:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 創造と進化 ③

2020-01-23 23:42:33 | ★ 創造と進化

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「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」②

(ヘルマン・ホイヴェルス師のことば)

 創造と進化(3)

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ホイヴェルス師は学生たちといて、気分が乗ると、よくドイツ民謡を歌って下さった。自然に私はドイツ語に魅かれた。

そもそも、中世哲学の文献を読むうえでは、英語よりもドイツ語とフランス語の知識が必須であることは痛感していた。どうする?ドイツ語は発音のゴツさから考えて、独学でも行けそうだ。周りにドイツ人の神父さんたちもいるし・・・。

それに比べ、フランス語の発音は洗練されてデリケートだからちゃんと習わないとモノにならないだろう、と直感した。そこで、エイヤッ!と決断して、哲学科を1年休学、上智大学の外国語学部フランス語学科に転入した。お蔭で、フランス語の文献もドイツ語のものも、辞書と時間さえあれば何とか読めるようにはなっていた。(そのドイツ語が、後日ドイツのコメルツバンクに就職する足しになるとは、人生分からないものですね!)

近代ドイツには、ゲーテ、ハイネ、ヘルマン・ヘッセ、アイヒェンドルフなど、日本でも知られた詩人がたくさんいる。ホイヴェルス師が歌うドイツ語の歌の作詞者には私の知らぬ人が多かったが、いつの間にか私も、ハイネの「ローレライ」や、ミュラーの詩を歌ったシューベルトの「冬の旅」から「菩提樹」をドイツ語で暗記して歌うことを覚えた。

日本にも宮沢賢治、白秋、啄木、西城八十、野口雨情など優れた詩人がいて、歌曲や童謡になったものもあるが、現代の若い世代にはどれほどのものだろうか。

最近若い女性から、中嶋みゆきの「糸」がいいわよ、とわざわざスマホに動画が届いた。シンガーソングライターの中では、綺麗な人という印象で、日ごろ好感を抱いていたが、その歌詞が気に入った ♪ ♬ ♫ 。

 

なぜめぐり逢うのかを 私たちは何も知らない

いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない

どこにいたの 生きてきたの

遠い空の下 ふたつの物語

 

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす糸は いつか誰かを

暖めうるかも しれない

 

縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき糸に 出逢えることを

人は仕合わせと 呼びます

・・・・・

歌っている中島みゆきは意識しているだろうか?彼女の詩の中に何となく哲学めいた風味が漂っていると私は感じた。どこが、どのように、というのはあとに回すが、それにどこか雰囲気の似た―と私には思われる―しかもより文学的な表現を、数日前に須賀敦子のエッセイ「となり町の山車のように」の中に読んだ。

 

「時間」が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めてひとつにつなげるために、駅から駅へと旅を続けている。・・・・・「線路に沿ってつなげる」という縦糸は、それ自体、ものがたる人間にとって不可欠だ。だが同時に、それだけでは、いい物語は成立しない。いろいろ異質な要素を、となり町の山車のようにそのなか招きいれて物語を人間化しなければならない。ヒトを引合いにもってこなくてはならない。・・・縦糸の論理を、具体性、あるいは人間の世界という横糸につなげることが大切なのだ。 (須賀敦子全集第3巻559ページ)

 

「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」というホイヴェルス師の命題に取り組むためのウオーミングアップとして、中島みゆきと須賀敦子を引用したが、導入としてはもう十分だろう。次回こそ、二本の紐(糸と言いなおしてもいい)の本題に入ろう。 

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★ 「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」(ヘルマン・ホイヴェルス師のことば)創造と進化(2)

2020-01-21 00:00:01 | ★ 創造と進化

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「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」

(ヘルマン・ホイヴェルス師のことば)

 創造と進化(2)

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私は「創造と進化」(1)で、司祭であり、詩人であり、同時に、哲学者でもあったヘルマン・ホイヴェルス神父の言葉を引用して、「哲学者はなつかしい神についての話をする権利を有していない」、「哲学者が神について論することは不敬です」、と記した。

