悲しいお知らせ - しかしローマは「フクシマ」を忘れない
ルイジ・モリナリ名誉会長 逝去
3.11「東日本大震災」被災者のために祈る会(ローマ)
在りし日のルイジ・モリナリ権司教
私は去る10月24日にローマを発って成田に向かった。その二日前、モリナリ名誉会長が入院したと知った。虫の知らせか、これは発つ前に絶対に見舞わねばならないと感じて、無理に時間を作って23日の夕暮れに病院に駆け付けた。
日本の明るいきれいな普通の病院にくらべて、天井だけはバカに高いが、思ったより質素な暗い石造りの病室に横たわっていたモリナリ師は、意識ははっきり、目は澄み切っていたが、肉体はすでに天国への旅立ちに備えているように見受けられた。
私の顔を見るなり、“Ekuko” は大丈夫だったか?と聞かれた。どんなに横山さんの手術を気遣い、一心に神に祈っておられたか、師の強い思いが伝わってきた。手術は成功したが、その後の困難な状況について報告すると、師は心配げに聞き入っておられた。
手を握りしめて、明日私は東京に発つが3週間後には戻るから、また見舞いに来ますね、と言って別れた。曖昧に微笑んだ彼の肌は蝋のようで、青白かった。その日、私はカメラを持っていなかったので、ここに彼の写真はない。
11月16日の夜ミラノ経由でローマに着いた。明けて17日は知人の夫の葬儀の司式を頼まれていた。その出棺を見送ってほっとしたところに、モリナリ師は昨日亡くなった、というショッキングな報せが届いた。
葬儀は18日聖ペトロ大聖堂の脇祭壇の一つ、5世紀初頭の偉大な聖ヨハネ・クリゾストモの墓の前で行われた。(私はこの聖人はコンスタンチノープルに葬られているものとばかり思っていたが・・・)脇祭壇といっても半端な大きさではない。モンセニョール(権司教)ともなれば、司式は枢機卿。司教たちや司祭たちが共同司式した。参列者は大聖堂の側廊にまであふれた。
聖ペトロ大聖堂の両側にたくさん並ぶ脇チャペルの一つがこの大きさだ。大聖堂全体がいかに巨大かがよくわかる
床の絨毯に上に直におかれた棺には花は添えられていない
棺の上の名盤から師が95歳で永眠されたことがわかる
このモリナリ師の葬儀の日の夜、私は長いメールを受け取った。
そこには、ローマの有志の皆さんが、恵久子さんの支援のために募金に立ち上がったことが記されていた。
モリナリ師の最後の置き土産のような気がした。 私のブログが一つの引き金になったそうだ。
ああ、ローマにはやはり理解者たちがいた、と胸が熱くなった。
送金手数料がバカにならないので、私がその貴重な募金の運び屋の役を仰せつかることになった。
サンタリタの教会の主任司祭だったモリナリ師は、毎年三月に3.11追悼のミサを執り行った
2014年3月の追悼ミサでは私も共同司式をした
今年の追悼ミサのあとではコンサートも開かれた NHKのユーチューブ
動画を見るには真ん中の赤い窓の中の白い△をクリックする
モリナリ師は逝っても、ローマは「フクシマ」のことを、そして恵久子さんのことを決して忘れない。
3.11「祈る会」が恵久子さんに贈った表彰状 6人のボランティアーに贈った表彰状
《 3.11「東日本大震災」被災者のために祈る会(ローマ)》は、「名誉会長」モリナリ師亡き後、「会長」平山高明司教(90歳)によって引き継がれることになるだろう。
3.11「東日本大震災」被災者のために祈る会(ローマ) の「会長」
ローマの「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」の院長 平山司教