:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 百の広場 その-3 《三位の天使》

2014-05-28 04:05:24 | ★ 現代カトリックの宣教「100の広場」

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百の広場 (その-3) 《三位の天使》

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前回の「広場での宣教」の次の日曜日は、教皇による司祭の叙階式と重なったために私は参加できなかった。

そして、その次の日曜日も晴天にめぐまれた。

初回よりは遥かに整備された様子で、参加者も多かった。

 

私の同僚のレバノン人のエリア神父が司祭の白衣を着て司式していた。

  

話に聞き入る聴衆の数は確実に増えていた。初回、2回目からのリピーターもそこそこいるということか。

 

もちろん、身内のメンバーの参加者も充実している感じだった。

 

この写真に子供が何人写っているかわかりますか?3人。正解!

キティーちゃんの白シャツの後ろ乳母車に一人。そして、お母さんのお腹の中に3人目が。

 

小学生も

 

 新求道共同体の集まるところ、子供の数には事欠かない。

望んでも生まれないゼロ人のケースも平均5人の中に数えると、8人、10人、13人も別に驚くに値しない。


さらに、子宝に恵まれない夫婦は、往々にして2人、3人と養子を迎えるケースが多い。

それがまた平均を押し上げる要因になっている。養子は白人とは限らない。白人の子供は例が少ないので、

いきおい黒人、中南米の原住民系、アジア人の子供が多くなる。

この子沢山は神様の祝福の印。そういう宗教こそが明日の世界を制することになるだろう。

 

朝の祈りで始まり、詩編や歌が終ると、例によって兄弟姉妹の有志が自分の信仰体験、回心の軌跡を証言する。

 

  

その信仰告白は携帯スピーカーから流れ、通行人を包む。しかし、今回は一回目と大幅に様子が違った。

結構なボリュームで広場に広がり、誰もの耳に届くかと思いきや、今回に限り、全く効き目がないのだ。

 

 

それもそのはず、広い道を隔てて向こうのサンジョヴァンニ・ラテラノ教会のすぐ前の芝生の広場には、白いテント

軒を連ね、「フェスタ・デイ・ポポリ」、直訳すれば「民衆のお祭り」だが、

その実は、ローマに住む外国人労働者の祭典が開かれているのだ。

バジリカは観光スポットの一つでもあり、教会前の広場は人寄せの絶好の場所なのに、我々が

宣教のために求めても下りなかった市当局の使用許可が、外国人労働者申請に対してはあっさりと下りている。

非合法就労者、不法入国者の外国人もこの日ばかりは公然とお祭りに参加している。

その彼らの権利を主張する政治的アジ演説や、アトラクション、物品販売のアナウンスなどが、

大容量の本格的アンプとスピーカーを使って、こちらの声をかき消す勢いで迫ってくる。

  

5人が奏でるギターの音も、みんなで歌う歌声も、お祭り騒ぎの前には全く精彩を欠く。

しかも、悪いときには悪いことが重なるものだ、弱々しい我々のスピーカーのバッテリーが上がってきた。

声が割れ、途切れ途切れになり、やがて沈黙してしまった。

 

マイクなしでも話の内容が聞こえるようにと、輪を小さくした。それでも内容を聞き取るのがやっとのことだった。

 

しかし、そんなことで怯む我々ではない。カテキスタ(教理指導者)のリーダーは、声を枯らしながらも、

人類の罪と救いの歴史のメカニズムについて、諄々(じゅんじゅん)と話し始めた。

このドクロTシャツの青年たち、一回目には顔がなかった。新顔か、二度目か・・・

 

 

人祖アダムとエヴァの前に一位の天使が現れた。彼は天使の中で一番輝く光の天使だったが、神の如くになりたい

という、神の被造物の身分を弁えない野望を抱き、神に反逆し、堕落して悪魔、それも悪魔の頭目(ルシファー)になった。

彼は、神に愛される人類の幸福を妬み、人間を神に背かせようと誘惑した。

蛇に姿をやつした悪魔は、「楽園に生えている木の実はどれも食べてはいけないと神様は言ったのか?」と訊ねた。

「いいえ、どの木の実を食べてもいいが、園の真ん中に生えている善悪の知識の木の実だけは食べてはいけない

と神様は言われました。」(その時人祖は初めてこの禁止事項のあったことにあらためて気付かされた)。

蛇が枝からぶら下がって人祖に語りかけた木は、たまたまその善悪の知識の木だった。

「神様は嘘つきだ。本当は、お前たちがその実を食べると、神のようになるのを知っていたから、それを禁じたのだ。

死んだりはしない。食べたら神になれるのだぞ!」 (これこそが真っ赤な嘘だ!)

