:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ アメリカレポート ニューヨーク ⑤ グラウンド・ゼロ-2

2012-06-27 19:42:33 | ★ アメリカレポートー2(その他)

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アメリカレポート ニューヨーク ⑤

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 グラウンド・ゼロ -2 》

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グラウンド・ゼロに行ったら 黒人の物売りが寄ってきて このアルバムを8ドルで売りつけようとした

私はそれを5ドルに値切って買った

私は 旅客機が建設中の新しいWTCタワーに突っ込む瞬間を自分のカメラに捕らえた

もちろんビルと飛行機は 2-3千メートルは離れた目の錯覚だ

 

  

こちらは5ドルに値切った雑誌に載っている11年前の事件の写真と言われるものだ

左の写真はWTC-第1ビルにジェット機が突っ込む瞬間の写真 WTC-第2ビルは先に飛行機が激突して黒煙を上げている

右の写真を見て 誰も指摘しないが 私は2つのハテな???を感じた

同じボーイング767型機がいずれも離陸して間もなく燃料を満載して突っ込んでいるのに 

先にやられた第2ビルはタダ静かに黒煙を上げる(紅蓮の炎を生むだけの酸素供給がない)だけで

後からやられた第1ビルは大爆発を起し炎を上げ ビルの鉄骨構造を吹き飛ばしてばらまき散らしている

もし 第2ビルも激突の瞬間の写真がないだけで 最初は全く同じように炎を上げたというのなら

後から激しい爆発を起した第1ビルが先に崩壊したのはなぜか?

理想的な酸素との混合比で燃やしても せいぜい摂氏800度にしかならない航空燃料が

(閉じられた空間のビルの中の酸素は燃料を爆発的に燃やすには圧倒的に足りないとは思いませんか?)

日本のゼネコンが使った融点1500℃以上の建築鋼材を溶かすはずがないではないですか

鋼材をばらばらに引きちぎり 空中に噴き出し まき散らすために

写真に移ったジェット機の翼に積まれた量の航空燃料だけで十分足りたのだろうか?

本当に別の強烈な爆発力は要らなかったのだろうか?

 (私の無知と誤りを 科学的に説明して指摘できる人がおられたら 是非お説をうかがいたいものだ)

第1のハテな?

 

第2のハテな? は 第1ビルに飛行機が突っ込んだ高さと 爆発の高さの目立った違いだ

 

110 階建ての WTC ビルには ビルをほぼ3等分する位置に二つの機械層がある

夜景でみるとはっきりわかるが ビルの窓の明かりがつかない黒いストライプがそれで それぞれ約3階分の幅がある

第1ビルに突っ込んだ飛行機は 少なくとも見かけ上は ストライプからせいぜい5-6階上に突っ込んだように見える

ところが 爆発の炎が噴き出しているのは うえのストライプと屋上のほぼ中間 つまり

突っ込んだ高さよりさらに10階以上も上の方であるように見えないだろうか? ただの私の目の錯覚ならいいのだが・・・

ハテな? 何故~?

 

 私には福島の3.11に関する政府の発表であろうがTEPCO(東電)発表であろうが、およそ権力者、強者の公式見解なるものを頭から疑ってかかる悪い癖がある。

なんだ? あれは? おい! 嘘だろう? よせ!

やめろ、やっめろー!!


あぁ~あ、やっちゃった~!

 大衆にとっては、このようして始まった9.11だった。

 私が、10年前に、「あれは嘘だ。アルカイダの犯行なんかではない。巨悪の仕組んだ陰謀だ。」と言ったら、「君がそんなとんでもないことを大声で言うのなら、もう君との友情はおしまいだ」、と言った友達がいた。世界中が信じて、真剣に喪に服しているときに、不謹慎な。それに、万一君の言うことが本当なら、そんなことを公言するのはあまりにも危険だ。君の命が危ないぞ、と言う友情にあふれた真面目な警告でもあった。 

