性的マイノリティーへの差別
「福音と社会」の記事を巡って ③
LGBT当事者 カトリック信徒
カトリック新聞の3番目の記事が私の手に届きました。
今回は匿名の記事で、前の二つの記事よりは目立ってトーンダウンしている印象です。しかし、まだ「偏見に満ちたヘイト記事」とか、「読む人に偏見と恐怖を植え付けようとしている」などの紋切り型の「レッテル貼り」と一方的な「決め付け」は相変わらずです。しかし、問題とされている私の記事はこのブログに全文を開示しているので、それに対する決め付けが当を得ているかどうかは、各々の読者が判断すべきものであって、わたしから別に何か言うこともありません。
とにかく、カトリック新聞に掲載された今回のシリーズの ③は、全体としてカウンターコメントに値するほどの内容のものではありませんでした。
LGBTの一部の人は、私の記事を巡って、まるで蜂の巣をつついたような大騒ぎになりましたが、「全文公開」という「びっくり水」でシュンとなり、結局は竜頭蛇尾に終わったということでしょう。
悪意のあるレッテルを私にべたべたと貼り、人々から私を遠ざけ、私の記事が人に読まれないようにしようと企てた隠ぺい、口封じ、のあらゆる工作は徒労に終わったばかりではなく、かえって一気に何十倍も、ひょっとしてそれ以上の多くの人に読まれるように宣伝広告してくれた逆効果に終わったので、むしろ私の方から感謝しなければならないのかもしれません。
そんなわけで、この3番目の記事についてはほかに何も言うことはありませんが、せっかくなので、もう一杯の「びっくり水」を用意しました。
ジェンダー問題を切る
ジェンダー問題の4つの当事者
私は、この一文をもって、ジェンダー問題を複雑にし、扱いにくいものにしている隠された意図とメカニズムを明るみに出そうと考えています。以下の手順で始めましょう。
セクシュアリティを決める4つの要素
① 身体的性:Sex:男、女、Mutant (ミュータント=突然変異:異形)
② 性自認:Gender Identity : 自分はこの性であると考えている性
③ 性表現:Gender Espression:自分が表現したい性
④ 性的指向:Sexual Orientation:恋愛感情、性的衝動、性欲の向かう対象
これらの4つの要素はジェンダーの問題を考えるうえで重要な要素ですが、これは私が今論じたい「ジェンダー問題の4つの当事者」の話ではありません。
4つの主要ジェンダー(LGBT)
性的マイノリティにはさまざまな形態が言われています。
L:レスビアン:性自認が女性で、性的指向の対象が女性の人
G:ゲイ:性自認が男性で、性的指向の対象が男性の人
B:バイセクシュアル:性的嗜好が男性と女性の両性に向いている。
T:トランスジェンダー:身体的性と性自認が一致せず、それについて違和感を感じているセクシュアリティ
しかし、これら4つも、今私が論じようとしている「ジェンダー問題の4つの当事者」ではありません。そして、この4つのジェンダーのほかにも、
Q:クェスチョニング(Questioning):性自認や性的志向を決められない、決めていない、迷っている
Q:クィア(Queer): 「風変わりな」「奇妙な」「奇異な」「異様な」と訳される:同性愛者の一面をとらえようとする言葉(実は私には何のことだよくわかっていません)。
I: インターセックス(Intersex):身体的性において男性と女性の両方の性別を有する?自然界、特に下等動物に多くみられる両性具備のこと?人間にもあるのか?
A:アセクシュアル(Asexual):どの性にも恋愛感情や性欲を感じない。
+:は、その他何でもあり。その中には必然的にペドフィリア(小児性虐待)、お稚児、喝食、獣姦・屍姦(ネクロフィリア)などの倒錯した性嗜好までも含まれるものと思われる。
これらを含めて短く総称として一般的に“LGBT”と言うこともできるようですが、私の言わんとする「4つの当事者」はこの観点に立つものではありません。
性的マイノリティの旗印としての「虹」(レインボー)
性的マイノリティの運動にしばしばレインボー「虹」が旗印として用いられていますが、欧米の子供たちに「虹」の色は何色と聞くと、たいてい四つ(赤、黄色、緑、青)がせいぜいです。ところが、日本の子供たちに聞けば、ほとんど七色と答える。そして、どんな色と聞くと、せき(赤)とう(橙)おう(黄)りょく(緑)せい(青)らん(藍)し(紫)とすらすらと出てきます。それほど日本語は感覚的語彙が豊富なのです。私の座右の色鉛筆は36本、36色です。LGBTQIA+の性の多様性もそれにも劣らず多種多様なのでしょう。
しかし、LGBTの旗印を見ると、なぜか6色の虹色です。とにかく、それも私の「ジェンダー問題の4つの当事者」と関係がありません。
では、私の分類する「ジェンダー問題の4つの当事者」とは何でしょうか。
答えは:
① 本来の意味での性的マイノリティとしてのLGBT
② LGBTの特異グループとしての活動家
③ アライ
④ 悪魔(サタン;Satan)
これからこの「4つの当事者」を個別に吟味しましょう。そして、その巧妙、かつ複雑な相関関係についても。
それらはLGBTを巡って互いに絡み合っているが、実は別々の存在で、相互に利害が一致する面もあり、相反する面もあります。
これからこの「4つの当事者」を個別に吟味しましょう。
① 厳密な意味での性的マイノリティ
成長していく過程で自分が世間のマジョリティとは違うLGBTであることに目覚め、気付き、孤立し、悩んでいる人たち。彼らはほとんどが心優しく、傷つきやすく、世間からは隠れている、あるいは隠されています。彼らはシャイで、自己主張したり、騒がしく声を上げたりすることはまずありません。彼らは見出され、優しく護られ、同伴され、支援を受け、権利を保障され、差別されることなく平等に扱われ、マジョリティと対等の人権を認めら、活動が保証されるべき人たちです。
たとえが良いかどうかわかりませんが、盲人を転落から護るために社会資本を投入してホームドアが設置されるように(それは同時に自殺予防の目的もあるが)、成熟した社会は性的マイノリティへの差別を撤廃しその平等の権利を保障するために必要な社会投資を惜しんではならないと思います。
その意味において、私は他のアライの人たちに引けを取らないほど熱心なLGBTの弁護者であり、擁護者であることをあらためて声を大にして言いたいとおもいます。私がそういうものであることを知りながら、故意に「LGBTQ+の方々に対する無知と偏見、差別や侮辱、憎悪に満ちたヘイト記事」「言葉による暴力」などのワンセットのレッテルで封じ込め、脅し、口封じをしようとする人たちは、虚言者であり、私に対しても社会に対しても大きな不正を行っていると言わざるを得ません。
そもそも、性的マイノリティと一口に言っても、その内容は必ずしも均一ではありません。
身体的性と性自認は明白に男または女であっても、性的嗜好が同性に向かう人はホモセクシュアル(Homosexual)と呼ばれますが、LもGもその意味ではホモセクシュアルです。
元来、日本語は他に類例を見ないほど優れた豊かな言語です。表意文字の漢字の他に、表音文字のひらがなとカタカナがあります。加えて、外来語を表記するために多用されるカタカナは、外来語を短縮して表記する場合が多いです。パソコンはpersonal computer であり、テレビはtelevision setであり、スマホはsmart phoneであり、カタカナで短縮表記しても意味が分かる場合はどんどん短縮します。ホモセクシュアルの人が自分たちの仲間うちではを自嘲と卑下をこめてホモと呼び合っているのに、外部の人からホモと呼ばれると、それは差別だと大声を発するのは、テレビジョンセットがテレビと短縮されると差別されたと言って文句を言うのと同じではないでしょうか。
被差別部落の場合、関連の差別用語はウエブサイトの「差別用語の一覧リスト」からも消されているほどですから、子供時代に何げなく使っていた言葉も敢えてここで例示しない方が安全というものです。
いずれにしても、原因は様々でも同性愛的傾向は、健全なクリスチャン家庭の子女の間でも稀に見られ得る極めてデリケートな問題であるわけで、細心の注意をもって対応されケアーされなければならないことは言うまでありません。
② LGBTの活動家
これは、性的マイノリティの運動の中でも特に積極的発信性の高い活動家たちのことです。その代表格は、身体的性が男性で性自認が女性のT(トランスジェンダー)の女性たち(MtF)で、そのほかにもゲイの中でも特にゲイプライド(実はこの言葉の意味は私にはまだよくわからない)と自称する人たちがこのグループに属すると言えるでしょう。それに対して、L(レスビアン)の人たちや社会的発信性の少ないG(ゲイ)の人たちはここで言う「活動家」とは別の範疇、つまり、上の「①厳密な意味での性的マイノリティ」の範疇に留まるのです。
私への攻撃に中に、「(MtF)T」を差別しているというのがありましたが、私はその人たちを差別なんかしていない。ただ、その人たちを巡って不都合な事象が多発していると、具体例を挙げて述べたにすぎません。私は差別者ではありません。
「活動家」と目される性的マイノリティは、権利意識が高く、多くは要求的、拡張主義的、攻撃的で、良くも悪くもプライドが高い人たちです。
カタカナのプライドと言うと、日本では「誇り高く尊厳を重んじる」良い意味で使われる場合が多いですが、英語を始め諸外国語では「誇り高く尊厳を重んじる」良い意味と「傲慢・尊大」という悪い、否定的な意味の両方に同じ pride (プライド)という言葉が用いられることは注目に値します。
LGBTのマイノリティーの人たちとマジョリティの人々との間の摩擦や軋轢や葛藤などの不都合な問題は、もっぱらこの「活動家」グループとの間の問題です。
③ アライ
LGBT活動の同調者:自らは性的マジョリティに属しながら、LGBTの活動家を支援し、場合によっては自らも運動のイニシャティブをとる人たち。(アライはアライアンスの短縮語:連帯というよりは、同盟の意味が正しいか?)
アライには大別して二通りあります。一つは、単純で純情で深く物事を考えないで乗せられやすい人。政治家、自治体の公務員、教育者、などに多いタイプです。「マイノリティを差別するのは良くない。彼らは差別に苦しんでいる。彼らを支援しなければ。」とひたむきに考えて、その結果についてはあまり深刻に考えていない彼らの多くは、後ろから煽られると調子に乗って活動をひろげます。しかし、少し覚めた良識のある人は、LGBTの運動の陰に伴う様々な不都合な面に気づき、その行き過ぎに疑問を抱き、立ち止まり、遠ざかっていく人も大勢います。
もう一つのタイプは、トランスジェンダリズムのある側面が世の中にどれだけの不都合、害毒、悪影響を及ぼすかを知っているひとたちです。だが、同時にトランス運動がどれほどおいしい利権に繋がっているかも知っています。だから、彼らは自分がLGBTの専門家として振る舞えば、多額のコンサルタント料を企業から貰い政府から援助金をもらえるとわかってやっている確信犯です。彼らにとってすべてはお金のためなのです。
④ 悪魔(サタンSatan)
神を信じない人は天使も悪魔も信じないでしょう。それは当たり前のことです。しかし、実際に悪魔は人間よりも賢い霊的存在として実在します。このサタン(悪魔)=マンモン(お金)の働きを考察の重要な要素として取り入れなければ、現実のLGBTの奥深い複雑な闇の問題の解明は不可能になります。
しかし、ほとんどの人は悪魔の存在など考えたこともありません。それもそのはず、悪魔は姿を隠す天才だからです。悪魔は人間の前にその気配を消すことに成功すれば、すでに目的の8-9割を達成したも同然です。気付かれずにやりたい放題ができるからです。だからふつうは隠密に働き、通常は決してその姿を現しません。稀に図に乗って油断してその姿や名前を表わしますが、それは状況が有利に展開していると過信し勝ち誇ったときに限られます。私が偶然拾った下の写真などは稀な例の一つです。
では、なぜ悪魔は存在するのでしょう。神は悪魔を創造しなかったはずなのに。神は最高の被造物として天使を創造しました。その天使の中で最高の輝きを放ったルチフェル(光を運ぶ者)は、頂いた神の能力、つまり理性と自由意思を濫用して神よりも偉いものになろうという傲慢(プライド)の罪を犯して地獄に落ち、そこの主となりました。彼は神に愛された人間に対して妬みを抱き、人間を神から離反させ、人間を地獄の仲間に引き入れようと、日夜眠らず画策しています。
LGBT劇場の主な配役のプロフィルはこれぐらいで十分でしょう。
残る問題は、これら4つの当時者たちの役割と相関関係ですが、一回のブログでは語りきれないので、ここで一休みして、続きは一回で終わればよし、さもなければ、さらに続けることにいたしましょう。
請うご期待!