神のようになりたい、というのはそもそも悪い天使自身の野望だった。そのことで彼は堕ちて悪魔になった。

不幸にも同じ欲望が人間の心にも芽生えた。木の実はいかにも美味しそうに思われた。

神の警告を忘れ、エヴァは思わすその実を手に取り食べてしまった。そして、伴侶のアダムにも食べさせた。

神に背いた不従順な人間は、自らの選択で神の命から自分を切り離した。

命から切り離された結果は、命の無い状態、すなわち死だった。こうして人は死すべき運命を招きよせた。

死は恐ろしいことであり、死を恐れる者はもはや人を無条件に愛することは出来なくなった。

愛の無い世界は地獄だ。

 

第二の天使、善い天使ガブリエルは、第2のエヴァ、マリアに言った。

「おめでとう、マリア。神の霊があなたに降り、あなたは身ごもって幼子を産む。その名はイエスと呼ばれる。

彼は、人類を罪から解放し、死ぬべき運命を取り除き、永遠の復活の命を与えるだろう。」

マリアから生まれたイエスは、第2のアダムとなり、第1のアダムの不従順の罪を、十字架の木の上で、

苦しみに満ちた死に至るまでの天の御父への従順で死を打ち滅ぼし、

復活して人類に永遠の命を取り戻した。

各人は自然な生物学的生命には死ぬが、キリストと共に復活して永遠の命をいただく。

死を恐れず、人のために命を与えるまで人を愛することが可能になった。

 

第3の天使は私だ!とカテキスタは叫ぶ。第3のアダムはあなたです(と目の前の男性に言う)。

第3のエヴァはあなたです(と、そのわきの女性に向って言う)。

あなたが今日ここで、この時この三位の天使の話を聴いたのは只の偶然ではない。

神様が、永遠の昔からこの瞬間の出会いを予見しておられた。世の中に偶然は無い。

神様が私を天使として(汚い醜い天使でごめんなさい)あなたにさし向けられたのです。

私の話を聴いて、受け入れて、信じるなら、あなたは今日永遠の命を手に入れることが出来ます。

回心して、死の恐れから、お金の神様の奴隷になる偶像崇拝から解放されて、

自由になり、愛に目覚めましょう。

 

ここまで一気に大声で叫ぶと、さすがのカテキスタも力尽きた。だが、騒音の中、マイクとスピーカーなしにやり通した。

「この3位の天使の話に心を触れられた人は、どうか来週の火曜日の夜、近くのナティビタの教会に集まってください。

私たちが待っています。共に信仰の道を歩みませんか。」

と5回目の日曜の宣教の後カテキスタは言うだろう。

 

そして、約束の火曜日の晩、ひとり、またひとり、そしてまた一人、3人の人がためらいがちにやってくるだろう。

5回の日曜日の街頭宣教に足を止めて耳を傾けた人は延べ600人だったろうか、1000人だったろうか。

私がまだウオールストリートや丸の内で銀行業界にいた頃、千三つ」という言葉があった。

1000件の商談の内3件が実れば大成功という意味だ。

ローマの100の広場で街頭宣教をやって、

合計400人から500人の人が信仰に立ちかえったとしたら、

天の天使たちの間でどれほど大きな喜びがあることだろう。

教皇フランシスコは、今年から全世界のカトリック信者に、このような宣教をする事を正式に求めた。

日本の教会に教皇の願いは届いているのだろうか?