それなのに、ホイヴェルス神父が「神を知っている人にとっては、哲学するほど楽しい知的遊戯はない」と言っているのは、どういう意味だろう。この二つの主張は矛盾するのではないだろうか。

 

上の問いに答える前に、一つの話をしたい。

私は二十歳代を通して、よく京都は洛北の安泰時という破れ寺で座禅をしていた。座禅の師は澤木興道という曹洞宗の老禅師だった。1週間ほどの接心には、一人の尼僧(名前を忘れた)が影のように師の身辺のお世話に寄り添い、内山興正老師とか、京都大学の哲学科の優秀な学生たちが多数参禅していた。朝4時頃だったか、興道老師の内弟子だけが許されて老師のお部屋でお茶をいただく習慣があった。一日中沈黙が支配する安泰寺では、この時間だけ老師と親しく言葉を交わすことができた。

当時、私は全くの若輩ではあったが、澤木老師は、お前は耶蘇(カトリック信者)だったな。まあいい、そこに座っていなさい、と優しく受け入れてくださった。

さて、座禅だが、私は、座る作法、姿勢、息の使い方、心の持ち方などをしっかり手ほどきして戴いて、それを忠実に実践したが、心が鎮まるにつれ、「無」や「空」に向かう筈の心の中に、どっこい、しっかりと神様(キリスト教の三位一体の神)が現存されるのを意識しないではいられなかった。だから、その神様を「迷い」として振り払ってまで、敢えて「無」に向かい、「空」に向かうことはとうてい出来なかった。

澤木興道老師が、日本の曹洞宗の世界では「昭和の最後の雲水」と言われた超有名な高僧であったこと、大先輩ではあっても澤木老師を前にしては兄弟子ぐらいにしか思っていなかった「折り紙の神様」の興正さんが、彼自身偉大な内山興正老師として後年人々の尊敬を集めていることを知ったのは、ずっと後のことだった。

私は何を言おうとしてるのだろう。

言いたいことは、澤木老師にとっても、内山先生にとっても、座禅するということと、私がキリスト教の神を信じているということは、何も互いに排除し合う両立しない事柄ではなかったということだ。

同様に、ホイヴェルス神父にとっても、その弟子である私にとっても、哲学するということと、神をすでに知っていて信じている、ということとは、決して両立しない矛盾を含むものではないということではないのか。

哲学することが、自殺することになるか、狂気に終わるか、はたまた、楽しい精神の健全な営みになるかを分けるのは、神を知っているかどうかの一点にかかっているというホイヴェルス師のことばには、実に深い重要な意味が秘められていると思った。

私は、信仰の恵みを戴いて、生ける神、天地万物の創造主にして「愛」である神 を体験として知っているから、人を迷わせ、死にいざない、狂気へと駆り立てることもできる高貴にして危険な哲学の道を、楽しみながら普段に散歩することが出来るのだと思う。

これは、哲学的問題を前にして、人間の理性を頼りにその「解」を見出そうという、困難で険しい道から飛躍して、非理性的に宗教の世界に 逃避 するのではない。また、哲学の力で 神の内面の命 を解き明かそうとしたり、あるいは逆に、神の非存在 を人間の理性で論証して見せよう、というような、不遜にして傲慢な誘惑に身をゆだねるのでもないのだ。むしろそれは、理性と精神の王道を、ゆとりをもって楽しく散策する恵まれた道だというべきだろう。

私はこのブログの冒頭に、「人間の歴史は二本の紐を撚り合わせたもの」と書いた。それはヘルマン・ホイヴェルス師が私に遺された言葉だ。二本の紐とは、何の紐と何の紐 のことだろうか。