 でも、私は思う。

 満州事変のきっかけになった柳条湖(溝)事件は、東北軍の張学良らによる犯行などではなく、日本の関東軍のでっち上げだったということは、今では誰も反対できない歴史上の真実として受け止められている。つまり、「侵略を正当化する」ための口実をつくるための関東軍の「やらせ」だったということだ。
 アメリカ合衆国は、ヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱し、他国の戦争に介入しないというモンロー主義の国是としていた。そのアメリカが国是を180度転換して世界戦争に打って出ることに対する国民の同意を取り付けるためには、議会の討議などまどろっこしい手続きではどうにもならなかった。民意を麻痺させ、熱狂的興奮の中で、「やられた以上は徹底的にやり返さなければ」、という愛国心の昂揚を引き出すためには、日本の真珠湾奇襲攻撃の成功が是非とも必要だった。
 レーダー性能と暗号解読力で日本を大幅に上回っていたアメリカは、真珠湾攻撃を洋上で迎え撃ち、それを粉砕するだけの十分な時間の余裕と戦闘能力を持っていたにもかかわらず、温存すべき航空母艦だけを密かに避難させたほかは、タヌキ眠りを決め込んで、「神風」に派手にやらせるに任せた。奇襲攻撃を無事成功に導いたのは、アメリカの計算づくの演出だった。
 海外での戦争に介入することを合理化するためには、それぐらいの大芝居を演出する必要があった。そのためには、何も知らされていなかった真珠湾の下級将兵の命などは、一つの作戦における想定内の消耗にすぎなかった。
 ベトナム戦争のとき、トンキン湾事件で、アメリカの艦船が北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受けた、と言う情報戦も、アメリカのでっち上げだった。それは空の無敵の要塞B52戦略爆撃機の編隊を使った派手な北爆に踏み切るための議会や国民の支持を取り付けるために必要な口実をつくるための簡単な猿芝居だった。関東軍の柳条湖事件と全く同じパターンだ。
 余りにも圧倒的な巨悪を前にした時、大衆の感覚はいとも簡単に麻痺するものであることを権力者は知り抜いている。
 ケネディー大統領暗殺の時、教科書ビルの窓から、パレードのオープンカーを後ろから狙ったライフルの銃弾が一旦車を追い越して飛んで行って、先の方でUターンして戻ってきて大統領の顔面に命中し、後頭部に抜けた弾の勢いで車の後ろのボンネットに飛び散った脳みそや頭蓋骨の破片をジャックリーヌ夫人が身を乗り出してかき集めようとする哀れな姿をあなたもテレビで見ただろう。ハリーポッターの魔法じゃあるまいし、ライフルの弾が誘導ミサイルのようにくねくねとコースを変えながら、やがてUターンして、ピッタリ標的に命中するなんてことがあってたまるものか。不可解なことはまだある、21人目撃者・関係者がいるが、 4年以内に全員亡くなっている。 死因は変死・交通事故などとされているが、 21人もの目撃者・関係者全員が自然的に4年以内に亡くなることは 統計的に不自然な数値を表している…(ウイキ) オズワルドとは別の狙撃プロが前から狙って撃ったに決まっているではないか。これも、影の巨悪が大統領の交代劇を演出するためにやった臭い猿芝居だった。
 同様に 9.11 も、地政学的に、また資源面で重要なイラク、アフガニスタンに大規模な軍事介入をして、大勢の将兵の命と軍事費を消耗することを国民に受け入れさせ、反対の声を封じて圧倒的に支持させるための熱病を蔓延させるために必要な陰謀だったに違いないと私は考えている。
 無事にサダムフセインを倒し、ビン・ラーディンも手こずりはしたが、どうにか無事に葬った。後は多少の時間が必要ではあろうが、それぞれにアメリカの国益に沿って処理されていくだろう。
 しかも、9.11にはもう一つの面がある。マンハッタンのダウンタウンの再開発で一儲けしようという私的な野望の計画だ。

(つづく)

 

 

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★ アメリカレポート ボストン-⑦ ペドフィリア(結論)

2012-06-07 00:57:28 | ★ アメリカレポートー2(その他)

 

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アメリカレポート ボストン-⑦ 

ペドフィリア(結論) 

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 前回の「お稚児さん」、「愛童症」の話を終わりにしてから、ボストンでのシンフォニーの開演に入ろうと思います。写真が売りの(それも自分で撮った写真だけで行くのが取り柄の)私のブログですが、今回は例外として「文字だらけ」をご辛抱いただきたい。(最後に借り物の写真一枚だけ添えました。)

