:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「お金=神」 の時代をどう生きる?(そのー6)

2018-01-14 06:38:36 | ★ 福音宣教

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「お金=神」の時代をどう生きる? (最終回)

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写真のないベタ文字のブログが敬遠されることは、経験からよく知っている。それで、いつも恐る恐るアクセス解析を見るのだが、驚いたことに今回は逆に続伸している。それで、調子に乗るわけでもないが、もう一回だけ運を試してみようという気になった。 

 

これからする話は、我ながら出来すぎていると言うか、芝居がかっているというか・・・。わたしだって、人がこんなことを言ったら、「嘘だろう。そんなことってあり得ない!」と言って、信じたくない思いが先立ったかもしれないのだ。

だから、現実に起こったこととして信じられない人がいて、谷口の作り話だろうと言うなら、私は敢えてそれに抗弁はしない。しかし、「事実は小説よりも奇なり」なのだ。

 

振り返れば、この1週間の修練のあいだ、一日として安楽な日はなかった。とは言え、雨でも降らない限り日中は何とかなった。ただ、夜を過ごすのはつらいことが多かった。しかし、それも明日無事に汽車に乗れたら、あとは誰かが何か食べさせてくれるかもしれない。有終の美を飾るために、今日もう一日元気を出そう、と自分を奮い立たせた。

夕闇が迫るころ、都心に帰るにはもう遠くまで来すぎていた。この教会を最後に、あとは橋の下の風の当たらない場所でも探そう。そう心に決めて、戸を叩いた(呼び鈴がなかったからだ)。薄暗がりのなかでも、手入れの行き届かない小さなさびれた貧しい教会であることは歴然としていた。 

待つことしばし、疲れた顔をした初老の司祭が、物憂げに現れ「・・・・・」と、彼は無言だった。

だが、こちらはもう慣れたものだったから、お構いなしに、「主の平和が貴方とともにありますように!」「神父さん!神の国は近づきました。回心して福音を信じてください!」と一気にまくし立てた。

すると、その神父はガックリと膝を折って、我々の前に黙って跪き、目に涙を浮かべ、わなわな震える声で言った。

「ああ、やっと来てくれましたね。私は貴方たちが来るのを何年待ったことか!ありがとう。ありがとう、神様・・・。」後はもう言葉にならなかった。彼はさめざめと泣いていた。

この思いがけない展開に、私はただ呆気にとられた。

その夜、遅くまでかかった彼の告白を写実的に展開すれば、興味をそそるブログが3つも4つも書けただろう。だがそれはしない。

神父になって以来、彼の人生はずっとついていなかった。任された教会はもともと小さく貧しかった。説教が下手で人を惹きつけることに成功しなかった。世間の景気が良くなればなるほど、信者は教会を離れ、献金も減って、やり繰りがつかなくなった。神父の身分に強いられた独身生活の淋しさに耐えかねて、愛人をつくり、密かに肉欲に溺れる自分を恥じながら、やめられなかった。酒で良心を麻痺させようとしてアル中になり、わずかなお手当も殆んど酒代に消えるようになった。しらふの時には努めて善人を装ってみても、仮面の下の醜い素顔が魂を苛んだ。神などとっくに信じられなくなっていた。引き裂かれた魂のまま生きているのが辛く、死んだら楽になれると思ったが、いつも未遂に終わった。

そして、信じてもいない神に向かって叫んだ。「神様、もしあなたがいるのなら、人を送って私に回心を勧めさせてください。その印を見たら、もう一度人生をやり直せるかもしれませんから・・・。」

そして、何年も待ったが、誰も来なかった。私は完全に見捨てられたと思って人生を諦めていた。

だが、私は今、神様を再び信じる。彼は私を見捨てなかった。その憐れみと赦しと愛の印を見たからだ。

あなたたちがその印だ!