今回、そのテーマに向かって書き始めたが、思いのほか前置きが長くなってしまったので、ここで一区切りつけて、本論は次のブログ以下に委ねよう。 

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★ 現在 3.6 プラス 1

2020-01-16 16:21:51 | ★ 旅行

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現在 3.6 プラス 1

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一つ前の私のブログのトップ記事は

イタリア小旅行へのお誘い

= ローマでフランシスコ教皇にもう一度会いましょう =

でした。

「現在 3.6 プラス1」は、女性の申し込み者が 3.6 人、男性が 1人という意味です。

女性3.6人は、3人が確定、一人が前向きに検討中という意味で、男性一人とあわせて合計4人は確実、多分5人、という中間結果です。

イタリア人の運転手、日本人の神父の他の組み合わせはどんなだろう、女性が少なかったらどうしよう?と思ってためらっておられる女性の方に、心配の一つを取り除くためにこの中間報告のブログを書いています。

因みに、昨年はマウロと私の他は、女性5人、男性2人でした。これが、けっこう楽しい旅になりました。今回も、定員いっぱいが望ましいのですが、あとお一人でも、旅は多分成立することになるでしょう。

それでは、以下、前のブログと同内容を繰り返します。

10年ほど前までは、毎年人を誘ってイタリア、スペイン、フランスあたりを9人乗りのワゴン車で気ままに旅をして歩いたものでした

企画も、ガイド役も、運転手も、みんなわたし一人で引き受けて、気ままな旅は参加者に喜ばれていました。しかし、この10年余りは、生活の拠点がローマであったためグループを募るのが難しくなり、また、そろそろ高齢者運転と言われる年齢に達して、全行程独り運転することを自重していました。

ところが、昨年イタリア人のマウロから、小さなグループで一緒にイタリア旅行をしようという誘いがありました。マウロは、10人の子持ちの若いお父さんで、旅の企画とイタリアでの車の運転を一手に引き受けてくれて、私はただ参加者を募ってグループを取り纏めればいいという役割分担です。

私が加わるのは今年が2回目ですが、昨年の旅は参加した皆様から大好評をいただきました。さて、同じ柳の下に泥鰌が二匹居るかどうか、試しに、去年と同じようにブログで参加のお誘いをかける次第です。

マウロが用意したチラシはこれです。

 

上のチラシの写真では細部が読みにくいかと思い、以下に内容をもう一度列記します。

           旅行期間:2020年5月6日(水) ~ 5月14日(木)   7泊9日 (機内1泊)

          費用:今回はアリタリア直行便利用で457,000円-  (アエロフロートモスクワ乗換なら417,000円のところ) 

旅行日程(仮)

1

5月06日

ローマへ ・ ナポリへ

2

5月07日

カゼルタ宮殿・ナポリ市内観光

3

5月08日

カプリ島・青の洞窟

4

5月09日

アマルフィ海岸

5

5月10日

ポンペイ・酪農の体験

6

5月11日

マルケ州へ ・聖ベルナルディノ僧院

7

5月12日

ロレート・ ポルト・サン・ジョルジョ

8

5月13日

教皇様謁見 ・ ローマ・東京へ

9

5月14日

東京到着

 

                                                                                            アマルフィの海岸 風景

旅行の内容について

・ローマ市内は4星ホテルに滞在

・滞在中は全日三食お食事付、本場イタリアの味をお楽しみいただけます。

・イタリアでの滞在期間中の観光にはガイドを付けます。

・やむを得ない事情で予定 の一部が変更になることがあります。

 

参加費に含まれるもの

・航空運賃(往復エコノミー席)

・ホテル(宿泊費)

・食事代

・現地交通費

・博物館等の入場料

 

参加費に含まれないもの

・国内の集合地までの航空運賃・航空保険料

・ホテル1人部屋利用追加料金 (35,000円 )

・海外旅行傷害保険料                                      

 

 ナポリ湾の彼方のヴェスヴィオ火山に沈む夕日

 

マウロがチラシに付けたタイトルは「今まで見たことがないイタリア」でしたが、昨年の旅は、ローマに通算20年ほども住んでいた私にとっても、目からうろこの知らなかったイタリア満載で、さすがはイタリア人マウロならではの選択でした。さて今年はどうなるのでしょうか。

 

      カプリ島の青い海?