 仏教の資料を見ているうちに分ったことは、日本の近過去までは、仏教界を中心に、公家の世界でも、武家の世界でも、稚児の名のもとに幼児、少年、美少年を対象とした男色は日本文化の一部、社会生活の一部として受容され、半ば公然と行われてきたということだ。そして、弘法大師や親鸞聖人らの徳と権威を引き合いに出して、恥ずべき悪徳を、尊い仏の功徳の世界にすり替えて開き直ることさえあったということだろうか。(日本社会は、それを「悪」と断ずる確たるモラルの基準を欠いた世界でもあったのかもしれない。)

 いずれにせよ、明治ごろからか、仏教では僧侶が妻帯するのが普通になったので、稚児の存在意義が薄まった。今も残っている永平寺型の修行道場はどうか知らないが、それももはや大きな社会問題になるほどの存在ではないのだろう。そして、美化されて形骸だけになったお稚児さんが、お祭りの世界に生き延びている。

 ところで、インターネットの日本語のサイトには、キリスト教の世界の男色、愛童症に関する一般的な記事は特に見当たらなかった。英語や、ドイツ語や、イタリア語など、私にも何とか読める言語に範囲を広げれば、おそらくかなりの数がヒットするのだろうが、それまでする熱意も時間もない。(余談だが、「男色」で検索すると、中国語のサイトが圧倒的で、トップに何10件とヒットする。男色に関しては、中国には伝統的に広く深い世界があるのだろうか。)

 カトリックについては、私なりに、多分こうでありそう、と思われるところを要約してみよう。

 旧約聖書のモーゼの十戒と新約聖書のキリストの福音というモラルの確たる座標軸を持つキリスト教では、仏教の場合のように稚児を菩薩や観音の化身のように神格化したり、超越的なものと見做すような「すり替え」の余地は全くなかったものと思われる。

 ヨーロッパ中世の大修道院は、一方では封建領地に小作人や領民男女を多く抱えた荘園を展開しながら、それ自体は女人禁制の、囲いの中の大規模男性集団であったから、男色や稚児寵愛は当然避けられない副産物としてあっただろう。女性が修道士の欲望の対象として密かに引き入れられ、または進んで忍び入ったり、修道僧が人目を忍んで娼館に通ったりも当然あっただろう。

 宗教改革以降は、プロテスタントになったキリスト教の半分は、修道院を廃止したし、牧師は妻帯者になったから、表向き愛童症問題は解消したはずだ。

 問題は、ローマカトリック教会の場合だ。

 16世紀半ばのトリエントの公会議(反宗教改革の引き締め)で、カトリックの聖職者の独身主義は堅持されむしろ強化され、修道僧は清貧、従順、貞潔の3誓願で縛られ、仏教で言う「女犯」は当然罪とされた。しかし、確立された公然の社会風俗として顕在化することはなかったとしても、「男色」や「愛童症」は後を絶たずにあったと考えるのが自然だろう。

 犠牲者としては、修道院ならノビス(修道誓願を立てる前の若い修練僧)や、ミサの祭壇で奉仕するアコリトゥス(少年の侍者)、そしてコーラスの歌隊少年らが狙われやすかったに違いない。世俗の司祭の養成過程における神学生、特につい最近まであった小神学校(小学生、中学生の年齢で入れる)の生徒たちも、危うい立場にあったかもしれない。日本でも長崎のキリシタンの末裔の貧しい子沢山の信者の家庭からは、口減らしもあって大勢の少年が「小神学校」に送られた。いずれの国も最近まで事情は似たり寄ったりではなかったろうか。

 教会のジクジクした陰湿な翳の部分でありながら、それが長年にわたり大きな社会問題として顕在化することなく来たのに、近年急に “Pedophilia” 「性的虐待」 として大きく取り上げられ、カトリック教会の世界的スキャンダルとして糾弾されることになったのは何故だろうか。

 それは、第二次世界大戦の終結後、世界の世俗化と共にグローバル化が急速に進み、伝統的な宗教、特にキリスト教離れ、社会の非キリスト教化が広まったことと無関係ではないと私は思う。

 ここで突然「悪魔」の名を持ち出すと、私のブログの読者の良識層は退いてしまわれるかも知れないが、私は悪魔の存在を信じる。
悪魔は神の被造物の中で最高の霊的な存在、即ち、天使が堕落した姿だ。悪魔は自分より下位の人類が、神の愛によって救われていくのを嫉妬し、あらゆる狡知をめぐらしてそれを妨害し、人類を神から引き離そうと、昼夜休みなく働き続けている。

