:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「アーミッシュ」対「新求道共同体」-3

2008-07-30 14:17:02 | ★ アーミッシュ



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★ 「アーミッシュ」 対 「新求道共同体」-3

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「世界」の中に在るが、世界には属していない

アーミッシュ は、象徴的にも社会的にも一般の世界から分離された状態を保ち続けている。

彼らの言語(英語社会のアメリカの中にあったドイツ語の訛りであるペンシルヴェニアダッチを話す)、ユニークな衣類、馬とバギーによる交通、そして生活の灯りとしてのランタンの使用は、我々から彼らを分離している。彼らは最新の技術による産物を取り入れることを躊躇するため、二つの世界のギャップは広くなる。また、本当の社会的境界も存在する。かれらは、職業団体、地域の役員、政党といった公職や公の団体には参加しない。若者が公立学校へ通うことはほとんどない。アーミッシュ固有の学校で8年間の教育を受けると、その後一般の高校や大学に進むことは禁止されている。地方選挙では、政治に関した事務所を開くことはけっしてない。電気の禁止は、テレビや他の電気メディアといった現世の価値から、彼らを守っている。学校、工場、店舗など、アーミッシュ・コミュニティの色々な社会施設は、外部の影響を遮蔽する。仕事、礼拝、学校、工場、遊びといった彼らの生活のほとんどは、家族と教会を軸にして展開されるのである。銀行、近代医学なども、他の専門的サービスと同様に利用するが、政府の補助金は辞退する。

外部からの脅威を受けたどの集団もそうであるように、アーミッシュは、自分たちを防衛するための戦略を発達させてきた。ユニークな衣服、なまりのある言語、交通手段、農業のやり方など、独特のものであり、異文化集団である彼らを囲む柵を象徴しているし、近代社会を寄せ付けない。外部の世界と文化的に関わりを持たなかったため、コミュニティを近代化の罠から守ったのである。

アーミッシュはよい隣人である。しかし、非アーミッシュの人たちとの関係が親密になることは極めて稀だ。外の世界の人々との結婚は禁じられている。

新求道共同体 はどうだろうか。

彼らも「世界」の中に在るが、世界には属していない。しかし、それは、およそ正当なキリスト教は元来全てそうあるべきである、と言う意味においてである。グローバル化した現代社会。世界はすっかり世俗化した。回心して洗礼を受け、福音を信じるキリスト者は、本来この「世俗」を捨てて神の国の市民になったはずだった。いわゆる出家と在家を使い分け、世俗的精神ににどっぷり浸かって世俗的生活をするキリスト者と、世俗を捨てたシスターや修道司祭という方便の使い分けは、福音書に書いてあるキリストの教えにはなじまない。新求道共同体の理想は、この世の中に生きながら、この世の精神で生きることをやめて、福音の理想を生きようとする集団のはずである。

ナザレのイエスが、洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのち、直ちに砂漠に退いて、「世界」の王、「この世俗社会の覇者」である悪魔(サタン)の誘惑を受けたときのやり取りを見れば、その原点がはっきりする。

イエスは悪魔から誘惑を受けるために、「霊」に導かれて荒れ野に行かれた。悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世の全ての国々とその繁栄ぶりを見せて

「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう」

と言った。すると、イエスは言われた。

「退けサタン。『貴方の神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。(マタイ4:8-11)

「世があなた方を憎むなら、あなた方を憎む前に私を憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなた方は世に属していない。わたしがあなた方を世から選び出した。だから世はあなた方を憎むのである。」(ヨハネ15:18-19a)

これらの聖書の言葉には、ナザレのイエスが「この世」(世俗社会)をどのように見、弟子たちにどのように教えたかが現れている。実は、これは本来全てのキリスト者が基本姿勢として身につけていなければならないものである。しかし、残念なことに、4世紀半ばにキリスト教徒に対する迫害が終焉し、キリスト教がローマ帝国の国教的存在に取り立てられた時点以降は、キリスト教の主流派によって忘れ去られた、単なる理想となってしまった。

それに対して、あくまでこの精神に忠実であろうとする点においては、アーミッシュも新求道共同体も全く同じである。しかし、新求道共同体はアーミッシュのように世界と自分たちの共同体との間に、300年前のライフスタイルに固執して柵を設け、異文化の別の世界を構成するようなことは、将来も決してないだろう。

カトリック教会において、アーミッシュに近いものを探すとすれば、それは生涯塀の中に生活するいわゆる隠修士たち、観想生活を営む修道士・修道女たちがそれに当たるのかもしれない。イタリアのカルトゥージオ会やフランスのシャルトルーズなどの古いタイプは日本には上陸していないが、函館のトラピストや、八ヶ岳の麓に新しい修道院を建てたベネディクト会などは知る人ぞ知るである。女子では、トラピスチンやカルメル会やクララ会、ドミニコ会などの観想修道会がそれに相当する。

アーミッシュがプロテスタントで家族持ちなのに対して、カトリックの観想修道者は独身である点は好対照であるが、「世界」または世俗社会との間に柵を設け、数百年前の服装や古い生活習慣を守ることを通して自分たちをそこから隔離する点では、両者の間に共通するものがある。

新求道共同体の場合にもし柵があるとすれば、それは服装や、居住地域や、生活習慣といった目に見える物理的なものではなく、ナザレのイエスが教えた精神を霊的に内面化して、心の中に精神的な柵を築くことによって、世間の中に散在しながら世間を離れた精神的絆で互いに結び合っていると言えるだろう。

アーミッシュが大家族を営む生活人であるように、新求道共同体も子沢山の家庭生活を営み、社会生活の中で職を得て生計を立てる点ではアーミッシュと同じである。

《 つづく 》

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★ 再開のことば。

2008-07-28 23:05:48 | ★ 初めに読んでください
取りあえず、前のブログ閉鎖後、別の機会に書いたものをこちらに公開しようと思います。 それと並行して、以前に書いたものからこれと思うものを拾い出して、再度お目にかけようと思います。 どんな展開になるのか、本人自身がまだ手探りです。そのうちだんだん形になるでしょう。  
コメント (1)
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★ 秋は祭りだ

2008-07-26 21:42:54 | ★ 日記 ・ 小話
新しいものを書こうと焦るのですが、技術的に手間取って進みません。少々お待ち下さい。古いものでお茶を濁します。ごめん下さい。
 
秋は祭りだ
姨捨では、帰路を急いで祭りを割愛した。とりあえず月だけで満足だった。しかし、「・ま・つ・り・」の三文字は意識下に生きていた。
たまたま昨日の午後、牟礼のあたりを通ったら、林檎売りのおじさんが、「今日は祭りだから早じまいだ」と、店をたたみ始めていた。
日暮れて8時ごろ、同じあたりに舞い戻った。真っ暗闇の田中の道の遠くから狐火のように提灯の灯りの行列がやってきた。近寄ってみると、大きなリヤカーの上に載せた祠を、いっぱいの提灯で飾った可愛らしい山車だった。くくりつけた太鼓を若い衆が叩き、後に続く数名の若者がピーヒャララーと笛を吹き、鉦の音がそれに和する。先頭は御祭典の大提灯を捧げ持つ若い衆がふたり、それに、大きくて重そうな纏(マトイ)を1‐2分毎に交替してまわし続ける6‐7人の男たち、その周りを老若男女が取り巻いている。リーダー格は紋付袴に雪駄がけの中年たちだ。
どん、どん、ヒャララー、ドン、ひゃららー、とゆっくりゆっくり進む先は田中の消防団前の広場だった。見ると、農道の各方面から、この広場に向けて、遠く、近く同じような数隊の山車の行列が集合しつつあった。
 
 
山車は合計6台だった。近隣氏子の6部落を意味しているのだろう。
順に広場脇の道路に整列。オリンピックの入場式よろしく、1台ずつ、紋付袴に身を固め提灯を手にした年寄り衆に迎えられ、先導され、広場を1周して定位置に。空中に舞い踊るマトイの競演。頭上に上がる花火。6台が広場に整列するのに約1時間。
 
 
祭りの暴走を戒めた言葉を書いた提灯を先頭に、田中の農道を2キロほど先の山裾の神社までにぎやかな祭囃子とともに粛々と進む。進むほどに時折大きな花火が空に広がる。その進行速度の遅いことといったら。しばしば止まって動かない。
 
 
社の入り口の鳥居の周りには、6-7店の屋台が明々と小型発電機で灯を灯している。
鳥居から境内までは、中間の踊り場を挟んで、前後合わせて100メートル以上の狭い長い急な石段。先頭の提灯が静々と上がってきた。リヤカーの山車はどうするのだろう?人事ながら心配になった。
 
 
人払いがされて、石段の上にだれもいなくなると、リヤカーの梶棒に結わえた綱が伸びた。20人ほどの男衆が二列になって、綱引きよろしく勢いをつけて引っ張って駆け上がった。高尾山のロープウエーはレールの上を車輪で上がるから滑らかだが、ここは石段とリヤカーのタイヤである。牽かれる勢いに山車の固有振動数が同期すると、タイヤをダン、ダン、ダンと弾ませ、満艦飾の提灯を激しく振り乱しながら若者に後を押されて駆け上がっていった。あれよあれよと言う間の出来事だった。提灯の中は灯の灯った本物のローソクである。どうして消えないのか不思議だった。境内の仮舞台の周りでは、もう一度オリンピック入場式の儀式、マトイのダンスが再現された。全て、恐ろしいスローテンポである。
 
 
祭囃子の中に一人だけ青い目の若者が居た。 無心に鉦を打ち鳴らしながら・・・・。ここでデジカメのバッテリーが終わった。
 
仕掛け花火が激しく燃え落ちてクライマックスを迎えたときは深夜12時を回っていた。突然舞台の周りのスペースにブルーシートが広げられ低い長机が運び込まれ、プロパンボンベとコンロと鍋が置かれた。祭りの主役の若い衆や、紋付袴の年寄り衆が一升瓶と料理でパーティーを始めた。今まで遠巻きにしていた一般の村人は女も子供も三々五々家路に着いた。
舞台の上では、6村の若者が順に獅子舞を奉納し始めた。舞の囃子が風に乗って星空と三日月の下の田の上を遠くまで渡っていった。
この祭りの宴が何時まで続き、どういう終わり方をするのか見届けたい思いはあったが、睡魔が勝ちを占めた。デジカメの電池は、山車が石段を駆け上がるところで切れた。祭りのクライマックスは、肉眼で捉え、大脳のメモリーに書き込んだ。
 
 
先頭の大提灯には、
 
神威を畏み
不敬な振舞い
有るべからず
 
とある。
多くの山車には、必ず「五穀豊穣」の提灯がある。それは、村人の素朴な願望、ご利益の祈りである。
ここで言う「神」は氏神であり、田の神であり、自然宗教の神である。五穀豊穣に関係するもろもろの自然現象の背後に神を想定、人間が考え出した神に祈りと神楽と供え物を捧げて、天災を遠ざけ、恵みを引き出そうという人間の思惑の産物である。
八百万の神は、人間が考えて、人間が想像して、自然の力を擬人化してそれぞれに割り当てたもので、人間が祈祷と供物でその力を制御しようとした、ときに荒ぶり人間に災いをもたらす自然の力に過ぎない。
自然科学の力で大自然を制御することを学んだ現代人には八百万の神は無用の長物である。牟礼の農家の人々も、祖先から受け継いだ祭りを、伝統として守っていても、神々の存在を真面目には信じていないことが、祭りの雰囲気から伝わってきた。しかし、個がばらばらになった現代社会で、祭りが連帯とアイデンティティー確認のために役立っていることは素晴らしい。
振り返って、カトリックの祭りにこの祭りを待つ心、この連帯感、帰属感、陶酔があるだろうか。
欧米の伝統的キリスト教文化の国は別として、今日の日本のカトリック教会には残念ながらそれがない。
私の魂には、熱心なプロテスタントの母が、家庭で、戦時中の灯火管制下にも、クリスマスツリーを美しく飾りつけ賛美歌を歌った思い出が焼きついている。
ターミナル駅ではクリスマスケーキが飛ぶように売れ、デパートはクリスマスセール、クラブやキャバレーでは乱痴気騒ぎで日本文化に「インカルチュウレート」したかもしれない。お金の神様に魂を抜き取られることが文化への融合の美名の下に浸透している。皮肉な話だが、クラブのホステスが、酒の匂いを漂わせながら、あら、教会でもクリスマスやるの?と言う程度の土着化である。クリスマスはもともと異教文化の影響のもとに発展したといわれるから、それもいいだろう。
キリスト教固有の祭りは復活祭だ。ユダヤ教の過ぎ越しの祭りにルーツを持つこの祭りこそ、キリスト教徒が一年かけて待ち焦がれるべき祭り、連帯感、帰属感、魂の高揚と陶酔の原点でなければならない。これこそ、他のいかなる宗教とも、いかなる文化とも溶け合わないキリスト教固有の祭りだ。その証拠に、サンタクロースやバレンタインなどの聖人はもてはやされても、キリストの受難と、死と、復活を記念して祝う異教徒は決して現れることはない。
冴え渡る星空と半月よりやや痩せた明るい月のもと、私は湖畔の小屋に向かって夜道を急いでいた。
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★ 二度あることは三度ある (その-4)

2008-07-23 23:17:45 | ★ 回想録

2008-07-23 16:25:46




〔終 幕〕 または「従順の勧め」 -第1場-  


  ここでは、キリスト者にとって「従順」とは何か、と言うテーマを、今回の一連の体験を通し、社会学的、神学的に考察してみたいと思う。
 「従順」の一語に呪縛され、虫のように苦しんできた多くの底辺の司祭たち、修道者、修道女たちに、小さな慰めと解放のメッセージとなればとの思いもある。 
  
 (このテーマ、一回で書き切ろうと思ったが長くなった。多分2回、場合によっては3回に分けてアップすることになるだろう)

(1)「従順」の歴史
 「従順」、それは、人類の歴史の中で最も古い、最も重いテーマである。
 旧約聖書の第1巻「創世記」の第2章以下によれば、天地万物の創造主なる神に対する人祖アダムとエヴァの「不従順」のために、人類は一人残らず「死」の運命を身に引き受けることになった。不従順は「原罪」、そしてあらゆる「罪」の根源である。
 ナザレのイエスの、死に至るまで、しかも十字架上の死に至るまでの「従順」によって、人祖の原罪の呪いは既に力を失い、復活の命が全ての人類に届いた。全ての人類とは、縦は、アダムとエヴァから世の終わりに生きている全ての人に。横は、西の端から東の端まで、いまこの宇宙船地球号に乗り組んでいる65億の人類全てのことである。つまり、第二のアダム「キリスト」の従順によって、キリストを信じる人にも、信じない人にも、全ての人に平等に復活の命に与るチャンスが与えられた。
 神様はご自分の内的生命の秘密の中で最も本質的なもの、つまり「理性」と「自由意志」のひとかけらを、ご自分の愛する被造物界の花、人類、にお与えになった。これは、神様からの人類への最高の贈り物、しかし、人間にとって最大のチャレンジとなった。
 このブログの途中で開店休業状態の「知床日記」=悪の根源について=シリーズ(2007年10月7日以来17回でまだ未完)★詳しくはここをクリック★ も、今回の「従順」問題も、元を糺せば全て、人間の人格の本質的特性であるこの「理性」と「自由意志」の問題に帰着する。

(2)「従順」の原点
 そもそも、「従順」の原点は、創造主なる神のみ旨に対する被造物の側からの信仰の行為であって、地上の人間社会における権威に対す「服従」とは似ていながら全く次元の異なるものである。「従順」とは、人間が神の前でのみなしうる最も高貴な信仰の業であると言い換えてもいい。
 ナザレのイエスが、ご自分の死に至るまでの従順を向けたのは、天の御父ただお一人に対してだけであった。イエスは、ローマ総督ピラトや、大祭司やファリサイ人たちに対して、「服従」も「屈服」もされることは無かった。まして、ご自分の「崇高な従順」を彼らに向けられることは決して無かった。「神の子」としての自由と尊厳は、地上の人間の権威の下に屈することなど、断じてあり得なかったのである。
 我々イエスのみ跡に従う信仰者も、「神の子供たち」として、この点において全く変わるところが無い。教皇であれ、司教であれ、修道会の長上であれ、彼らに「従順」するか否かは、命令を発する彼らが、同じ崇高な信仰の深みから、自らを透明な道具として、神のみ旨の伝達者として、正しく機能しているか否かにかかっている。彼らが、その信仰に照らして、自分が今下す命令は、神のみ旨を誤り無く伝えるものであると確信しているときに限り、それを受ける側も良心的に納得して、自由に心安んじて「従順」を向けることが可能となる。たとえ、その内容が自分の意思に完全に死ななければならない苦しい決断を伴う場合であっても、である。
 「従順」とは、明らかな神のみ旨を前にして、人間がその固有最高の能力である「理性」と「自由意志」を行使して、「知りながら」、「自由」に神のみ旨に自らを委ねることである。
 聖母マリアの受胎告知に対する応答については、このブログ 『マリア』 シリーズの中で詳しく書いた★詳しくはここをクリック★。これも処女マリアの命がけの「従順」であった。
 キリストのゲッセマネの血の汗を流すほどの葛藤も、おなじ「従順」の壮絶なドラマだった。
 「従順」とは、深い信仰に根ざした、人間のなしうる「最も高貴で神聖な行為」である。その意味において、我々が日常生活において「従順」の問題と正面から向き合うことは、生涯において一度あるかないかの、極めて稀な厳粛な場面においてのみありうる。
 教会の中では、「従順」がしばしば軽薄に人の口に上るが、実はそのほとんどの場合、世俗の会社や組織の中での日常的な人事の辞令とその受理、又は拒否、のレベルの話であって、厳粛かつ高貴な「従順」とは、およそ無縁の話である。
 教会、教会と言うが、通常その実態は世俗法に基づく団体、組織化された人間集団の事を指す。目に見える教会は、宗教法人○○司教区とか、修道会なら、宗教法人××会とか言う任意加盟の団体である。代表もいれば役員もいる、本部があれば幾つかの支部もある。そこで通常行われているのは、会社や役所の人事以上のものではない。そこへ「従順」と言う異次元の言葉を持ち込むから話はややこしくなるのである。

