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教皇フランシスコ 今年も 日本ために新司祭叙階
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5月22日 今年も教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂で司祭の叙階式を執り行った。ローマの大神学校から4人、レデンプトーリス・マーテル神学院から6人ーそのうち2人が日本のためー、6人がその他の教区や修道会のための、計16人だった。過去10年間、歴代の教皇が意識的に特定の国のための宣教師を意図して自らの手で司祭に叙階するのは日本に対してだけだ。一体日本のどこが特別なのだろうか?それは、10年前に高松で閉鎖された神学校を、前教皇ベネディクト16世が救って、ローマに移植されたからだ。そして、フランシスコ教皇はそれを日本に返すことを決定された。
初夏を思わせる暑い日曜日、聖ペトロ大聖堂前の広場は人であふれていた。
裏口から早めに聖堂の中に入ると、まだ一般の参列者は外で待たされていて、がらんとして冷気が漂っていた。
私を含む一群の共同司式司祭たちには、長い廊下が着替え室として用意されていた。
以下、写真アルバム風に時の流れを追ってみよう。
私も皆と同じ祭服を着せられる
盛装のスイス衛兵が持ち場に散っていく
中央の大ドームの真下に、教皇フランシスコが司式する祭壇がある。
教皇は中央の天蓋の真下に着座する。
ウイーン少年合唱団は日本でも有名だが、バチカンにも同じような少年合唱団がある。声変わり前の少年のソプラノはさながら天使の声のよう。
報道カメラマンの一団。よーく見ると、中央の女性カメラマンが明らかに私を狙っている。カメラ同士のガチンコだ。
長い行列の全容は私の定位置からほとんど見えなかった。最後に入ってきた教皇フランシスコ。
叙階式の入祭の祈り。
叙階を受ける日本ためのレデンプトーリス・マーテル神学院のファビオ神学生。
教皇から手に聖香油を塗られた日本のためのユライ神学生
按手を受けるファビオ神学生
祈りを捧げる教皇フランシスコ
諸聖人の名を連祷する長い祈りの間、床にひれ伏す16人の神学生たち
世俗の生活に死に、聖職者の生活に生まれるための荘厳な儀式
ユライの祖国クロアチアからだろうか。きれいな民族衣装の男女。
叙階式もクライマックス。ミサの中心、パンと葡萄酒が聖別されるとき、スイス衛兵たちは膝を折って敬礼した。私は長くローマに居たが、彼らのこの姿を近くで見たのは初めてだった。
16人の新司祭が生まれて無事叙階式は終わった。日本のためにまた新たに二人が教皇の手で叙階された。
彼らは、衰退の一途をたどる日本のカトリック教会の明日の再生を教皇から託された精鋭となるだろう。
日曜日とあって聖ペトロ大聖堂の広場は人であふれた。12時にアンジェルスの祈りがあって、教皇は宮殿の窓から信者に挨拶と祝福を贈ることになっている。私は祝賀昼食会の会場に急ぎ、12時前にバチカンを去った。
バチカン宮殿の最上階。右から二番目の窓が教皇の挨拶のために開かれている。しかし、長い慣例を破って、フランシスコ教皇はこの宮殿には住んでいない。彼は一般の職員と同じアパートホテルの二部屋に慎ましく清貧に生活している。宮殿には儀式の時だけ出かけるのだ。
これはちょっと巷で拝借してきた写真
車で30分。郊外のレストランに着いた。ここでユライとファビオの叙階記念パーティーが開かれる。
2人の関係者が一緒に入れる広間がない。私はユライの席に参加した。まずはワインで乾杯!
日本から駆け付けた共同体の兄弟姉妹も、一か所に固まって席に着いた。
クロアチアからやってきたユライのお姉さん。彼は6人兄弟の真ん中で、姉と妹に挟まれて、その結果神父への道を選んだと本人は言うが、意味やや不明。
ファビオの親友か?兄弟にしては似ていないから。コロンビアから遠路はるばる家族・友人大勢が叙階式に参列した。
祝宴も終わりに近づいた。ユライのお姉さんがテーブルの端で歌っている。ギターの伴奏でクロアチアの民族音楽の合唱が延々と続く。日本の民謡・唱歌ではこれほどの時間途切れなく歌うことはできないだろう。
今回は、難しい話は抜きで、ひたすら雰囲気を追いました。
ファビオ君、ユライ君、おめでとう!
(終わり)