 人間社会ではお金の神様「マンモン」として現存し、人々の魂を自分の奴隷にする。現代社会の世俗化、グローバル化も、突き詰めれば彼の働きの成果であり、彼は余勢いを駆って一気に勝負に出ようとしているのだ。

 「悪魔」は受けを狙ったマスコミや、金儲け目当ての弁護士、カトリック教会を敵視するマフィアやフリーメーソンなどを総動員して、ボストンのカトリック聖職者による「性的虐待」事件をクローズアップして、ボストンのカトリック教会を経済的破綻、組織的壊滅に追い込み、世界のカトリック教会に打撃を与えようとしたのだと私は睨んだ。

 しかし、そもそもアメリカのカトリック教会が腐敗堕落し、無視できないほどの数の聖職者が悪徳に染まり、問題が目に余るものとなっていた事実も否定できまい。

 豊かになり、モラルが低下し、宣教の熱意を失い、停滞し、魅力を失って庶民や特に若い層が去って行った教会に、起こるべくして起こった現象ではある。

 問題の根は、マスコミと信者たちの攻撃にさらされたロー枢機卿をはじめとし、ローマ教皇までも巻き込んだ、教会の高位聖職者たちの誤った対応、彼らの「罪」にあると私は考える。

 個々の司祭の問題が顕在化すると、配置転換し、次の任地で同じことが起これば、また転勤を命じるだけで、なんら効果的な手を打たず、隠蔽し、いたずらに犠牲者を増やすだけの対応が、「行為そのものは容認されている」という空気を生み、それが悪習蔓延の温床となったのだろう。それが「菩薩」や「観音様」と言って良心と社会の目を誤魔化し犠牲者の苦しみを顧みない仏教の「方便」にも匹敵する罪深い対応であったとして、社会から糾弾されるのは当然のことではないだろうか。

 修道院のような男だけの集団にとどまらず、およそ男性に結婚を断念させ女性との交接を禁止する司祭・聖職者の独身制=「女犯は罪」を堅持する限り、教会の司祭館に一人で住み、金と時間とプライバシーを十分に享受する独身神父の中に、愛童症の誘惑に負ける者が出てくるとしても、それは避けがたい自然の成り行きだろう。

 ペルペトゥアと言う言葉があるが、それは終身奉仕の家政婦・賄さんのことを指す。それを神父が司祭館に住み込ませるのを信者たちが黙認してきた伝統は、イタリアでは今でも生きている可能性がある。私は日本でもその例を知っている。それをなんとも思わないその教会の信徒たちの頭は麻痺しているのだろうか。しかし、それだって、愛童症に比べればははるかに健康で罪が軽い。

 モラルが高く、召命も多く、教会が活力に満ちている間は、そのような傾向の司祭志願者がいても、一人前になる前の神学校の共同生活にあるうちに気づかれ淘汰されるメカニズムが働くのだが、召命が激減し、聖職者が不足し始めると、辞められたら困る、辞めさせるなんてとんでもないと、神学校の段階で目をつぶられ、本来適さない性向の者までが聖職者に成れてしまうところに、そもそも問題があった。

 「一時はどうなることかと思ったが、今は希望が湧いてきた」という、ボストン空港に着いた時にまず聞いた感想は、そういう背景をよく物語っている。

 ロー枢機卿が退任した後を受けてボストンの大司教になったセアン・オマリー枢機卿は、教区の浄化を司直とマスコミの裁きに委ね、新求道期間の道とレデンプトーリスマーテル神学院を誘致し、それを梃に教区の再生と新しい福音宣教に乗り出した。私がローマで神学校生活を数年間共にしたトニー・メデイロス神父は、オマリー大司教の厚い信任を得て、レデンプトーリスマーテル神学院の院長に就任した。

 今思い返せば、前教皇福者ヨハネパウロ2世の呼びかけで1993年にコロラド州デンバーで開かれた世界青年大会(World Youth Day)は画期的だった。

 カトリックの若者の集いをアメリカで?プロテスタントが主流のアメリカで教皇の企てはきっと失敗するだろう、という大方の予想を覆して、世界中から50万人のカトリックの若者を人里離れたチェリークリーク州立公園の台地に集めた大会は、「新しい福音宣教」と言う言葉を生み出した奇跡の集会になった。私も、日本から新求道共同体の青年たちを同伴して参加し、その群衆の中にいた。

