:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ インドの旅から 第3信 香港の夜と国境の村

2020-09-25 00:00:01 | ★ インドの旅から

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インドの旅から

第3信 香港の夜と国境の村

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私は、連載中の「インドの旅から」をしばらく脇に置いて、時間の隙間を見つける毎に、若松英輔著「霧の彼方 須賀敦子」と言う470ページ余りの評伝を、憑きものにつかれたように読みふけり、今しがたやっと読み終わったばかりで、まだいささか興奮している。

須 賀 敦 子

50年以上前に、私の「インドの旅から」が「聖心の使徒」と言うカトリックの布教雑誌に連載されていたことは既にふれた。そしていま、まるで秋の夜空に突然まばゆい光を放って現れ、あっという間に闇の中に消えていった超新星のように、たった7年だけ日本の文壇に輝いて、惜しくも世を去っていった須賀敦子が、同じころ同じ月刊誌に様々な記事を寄稿していたことは、浅からぬ因縁に思えた。

当時、私は25歳の大学院生。須賀敦子は私より10才年上で、イタリア人のペッピーノと結婚してミラノに住んでいた。私は以前からこの雑誌の発行者であるチースリック神父に勧められて毎月の「布教の意向」という小さな記事を連載していたから、神父やその秘書の須山緑女史とは昵懇にしていたが、二人から須賀さんの話を聞くことはなく、一緒に〔目次〕に名を連ねている須賀さんの存在に、私の側から関心を寄せることもなかった。まだ私が未熟だったせいか、まだ機が熟していなかったのか、多分その両方だったのだろう。

しかし、いま、彼女の全集をむさぼり読み、若松英輔の書いた評伝を一気に読み終わって、私が知らずして須賀敦子の足取りを自分の人生で辿り、生きる信条を同じくしていたことを知って、限りない親近感を覚えている。共通点は、彼女の言葉を借りて言えば「カトリック左派」ということだろうか。

須賀敦子と遠藤周作はパリで、また日本で、互いに接点があったようだが、遠藤は代表作「沈黙」で「棄教者、背教者」をテーマに描いて、教会の内外に深刻な影響を残したのに対して、もし須賀がキリシタン時代を描いていたら、きっと「殉教者」をこそテーマに選び、真反対の世界を展開していたに違いないと思われる点でも、思考の同質性を覚える。そして、須賀の魂の指向性と、未熟の極みながらも私の「インドの旅」の通奏低音が、須賀がパリに、ミラノに見出したものと、どこかで響きあっているように思えて、不思議な縁を感じながら、いま「第3信」を書こうとしている。

2021年は東京オリンピックだが、1964年も第1回東京オリンピックの年、北京条約で九龍半島南部の市街地があらたにイギリスに割譲されてから4年目、世界はベトナム戦争のさ中にあった。

 

インドの旅から

第3信 香港の夜と国境の村

O君、ぼくの恋人「ラオス号」は、今しがた香港を後にしました。生々しい思い出をいっぱい積み込んで。

 まず順を追って話しましょう。

 香港の第一日目は、朝、船が着くとすぐ飛び出して、町の隅から隅まで、そして田舎の漁港の小舟の溜まりの中までも足を伸ばして見て歩きました。それこそ、この視力2.0の両眼に、ありとあらゆるものを吸い取って、ぼくの去った後には何も残っていなかったと言えるほどに。

 そしてその夜、名高い香港の夜景を、六甲山から見た神戸のそれと比べるために、あの一風変わったケーブルカーに乗って、一人ゴトゴトピークへ上がってみました。

 都会の夜が美しく見えるなんて、人間の視覚も案外いい加減なものだと思いながら、ケーブルの駅にもどってビックリ、ポケットにお金が無い。正確に言うと、ポケットに香港ドルが残っていなかった。駅で米ドルを替えてくれの、レートが安すぎるのと、スッタモンダやっている所へ、アメリカの水兵さんが二人やってきた。

 二人が「そんなの俺たちに任せてついておいで」、と言うので、ケーブルで下りて、車で海軍のクラブまで行き、それから誘われるままに一緒に飲み歩くことにした。水兵を二人も護衛につけていれば、まず間違いはなかろうと思ったわけだ。バーやナイトクラブをはしご飲みして、自分もほんのり良い気持ちになった。どこもかしこも乱痴気騒ぎの水兵でいっぱいだったが、この二人はジャズに浮かれて踊り出すでもなく、ビールをかたむけながら淡々と話し続ける。

