:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★  世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー5)

2015-06-17 17:25:37 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

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  世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー5)

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ドームスガリレアのレセプションのテーブルの上の生け花は ユダヤ教の7枝の燭台を摸している

 

前日の朝は ユダヤ教の慣習に従って一同は祈った 最後の日の朝は カトリックの教会の朝の祈りの形式に沿って行われた

ウイーンのシェーンボルン枢機卿が祈りを司式した ユダヤ教のラビたちが共に祈ったのは感激だった

 

もちろんユダヤ教の祈りも付け加えられた ニューヨークのユダヤ教会堂の歌手 ラビ・シャーマンの歌も

 

朝の祈りが終わると キコは出席のラビたちに この3日間の体験の率直な感想を求めた

最初に発言したこのラビは このような日が来るなんて まるで夢のようだ

ユダヤ教のラビたちとカトリックの高位聖職者たちが一堂に会し

火を囲んで共に踊る日が来るなんて 一体誰が想像しえただろうか(もう涙声だった)

兄弟の諸君! 待望のメシアの到来は 諸君が考えているよりはるかに近いのかもしれない・・・と

 

 

別のラビが妻の肩に手を置いて立ち上がり 話し始めた

私が今日ここに居るのは カトリック教会のおかげだ

私の両親がナチスのゲシュタポに捉えられたとき 私はまだ小さな子供だった

そのゲシュタポは逃げていく小さな私を哀れに思い 射殺することなく見逃してくれた

その私を ユダヤ人の子と承知の上で 近所のカトリックの夫婦が 自分たちの命を賭けて匿ってくれた

(ユダヤ人をかくまうことがどんなに大変なことだったか「アンネの日記」を読めばわかる)

しかもその夫婦は 私のユダヤ人としてのアイデンティティーを尊重して 私にキリスト教の洗礼を強要しなかった

妻と出会って結婚したが 妻も全く同じような境遇だった (彼は話しながら涙を流していた)

この話 私の古いブログ 聖教皇ヨハネパウロ2世に関する「ちょっと爽やかなお話し!」に通じるものがある

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/af28860920e0e8f809dab37c43c1cbdb

 

キコの今回の試みを 歴史における画期的な試みとして 驚きと感謝を隠さない発言があった

 

キコの招待に応えてこの集いに参加したユダヤ人教師 つまりラビたちの間には

互いに大きな立場と信条の違いがあった

キリスト教の間でも カトリックが司祭・司教は独身の男性に限るとするのに対し

英国国教会では 女性の司祭のみならず 女性の司教までも認めようとする流れがある そして両者は絶対に相容れない

同じユダヤ教の中でも 女性の教師 女性のラビの存在を認める立場と 絶対に受け入れられない立場とがある

この集いの中に女性のラビが招かれていることを知ったら

同席を嫌う出席者の三分の二以上が 憤然として席を蹴って 帰ってしまう恐れさえあった

そんな中 女性のラビは 某研究所の博士・教授という紹介で からくも事なきを得た場面もあった

どんなにに小さなハプニングで どんな大きなパニックが いつ突発しても不思議ではない集いだった

キコは不安と恐怖で3日間眠れぬ祈りの夜を過ごしたと後で知った

 

中には辛口のコメントもないわけではなかった

然し 大勢はこの画期的なイベントの価値を評価し 同様の試みが続けられることを望む声が大多数を占めた

 

 

昼食でこの会議はスケジュールを終えることになっていた

食事も佳境に入り 早い人はデザートのビュッフェにケーキや果物を取りに立つ頃合いに

またサプライズが演出された

おなじみ ドームスガリレアの「黒い羊」たちの一団が ギター ヴァイオリン ボンギなどを奏でながら

 食堂に押し入ってきた

キコの作曲した歌には ユダヤ教の歌から曲想を取ったものが多数ある

やや哀愁を秘めた懐かしいメロディーに 昨夜の焚火を囲む踊りですっかり心が柔らかくなっていた一同は

自然に立って輪になって歌い踊り始めた

食堂の中の窮屈な空間は 踊るラビたちで沸き返った その中にカトリックの枢機卿もまじっていた

 