 

簡単なパンフレットなので、わたしなりに少し説明を加えたいと思います。

今年の旅行でまず特筆すべきことは、昨年11月に長崎、広島、東京を風のように通り過ぎた教皇フランシスコにローマの聖ペトロ広場の謁見で再び会えることでしょう。この謁見の可能にするために、帰路の便を当初予定の午後13:15発から16:10発に変更しました。そのために航空運賃が6,960円高くなりましたが、この教皇謁見にはその値打があると思います。

また、今年は羽田発・着のアリタリアの直行便をお薦めしています。

参考のために似た時間帯で往復できる他の航空会社とのコスト比較を出してもらいました。例えば、アエロフロートはモスクワ乗り換えで、往復とも4時間ほど長い16時間前後のフライトになります。現在東京―ローマ直行便を運航しているのはアリタリアだけですが、私も含めてメンバーの平均年齢が比較的高いことを思うと、速い直行便のほうが体の負担が軽く、旅費がロシア航空より約4万円ほど高くなることは正当化できるのではないかと思いました。

スケジュールについて若干コメントします。

1.ナポリについて、私は度々行っているのに、一言では語れません。マウロの案内に任せましょう。

2.カプリ、アマルフィの海岸の景観は素晴らしいです。カプリ島の「青の洞窟」は森鴎外の「即興詩人」にも出てくる有名な場所で、中の洞窟全体の青さは全く幻想的です。ただ、普通は穏やかな海ですが、たまに荒れた日は入れないこともあり得ます。中は深い洞窟ですが、唯一の小さな入り口の高さは水面からわずか1メートルほどで、波が下がった瞬間に頭を下げてスルリと入り、同じようにして出てこなければならないからです。

3.ポンペイの遺跡は一見に値します。酪農の体験は私も初めてで、マウロの旅の特徴的アイディアです。

4.古い聖ベルナルディーノ修道院は、今現在は廃墟ですが、その聖堂の壁には世界で一番古い日本の26聖人殉教者の壁画が残っている場所で、日本ではまだ全く知られていません。いま、その廃墟は修道女たちの修道院として再建されつつありますが、シスターたちと交流するほか、26聖人の壁画の前でミサがたてられるよう交渉中です。このツアーでなければ誰も行けない穴場です。

4.ロレートは、イスラエルの地が回教徒に支配される前、十字軍が聖地ナザレトのマリア様のお家を解体して、そのレンガなどをイタリアに運び、小さなチャペルとして移築したものです。中世ヨーロッパで聖地巡礼が出来なくなってからは、たくさんの人々が訪れる巡礼地となりました。チャペルの壁のレンガが聖地からもたらされたものであることは考古学的に証明されています。

全体にわたって、移動の車窓から、食事休憩の際に、また宿のある村や町のたたずまいをとおして、南イタリアを堪能してください。

前回はオプションの劇場や博物館、施設などの入場希望者からは別途2万円を頂きましたが、今回は、皆さんご一緒に行動されると考えて、全体の旅費の中にすでに含まれていますので、別途徴収はありません。

以上が、現時点での私のコメントです。

マウロが運転するワゴン車で、私と、気の置けない7人の仲間たちの小グループで、仲良く旅を満喫致しましょう。旅するうちに友情が芽生え、楽しい、忘れ難い思い出になるでしょう。お誘いいたします。

谷口幸紀拝

アマルフィの海岸

 

〔お申込み方法〕

○ このブログの右下に小さくコメント欄への鍵〔コメント〕があります。そこをクリックして、旅行参加希望と書いて、お名前、年齢、性別、ご住所と、電話番号、メールアドレスを記してください。

○ 申し込み内容は公開されませんので、プライバシーは守られます。

○ コメント欄に戴いたメールアドレスを使って、具体的手続きを進めます。

○ 定員(7名)に達した時点で締め切らせていただきます。早めにお申し込みください

(以上)

