:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ アメリカレポート ニューヨーク ⑤ グラウンド・ゼロ-2

2012-06-27 19:42:33 | ★ アメリカレポートー2(その他)

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アメリカレポート ニューヨーク ⑤

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 グラウンド・ゼロ -2 》

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グラウンド・ゼロに行ったら 黒人の物売りが寄ってきて このアルバムを8ドルで売りつけようとした

私はそれを5ドルに値切って買った

私は 旅客機が建設中の新しいWTCタワーに突っ込む瞬間を自分のカメラに捕らえた

もちろんビルと飛行機は 2-3千メートルは離れた目の錯覚だ

 

  

こちらは5ドルに値切った雑誌に載っている11年前の事件の写真と言われるものだ

左の写真はWTC-第1ビルにジェット機が突っ込む瞬間の写真 WTC-第2ビルは先に飛行機が激突して黒煙を上げている

右の写真を見て 誰も指摘しないが 私は2つのハテな???を感じた

同じボーイング767型機がいずれも離陸して間もなく燃料を満載して突っ込んでいるのに 

先にやられた第2ビルはタダ静かに黒煙を上げる(紅蓮の炎を生むだけの酸素供給がない)だけで

後からやられた第1ビルは大爆発を起し炎を上げ ビルの鉄骨構造を吹き飛ばしてばらまき散らしている

もし 第2ビルも激突の瞬間の写真がないだけで 最初は全く同じように炎を上げたというのなら

後から激しい爆発を起した第1ビルが先に崩壊したのはなぜか?

理想的な酸素との混合比で燃やしても せいぜい摂氏800度にしかならない航空燃料が

(閉じられた空間のビルの中の酸素は燃料を爆発的に燃やすには圧倒的に足りないとは思いませんか?)

日本のゼネコンが使った融点1500℃以上の建築鋼材を溶かすはずがないではないですか

鋼材をばらばらに引きちぎり 空中に噴き出し まき散らすために

写真に移ったジェット機の翼に積まれた量の航空燃料だけで十分足りたのだろうか?

本当に別の強烈な爆発力は要らなかったのだろうか?

 (私の無知と誤りを 科学的に説明して指摘できる人がおられたら 是非お説をうかがいたいものだ)

第1のハテな?

 

第2のハテな? は 第1ビルに飛行機が突っ込んだ高さと 爆発の高さの目立った違いだ

 

110 階建ての WTC ビルには ビルをほぼ3等分する位置に二つの機械層がある

夜景でみるとはっきりわかるが ビルの窓の明かりがつかない黒いストライプがそれで それぞれ約3階分の幅がある

第1ビルに突っ込んだ飛行機は 少なくとも見かけ上は ストライプからせいぜい5-6階上に突っ込んだように見える

ところが 爆発の炎が噴き出しているのは うえのストライプと屋上のほぼ中間 つまり

突っ込んだ高さよりさらに10階以上も上の方であるように見えないだろうか? ただの私の目の錯覚ならいいのだが・・・

ハテな? 何故~?

 

 私には福島の3.11に関する政府の発表であろうがTEPCO(東電)発表であろうが、およそ権力者、強者の公式見解なるものを頭から疑ってかかる悪い癖がある。

なんだ? あれは? おい! 嘘だろう? よせ!

やめろ、やっめろー!!


あぁ~あ、やっちゃった~!

 大衆にとっては、このようして始まった9.11だった。

 私が、10年前に、「あれは嘘だ。アルカイダの犯行なんかではない。巨悪の仕組んだ陰謀だ。」と言ったら、「君がそんなとんでもないことを大声で言うのなら、もう君との友情はおしまいだ」、と言った友達がいた。世界中が信じて、真剣に喪に服しているときに、不謹慎な。それに、万一君の言うことが本当なら、そんなことを公言するのはあまりにも危険だ。君の命が危ないぞ、と言う友情にあふれた真面目な警告でもあった。 

 でも、私は思う。

 満州事変のきっかけになった柳条湖(溝)事件は、東北軍の張学良らによる犯行などではなく、日本の関東軍のでっち上げだったということは、今では誰も反対できない歴史上の真実として受け止められている。つまり、「侵略を正当化する」ための口実をつくるための関東軍の「やらせ」だったということだ。
 アメリカ合衆国は、ヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱し、他国の戦争に介入しないというモンロー主義の国是としていた。そのアメリカが国是を180度転換して世界戦争に打って出ることに対する国民の同意を取り付けるためには、議会の討議などまどろっこしい手続きではどうにもならなかった。民意を麻痺させ、熱狂的興奮の中で、「やられた以上は徹底的にやり返さなければ」、という愛国心の昂揚を引き出すためには、日本の真珠湾奇襲攻撃の成功が是非とも必要だった。
 レーダー性能と暗号解読力で日本を大幅に上回っていたアメリカは、真珠湾攻撃を洋上で迎え撃ち、それを粉砕するだけの十分な時間の余裕と戦闘能力を持っていたにもかかわらず、温存すべき航空母艦だけを密かに避難させたほかは、タヌキ眠りを決め込んで、「神風」に派手にやらせるに任せた。奇襲攻撃を無事成功に導いたのは、アメリカの計算づくの演出だった。
 海外での戦争に介入することを合理化するためには、それぐらいの大芝居を演出する必要があった。そのためには、何も知らされていなかった真珠湾の下級将兵の命などは、一つの作戦における想定内の消耗にすぎなかった。
 ベトナム戦争のとき、トンキン湾事件で、アメリカの艦船が北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受けた、と言う情報戦も、アメリカのでっち上げだった。それは空の無敵の要塞B52戦略爆撃機の編隊を使った派手な北爆に踏み切るための議会や国民の支持を取り付けるために必要な口実をつくるための簡単な猿芝居だった。関東軍の柳条湖事件と全く同じパターンだ。
 余りにも圧倒的な巨悪を前にした時、大衆の感覚はいとも簡単に麻痺するものであることを権力者は知り抜いている。
 ケネディー大統領暗殺の時、教科書ビルの窓から、パレードのオープンカーを後ろから狙ったライフルの銃弾が一旦車を追い越して飛んで行って、先の方でUターンして戻ってきて大統領の顔面に命中し、後頭部に抜けた弾の勢いで車の後ろのボンネットに飛び散った脳みそや頭蓋骨の破片をジャックリーヌ夫人が身を乗り出してかき集めようとする哀れな姿をあなたもテレビで見ただろう。ハリーポッターの魔法じゃあるまいし、ライフルの弾が誘導ミサイルのようにくねくねとコースを変えながら、やがてUターンして、ピッタリ標的に命中するなんてことがあってたまるものか。不可解なことはまだある、21人目撃者・関係者がいるが、 4年以内に全員亡くなっている。 死因は変死・交通事故などとされているが、 21人もの目撃者・関係者全員が自然的に4年以内に亡くなることは 統計的に不自然な数値を表している…(ウイキ) オズワルドとは別の狙撃プロが前から狙って撃ったに決まっているではないか。これも、影の巨悪が大統領の交代劇を演出するためにやった臭い猿芝居だった。
 同様に 9.11 も、地政学的に、また資源面で重要なイラク、アフガニスタンに大規模な軍事介入をして、大勢の将兵の命と軍事費を消耗することを国民に受け入れさせ、反対の声を封じて圧倒的に支持させるための熱病を蔓延させるために必要な陰謀だったに違いないと私は考えている。
 無事にサダムフセインを倒し、ビン・ラーディンも手こずりはしたが、どうにか無事に葬った。後は多少の時間が必要ではあろうが、それぞれにアメリカの国益に沿って処理されていくだろう。
 しかも、9.11にはもう一つの面がある。マンハッタンのダウンタウンの再開発で一儲けしようという私的な野望の計画だ。

