(追補版)
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〔福島〕 「悲しい便り」
- ついに恐れていたことが現実に -
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10月3日に「チェルノブイリの子供たち」 を書いて以来、思い返せばずいぶん長い間ブログの更新を怠ったものです。まめに訪問してくださっていた皆さんも、あきらめて去って行かれたのではないかと心配しています。6月末にローマから帰国して以来、呼ばれたところから、求められたところへと移り行き、絶えず枕が変わる放浪生活の連続でした。日本のカトリック教会の現状については、思うところ、言いたいことは多々あっても、いまはじっと沈黙するときと心得ていますので、差し障りのない適当な素材はおのずから限られ、それをまとめる時間はさらに限られているのが、今の自分のありのままな姿です。現に今夜は函館の国際ホテルの一室す。つかの間の静寂を使って夜の更けるのを忘れて書いているのです。
そんなところへ、先日久々にローマからメールが舞い込んでいました。互いに信頼しきった仲だから、敢えてそれを題材として拝借することにしました。関係者のプライバシーには配慮しましたので、〇〇子さん、どうか許して下さいね!
彼女のメールは以下の通りです:
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谷口神父様、お忙しいのにお邪魔します。
福島では神父様も御存知の様に 今月から、18歳未満の子供達の体内被曝検査が行われています。
これから先、定期的に行われて行くそうです。
尿検査や、甲状腺の検査等、など・・どの程度被爆しているのか・・・
その検査で白血病や癌の要素を調べるのでしょうか。しかし、それ以上の保障は無いのだそうです。
T 君の場合は、早くに県外に強制避難させられています。そしてローマにいらしています。
Enit 企画の italian friends for japan の第1 団の母子さん達でしたから、受け入れ側はよくオーガナイズされておらず、
小さな T 君を背負って、途方にくれて困っておられました。
まだショックから立ち上がれずにいたその母子さん達を、どうやって安心してローマに馴染んでもらえるか、
この貴重な時間を如何に謳歌して貰えるかと励ましたり、挫けそうな彼女を叱ったり。
私も悩み、精一杯愛情を注いで、そのころ車椅子の父を押して毎日ホテルに通いました。
T 君は津波後、現地を離れていた時間が多いですから、体内汚染も半減しているはずです・・・・・しかし・・・
T 君は、既に避難する前に大量に被爆している事になると思われるのです。。。
昨夜彼女からこの様なメールを受信しました。
とても悲しくて、なんと御返事を返したらよいか判りません。
せめて私たちと縁があった子供達には、絶対にこんな事はあって欲しくなかった。。。
彼女達は放射能に病んだ4 歳の息子を抱えて、まだ避難所を転々と明日の希望も無いジプシー生活をしています。
谷口神父様、励ましの言葉を教えて下さい。
福島県内の子供達は、毎日大きなマスクと防放射能用レインコートを着用して、通学します。
市や親達は、通学路と校舎を除染しています。
またさらに、その汚泥を捨てる場所の問題をも抱えています。
1日1時間、県内でも場所によっては、1日2時間外出可能です。
それは殆ど、通学だけで外出時間が終わってしまうそうです。
****ここからは、母親の S さんからのメールです。****
〇〇子さん、
たいへんご無沙汰をしております。ローマでお世話になりました S です。避難生活はまだ続いております。ホールボディ検査で、息子のT からセシウムが検出されました。同じ町の子どもたち50人が受けて、なぜ T だけにセシウムが出たのか、私共夫婦は戸惑うばかりです。行政に訴え、検査をするだけのものにしないでほしいと訴えたりするうちに、いつしかずいぶん時間がたってしまいました。
8月末、10月末と住んでいる避難所が次々閉鎖となり、住居を転々としており、なかなか落ち着けません。いまは次の住まいの審査結果待ちをしております。今度こそ、落ち着いてお世話になった皆々様にご連絡をしたいと思っております。もうすこしだけ、時間をください。
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T 君の家族は事故をおこした福島第一原発の至近距離にあったのではないかと思っています。政府の命令で強制疎開させられ、取り敢えず疎開した先から極めて早い時期に Enit のプロジェクトのおかげで安全な海外に脱出できたことは、まことに幸運な、幸いなことだったと誰しも思ったことでしょう。
しかし、3.11から強制疎開まで、そして最初の疎開地からローマに脱出するまでに、すでに浴びてしまった放射能までは、事後的に除去することはできなかったのです。
私は8月10日にアップしたブログ「津波被災地は今-1」 の中で、三号機の爆発は単なる水素爆発ではなく、「メルトダウンした貯蔵プールの核燃料の高温の塊が臨界に達して起きた核爆発であった」 と書きました。私は国も、東電も、一般のマスメディアもその点に注目して取り上げようとしないことが不思議でなりません。U チューブやインターネットのサイトなどでは盛んに論じられているというのに・・・。
このことを巡って私は、科学に強い理系の友人と激しい議論をしました。すんでのところで彼との友情を壊してしまうところまで行きました。しかし、私の確信は変わりません。
4歳の幼い T 君の体内に忍び入った放射性物質も、食肉牛が食べた汚染された稲わらを汚染したものも、この核爆発のとき一瞬にして広くばらまかれたものだったと私は推理しています。
イタリアに3カ月避難する前に、事故原発の傍で、また最初の避難場所で、「直ちに健康に影響を及ぼすほどの線量ではない」 というまやかしの表現であたかも安全であるかのように言われて、信じて摂取した食料や水の結果、T 君の体内には放射性物質が測定に現れるほどの量にまで蓄積されていたのです。
体内被曝をするということは、校庭で遊んでその土壌に含まれる放射線を外から浴びるとか、通学路の側溝は線量が高いからよけて通りましょう、とか言うこととは意味が本質的に違うのです。
24時間、365日、毎分、毎秒、どこにいても、起きていても、寝ていても、 T 君の体全体が体内に入ってしまった放射線物質によって何年にも亘って照射され被爆し続けて、絶え間なく彼の肉体が蝕まれ続けてていくということです。それがどれほど危険なことか、専門家は知り尽くしているはずです。生きている肉体の細胞の中に一旦摂取されてしまった放射線物質は、そう簡単に「除染」することができません。
私は、今後「体内被曝」の検査が広く進められていく過程で、第二の T 君、第三の T 君が、次々と発見されていくことを恐れています。
インターネットを開けば、チェルノブイリの子供たちの被爆の悲惨な実態とその結果が簡単に見られますが、それらの多くは思わず目を覆いたくなるようなものでした。
(追補) 10月26日付け朝日新聞には、第1面に 「ヨウ素服用助言届かず」という見出しの記事が出ていた。安全委員会などによると、1号機爆発が起こった翌日3月13日未明、安全委は、東京都内にある政府の緊急災害対策本部に電話で助言。しかし、その助言は生かされなかった。ヨウ素を服用していれば、14、15日に第一原発で起きた爆発での被爆を軽減できた可能性があった。 私の想像ではT 君もその対象者900人の一人だった可能性がある。