 

期待に満ちた今日の宣教活動も、お祭りの騒音とマイクの故障の最悪の条件のなかでも何とか無事に終わった。

最後は、祈りと、歌と、そしていつもの踊りで締めくくられた。

 

無心に踊る大人も子供も

DSCF5496-2.jpg 

(百広場 おわり)  

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★ 憐れみの人=教皇フランシスコ、 日本のために二人の司祭を叙階、 教皇としての初の叙階式で

2014-05-17 19:05:51 | ★ ローマの日記

バチカン門外不出の不朽の名作ミケランジェロのピエタ像は大聖堂に入ってすぐ右手にある。

普段は人でごった返していて落ち着いて写真も儘ならないが、今日は叙階式。

司祭更衣所のすぐ隣で人の気配がないとあって久々にしみじみと眺めた。


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憐れみの人=教皇フランシスコ

教皇としての初の叙階式で

日本のために二人の司祭を叙階

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教皇フランシスコによる初の叙階式の始まりを待つ聖ペトロ大聖堂の中の様子。 

上のピエタ像はいま写真を撮っている私の真右にある。


いつもとちょっと手法を変えよう。

派手な写真で押していくのではなく、教皇の人柄に光を当てたい。

 

 教皇フランシスコは去る5月11日、教皇に登位して初めての司祭叙階式を聖ペトロ大聖堂で厳かに執り行った。

 あらたに叙階される13人の若者の内、7人までが我がレデンプトーリスマーテル神学院の出身で、残りの内4人がコレジオロマーノとその他のローマ教区の神学生、2人が外国の他教区から委託された被叙階者だった。


直前の動作確認のリハーサル風景。黒いスーツ姿は叙階を受ける神学生たち


 我々の神学院がローマの司祭叙階式の中心になる傾向は既に定着の感がある。しかも、その7人の内2人が、叙階の時から、将来の日本のための宣教師であることが決まっている。


中央奥のうしろ手姿がダビデ・チャンフェローニ神学生 スイス衛兵の左側の横向きが日本のための神学校の副院長アンヘル神父


 2人は元高松教区立レデンプトーリスマーテル神学院」の出身で、今はローマにある「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」に属している。

 ダビデ・チャンフェローニはフィレンツェの出身。ダミアノ・パクは韓国人だが、二人とも高松の神学校が閉鎖される前の数年間を日本で過ごし、日本語は極めて堪能だ。彼らも環境が整い次第、司祭不足の深刻化している日本の教会の活性化のためにローマが用意している司祭団に加わることになっている。


左からダビデ、ビン・ラーディンの渾名の或るフロリアン神父(ローマの神学院の副院長)、ダミアノ、わたし


式の始まりを待つ参列者たち

 

実は、この臨時の更衣所は、列聖されたばかりの教皇ヨハネパウロ2世のお墓のある祭壇の前を衝立で囲ったもの


福者の称号から聖人(SANCTUS) の称号にあらためられたま新しい大理石の銘盤

普段は祈りに訪れる人の波で混み合っている場所だが 今日はわたしもその前に跪いて落ち着いて祈ることが出来た


ふと目をやると、あのヴァリーニ枢機卿も人知れず内陣の隅に座ってじっと祈っていた

私は、人の視線を意識していないときの彼のこういう自然な姿に感動を覚える


私も養成者の側に連なるものとして、共同司式者の群れにまじり、叙階式の教皇フランシスコの説教を聞いたが、

教皇の今回の説教のトーンには強く心を打たれるものがあった。

教皇の説教が普段どのように準備されるのかよくは知らないが、シャドーライターがいて、

たたき台は教皇以外の人が書いているのではないかと思われるふしもある。

聖人になった教皇ヨハネパウロ2世の場合、聴衆が信頼のおける身内だと見るや、

原稿を離れて、即興で自由に話すことがよくあったように記憶するが、

今の教皇フランシスコにも、どうやらその傾向があるようだ。

この日、司祭というものの心得につて語る説教の半ばを過ぎのところで、

突然原稿を離れ、自由に話し始めた。私はその部分に、聴きながら強烈な印象を受けた。曰く:


「・・・。赦しの秘跡(告白、懺悔)においては、あなた達はキリストと教会の名において罪を赦すことになるでしょう。

ここで私は立ち止まり―と言いながら、原稿から目を離し、自由に語り始めるあなた達に

イエス・キリストの愛のために、憐れみ深くあることにおいて決して疲れることの無いように求めたいと思います!