(つづく)

 

 

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★ アメリカレポート ニューヨーク ④ グラウンド・ゼロ

2012-06-24 17:19:08 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ④

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 グラウンド・ゼロ 》

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リンカーンセンターの最寄りの駅から地下鉄に乗る 

 

各駅停車の地下鉄で WTC の最寄りの駅へ そこにはセント・ポールズ・チャペルがあの日と同じ姿で

  

    セント・ポールズ・チャペルの門燈               その庭にある古い墓標              

 

  

チャペルの中は 前回の雑然たるボランティア―の休息所から 記念の展示場に変わっていた

(左) ニューヨーク市と駆けつけた全ての救援隊の犠牲者の霊に オクラホマはあなた達を愛しています!

右のパネルは ニューヨーク市主催のセント・ポールズ・チャペルに於けるユダヤ教と回教とキリスト教の司祭たちと

ブロードウエーのスターのウイリアム・マイカルによる

「地上に平和を」 を歌う集いの記録

 

2001年9月11日 道を一本隔てた世界貿易センターが崩壊した時

このセント・ポールズ・チャペルの庭はがれきで覆われ、教会の中はほこりで満たされたが

建物自体は1766年に立てられたままの姿を保っている

 

  

命を捧げた消防士のヘルメットと衣服

 

このピアノ 9.11の後 私が巡礼に訪れたときには 疲れ果てたボランティア―や消防士が

所狭しと並べられた簡易ベッドの上で死んだように横たわって休んでいた雑然たるチャペルの中で

ゆっくりした 静かな 癒し系のメロディーを響かせていた

厳粛な雰囲気に 私は気後れがして 声をかけそびれたが

 それを弾いていた若いアジア系の女性は その雰囲気から日本人だと直感した

 

「名誉の旗」

この大きな星条旗の赤と白のストライプのなかに

ぎっしりと 9.11の犠牲者たち(2753人と言われる)の名前が書き連ねられている

ハイジャックされ ツイン・タワーに突っ込んだ

2機のボーイング767に乗っていたとされる 137人の乗客の名簿も含まれているのだろうか

一機255人乗りの飛行機二機に合計たった137人 1/4 しか乗ってない ガラ空きじゃない 変じゃない?

私は この11年間折に触れて 9.11の謎に疑問を持って 本やインターネットの情報を調べてきたが

この乗客リストには未だ巡り会ったことがない

それどころか 9.11の直後にすぐに発表されたハイジャックの顔写真入りの犯人リストの少なくとも一人が

自分は関係ない 生きている と言うアリバイ報告を 抗議文と共にアメリカ当局に送ったという不可解な情報を得ている

大体 事前に計画を知らなかったはずの当局が 事件後すぐに発表するための犯人リストをあらかじめ用意していたというのは

どう考えても変ではないか

 

  

ツインタワービルの崩壊の犠牲者たちの肉親の贈った写真や言葉   日本の長崎第一中学校二年生一同の贈った

平和を祈る千羽鶴

 

ぎこちない形の手の模型に掛けられたロザリオ パネルには祈りの言葉を書いた無数の子供の手型

その前で祈るアメリカ人の少女たち

 

チャペルを出て 9.11の再開発工事現場へ

新しいシンボルタワーはまだ階数を伸ばしている最中 完成すれば

ツインタワーより高い 全米一ののっぽビルになるのだろう

 

         

えっ!?  そんなの嘘?  冗談でしょう?!                                   

                        アッ、ヤバい! 本当に突っ込んだ お終いだ~?

エンジンの位置から見て ロシアのアエロフロート機だった

 

次回は 9.11の謎に迫ります

 

(つづく)

 

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★ アメリカレポート ニューヨーク -③

2012-06-21 18:46:41 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ③

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 エイブリ― フィッシャー ホール 》

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ホールの後方からステージを見る ボストンより華やかで明るい感じ

 

廊下に出ると ブルーノ・ワルター・ギャラリー と言うのがあった

ボストン交響楽団では 小澤征二が圧倒的存在感を発揮していたが

ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラでは ワルターの存在が大きいのだろうか


    

団員の紹介の中に 3人の日本人女性の名前があった

ヤマダ シャロン さん       クドウ スミレ さん        タケベ ヨウコ さん 

 

別の場所に また指揮者の写真があった 

    

レオナルド バーンシュタイン   グスタフ マーラー     

    

レオポルド ストコフスキー     アルトゥーロ トスカニーニ

 

もうすぐホールで最後のリハーサルがあるはずだ その間に ニューヨークに来たらまず行きたいところがある

外に出た 正面がリンカーンセンターのメトロポリタン オペラハウス

エイブリ―フィッシャーホールは 向かって右側の建物だ

 

リンカーンセンターの案内図が すぐそばの街角にあった

一番上の横長台形の建物が ジュリアード音楽院 

その左下が リンカーンセンター劇場 そして その右下がエイブリ―フィッシャーホール

次の段の左の大きい建物が メトロポリタン オペラハウス

その下の右側が デービッド H コッホ劇場 

 

ニューヨーク シティー バレーの大きく華麗なポスターがあった

その近くの窓ガラス越しに 将来の プリマドンナの玉子たちが 親の期待を背負ってお稽古に励んでいた

 

    

どの子も もう自信たっぷりと言う感に

    

ニューヨークに来たら 先ず第一に訪れたいところ

それは 言うまでもなく グラウンド ゼロ だ

私は 9.11のすぐ後 まだ誰も飛行機に乗りたがらなくて 切符がタダみたいだった時に 一度訪れたことがある

あの時は確か 成田 → ロスアンゼルス →  ヒューストン → タンパ(フロリダ) →  ニューヨーク → 成田 で

 5万円ぽっきりだったと思う

( つづく )