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★ イタリア小旅行へのお誘い

2020-01-14 17:21:05 | ★ 旅行

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イタリア小旅行へのお誘い

ローマでフランシスコ教皇にもう一度会いましょう

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10年ほど前までは、毎年人を誘ってイタリア、スペイン、フランスあたりを9人乗りのワゴン車で気ままに旅をして歩いたものでした

企画も、ガイド役も、運転手も、みんなわたし一人で引き受けて、気ままな旅は参加者に喜ばれていました。しかし、この10年余りは、生活の拠点がローマであったためグループを募るのが難しくなり、また、そろそろ高齢者運転と言われる年齢に達して、全行程独り運転することを自重していました。

ところが、昨年イタリア人のマウロから、小さなグループで一緒にイタリア旅行をしようという誘いがありました。マウロは、10人の子持ちの若いお父さんで、旅の企画とイタリアでの車の運転を一手に引き受けてくれて、私はただ参加者を募ってグループを取り纏めればいいという役割分担です。

私が加わるのは今年が2回目ですが、昨年の旅は参加した皆様から大好評をいただきました。さて、同じ柳の下に泥鰌が二匹居るかどうか、試しに、去年と同じようにブログで参加のお誘いをかける次第です。

マウロが用意したチラシはこれです。

 

上のチラシの写真では細部が読みにくいかと思い、以下に内容をもう一度列記します。

           旅行期間:2020年5月6日(水) ~ 5月14日(木)   7泊9日 (機内1泊)

          費用:今回はアリタリア直行便利用で457,000円-  (アエロフロートモスクワ乗換なら417,000円のところ) 

旅行日程(仮)

1

5月06日

ローマへ ・ ナポリへ

2

5月07日

カゼルタ宮殿・ナポリ市内観光

3

5月08日

カプリ島・青の洞窟

4

5月09日

アマルフィ海岸

5

5月10日

ポンペイ・酪農の体験

6

5月11日

マルケ州へ ・聖ベルナルディノ僧院

7

5月12日

ロレート・ ポルト・サン・ジョルジョ

8

5月13日

教皇様謁見 ・ ローマ・東京へ

9

5月14日

東京到着

 

                                                                                            アマルフィの海岸 風景

旅行の内容について

・ローマ市内は4星ホテルに滞在

・滞在中は全日三食お食事付、本場イタリアの味をお楽しみいただけます。

・イタリアでの滞在期間中の観光にはガイドを付けます。

・やむを得ない事情で予定 の一部が変更になることがあります。

 

参加費に含まれるもの

・航空運賃(往復エコノミー席)

・ホテル(宿泊費)

・食事代

・現地交通費

・博物館等の入場料

 

参加費に含まれないもの

・国内の集合地までの航空運賃・航空保険料

・ホテル1人部屋利用追加料金 (35,000円 )

・海外旅行傷害保険料                                      

 

 ナポリ湾の彼方のヴェスヴィオ火山に沈む夕日

 

マウロがチラシに付けたタイトルは「今まで見たことがないイタリア」でしたが、昨年の旅は、ローマに通算20年ほども住んでいた私にとっても、目からうろこの知らなかったイタリア満載で、さすがはイタリア人マウロならではの選択でした。さて今年はどうなるのでしょうか。

 

      カプリ島の青い海?

