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吾輩は「犬」である = 福島の被災地に生まれて
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元銀行マンの私は、十数年前、神父をしながら四国・高松の司教館で、教区会計の仕事をしていた。
その時以来ずっと今まで付き合っている人の中に、Kさんという若い女性がいる。彼女は、私が東京に居ようが、ローマに居ようが、お構いなしによく電話を掛けてくる。多い時は、日に2度、3度、5度とかかってくることがある。だが、内容はいつもあっさりしていて、実に短い会話で終わるので、さほど苦にならない。出られるときはなるべく出てあげるように努めている。
彼女はずっと以前から犬を飼いたいと望んでいるが、ペットショップの20万円も30万円もする仔犬を買う資力がない。かといって、保健所に掛け合って捕獲されたわけありの犬を貰いに行く才覚もない。
昨年の暮れ、所用あって福島県のある町に投宿した時、泊めてもらった家に大小の犬が7-8匹、まるで家族の一員のように、小学生の子供たちと一緒に家の中でじゃれ合っていた。毎日生命にあふれたお祭り騒ぎだ。
最近拾われて家族に加わった雌の野良犬が、私の泊まった翌朝、2匹の仔犬を産んだ。私は、これは神様の仕業だと思った。
そのうちの黒い雌を欲しいと言ったら、いい返事が返ってきたので、その場で高松のKさんに電話を掛けると、彼女もぜひ欲しいという。とはいえ、生後一日の仔犬を母犬から離したら、高松で生き延びられるとは思えない。しかも、私は数日後にローマに帰らなければならない。3か月したら日本にまた戻るから、それまで頼む、と言い残しその場は引き払った。
ローマから帰ってすぐ連絡したら、その仔犬はあげられない事情が発生した、ということだった。すっかりなついて今さら子供たちから引き離せないということか?だが、待ちわびている高松のKさんに、あの話は駄目になったとも言えない。ただでさえ傷つきやすい彼女に、神父は嘘つき、という印象を植え付けることは避けたかった。さりとて、帰国早々、自力で代わりの犬を見つけられる展望もなかった。
大迷惑を承知で、無理に福島で代わりの犬を探してもらった。幸い、この写真の仔犬が見つかった。推定生後2か月余りの野良公。まだ名前はない。福島県下で拾われて保健所にあずけられたが、一定の期間以内に里親が決まらなければ、処分される運命にあった。
東京のペットショップで移送用のケージやもろもろの付属品を買い求め、福島へ急いだ。帰りの新幹線の中では、知らない人にどこに連れられて行くのか不安で、狭いケージの中で落ち着かず、結局、頭だけ出して私にあやされながら東京に着いた。
3泊4日、東京の私の部屋に泊まり、朝晩は新中川の土手を散歩した。行き交うお犬様たちは、柴犬や、ダックスフンドや、プードルやらの血統書つきばかりで、雑種の野良犬なんかいない。ところが、それがかえって珍しいのか、散歩の人からは「あら、可愛い!」と声がかかる。
この季節、新中川の土手の斜面には今年も土筆が生えていた。
お散歩の間は可愛いパンパースを外して犬らしく裸で走り回る。お利口にも私の小指ほどのウンチもオシッコも外で済ませてくれた。
新幹線「のぞみ」に乗って一路岡山へ!私にすっかり慣れて信頼したか、おとなしくケージの中でウトウトしていることが多かった。
マリーンライナーで瀬戸大橋を渡って坂出の私のアジトに着いた時は、さすがに疲れたか、甘えて、甘えて、どうしようもなかった。ちょっと他の仕事に集中すると、クーン、クーンと甘えてくる。甘噛みのつもりだろうが、歯先は鋭くけっこう痛い。パソコンの電源ケーブルも、ボロボロで導線剥き出し寸前、危うく食いちぎられそうになった所を未然に防いだが、そうなっていたら大被害、彼も感電していたかもしれない。
体重計にまず手ぶらで乗って、次に仔犬を抱いて乗って、差を計ったら、ちょうど4キロだった。足が太くしっかりしているから、あと3-4カ月で10キロほどの中型犬になるだろうか?なつかれると、情が移って手放したくなくなったが、世界を放浪する貧乏神父ではどうしようもない。心を鬼にして、明日には待ちわびているKさんに渡さなければ・・・。
幸いKさんはとても気に入ってくれた。彼女は彼に「チビスケ」という名を贈った。(けっこう大きくなりそうだが?)朝晩の散歩で彼女は少しやせるだろうか。2人とも幸せになれよ!と祈った。
それなりに色々忙しい仕事の合間を縫って、東京から福島まで新幹線で、そこからレンタカーでメルトダウン事故を起こした福島第1原発から遠くない町まで行って、一匹の仔犬を引き取って、ペットショップで買い求めたケージに入れて、東京を経由して、新幹線で岡山へ、マリーンライナーで高松へ、最後に仔犬をKさんに無事届けて東京に戻るまで、大変な手間と時間と、馬鹿にならないほどのお金がかかった。
お前は一体何をやっているのか?と自問した。それは神父の仕事か・・・? そんなことして何になる? 世の中何も変わらない!
高が仔犬一匹ーされど命。Kさんーどこにでも居そうな自閉症気味の孤独な女の子。この娘が愛情を注ぐ相手の小さな命に出会い、その小さな命は優しいし女主人に可愛がられて10数年の命を幸せに全うできるなら、この「愚かな大仕事」も神様の前に無駄ではないと思える心境になった。やはり歳をとったせいだろうか?
大災害から6年、福島県の浜通りには野良犬が多いのではないかと思う。避難した人々に遺棄された哀れな犬たちだ。「チビスケ」はその2世だろうか?野生に戻っても、餌が豊富とも思えない過酷な世界では、生き延びるのも楽ではないだろうに?
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私は福島の原発事故と、何十万人の被災者と、天文学的な廃炉費用と、何十年、何百年も後を曳く放射能汚染にもかかわらず、なおも原発推進、原発輸出に血道をあげる為政者に同意しない。北朝鮮のミサイル基地への先制攻撃能力を持とうとする意志に抗議したい。PKO戦死者の命を9000万円の弔慰金で買おうとする國の方針を悲しく思う。
この仔犬のつぶらな瞳を見つめながら、人間の命とは何かと自問した。
天地万物の創造主なる神様! あなたは確かにおられます。
罪人の私を、全ての人を、そのまま、在るがままに
愛してくださいます。
永遠の命、復活の命!
私を憐れんでください。