 

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★ アメリカレポート ニューヨーク ② いよいよリンカーンセンター

2012-06-20 19:53:58 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ②

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 いよいよ リンカーンセンター 》

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前の晩の練習は半端ではなかった キコ自身が何回もダメを出した しかし彼自身は指揮棒が振れないのだ

 

ニューワークの神学校の キコの設計による増築部分のホール 3方がかなり急な階段になっている

壁には キコ自身の筆になる壁画がびっしり描かれている

もちろん キコの弟子たちの画家集団の協力による 

中世の画聖フラアンジェリコなども皆 共同作業をする弟子僧侶集団を抱えていたのだ

 

おや? この叔父さん誰? 演奏家でもない コーラスのメンバーでもない はたまたスタッフでもない

いつもぶらぶらと その辺をうろついている (そういう私も そう見えるかしら?)

しかし 後で必ずこの人にスポットを当てますから お見忘れなく (そういえば そんな紹介の仕方をした人 他にも居ましたね)

 

  

練習は深夜に及んだ

何しろ 明日のエイブリ―・フィッシャー・ホールは 正念場だから 壁画に見守られながら コーラスにも熱がこもる

 

あくる朝 すべてはミサから始まった 音楽集団でありながら 一面に修道者集団の面影が見え隠れする

 

ニュージャージーの神学校の看板 「レデンプトーリスマーテル 大司教区立 宣教神学院」 を後にする

 

  

ハドソン川を挟んで マンハッタンが目に入った バスは リンカーントンネルをくぐって 対岸へ

 

リンカーンセンター コンプレックスの ジュリアード音楽院の前でバスを降りる

ここで世界の一流演奏家が育てられるのだ わが親友 ヴァイオリンのジャネス神父も 少年時代ここへの留学を憧れたという

 

エイブリ―フィッシャーホールの楽屋口に 指揮者のスーツをぶら下げた パウ・ホルケラ

 

取り敢えず ガランとしたホールの舞台に立ってみた 一見して ボストン・シンフォニー・ホールより 60年 新しいのがわかる

これが ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの本拠地だ

 

    

ブラブラと そこいらを歩いていると ニューヨーク・フィルで棒を振ってきた有名な指揮者の写真が目に入る

レオナール・バーンシュタイン      レオポルド・シュトコフスキー      ブルーノ・ワルター

 

  

 アルトゥーロ・トスカニーニ               グスタフ・マーラー 

    などなど・・・・ 

 

 

舞台の袖には 照明や音響を制御する指令室があった

 

今回はしんどい話抜きの フォトギャラリーでした たまにはこんな手抜きも許されますか?

(つづく)

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★ アメリカレポート ニューヨーク-①

2012-06-18 17:33:49 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ①

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 いよいよニューヨークへ 》

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ボストンからニューヨークへはバスで移動

大声で呼びかけまわって やっと羊を一か所に集め 集合写真にこぎつけた

これでも トイレに行ってたり まだホテルのロビーでタバコ吸ってたり

私の両側で カメラを構えたりで 15人や20人は写っていない それでこの人数だ

スペインとイタリアから連れてきたキコの一座 半端な数ではないのがお分かりだろうか?

 

大型長距離バス 5台に分乗して間もなく出発

 

素晴らしい初夏の朝 9時に出発 木々の枝には薄黄緑の新芽が芽吹き始めたばかり

 

エアーフォースワン と言えば アメリカ大統領の専用ジェット機と相場が決まっている

ではこのグラウンドフォースワンは?

どうやら 民間の長距離チャーターバスの事らしい いかにもアメリカらしい名前の付け方ではないか

 

右奥に後部が写っているのが 上の写真のグラウンドフォースワン

真ん中のトレーラーは運転席と居住空間一体型だ とにかく日本では見られない大きさだ

 

 

露地に咲くスミレは日本とあまり変わりない 朝渡されたサンドイッチを食べたサービスエリアの木陰の上には

これも日本のと変わりない花ミズキが満開だった

 

アイゼンハウアー インターステイト システム? 何の事だか?

 

マクドナルドのお店のポールには星条旗と州旗?が初夏の風になびいていた

 

 

バスが止まった 気が付いたら どうやらぐっすり寝ていたらしい 午後3時に無事ニュージャージーの

レデンプトーリスマーテル神学院に着いていた 

これは ニューヨークのお金持ちの一人のご婦人が 古くて空き家になっていた元女子修道院の建物を

聖堂ごと買い取って 中を内装し直して 神学校のためにと寄付してくれたものだ

 

新しい福音化を目指す司祭のための大司教区立養成の家

「レデンプトーリスマーテル」

1991年設立は 高松教区立のレデンプトーリスマーテル神学院の一年後の設立になる 世界で8番目の姉妹校

 

上の石の銘盤の前の玄関の車寄せアーチから見渡す 広々とした前庭

 

右側がもとからあった修道院の建物 正面と左はキコが増築して この中庭をつくった

ここが私のニューヨーク5泊6日の宿となった

ここに収容できない大多数は 私がついに見ることのなかった近くのホテルに入った

 

(つづく)

 

 

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★ アメリカレポート ボストン-⑨ レセプション

2012-06-14 23:23:11 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ボストン-⑨

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

Boston Symphony Hall

《 レセプション 》

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 シンフォニーは軽い興奮と精神的充足感の余韻に包まれて無事に終わった。家路につく人の流れの一部が、ロビーからまっすぐ出口に向わず、右に逸れていく。廊下の先の広間には、特別招待の人たちのために、食事つきレセプション会場が準備されていた。

 いかにもお金持ち風の車いすのユダヤ人のご婦人が、ウエイターにカクテルを注文している。ふとみると、オヤ? この色の靴どこかで見たような! ハテ どこだっけ ?? あっ そうだ! 思い出したぞ! ローマの教皇ベネディクト16世が儀式のときに履いているのと同じ色だ。バチカンの聖ペトロ大聖堂で、わずか数メートル先のこの靴を撮る絶好のチャンスを私は逃した。珍しく自重してカメラを持参しなかったのが、未だに悔しくてしょうがない。教皇のはフェラガモ製だそうだ。


 レセプション会場では紳士淑女が席に着き始めていた。キッパをつけたラビの姿はほとんどなかったが、私のようなキコ側の関係者以外は、多くがボストンのユダヤ人社会の名士たちと思われる。

 

 1番テーブルには、キコとオマリー枢機卿が着いている。キコがスペイン語で歓迎の挨拶をすると、髭の若い神父がよどみなく英語に通訳をする。キコは、自分の夢であるイスラエルの古都エルサレムでの建設計画を披露した。