全てを語り終えて、彼の顔に微笑みが浮かんだ。私たちは抱き合った。私たちも泣いた。甘美な涙だった。彼の家にあったものを一緒に分け合って食べ、飲んだ。それはどんな豪華な食卓よりも素晴らしかった。

彼はもう大丈夫だ。きっと立ち直って再び生きはじめるだろう。

 

聖書という書物は実に不思議な書物だ。世の中には古典と呼ばれるものが無数にある。しかし、この一冊は全くの例外だ。他をすべて引き離して、ダントツ1位の超ベストセラーだから、だけではない。

それは、聖書に書かれた言葉に-聖書に書かれた言葉だけに-生命が宿っているからだ。聖書に書かれた言葉が死んだ言葉ではなく生きている言葉だというのはどういうことか。それは、その言葉に命があり、その命が活動し、その言葉が生き物として動き、働き、作用して結果を生まずにはおかない、ということだ。聖書のある場面と同等の状況で同じ言葉が告げられると、時間と場所を超えて同じことが起こり、同じ結果を生む、そういう不思議な言葉だと言ってもいい。

人間が(年齢も人種も異なっていても)、同じ状況で(たとえば見知らぬ土地で二人が連れ立って一銭も持たずに)、聖書に書いてある言葉と同じ言葉(たとえば、「神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい。」)を吐くと、2000年前にガリレア地方でイエスの弟子たちの身に起こったことと全く同じことが、現代のベルリンの秋の空の下で、私たちにも起こる、ということだ。私にとっては、自分の身に起こったことであり、見て触れたことだから、当然信じて生涯忘れないが、たった6編の私のブログを読んだ読者の皆様も、「ふーん、そうなんだ。そんなこと実際にありなんだ!」という気分になって納得されるのではないだろうか。生きている神の言葉だから、命あるものに固有の働きをして、その作用に見合った反作用を引き出す、と言ってもいいだろうか。

聖書には「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6章24節)という言葉がある。

今回の正味1週間の修練は、一人の主人(神様)だけに100%仕えたらどうなるかの人体実験だった。実験室の中でもう一人の主人(マンモンの神=お金)を完全に排除した時空を人工的に作りだし、その中で人間はどうなるか、神様はどう働くかを検証した、と言ってもいい。

ローマから1200キロ離れた人口300万人のドイツ最大の都市で、一銭も持たず、頼るべき知人もなく、ただ聖書の言葉を告げるだけで1週間過ごすとどうなるか。まるで広大な砂漠のど真ん中に放り出されたような状態に身を置くと、ふだんはどこに居るのか、居るのか居ないのか、雲をつかむような不確かな存在だった神様が、目にこそ見えないが、ピッタリ寄り添って、まるで召使のように衣食住必要なものすべての面倒を見て下さった、という実体験は、一度それを経験すると生涯決して忘れられるものではない。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。」(マタイ6章25-31節)

という言葉は、命のある生きた「神の言葉」だった。言われた通り「回心して福音を信じなさい!」と言ったら、目の前であの神父が回心した。まさに奇跡が起きた。こんなわかりやすい事実はかつて経験したことがなかった。

(おわり)

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★ 「お金=神」 の時代をどう生きる?(そのー5)

2018-01-12 06:40:32 | ★ 福音宣教

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「お金=神」の時代をどう生きる?(その-5)

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何時間寝たか。日の出と共に目覚めたときには、野ウサギたちはもう巣穴に帰っていた。

二人とも冷静さを取り戻していた。どちらからともなく謝って和解すると、関係はそれまでよりずっと親密になった。人の気配が始まる前に朝の冷気をついて学校を後にした。公園の水道の水を腹いっぱい飲んで朝食に代えた。

臨機応変にヴァリエーションが加わるにせよ、平和のあいさつに始まって、「神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい!」と告げるのがこのミッション(宣教)の核心になる。毎日それ以外にすることがない。

相手は一律にカトリック教会を預かる主任司祭たちだが、反応はまちまち。嫌悪の情をあらわにして我々を拒む神父から、適当にあしらってバイバイの人、生真面目に対応して受け入れる司祭まで、10人十色だった。ひもじい日もあれば、お腹いっぱいの日もある。夜は何とか工夫して寒さをしのぐが、まともにベッドに寝られることはなかなか期しがたい。