(3)「従順」の実践面について
 では、現実生活における「従順」はどのようにすれば直接天の御父に対する「従順」であることを保証することができるだろうか。また、「従順」が常に高貴な信仰の行為であることを、いかにして確保し、維持することが出来るか。
 それは、人の言葉、人の命令に対してではなく、常に良心の声、良心の命ずるところに従うことによってのみ保証される。つまり、人(上長)の命令と良心の命令とが相反するとき、人間は常に葛藤の中に立たされるが、その場合、上位に立つ命令は常に良心の命令でなければならない、という原則に忠実であることである。
 良心が人間の命令と反対のことを命じるとき、我々は人の命令に従うことに本能的に抵抗を感じる。その時、人は、受けた教育や、規則や、利害や、毀誉褒貶を気にして、安易に人の命令に従ってはならない。信仰ある人は、あくまでも良心の命令のみに従うべきものである。
 良心の命令に背いて人の命令に従うことは、ことばを替えて言えば、神に対する「不従順」に他ならない。だから、たとえこの世でいかに非難され、社会からいかなる制裁を受けようとも、また、時には大げさに教会に対する「不従順」の廉で宗教裁判にかけられ、火炙りにされようとも、従ってはならないのである。
 こう言えば、中世ならいざ知らず・・・、と反論する向きもあろう。しかし、現代は現代なりに、火炙りに勝るとも劣らぬ陰湿な制裁、蛇の生殺し、も十分ありうるのである。それでも、-たとえあらゆる不利益、不名誉を偲んでも-自分の良心に反しては、絶対に人の命令に従ってはならない。そして、この場合の人とは、司教であり、修道会の長上であり、時には教皇であってさえも・・・・、要するに、あらゆる宗教上の地上の権威を指している。
 幸い、教会と言えども、民間の会社や役所と同様に、通常は適材適所の常識が支配し、大きな問題に発展することはむしろ稀である。ただし、派閥の力学や、私怨による報復や、非合理ないじめなどが入ってくると、事はにわかに複雑になる。
 まして、歴史の大きな節目に当たって、「古い酒と古い皮袋」 対 「新しい酒と新しい皮袋」 の図式★詳しくはここをクリック★に嵌った妥協の余地の無い衝突ともなれば、事は極めて深刻である。
 既に終わっているコンスタンチン体制の夢になおしがみついている旧守派と、コンスタンチン体制後の新しい時代を生きようとする新しいカリスマとが対峙するとき、この問題-即ち「真の『従順』とは?」の問題-は、具体的な場面でたちまち深刻な問題として顕在化する。
 今回の、哀れな usagi を巻き込んだ 「現代の棄民」 の出来事は、まさにこのケースに属するのである。
(つづく)

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★ 新約のイスラエルの民

2008-07-21 12:25:36 | ★ 日記 ・ 小話






《新約のイスラエルの民》


日本民族の広がりと神道の広がりがピッタリ重なるように、ユダヤ教も、もっぱらユダヤ人のための宗教であって、一民族一宗教と言う点で、両者には非常に似通ったものがあります。
かつて、軍国主義日本が占領地に赤い鳥居を立ててまわったことを例外とすれば、もともと神道は日本固有の民族宗教であって、外国人を同じ信仰の恵みに招こうと熱心に努める宣教精神を欠いている点で、神に選ばれた選民意識の強い排他的ユダヤ教と共通するものがあります。
そして、このような特徴を持ったユダヤ教を信じる人々のことを総称して、古くから「イスラエルの民」と言われてきたのです。


イスラエルの民の成立

むかし、今のイラクのあたりにアブラハムと言う金持ちの老人がいました。彼はたくさんの家畜やそば女や奴隷たちに囲まれ、物質的にはなに不自由ない身でありながらも、この世的には最も不幸な男でした。なぜなら、彼には、遊牧民の常として、自分を葬ってもらうべき土地が無く、その上、自分の遺産を譲るべき血を分けた息子もいなかったからです。
万物を無から存在界に呼び出し、百数十億年の長い進化の過程の末に、愛を込めて今のような美しい世界を創造された神は、そんなアブラハムを選んで、個人的に語りかけました。恐らく人類史上初めての出来事だったでしょう。
神はアブラハムに「ウルの町を出て、自分ガが導き入れる場所へ行くなら、土地と息子を与えよう」と約束したのです。アブラハムはその約束を信じて旅に出ました。そして、約束の土地、今のパレスチナに入り、夫婦そろってすでに高齢であったにもかかわらず、神に対する信仰のゆえに、そこで奇跡的に一人息子のイザークを授かりました。
しかし、神は、一旦は待望の跡取りを恵んでおきながら、やっと育て上げたその一人子を、神への生贄として自分の手で殺して焼き尽くせと命じたのです。神のこのやり方は、一見したところ極めて理不尽に思われます。
それでも、アブラハムの神への信仰と従順は揺るぎませんでした。神のなさることは常に全て正しいとして、命じられた場所に祭壇を築き、彼の望みの全てであった息子を縛って短刀で刺し殺し、薪の上で焼き尽くす生贄として捧げようとしたのです。と、その瞬間、神の天使が現れ、「お前の信仰は神に嘉(よみ)された」と言って、押し止めました。(そのとき、アブラハムの心の中に、神は息子を蘇らせて必ず返してくださる、という復活信仰が、既に芽生えていたかどうか私には分かりません。)
危うく命を救われたイザークから、やがてヤコブ(後にイスラエルと名を変える)が生まれ、そのヤコブからイスラエルの12部族の族長となる息子たちが生まれました。その子孫は、神が約束したとおり、空の星、浜辺の砂のように増え、ユダヤ民族、すなわちイスラエルの民、を形成するに至りました。


新約のイスラエルの民

今から2000年余り前に歴史に登場したイエスは、ダビデ王の血筋の由緒正しいユダヤ人であり、イスラエルの民の一員でした。
イエスは、それまでモーゼの律法を厳格に、しかし、形式的に、守ってきたイスラエルの民の中にあって、その律法の真髄にあるものは天の父なる神の愛と憐れみであることを看破し、それを新しい教えとして説いたのですが、彼の前には、律法を旧態然とただ形式的に守ってきた民の指導者たち、つまり、ファリサイ人や律法学士たちが、立ちはだかったのです。
彼らの偽善を鋭くあばいたイエスは、公衆の面前で、歯に衣を着せぬ火を吐くような激しい口調で、時の宗教的指導者や権威者たちを「偽善者」、「蝮の裔(まむしのすえ)」と糾弾し罵倒しましたが、その結果、怒りに燃えた彼らは結束してイエスを十字架に追いやり、罪人として刑死させました。
一方、復活したキリストを神の子、待望のメシヤ、救い主、として信じた一部のユダヤ人達は、人種・民族の枠を超えて、次第にローマ人やギリシャ人を信者に加え、キリスト教を形成して行ったのであります。そして、それまでのユダヤ人と同じアブラハム、イザーク、ヤコブの唯一の神を信じるキリスト教徒の群れは、「新約のイスラエルの民」と呼ばれるようになりました。
神道やユダヤ教が排他的な民族宗教であったのに対して、キリスト教は、キリストの十字架の救いは、全人類、全民族に及ぶと説く、開かれた普遍的(カトリックの名はここから来る)宗教として広がっていきました。ですから、第三千年紀に生きる世界中のキリスト教徒は、人種、国籍、宗派を問わず、全てこの新約のイスラエルの民に属しています。
それに対して、キリストの時代までのユダヤ教を信じる一民族一宗教のユダヤ人達のことを、「旧約のイスラエルの民」と呼ぶことが出来ます。
「旧約」とはシナイ山の上で、モーゼが神から「十戒」の律法を授かったときに、神とイスラエルの民の間で結ばれた「契約」のことであり、「新約」とは、キリストが最後の晩餐のときに12使徒(イスラエルの12部族を象徴する)とその教えを受け入れキリスト教徒となる全ての人類との間で交わした「新しい契約」のことです。
ユダヤ教徒、つまり、旧約のイスラエルの民の場合、男の子は誕生からまもなく割礼を受けることになっていました。割礼とは、男根の包皮を切り取る宗教的儀式でした。それに対して、新約のイスラエルの場合は、男女を問わず、洗礼を受けてキリスト教に改宗した人のことを指します。
旧約の割礼に相当するものが新約の洗礼で、何れもユダヤ教、又はキリスト教に入信する加入(イニシエーション)儀礼と言われます。


不思議な思い違い

そこに私は、奇妙な思い違いがあることに気付きました。
つまり、旧約のイスラエルの民の場合、多くの人は割礼を受けたユダヤ教徒であるだけで、選民として自動的にヤーヴェの神の前に義とされ、救いに約束されたと錯覚している傾向が見られたことです。その錯覚は、取り分け民の指導者、宗教的権威を帯びた人たちの間で顕著だったようです。それは、新約のイスラエルの民の場合、多くの信者が洗礼を受けてキリスト教徒になった途端に、救いが確定し、天国の指定席券をあらかじめ手に入れたと錯覚するのと同じです。そして、そのことは、ユダヤ人が持っていた強烈な選民意識、優越感を、キリスト教徒たちがそのまま受け継いでいることと、無関係でないのかもしれません。私自身、半世紀以上前に、神戸のミッションスクールで洗礼を受けた際に、そのような刷り込みを受けたことをいまも記憶しています。
しかし、それは大変な思い違いではないでしょうか。
確かに、ユダヤ教集団に帰属すると言うことは、黄金の牛(お金の神様)やその他のもろもろの偶像を拝んでいた場合より、救いのドラマに一歩近づいたと言えるかもしれません。その意味で、洗礼を受けてキリスト教の教会に加入すると言うことも、キリストの約束した救いに預かる可能性を強く示唆するものではあるでしょう。たとえて言えば、救済劇の客席の傍観者の立場から、舞台でその劇を演じる配役の一人に加わったようなものです。
しかし、それはまだ救いの確定を意味していません。救いと言うものは、各自がその舞台の上でどんな役柄を自分で選び取り、いかに演技するかにかかっているのです。
そして、どうやらこのパターン、すなわち、「
錯覚の構図」には普遍性があるらしく、いつの時代でも、何処でも、したがって、今日の日本でも、全く同じ図式に嵌ってしまうもののようです。