 彼は既に、イスラエルの北部、ガリレア湖のほとりの山上の垂訓の丘にドームス・ガリレアと言う広大な施設を計画し、2000年の聖年に前教皇福者ヨハネパウロ2世を招いて部分的落成式を行い、今は立派に完成して年間15万人のユダヤ人が訪れるキリスト教(カトリック)とユダヤ教の一大交流センターになっている。

 その間の消息は、私のブログ 「ガリレアの風かおる丘で」 シリーズに詳しく紹介しているから、是非ご覧ください。


キコは もともとプロの画家だから 自分の構想をたくさんのスケッチに描いている


手書きの 真上からのプラン 一番外側の複雑な形の線が どうやら敷地の境界線らしい

と言うことは ドームス・ガリレアとは違い 狭い敷地に建物がいっぱいいっぱいに建っていることになる

 

この新しい構想の建物を キコは ドームス・エルサレム と呼んでいる

彼のイメージスケッチによれば エルサレムの旧市街の城壁の外

谷一つ挟んだ向かいの丘の上にあるのがわかる

 

立体模型も出来ている キコは21世紀の教会建築の新しいスタイルを模索している

ロマネスク ゴシック バロック ・・・ の延長線上に 「キコック」 様式(笑) なんて変な名前が出来るかも? 

 

 

 おや? 塔を兼ねた聖堂の屋根の上に十字架があるぞ。ドームスガリレアには目立つところに十字架は無かった。と言うことは、ここはユダヤ教とキリスト教の交流の場と言うよりは、やはり、キリスト教徒(カトリック)のセンターを意図しているのだろうか?

 

 ドームス・イスラエルの建設予定地から望むエルサレムの城壁に囲まれた旧市街。真ん中に回教の黄金のドームが光って見える。エルサレムは、世界の3大一神教、ユダヤ教、キリスト教、回教(イスラム)の共通の聖地だ。アラー(イスラム)の神も、ヤーウエ(ユダヤ・キリスト)の神も、同一の神のことを指す。その3者共通の最も神聖な場所に、いまは回教のモスク、黄金のドームが建っている。

 それにしても西暦70年にイスラエルの国がローマ帝国軍によって滅ぼされて以来、1948年にイスラエル国家の独立宣言をするまで、ローマ帝国、オスマントルコ、英国の統治などを経て、ここはパレスチナ人(多くは回教徒)を中心に複雑な宗教と人種のるつぼとなっていた。そして、紀元前から栄えたこの町は、その土地のどの1平方センチをとっても、帰属の決まらない中立な空き地などあるはずはないのだ。そして、現在のイスラエル政府は、中世十字軍の時代からキリスト教が死守してきた点としての土地と建物の占有維持は容認するものの、キリスト教の新規の恒久建造物の建設は原則として認めてこなかったようだ。

 それなのに、どうしてキコはドームス・イスラエルの建設用地を見つけ得たのか。キコは中近東の古いキリスト教の所持している土地を買い取る話をつけているようだ。キコの運動がそれを所持する言うことではとうてい纏まらなかったはずの話を、土地を取得し建物を建てたら、それをそっくりローマ教皇に献上するという条件で見事に切り抜けた。

 キコの指導する「新求道期間の道」は、本来、霊的(精神的・知的)財産は持つが、流動資産である基金の他は、土地・建物などの物的財産は一切持たない形で運営されている。この点は、教会の歴史の中であらゆる修道会や運動と一線を画す。世界にある86の神学校の土地・建物も例外ではない。高松の神学校も、共同体が土地・建物を手当てしたが、それをそっくり教区に寄付した。だから、司教が変わって閉鎖を決めれば、黙って退去するが財産はそのまま教区のものとして残ることになる道理だ。 

 

 キコはドームス・エルサレムの構想を熱く語った。山上の垂訓の丘の上のドームス・ガリレアと同じように、イスラエルの政府は例外的にこのドームス・エルサレム構想を認可するもののようだ。その秘訣は、やはり出来上がったものがローマ法王に献じられるというところにあるのではないだろうか。


 

 人々はキコの話に熱心に耳を傾けている

シンフォニーの余韻も おいしいワインも 食事も 人々の心を優しく 柔らかにする効果があったのだろうか


オマリー枢機卿も 応援と推薦の言葉を添える

 

キコは言葉を継いだ このプロジェクトの

趣旨にご賛同の皆様は どうか寛大なご協力をお願いいたしたい


キコの後ろの大型液晶ディスプレーには


神様がこの美しい夢を叶えてくださるように祈りましょう

ドームス・エルサレム

 私たちのために祈ってください

キコ・アルゲリオ  カルメン・エルナンデス  マリオ神父


と映っていた


レセプションがお開きになっても 余韻を楽しむ人たちが まだあちこちで立ち話しを

オマリー枢機卿と何やら話し込むユダヤ人夫妻


客を送り出した後 ボストン・シンフォニー・ホールの外に出た まだ初夏の陽は暮れかねていた


(つづく)

 

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★ アメリカレポート ボストン-⑧ シンフォニー開

2012-06-10 19:06:05 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

 

キコの横顔とアウシュヴィッツの囚人輸送貨車のモンタージュ写真

 

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アメリカレポート ボストン-⑧

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

Boston Symphony Hall

Sunday, May 6, 2012 - 2 PM

シンフォニー開演

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開場の時間が来て 外の入り口の扉が開いたのだろう 待ちかねて道にたむろしていた人々がどっと入ってきた

その人の波に乗って キコも後ろから入ってきたのには驚いた てっきりすでに舞台の袖に控えているものと思っていたからだ

リングに向かうストイックなボクサーよろしく セコンドに神学校の院長のトニー・メデイロス神父を従えて

 

  

私は前から2列目のやや右寄り 特等席に居るのだが 見る見るうちに私の周りはボストンのユダヤ人社会のエリート

つまり ユダヤ教の教師(ラビ)たちや ユダヤ人の銀行家 大企業トップの大物とその夫人たち で埋まり始めた

男性の服装は背広姿で 色も黒とは限らない

頭の上に小さなキッパ(お皿型のキャップ)を載せていなければ どの人物がラビかはわからなかっただろう

 

 

おや? 私の後ろに変なお爺さんが一人座ったぞ キッパをつけていないから もちろんユダヤ人のラビではない

垢汚れてクサイというほどではないが みすぼらしい服装 伸び放題の髭 どこか浮浪者のような空気を漂わせて

それに どう見てもインテリの顔ではない

ユダヤ人上流社会の中にポツンと一人 アメリカに居て 英語もわからず なんとも場違いな感じだが・・・

だが ここにいるからには 招待券は持っているのだろう

(この人物の素性 いずれ詳しく紹介することになるはずだから 一応ここで顔見知りになっておいていただきたい)

