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世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー5)
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ドームスガリレアのレセプションのテーブルの上の生け花は ユダヤ教の7枝の燭台を摸している
前日の朝は ユダヤ教の慣習に従って一同は祈った 最後の日の朝は カトリックの教会の朝の祈りの形式に沿って行われた
ウイーンのシェーンボルン枢機卿が祈りを司式した ユダヤ教のラビたちが共に祈ったのは感激だった
もちろんユダヤ教の祈りも付け加えられた ニューヨークのユダヤ教会堂の歌手 ラビ・シャーマンの歌も
朝の祈りが終わると キコは出席のラビたちに この3日間の体験の率直な感想を求めた
最初に発言したこのラビは このような日が来るなんて まるで夢のようだ
ユダヤ教のラビたちとカトリックの高位聖職者たちが一堂に会し
火を囲んで共に踊る日が来るなんて 一体誰が想像しえただろうか(もう涙声だった)
兄弟の諸君! 待望のメシアの到来は 諸君が考えているよりはるかに近いのかもしれない・・・と
別のラビが妻の肩に手を置いて立ち上がり 話し始めた
私が今日ここに居るのは カトリック教会のおかげだ
私の両親がナチスのゲシュタポに捉えられたとき 私はまだ小さな子供だった
そのゲシュタポは逃げていく小さな私を哀れに思い 射殺することなく見逃してくれた
その私を ユダヤ人の子と承知の上で 近所のカトリックの夫婦が 自分たちの命を賭けて匿ってくれた
(ユダヤ人をかくまうことがどんなに大変なことだったか「アンネの日記」を読めばわかる)
しかもその夫婦は 私のユダヤ人としてのアイデンティティーを尊重して 私にキリスト教の洗礼を強要しなかった
妻と出会って結婚したが 妻も全く同じような境遇だった (彼は話しながら涙を流していた)
この話 私の古いブログ 聖教皇ヨハネパウロ2世に関する「ちょっと爽やかなお話し!」に通じるものがある
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/af28860920e0e8f809dab37c43c1cbdb
キコの今回の試みを 歴史における画期的な試みとして 驚きと感謝を隠さない発言があった
キコの招待に応えてこの集いに参加したユダヤ人教師 つまりラビたちの間には
互いに大きな立場と信条の違いがあった
キリスト教の間でも カトリックが司祭・司教は独身の男性に限るとするのに対し
英国国教会では 女性の司祭のみならず 女性の司教までも認めようとする流れがある そして両者は絶対に相容れない
同じユダヤ教の中でも 女性の教師 女性のラビの存在を認める立場と 絶対に受け入れられない立場とがある
この集いの中に女性のラビが招かれていることを知ったら
同席を嫌う出席者の三分の二以上が 憤然として席を蹴って 帰ってしまう恐れさえあった
そんな中 女性のラビは 某研究所の博士・教授という紹介で からくも事なきを得た場面もあった
どんなにに小さなハプニングで どんな大きなパニックが いつ突発しても不思議ではない集いだった
キコは不安と恐怖で3日間眠れぬ祈りの夜を過ごしたと後で知った
中には辛口のコメントもないわけではなかった
然し 大勢はこの画期的なイベントの価値を評価し 同様の試みが続けられることを望む声が大多数を占めた
昼食でこの会議はスケジュールを終えることになっていた
食事も佳境に入り 早い人はデザートのビュッフェにケーキや果物を取りに立つ頃合いに
またサプライズが演出された
おなじみ ドームスガリレアの「黒い羊」たちの一団が ギター ヴァイオリン ボンギなどを奏でながら
食堂に押し入ってきた
キコの作曲した歌には ユダヤ教の歌から曲想を取ったものが多数ある
やや哀愁を秘めた懐かしいメロディーに 昨夜の焚火を囲む踊りですっかり心が柔らかくなっていた一同は
自然に立って輪になって歌い踊り始めた
食堂の中の窮屈な空間は 踊るラビたちで沸き返った その中にカトリックの枢機卿もまじっていた
心が一つに融け合っていた
みんなヘブライ語で歌った
こんな場面は世界史上初めてのことだ
ラビ夫人たちも 手を打ちならして男たちの踊りを見守っている
お終いには みんな列をなして 前の人の肩に手を置いて 百足(むかで)のように
ほとんど売り切れたデザートビュッフェのテーブルの周りを回り始めた 緊張も警戒心も完全に消えた 兄弟の喜びの踊りだった
無事昼食も終わり 皆帰り支度に入った 名残惜しくて記念写真を撮った
(左から) 韓国の共同体責任者のジュリアナ ソウルの枢機卿 私 中国人の銀行家
玄関ホールの受付で テルアビブ空港行きの各バスの時間と乗客を確認するスタッフの後ろにも
ユダヤ教の祭儀で使われる7枝の燭台を象った生け花が
(おしまい)