救いのドラマの舞台回し

ナザレのイエスの誕生から、3年間の宣教活動、そのクライマックスの十字架上の苦しみと、死と、葬りと、復活にいたるまでの壮絶なドラマは、偶像崇拝の異民族に取り囲まれたイスラエルの民を歴史的背景として展開されました。
その登場人物は、一方では、イエスと母マリア、そして12人の弟子、イエスに付き従う貧しい人々、病人、障害者を含む大勢の群集・・・・、他方では、王様、ユダヤ教の宗教指導者、祭司、ファリサイ人、サドカイ派、律法学士たち、さらに、ローマ帝国の総督、兵士たち、と言った具合です。
さて、第三千年期の曙、21世紀を生きる我々「新約のイスラエルの民」が登場する舞台はといえば、ここでも、その環境、登場人物の役回りなどにおいて、キリストの時代と全く同じものがあると言えましょう。
決定的違いは、前者がユダヤ人と言う一民族とパレスチナと言う一地域に限定されていたものが、現在は洗礼を受けたキリスト教徒と神々を拝む異教徒との対峙と言う舞台と客席の構造を保ちながら、配役は全世界の全民族に拡散した点にあります。とは言え、過去2000年の新約のイスラエルの民の歴史を通して、ドラマの舞台回しは、全てキリストの時の縮図である点では全く変わりありませんでした。
全ての役回りの者たち、すなわち、地上の権力者、宗教指導者、祭司、もろもろの教派、教団、律法主義者、ファリサイ人、貧しい大衆、病人、障害者など社会的弱者たちが、キリストの時代と全く同じように、どの時代、どの地域の教会においても、必ず
一通り全員そろっています。

いつの時代にも、イエスの弟子としてイエスの教えを命がけで生きる信者のことを、もう一人のキリスト、姿を変えてその時代に生きるキリストと呼ばれてきましたが、アシジのフランシスコなどもキリストの生まれ変わりと見なす人たちがいました。キリスト教の歴史を通して、聖人と呼ばれた人たちは、何らかの形でその部類に属すると言っていいでしょう。
ですから、いつの時代にも、どの地域教会においても、もう一人のキリストが現れると、たちまち2000年前と全く同じドラマが展開するのです。
聖書を読むと、キリストを十字架に追いやって人たちは、その時代のユダヤ教社会では、神から正当に権威を委ねられ、民衆の指導的立場にあり、義しい人たちとして人々から尊敬されていました。彼らこそ、社会の制度を維持し、秩序を保つ使命を託されたものと自負している人たちだったと言えましょう。
ところが、その彼らが、本能的に自分たちとは違うと直感したキリストを前にしたとき、普段は互いにいがみ合っているのに、キリストを亡き者とする企みでは、その違いを超えて一致協力したのです。しかも、彼らは皆、自分達は神の前に正しいこと、なさねばならぬことを忠実に実行していると確信しているのです。
そして、自ら正しい、義しい、と信じて疑わない人たちが、神の霊からの新しい芽、時のしるし、希望の兆しを前にするとき、ほとんど本能的にそれを抹殺するために一致団結し、全勢力を投入することになるようです。


決定的なこと

イスラエルの民を舞台として展開されるのは、神の救済史のドラマです。そこで誰が救われ誰が救われないかの決定的な鍵は、当時のユダヤ教の場合で言えば、形式的に偽善的にモーゼの律法を守るだけに終わるか、イエスが招く回心を遂げ、良い実を結ぶか否かにかかっていました。キリスト教の場合も、ただ洗礼を受け、日曜日に教会に行くだけでよしとするか、キリストの山上の垂訓を真剣に受け止め、回心してキリストの教える福音の勧めを愛を込めて実践するかどうかにかかっているのです。
つまり、キリスト教への入信の加入儀礼としての洗礼を受けるということは、形式的には新約のイスラエルの民の一員になることを意味してはいますが、だからと言って、洗礼を受けた人が皆、自動的にお金の神様やその他の偶像崇拝の奴隷状態から解放され、迷信や淫祠邪教をきっぱりと棄てたことを意味しないということです。
キリストをめぐって、当時のユダヤ人社会は分裂し、激しく対立しました。彼は時の逆らいの徴でした。不思議なことに、特に、当時の社会において人々から尊敬されていた宗教指導者、有力者たちが厳しくキリストと対立したと伝えられています。
このように、いつの時代にも、新約のイスラエルの民の中に、新たに神の霊に導かれてキリストの精神を呼び覚ますものが現れると、その時代の指導者、有力者は、一致結束してそれを排除抹殺するために血道をあげるという構図の嵌ってしまうもののようです。
キリスト自身がその時代の対立のしるし、分裂の原因、躓きの石となったのですから、その例でいくと、今の時代においても、私たちの身近に、何が躓きの石、分裂の種、対立の徴として問題にされているかを探せば、そこにキリストの魂、新しい聖霊の息吹を発見し確認すことが出来るのではないでしょうか。

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★ 二度あることは三度ある (その-3)

2008-07-19 22:03:27 | ★ 回想録

2008-07-19 09:52:14



 
〔第二幕〕 「二度目の棄民」 (二年の追放)

 
 ローマでの1年間のサバティカル(休暇年)も残り少なくなった或る日、司教から一通の手紙が届いた。「引き続き2年間の教区外生活を命ず!」
 晴天の霹靂とは、まさにこのことを言う。サバティカルが終わったら、元の通り三本松教会の主任司祭に戻す、と言う約束はどこへ行ったのか。信者たちが司教に会って、その約束を確認したのではなかったか。書いたものが残っていなければ、約束など何とでもなると言うのか。約束違反も、嘘も、司教なら何でもありか。しかし、そこはぐっと押さえて、次のような手紙を書いた。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
-
2006年3月22日
溝部脩司教様

主の平和

 3月16日付のお手紙、今日拝受いたしました。喘息でお悩みとのこと、お見舞い申し上げます。

 昨年5月、不本意にも教区を去らなければならなかったときは、正直に申し上げて、いささか苦しく思いましたが、ローマでの生活は、結果的には恵の時であったと思います。
 1年後に三本松の主任司祭で戻ることは、司教様のお約束であったのに、その通りにならないと言うことは、余程の事でしょう。
 深堀司教様に見出され、高松で司祭に叙階されたときは、生涯、深堀司教様と、その後継者に従順を誓い、教区のために働き、骨を埋める覚悟で居りましたので、引き続き2年、通算3年教区の外に出されることは誠につらいことではありますが、そのほうが司教様にとってやりやすいからと言われれば、従順のためにお受けするしかありません。
 私は、司教様がお求めになれば、誰に対してであれ、またいかなることに関してであれ、身を低くして赦しを乞う用意があります。私は、教会のため、神の国のために良かれと思って、いろいろ働いてまいりました。福音のために辱めを受けることは、私の喜びとするところであります。
 2年間も教区の外に留まる以上、三本松に現住所を残すのは不適当と思います。幸い、野尻湖に自分の家があります。三本松の荷物はそちらに移します。あわせて、現住所もそちらに移すつもりです。これは、ご了承下さい。
 いつまでに、教区のどのポストに、という期限のある人事異動ではないようですから、帰国の時期は多少弾力的に考えさせてください。実は、6月11日(日)を第一候補に、日本の銀行のパリ支店にいる友人の息子の結婚式の司式を、パリですることを頼まれています。現在、結婚講座をリモコン方式と、本人のローマ出張などでこなしています。出来ればそれを済ませて、6月下旬を目処に帰国したいと思います。それもご了承いただければ幸いです。
 祈りのうちに、
                      谷口幸紀拝

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 それに対して、次のようなメールが届いた。

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From: Mizobe Osamu [mailto:xxxxxx@xxxx.ocn.ne.jp]
Sent: Wednesday, April 05, 2006 9:34 PM
To: 谷口幸紀
Subject: Re: お手紙の件

主の平和     

お手紙確かに受け取りました。 私は本当に恥ずかしい気持ちであなたの手紙を読みました。 おそらく反抗的な、または皮肉めいた返書が来るものと思っておりました。 全く感心し、そして頭が下がりました。 ありがとうございます。 (以下、実務的な話は省略)

    感謝の中に       溝部


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 このメールは、自分にとっては勲章のようなものだと思っている。一人の司祭の信仰に基づく従順の行為に対し、一人の司教として率直に反応したものだと思った。
 その後の展開、つまり「第三の棄民」については、機会をあらためて詳しく書くこととして、今は、こうして始まった2年間がどんなものであったかに触れたい。