 

舞台の正面右に 昨夜オーケストラのメンバーをカテドラルに迎え ミサを司式し

一行を音楽による宣教に派遣したオマリー枢機卿 性的虐待のスキャンダルから ボストンの教会を再生させた立役者

今日は質素な茶色のフランシスコ会の修道服姿で現れた

向かって左は 枢機卿の側近 神学校のトニー・メデイロス院長

 右はフランチェスコ イスラエルのドームス・ガリレアのスタッフ 英語はもちろん ヘブライ語  アラビア語の達人

この日はキコの通訳もした

 

 ところで、このコンサートだが、初めから普通の音楽会とは違うことは、皆さんももう薄々ご承知だろう。

”A Symphonic Homage and Prayer”

と言う表題は、翻訳者泣かせのいやな言い回しだ 英語に自信のある方は助けていただきたい 貴方(貴女)ならどういう訳を当てますか?

苦し紛れに、

「賛美と祈りのシンフォニー」


と訳してみましたが、元の英語から受けるニュアンスとはかなりかけ離れてしまうことを痛感しています。かといって、他にどんな訳語がぴったり来るでしょうか・・・なかなか思いつきませんね。いい考えが浮かんだ方は、是非このブログのコメント欄に投稿してください。すぐに採用してこの部分を編集し直したいと思います。

 とにかく、キコの考えでは、この夜のステージは三つの要素で組み立てられているようです。 

                ① ことば-(人間の言葉、神の=聖書の=ことば) 

             ② 音楽-(キコのシンフォニー) 

             ③ 祈り―(キリスト教の、ユダヤ教の、その他どんな信条のものでも・・・)

 

① 先ず、キコのことば

キコがボストン、そしてアメリカのユダヤ人社会の出席に感謝し、オマリー枢機卿を紹介し、・・・と一連のセレモニーの後、キコは「無垢なるものたちの苦しみ」のテーマについて短い話をした。

無垢なものたちの苦しみ
-シンフォニーと祈りの祭儀-

 愛する兄弟姉妹のみなさん。わたしが作曲を手掛けるなんて、とんだ思い上がりではないでしょうか? 私の傲慢の故でしょうか? それとも私の虚栄でしょうか?何はともあれ、ある年寄りの司祭はかつて私に言いました。 「虚栄に陥ることを恐れて善を行わないというのは悪魔からの考えだ」 と。

 「善を行う・・・」、作曲を試みるのは善を行うことになるのでしょうか? 私は、無垢なものたちの苦しみと聖母マリアの苦しみを、祈りを込めて、また信仰を深める手だてとして、小さな音楽作品にして披露したいと思いました。もしかしたら、このような意味深いテーマについて、音楽が何かより深いものを表現できるのではないかと期待して・・・。

 無垢なものたちの苦しみ・・・。哲学者サルトルは言いました。「神の指で壁に圧し潰される者は災いだ」と。そしてニーチェも言いました。 「神が存在するとして、その神が苦しむ人を助けないなら、そんな神は化け物だ。また、もし助け得ないのなら、それは神でもなんでもない」 と。

 壁に圧し潰される人たち。道に放り出され、凍え死ぬ人たち。捨てられ、恐怖の孤児院に拾い集められ、犯され虐待される子供たち。私が近所で知り合った、夫に捨てられ、精神を病む息子に物乞いをしに行けと棍棒で家から叩き出されたあのパーキンソン病の女・・・。彼女の中に、また他の実に大勢の人々の中に現存する十字架上で死んだイエスを前にして、私の心は圧倒されました。

 他の人間たちの罪を背負わされたこれほど多くの無垢な人たちの苦しみとは、何と言う神秘でしょう。近親相姦。聞いたこともないような恐ろしい暴行。ガス室に向かって列をなして行進する裸の女と子供たち、そして、それを見ているうちに、心の中に「お前も服を脱いでその列に入って彼らと一緒に行って死になさい」という、何処から来るのか分からない声に促されて、その通りにした一人の看守の味わったあの苦しみ・・・。

 アウシュヴィッツの恐怖を経験した後では、もはや神を信じることなどできるものではない、と多くの人は言う。違う! それは嘘だ。神は、全ての無垢なものたちの苦しみを自分自身の上に引き受けるために人となられた。口を開くことなく屠所に曳かれる子羊のように全く無垢な彼が、全ての人の罪を背負った。

 この小さな作品では、無垢なものたちの苦しみの躓きのもとにある処女マリアが、ご自分自身の肉、ご自分の子の肉の中にその苦しみを体現する。彼女の魂を剣が刺し貫いた時、ソロが 「ああ、何という苦痛!」 と歌いあげる。

 この音楽的スケッチによって、オリーブの園で罪人たちのために用意された杯をイエスが飲むのを天使が助けたときのように、天使が処女マリアをどれほど支えたかを共に讃えたいと思います。私たちは処女マリア-預言者エゼキエルの言葉によれば、神がご自分の民の罪のために用意された剣を受け入れた処女マリア-そして今や、この剣で魂を刺し貫かれたこの可哀そうな婦人のことを思いめぐらし、彼女を支え励ましたいと思います。マリア、マリア! 神の母! 聖なるテオトコス(神の母)、どうかしっかりして下さい! あなたは、私たちのために罪となり全ての人の救いのために御自分をお捧げになる神の母。神の母にして、私たちの母。さあ、みなさん一緒に歌いましょう。

② シンフォニー

 新進の若い指揮者、パウ・ホルケラが聴衆に向かって一礼。くるりと向きを変えると、静かにタクトを振り下ろした。

 

  

演奏中の姿はリハーサルの時にさんざん撮った

 今は心静かに聴くときだろう 各ムーブメントの表題は: 

- うめき -

- 悲しみ -

- 彼らを赦したまえ / シェマー・イスラエル -

- 剣 -

- 復活 -


演奏が終わった フロアーも 2階、3階のギャラリーも 総立ちのの拍手が長く鳴りやまなかった 

 

キコが近寄って指揮者をねぎらった

 

キッパをかぶったユダヤ教のラビ(教師)たちも 初めて聞くキリスト教の祈りの音楽に

何千年のイスラエルの民の歴史に満ちた苦しみと悲しみ ホロコーストの恐怖がダブって

強く心を揺さぶられる思いがしたに違いない

 

③ 祈り 

オマリー枢機卿が祈りと祝福の言葉を聴衆に贈る

 