 

簡単なパンフレットなので、わたしなりに少し説明を加えたいと思います。

今年の旅行でまず特筆すべきことは、昨年11月に長崎、広島、東京を風のように通り過ぎた教皇フランシスコにローマの聖ペトロ広場の謁見で再び会えることでしょう。この謁見の可能にするために、帰路の便を当初予定の午後13:15発から16:10発に変更しました。そのために航空運賃が6,960円高くなりましたが、この教皇謁見にはその値打があると思います。

また、今年は羽田発・着のアリタリアの直行便をお薦めしています。

参考のために似た時間帯で往復できる他の航空会社とのコスト比較を出してもらいました。例えば、アエロフロートはモスクワ乗り換えで、往復とも4時間ほど長い16時間前後のフライトになります。現在東京―ローマ直行便を運航しているのはアリタリアだけですが、私も含めてメンバーの平均年齢が比較的高いことを思うと、速い直行便のほうが体の負担が軽く、旅費がロシア航空より約4万円ほど高くなることは正当化できるのではないかと思いました。

スケジュールについて若干コメントします。

1.ナポリについて、私は度々行っているのに、一言では語れません。マウロの案内に任せましょう。

2.カプリ、アマルフィの海岸の景観は素晴らしいです。カプリ島の「青の洞窟」は森鴎外の「即興詩人」にも出てくる有名な場所で、中の洞窟全体の青さは全く幻想的です。ただ、普通は穏やかな海ですが、たまに荒れた日は入れないこともあり得ます。中は深い洞窟ですが、唯一の小さな入り口の高さは水面からわずか1メートルほどで、波が下がった瞬間に頭を下げてスルリと入り、同じようにして出てこなければならないからです。

3.ポンペイの遺跡は一見に値します。酪農の体験は私も初めてで、マウロの旅の特徴的アイディアです。

4.古い聖ベルナルディーノ修道院は、今現在は廃墟ですが、その聖堂の壁には世界で一番古い日本の26聖人殉教者の壁画が残っている場所で、日本ではまだ全く知られていません。いま、その廃墟は修道女たちの修道院として再建されつつありますが、シスターたちと交流するほか、26聖人の壁画の前でミサがたてられるよう交渉中です。このツアーでなければ誰も行けない穴場です。

4.ロレートは、イスラエルの地が回教徒に支配される前、十字軍が聖地ナザレトのマリア様のお家を解体して、そのレンガなどをイタリアに運び、小さなチャペルとして移築したものです。中世ヨーロッパで聖地巡礼が出来なくなってからは、たくさんの人々が訪れる巡礼地となりました。チャペルの壁のレンガが聖地からもたらされたものであることは考古学的に証明されています。

5.ポルト・サン・ジョルジョはアドリア海に面した港町ですが、その背後の丘にキコさんが建てた大きなコンベンション施設があります。素朴な羊小屋を改造した宿泊施設と超モダンな建築のコントラストが際立つ、素敵なスポットです。

全体にわたって、移動の車窓から、食事休憩の際に、また宿のある村や町のたたずまいをとおして、南イタリアを堪能してください。

前回はオプションの劇場や博物館、施設などの入場希望者からは別途2万円を頂きましたが、今回は、皆さんご一緒に行動されると考えて、全体の旅費の中にすでに含まれていますので、別途徴収はありません。

以上が、現時点での私のコメントです。

マウロが運転するワゴン車で、私と、気の置けない7人の仲間たちの小グループで、仲良く旅を満喫致しましょう。旅するうちに友情が芽生え、楽しい、忘れ難い思い出になるでしょう。お誘いいたします。

谷口幸紀拝

アマルフィの海岸

 

〔お申込み方法〕

○ このブログの右下に小さくコメント欄への鍵〔コメント〕があります。そこをクリックして、旅行参加希望と書いて、お名前、年齢、性別、ご住所と、電話番号、メールアドレスを記してください。

○ 申し込み内容は公開されませんので、プライバシーは守られます。

○ コメント欄に戴いたメールアドレスを使って、具体的手続きを進めます。

○ 定員(7名)に達した時点で締め切らせていただきます。早めにお申し込みください

(以上)

 

 

 

 

 

 

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★ ソクラテスは哲学者か? 創造と進化(1)

2020-01-07 01:00:00 | ★ 創造と進化

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ソクラテスは哲学者か?

