:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

☆ 決して起こしてはならない悲劇

2019-08-10 00:05:00 | ★ 日本の社会

~~~~~~~~~~~~~~~

決して起こしてはならない悲劇

~~~~~~~~~~~~~~~

 

皆さん、この美しい木造ゴシックの教会をご存知ですか?

 

 

ああ、最近ユネスコの 世界遺産」に登録された長崎の教会群の一つでしょう?

ピンポーン! アッタリ―!!・・・と言いたいところですが、

ブー!! ハズレ―!!です。

では、フランスの片田舎の教会?

ブー!! 残念!それも ハズレー!!です。

では何処の?

答えは、

日本の本州、静岡市、清水区 にある教会です。


 


 

ユネスコの世界遺産に登録された長崎県の教会群に比べれば、やや新しく、教会建築としては日本最古の 国宝 大浦天主堂より70年ほど後に建築されたものですが、同じくフランス人宣教師の手により、キリスト教を迫害した徳川浜御殿の跡地に建てられた、小さいが、大変美しい建築で、静岡市当局からは重要な「文化遺産」の筆頭として評価されているそうです。あと70年だけ大切に保存され歴史の過酷な運命を生き延びれば、今の国宝大浦天主堂と同じ古さを誇る貴重な、掛けがえのない文化遺産の仲間入りができる計算になりませんか?

また、第2次世界大戦中に爆撃や艦砲射撃を奇跡的に免れ、焼け跡にポツンと生き残った聖堂に、傷ついた市民たちがたくさん駆け込み、宣教師や医師たちの看護を受けて生き残った人たちも多く、町の人たちによって「戦争記念物」として記憶され、市民が子供たちを連れて 平和教育 のために見学に訪れている教会でもあります。

 

 

聖堂は、戦火で焼け野が原になったこの清水の街で、奇跡的にポツンと焼け残っていた。

 

維持・補修のお金があればこの歴史的、文化的、芸術的に高い価値のあるこの教会を救うことができるのではないかと考えたある信徒が呼びかけて、たった一か月の間に 1300万円以上の寄付・募金 を集めました。そのまま続けることが許されていれば、もっと多く集めることも可能だったでしょう。

また、聖堂の存続を願うカトリック信者でない清水の一般市民有志たちが、これも、短期間に 約8000人の「保存請願」の署名 を集めたという事実もあります。「民の声は天の声」(Vox popoli vox Dei) という古い言葉があるではありませんか。

私は後世の歴史家の評価に思いを致すとき、この聖堂はぜひとも保存されるべき価値があると考えざるを得ない者のひとりです。壊すのは簡単です。更地にしてそこに使い勝手のいい新しい教会を建てるのも簡単でしょう。しかし、神様がせっかく戦争の破壊から護って残してくださったこの貴重な遺産は、一度人間の手で失わせてしまったら、後悔しても、もう二度と元には戻せません。歴史は、この教会の保存を認めた思慮深い指導者の英断を末永く賞賛するに違いないのです。

理性を使い、知恵を絞れば、相容れない全ての要求を満たす、なにか円満な解決方法が必ずあるはずです。静岡市の専門家は、調査をして、現状を保全しながらの耐震補強工事を行うことは技術的に可能である、という評価を下したというではありませんか。予算的にも手の届かないほどの額ではないと聞いています。

それならば、あとはお金の問題だけです。新しい教会を建てる費用はどうせ必要なわけでしょうから問題ではありません。それなら、今の教会の解体費と更地にするために必要な資金で近くに新しい土地を求めー無論それだけでは足りないでしょうからーその足りない分は募金して集めればいいでしょう。今ある貴重な美しい歴史的建物は、市の「文化遺産」としての指定を受け容れ、公的補助も得て、耐震補強をほどこし、足りない費用は一般市民の協力でまかない、それを教会は今後宗教行事の場として使わないというのであれば、市民一般に開放されたスペース、戦争の記念碑、平和のシンボル、講演会や音楽会などの多目的空間として、官民協力して末永く活用していけばいいではありませんか。すべての要求が満たされ、教会は救われる、ウイン、ウインの円満な解決策が必ずどこかにあるはずだと思いませんか?大浦天主堂だって、宗教儀式の場は新しく建てた教会に譲って、今は保存され、拝観料を取って一般公開され、教区財政を救う立派な収益源にになっているではありませんか。

中・長期的にみれば、十分採算の取れる先行投資になることを、元国際金融マンだった神父は保証できるような気がします。

しかも、この建物は、ただ黙って存在しているだけで、「福音宣教」の効果的な役割も演じると言うものです。それは一石二鳥も三鳥もの利得を産むこと間違いなしです。戦後に建った100ある平凡な新築教会と同列には決して語ることのできない、圧倒的な存在感を示しつつそこに立ってているのです。

私は、偉そうなことを言うばかりで、何も効果的な協力が出来ない自分の非力を恥じています。だから、せめて、知り得た限りのことをまだ知らない人々に伝えなければ、という衝動に駆られて、このブログを書きました。読者の共感と、反響と、速やかな情報拡散を期待しています。

 

 

書き終えて、今日の聖書の第1朗読を読みました。それは、たまたま次のみことばでした:

皆さん、惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです

( 使徒パウロのコリントの教会への手紙 ② 9・6-10 「喜んで与える人を神は愛してくださる」)

 

尚、こんなリンクもあります:

https://www.change.org/p/ローマ教皇フランシスコ聖下-カトリック清水教会聖堂の永続的な保存活用を求めます もっと見る

 

(終わり) 

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする