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「奇跡?」 ヨハネ・パウロ2世教皇の暗殺未遂事件
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一人のスペイン人の神父が、クリスマス休暇で帰っていたグラナダから、奇妙な写真と記事を持って戻ってきた。その写真は、日本語に訳すると、以下のような文章と共にあった。それは私の好奇心と、猜疑心と、批判精神を刺激する上でまたとない格好の材料だった。
まずは、先入観なしにそれを読んで頂きたい。なお、写真はコンピューターのデーター操作で直接ブログに貼り付けようとしたが出来なかった (どうやら絵のように最初からアナログデータだったらしい) ので、一度ワードのファイルに移し、それを光沢紙にプリントして、さらに私のカメラで撮影して、出来たデジタルデーターをブログに貼り付けるという厄介な手順を踏んだので、下のものは質がかなり落ちていることを念頭においていただきたい。(以下、記事の内容。赤の波線以下は全て記事のとおり。)
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下の写真を見て下さい、感動的でしょう。
このメッセージと祈りの力を感じ取るために別にカトリック信者である必要はありません
ヨハネ・パウロ2世教皇が何故何年もこの写真を隠していたのかわたしたちは知りません。バチカンは最近になって初めてこの写真を公表しました。この写真は教皇が襲われパパモビレ(教皇の車)の中に倒れこもうとしたちょうどその瞬間、一人の警護官によって撮られたものです。彼の表情には苦痛を見とることができます。
上の写真をよく見て下さい。1981年5月13日に狙撃されたとき、聖母マリアがヨハネ・パウロ2世を腕に抱いているのが見られます。教皇ヨハネ・パウロ2世は、聖ペトロ広場に集まった人々に話しかけるために到着した時に撃たれました。彼は撃たれたとき、何時もたずさえているロザリオを手に持っていました。彼が倒れようとしたとき、何処からともなく一人の婦人が急いで彼の傍に現れ、彼を抱きとめました。上の写真がそれです。写真は、自分のカメラで教皇のスナップを撮るのに夢中になっていた群衆の一人が撮影したものだと言われていました。婦人は現れた時と同じようにすばやく姿を消しました。
狙撃者は広場で逮捕され、終身禁固刑を言い渡されました。教皇は致命傷を負いましたが、手術を受け、長い療養のすえに一命をとりとめました。驚いたことに、発射された全ての弾丸は、いずれも彼の生命に関わる内臓組織の全てを避けて貫通したことです。やっと完治した時、彼が最初に探し求めたのは彼のロザリオでした。彼がそれを手にしたとき、おん母マリアは、弾丸(複数)が彼の体をうまく通り抜けるようにその弾道を逸らされたのを感じた、と語りました。確かに、ヨハネ・パウロ2世は何時も規則正しくロザリオを唱えることを習慣としていた。ある時彼は、私の一番好きな祈りはロザリオだと語りました。
バチカンのホアキン・ナヴァロ・ヴァルス報道官は、この信じがたい写真についてバチカンが何年もかけて膨大な検討を重ねたと語りました。もちろん、写真の現像の質についても研究した。なぜなら、現像された時は、像がはっきりしていなかったので、誰もよく見ることは出来なかったからだ。写真映像の(世界中の)多くのエキスパートたちの綿密な観察とチェックを経て、彼らはその中に全く何のトリックもなかったと結論付け、この神の母からの素晴らしい贈り物をわたしたちに与えた。神の母がヨハネ・パウロ2世を抱いているのが見えます。素晴らしいではありませんか?
あなたがお信じになるかどうか知りません。しかし多くの人が信じています・・・そして信じている人たちの間には、フロリダのレジデンスにガラス絵の窓に写真を再現したトーマス・ヴェンスキー司教もいます。下にそれを見ることができます。
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= ここからは再び私の言葉です =
この写真は、痛く私の好奇心を刺激しました。実は、二枚目の写真の後に「メッセージと祈りの言葉」が続いているのですが、それはありきたりの信者さん向けの信心臭いもので、しかも私の関心外の冗長なものだったので、省略してあります。
この写真のことをめぐって、目下、詳細に、かつ批判的に検討中。近々なにかご報告できると思います。 請う、ご期待!