お願いします!

罪に定めるためではなく、罪を赦すために来られた主が持っておられたあの赦しの特技を身に着けてください!

たくさんの憐れみを持ってください!

そして、もしあまりにも見境なく「赦しすぎる人」になってしまったのではないか

という後ろめたさを感じることがあったら、

あなた達に話して聞かせたあの聖なる司祭が、聖櫃の前に行って

「主よ、もし私が赦しすぎているとしたら、どうかそんな私を赦して下さい。

けど、私に悪い模範を示されたのはあなたご自身でしたよね!」 と言ったことを思い出しなさい。

そして、あなたたちに心から言いたい。

告白場で打ちのめされ叱られたため、二度と告白をしに行かなくなってしまった人々を見出すたびに、

私はひどい苦痛を覚えるということを。

彼らは、目の前で教会の門が閉じられたように感じたのです!

お願いだから、そんなことは決してしないでください

憐れみ! 憐れみです!

善き牧者は門を通って入るが、憐れみの門とは主の御傷のことです。

もしあなた達が主の御傷を通って職務に入らないなら、

あなた達は善い牧者にはなれないでしょう。・・・」

教皇フランシスコは、ここで再び原稿に目を落としお説教を続けた。 ・・・・


このようなハートのある説教をする教皇の手で日本のための司祭に叙階されたダミアノとダビデ神父は、

なんという幸せ者だろうと思った。


2時間ほどの時間が流れた。 実に荘厳な叙階式がつつがなく終わった。

そして、元の控えの場所に戻った教皇フランシスコと新司祭たち。 右から二人目の俯いているのがダビデ新司祭

赤いズケットはヴァリーニ枢機卿


 彼らは、自分の意志で宣教の行き先として日本を選んだのではない。当時世界に30~40校あったレデンプトーリスマーテル神学院姉妹校の中から、たまたまくじ引きで当って日本の高松に送られ、日本のための宣教者となったのだ。

 現在、世界に100校以上に増えた姉妹校の神学生が、全てこのくじ引きで生涯の働き場を決められている。神様の御手に自分の命を委ね切る信頼と委託がなければとても受け入れられないシステムだ。だから、若いのにその召命の最初から離脱心と覚悟の備わった筋金入りの宣教師魂を持っている。

 そこへいくと、私のように、50歳でローマの神学校に入ったものの、将来高松教区で働くものと暗黙裡に行く先が決まっていたのは例外であり、その分、宣教者としての肚が十分に据わっていないのを自分でも感じる。

 韓国からはダミアノ神学生(私は彼を「パクちゃん」と呼ぶ)の家族と彼を生み出し日本の宣教師として送り出した韓国の共同体の仲間が40人余り叙階式に参列した。日本からは、ダビデ神学生の里親となった人たちを中心に日本の共同体のメンバーらが20人余りやって来た。叙階式の後は郊外のレストランに場所を移してやや遅い昼食パーティーが開かれた。


乾杯の音頭を取るパクちゃん その向こうには色とりどりのチョゴリ姿の彼の家族が


 このところ、何事につけても韓国パワーが日本を上回り圧倒する傾向がある。人数は倍、平均年齢も若い参加者が多く圧倒的に低い。その上、叙階式とそれに続く初ミサやパーティーなどの晴れの席では、イタリア人の目には区別のつかない同じ顔のアジア人だが、日本のグループが旅に備えた控え目な洋装なのに対して、韓国陣は男性も女性も色鮮やかな民族衣装で完全に圧倒する勢いだ。


 二つのテーブルに分かれて席に着いた日本の里親と共同体のメンバーたち


彼らを支えてきたローマの共同体の兄弟姉妹たち この日の祝い客は300人と聞いた

如何に彼らが多くの人たちの愛に支えられてきたことか


 ご覧のとおり、叙階式の最中の模様を撮った写真は一枚もない。


 私が恐れたのは、大聖堂のずっと遠くから獲物を求めて睨んでいる大型テレビカメラの存在だ。彼らは、祭服をまとった私が黒い大型デジカメをそっと腰だめに構えてシャッターを切ってさえ、目ざとく見つけてドアップで茶の間に流してしまうから油断も隙もあったものではない。「ジョン!お前が式の最中にはしたなくも祭服姿でカメラをいじっているところがテレビに映ってたぞ!」と必ずやられるのだ。