 総員わずか28人の老朽潜水艦のクルーになってからは、岡に上がってもこうして飲み歩くことのほか、何も思いつかなくなったと言う。生活は乱れがちだし、勉強を長く離れているので、兵役が終わっても学校に入り直すのはむずかしい。かといって就職もなかなか思うに任せない。ついずるずると職業軍人になってしまう。その点、日本の学生はうらやましい、と言った。

悲しいことだと思った。年を聞いたら僕より二つも若かった。どう見ても三つ四つは年上に見えるのに。身分証明書の間から、若い母親と可愛い妹さんの写真をひっぱり出して見せてくれた。代理戦争(ベトナム戦争)のヒーローのこのアメリカ青年も、幸せではないんだな、と思った。 

 真夜中を過ぎたので別れを告げて、一人人力車に乗って船にもどった。肩で息をしながら引いてくれた車夫の、はだしの足の細かったことと言ったら・・・。もう人力車には乗るまい、と思った。

x   x   x

 香港の二日目、歴史の現実を見るために国境へ向かった。九龍(クオンロン)駅からディーゼル機関車に引かれてシナ大陸へ。

 トンネルを抜けると、入江の青と山の緑が目にしみる。サングラスをとると美しい田園と貧しい漁村の長閑で平和な景色が広がる。干し魚の臭いとアヒルの声が風に乗ってくる。車内は、生きたニワトリをぶら下げたおばさんや、子供たち、セーラー服の女学生らで 混んでいる。

 昨日の香港の夜の強烈さにくらべて、今日はまるで小学生の遠足のような楽しさだ。

 ファンリン(粉嶺)駅を過ぎるころから乗客が減りはじめ、ほとんどの客シェンシェイ(仙水)駅で降りてしまった。

 車内のざわめきが消え、がらんとした中に一人残されると、急に引き締まった気分になる。

 足音がして、ブリティッシュ・ホンコンのポリスが険しい顔で近付いてくる。

 「許可証はあるか?」

 「許可証?」

仙水からこちらは、たとえそこに住んでいる人間であっても、ライセンスなしには出入り出来ぬと言う。いつの間にか国境の両側に設けられたクローズド・エリアに入ってしまったらしい。ひと悶着の末、即刻引き返すことで話がついた。

 国境の駅、ローフースタに着いた。駅全体がすっぽり金網で囲まれている。プラットホームの向こう五十メートルの上を、半円の赤い屋根が覆っていて、その両側にはブリティッシュ・ホンコンの旗と中共の旗がニラメッコしている。駅に詰めている白人や黒人のポリスメンを見たとき、「これは深入りし過ぎたかな?」と思った。

 写真を撮ろうとしたのが見咎められて、またひと悶着、しかし、天の助け、フイと現れた日中旅行社のKと称する人の計らいで、調べも受けず、カメラも取り上げられずに事なきを得た。

 K氏は急ぐからと言って消えたが、この騒ぎのお陰でポリスたちと仲良くなり、汽車が折り返すまでの間、彼らと詰め所でいろんな話が出来た。

 「お前のような怖いもの知らずののんき者は見たことがない」と言う。知らないということは実に有難いことだ。おかげでみんなの見ないものを見た。

 「今でも時々トラブルがあるのか。」と聞いたら、「そんなこと言わせる奴があるか。」と目をむいた。

 ようするに、ここが国境の村そのものずばり。ここだけが中共へ汽車を乗り入れられる最も緊迫した拠点だということだけは確からしい。両側の丘の上には監視所があり、軍用道路が四通八達し、人の動きもどことなく違う。

 英国人のポリスがそっと耳打ちして、「ここは警戒がきびしいので自由に見ることは出来ないが、もっと見たければ、仙水駅から車で国境に近づくことが出来る。」と教えてくれた。

 仙水までとって返す。そこのポリスに「ボーダーはどこか。」と聞いたら、首を振って手で帰れと合図する。話しても無駄だと思って歩きはじめると、思ったとおり、「ヘイ、ミスター、トゥエンティーファイブ・ダラー」と声がかかった。18ドルまで値切ってその男の車に乗る。