 8月15日聖母マリアの祝日に行われた教皇の野外ミサの翌日、雪のロッキーの山並みに抱かれたデンバーのアメリカンフットボールのスタジアムを数万の若者たちで満たしたキコの召命の集会で、数百人の青年が宣教師・神父の道を目指して立ち上がるのを目のあたりにした来賓のデンバーの大司教は、その後でキコを捕まえて言ったという話を今でも思い出す。

 文字通りではもちろんないが、「私は私の教区の神学校を閉鎖する。手の付けようもないホモの巣窟になってしまったからだ。そして、それを、キコ、あなたの手に委ねる。どうか、この心身の健康な若者たちでそれを満たして再建してほしい」と言う意味のことを言ったと記憶する。

 同じことがその10年後にボストンでも必要になっていたのだ。無差別に志願者を受け入れ、いたずらに放置すれば、神学校はたちまちホモの温床になり、そこを卒業した神父たちの或る者は「性的虐待者」の傾向をはらんだ問題の神父に成長していく恐れがある。しかし、入り口段階で厳選し、ふさわしい健全な青年たちだけを受け入れ、その後も疑問のある不審な要素を養成課程でいち早く識別して排除していけば、そこを巣立っていく司祭たちにおけるホモの傾向を持った逸脱者の割合を、世間の男性の平均値の何十分の一にまで減らすことは現実に可能なのだ。

 デンバーやボストンをはじめとして、今や世界の86か所に展開するまでに至ったレデンプトーリスマーテル神学院の姉妹校は、明日の教会の希望を担って今日も歩みを続けている。高松に開かれた7番目にレデンプトーリスマーテル神学院は、今もローマで健在で、いつの日にかその真価が正しく評価されて、日本に再上陸できる日を心待ちにしている。

 最後に一言付け加えると、私のいるローマの神学院には、ローマ教区のために60人、日本のために20人弱、将来の中国の宣教に備えて20人余り、の神学生たちがいるが、常に2人一組で起居を共にし、週に2回以上、市内の教会の共同体で若い男女の信者たちと交わって揉まれ、男性だけの孤立閉塞した不自然な生活に陥らないように配慮されている。ホモの危険からは守られ、正常かつ健全な異性への関心と欲情は、祈りと使命感、召命感で制御される。それでも、多くの神学生は本能の欲求抑えがたく、払いのけようとしても、戦っても、不本意にも容赦なく襲いくる悩ましい想像や自慰行為にまみれて七転八倒の日々を送ることになる。

 私は、若い神学生たちの告白(懺悔)を日々聞く立場にあるが、廊下ですれ違う時は溌剌とした姿の彼らの惨めな内面を目の当たりにして、痛ましい思いに圧倒されることも少なくない。性欲との戦いで躓き、心ならずも倒れる者もいる。それを励まし慰め勇気づけながら、告白に来て私の前に跪いてうなだれる若い神学生の手を取って、何度引き揚げ、立ち上がらせたことだろう。神様は、なんという過酷な日々をあなたに忠実であろうとする若い司祭、宣教者たちに課されるのですか、と叫び祈る毎日だ。

 さて、この件はそろそろこの辺で終りにしたい。書いていて決して心が躍るテーマではなかった。

 最後に、ウイキからお借りした写真を一枚だけ添付する。日本の浮世絵風版画の世界はもっとどぎつくいやらしいから、載せたら「ウサギの日記」が穢れると思ってやめた。

 私は、この年(72歳)になるまで、話に聞いても、「まさか、嘘だろう、あり得ない」と頭の中で打ち消してきた世界だったが、今回のボストンの「愛童症」を調べるうち、この絵の世界は嘘ではない、現実だと思い知らされて愕然とした。

 他の在来型の神学校はいざ知らず、私が養成を受けたレデンプトーリスマーテル神学院を出た神父たちに限って言えば、性欲を抑えきれず神父をやめて女性と結婚する者は稀に出ることはあっても(それは別に罪でも恥ずべきことでもない)、この写真の世界とだけは全く無縁のままいつまでも続いてほしいと祈るばかりだ。

このあと、10行余り間をおいて問題の写真を添えましたが、女性は多分見ない方がいいかもしれません。怖いもの見たさの好奇心の強い方は、自己責任で、どうぞ。ではカウントダウンしますよ。 いいですか~?