 現に、叙階式の中で、共同司式司祭たちが新司祭の頭の上に次々と按手していく場面では、私はたっぷりアップで映っていたそうで、その夜の感謝の祭儀の時にみんなから指摘と冷やかしがあった。

 そんなわけで、背広の上着と一緒に更衣の控室に残したカメラのメモリーカードにたまたまあった式の本番の前と後の時間に撮った写真の中から、何枚かをお届けするに止めるしかなかった。

どうか、皆様の豊かな想像力であの荘厳な式に参加していただければ幸いだ。 

 (初ミサ巡りにつづく)

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★ 《百の広場に飛び出そう》 (そのー2)

2014-05-12 18:56:59 | ★ 現代カトリックの宣教「100の広場」

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《百の広場に飛び出そう》 (そのー2)

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前のブログ「100広場の宣教の派遣式」が5月3日の出来事だった。

その翌日、5月4日の日曜日、ローマ市内の100の広場を選んで、さっそく街頭宣教が行われた。

 

私たちの小教区の共同体は、みんな一緒になって、

ローマの4大バジリカの筆頭、サン・ジョヴァンニ・ラテラノ教会の前の

道路を挟んで反対側にある、アシジの聖フランシスコ像の脇の広場に陣取った。

バジリカの正面には一週間前に聖人に挙げられた二人の教皇の肖像がまだ掲げられたままだった。

 

記念碑の石積みの脇に、手ごろな空間が広がっている。

聞いたところによれば、今日の正午の聖ペトロ広場でのアンジェルスの祈りの後の挨拶の中で、

教皇はあらためて、「100の広場に行って宣教しよう」 と呼びかけられたそうだ。

 

広場と後ろの公園の境の柵に付けられた横断幕。そこには、

「パパ・フランチェスコと一緒に広場に行って、イエス・キリストを告げ知らせよう。彼は私たちを救ってくださる。」

と書かれている。

 

大きく輪を描いて兄弟たちが展開する。街頭宣教は先ず教会の祈りの「朝課の祈り」から始まる。

共同体の歌と、詩編の読誦があって、その歌声は

用意された何セットかのポータブルスピーカーから、バジリカ前の広場に居る全ての人の耳に届くボリュームで響いてゆく。

 

  

広場に居る人たち、道行く人たちは、何事が始まったかと、好奇心で耳ダンボ状態だが、・・・・

まだ近寄ってきて人垣を作るまでには行かない。

 

ローマの広場で、髪の白くなったアジア人神父の私が、福音書をマイクを通して朗読すると、

それを受けてベテランのカテキスタが、キリストの復活の出来事と、その意味などについて、言葉豊かに語りかける。

ときどき、キコの歌が間に挟まれる。

 

私の共同体の50才がらみの マッシモ は軽い発達障害があって、コミュニケーションにやや問題があるが、 

ボンギを叩くリズム感だけは達人の域に届いている。このタイプの障害者の特質か、その持続力には定評がある。

ギターがなり始めると、いつまででも叩き続けることが出来るのだ。

 

  

お天気がいいから、子沢山の若い夫婦たちは子供たちを連れてきている。

子供たちは、それぞれ小型のタンブーリなどの簡単な楽器を持たされている。

こうして宣教の習慣は子供の時から身について行くのだろう。

 

   

左の電動車に乗って参加した ダリオ は10年余り前に労災事故で両足を膝下から失って義足生活だ。

彼は兄弟たちの一番バッターで、自分の信仰体験、回心の歴史を語り始めた。

離婚に終わった不仲な両親の間に生まれ、キリスト教の信仰とはおよそ縁遠い環境を生きてきた。

ふとしたきっかけで新求道共同体の集まりを知り、暖かい人の輪に惹かれて教会に近づいた。

結婚をして3人の女の子に恵まれ、幸せをつかんだかに思われた時、事故に遭って、両足を失った。

生活は一変した。神の愛を疑い、死を思った。しかし、共同体の兄弟姉妹に励まされ、支えられて、何とか立ち直った。

あらためて神の存在を感じた。そしていま、共同体の中で信仰を深め、回心の道を歩んでいる。

「神は私に試練を送ったが、 彼は私を愛し、信仰の恵みを下さった。神はいる!