心が一つに融け合っていた

みんなヘブライ語で歌った

こんな場面は世界史上初めてのことだ

ラビ夫人たちも 手を打ちならして男たちの踊りを見守っている

お終いには みんな列をなして 前の人の肩に手を置いて 百足(むかで)のように

ほとんど売り切れたデザートビュッフェのテーブルの周りを回り始めた 緊張も警戒心も完全に消えた 兄弟の喜びの踊りだった

  

無事昼食も終わり 皆帰り支度に入った 名残惜しくて記念写真を撮った

(左から) 韓国の共同体責任者のジュリアナ ソウルの枢機卿 私 中国人の銀行家

 

玄関ホールの受付で テルアビブ空港行きの各バスの時間と乗客を確認するスタッフの後ろにも

ユダヤ教の祭儀で使われる7枝の燭台を象った生け花が

(おしまい) 

 

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★  世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー4)

2015-06-09 17:24:48 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

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世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー4)

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キコがデザインしたドームスガリレアは モダンな造形に満ちている

この球面のガラス窓の向こうは図書館になっている

図書館の中は広い四角い吹き抜けなのだが さらに その吹き抜けの下の壁寄りに お椀を伏せたような半球形のガラスの空間があって

その一部が壁に食い込んで外にはみ出す形になっているのが

上の写真の黒い球面のガラス窓だった

 

そして その半球形のガラスの部屋の中心に 何やら四角い台が見える

 

その台の上に厳かに安置されているのが 羊皮紙の巻き物 旧約聖書のモーゼ五書を記した 

トラーと呼ばれるユダヤ教の経典だった

しかも ただの巻き物ではない

600年前(もっと前だったかな?)に黒海のほとりで発見された稀少なヴィンテージもので

ユダヤ人が喉から手が出るほど欲しがる逸品なのだ

このドームスガリレアが 年間10万人とも言われるユダヤ人の訪問者を惹きつける要因の一つにもなっている

 

この会議の間 何度か話すうち ソウルの枢機卿様とすっかり親しくなった もちろん来年の東京のシンフォニーに御招待申し上げた

 

午後の部では 2-3名の著名なラビたちの話の後

ラビ・ユージーン・コーン博士の「キリスト教を再考する」と題する講義があった

 

コーン博士はあくまでもユダヤ教の立場から 2000年のキリスト教との歴史を再検討した

 

その中で この半世紀の間のカトリックの教皇たちの行動がまず取り上げられた

 

 

聖教皇ヨハネパウロ2世が歴史上はじめて バチカンから2キロと離れていないローマのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に最高位のラビを訪問したこと

 

引退前の教皇ベネディクト16世(まだ存命中)は ドイツ人教皇として初めてアウシュヴィッツを訪問

 

そして スクリーンへの20枚ほどのプロジェクションを駆使して 講演の要旨を紹介した

神の太祖アブラハムとの契約:

天と地の神の証人となること 人類に神からの道徳を教えること 世界の民々に祝福をもたらすこと

 

(神の)契約のパートナーたち:

世界は 人類の歴史にかかわりを持つ愛である神の被造物であり 神は命を超越する権威者である

 

(神の)契約のパートナーたち:

すべての人は神の似姿として創造され 神聖さと尊厳とを内に秘めている

宇宙の神は 人間の命を愛し 死を忌み嫌う

 

我らの契約の希望:

主の教えはシオンから 神のみ言葉はエルサレムから出る…

人々は剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。

国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。

人はそれぞれ自分のブドウの木の下 いちじくの木の下に座り 脅かすものは何もないと…

どの民もおのおの 自分の神の名によって歩む。 我々はとこしえに 我らの神、主のみ名によって歩む。

(旧約聖書 ミカ書4章2節-5節)

 

長い講演のなか 歴史の中の恨み つらみ 非難 憎しみの欠けらもなかった。

赦しと兄弟愛の 穏やかな 前向きなトーンで終始した。

そして、この日はたまたま ユダヤ教のラビ・アキバ予言者・殉教者の祭りの日 「ラクバ・ホメール」の日だった。

夕食後 ドームス・ガリラヤの入り口前の広場の焚き木に あかあかと火が入れられた。

 

そして ユダヤ教の偉いラビたちと カトリックの枢機卿たちと司教たち 男も女も 参加者全員が

焚火を囲んで ユダヤ教の哀愁に満ちたメロディーに乗って ダンスを踊った 

 

そのダンスを 焚火の火に黄金色に映える聖教皇ヨハネパウロ2世の像が 風にマントをなびかせ 

右手を上げて祝福していた。

2000年の恩讐を超えて 兄弟として肩を抱き合い踊るユダヤ人とキリスト教徒を!

 

ユダヤ人のラビたちの妻も カトリックの宣教女性たちも分け隔てなく・・・。

 

 大きく輪を描いて踊る 旧約のイスラエルの民と新約のイスラエルの民 同じ太祖アブラハムの子供たち

兄のユダヤ人と 弟のキリスト教徒たち

キコの曲に合わせて 夜の更けるのも忘れて その歌声は 炎と共に ガリレアの満天の星空に昇っていった。

 

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私は上智の学生だったころ 霊的指導者のホイヴェルス神父様に 世の終わりの前にどんな印がありますか? と訊ねたことがあった。

師はこたえた。

ユダヤ教徒が 民族として キリストがメシアであったと認める時だ!と。 私はそれを生涯忘れない。

この集いの中で ある著名なラビは言った。 

私たちの待望のメシアは ユダヤ教徒とキリスト教徒が一緒になって踊る日にやってくる と。

この二つ どこか同じことを言っているようには聞こえないか?

キコは招待状の中で集いのプログラムについて一切触れていなかった。

だから この火を囲む踊りは 参加者にとって全くのサプライズだったのだ・・・

 (つづく)

 

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★  世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー3)

2015-06-03 23:22:34 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

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 世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解への道(そのー3)

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 シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の感激と余韻がまだ冷めやらぬ翌朝

ローマ教皇フランシスコからこの集いに宛てられたあいさつが披露された

 

 

本物は一枚しかない これはコピーを写真に取り込んだもの それにしても何とも可愛い素朴なサインだ

 

教皇フランシスコはこう書いた 

私は この集いに参加したすべての皆様に挨拶を送り、精神的に皆様のそばにいることを約束します。

皆様の出会いが 兄弟としてのきずなを強め、

音楽の言語を通して、罪のない人々の叫びを世に知らせる熱意を深める機会となりますように。

私は、主がこの叫びを聴き、

苦しんでいるすべての人の苦痛を癒して下さるよう、あなたたちと心を一つにしてに願います。

そしてまた、人々の心が世界中の罪なき人々の叫びに対して開かれるように祈ります。

このような思いをこめて、平和と強さを祈念しつつ、皆様の上に神様の豊かな祝福を祈り求めます。

フランシスコ 

 

キコは この朝 思いがけないプログラムを発表した 

総勢300人ほどの参加者を たくさんの小さなグループに分けて 4つの質問に沿って話し合うことを提案したのだ

各グループは どうやら言語圏ごとに編成されたようだ 

 

ウイーンのシェーンボルン枢機卿が その関連の話をした

 

私はたまたま 英語を話すハンガリー人のラビたちと一緒のグループに割り当てられた

同じラビでも 左の若いのは進歩派 真ん中の髭は中道派

話し合いの中で二人の考えに大きな違いのあることが明らかになった ユダヤ教徒は一枚岩ではないのだ 

右のご婦人はラビの奥さん ご主人は他のグループに?

 

このグループも半分はカトリックで ブダペストの大司教がその中に居て 自然に座長になった

写真はないが 他に2人のカトリックのイタリア人がいた

質問の趣旨は 同じ唯一の神を信じる兄弟として

世俗化した神不在の現代社会に 如何にして神の愛と救いのメッセージを伝えるか と言うような内容だった

まずは 互いの自己紹介に多くの時間を裂いた 全体の持ち時間の殆どがそれで消えた

私の歴史 銀行マンからカトリックの神父への転向について ハンガリー人のラビ夫人が強く反応した

ラビの妻として 独身のカトリック司祭の私に向かって

情熱的で気性の激しいハンガリー娘と出会っていたら 彼女はあなたを一人にしておかなかったでしょうに と言った

言外に 「私のような」 という挑発的な意味が込められていた

 

 

なるほど 若い時に彼女のような娘と出会っていたら 捕まってしまったかもしれないな と思った

それほどの魅力を彼女は醸していた 

 

 昼食後 ドームスガリレアの敷地の外に出てみた 荒涼とした世界だった

   

左の方がガリレア湖の北にあたる 対岸はシリア方面  このあたり 春の初めまでは美しい緑だったろうが

今は黄色に枯れて 夏は暑い 自然が厳しいので 地表の草は棘でいっぱいだ

  

   

  

ここで一区切り この日の午後の内容豊かな展開は 次のブログに譲ることにしよう

(つづく) 

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★ 世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー2)

2015-05-27 03:34:19 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

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世界史の奇跡? = ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー2

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 準備は怠りなく整って 後はユダヤ人の兄弟たちを迎えるばかりだ

入り口ホールでは ドームスガリレアのスタッフと「黒い羊」たちが ユダヤ教のメロディーと歌詞の歌を歌って出迎える

(「黒い羊」については 下のブログ参照) 

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/b2c04c6083839293cffc095f6f93989b

 

ソウルのアンドリュー・ヨム・スジョン枢機卿は 参加者の先陣を切って到着した(右から3人目)

 

左の4人はユダヤ教のラビ(教師)特有の黒いつば着き帽子をかぶっている

右から2人目はウイーンのシェーンボルン枢機卿 先の教皇選挙では ヨーロッパ出身の有力候補だった

入り口の上のまるいガラス窓には 何やら紙が貼り付けられている それは

ガラスに描かれた十字架の横木の部分を隠すためだ

その紙には ウエルカム シャローム(平和)と書かれていた

ユダヤ教のラビが 十字架の印の下をくぐって キリスト教の建物に入るなんてあり得ないことなのだ

 

おや 2012年にニューヨーク、ボストン、シカゴで見覚えのある顔だ

エルサレムのユダヤ教大会堂のコーラス首席ソリスト チャイム・アドラー師だ 彼は今日再び 

ホロコーストの犠牲者の哀歌を歌うのだろうか

 

ホールの入り口には 縦長の見慣れたポスターがあった

これは ニューヨークのエイブリーフィッシャーホールの正面にも 楽屋口にもあったものと同じだ

 

ホールの中は ユダヤ教の要人たちと カトリックの高位聖職者らでいっぱいだった

オーケストラもコーラスも黒で盛装して 開演を待っている

この写真には大物がずらり 先ず右端が バチカンの信徒評議会議長のリルコ枢機卿

その左が シドニーのペール枢機卿 彼はフランシスコ教皇の改革8人衆の一人で 金融財政分野で大鉈を振るっている

その左の枢機卿は良く知らないが 右から4人目はソウルの枢機卿 そしてウイーンのシェーンボルン枢機卿

2列目真ん中は ドイツのコルデス枢機卿 高松の神学校建設の時 私は個人的に大変世話になった

 

 