その日の午後も足を棒にしたが、まだ夕闇には届かない中途半端な時間だった。ベルリン郊外の教会は互いに離れている。疲れは溜まってきたし、今日はもうこの辺でおしまいにしたいのだが・・・と期待しつつ教会の呼び鈴を押した。

紋切り型の「平和の挨拶」は無事パスした。玄関のやや長い立ち話もスムースだった。修行のためとは言え、いまどきバカ正直に聖書に書いてある通り「福音を告知」をするために、一銭も持たずに遠路はるばるイタリアからやってくるなんて実に奇特な話だ。まあ、冷たいものでも一杯飲んで休憩していきなさい、と応接間に通してくれた。期待したビールではなく、ジュースとビスケットが出た。

私は通訳に徹し、光男君を話の輪に加え、3人で対話する形に持っていくほどに私も成長していた。相手の神父がいい人だということはよくわかったが、さりとて話が盛り上がり熱が入るというわけでもなかった。何となくこの辺が潮時かと察して、暇乞いをして教会を出た。

二人で顔を見合わせて、さて、これからどうしよう?時計は6時頃を指していた。市の中心に戻って、浮浪者向けの炊き出しの列に並ぼうか、もう一軒教会を訪ねて運を試そうか。地図を見ると一番近い教会は4キロほど離れていた。7時前には着くかな?という感じだった。光男君も逞しくなっていて、もう一軒試すほうに同意した。

二人の関係はもうささくれ立ってはいなかった。日はとっぷりと暮れ、郊外の集落の窓々には団欒の灯がともっていた。マッチ売りの少女も、寒さに凍えながら、あの明かるい窓の中を切ない思いで覗いたにちがいないと、ロマンチックな気分に浸るころには、遠くに司祭館の灯が私たちを招いていた。

ピンポーン♪!すぐに中から戸が開いて、笑みを湛えた赤ら顔の神父さんが迎えてくれた。

「主の平和が神父さんと共に・・・」と言い終わらないうちに、「いいから、いいから、さあ入んなさい。外は寒いから早くドアを閉めて。」「遅かったね、待っていたんだよ。もう温かい食事の準備はできている。手を洗うかい?トイレはあっちだ!」

「????!」これは一体何の冗談だ?!思わず光男君と顔を見合わせた。神父は満面に笑みをたたえて、手を揉みしだきながら我々を眺めている。

「神様!サプライズもいいけどネ、あんた、こりゃちょっとやりすぎじゃないですか?」と心の中でつぶやいた。

暖炉の前のソファーに落ち着いた。平和の挨拶も、神の国は近づいた・・・、も省略。とにかくまずは乾杯!晩秋のベルリンでも、温かい部屋の中では、最初の一杯は冷たいビールがいい。

「私は日本人のジョン、こちらは光男君。イタリアから列車に揺られ、マルコ福音書の6章にある通り、イエスが弟子たちを二人ずつ、パンもお金も持たせずに町や村に宣教に派遣した故事に習って派遣されてきました。まず平和の挨拶をして、それから・・・。」 

「うんうん、それはわかっているよ。ところで今日で何日目?ほう、それで、あんたたちの勧めを聞いて改心した神父が一人でもいたかね?」

「ん?」と、想定外の角度からの質問に、一瞬答えに窮した。「さあ、それはまだ何とも・・・・。」

「それがいたんだよ、一人!」

「ん?」と、また詰まった。

「いや、実はね。一時間ほど前に電話が鳴って、友達の神父が言うには、『一風変わった二人のアジア人がやってきて、これこれ、こういうことだった。真面目な連中だとは思ったが、深く関わったら面倒なことになりそうだと思ったものものだから、努めて距離を置いて応対していたら、そのうちあっさり辞してどこかへ行っちまったのさ。ところが、送り出した後で急に気が咎め、もしかしたらあれは神様から送られてきた天使たちで、大切なメッセージを持ってきたのかもしれなかったのに・・・と、何とも後味が悪くて考えたんだが、この日暮れの寒空に、まだ行くところがあるとしたら、多分君のところかもしれないと思ったわけさ。だから、もしも来たら車に乗せて送り返してくれ。後は自分が何とかするから』と・・・。」「それで言ったんだ。『わかった。だが、もし来たら私が面倒を見よう。いま時、良い知らせを持って天使がやってくるなんて話、めったにあるものじゃないからね』と返事したわけさ。」

「神様、あんたなかなか粋なことをするじゃない?!それにしても短足にジーパンをはいた肌の黄色い天使なんて絵にならない」と、また独りごと。

さっきの神父は別れたあとで回心した。そして、この赤ら顔さんは会う前にもう回心していたなんて・・・。

その夜はベルリンに来て以来の人間らしいひと時になった。暖炉に燃える火は私の野尻湖の隠れ家のそれといずれ甲乙つけ難かった。美味しいドイツワインは白と相場が決まっている。炙(あぶ)った豚肉にはポテトサラダが似合う。

その後赤ら顔の神父さんと交わした話は極めて真面目なものだった。

もともと日本は「人格神」不在の自然宗教の世界で、戦後天皇が人間宣言をして以来、日本には「生ける神」への信仰は完全に消滅した。日本列島に生息するエコノミックアニマルが跪(ひざまず)き額を地に擦り付けて拝んでいる唯一絶対の神は「お金の神様」だ。古代オリエントの言葉ではこの世で最も力ある、「マンモンの神様」、別の名を「悪魔」という。

おかげで、日本はドイツを抜いて奇跡の経済成長を遂げた。それに驚いた西欧社会は、追いつき、追い越せとばかり、日本の模倣に走った。それは、生ける神を殺すこと、キリスト教の信仰を脱ぎ捨てて、マンモンの神様を拝むこと、だった。親はもう教会に行かない。生まれた子供には洗礼を授けない。それが劇的に進んだのは「壁」崩壊後の東ベルリンだったが、無神論の共産圏にいた間は信仰を守り続けていた東欧諸国の善良な市民たちも、今は我先に日本の真似をして信仰を脱ぎ捨てにかかっている。

そのような世俗化とグローバル化に敢然と立ち向かっているのが「キコ」と呼ばれるスペイン人のカリスマ的一信徒と、それに従う集団だ。私たちはその中からベルリンまでやってきた。ここ半世紀、歴代のローマ教皇はカトリック信仰の復権を託することのできるほとんど唯一の懐刀として、この運動を大切に庇護してきた。云々。

神父はじっと聞いていたが、自分もその運動に是非触れてみたいものだと真剣に言った。私はそのとき自分のベルリンでのミッションは具体的な成果を見た、と思った。

その夜は、ツォー駅に降り立って以来、初めてシャワーを浴びた。着の身着のままではあったが、皮膚に染みついた浮浪者特有の饐(す)えたようなあの独特の臭いは消えたように思えた。

清潔なシーツの柔らかいベッドに入って天井を見ながら思った。もし、光男君が街に帰って炊き出しに並ぼう、と言っていたら、僕はきっと彼の言う通りにしていただろう。そして、二人の神父の好意は空しくなっていたにちがいない・・・などと考えるうちに、安らかな眠りに落ちた。

(つづく)

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★ 「お金=神」 の時代をどう生きる?(そのー4)

2018-01-09 00:11:12 | ★ 福音宣教

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「お金=神」の時代をどう生きる?(そのー4) 

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1990年9月末のベルリンは秋の盛りだった。紅葉と落ち葉は素晴らしかった。しかし、日暮れからは寒さが身に染みる。何しろ、ローマは青森あたりだが、北緯52度30分のベルリンは札幌よりさらに900キロ余り北に位置しているのだ。さっそく「神様寒いよ!」と文句をたれた。それに答えて親切な神父さんが恵んでくれた上着がなかったら、本当に凍えるところだった。

(その夜をどうしのいだかは省略するが)、翌朝は柔らかい日差しの温かい日和だった。「神様ありがとう!」

お金がないからバスにもトラムにも乗らない。教会から教会へ、地図一枚を頼りに一日平均20~25キロほど歩き、神父を呼び出しては「神の国は近づいた。改心して福音を信じなさい!」を告げて歩く。

神父から問答無用の無情な門前払いを喰うことがある一方で、こちらが正気だとわかると、誰か、彼か、話を聞いてくれるものだ。午後には歩き疲れて、額に汗がにじみ、つい「神様、暑いよ。あなた、少しやりすぎじゃない?喉が渇いた、ビール飲みたい!」もう文句は言いたい放題だ。だが、いくら悪態をついても、たいがい誰かが神様に代わって、たらふくビールを飲ませてくれる、と言った具合だった。

別の日の夕暮、今日はもうこの教会で最後かな、と思う刻限になった。幸い主任司祭は留守ではなかった。

「主の平和が貴方と共に。」という挨拶に「また貴方たちと共に。」とすらすら型通りの挨拶を返すことを知っている神父は期待が持てる。(ダメな神父はまずこの挨拶が癇に障るらしい。)石で野良犬を追い払うような扱いを受ける時は、心に大きな喜びがあふれる。そんなとき、相手の上に願った平和が自分に返ってくる、と聖書に書いてあるのは嘘ではなかった(マタイ10章13節)。

打ち解けた会話は、地球規模の世俗化の圧倒的な潮流と、世界の教会の危機的な凋落に及ぶ。飽食の西ベルリンではとっくの昔に教会離れが進んで、神不在の日本の社会と大差なくなっていた。ベルリンの壁が崩壊するまで貧しい東側の教会を満たしていた民衆も、今はパッタリと教会に来なくなったという。たった1年の間の劇的な変化だった。

そんな中で、我々の運動が教会の刷新を担う希望の星として教皇(当時はヨハネ・パウロ二世)に大切にされていること、世界中で新しい宣教活動が進んでいることなど熱く語っているうちに、秋の日はとっぷり暮れてくる。我々がお腹を空かしていると察した人のいい神父さんは、ビールばかりか香りのいい白ワインも、チーズも、ソーセージも、黒パンも、たっぷりふるまってくれる。温かいスープにもありついた。

問題はそこからだ。このふたり、ひょっとして今夜の宿がないのではないか?という思いが神父の脳裏をよぎったと思われる瞬間から、事態は急変する。

神父は突然ソワソワし始める。時計をちらりと見て、実は何時から〇〇夫人の家で家庭集会がある。帰りは遅くなるだろう。今朝まで人を泊めていた客室はまだそのままで準備ができていない。50マルクずつあげるから、これで近くのペンションに泊まりなさい。この寒空に外で野宿なんてとんでもない。病気にでもなられたら寝覚めが悪いからと、彼はお金で問題を片付けようと必死になる。

それはそうだろう。家庭集会が本当の話かどうかはとにかくとして、我々が札付きの悪(わる)で、さっきまでの話はみんな信用させるための嘘でないとどうして言い切れる?教会の司祭館は、外からの侵入者に対しては金庫のように厳重な戸締りがなされているが、一旦中に入り込んだら、神父が寝静まるのを見計らって、窓の掛け金をはずし鎧戸を開けて外に出るのは造作もないことだ。

教会の祭壇脇の香部屋(ミサの準備室)には銀の燭台や宝石をちりばめた十字架、金の盃など金目の物が山ほどある。廊下のさりげない油絵だって十何世紀の値段の付けられない逸品かもしれない。司祭館は信徒の財産で、神父はよき管理者に過ぎない。だから、素性の知れぬ二人のアジア人を泊めるなんてリスクは誰も取りたくないのは当たり前だ。レ・ミゼラブルのジャンバルジャンが官憲に捕まった時のように、「あの銀器は私が彼に贈ったものだ」、なんて嘘をついて庇ってくれるような粋な神父はまずいない。

「さあ、これを受け取って行きなさい。一日歩いて疲れてもいるだろう。遠慮しないで!さあ!」と親切そうに言うが、さっきまでと違って、「私はあなたたちが信用しきれないから」と顔にはっきり書いてあるのを私は見逃さない。