キリストは復活した。私の罪を赦してくださった。私は永遠の命の喜びを見出した!云々。

 

   

ダリオの、そして、それに続く仲間たちの信仰体験、信仰告白に、

道行く人が立ち止まって聞き入る。兄弟たちが声をかける。リーダーが、マイクをもって近づき、対話を始める。

スピーカーから流れて聞こえてくるこの対話の中身に、広場の人たちが耳を傾けているのが分かる。

 

  

だんだん話の輪が膨らんでいく。

 

   

興味を抱いた人が寄ってくる。

 

歌と祈りで集まりは締めくくられる。

「次の日曜日も私たちはここに来ます。興味のある人は同じ時間にまたいらしてください。

共に祈り語り合いましょう。」という呼びかけで、今日の宣教活動は終わった。

あのカトリック教会がここまでやるか!

 

           

広場の一部始終を一週間前に聖人に挙げられたばかりの二人の偉大な教皇の絵がずっと見下ろしていた。

聖ヨハネ・パウロ2世と                  聖ヨハネス23世だ 

 

天国の聖なる教皇が見守る中、共同体の兄弟たちは、なすべきことをなした後の充実感にあふれて

子供も一緒に輪になって踊る

 

私をいつも車で送り迎えしてくれるロベルトとステファニアの夫婦。彼らもこの道30年選手だ。

さて、来週の日曜日も同じ広場に同じ人たちが集まってくれるだろうか。

神学校の神学生、神父たちは、それぞれに自分の関係する教会と一緒にあちこちの広場に行っている。

帰ってくると、それぞれ体験談、武勇伝を食事の席で交換する。

一人が言った。

「自分たちはローマで一番美しい広場と言われるナボーナ広場に行った。200人ほどで行った」

(驚いた、これは例外的に大人数だ!)

広場には、いつものように大道芸人たちが芸を競っていた。

流しの音楽家、ブレークダンスの若者、似顔絵屋、パントマイム、手品師、物売り、カフェー、エトセトラ。

数に物を言わせて、マイクとスピーカーで盛んにキリストの福音の伝道をしていると、町の芸術家がやってきて、

「どうか私たちの営業妨害をしないでくれ、私たちには生活がかかっているのだ。」

と申し入れて来たとか。いやー、これは実に難しい問題ですね。


(つづく)

 

 

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★ 《百の広場に飛び出そう》 教皇フランシスコの呼びかけに応えて!

2014-05-10 17:39:06 | ★ 現代カトリックの宣教「100の広場」

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100の広場に飛び出そう!

= 教皇フランシスコの呼びかけに応えて=

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5月3日、ローマの4大バジリカの一つ、「城外の聖パウロ教会」で、

ローマ司教フランシスコ教皇代理のヴァリーニ枢機卿 (このブログではお馴染み) の司式で、

ローマの 《「100広場」 街頭宣教》 の派遣式が行われた。

これは、正式には昨年教皇フランシスコが全世界のカトリック教会に呼びかけて、

復活祭の後の50日間の復活節の期間中、

街の広場に出てキリストが復活した事実の喜ばしい知らせを街行く人々に告げ知らせるよう励ましたことによる。

だから、これは教皇の命による全教会の公式行事だ。

聖書によると、十字架上の死後、3日目に復活したキリストに出会った弟子たちは、

広場に出てその喜ばしい事実を人々に伝えた。

現代のキリスト者も、キリストの復活を信じていることの証しに、同じことをしようではないかという発想だ。


ローマ4大バジリカの一つ 「城外のサンパウロ」 のバジリカ(大聖堂)

これは4列の円柱で支えられた古いスタイルの教会だ。実はバチカンの聖ペトロ大聖堂も、昔はこの形だった。

 

 聖堂の正面はほぼ西を向いている。この日は高曇りだったが、夕日が当たるときはこのモザイクは金色に輝く。

 

