10月7日受信
久し振りに15会のHPに投稿します。
リーマンブラザーズなどの外資系投資銀行で野良犬のような生活をしていた私の首に首輪をつけ、
カトリックの司祭に叙階してくださった恩人の深堀聡元高松司教様が
去る9月24日(木)午後3時27分、熊本のホスピスで、腎臓癌のため眠るように逝かれました。
85歳の誕生日直前でした。
亡くなる一週間前に一度危篤になられ、それで東京から急遽熊本へ飛んだのですが、
私が着いた日に持ち直され、意識も回復して、
それから1週間、親しく毎日お側に看護し、最後の交わりの時を持つことが許されました。恵みの時でした。
深堀司教様は、未だキリスト教の信仰に出会っていない1億2700万人の日本人の魂に福音を宣べ伝えるために、
1990年に高松に「レデンプトーリス・マーテル」国際宣教 神学院 を設立し、若い宣教師達を養成してきました。
私は彼の右腕として、その建設と発展のために一心に働きました。
その結果、香川県東かがわ市に 神学院 の建物が完成し、30人の若い宣教師司祭たちが誕生し、
いま福音宣教に邁進しています。
彼は、5年前に引退した後は、高松教区に留まり、牧した信徒や彼が叙階した司祭たちに囲まれて、幸せな老後を送れるはずでした。
しかし、彼は引退したあと四国を追われ、福岡、熊本を転々とし、ぼろ雑巾のように働き、
病を得てからは淋しく病院に、ホスピスに横たわることになりました。
信徒から世俗の裁判所に告訴され、不名誉と汚名を着せられても一切口を開かず、弁明せず、全てを神様にささげました。
死後になってやっと自分の教区四国に帰ることが赦されました。
私は熊本から8時間の道のりを、その遺体に付き添って霊柩車で高松入りしました。
長いドライブの終わりごろ、瀬戸大橋をわたり終えたところで、棺の蓋をたたいて、「深堀司教様、四国に入りましたよ」と告げました。感無量でした。謙遜にロバに乗ってエルサレムの城門をくぐられたイエスのように、
ダークブルーノ何の変哲もないワゴン車に積まれて無言で帰還しました。
無事葬儀を終え、火葬に付し、全てを見届けて、私は野尻湖の山荘に退きました。
葬儀ミサはカテドラルと呼ぶにはいささか小さい桜町教会に溢れる参列者の見守る中で執り行われた。
参列者の半分以上が、新求道共同体にゆかりの人たちでした。
教皇大使のほか、県外は勿論、遠くグアムやローマからもわざわざこの日のためにやってきた司祭たちもいました。
間もなく、私も四国を追われ、そして日本を追われて、再びローマにおける避難・亡命の生活に戻ります。
谷口幸紀拝
ここに一枚のちょっと不思議な写真を紹介します。
これは合成写真でも、いわゆる心霊写真の類でもありません。
ほんの短い時間でしたが、何人かの人が実際にこの光景に気付いていました。
まるで、深堀司教の聖なる魂が手前左の棺から光に包まれて真直ぐ天に上っていくように見えませんか。
そこから放たれる虹色の光、その光に中にかすかに見える彼の担った十字架。
棺の中には、預言者のように日本の福音宣教のために必要と考えて国際宣教 神学院 を開いた人の骸が、
そしてその向こうに佇んで首をうな垂れているのは、
そんな物は不必要として、 神学院 を閉鎖・廃校に追い込むために精力的に働き、
関係者とそこを出た宣教司祭たちを排除した、その人。
故深堀敏下高松司教の死が意味することについて、別途 その-(2)を書きたいと思っています。