アンコールに応えて シェマ―・イスラエルが再び演奏された

ラビたちは立って声いっぱいに唱和した 夫人たちの目には涙が光っていた

兄である 旧約のイスラエルの民 (ユダヤ人)

弟である 新約のイスラエルの民 (キリスト教徒 / カトリック)

が 互いに許しあい 抱きあい 一つに溶け合う瞬間を キコは見事に演出した

同じアブラハム ・イザーク ・ヤコブの神=ヤーヴェの神=を拝む唯一の民として

ラビたちの歌声は キコのオーケストラの演奏に導かれて

祈りとなって 叫びとなって 天に昇っていく

♪♪ シェマ―・イスラエル シェマ―・イスラエ~ェ~ル! ♪♪

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。

旧約聖書 申命記 6章4節~)

ラビたちは子供のとき母親からこれを暗記させられ いま子供たちに伝え聞かせ 子々孫々に語り継いでいく。


 招待されたラビの代表の挨拶があって、シンフォニーホールは無事終演。引き続き、特別招待者にはホール隣接の広間で晩餐会が用意されていた。次回はそのパーティーの取材に移るとしよう。

(つづく)

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「うーん! 100年見てきたが、こんなことは初めてだな!」

と言う声が、突然天から聞こえてきた。

「えっ? あなたは誰?」 

はっ、と振り向いて上を見ると・・・



声の主 それは

3 階のギャラリーのまだ上 天井近く

100年前からホールの高みで ずっとボストンシンフォニーの歴史を見守ってきた

一体彫刻だった

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★ アメリカレポート ボストン-⑦ ペドフィリア(結論)

2012-06-07 00:57:28 | ★ アメリカレポートー2(その他)

 

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アメリカレポート ボストン-⑦ 

ペドフィリア(結論) 

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 前回の「お稚児さん」、「愛童症」の話を終わりにしてから、ボストンでのシンフォニーの開演に入ろうと思います。写真が売りの(それも自分で撮った写真だけで行くのが取り柄の)私のブログですが、今回は例外として「文字だらけ」をご辛抱いただきたい。(最後に借り物の写真一枚だけ添えました。)

 仏教の資料を見ているうちに分ったことは、日本の近過去までは、仏教界を中心に、公家の世界でも、武家の世界でも、稚児の名のもとに幼児、少年、美少年を対象とした男色は日本文化の一部、社会生活の一部として受容され、半ば公然と行われてきたということだ。そして、弘法大師や親鸞聖人らの徳と権威を引き合いに出して、恥ずべき悪徳を、尊い仏の功徳の世界にすり替えて開き直ることさえあったということだろうか。(日本社会は、それを「悪」と断ずる確たるモラルの基準を欠いた世界でもあったのかもしれない。)

 いずれにせよ、明治ごろからか、仏教では僧侶が妻帯するのが普通になったので、稚児の存在意義が薄まった。今も残っている永平寺型の修行道場はどうか知らないが、それももはや大きな社会問題になるほどの存在ではないのだろう。そして、美化されて形骸だけになったお稚児さんが、お祭りの世界に生き延びている。

 ところで、インターネットの日本語のサイトには、キリスト教の世界の男色、愛童症に関する一般的な記事は特に見当たらなかった。英語や、ドイツ語や、イタリア語など、私にも何とか読める言語に範囲を広げれば、おそらくかなりの数がヒットするのだろうが、それまでする熱意も時間もない。(余談だが、「男色」で検索すると、中国語のサイトが圧倒的で、トップに何10件とヒットする。男色に関しては、中国には伝統的に広く深い世界があるのだろうか。)

 カトリックについては、私なりに、多分こうでありそう、と思われるところを要約してみよう。

 旧約聖書のモーゼの十戒と新約聖書のキリストの福音というモラルの確たる座標軸を持つキリスト教では、仏教の場合のように稚児を菩薩や観音の化身のように神格化したり、超越的なものと見做すような「すり替え」の余地は全くなかったものと思われる。

 ヨーロッパ中世の大修道院は、一方では封建領地に小作人や領民男女を多く抱えた荘園を展開しながら、それ自体は女人禁制の、囲いの中の大規模男性集団であったから、男色や稚児寵愛は当然避けられない副産物としてあっただろう。女性が修道士の欲望の対象として密かに引き入れられ、または進んで忍び入ったり、修道僧が人目を忍んで娼館に通ったりも当然あっただろう。

 宗教改革以降は、プロテスタントになったキリスト教の半分は、修道院を廃止したし、牧師は妻帯者になったから、表向き愛童症問題は解消したはずだ。

 問題は、ローマカトリック教会の場合だ。

 16世紀半ばのトリエントの公会議(反宗教改革の引き締め)で、カトリックの聖職者の独身主義は堅持されむしろ強化され、修道僧は清貧、従順、貞潔の3誓願で縛られ、仏教で言う「女犯」は当然罪とされた。しかし、確立された公然の社会風俗として顕在化することはなかったとしても、「男色」や「愛童症」は後を絶たずにあったと考えるのが自然だろう。

 犠牲者としては、修道院ならノビス(修道誓願を立てる前の若い修練僧)や、ミサの祭壇で奉仕するアコリトゥス(少年の侍者)、そしてコーラスの歌隊少年らが狙われやすかったに違いない。世俗の司祭の養成過程における神学生、特につい最近まであった小神学校(小学生、中学生の年齢で入れる)の生徒たちも、危うい立場にあったかもしれない。日本でも長崎のキリシタンの末裔の貧しい子沢山の信者の家庭からは、口減らしもあって大勢の少年が「小神学校」に送られた。いずれの国も最近まで事情は似たり寄ったりではなかったろうか。

 教会のジクジクした陰湿な翳の部分でありながら、それが長年にわたり大きな社会問題として顕在化することなく来たのに、近年急に “Pedophilia” 「性的虐待」 として大きく取り上げられ、カトリック教会の世界的スキャンダルとして糾弾されることになったのは何故だろうか。

 それは、第二次世界大戦の終結後、世界の世俗化と共にグローバル化が急速に進み、伝統的な宗教、特にキリスト教離れ、社会の非キリスト教化が広まったことと無関係ではないと私は思う。

 ここで突然「悪魔」の名を持ち出すと、私のブログの読者の良識層は退いてしまわれるかも知れないが、私は悪魔の存在を信じる。
悪魔は神の被造物の中で最高の霊的な存在、即ち、天使が堕落した姿だ。悪魔は自分より下位の人類が、神の愛によって救われていくのを嫉妬し、あらゆる狡知をめぐらしてそれを妨害し、人類を神から引き離そうと、昼夜休みなく働き続けている。