 立派な道を飛ばしていくと、両側に兵隊の家族の家、将校の家。ジープの溜まりなどがある。道が二つに分かれて、五メートル先に踏切の遮断機のようなものが行く手をさえぎる。英語とカントン語で威嚇的なことばが並んでいる。クローズド・エリアの入り口だ。そこを右に折れて丘の上に出ると、急に視界が開けた。

 足下の浅い流れに沿って、鉄条網の白く光るフェンスが果てしなく続く。そのこちら側には、藁ぶきの掘立小屋が並んでいて、アヒルが群れ、のどかな感じだ。しかし、人気の無いのが気にかかる。向こう側には同じ造りの農家が一軒ポツンとあるきりで、はるか向こうの丘までは、水田と浅い池のほかは何もない。 

 昔は向こうにも農家がたくさんあったのだが、赤軍が全部取り払って、残る一軒も実は中共兵の詰所だと言う。二、三年前までは日に何度か銃声を聞いたものだそうだ。

 向こうの丘には低いアパートがポツポツと見える。これは中共がデモンストレーションのために建てたもので、香港で四日に一個の割合で建てられている二十数階建てのアパートや、九日に一個出来上がる学校に比べれば物の数ではない。香港はそれでも難民を収容しきれないでいる。

 中国人の女がいたので写真を撮ろうとしたが、モデル料一ドル聞いて興ざめしてやめた。クローズド・エリアの境まで引き返したところで、遮断機の向こうから女の子が水桶を下げてやってきたのでレンズを向けたら、子鹿のように干し草の陰に隠れてしまった。

 悲しい気持ちになった。

 仙水からの帰りはバスにした。バスの中で考えた。

 実際と言うものは、話に聞いて想像しているものとは大分違う。本で読み、人に聞いた話は大概色が付いている。だからそれを鵜呑みにする前に、本当にそうなのかどうかを実際に当たって調べてみる必要があるのではないか、ということだ。

別にみんな香港へ来い、ベトナムに行けといっているのではない。それはもっと身近な話だ。

 「あいつは、あのクラブは、あの種の本は赤だ」と片付ける前に、そこで叫ばれている暖かいヒューマニズムに肌で触れていくべきだ。「私はプロテスタンティズムについてこう教えられた。」と言う前に、彼らは今、何を訴えているのかを見るべきだ。「あの神父はぼくの思いを理解せず、ぼくの言葉に理屈で反応したから」と言って、それだけで全てを片付けてしまうのはあまりにも残念だ。

 ぼくたちが、観念や、主義や、教説にではなく、この物質的な世の中の実際と、言葉のかげに人が伝えようとした生きた心に愛を込めて寄り添えるようになったら、新しい一致を生み出すことも不可能とは言えなくなるのではないだろうか。

 やっと一つの考えに辿り着いたから、今回はこの辺で終わろう。

 次の便りは多分ベトナムからだ。船中のことも伝えよう。

 みんなによろしく。サヨウナラ

 

 あれから半世紀余りが過ぎた。香港は今、反逃亡犯条例修訂デモに象徴される大きな転機を迎えている。こんなこと、半世紀前に誰が予想しただろう。

ウイキペディアから借用

 昨年は、教皇フランシスコが来日してその設立を祝福するはずだった「教皇庁立アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」、またしても日本の司教団の反対で、タッチアンドゴーよろしく空に舞い上がり、その後マカオに着陸した。

 その新しいマカオの神学校も、今は、新型コロナウイルスに追われて、台湾に避難している。香港の次にやられるのは台湾か、マカオか。中国の覇権主義のあおりを受けて、アジアの福音宣教は、まだまだ苦難の道を歩むことになるだろう。

東京ドームで教皇フランシスコ

 少子高齢化の波に呑まれ、カトリック教会の信者は年々確実に高齢化し数をへらしている。子供たちに信仰は受け継がれず、新たに教会の門を叩き入信する人も稀な状態だ。教会の自然死に向かう衰退は加速の度を強めている。だが、これは何も日本に限ったことではない。先進国と言われた国々はどこも50歩100歩に状態にあえいでいる。

しかし、ペトロの船と呼ばれる教会は、貧しい無学な田舎漁師に委ねられながらも、2000年余りの歴史の暴風に耐えて、絶えず刷新を繰り返しながら、今日に至った。この罪人の集団である貧しい船は、それにも拘らず、聖霊に守られ導かれて、何億年先の世の終わりまで、宇宙の果てまで、必ず航海をつづけるに違いない。これが私たちの信仰だ。