(左)あいさつに立った国際ユダヤ協議会諸宗教会議会長のラビ・デビッド・ローゼン師    

(右)自己紹介とシンフォニーの解説をするキコ

 

いよいよ開演 指揮者トーマスハヌス 彼もカトリックに改宗する前はユダヤ教徒だった

最後には全員総立ちになって ヘブライ語で「シェマ― イスラエル」を大合唱した

その意味は「聞けイスラエル、主なる神は唯一の神!」だった

 

盛装したチャイム・アドラー師 ェルサレムのユダヤ教大会堂コーラスの首席ソリスト 

 

アドラー師の切々たる歌声に聞き入るデビッド・ローゼン氏(右手前) ペール枢機卿(その左奥)

 

この演奏会の司式者として カトリック側からの祈りをささげる ペール枢機卿

 

感激のうちに シンフォニーの演奏は無事に終わった

ヘブライ語でモーゼの十戒が彫られた石の壁の前で記念写真を撮るラビたちとその夫人たち

 

シンフォニーの後 遅い昼食が大食堂で始まった もちろんユダヤ教の戒律に従ったメニューで

 

メインテーブルには 右から コルです枢機卿 ペール枢機卿 キコ インドの枢機卿

こうして 一日目の主な行事は つつがなく終わった

(つづく) 

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★ 世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー1)

2015-05-26 17:00:52 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

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 世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解への道(そのー1)

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キリスト教がローマ皇帝から迫害される非合法宗教から一転して、ローマ帝国の国教の地位に登って以来1700年間、キリスト教はユダヤ人を迫害し続け、相互に反目し、敵対し続けてきた歴史がある。「ユダヤ教は強烈な選民思想であり、排他的な思想であり、イエス・キリストの処刑に関わった張本人」などという考え方も広がっている。

 

ガリレア湖に反射する太陽 向こうはシリアのゴラン高原 日本のPKO部隊が長く居たところだ

 

キリスト教からすれば、ユダヤ人は神から遣わされるメシア(救世主)を待ち望みながら、ナザレのイエス=キリストをメシアとして認めず、ローマ人に売り渡して十字架につけて殺した「神殺し」の民であり、ユダヤ人からすれば、キリストは偽メシアだったから排除されるべきは当然で、彼らは今も、本当のメシアの来臨を待ち望みながら、そのために日に3度祈りをささげている。

そのユダヤ人に対して、キリスト教徒がどのような感情をいだき、どのように彼らを扱ってきたかは、シェークスピアの「ヴェニスの商人」を読めば、その一端がうかがえる。そこではユダヤ人は金持ちだが強欲で無慈悲で邪悪なものとして描かれ、キリスト教徒は清廉で知恵に満ち愛に溢れていて、最後のどんでん返しでキリスト教徒がユダや人の鼻をあかすという筋書きになっている。

近い過去における反ユダヤ主義の生んだ最も不幸な出来事は、ヒットラーの率いるナチスによるホロコースト(絶滅収容所における大量虐殺)だった。その犠牲者の数600万人とも言われる。

 

アウシュヴィッツ強制収容所の正面に向かって伸びる鉄路

 

ホロコーストで民族存亡の危機を経験したユダヤ人は、数次の中東戦争を経て、パレスチナにイスラエル国を強引に建設し、多くのパレスチナ難民を生み出した。IS(イスラム国)がやっていることと大差ないやり方で国を作った。違いは、国際ユダヤ資本とアメリカやイギリスを味方につけたか、それらを敵にまわし、なおかつ野蛮なえげつないやり方に走ったかだ。然し、神の名において他人の土地を奪った点では同じではないだろうか。 

この不幸な歴史に、決定的な転換をもたらしたのが、聖教皇ヨハネパウロ2世とキコの二人の存在だった。

ヨハネ・パウロ2世は1979年、教皇として初めてアウシュヴィッツ強制収容所を訪問。1983年には教皇として初めてローマの大シナゴーグ(ユダヤ教に会堂)を訪れ、2000年3月(ミレニアム)には聖地を訪問し、「ユダヤ教徒は我々の兄である」と宣言し、キリスト教の歴史におけるユダヤ教徒への対応への反省を公式に発表した。

キコは、カトリックのミサの中に、ユダヤ教の過ぎ越し祭の要素を再発見し、ユダヤ教の祭りの歌のメロディーとヘブライ語の歌詞を豊かに取り入れて、たくさんの聖歌を作曲してカトリック典礼をより豊かなものにした。さらに、ガリレア湖のほとりの丘の上にドームスガリレアというコンヴェンション施設を建設し、ユダヤ人との交流の場を開いた。この施設には年間10万人以上のユダヤ人が訪れている。さらにシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」を世界中で演奏し、多くのユダヤ人たちを招いてホロコーストの犠牲者を悼んだ。

キコは、去る5月の4日から7日まで、キリスト教2000年の歴史で初めて、世界中のユダヤ教のラビ(教師)たちを招待して、シンフォニーを聴かせ、ユダヤ教とカトリックの宗教交流のコンヴェンションを開催した。世界中から120人のラビたちがその招きに応え、日本からは東京のユダヤ教会堂のラビ夫妻が参加してドームスガリレアで一堂に会した。

 

ドームスガリレアの入り口前の芝生に立つ聖教皇ヨハネパウロ2世像

 

開催に先立って、180人ほどの演奏家が、スペインとイタリアからやってきた。私もキコに呼ばれて参加した。5月2日から指揮者トーマス・ハヌスの念入りの特訓が始った。

 

コンヴェンションホールでの合同リハーサル風景

 

汗ビッショリになって棒を振り続ける指揮者トーマス・ハヌス

 

キコのコーラスの最大の特徴は若い妊婦さんの多いことだ この2枚の写真の中に

明らかにそれと分かるのが少なくとも3人 他に目立たないのが何人いるか 知っているのは神様だけ

 

彼ら ただ音楽を演奏するだけではない 時間には祈り ミサにもあずかり

ミサの終わりには 祭壇を囲んで みんな輪になって踊る ユダヤ人たちのように

準備は急ピッチで進んだ ユダヤ人の心情に配慮して 食堂の大きなキリストの十字架像も 聖母マリア像も取り除かれた 

ホールのガラスドアの握り手も 急遽斜め線を加えて4の字型にして ユダヤ人の手が十字架に触れたことにならないように工夫が凝らされた

あらゆるキリスト教のシンボルを消したのは ユダヤ人の心情に配慮してのことだ

 

 

ユダヤ人たちが 自分たちの固有の祈りを奉げることができるよう 特別の部屋も用意された

ユダヤ人ラビたちは ここでユダヤ教の礼拝を奉げることだろう

あと3日もすれば 世界中からユダヤ教の指導者たちが集まってきて

カトリックの枢機卿や 司教たちとここで歴史的な対話をすることになっている

世界史の転換点となり得る重大なイヴェントの前夜の姿だ

(つづく)

  

 

 

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★ 2013年 「ノーベル平和賞」 に想う

2013-10-12 20:23:30 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

《2013年 「ノーベル平和賞」 に想う

8月18日にアップした以下のブログに一部加筆したものです。

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  無垢な人々の苦しみ ② 

=アウシュヴィッツ=

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アウシュヴィッツの強制収容所の壁のパネルには

「歴史の教訓を記憶にとどめないものは

同じ悲劇を再び体験することになる」

ジョージ・サンタヤーナ

と記されていました



だから この旗を掲げた人たちのように

今もユダヤ人のアウシュヴィッツ見学者団体は 後を絶ちません



「ユダヤ人たちは完全に絶滅されるべき人種である」

ハンス・フランク

ポーランド占領ナチス総司令官の言葉 1944年

と言うことばが その背景にあります



そういう狂った信念のもとに駆り集められ

アウシュヴィッツに送られてきたユダヤ人の罪なき婦人と子供たちの姿

 


