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菩 提 樹
西のふるさと、東のふるさと
(その-2)私はなぜマカオに行ったのか
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私は、2月4日にマカオに着いていた。中国圏は春節(旧正月)の直前だったが、すでに人々の移動は始まっていた。
16世紀のアジアの宣教の拠点 教会の繁栄を偲ばせる遺跡
ファサード左側アーチの上にはイエズス会の紋章が
教会の壁には聖フランシスコ・ザビエルの足跡をたどるパネルが
しかし、民間信仰はやはり道教か?
康大真君 福徳正神
万民是保 道法自然
春節とあって公園にも張りぼてが
しかし、現代最強の神はなんといってもカジノのお金の神様
本物の三分の一のエッフェル塔がカジノの玄関に
昼間そのテッペンに登って見まわすと
カジノと黄金のホテル
どこを向いてもカジノとホテルが林立している 日本もこんな景色を後追いするのか 向学のためにディーリングルームにも入ってみたが、写真は厳禁だった
大谷の通訳ではないから賭けるお金は持ち合わせなかった
広い河ほどの海面の目と鼻の先には大陸中国の巨大な建物が 中国上陸を志したフランシスコ・ザビエルの終焉の地ー上川島ーには行かなかったが、やはり中国本土とは至近距離にあったと思われる
ほうきの柄の先にゴミ袋を下げ、カジノの前の道路を清掃するおばあさん
さて、私はなぜ今頃マカオに行ったのか? この問いに答えを出さないと、この一連のグログは終わらない。
それは、私の司祭の召命の歴史に関係がある。もっと具体的に言えば、高校三年生のとき受験を目前に参加した黙想会の話にさかのぼる。大学受験に向けて精神面を強化するための合宿ぐらいの軽い乗りで参加した「黙想会」は、実は、真面目で純真なカトリック信者の生徒をターゲットにした「イエズス会への入会志願者獲得のために仕組まれたリクルート洗脳合宿」だった。イエズス会に入って生涯を神様に捧げることこそ、洗礼を受けた日本男児の最高の生き方だ、という想念を注入する集団催眠が目的だったと言ってもいいかもしれない。
真面目な私は、コロッと洗脳されて、イエズス会入会への固い決意とともに家路についた。父親の期待を一身に背負い、自宅から通学できる関西の国立大学の理系の受験勉強の仕上げに入っていたはずの私が、帰宅するなり、開口一番「ぼくは東京の上智大学を受験してイエズス会に入ります。関西の大学の理系には進みません」と宣言したのだから、父親は仰天して腰を抜かした。息子に裏切られたと思ったに違いない。
東大法科在学中に高等文官試験にパスし、飛ぶ鳥を落とす勢いの内務省に天皇から直接任命を受ける「勅任官」として入省。中でも、特にエリートが進む警察畑で幸先のいいスタートを切り、当時すでに大蔵次官であった兄貴の贔屓もあって、父は入省同期の間では頭一つ先んじてとんとん拍子に出世したことが仇になった。第二次世界大戦に敗北し、占領軍のマッカーサー元帥の指令で公職追放の憂き目に会い、若い愛妻には肺結核で先立たれ、踏んだり蹴ったりのダブルパンチを喰らい、戦後の大混乱の中、3人の幼い子供を抱えて無職・極貧のどん底の絶望を体験した父は、世間を学歴と肩書だけ渡ろうとする奢った生き方を、敗戦という社会の激動の前にあっけなく狂わされた苦い経験から、長男には社会の激変にも耐えて生き延びられる技量を身につけさせようと、理工系への進学を私に期待したが、父のその願いは見事に打ち砕かれた。・・・と、こんな調子で詳しく書き連ねるなら、とんでもない長い話になって、「なぜ今マカオへ?」の答えにたどり着くのに、何回ブログを書けばいいのが分からないことに気がついた。一回で終わらせるためには、話を極端に端折らなければならない。
さて、翻意を促す父の声を無視して、上智大学でラテン語と一般教養を済ますと、広島の修練院へ進んだ。天国のような幸福な生活だったが、半年もすると疑いが生じた。洗脳の麻酔がそろそろ切れてきたか?このまままっしぐらに進んだら、世間知らずの独善的エリート神父になってしまうに違いないと思った。また、カトリックの神父は生涯独身のはずだが、尊敬する先輩が突然神父を辞めて結婚したという風の便りにも、自分の未来を見た気がした。修練院を飛び出して、東京に舞い戻ると、一般学生として中世哲学科を博士課程修了まで進み、研究室の助手をしながら論文を書こうとしていた矢先に、上智大学にも左翼学生運動の騒ぎが襲った。若い学生諸君の主張に共感を表明したら、大学当局から危険分子として睨まれ、助手を首になった。すると、戦前から日本にいたドイツ人神父たちが、失業した私をドイツの銀行に裏口から押し込んだ。国際金融業は刺激的で面白かった。ドイツのコメルツバンクに始まり、アメリカのリーマンブラザーズ、さらにイギリスの某マーチャントバンクを渡り歩いた。