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★ 聖母マリアの被昇天の祝日の説教

2020-09-09 00:01:00 | ★ 神学的省察

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聖母マリアの被昇天の祝日の説教

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みなさん。今日、8月15日は聖母マリアの被昇天の大祝日です。

どれぐらい大きな祝日でしょうか。私に言わせれば、復活祭につぐ二番目に重要な祝日だと言うにふさわしいと思います。理由は追い追い説明いたしましょう。

そして、今夜は4人の赤ちゃんの洗礼式も行われます。共同体の大きな喜びです。その事についてもひと言述べるつもりです。

被昇天のマリア ルーベンス画

さて、8月15日の被昇天の祝日は日本の終戦記念日でもあります。同盟国イタリア、ドイツが相次いで降伏した後も日本はなおも頑張り続けようとしましたが、8月6日の広島、9日の長崎のあと、次は東京かと思われたとき、この新型爆弾の破壊力から推して、100万人を下らない死者を出し、天皇の命も危ういとあっては、全面降伏しかなかったのでしょう。

     

長崎に落とされたファットマン     浦上天主堂の上に立つキノコ雲   

八月九日と言えば、お盆で帰省した大勢のカトリック信者が、15日の聖母マリアの被昇天を清い心で祝おうと、告解(懺悔)のために大挙浦上天主堂に集まっていました。そして、その上空500メートルで広島型の1.5倍の威力のプルトニューム爆弾がさく裂し、教会は数千度の火の玉によって瞬時に破壊され、おびただしい数の犠牲者が出ましたが、その浦上天主堂は不思議にも「無原罪の聖母マリア」に奉献された聖堂でした。

無原罪の聖母に捧げられた浦上天主堂の廃墟

無原罪の聖母と言えば、その祝日は12月8日ですが、ちょうどその日、真珠湾に奇襲攻撃をかけ戦争に突入したのは、ただの偶然だったでしょうか。

日本にとって、第二次世界大戦は聖母マリアの「無原罪の御宿りの祝日」に始まり、聖母マリアの「被昇天の大祝日」に終わり、しかも、終戦のために「無原罪の聖母」に捧げられた大浦天主堂で多数のカトリック信者の魂の生贄が必要でした。

私は、天国に行ったら、なぜ第二次世界大戦の節目の日がマリア様の記念日と重なったのか、神様にお聞きしたいと思っています。単なる偶然?しかし、神様に偶然はありません。

ところで、現代のカトリック信者は、「マリア様の被昇天」とか、「マリア様の無原罪の御宿り」という教えは、遠い昔から教義として定められていたと思っている人が多いのではないでしょうか。カトリック教会の一連のドグマ=信仰箇条=教義=は、全て2世紀から4世紀ごろまでに公会議で決定され、以来、変わることなく伝承され、その何れかを信じないものは異端とされてきました。

ところが、実は、無原罪の御宿りの教義はわずか125年前に教皇ピオ9世によって定められ宣言された新しいドグマです。「無原罪の御宿り」とは、神様の特別な計らいで聖母マリアがアダムとエバの犯した罪、「原罪」から奇跡的に免れた状態で母アンナの胎に宿ったという信仰です。

それを受けて、終戦から5年目の1950年には、ピオ12世が、マリア様は死を味わうことなく霊肉共に天に上げられた(被昇天)、という教義を新たに宣言されました。今日の大祝日の始まりです。しかも、それらは1870年の第1バチカン公会議で「教皇の不可謬権」が新たな教義として宣言されたことの連鎖反応によるものでした。

無原罪の聖母 ムリリョ画

つまり、教会は2世紀から4世紀にかけて、一連の公会議を経て信仰箇条の骨格を固め、以来1500年間にわたって安定した状態にあったのに、19世紀の「教皇の不謬権」(ローマ教皇が信仰および道徳に関する事柄について教皇座から厳かに宣言する場合、その決定は聖霊の導きに基づくものとなるため、決して誤りえない)という新しい教義の制定に呼応して、「聖母の無原罪の御宿り」と、「聖母の被昇天」の新しい教義を相次いで付け加えたのです。そして、これらの祝日は、人類の救いの歴史にとって決定的な意味を持っています。