 人間社会ではお金の神様「マンモン」として現存し、人々の魂を自分の奴隷にする。現代社会の世俗化、グローバル化も、突き詰めれば彼の働きの成果であり、彼は余勢いを駆って一気に勝負に出ようとしているのだ。

 「悪魔」は受けを狙ったマスコミや、金儲け目当ての弁護士、カトリック教会を敵視するマフィアやフリーメーソンなどを総動員して、ボストンのカトリック聖職者による「性的虐待」事件をクローズアップして、ボストンのカトリック教会を経済的破綻、組織的壊滅に追い込み、世界のカトリック教会に打撃を与えようとしたのだと私は睨んだ。

 しかし、そもそもアメリカのカトリック教会が腐敗堕落し、無視できないほどの数の聖職者が悪徳に染まり、問題が目に余るものとなっていた事実も否定できまい。

 豊かになり、モラルが低下し、宣教の熱意を失い、停滞し、魅力を失って庶民や特に若い層が去って行った教会に、起こるべくして起こった現象ではある。

 問題の根は、マスコミと信者たちの攻撃にさらされたロー枢機卿をはじめとし、ローマ教皇までも巻き込んだ、教会の高位聖職者たちの誤った対応、彼らの「罪」にあると私は考える。

 個々の司祭の問題が顕在化すると、配置転換し、次の任地で同じことが起これば、また転勤を命じるだけで、なんら効果的な手を打たず、隠蔽し、いたずらに犠牲者を増やすだけの対応が、「行為そのものは容認されている」という空気を生み、それが悪習蔓延の温床となったのだろう。それが「菩薩」や「観音様」と言って良心と社会の目を誤魔化し犠牲者の苦しみを顧みない仏教の「方便」にも匹敵する罪深い対応であったとして、社会から糾弾されるのは当然のことではないだろうか。

 修道院のような男だけの集団にとどまらず、およそ男性に結婚を断念させ女性との交接を禁止する司祭・聖職者の独身制=「女犯は罪」を堅持する限り、教会の司祭館に一人で住み、金と時間とプライバシーを十分に享受する独身神父の中に、愛童症の誘惑に負ける者が出てくるとしても、それは避けがたい自然の成り行きだろう。

 ペルペトゥアと言う言葉があるが、それは終身奉仕の家政婦・賄さんのことを指す。それを神父が司祭館に住み込ませるのを信者たちが黙認してきた伝統は、イタリアでは今でも生きている可能性がある。私は日本でもその例を知っている。それをなんとも思わないその教会の信徒たちの頭は麻痺しているのだろうか。しかし、それだって、愛童症に比べればははるかに健康で罪が軽い。

 モラルが高く、召命も多く、教会が活力に満ちている間は、そのような傾向の司祭志願者がいても、一人前になる前の神学校の共同生活にあるうちに気づかれ淘汰されるメカニズムが働くのだが、召命が激減し、聖職者が不足し始めると、辞められたら困る、辞めさせるなんてとんでもないと、神学校の段階で目をつぶられ、本来適さない性向の者までが聖職者に成れてしまうところに、そもそも問題があった。

 「一時はどうなることかと思ったが、今は希望が湧いてきた」という、ボストン空港に着いた時にまず聞いた感想は、そういう背景をよく物語っている。

 ロー枢機卿が退任した後を受けてボストンの大司教になったセアン・オマリー枢機卿は、教区の浄化を司直とマスコミの裁きに委ね、新求道期間の道とレデンプトーリスマーテル神学院を誘致し、それを梃に教区の再生と新しい福音宣教に乗り出した。私がローマで神学校生活を数年間共にしたトニー・メデイロス神父は、オマリー大司教の厚い信任を得て、レデンプトーリスマーテル神学院の院長に就任した。

 今思い返せば、前教皇福者ヨハネパウロ2世の呼びかけで1993年にコロラド州デンバーで開かれた世界青年大会(World Youth Day)は画期的だった。

 カトリックの若者の集いをアメリカで?プロテスタントが主流のアメリカで教皇の企てはきっと失敗するだろう、という大方の予想を覆して、世界中から50万人のカトリックの若者を人里離れたチェリークリーク州立公園の台地に集めた大会は、「新しい福音宣教」と言う言葉を生み出した奇跡の集会になった。私も、日本から新求道共同体の青年たちを同伴して参加し、その群衆の中にいた。

 8月15日聖母マリアの祝日に行われた教皇の野外ミサの翌日、雪のロッキーの山並みに抱かれたデンバーのアメリカンフットボールのスタジアムを数万の若者たちで満たしたキコの召命の集会で、数百人の青年が宣教師・神父の道を目指して立ち上がるのを目のあたりにした来賓のデンバーの大司教は、その後でキコを捕まえて言ったという話を今でも思い出す。

 文字通りではもちろんないが、「私は私の教区の神学校を閉鎖する。手の付けようもないホモの巣窟になってしまったからだ。そして、それを、キコ、あなたの手に委ねる。どうか、この心身の健康な若者たちでそれを満たして再建してほしい」と言う意味のことを言ったと記憶する。

 同じことがその10年後にボストンでも必要になっていたのだ。無差別に志願者を受け入れ、いたずらに放置すれば、神学校はたちまちホモの温床になり、そこを卒業した神父たちの或る者は「性的虐待者」の傾向をはらんだ問題の神父に成長していく恐れがある。しかし、入り口段階で厳選し、ふさわしい健全な青年たちだけを受け入れ、その後も疑問のある不審な要素を養成課程でいち早く識別して排除していけば、そこを巣立っていく司祭たちにおけるホモの傾向を持った逸脱者の割合を、世間の男性の平均値の何十分の一にまで減らすことは現実に可能なのだ。

 デンバーやボストンをはじめとして、今や世界の86か所に展開するまでに至ったレデンプトーリスマーテル神学院の姉妹校は、明日の教会の希望を担って今日も歩みを続けている。高松に開かれた7番目にレデンプトーリスマーテル神学院は、今もローマで健在で、いつの日にかその真価が正しく評価されて、日本に再上陸できる日を心待ちにしている。

 最後に一言付け加えると、私のいるローマの神学院には、ローマ教区のために60人、日本のために20人弱、将来の中国の宣教に備えて20人余り、の神学生たちがいるが、常に2人一組で起居を共にし、週に2回以上、市内の教会の共同体で若い男女の信者たちと交わって揉まれ、男性だけの孤立閉塞した不自然な生活に陥らないように配慮されている。ホモの危険からは守られ、正常かつ健全な異性への関心と欲情は、祈りと使命感、召命感で制御される。それでも、多くの神学生は本能の欲求抑えがたく、払いのけようとしても、戦っても、不本意にも容赦なく襲いくる悩ましい想像や自慰行為にまみれて七転八倒の日々を送ることになる。