     ★ いーち!

     ★ にーい!

     ★ さーん! (やっぱり嫌だ、見られたくない。女性はここで引き返しましょう!)

     ★ しーい!

     ★ ごーお!

     ★ ろーく! (本当に先へ進むのですか?)

     ★ しーち!

     ★ はーち!

     ★ くーう! (もう一度お考え直し下さい!)

       ---!

     ★ じゅうーう! (もう、私は知りませんからね!!)


ジャーン!!


ハドリアヌス帝とアンティノウス

 ローマ帝国五賢帝の一人に数えられるハドリアヌス帝と、その最愛の寵児アンティノウスの男色関係は、当時から半ば公然のものだった。この絵はハドリアヌスがエジプト視察旅行にアンティノウスを伴ったときの光景を描いたもの。エドゥアール=アンリ・アヴリル画「エジプトのハドリアヌスとアンティノウス」、画集『西洋古典好色文学入門』の第七図。(ウイキペディア「男色」より)

日本のお稚児さんや、美少年の喝食(かつじき=禅寺のお稚児さん)も、ボストンの Pedophilia も、行き着くところ、その内実はこの絵と変わるところがない。なんともおぞましい話ではないか。目を背けたくなるでしょう?



       やれやれ(汗)! やっと抜けられた。

       これからはシンフォニーツアー一筋です

       乞うご期待 !

       (終わり)


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★ アメリカレポート ボストン-④ ペドフィリア(本論)

2012-05-31 20:47:09 | ★ アメリカレポートー2(その他)

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アメリカレポート ボストン-④ 

ペドフィリア (本論)

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 ローマからロンドン経由でボストンに着くと、宿舎として案内されたのは郊外のマリオットホテルだった。歓迎してくれたのは、ローマで神学校生活を共にしたトニー・メデイロス神父 (彼は今ボストンの神学院の院長をしている) や、ボストンの共同体のメンバーたちだ。

 彼らといろいろ話していると、「今は、ことはうまく運び始めている・・・」、「今のボストンの枢機卿はいい・・・」などと、事あるごとに「今は、・・・」がつく。そしてその裏に、「かつては大変だった」「以前はもうどうなることかと思った・・・」などの思いがにじんでいる。

 耳にする英語の単語は確かに「ペドフィリア」(pedophilia) なのだが、日本語のマスコミで刷り込まれている私の耳は、それを自動的に翻訳して「性的虐待」と聞いてしまう。

 終戦の次の年に小学校に上がったわたしのような古い世代は、「性的虐待」と言う言葉の連想ゲームでは、第一に戦場の兵士の婦女強姦が思い浮かぶ。天皇の軍隊は大陸でもインドシナでも、南方の島々でもさんざんそれをやってきた。

 終戦直後は、「鬼畜米英」の占領軍が上陸してくるぞ、何をされるか分からないから婦女子は山の中に隠したほうがいい・・・、と言うようなことが大真面目に語られたものだった。

 続いて思い浮かぶのが不良や変質者による婦女暴行だろうか。以上はいずれも男性から女性に向けられた、倒錯した、暴力的な、犯罪行為と言う一般常識が基盤にある。

 一定程度の合意が背景にあると思われる同性間のものは、ホモは醜悪で吐き気がするが、レスビアンはまあそんなのもありか、くらいに思ってきた。

 実際は、戦後日本に上陸したヤンキーやオーストラリアの兵隊は、全体としては紳士的で好感が持てた。終戦当時、私の父は広島県警察本部長で、占領軍受け入れの日本側窓口だったが、私などはオーストラリアの将校のジープに乗せてもらって、大いに可愛がられた方だった。

 基地周辺で女子高校生などがレイプされる不幸な事件が後を絶たなかったとは言え、ベルリンになだれ込んだロシア兵の行状とは天と地ほどの隔たりがあった。あの時ベルリンの街では、幼女から老女まで、ありとあらゆる世代の女性が、地獄の戦場で血を見て頭がおかしくなった野獣のようなロシア兵たちの餌食となった。90%以上の女性が何らかの心の傷を免れなかったのではないか。

 ボストンでは、前のバーナード・ロー枢機卿に嫌疑がかけられた。普段は保守的で大人しいとされるカトリックの信者たちが退位を求めるデモを行い、彼は2002年12月13日についに退位に追い込まれた。よく背景を知らない私は、えっ、枢機卿までが若い頃にこっそり性的虐待に手を染めたのがばれてしまったの?可哀そうに。などと、あらぬ同情をした。