神様の宇宙万物の創造という壮大な事業は、その完成に際して、人祖アダムとエバが神様から戴いた最高の恵みである理性と自由意思を正しく使うかどうか試されました。ところが、こともあろうに、天使たちが固唾をのんで見守る中、人祖たちはその恵みを濫用して「不従順の罪」(楽園の禁じられた木の実を食べた=傲慢不遜にも神よりも偉くなろうとした)を犯し、神様のテストに見事に落第してしまいました。そして、アダムとエバの罪のウイルスは、「原罪」のパンデミックを引き起こし、その結果、自然の調和が破れ、死と腐敗が歴史に入り、男は額に汗して日々の糧を得、女は産みの苦しみのうちに子を産まねばならなくなりました。さらに、罪への傾きとしての「欲望」がDNAにキッチリと組み込まれてしまったわけです。

一見するところ、神様の創造の御業は最後の仕上げの段階で大失敗に終わりました。

しかし、神様はその失敗を立て直すために、直ちに長い救いの歴史を始められ、時が満ちると、一組の男女(聖母マリアと救い主キリスト)を選んで、人祖が見事に落第したのと全く同じテストに、あらためて再挑戦するチャンスをお与えになりました。その場合、受験者は人祖と全く同じ条件で追試に臨まなければなりません。つまり、彼らは人祖から受け継がれた原罪と言うハンディから奇跡的に除外される必要があったのです。

ここで1895年に教皇ピオ9世によって「聖母マリアの無原罪の御宿り」の教義の制定されたことが重要な意味を持ってきます。聖母マリアはこの世に生を受けた最初の瞬間から原罪を免れて、第一のエバと全く同じ無原罪の状態に置かれたという信仰は、初代教会から民間に広く信じられてきたとは言え、4世紀ごろまでに確定した教義(信仰箇条)の中には含まれてはいませんでした。その意味で、キリスト教の教義はまだ発展途上にあったと言えるでしょう。

では、第二のアダムであるナザレのイエス(キリスト)についてはどうでしょうか。原罪は生殖によって親から子にDNAの一部であるかのように伝えられていきます。マリアが奇跡的に無原罪の状態で母親の胎に宿ったとすれば、処女のままのマリアの胎に聖霊の働きで宿って生まれた幼子イエスも無原罪であったのは自然です。だから、教会が聖母の無原罪を特別盛大に祝うのは当然なのです。

さて、死が原罪の結果として人類の歴史に入ったのであれば、無原罪の状態でこの世に生を受けたマリア様が死を経験することなく昇天したことも理に適っています。そして、聖母マリアから無原罪性を受け継いだイエスも、死の束縛から自由ではあったのも当然でした。

しかし、イエスの場合は敢えて自由にすべての人類と同じく死を受け入れ、自らの力で死者の中から復活することを通して、全人類の死を決定的に打ち滅ぼし、その結果として全人類のために復活の命を勝ち取られました。また、聖母マリアも十字架の下に佇み、イエスがその肉体に負った恐ろしい苦しみを、そっくりご自分のこころで味わい尽くすことを通して、人類の共贖者としての役割に参加されたのです。

空の墓と復活のキリスト ジオット画

こうして、人祖の罪の結果は、第二のアダムと第二のエバの贖いの業によって贖われ、死に勝利して、全人類に復活の命が与えられました。

ここに「キリストの復活祭」と「聖母マリアの被昇天祭」が教会の最大の祝祭と呼ばれるにふさわしいと言う私の主張の根拠があります。

教会は、回心して福音を信じ洗礼を受ければ、原罪もそれまでに犯した個人的罪も全て赦されて、見える教会のメンバーになり、死後キリストの復活の命に与かって天国に入ると教えます。

ただし、キリストの復活の後も、人類は原罪の後遺症のもとにあります。原罪とは実に厄介なもので、人は洗礼を通していずれはキリストの復活の命に与るとは言え、いったんは死に、その後、世の終わりに復活する日まで眠ることに変わりはありません。さらに、死を免れないだけではなく、自己愛、金銭欲、食欲、肉欲、名誉欲、支配欲、等々、人を欲望の奴隷として日々罪を犯す傾きから逃れることが出来ないのです。これが、歴史を生きる人類の存在の条件です。