 私は、若い神学生たちの告白(懺悔)を日々聞く立場にあるが、廊下ですれ違う時は溌剌とした姿の彼らの惨めな内面を目の当たりにして、痛ましい思いに圧倒されることも少なくない。性欲との戦いで躓き、心ならずも倒れる者もいる。それを励まし慰め勇気づけながら、告白に来て私の前に跪いてうなだれる若い神学生の手を取って、何度引き揚げ、立ち上がらせたことだろう。神様は、なんという過酷な日々をあなたに忠実であろうとする若い司祭、宣教者たちに課されるのですか、と叫び祈る毎日だ。

 さて、この件はそろそろこの辺で終りにしたい。書いていて決して心が躍るテーマではなかった。

 最後に、ウイキからお借りした写真を一枚だけ添付する。日本の浮世絵風版画の世界はもっとどぎつくいやらしいから、載せたら「ウサギの日記」が穢れると思ってやめた。

 私は、この年(72歳)になるまで、話に聞いても、「まさか、嘘だろう、あり得ない」と頭の中で打ち消してきた世界だったが、今回のボストンの「愛童症」を調べるうち、この絵の世界は嘘ではない、現実だと思い知らされて愕然とした。

 他の在来型の神学校はいざ知らず、私が養成を受けたレデンプトーリスマーテル神学院を出た神父たちに限って言えば、性欲を抑えきれず神父をやめて女性と結婚する者は稀に出ることはあっても(それは別に罪でも恥ずべきことでもない)、この写真の世界とだけは全く無縁のままいつまでも続いてほしいと祈るばかりだ。

このあと、10行余り間をおいて問題の写真を添えましたが、女性は多分見ない方がいいかもしれません。怖いもの見たさの好奇心の強い方は、自己責任で、どうぞ。ではカウントダウンしますよ。 いいですか~?


     ★ いーち!

     ★ にーい!

     ★ さーん! (やっぱり嫌だ、見られたくない。女性はここで引き返しましょう!)

     ★ しーい!

     ★ ごーお!

     ★ ろーく! (本当に先へ進むのですか?)

     ★ しーち!

     ★ はーち!

     ★ くーう! (もう一度お考え直し下さい!)

       ---!

     ★ じゅうーう! (もう、私は知りませんからね!!)


ジャーン!!


ハドリアヌス帝とアンティノウス

 ローマ帝国五賢帝の一人に数えられるハドリアヌス帝と、その最愛の寵児アンティノウスの男色関係は、当時から半ば公然のものだった。この絵はハドリアヌスがエジプト視察旅行にアンティノウスを伴ったときの光景を描いたもの。エドゥアール=アンリ・アヴリル画「エジプトのハドリアヌスとアンティノウス」、画集『西洋古典好色文学入門』の第七図。(ウイキペディア「男色」より)

日本のお稚児さんや、美少年の喝食(かつじき=禅寺のお稚児さん)も、ボストンの Pedophilia も、行き着くところ、その内実はこの絵と変わるところがない。なんともおぞましい話ではないか。目を背けたくなるでしょう?



       やれやれ(汗)! やっと抜けられた。

       これからはシンフォニーツアー一筋です

       乞うご期待 !

       (終わり)


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★ アメリカレポート ボストン-⑥ シンフォニー本番直前

2012-06-04 23:22:29 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ボストン-⑥ 

シンフォニー本番直前

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私のホールのギャラリー探検は続いた 歴史が詰まった展示にあふれている

ほとんどの例を 克明に写真を撮ったが その何十枚をここに全部紹介するのは やや冗長に過ぎるだろう

一例として セルジュ プロコフィエフとBSO 

 

    イゴール シュトラヴィンスキーとBSO

  

別の場所には 小澤の写真があった 一人の指揮者に二枚のポートレート(油絵と写真)は他にない

2002年からは BSOの名誉音楽監督と書かれている


1947年 セルジュ クーゼヴィツキー音楽監督指揮 BSO


2012年5月6日 キコのオーケストラ リハーサル風景


  

私の友人 旧ユーゴスラヴィア国立放送管弦楽団第一ヴァイオリン ヤーネス と 若いヴァイオリニストたち


ホルンのソロパートを任された まだ若い女の子 アタックが安定している


  

若い指揮者 パウ ホルケラ               コーラスも入って最後の仕上げ  


  

  開場直前 部署に着くホールの案内嬢たち      もぎり嬢からもらったプログラムなど

白い封筒風に入った私のチケットは 前から2列目 中央からやや右の特等席だった

数分後には 後ろの入り口から 一斉に観客が入ってくるはず


(つづく)


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★ アメリカレポート ボストン-⑤ 

2012-06-03 18:35:09 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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  アメリカレポート ボストン-⑤ 

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 ボストンシンフォニーホールに着いた ホールの前には我々の公演のポスターがあった

リハーサルの前にくつろいで写真を撮る団員たち

ボストン交響楽団のホームベース ボストンシンフォニーホールの

本番の前の リハーサルの前の 静まりかえった空っぽの舞台を天井桟敷から眺めた

単純な長方形の箱型 天井に装飾は少なく 豪華なシャンデリアもない

明り取りの高い窓(夜は外が暗くなれば関係がない)の下の壁にクラシックな彫像が並んでいるだけ

ステージの正面は長さと太さをそろえた3組のオルガンパイプで飾られているだけ

2段のギャラリーも含めれば 2600席ぐらいだろうか


1900年10月15日グランドオープニングとある

「全ての要求を満たした完璧なホール」 と言う言葉が 歴史の誇りを伝えている

右側の写真を見る限り 内部は今の姿と全く違いがない 頑なに伝統を護ってきたのだろう

時あたかも 西武開拓時代が終わり アメリカ合衆国は帝国主義時代に入っていた

1901年にはT.ルーズベルト大統領が就任し 1904年には日本は日露戦争に突入する

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代だ


アメリカの兵隊さんがまだこんなサーベルを下げていた時代に ボストン交響楽団は活動を開始したのか


現在の団員だと思う


  

弦楽器 ヴィオラに日本人が一人(松坂カズコさん) オーボエにも一人(若尾ケイスケさん) 

しかし 団員の中に占める中国人 韓国人 の割合は日本とは比較にならないほど多いのに驚いた


  

大物がいた、いた! 巨匠 小澤征二 の油絵肖像画には大きな銘盤が添えられていた 曰く

ボストンシンフォニーオーケストラ史上最長の29年間 彼はここで音楽監督の地位にあった


だれかが撮ってくれた写真 もうすぐリハーサルがはじまる 彼女も我々の団員の一人

(つづく)

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