内部の中央の身廊には、ローマ中の共同体の仲間が集まっていた。

柱列の上、窓の下の明るい直線部分には、丸い縁取りの中に歴代の教皇の肖像がモザイクで描かれている。

よく見ると、両側に2列ずつある側廊の柱列の上にも、祭壇のある内陣の柱の上にも、

教皇の肖像画はずらりと並んでいるが、その数、266人と言われている。

 

祭壇を正面に見て右側の側廊の柱列の上の一番左端には、現教皇フランシスコとベネディクト16世の

現役とまだ存命中の前教皇のモザイク画がすでに見られる。

教皇フランシスコの左側には、未来の教皇のための余裕の丸い枠がまだ3~4個みえる。

それを見て、あと3~4代教皇が現れた後に世の終わりが来るという悪い冗談を言う人もいる。

 

左端にちょっと見えるのが余裕枠。その右が教皇フランシスコ。そして、ベネディクト16世。

その右が教皇ヨハネパウロ2世、教皇ヨハネパウロ1世、パウロ6世、聖ヨハネス23世、と歴史を遡っていく。

 

聖堂正面の右側の1番目には、イエスの12使徒の頭、初代ローマ教皇聖ペトロのモザイク画があった。

悪玉教皇ボニファチウス8世もどこかに居るはずなのだが、余り多くて見つけそこなった。

 

     

人工照明がついていないときは、側廊の部分は昼間でも薄暗いが、それは、

窓がステンドグラスではなく、光を緩やかに透すアラバスタ(雪花石膏)の石の薄板で出来ているからだ。

自然が織りなすアラバスタの模様は実に美しい。

 

その聖堂に集まったのが新求道共同体のメンバーたち。

横断幕には

パパ・フランチェスコと共にイエス・キリストを告げ知らせるために広場に行こう彼は私たちを救うだろう。

と書かれている。

 

教皇の名において派遣式を行うヴァリーニ枢機卿。

復活節に広場に出て宣教を行うことを、全世界に向けて正式に呼びかけたのは確かに教皇フランシスコで、

去年が最初の年だったが、実は同じことは既に教皇ベネディクト16世の時代から、

新求道共同体の手で、世界中で行われてきた。

そして、それは実は教皇ヨハネパウロ2世の時代にまで遡る。

 

派遣式を荘厳に執り行うヴァリーニ枢機卿。右端の顔が半分切れているのは、

キコがオサマ・ビン・ラーディンと渾名するフローリアン神父。

彼はローマのレデンプトーリスマーテル神学院の副院長だ。



「物見の塔」「エホバの証人」のような戸別訪問の伝道活動、駅頭や広場での大衆伝道は、

歴史と伝統のある正当派カトリック教会の品格に合わないヤクザな手法と考える向きがなかっただろうか?

新求道共同体はその活動の一番最初から、それを大事な基本的宣教手段として積極的に活用してきた実績がある。

それに注目し、肯定し、励ました最初の教皇が聖ヨハネパウロ2世だった。

ベネディクト16世もそれを積極的に奨励した。

そして、教皇フランシスコはついに、それを教会の復活節の正式の行事として、全世界の全信者に求めるに至った



私は、10数年前、ローマでまだ学生神父をしていた頃、

カトリックの信者でないグレゴリアーナ大学の日本人学生と仲良くしていた。

今も当時と同じかどうかは知らないが、

彼らはたいてい、天理教や立正佼成会などの地方大教会長の御曹司、後継ぎであることが多かった。

(創価学会の人には逢わなかったが、出自を隠して中に混ざっていないとも限らなかった。)

???、何故それらの宗教の次世代を担うホープたちが、カトリックの最高学府の大学院で勉強しているのか?

信仰としてのキリスト教に学ぶため?そうは思えない。キリスト教の神に近寄り、改宗しそれを信じるためではもちろんない。

それは、自分たちの宗教団体の組織を強化するためのノーハウを獲得するためのようだった。

解りやすい例を挙げよう。

雨上がりの畑の土の上に、赤く艶やかに光るミミズがピチピチ、クネクネと動いているのを見たことはありませんか?

伸びたり縮んだりしながら、結構器用に前進していく姿は面白くもあります。

では、ミミズを同じ組織構造のまま20倍に拡大したらどうなるでしょうか?