さて、今夜、聖母マリアの被昇天の祝日に4人の赤ん坊が洗礼を受けます。

教会が善悪の分別もつかない、従って自分で罪を犯すはずもない、無垢な赤ん坊に急いで洗礼を授けるのには訳があります。その背景に、原罪を負って生まれた幼児が、洗礼を受けて原罪を赦されることがないまま死んだら、復活して永遠の命に入ることが出来ないのではないかと心配したことに加え、昔は幼児の死亡率が高かったこともあります。

今夜、1歳未満の4人の子供たちが洗礼を受けます。教会は、幼児にも原罪の罪が纏わりついていることを認め、それから解放されるために洗礼を授けるのです。

原罪は生殖を通じて親から「うつされた」罪です。その罪は洗礼によって拭い去られますが、先にも言った通り、原罪の結果は残り、自然の秩序と調和は損なわれ、人間は相変わらず欲望と誘惑に弄ばれ続けます。

つまり、洗礼は人間を無原罪にはしないと言うことです。

それでも、教会は洗礼によって人の罪(原罪も自罪も)が赦され、天国の門が開かれ復活の命が与えられると信じているので、全世界に行って福音を述べ伝えなさい、人々に回心を勧め洗礼を授けなさい、と教えます。

教会は、人生の目的を知らず迷いながら罪の闇に沈んでいている人々に「福音を信じ、回心して洗礼を受ける者には、永遠の命が与えられる」という善い知らせを告げ知らせる義務を信者に負わせます。その意味で、キリスト教は福音を宣教する宗教であり、人々に改宗を勧める宗教です。

では、キリスト教徒が自分の義務を果たさず、宣教する使命を怠った結果、救いのメッセージに出会って洗礼を受ける機会に恵まれなかった無数の魂はどうなるのでしょうか。 

そのような魂たちに対しては、神様ご自身が直接的に責任を取られ、神様だけが知っている秘められた方法によって、彼らもキリストの復活の命に与かり、救われるように配慮されます。そして、宣教の使命を怠った信者は、厳しくその責任を問われるに違いありません。

現代では、あらゆる先端技術の分野において、QCというものが常識になっています。QCとはクオリティー・コントロールの略で、品質管理の理論と実践であります。冷戦時代、後れを取ったアメリカが、国威をかけてソ連より先に人を月に降り立たせるためにアポロ計画を立てました。

月着陸船とそれを運ぶサターンロケットは数万個、いやそれ以上の数の部品から成り立っていたと思われます。その部品の一個でも不良品だと、ミッションが失敗に終わる可能性が高まります。従って、すべての部品を限りなく欠陥の無い品質に保つためにQC理論をNASAは打ち立て、それを借用して日本の企業がいち早く生産活動に応用し競争力を高めました。

神様が創造された1億2600万人の日本人の内、カトリック信者はたった40万人に過ぎず、プロテスタント教会で洗礼を受けキリスト者を合わせても100万人に及ばないでしょう。もし、洗礼を受けた信者だけが救われて天国に入るのだとすれば、つまり日本人の126人に一人しかキリストの復活の命に与れないなどと言う馬鹿馬鹿しい話がカトリックの教えだとすれば、私はさっさとカトリックの神父をやめ、キリスト教信者であることもやめたいと思います。私の愛する友人の多くが、洗礼を受けたキリスト者ではないのですから。

神様の創造活動の中で人間の魂の救いは最優先課題でしょう。救われる人間に関する神様のQCが、合格率0.8%で、それ以外の99.2%が不良品として地獄に落ちるなどという話を、私は到底受け入ることが出来ません。

では実際はどうでしょう。

第二のアダム・キリストが、無原罪の身でありながら、進んで死を受け容れ、その死を滅ぼして自らの力で復活したこと、第二のエバである無原罪のマリアが、死と腐敗を免れて天に昇られたことは、全人類にとって最高のグッドニュース、良い知らせ、「福音」です。このよい知らせに接してそれを信じ、洗礼を受け、神の恵みに留まって生涯を終えたものは、死後復活して永遠の命に入ります。それはまあ当然です。

他方、生涯この福音に出会う機会に恵まれず、従って洗礼を受けず、見える教会のメンバーになることのなかった実に多くの人々も、神様だけが知っている秘密の道を通してキリストとマリアの共同作業で獲得された死に対する勝利と永遠の命に与かることが出来ると教会は教えます。これなら納得です。

では、福音と出会い信じて洗礼を受けたものと、死ぬまでその福音と出会わなかったものとどこに違いがあるのでしょうか。もし、どちらの場合もキリストの死に対する勝利に与かり、復活の命をいただくのであれば同じことではないでしょうか。