 創造と進化(1)

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キリストより5世紀も前の人。生涯にわたって知への愛(フィロソフィア)に生き、書き物を残さず、ソフィスト(自称賢者)たちのように報酬を求めず、極貧生活に耐え、ソフィストたちの無知を指摘していくうちに、反感を買い、憎まれ、誹謗され、追放を受け容れて生き延びる道を拒み、結果的に死刑を言い渡され、自ら毒盃をあおって死んでいったソクラテスは、まちがいなく本物の哲人、哲学者だった、と私は思う。

藤村操(みさお)は哲学者か?

明治36年(1903年)、一高の秀才だった藤村操は、16才の若さで「人生不可解なり」という意味の一文「巌頭の感」を傍らのミズナラの木の幹に刻んで、日光華厳の滝から身を投じて死んだ。

「立身出世」を美徳としてもてはやした当時の世相に激震を与え、彼の死後4年間に、共感した185人の若者が同じ華厳の滝で相次いで自殺を試み、そのうち40人が死を遂げた。以来、華厳の滝は自殺の名所となっている。

高い理想を持たず、金持ちになるために働くことを唯一の生き甲斐にしている現代の若者たちには見られない生きることへの真面目さが、彼らにはあった。

「自死」を受け入れたソクラテスは、人間の死後のことについては「一切わからない」と言った。藤村操も「万有の真相」を16才の明晰な頭脳で追究して、それは「不可解」であるという究極の答えに達し、その必然の帰結として「自死」を選んだのだ。

7世紀の時の流れを隔てて、ギリシャ人のソクラテスと日本の藤村操は、同じ問題に対して同じ答えを出し、同じ死を選んだ。

私は、藤村操もソクラテスに並ぶ立派な哲学の徒として認める。

では、私が習った上智の外国人哲学教授たちは哲学者だったか? また、私が50才代にローマのグレゴリアーナ大学で講義を受けた若い教授たちの中に、哲学者はいたか?

答えは、「ノー !」だ。

カトリック界の最高学府グレゴリアーナ大学に、襤褸(ぼろ)をまとったソクラテスが現れて、「学生たちと対話をしたい」と言っても、門前払い間違いなし。16才の藤村少年が、「告げたいことがある。上智大学の教壇に立たせろ!」と申し出たら、下手をすると、精神病院に放り込まれるかもしれないのだ。 

今日、大学院で修士号を取り、博士論文が通らなければ、大学の哲学准教授、教授への道は簡単に開かれない。

普通、大学の哲学科教授は、みな自分の専門分野に特化している。西洋哲学は、古代ギリシャ哲学、中世哲学、近代、現代哲学と、時代別に専門化し、東洋哲学はインド哲学、中国哲学、日本哲学と地域別に専門特化している。それはそうだろう。世界中の全ての時代の全ての場所のすべての哲学者について同じ詳しさと深さで研究し、記憶に整理することは、スパコンならとにかく、人間業では不可能だからだ。

大学の哲学教授たちは、それぞれの専門分野の過去の著名な哲学者たちの教説に詳しい専門家で、その知識を学生たちに切り売りする代償として生活の資を得る職人だ。彼らは哲学史という歴史の先生ではあっても、「哲学者」ではない。教えるのは生活のため。哲学のために命を賭ける人はいない。ソクラテスを殺した金儲けが目的のソフィスト(自称賢人)たちにどこか似ていなくもない。

では、私の魂の師、ヘルマン・ホイヴェルス神父は哲学者だったか?

