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神様の素敵なクリスマスプレゼント
やっと秘書を見つけました
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我が家の昼食風景。私は自分の席で立ってこの写真を撮っている。和やかな普段どおりの景色だが、今日の私は特別ごきげんだ。なぜって、神様から素敵なプレゼントをもらったからだ。シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の準備が佳境に入り、チラシの印刷や、招待券の手配や、指定席券の金券管理など、私一人の事務処理能力をはるかに超えて、実はパニック状態だったからだ。「神様、何とかしてくださいよ!私はもう死にそう!!と祈ることしきりだった。そして、私の祈りはこの形で聞き届けられた。
今日初対面の私の秘書はこの人です
宣教家族の11人の子供たちの6番目、ちょうど真ん中の21歳、スペイン人のアンナさん。7歳のときに日本にきたが、とてもきれいな日本語を話す。讃岐弁のような強烈なアクセントはない。もともと新潟は標準語に近い地方なのだろうか。コンサート事務局に電話を掛けた人は、100人が100人とも、話している相手は日本人のお嬢さんであると信じて疑わないはずだ。
食堂の壁にはキコの絵がかかっている。「罪のない人々の苦しみ」に続く第二作目のシンフォニーを作曲中と噂されるキコは、もともとは絵描きが本職だった。
アンナの出現は百人力だ。私はリーマン時代に専属の秘書を高給で抱えていた。ヘッドハントされて英国の老舗銀行のサムエルモンタギューに移籍したときも、自分の秘書を連れていくことが転職の条件だった。それほど息の合った秘書との連携は重要だった。あれから30年近くの時が流れた。また秘書が必要な境遇に身を置くことになるとは夢にも思わなかった。
時あたかもクリスマス前夜。玄関先にキリストの降誕の馬小屋の飾りつけが始った。そして、この小さな共同体にアンナが加わった喜びも手伝って、真昼間からギターとクリスマスソングのメドレーで盛り上がった。
スペイン語で次々とクリスマスソングを繰り出すマヌは、ベトナム政府から国外追放を喰らった後は、ミャンマーやタイで宣教をしているが、元はと言えば、高松の神学校を出た若い神父で、キコのオーケストラのファゴット奏者でもある。サントリーホールや福島の県文化センターを準備のための下見に来て準備に参加してくれた。
韓国人のマリアステラは、これから日本の宣教の為に働く戦力だが、韓国語のクリスマスソングを歌って花を添えた。
アンナは歌わず静かに聞いているが、目を見れば性格の良さと几帳面さがすぐわかる。私は秘書の基本的資質は十分と踏んだ。リーマン時代の経験から言えば、ボスの成績はその秘書に負うところが大だった。だから秘書の給料はボスが決めるのは当たり前だった。私は当時自分の秘書に信じられないような高い給料を払っていた。今、貧乏な私は、神様に「どうかこの世で100倍、天国で永遠の喜びで彼女に報いてください」とあなた任せの無責任体制でタダ働きを強いていくことになる。
日本語を勉強中のルワンダ出身のトマは、スワヒリ語のクリスマスの歌をうたった。彼はもう40才の大台に乗った。元映画・舞台俳優で、横浜にロケに来たこともあったという異色の存在だ。
みんなで玄関の外に道行く人の為にクリスマスの馬小屋を作った。
夜は電飾で飾り、近くの町工場の人々にも主のご降誕の喜びを伝えようというわけだ。
メリークリスマス!
天地万物の創造主なる唯一の神は
お金の神様と死の恐怖の奴隷になっている哀れな人類に、人を愛することを教え、
自分の死によって人類を死の宿命から解き放ち、
喜びに満ちた復活と永遠の命を与えるために、
天上に住む神の栄光を脱ぎ捨てて、
ただの人の子の姿でこの世の歴史に入り
十字架の苦しみに満ちた死を通して、死の呪いから人類を解放し
復活の栄光に輝くために、
嬰児の姿で乙女マリアから生まれました。
ジングルベルの響きに浮かれてクリスマスを祝う人は、実はこの歴史的出来事を祝っているのです!