そうではありません。福音を聴いて、神様の存在を知り、その愛に触れ、回心して洗礼を受けて教会の一員になった人の生涯と、神と出会うことなく、生きる意味と目的を知ることもなく、ただ精神の暗闇の中で迷いながら人生を終わった人の場合とでは、一回限りの人生の豊かさの面では雲泥の差が生じるかもしれません。

しかも、この雲泥の違いは、神様に出会った人間が、戴いた恵みの上にあぐらをかいて、その恵みと喜びを人々に分かち合おうとしなかった怠慢の結果として生じます。言葉をかえて言えば、無償で戴いた信仰と洗礼の恵みを私物化して、自らはその恩恵にあずかりながら、それを人々に分かち与えようとしなかった信仰者の怠慢は、多くの人たちから信仰に出会う権利と機会を奪った点において最後に厳しく裁かれることになるでしょう。

今夜、ここに集って聖母マリアの被昇天祭を祝う共同体は、実に恵まれた選ばれた幸いな集団だと思います。この60人ほどの群れの平均年齢は極めて若く、半数近くが子供達で、洗礼を受ける4人の赤ちゃんの他に、居並ぶ若い母親のおなかの中には来年洗礼を受けることになる胎児たちが予備軍として控えています。真っ裸の赤ちゃんを、司祭は大きな洗礼盤の水の中に、次のように唱えながら、3度頭まで沈めて洗礼を授けます。

父とー!(ザブン) 子と-!ザブン) 聖霊のみ名によってー!(ザブン)

洗礼を授けまーす!

これは、今夜の祭りのハイライトと言ってもいい出来事です。

この赤ん坊たちの若い親たちは熱心にミサに与かり、熱心に聖書に親しみ、熱心に教会の祈りをし、子供達にはしっかりと信仰教育をほどこしています。彼らはこの信仰生活を護り保つために、実に多くの犠牲を払い、世間の風潮に逆らって信仰生活を生き抜いていますから、神様は豊かな恵みをもって報いて下さるに違いないだろうと私は信じます。

私の切なる願いは、彼らが熱心な宣教者でもあってくれることです。

この罪深い私は、もし無事に天国に辿り着いたら、そこで生前にキリスト教の信者にならなかったおびただしい数の魂と出会うことを楽しみにしています。その人たちの中に、著名なカトリックの聖人をも凌ぐ聖なる魂たちがいても私は決して驚かないでしょう。さらに、この世でキリスト教と相容れないと言われていた宗教やイデオロギーの信奉者たちについても同じことを言いたいと思います。

他方では、地上のキリスト教会の中では正統派と目され、熱心な信仰者として尊敬を集めていた人たちや、多くの高位聖職者、修道者が天国には見当たらず、まさかと思いつつ地獄を覗いたら、ちゃんとあちらに住んでおられるのを知って、神様の計らいの不思議さに改めて畏れと驚きを禁じ得ないだろうと思います。キリストが言われた通り、「あとのものが先になり、先のものが後になる」と言うのが神様のなさり方なのでしょう。

では、登山口は異なっても目指す富士の高嶺は同じということになるでしょうか。一見そのようにも見えますが、実際はそうではないと思います。

私は、どの登山口から登っても、救われる人はみなイエスとマリアの救いの業によって救われるのであり、キリストの十字架の贖いとその復活の業によることなく天国に入り永遠に生きる人は一人もいないと信じています。だから、早いか遅いかはとにかくとして、キリストの救いの業に出会ってその道を歩く人は恵まれていると思います。

「死後の人間に悔い改めの余地がない」というのはカトリック教会の厳しい教えです。その意味で、天国も地獄も実は死ぬ前にこの世から準備され、始まっているもののように思います。生きているうちに一度も人を愛さなかった人は、危ないです。傲慢に膨れ上がって、神の憐れみを断り、神より自分を正しいとする人も自分で地獄を準備しているのだと思います。

これは普段のブログの長さの倍近くになってしまいました。去る8月15日の被昇天のミサでの説教は、もちろんもっと短いものでした。それは、参列した信者の集中力と忍耐力には限度があり、長い話を受け付けないからです。

今回、ブログのために言葉を補っているうちに長くなりました。読者の皆様の集中力が途中で切れないことを祈りながら、恐る恐るアップします。

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