そして、裸にされ ガス室に向かって死の疾走を強いられる ユダヤ人の婦人たち

上はナチスSSの隠し撮りフイルムから


 

ガス室で殺され 焼却炉で焼かれた犠牲者たちの灰の一部を納めた 壺

 

 

犯罪の物質的証拠

 

 

犠牲者たちが身に着けていた義足や身体補助装具の山

 

 

犠牲者たちが履いていたおびただしい数の靴の山

 

 

生きてここを出られるという希望を託して名前を大書したカバンの山

その他 メガネの山 歯ブラシの山 櫛の山 

ガス室に送られる前に丸坊主にされた女性たちの髪の毛の山 それで織られた純毛の布地

etc, etc, etc. 紹介しきれない数の写真が私のファイルにはある



ガス室のガスになったチクロンの空き缶の山

(ここからの黒字今日2013年10月13日に追加)

チクロン、サリンなどの毒ガス、化学兵器は 貧者の核兵器と呼ばれる

旧日本軍も、関東軍の731(しちさんいち)石井部隊のように細菌や毒ガスなどの

生物化学兵器を開発し、それを実験し、使用した

かつての日本や今のシリアなどのような資源の無い貧しい国々にとっては

コストパーフォーマンスのいい有望な兵器だ

「シリアの化学兵器攻撃は世紀の大ウソ」 

と言うカトリックの修道女マザー・アグネスの報告書のような根強い反証もあるが

化学兵器禁止機関の ノーベル平和賞受賞》 

この種の兵器は俄かに世界の注目を集めることになった

ブッシュがイラクに侵攻し サダム・フセインを追い詰め殺した

イラク戦争の口実になった大量破壊兵器の存在は大ウソだった

オバマがシリア空爆寸前までいったアサドの化学兵器使用

マザー・アグネスの報告書の通り大ウソだったかどうかはなお検証を要するが

世界中に化学兵器が存在することは厳然たる事実だろう

(以下元のブログに戻る)



毒ガスで殺された遺体を昼夜休むことなく灰にした焼却釜の列

 

 

アウシュヴィッツはドイツ人が作った強制収容所、死の収容所、の最大のものだった

1940年から1945年の間にここに送られてきたのは、少なくとも:

ユダヤ人  1,100,000 人

ポーランド人 140,000-150,000 人

ジプシー 23,000 人

ソ連の戦時捕虜 15,000 人

その他の人種のもの 25,000 人

これらの人たちの内 1,100,000 人がアウシュヴィッツで死んだ

 その約90%がユダヤ人だった その大部分をSSはガス室で殺戮した

 

 

他にも 多くの人たちがこの壁の前で銃殺された

 

 

止まれ!

と書かれていても 多くの人がその向こうの高圧電線に触れて命を絶った



3本の柱の上に渡された何の変哲もない一本レール

これが見せしめの大量絞首刑の装置として日々利用された

 

 

特別重要なな囚人の処刑に用いられた絞首刑台

ここで

戦後ポーランドの国家最高法廷で死刑の判決を受けた

アウシュヴィッツのSS最高司令官

ルドルフ・ヘス(Hoess) 

1947年4月16日に吊るされて死んだ

因果応報 とはこの事か?


私は何故 しつこくアウシュヴィッツを描写するのか?

それは

ここで無数の無垢な魂たちが意味もなく殺されたこと

そして この場所で最近キコの作曲したシンフォニー

「無垢な魂たちの苦しみ」

が多くのユダヤ人たちの前で演奏されたこと を記録にとどめたいからだ

キコは このシンフォニーを日本でも演奏したいと考えている

次回から そのシンフォニーの東欧ツアーに話題を移す

(つづく)

 

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