 まず、住むところである。ローマでのサバティカルの一年間、神様はローザのマンションを摂理的に計らって下さった。
 同様に、国内での2年間の追放に対しても、場所は用意されていた。野尻湖の山荘がそれであった。
 私は、司祭になった翌年、この山荘を或る未亡人から「生前贈与」されて、個人で所有していた。
 Y夫人としておこう。Y夫人との出会いはほとんど半世紀前にさかのぼる。その頃、私は上智の学生で二十歳前後であった。当時、私は夏毎に、野尻湖国際村の親戚の別荘に遊びに来ていた。彼女には、東大の理科から慶応の医学部に進んだ私と同い年の優秀な一人息子がいた。その息子が自殺をした。彼女は、それを機に信仰を求め、カトリックの洗礼を受けた。わたしを見るたびに彼女は息子を思ったかもしれない。その後、約30年、忙しい銀行マンになった私の姿は野尻湖から消えた。そして、司祭になった夏、久しぶりにわたしはY夫人を訪ねたのだった。
 そのとき、彼女の心の中に何かが閃いた。
 休暇を終えて、勉強のためにローマに戻った私を追って、Y夫人から一通の手紙が届いた。
 「息子の思い出の別荘を貴方に贈りたい。」
 一存では返事しかねて、前司教にローマからお伺いの手紙を書いた。
 「将来きっと役に立つから、戴いておきなさい。」
 実は、Y夫人、息子の思い出の染み付いたこの別荘を、教会のために役立てたいと思っていた。東京の白柳枢機卿に相談したら、野尻湖は横浜教区だから、と断られた。浜尾横浜司教に相談したら、うん、よしよし、と資料を受け取って、10年返事が無かった。野尻湖に研修所を持つサレジオ会の当時の管区長、今の高松司教に相談したら、いろいろ条件が難しく、修道者としては・・・・、と二の足を踏まれた。その時、彼が受けなかったのも神様の計らいか。
 帰国後は、毎年2週間ほど、Y夫人と二人で野尻の夏を過ごした。
彼女は、3度目の夏はもう車椅子であった。
 「人様の世話になってまで行きたくない!」
 気丈な彼女はガンとしてあらゆる説得を退けて、ついに行こうとしなかった。
 このブログの冒頭の写真について一言。
 私が最後に彼女を高級有料老人ホームに見舞ったとき、ベッド脇の小さなテーブルに、5センチほどの短い鉛筆があるのがふと目に留まった。カバンの中をごそごそ探ると、たまたま友人のメールをプリントアウトしたA4の紙があった。裏返して鉛筆を走らせた。Y夫人は、早く見せろと何度もせがんだが、10分、いや10数分焦らせて、パッと裏返して見せた。
 彼女、にっこりと笑った。
 まんざらでもなかったのだろう。また来るね、と言って別れた。それが最後だった。
 その野尻湖の別荘。まさか、こんな使い道を神様が考えておられたとは。
 夏は天国。しかし、冬は地獄。板一枚にトタンを被せただけの屋根。板一枚の壁と床。隙間だらけの夏用の建て付け。外がマイナス10度になると、一切の暖房は役に立たない。夜、電気毛布に包まれば、身体は何とかなる。しかし、首から上は零下の室温に晒される。ちょうど家庭用冷蔵庫の冷凍庫に首を突っ込んで寝るようなものだ。朝、襟元に息が白く凍り付いていた。
 この2年間、どのように神様が計らって下さったか、どうやって生き延びたか。それは、この一連のブログの前半を読んでいただけば、およその想像は付くに違いない。

(Y夫人を描いた素人の鉛筆画はこの小屋の居間の暖炉の上にある)

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★ 二度あることは三度ある(その-2) 

2008-07-16 21:46:34 | ★ 回想録

2008-07-16 08:36:28




  二度あることは三度ある(その-2) 


 〔第一幕〕 「一度目の棄民」 (一年の流刑)
     続き  〔ローマでの苦難の生活〕

 ルルド祭が終わると、格安航空券とパスポートと銀行の国際キャッシュカードと小さな旅行カバンだけ持って成田からローマに向かった。
 
 前のF司教様のときは、司祭になる前の4年間と、司祭になってからの4年間、毎夏ローマから帰国したが、出発の挨拶に行けば、いつも執務室に迎えられ、その前にひざまづき、派遣の祝福をもらい、握手し笑顔で送り出されるのが当たり前の習慣になっていた。
 司教様が替わると事態は一変した。大内町の三本松教会を一人でひっそりと出ると、後は全てを神様の計らいに委ねる以外になす術はなかった。何の当てもなかった。何の保証もなかった。司教様からは、司祭の身分証明書も、推薦状も、何も与えられなかった。
 しかし、心は平安。何の恐れも無かった。何故か?
 それは、わたしが50歳で神学生としてローマに送られた次の年、秋9月末、もう一人の神学生と二人で、ベルリンに宣教に派遣されたときの経験があったからだ。
 聖書にもある。「イエスは12人を宣教に遣わすにあたり、次のように戒められた。・・・行くさきざきで、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。・・・帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。・・・働く人が生活のかてを得るのは当然だからである。・・・家に入ったら、平安を祈りなさい。・・・」(マタイ10章5節以下)2000年前、イエスが弟子たちにした同じ訓練を、私も受けた。
 8日間、一銭のお金も持たされず、パスポートと国際列車の往復切符だけを持って、アドリア海に面した小さな漁村から、ベルリンの町の人々に福音を告げに行くのが任務だった。ドイツの銀行に長年勤めた私に、言葉の不安はなかった。
 普段ポケットに幾ばくかのお金があると、神様の存在など、どこか遠くにあって、ほとんど意識することは無い。しかし、一銭も身につけないでいると、神様が手で触れられるほど近くに下りてきて、何から何まで、まるで召使が主人に仕えるかのように、全てを計らってくださる。
 8日間、一銭のお金も無く、しかし、ほとんどひもじい思いをしなかった。夜、誰も泊めてくれず、野宿を強いられたのはただの一夜だけだった。信仰ゆえに、お金の神様に一切信頼を置かず、ただひたすら福音を告げて歩くなら、天の御父は細やかに一切を配慮してくださるものだということを、その時、骨身に沁みて体験した。これは一生忘れることのない貴重な宝である。(この8日間の体験だけでも、数回分のブログを満たすに足るドラマに満ちていたが、それは、いつかまた書くとする。)
 さて、前回の8年間のローマでの生活のときは、まだECの通貨統合以前であった。円はリラに対して強かった。1万円の購買力は、ローマではほぼ1.5倍であった。ところが、今回はイタリアの通貨はすでにユーロだった。イタリアの物価はユーロへの切り替えに便乗して跳ね上がり、庶民の生活を直撃していた。それに加えて、円はユーロの対して弱い通貨に成り下がっていた。まさにダブルパンチだった。
 日本で月々振り込まれる9万円ちょっとのお手当ては、ローマでは5~6万円ほどの購買力しかなかった。東京よりは家賃が安いとは言え、住居費だけで吹き飛ぶほどの額でしかなかった。外国で孤立無援、常識的に考えれば、物乞いでもする以外に、生き延びるすべはなかった。
 そうだ、またローザの家に行こう!
 わたしは、ローマの8年間の学生生活の最後の数ヶ月を、共同体の姉妹のローザの家で過ごした。ローザとローザの家のことは、わたしの書いた唯一の本「バンカー、そして神父」=ウオールストリートからバチカンへ=(亜紀書房)の18ページ以下「チャイナバタフライ ― メディアの威力 ②」の項にある。
 電話の向こうのローザの反応は歯切れが悪かった。「わたしはいいけど・・・・、先住民がいるからねェ・・・・」
 例の本の中では、「1989年11月からほぼ8年間、わたしは司祭になるための勉強をしながら、ローマに住んだことがある。その悲喜こもごもの年月の最後の4ヶ月を、既に司祭になっていた私は、このローザの家で、穏やかに、幸せに過ごしたのであった」と書いたが、今回は、どうやらそんなに穏やかにも、幸せにもいきそうにない予感がした。
 「先住民って、また7羽の黄色いカナリアのこと?」「いいえ。若い二人のアフリカ人の神父たちよ。」
 白目が目立つ、くりくりの4個の目玉と、分厚い黒い唇から覘く大きな二組の白い歯が目に浮かんだ。
 今は年金生活の、元小学校教員の、独身女性ローザが一人住むにはゆったりしたマンション、かつて私が一人で優雅に過ごした家の寝室に一人、書斎に一人、体格のいい、真っ黒な肌の若い神父が住んでいた。空いているのは広い居間一室だけであった。彼らと交渉してそこに簡易ベッドを入れて住まわせてもらうことになった。ザンビアから留学にきた彼らも、私同様に、この広いローマで他に行くところが無かった。彼らの国の司教さんは貧しかった。留学生神父が普通住むはずの学寮の寮費が払えなかったのだ。そこで、ただで住めるローザの家に転がり込み、主食のとうもろこしの粉で作ったお団子を食べていた。彼らよりもさらに貧しい私は、彼らのお団子で養われることになった。正直なところ、パサパサで全く口に合わなかった。しかし、文句を言える身分にはなかった。私は、料理が出来ない。それで、月に一度ほど、見栄を張って彼らを日本レストランに連れて行った。彼らにしてみれば、大変な大ご馳走である。手放しで、大喜びであった。
 私は、長い外資系企業での生活を通して、かなりのコスモポリタン、人種的偏見の少ない日本人だと思っていた。しかし、彼らの体臭、洗面台に残る無数の黒いちぢれ毛、二人の意味不明の大声の会話と高笑い、テレビの娯楽番組の高いボリューム、頻繁な黒人の来客には、正直参った。マンションの入り口からひと続きの居間と彼らの居住区を仕切るものは一枚のカーテンだけで、プライバシーはなかった。
 秋も深まる頃、その彼らが相次いでローザの家から姿を消していった。外国人の神父が民間のアパートに住んでいること自体、もともと普通のことではない。私は日本人だから、ビザ無しでも何とかなるが、彼ら第三世界の人間は、神父だと言っても、ちゃんとした身分保障書と、それらしい学寮か、修道院か、教会に住所を持っていなければ、ビザの更新が出来なかったのだ。
 ローザの家に静寂が戻った。とうもろこしの粉の味気ないお団子ともお別れだった。
 この1年、前半はラテラノ大学付属のヨハネ・パウロ二世研究所で真面目に勉強をした。しかし、自分より年若い教授の型にはまった退屈なゼミと、親子ほど年の離れたクソ真面目な学生たちとの付き合いに、すぐ飽きてしまった。数え切れない美術館と、寄席や小さな芝居小屋と、コンサートめぐりで時間を潰す日々が続いた。
 前述の本は、その頃から本腰を入れて書き始めたものであった。
「バンカー、そして神父」=ウオールストリートからバチカンへ=(亜紀書房)。本当の副題は「放蕩息子の帰還」だが、心を病んだ妹の幸薄い生涯と、日本の精神医療の問題点を問う内容でもある。(まだお読みでない方は是非★ここをクリック★してみてください。そして、カートに入れてご購入ください。)


(冒頭の青い花の実です。誰か名前を教えてくださいませんか?)

MMさん。早速教えてくださって有難う。ニゲラですってね!(学名:Nigella damascena; 原産地:地中海沿岸; キンポウゲ科)

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★ 貧しさについて (その-2)

2008-07-15 12:23:30 | ★ 野尻湖・国際村

~~~~~~~~~~~~~~

貧しさについて(その-2)

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(私の隠れ家のあるNLA国際村から、野尻湖の向こうにそびえる妙高山)



(前回、今年のクリスマスパーティーから脱線して、以前に同じテーマで話し合った時のやり取りに言及しましたが、その時の反響として一通のE-メールを受け取ったのを大事に保存していましたので、再録します。)

以下、引用:

私の投げた小石の波紋がユリカモメさんの心の岸辺に反射して、折りたたまれ、掘り下げられて、素晴らしい模様になって広がった感じがしました。これを私が独り占めにして、そのまま受信トレイに埋もれさせるのは、いかにも勿体無いと感じました。
幸い、ご本人の了解が得られましたので、以下に引用させていただくことにします。


* * * * * * * * *

ユリカモメです。
usagi さんのブログを読みました。

かなり登場人物も集約化しているのでしょうが、B さんというのは私の発言が主たるものだとおもいます。
で、意が伝わっていない(もともと言いたいことが完結していなかった)ので、ちょっと書きます。
まずE夫人の「文字通りの空中楼閣(集まった会場は東京の都心のデラックスな高層マンション上層階で実に素晴らしい眺望)で、おいしいご馳走の数々とアルコールを頂きつつ、貧困を論じるのには、なんだか後味が悪く空しく感じました」にはなんの反論もできませんし、私自身も同じ感情を持ちます。が、それでもあの話題はやってよかったとどこかで思っていました。
なぜかと考えたら、「後味悪く空しく感じる」のは、それはY子さんや、北九州市のような個別のケース(=貧困)を話すときに感じることで、政治問題としてとらえたとき(=格差)は、話をすることは有効だと思いました。
なぜなら、格差問題は個人の問題(努力不足とかではなく)ではなく、明らかに政治によって引き起こされる社会問題と思うからです。(私は社会的なことを話して何になるという人の意見には同意できません。)
私は、基本的に政治に皆が関心をもつことにより社会は良くなると信じています。(とはいえ民主主義が誤った決定をすることもあるとは思う。)
で、格差問題にも関心を持つべきです。
私は、所得差が生じるのはやむを得ないが、制度によってできる格差(例えば派遣業による賃金の格差)はなくすべきで、弱者を救うシステムはもっと充実すべきと考えます。
格差拡大がよくないと思うのは、心情的なことも大いにありますが、社会不安が生じると困るというエゴも理由です。
以上が私の基本的スタンスです。

次に、小泉改革ですが、中途半端と官僚にしてやられたというのが私の見方です。
確かに、いろいろな問題が噴出しています。それを理由に小泉改革は間違っていたという既得権益者の巻き返しが始まっているのです。
小泉改革は全く緒に就いたばかりで、まだまだ進めなくてはなりません。いくつか生じた問題を改革そのもののせいにしてはいけないのです。
とはいえ、大きな疑問もあります。
郵政の民営化、道路公団の民営化とは、市場化から退出すべきメカニズムが無くてはいけません。民営化とは旨く行くストーリーではなく、退出させられる道(=倒産)社員の失職の道があるということです。でも、これらにはそれが見えないのです。こうして考えると、小泉改革は、方向は示したもののほとんど実態は無いのではないかとも思います。結局官僚の焼け太りに終わりそうです。

この官僚エゴが国家をだめにしたのが共産国家だったのではないでしょうか?
共産主義にはロジックとして格差はないのでしょうが、実際は官僚と一般国民との間の格差はとてつもなくあったのではないでしょうか?(当日話にでたキューバは違うようだが。脱キューバを認めていたので米国からの送金で成り立った=庶民へ入金=との話ある。)

さて、格差問題はどうしたらいいかですが、政治としてなすべきは再配分システムを強化することに尽きるでしょう。私は例えば道路よりこれを優先すべきと思います。再配分システムは単にばら撒くのではなく、付加価値のある労働につけるような教育とか、さらには住所をもてるようにとか本人努力で浮揚できるまでのベースをつくるようにすべきです。(勿論老人には年金などの見直しも必要かも)

政府ではなく経済的余裕のある人達はどうすべきでしょうか?
再配分システムのひとつに寄付がありますが、キリスト教の弱体のせいか、米国に比べ日本はわずか1%程度とのことです。(数年前ですが、寄付先の格付け会社設立に関し相談されたが、その時、年間寄付金は4兆対400億と聞いた:未確認)、日本においては機能していないようです。
もうひとつ血縁同士の助け合いもありますが、これも核家族化や少子化で昔のようには期待できないでしょう。
これに関しては、私としては、国民や地域住民としての最低限の義務は果たすべきという以上の意見はありません。

usagi さんの案もありかもしれませんが、所詮経済問題だけでは成り立たないのではないでしょうか?
生活共同体的宗教団体は経済での結びつきより、寂しさからくるものではないかと思います。
魅力的中心人物がいれば、小さな共同体は成立するかもしれませんが、おおきな共同体は権力を持たない限り(結局は国家=10%より大きく徴収)成立しないのではないでしょうか?
一般的に組織が大きくなると間接部門が急増します。
組織を三角形で考えると底辺が2倍になると面積(つまり支えられるべき組織)は4倍になります。これを防ぐには生産性を挙げるか組織形態を変えるかしかありませんが、生産性向上はこの場合ないですよね。組織形態のひとつとしての鍋蓋型の場合は組織の増大とともに、中心人物の能力が飛躍的に求められるようになると思われます。ネットワーク型の場合は何か強力な共通理念が必要と思われます。(以上を含め単に思い付きです。)
某有力宗教団体が10%召し上げていたとおもいますが、おそらく学校運営や聖堂つくりに使われているのではないか(再配分ではない)と推測します。

ただ、再配分システムとしての機能はなくても、貧困にめげず生きる強さをこうした宗教は与えられると思います。
六本木ヒルズでいつ落ちるかわからない恐怖や、電話ひとつ無い寂しさとともに生活しているのと、貧しい食事(でも今はひもじくはない)でも大勢と共同で暮すのとどっちが幸せなんでしょうね。

最後にひとつ。格差という言葉自体が問題と思っています。単なる所得差で、上下はないと思います。ついでに勝ち組負け組み、底辺(やむ終えずつかったが)もやな言葉です。所得差はなんら恥じることないし、この社会で存在していること自体が価値あること(これを説明すると長くなる)なので、再配分されるものは当然の権利として受取ればいいと思いますし、公平な形で徴収もすべきでしょう。そうしたことを説くのも宗教の役割のように思えるのですが。(神を信じなくても通じる話のように思うのですが。)

ここまで書いたものを読みなおして、やはり空虚に感じます。E婦人の言葉には重みを感じます。
そして、このメールをもっと単純化したメール、貧困や精神に関しても触れたメール、合計3つのメールを作りました。
もっと書き足そうかとも思いました。
さらに、何も送らないという事も考えました。
貧困に関して意見をいうのはやはり気が重いのでやめ、まあ、この程度はせっかく書いたんだから送信しちゃおうと思いました。

* * * * * * * * *

如何でしたか? 素晴らしいコメントでしょう? 私はこんなにインテルジェンスの豊かな人とキャッチボールが出来るのを、いつも楽しみにしています。(usagi)

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★ 二度あることは三度ある(その-1)

2008-07-13 21:34:27 | ★ 回想録

2008-07-13 09:45:05




           二度あることは三度ある
「神よ!神よ!どうしてわたしを見捨て給うのか?」(マルコ15章34節)

 このブログは、
         =現代の棄民、またの名を、従順とは?=

の副題のもとに、「二度あることは三度ある」というテーマの舞台構成で書きます。
 少しずつ書き進みます。公開した後も時々、元に戻って推敲・加筆しながら進みます。思いついたことがあれば、随時、自由に関連の話題を割り込ませることもあるでしょう。(本文中のブルーの太字は今日加筆した部分です。)
 基本構成は:
    〔序  幕〕
    〔第一幕〕 「一度目の棄民」 (一年の流刑)
   〔第二幕〕 「二度目の棄民」 (二年の追放)
