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キコのパートナー、カルメンが逝った日(2016.07.19)
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今朝、一通のメールが届いた。キコが書いたカルメン・エルナンデスの訃報だった。カルメンはキコの生涯の伴侶だった。しかし、彼らは結婚した夫婦ではなかった。愛し合う「同志」という言葉が二人には適当と言うべきか。
若かりし日のカルメン(28歳)
キコの書いた訃報
マドリッド、2016年7月19日
親愛なる兄弟の皆さん、重大なお知らせをいたします : 今日16時45分、私たちの姉妹カルメンが天に旅立ちました。私たちの主イエスが彼女の魂をご自分のものとされるために来られたことは確かです。
わたしたち、特に私は、彼女がいなくなったことで苦しみますが、私たちの主イエスが彼女をご自分のものとされたことを知って満足しています。
カルメンは「道」にとって何と偉大な助けだったことでしょう!決して私におもねることはなく、常に教会の善のためを思っていました。なんと強い女性!彼女のような人は前代未聞です。 若者たちに告げる時、教皇様と共に、いまクラカウに於けるように、彼女は彼らに常に言いました:「女性は教会の中で最も重要な存在です。なぜならばその体内に生命の工場を持っているからです。 このことの為に、創世記の第1ページから黙示録の最後まで、悪魔は常に女性を追い悩ますのです。そして、結論として、「キコをあなたたちに贈る」!と言っていました。
早く死んで彼女と再びむすばれたいと願います。カルメンは私にとって素晴らしい出来事でした:女性として、その偉大な才能によって、そのカリスマで、彼女の教皇に対する愛によって、特に彼女の教会に対する愛において。
さて兄弟の皆さん、私の魂は悲しみに満ちています。なぜなら彼女が私たちとともにいないからです。しかし、信仰が私を助け、彼女がキリストと共にいることを確信させてくれます。彼女の為に祈って下さい。カルメンの記念としてみんな一緒にミサを奉げて下さい。
マドリッドの大司教様は、カルメンの葬儀をカテドラルで彼女の遺体の前で行うことを受け入れ、恐らくロウコ枢機卿が司式なさるでしょう。この葬儀にはヨーロッパの旅人たちが招かれていますので参加できるならどうぞ。後日正確な日取りをお知らせします。
元気を出しなさい、キリストは復活してわたしたちの為に死に打ち勝ちました!
私が来て、彼女に口づけして、「頑張れ」と言うまで待っていてくれたことは、私にとって感動的でした。私が彼女に口づけした後に彼女は息を引き取りました。
キコ・アルグエイヨ
左がカルメン(「新求道期間の道」40年の歩みより)
カルメン2009年1月(当時73歳)
キコは神父(聖職者)ではない。世俗を棄てた修道者でもない。生涯市井に生きる一信徒の身分に徹した。キコは私と同じ1939年生まれだが、3つ年上の元修道女のカルメンと若い時にコンビを組んで、マリオというイタリア人の神父と共に。常に3人一組で世界の「新求道共同体」の最高指導者として働いてきた。
結婚して家庭をもうけ子供たちを生まなかったが、キコ、カルメン、マリオ神父の3人組は、新求道期間の道を歩む多くの夫婦たちに、5人、8人、10人、13人、時にはそれ以上の子沢山の家庭をつくらせ、この半世紀近くの間に、世界中に150万人(か、もしかしてそれ以上ではないかと私は推計するのだが・・・)のメンバーを数えるに至っている。この勢いで行けば、あと半世紀の間に億の単位の集団に育つかもしれないのだ。少子化に悩む日本の社会にキコの共同体が根付けば、問題は消えるだろうに・・・。
教皇フランシスコは、最近、病床のカルメンに見舞いの電話を掛けたそうだが、その教皇は「キコについてはいろいろなことが言えるが、一つはっきりしていることは彼が聖人だということだ」という意味の問題発言をして、私をいたくまごつかせたものだが、私は5月のサントリーホールでのコンサートを準備する過程でキコと極めて親密に接してみて、かれの人間臭さに深い印象を受けた。彼は、遠く日本まで来ていて、カルメンの状態について非常に気にかけているのを目の当たりにしてきた。ほぼ3つ年上のカルメンとキコの結びつきは、姉弟的とか、友情とか、同志的とか言う月並みな言葉では尽くせない、男女の間の新しいタイプの愛の絆だったと私は言いたい。
そういうのってありなんだ、と妙に納得するものがあった。歴史を振り返ってみても、常に聖人の陰に聖女ありだった。
キリストとマグダラのマリアがその典型か?
ところで、私、明日から旅に出ます!
モスクワ、ワルシャワ、クラカウ、ミュンヘン、ドナウヴェールト、ローマと回って、8月11日に帰国の予定。
モスクワは日ソ円卓会議で何度か訪れて懐かしい。
クラカウでは教皇フランシスコの呼びかけで「世界青年大会」(ワールドユースデー)が開かれる。
ドナウ川沿いのドイツの片田舎には、古い友を訪ねます。
ローマの神学校ではキコが新しい壁画に挑戦しているはず。システィーナ礼拝堂の正面のミケランジェロの「最後の審判」の壁画より大きな、「黙示録」に主題を得た大壁画に果敢に挑戦するキコに会えるかも。
わたしは、足掛け8年になるローマ生活に終止符を打ち、日本に帰る準備として私物を取りに行くのも今回の目的の一つ。
帰国後になるが、旅のブログをお楽しみに。