それまで一人占めで神父と楽しそうにしゃべり続け、話の中身を一言も通訳してくれなかった私に対して、ストレスを極限までつのらせていた光男君が、おおよその空気を察して「一体どうなってるの?」と日本語で聞いた。ひそひそとかいつまんで事情を説明すると、彼は暗く寒い外に目をやって、「受け取ろうよ!」と言う。「だけど、出発する前に、食べ物も、飲み物も、一夜のベッドも、提供されるものは何でもありがたく受けなさい。ただしお金だけは絶対にダメ、ときつく言い渡されているではないか。」「それだったら、なぜもっと早くおしゃべりを切り上げて、駅の待合室に行くなり、浮浪者救済施設のベッドに申し込むなり、手を打とうとしなかったのか。こんな街はずれで遅くなって、雨でも降ったらどうするのさ」と私の段取りの悪さを責めてくる。それに「せっかくの親切を無にするのは悪くないか?」とも言う。

俺一人なら断固辞退するところだが、光男君にはちょっとひ弱なところがあるし、まだ半分以上の日程が残っている。彼に風邪でもひかれたらそれこそ厄介なことになる。それに、神父は苛立って急き立ててくる。納得いくまで彼と議論している時間はとてもなさそうだ。結局、こういう時は意思の弱いほうが勝つことに相場は決まっている。心ならずも大枚100マルクを受け取ってしまった。

さて、神父に礼を言って、外へ出てからが大変だった。

「お金はダメだとはっきり言われてきたではないか。どうして受け取ることにしつこく固執したのだ。」

「最後はお前が受け取る決断をしたくせに。」

「それはお前があきらめなかったからだ。それに、時間をせいている神父の手前もあったし・・・」と責任のなすり合いと弁解が延々と続く。

そんなところへ泣きっ面に蜂とはこのことか。冷たい霧雨が降り始めた。喧嘩は一時休戦。雨宿りの場所を求めて夜道を急ぐうち、小学校風の建物の前に出た。門をくぐって敷地内に入ると、グランドに面して広い庇(ひさし)の張り出した場所を見つけた。下のコンクリートは冷たく乾いていた。並んで壁にもたれて座ると、気まずい沈黙が流れた・・・。

雨に濡れてまで、宿を探しに行こうとは光男君も言い出さない。寒くはあるが、幸い体温を奪い去るほどの風はなく、お腹もいっぱいになっていた。そこへ歩き疲れから眠気が襲ってきた。

気が付いたら、いつの間にか眠っていたらしい。光男君は、そばで大きな寝息を立てている。

ふと目をやると、向こうの植込みの下に何やら不思議な光の点がたくさん見える。時々点滅したり、動いたりする。何だろう?と瞳を凝らすと、それはどうやら穴から出てきた野ウサギたちのようだった。少し離れた街灯の淡い光を、私たちを見つめる好奇の目が反射しているのだった。

そうだ、あの100マルクに決着をつけなければ、と考えて、神父宛てに手紙を書いた。「ありがたく気持ちだけは頂戴しました。しかし、お金はお返しします。私たちはお金を受け取ることをゆるされていませんので・・・。」その紙でお金を包むと、寝ている光男君を起こさぬように、そっと忍び足でその場を離れた。暗い道をたどるうち教会に着いた。ポストに投げ入れて最短コースで学校に戻った。

光男君は目を覚ましていた。そして腹の底から絶望していた。てっきり私に捨てられたと思ったらしい。言葉のわからない外国で、パスポートも帰りの切符も、それに「お金までも」私に持ち去られ、もう私とは永久に巡り合えないと悲観したのだろう。(「情けない!俺がそんなことするはずがないだろうが。1週間お互いに命を預け合った相棒ではないか。」という言葉は呑み込んだ。)私の顔を見て安心したか、彼の絶望はわけのわからぬ怒りに変わった。

だが待てよ!彼がパニクッて、焦って私を探しに当てもなくこの場から彷徨い出ていたら、一瞬のすれ違いで一生の「生き別れ」、国際孤児の誕生、も現実にあり得たかもしれなかったのだ。本当は紙一重の実に危険な場面だった。闇と孤独の中、不安と恐怖に打ちのめされて動くことすらできずにいてくれたことが幸いした。神に感謝! 

(つづく)

 

 

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