 ドイツでは現教皇ベネディクト16世が枢機卿時代に何かあった、だって?まさか!彼はとんでもないお爺さんだよ?!(これらは後で、すべて的外れな話だったと分かるのだが、断片的で誇張された伝言ゲームの第一印象と言うものは、およそそんなレベルだ。)

 ニューヨークタイムズ紙(電子版)は2002年までの過去60年間にアメリカ全体では1200人を超えるカトリックの聖職者が、4000人以上の子供に性的虐待を加えたと報じ、さらに米CNNテレビでは、同じく過去52年間で神父4450人に疑いがかけられ、その件数は11000件で、立証されたものだけで6700件に及んだとも報じた。

 ボストンに話を戻すと、5人のカトリックの神父が裁判所に訴えられ、全員有罪で投獄された。私の聞いた話では、一人は監獄で自殺したというものであった。

 「汝、殺すなかれ!」はハリウッド映画にもなった「十戒」-神がモーゼに授けた十の戒律-の一つで、ユダヤ人にとってもキリスト教徒にとっても殺人は大罪、まして自殺は最悪の殺人行為とみなされ、その魂は必ず地獄に落ちると昔の教会は信徒に教えた。そして、自殺者の教会墓地への埋葬を拒否するなどが横行したものであった。

 私の「健全な?」信仰のバランス感覚は、この神父の自殺に関する噂話に対してピクン!と反応した。

 その話ははたして本当だろうか?こいつは慎重に調べて事実を確認しないと、にわかには信じ難いぞ、と自分に言い聞かせるものがあった。実を言うと、わたしにこのテーマでブログを書く気にさせたのは、まさにこの一点に対する疑問だった。 

 ボストン大司教区は、この一連の裁判で、訴訟費用と被害者への慰謝料支払いで、保険がカバーしない部分だけでも1億2000万ドル(約100億円)を捻出する必要が生じた。教区会計はもちろん破産、ロー枢機卿が退位するまでに65の教会を閉鎖し、大司教館の土地建物までも売却せざるを得なかった。そんな中で、50人以上の教区司祭たちが、同枢機卿の退位を求める文書に署名した。

 2010年3月28日、ロンドンでは同問題に対するローマ・カトリック教会の責任を問い、教皇ベネディクト16世の退位を要求する抗議デモにまで発展した。教皇の出身国ドイツの世論調査機関によれば、国内2500万人のカトリック信者のうち、19%が「教会を離れることを検討中」と回答したという情報もある。

 アメリカ、ドイツだけではない、アイルランド、メキシコ、オーストラリア、ギリシャ、などなど、カトリック教会のあるところ、どこもこの問題と多かれ少なかれ全く無関係と言うところはないはずだ。日本だって、私が知らないだけで、例外ではないのかもしれない。

 カトリック教会の性的虐待事件 (Catholic sex abuse cases) は、21世紀に入ってカトリック教会を根底から揺るがした。

 

 これが、スタートの話だ。それは、いろいろなレベルの異なる問題が混雑した、公式、非公式な情報の塊である。それにしても、いかにも如何わしい、嫌悪感を掻き立てる話ではないか。

 しかし、私は言いたい。どうか表面的なこれだけのことで判断しないでほしい、と。

 私はカトリック教会を心から愛する良識の一人だと自負している。問題を冷静に解析し、浮かび上がった真実を客観的に評価する必要があると思う。

 あと1回、ひょっとすると2-3回を費やして、この問題の実物大の大きさと、深さを私なりに解説したい。このブログの読者には、その上で、そもそもこの問題は何だったのかの理解を戴ければ幸いだと思う。

 

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ボストン公演のプログラムの表紙

 その間にも、ボストンのコンサートツアーは先に進んで行く。オーケストラは5月6日午後2時、アメリカでの第一回目のステージ本番に向けて朝9時半にホテルを出た。一同はボストン交響楽団のホームグラウンド、ボストンシンフォニーホールでの昼食返上のリハーサルに打ち込むことになる。

 次回からは、上記の性的虐待問題の解析と、コンサートツアーのレポートとをバランスよく並行して展開したいと思う。


( つづく )

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