   〔第三幕〕 「三度目の棄民」 (無期の禁錮)
   〔終  幕〕
です。

               〔あらすじ〕

〔序 幕〕
 高松教区にM司教が着任したのが正確に何時だったか、思い出さない。
 彼は着任早々各小教区教会、各修道会、各施設を精力的に回って、そこの責任者たちとじっくり話し合った。
 当時三本松教会の主任司祭だったわたしには、「後回しにして申し訳ないが、その内必ずいくから」と言っていて、ついに来なかった。そういえば、わたしが交通事故で一時入院したときに見舞いに来たことがあった。しかし、数分の見舞いと司教の公式訪問とは同じではない。結局、ずるずる日がたって、ついに訪問は無かった。わたしは教区のために司教に話したいことが山ほどあったのに・・・・。これが最初の公約違反。最初の嘘であった。

〔第一幕〕  「一度目の棄民」 (一年の流刑)

 そうこうするうちに、「前司教様の下でよく働いてくれた。ご苦労さんだった。ご褒美に1年間のサバティカル(休暇)をあげよう」ときた。寝耳に水だった。休暇など願い出た覚えはなかった。前司教の遺産を受け継ぎ、それを守り、発展させるのは自分の仕事だと心得、大いに働こうと意気込んでいた矢先だった。
 「どこで何をすればいいのですか?」と聞くと、「ローマにでも行って、好きな勉強でもしてくれば?」との答えだった。「留守中の教会はどうなるのですか?」「神学校を手伝うN神父が兼務するからなんとかなるだろう。」「なるほど。」「では、帰ってきたらどうなるのですか?」「もちろん、もとの三本松教会の主任司祭に戻してやる。」55歳で司祭になったとき、F司教様とその後継者に従順を誓ったわたしは、何の疑いも無く従うことにした。
 だが、治まらなかったのは三本松教会の信者たちであった。着任当時、三本松教会の日曜のミサは、10人も来れば多いほうであった。それが、2年ほどで倍以上になっていた。聖堂も改築して50人までは入れるようにした。新しく教会に近づいた求道者の多くは、わたしと個人的に強く結ばれていた。彼らの間に不安が走った。 「神父さん!1年たったら本当に帰ってきてくれるのですか?」
 「司教さんがそう言っているから大丈夫だろう。」「私たちを置いていかないでくださいよ。」「司教さんの命令だからそうはいかないな。」
 「司教さんに直訴しよう!」実際、何人かが、司教さんに遭いにいったらしい。もちろん、休暇の取り消しには至らなかった。しかし、「1年たったら、貴方たちの神父は必ず帰ってくる」との確約は取りつけられたと言う。
 わたしがローマへ発ったのは、2005年5月、三本松教会の年に一度の大イベント「ルルド祭」の直後だった。
 (ローマでの苦難の生活は、次回以降に追加しよう。)

〔第二幕〕  「二度目の棄民」 (二年の追放)

 1年が過ぎて、ルルド祭の応答日も近づいた頃、それまで一通の手紙、一本のメールも無かった司教から突然メールが入った。読んで見て、我とわが目を疑った。「引き続き2年間教区外居住を命ず。」「教区外ってどこ?」「生活の原資はどうするの?」ローマでも無論そうであったが、今回、ジプシーのように車に身の回りのもの乗せて、広い日本、一体どこへ流れて行けと言うのか?教区が振り込んでくれる手取り9万円ちょっとのお金で、どうやって生きて行けと言うのか。支援してくれる友人、知人の多くは東京だが、屋根付きガレージひとつ借りても9万では足りないだろう。どこに住み、何を喰らって生き延びればいいのか。せっかく神父になったのに、教会も無しに、誰を牧し、誰に福音を宣べ伝えよというのか。20年前の、年収ウン千万の国際金融マンも、いよいよ落ちぶれたものだ。 これが司教の二度目の公約違反。二つ目の嘘であった。
 辛くも、2年間を、日本国内で、しかし自分の帰属する高松教区の外で、生き延びた。(どうやって生き延びたかは、また追い追い書くとしよう。)その間、司教からは一通の手紙、一本のメールも届かなかった。教区報が発行されても、それも送られては来なかった。
 二年目の応答日、ローマに行く直前のそれから数えて、3度目の「ルルド祭」の日が近づいたが、それでも何の音沙汰もなかった。
 二年間の教区外生活を命じられた。二年間教区の外に生活するのが「従順」と言うものだ。しかし、二年を越えて勝手に教区外生活を続けることは、逆に「従順」に反することになるではないか。
 3年目の応答日を期して、あらかじめ司教に手紙を書いて、司教館に帰った。司教は留守だった。スタッフが用意してくれた一室で、じっとその帰りを待った。
 やっと司教に会うことが出来た。彼が教区に着任から4年たって、やっと始めてのご対面が実現したというわけだ。
 徳島の山奥で、又は、愛媛の西の端のほうで「開拓宣教をしないか」と言う話になった。山で小鳥に説教をしろというのか?海で魚に説教をせよとの命令か?人のほとんど住まない過疎の地で、開拓宣教も何も無いだろう。「宣教というものは、そこそこ人の住んでいるところでするものではないのですか?」と反論すると、以外にもあっさりとこの2地点は引っ込めた。人が住んでいて教会の無いところ・・・・・。こちらから、例えば四国霊場86番の札所「志度寺」のあたりなどは?と水を向けると、ああ、そこそこ、志度がいい、志度がいい、と言うことになった。志度がどんなところか知っているの?本当はどこでも良かったのではないか、と思った。そして、一枚の紙切れをもらった。ただ、「志度で開拓宣教をせよ。当面は三本松教会に住め」という趣旨であった。日付も無い、司教の署名もない。すぐピンときた。ああ、第三幕の「三度目の棄民」の始まりだ。今回は「無期の禁錮刑」だ。

〔第三幕〕  「三度目の棄民」 (無期の禁錮)

 これは、今まさに始まったばかりのこと。これについては、これから書くことも多かろう。

〔終 幕〕
 ここでは、キリスト者にとって「従順」とは何か、と言うテーマを、今回の一連の体験を通し、神学的、社会学的に考察してみたいと思う。
 ハイペースでは進まないだろう。一度書いてしまったことでも、あとで振り返って消すこともあろう。書き足りなかったところは補足もしよう。行きつ、戻りつ、このテーマを膨らまして行きたいと思う。
 「従順」の一言に呪縛され、虫のように苦しんできた多くの司祭、修道者たちに、小さな慰めとなればとの思いもある。

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★ 貧困について

2008-07-11 12:22:29 | ★ 野尻湖・国際村

 

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日本の貧困について

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(グアム島に自生するブーゲンビリアの茂み)



昨日の晩、クリスマスパーティーを兼ねたある小さなサロンの集まりで、大切な話をしたついでに、今の日本の「貧困」の問題にもちょっと触れました。


その脱線の発端は、その日、青山の会場に向かうべく東海道線の各駅停車に乗ったら、川崎の手前の線路上で突然停止し、車内放送では、人が線路内に立ち入ったためとの説明があったことでした。とっさに、「アッ、また人身事故か」、と思ったのです。その昼は、ドイツ人の彫刻家と、その奥様のきれいな日本人のピアニストとワインを飲みながら、日本の自殺の異常な多さについて話してきたばかりでしたから。カールさん-と、彼はいいますが-は、日本の人口に対して自殺者年間3万人強は、恐らくドイツの3倍以上ではなかろうかと言いました。(その大づかみな彼の感想の正確さを私はまだ検証してはいませんが・・・。)

私は、小泉・竹中の新自由主義経済改革以来、日本の憲法に定められた「人間らしい最低の生活」を保障するセーフネットが、あの頃からほころび始め、その破れ目からこぼれおちていく人がにわかに多くなっているのではないかという持論を持ち出したところ、あとで、いろいろな角度から反論が相次ぎました。私は敢えて弁明しませんでしたが、反論の主たちは、自分の才能と努力でセレブの道を切り開いたエリートたちだという印象を拭えませんでした。

そして、私の心の中では、私の親しい信者さんが、意欲もあり、ささやかな技能もあり、正直に真面目に働いているにもかかわらず、生活が苦しく、結婚も、自分の家を持つことも叶わず、老後の展望も立たない、と言う厳しい日送っているのを見守りながら、祈ること、言葉をかけること、寄り添うこと以上に何もしてあげられないでいるつらさが疼いていました。

私の知るY子さんのような愛すべき魂が、長年契約社員として、そして、名前だけ正社員に昇格した今も、十分な休暇も無く、正当な残業手当も無く、展望の無い日々の生活苦の中で、過重労働に疲れ、体調を崩し、精神を蝕まれて欝になり、それでも心療内科の世話になりながら、使い捨てられていく恐怖に怯えつつも、薬を飲み飲み必死で働いている姿を目の当たりにして、いたたまれない気持ちから、一体何が悪いのか、どうすれば彼女を助けられるのか、という素朴な疑問が生まれたのでした。