彼は、1923年(大正23年)に来日したドイツ人イエズス会士。来日1週間目にいきなり関東大震災の洗礼を受けたが、地震が収まると泰然として部屋から出てきて、「日本は地震の国と聞いていたから、慌てず自室の棚の上の大事なシルクハットを護っていた」と言って、肝をつぶして外に飛び出し、わなわな震えていた先輩の外国人宣教師たちをあきれさせた、というエピソードが残っている。

その彼は、背が高く痩せた、詩人、劇作家で、随筆も書いたが、好んで学生たちと対話し、興が乗るとドイツ語の民謡を楽しそうに歌って聞かせる飄々とした風貌の持ち主だった。

彼は、随筆集「時の流れに」の中に「哲学者」という一編を残している(注)その冒頭に、「驚異というのは哲学の出発点」であり、「またその終点でもある」という言葉があった。また、「哲学者は精神を弁明し、自然を守る」とも、「哲学者も(竹のように)まっすぐ成長せねばなりません。中正を外れた思想は許せない」とも書いています。そして、哲学者は「悪意の人たちが形而上学の聖堂の中に押し入ったとき、警報を鳴らす精神の番兵」とも定義しています。哲学者は「知識の深い竪坑から人類のために宝を運び上げる(者)」とも表現しました。

彼、ホイヴェルス師は、この小品の主人公である「哲学者」の口を借りて、「神についてただ二人の人――司祭と詩人――だけが語るべき」と言わせ、「司祭は神の神秘の管理者であり、その神秘を人々に配るもの」と定義し、それに対して、「詩人と言うものは神の鶯です。神のものについて歌って上機嫌になってしまう。」と語らせています。そして、哲学者については「僕らはドン・キホーテのような悲劇的な格好をした騎士ですよ。私たちが神について論ずることは不敬です。」と。

では、哲学者の存在理由はどこにあるか、という問いに対しては、「存在の根拠を探求し予感し、驚くこと」と答え、「私たち哲学者は Vom lieben Gott(なつかしい神についての)話をする権利を有していない。そうするためには、私たちはすべての哲学を忘れて子供のようにならなくてはだめです」と締めくくる。

これらの哲学と哲学者についての一風変わった、しかし極めて意味深長な描写を通してわかることは、司祭であり、詩人であるホイヴェルス師は、加えて彼自身、優れて本物の「哲学者」でもあった、ということではないだろうか。

12年に亙る上智大生活を通していつもホイヴェルス師のそばにいた私に、師は、実に多くの言葉を残された。

そのひとつに、「神を知らずに真面目に哲学する人には、発狂するか、自殺するか、二つに一つしか道はない」という厳しい言葉がありました。

哲学が人を狂気へと導いた一例として、ニーチェは1989年1月3日トリノ市の往来で騒動を引き起こし、二人の警察官に取り押さえられ、その後、バーゼルの精神病院に入院させられた。そして、「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシャではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王カエサルは私の化身ですし、ヴォルテールナポレオンだったこともあります。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」 と書いている。

上のホイヴェルス師の言葉に照らせば、なぜソクラテスが自由に毒盃をあおる死の道を選び、藤村操が華厳の滝から身を投じて死に、ニーチェは狂人になったかも納得できる。

そして、師は「神を知っている人にとっては、哲学するほど楽しい知的遊戯はない」とも付け加えられた。ホイヴェルス師は、早い時期からこの「哲学する楽しみ」に遊んでおられたのだろう。私とホイヴェルス師との交わりは、彼の死まで続いたが、80才の誕生日を迎えて、いま私は師のこれらの言葉がようやく腑に落ちるようになってきた。 

私が、ブログ人生最後のテーマとして、「創造と進化」を選んだのも、このことと無関係でははい。折に触れて、今まで同様、多様なテーマで書くこともあろう。しかし、通奏低音としては、今後この方向から外れることはないと思う。

私はなぜ存在するのか。私は何のために存在するのか。世界は何のためにあるのか。宇宙とは何か。存在とは何か。真理とは何か・・・。これらの根源的な問いに対して、神に逃げず、宗教に頼らず、人間の理性、知性だけに信頼してどこまで回答に迫れるかが「哲学の楽しみだと思う。

私は、それを哲学者ホイヴェルス師から教わった。これが仏教でいう師資相承と言うものではないだろうか。

(注) 私はこの哲学者のモデルはホイヴェルス師と親交のあった日本最初のカトリック哲学者、吉満義彦ではなかったかと考えている。

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