になって、自殺に追い込まれることになるかも知れないと恐れています。

なぜならそのETとの遭遇は、リーマンブラザーズ勤務時代のように「お金の神様」を拝むのをやめて、「ナザレのイエスの天の御父」を礼拝するキリスト教に帰依して、一切を捨ててキリスト教の神父になった私に、実存的土台を根底から揺るがす再起不能の致命的なダメージを与える出来事になりかねないからです。

それは、私が哲学的信念として、他でもない「一元説」の信奉者の立場を選択した結果です。もしその一元説が崩れたら、今後私は何を信じて自分を支えていけば良いのでしょうか?

神は一組の人祖に特別の恵みとして「理性と自由意志」を与えられました。しかし彼らはその恵みを濫用して傲慢にも神のようになろう、神より偉くなろうという野心に燃え、命の源である神から自分を切り離して自立しようと試みた結果、「死」を招き寄せる罪に落ちてしまいました。

それでも神は人類を見捨てることなく、彼らを救い上げるために、神ご自身が人となってこの世に入り、ご自分の「死」をもって人類を「死」の呪いから解き放ち、復活して「永遠の命」を取り戻して下さいました。私はそう信じています。それなのに、もしも多元説が正しくて、宇宙のそこここに「理性と自由意志」を備えた別の「ET集団」たちがいて、同じように罪を犯したとしたら、彼らの救いはどうなるのでしょう?お節介にもそう考え始めると、もう私は余計な心配事で寝られなくなり、ノイローゼになりそうです。

神は、それらの宇宙人をも罪から救い出すために、各ET集団ごとに、受肉して十字架について死なれるのでしょうか?それとも、我が地球にだけ受肉して全宇宙人類のための救いを成就して、地球人が救いの宣教師として訪れるまで他の宇宙人たちはそれを待望しながら時を重ねることになるのでしょうか?そもそも、数ある宇宙人集団の中でなぜ地球にだけ神は受肉したのでしょうか、それは単なる偶然ですか?他の宇宙人のところではダメだったのでしょうか?

考えるだけでも頭が変になりそうですし、答えは永久に出てこないでしょう。

私の哲学的思考回路に合致する唯一の合理的なシナリオは、神はこの広大な大宇宙の中で、銀河系の片隅の小さな太陽系の3番目の惑星である地球にだけ「理性と自由意志」を備えた人類を創造し、その人類が罪を犯し宇宙の秩序を乱したのを受けて、神は地球人となり十字架の上でその罪を贖ってくださった。

地球以外に「理性と自由意志」に目覚めた被造物はなく、この広大無辺の宇宙は全てその唯一の人類の手に委ねられた、と考えるのが正解ではないでしょうか?

私はこの際、「一元説」以外に取るべき立場はないと信じます。神は最初からその設計図のもとに宇宙を創造し、唯一の神ご自身が「一元説」の提唱者でなければならないと思うのです。

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