「人は、理由なしには嘘をつかない」という智恵に満ちたラテン語のことわざがあるが、仕事やプライベートで私はつまらない見栄や取り繕いのために度々嘘をついたし、少しは善いことをしたかもしれないが、悪いこともけっこう沢山しながら面白おかしくビジネスに没頭した。教会からは足が遠のいていた。ほんの2-3年の腰掛けのつもりが、アッと気が付いたらー浦島太郎ではないがー白髪が目立ちはじめた40代半ばに達していた。シマッタ!!本物の神父になりたくて、しばしの体験修業のつもりが、うつつを抜かし過ぎた。
もう手遅れか?と、焦って教会の門を片端からたたいてみたが、いずれも固く閉ざされていた。後ろから悪魔が、「バーカ!今さら何の悪あがきか。お金の神様のもとに戻っておいで。お前に高給を払ういい銀行を紹介してやろう!」と誘ってくるが、その手に乗ったら私の魂は地獄行きだと思った。前に進めず後戻りもできなくて、左右を見たら、そこにバブルで活気にあふれた山谷や釜ヶ崎の日雇い労働者の世界があった。
山谷での懺悔と浄化の時を経て、やっと巡り合ったのが高松の深堀司教様だった。しかし、事は思い通りにいかないものだ。今度は、東京の大神学校が私の受け入れを断ってきた。東京がだめなら、ローマしかなかった。ローマには聖教皇ヨハネパウロ2世の治世下にキコというスペイン人のカリスマ的存在=新求道共同体の創始者=の精神に基づいて新設されたばかりの「レデンプトーリス・マーテル神学校」があった。そこに住み、教皇庁立のグレゴリアーナ大学で神学を学び、世界の教会堂の母と言われるラテラノ大聖堂で助祭に叙階され、そのあと、高松の司教座聖堂で晴れて司祭に叙階された。すでに54歳になっていた。私はこの司教様とその後継司教に生涯の従順を誓った。
司祭叙階後、神学教授資格を取るために再びローマにもどった。ちょうどそのとき、日本の全司教が5年に一度のアドリミナ(恒例の教皇表敬訪問)のためにローマで揃い踏みをした。その時、深堀司教様は新求道共同体の関係者から、私が学んだ「レデンプトーリス・マーテル神学校」の姉妹校の誘致を勧められた。司教様は気迷って、私に、「谷口君。こんな話があるがどう思うかね」と意見を求められた。「それはお受けするべきでしょう」と私は即答した。司教様は「なぜそう思うかね」と問い返された。「それは、高松司教区にはカトリック大学もなく、人材もなく、お金もない、無い無い尽くしの日本最弱小司教区だから、神様が働かれるのに最も相応しい場所だからです」と答えた。司教様はアドリミナの期間中に教皇様と個人面談され、「自分の教区にレデンプトーリス・マーテル神学院の姉妹校誘致の勧めを受けているが、教皇様はどうお考えですか」とお伺いを立てられた。そして教皇様は「それはいい話だ、ぜひ進めなさい」と、背中を押された。
教皇様のお墨付きをもらった司教様にもう迷いはなかった。神学校設立に関する教会法第237条の第1項には、「各教区は可能かつ有効である限り大神学校を有しなければならない」とある。これが基本原則だ。ただし、第2項には「しからざる場合には、聖なる奉仕職を目指して準備する学生は他の神学校に委託されなければならない。又は、諸教区共立神学校が設立されなければならない。」とある。深堀司教は同条文の第1項に則り、ローマ教皇の励ましを受けて、正当かつ合法的に高松教区立として「レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院」の設立を宣言された。
しかし、日本の大方の司教たちの目には、その決定が時流に逆らった分不相応な計画と映り、皆一様に、早晩挫折するにちがいないと冷ややかに傍観を決めた。当時、日本のカトリック教会では、九州・沖縄の6教区が、教会法第2項に則って合同で「諸教区立大神学校」を福岡に持ち、北海道、本州、四国の10司教区のために、東京にもう一つの「諸教区立大神学校」があった。そして、今後の司祭召命の減少と教勢の衰えを見越して、両大神学校を統合した「東京大神学校」一校体制に移行する長期的展望に関する日本司教協議会の一般的了解があった。
私が神学校教授の資格を取って高松に帰ってきたときは、高松の神学校はまだ貸しビルで運営されていて、毎月の家賃支払いでかなりの赤字を垂れ流していた。神学校の建設用地として広い土地が購入されてはいたが、教区の資金はそこでほとんど底をつき、建物建設の目途は全く立っていなかった。教区の会計主任になったばかりの私は、このままでは深堀司教が定年で引退された後に誰が司教になっても、赤字の神学校の維持は不可能と判断して、必ず閉鎖すると読んだ。日本中の司教様たちも一様に、深堀司教の分不相応な「夢想」に始まったこの神学校は、放置しておけばやがて消滅するのが必定で、全く相手にするに足りない、と冷ややかに無視していたに違いなかった。
実は、このことと私の今回のマカオ行きが深く関係しているのだが、それをいま書き始めればまた長くなるので、その詳細は次回に割愛することにしよう。
このテーマ、あと一回で終わることを誓います。