いわゆる「小泉改革」などに象徴される、無制約な弱肉強食と経済格差の助長策が、新しい貧困層を生み出し、それを情け容赦なく切り捨てようとしているのに対して、私は怒りすら感じます。日々東京の地下鉄を止めている3万人余りの自殺者達の多くは、いつやってくるかも知れぬ生活の破綻の悪夢に怯えながら、危うい日々を綱渡りしてきた挙句に、ついに行き詰って、孤立無援の中で人生に悲しい決着を付けざるを得なかった人たちではないのでしょうか?

実は、以前にも同じ会でこの点についてもう少し突っ込んで意見を交わしたことがありました。その時のことを思い出しながら再録することをお許しください:


(A)さんが、まず「北九州市で、生活保護を辞退するように追い込まれ、結果として死んで行った人のケースなんかもそうですよね」とフォローしてくれました。(あの事件、まだ覚えておられる方も多いでしょう?)
私には、弱者を省みない資本主義より、マルクスの経済理論のほうが、より進んだ解決策を提起してくれる可能性があるのではないか、と言う、無知から来る素朴な期待もありました。
私なりに、自分の身の丈に合った解決の鍵を見つけているように思ってもいますが、それを提唱する前に、先ず人は一体どう考えているのかを知りたいと思いました。

すると、私の提起した問題のポイントを突く質問がすぐに返ってきました。

(B)さん曰く「あなたは、小泉・竹中の改革それ自体が悪い、間違っていると言いたいのか、それとも、ただ単にその結果生まれた富の再配分がうまく行っていないところが問題だと言うのか、どちらなのかをはっきりさせなければ」と言う鋭い指摘です。
私は、はじめからそのような点を明確に区別して考えていたわけではありませんでしたから、一瞬はたじろぎました。Bさんによれば、経済を成長させ、発展させ、国際競争力を高めるには、小泉改革は有効である、自分は大いに評価し、支持していると言うことのようでした。
私は、ただY子さんのような人が、大企業並みの休暇が与えられ、残業をすれば正当な手当てが支払われ、定年まで働けば、その老後は慎ましい生活が出来るよう福祉で約束されさえすれば、それで良かったのです。

(C)さんは「人生のスタートの段階で安易に流れ、将来のために我慢して努力しなかった人間が、後になってまともな仕事にありつけない、十分な収入が得られない、老後の不安が解消しない、と嘆いても手遅れ、そんなことは自己責任の範囲で解決すべきもの」自業自得で同情の余地なし、と突き放しました。
先の(B)さんは「単に富の再分配の問題なら、累進課税を強化するなり、福祉制度を見直したりすればいいわけだが、再分配の面で手厚い社会主義や共産主義では、誰も経済を成長させ、国際競争力を高めるために意欲を燃やさないだろう。だから、グローバル化した国際社会の中で、飽くなき利潤の追求に走る企業は、資本家は、お金は、税率と福祉負担のより低いところへ逃げて行くから、一国、一地域での社会保障の充実は、必ずしもその地域の貧困の問題の解決には繋がらないだろう」と言います。

(D)さんは「みんなが同じように能力を発揮し、努力をし、自由に競争するとすれば、勝負は最初の出発点でどれだけの資本 (例えば親から受け継ぐ財産、教育、機会等) を持っていたかで決まる。それは、本人の問題以前の要素で、貧困を単に個人の自己責任に帰してしまうことは出来ないだろう」といわれました。

ブログでこの会を知ったパリ在住の(F)夫人は、たまたまの一時帰国を利用して初めて参加されましたが、「文字通りの空中楼閣(集まった会場は東京の都心のデラックスな高層マンション上層階で実に素晴らしい眺望)で、おいしいご馳走の数々とアルコールを頂きつつ、貧困を論じるのには、なんだか後味が悪く空しく感じました」と率直に言われました。

私は、世俗の社会制度がY子さんのような例を救えないのなら、様々な階層のキリスト教信者がランダムに集まって、35人~50人の単位で親密な共同体を作り、各共同体において、みんな自分の所得の十分の一を目処に拠出して、それを必要なメンバー、不足している家族に再分配すれば、その共同体の中ではいわゆるワーキングプアーの問題はたちまち解消すると提唱しました。それは、たとえば、手取り月15万円の派遣社員は1万5000円を、月収300万円の人は30万円を拠出し、以下同様に皆が10%を出しあって創ったプールから、先の派遣社員は、例えば新たに10万円をもらって25万余りで生活する、子供が7人いて住居費や教育費が自分たちの給料で足りなければ、必要額をこのプールから汲み取る、老人を介護しているメンバーにもその中から足りるだけ補助をするといった具合です。
すると(E)夫人から、「神父様がおっしゃった小さな共同体で、それぞれが収入の一割を醵金、再分配ということ。そんなこと、日本で可能とお思いになりますか?出し渋る人が多いだろうし、受け取る側も施しを受ける気がして辞退するとか・・・・アラブ社会、フランスだったらできそうですが」というコメントがありました。
私は、アラブ社会やフランスには、もともと神がいる社会だからやりやすいには違いないが、日本でも、キリスト教の教えを正しく理解し、福音的な回心の道を受け入れた人々の間でなら、不可能ではないと思うし、同じ回心を前提とすれば、受ける側も、それを施しとして恥じることなく、家族的な共同体からの当然な支援として受け止めるしなやかさが期待できると思いました。現に、少数ながらこのような実験は日本でも始まり、機能し始めています。

E夫人は付け加えて、「ご出席の方々は、所詮恵まれた勝者ですもの、死ぬまで決して落ちこぼれることは無いでしょう。けれど、それをわきまえつつ、時々彼らの考えを聞くのは大変興味あるとは思います」といって、パリへ帰っていかれました。
 

* * * * * * *

〔私なりの結論〕

資本主義的無神論も、社会主義的無神論も、共産主義的無神論も、本当の神を否定するからこの世に貧困の無いユートピアを築くことは決して出来ないだろうと思います。なぜなら、そこで君臨する神は、私の言葉で言えば、「マンモンの神」、「お金の神様」、「悪」の力でしかないからです。そこで働く法則は、どんなにうまくカモフラージュしても、結局は「貪欲」と他者を踏みつけて省みない「利己主義」です。

ローマ皇帝を神とし、その圧制をローマ軍の暴力装置で維持し、反抗する分子には十字架の恐怖で臨んだ2000年前の地中海世界で見られた奴隷制社会と、今の社会とは、基本構造においてそれほど変わっていないように思います。救いの見えない状態にあえぐ多数の貧困者を生み出しそれを切り捨てていく社会では、現状を根本的に変えるだけの力は、内部からは決して湧いてこないでしょう。

しかし、「隣人を自分のように愛すること」を学んだキリスト教徒の共同体の内部でならば、この世において貧しい人のいない社会を実現することはなんとか出来そうに思われます。その意味で、実践的キリスト教は、決して現実逃避の「阿片」ではなく、実効性のある貧困問題の解決策でもあると思うのです。

とは言え、現実のキリスト教会は、その理想からはあまりにもかけ離れては居ないでしょうか。いま日本のカトリックの教会に熱心に通っている現役の信者さんや教会指導者の聖職者たちにこの話をしても、先のパリからのご夫人のように、日本のカトリック教会の中ではそんな夢みたいな話、先ず無理でしょうね、と軽くいなされるのが落ちかもしれません。

しかし、ナザレのイエスは、回心して彼の福音を信じるように我々を招いています。もちろん、先ず私から始めなければならないでしょう。その上で、それに共鳴する人が続くなら、小さな福音的共同体の形成は可能かもしれません。そこでは、食べられない貧しい人、打ち捨てられた老人はいないはずです。

そうした、キリスト教的ミニ共同体が、細胞が分裂して増殖するように増えていくならば、多くの貧しい人が救いを求めてそこに集まってくるかもしれません。キリストから300年の間の初代教会も、実はそのようなものとして広がっていったのでした。

お金の神様に身も心も売り渡し、「マンモン」の奴隷としてこの世の栄華を誇る強者たちの目には、そのような集団の出現は、社会の秩序を覆す恐ろしい癌細胞のように映るかもしれません。だから、彼らからの迫害もあるでしょう。初代教会がまさにそのような状況にありました。キリスト教は、今また、そのような姿に帰るべき時だと思います。

上のような実験に参加している日本人のカトリック信者は、まだせいぜい数百人か、多くてもまだ1000人には達していないでしょう。しかし、世界10億のカトリック人口の中では100万人をはるかに越えているのではないかと思います。

60億の中の100万人は大海の中の一滴にしかすぎないかもしれません。しかし、私が近い将来テーマとして取り上げようと考えているアメリカのアーミッシュは全部集めても19万人ほどで、それでいて世界のキリスト教に強いインパクトを与えているのですから、それに比べれば決して小さい集団ではありません。

《 つづく 》

コメント (2)
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