直径10センチ、長さ2メートルほどのお化けナマコ状になるでしょう。

大蛇なら長い脊髄を包む強靭な筋肉を使って蛇行して進む事が出来ますが、

それがミミズと同じ素朴な組織内容でできているとしたらどうなるでしょうか。

大部分が水分の体は円形の断面を保つことすら出来ず、搗きたての伸し餅のように扁平に潰れ、

地面との摩擦で身動きが取れず、伸縮を繰り返して自由に地面を移動することなど全く不可能でしょう。

これでは、エサも取れず、干からびて、死んでしまうほかはありません。

何が言いたいか、ですって?

つまり、ミミズは直径4~5ミリ、長さ10センチほどの間は敏捷に動けても、20倍にしたら自重でペッタンコに潰れ、

身動きが取れなくなるように、宗教団体も、信者300万人程に教勢が拡大すると、

素朴で未発達な教義と組織体系のままでは、それ以上の発展が鈍って壁にぶつかるということなのです。

カトリックが10億の信者を抱え2000年の歴史に耐え抜いた秘訣は、

ユダヤ教の伝統の上に、ギリシャ哲学やローマ法典やローマ帝国の版図拡大を支えるだけの組織力を持ち、

壮大な神学体系を形成して、強靭な骨格と筋肉を身に着けたからです。

恐竜や象のような体格と筋肉があり、人間の英知を結集した頭脳をそなえてこそ、カトリックの大教団が出現できたわけです。

日本の新宗教は、それに比べると、神道系も、仏教系も、折衷型も、何れの場合も、

骨格と筋肉と頭脳の面ではまだまだ未熟で、それが信徒数300万位までは伸びられても頭打ちになり、

歴史の中を長期に生き延びられない弱点になるのではないのでしょうか。

グレゴリアーナ大学にそれらの宗教の明日を荷う優秀な人材が勉強に来るのは、

その様な背景があると私は見ました。



その人たち、会ってみると、みんなとってもいい人たちでしたよ。たいてい、小ざっぱりしたマンションか何かに住んでいて、

教団からの豊かな送金に支えられ、若い綺麗な奥さんとかわいい子共さんが一人いたりして・・・

食事に招かれて話し込んで打ち解けたとき、

「カトリックでも街頭伝道や、個別訪問伝道に行く部分が生まれ始めましたよ」、

と新求道共同体の活動の話をすると、

「いやー、それは参ったな!

業界最大手のカトリックさんが、来るもの拒まず、去るもの追わず、品よく、おっとり構えている間隙を縫って、

わたし達は只ひたすらそれだけを頼りに教勢拡大に励んでいるのに、

その十八番(おはこ)をカトリックさんに盗られたら、私たち全く太刀打ちなりませんよ!お手上げですね。」ときた。

教皇フランシスコは、新求道共同体を使って、そこに目をつけたのでしょうか。

教皇の檄が飛んだとあっては、ローマ教区長のヴァリーニ枢機卿も、もうやるっきゃないですよね!(笑)

新求道共同体は、去年からこの復活節の頃重点的に、世界中の広場で街頭宣教をやり始めました。

ひょっとして、日本でもささやかにやっているのではないでしょうか。

次回は、わたしのローマの共同体の広場での宣教の模様を中継致しましょう。

(つづく) 

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★ 《3.11「東日本大震災」被災者のために祈る会(ローマ)》発足

2014-05-06 17:04:28 | ★ ローマの日記

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3.11 「祈る会」 ローマに発足

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去る5月5日、ローマの中心にあるサンタ・リタの教会で、ささやかな会が発足した。

名付けて 《3.11「東日本大震災」被災者のために祈る会(ローマ)》

名誉会長にはサンタ・リタ教会のモンセニョール・ルイジ・モリナリ神父、会長は平山高明名誉司教が就任。

11時から同教会で数名のイタリア人と数名の日本人が祈りに参加した。

聖書朗読 グレゴリアン聖歌 オルガン演奏 そしてお祈り

 

 祈りの文は平山司教様が作って下さった。

 

お 祈 り 

全能永遠の父なる神よ、貴方は悲しむ人には慰めを、

苦しむ人には力を与えて下さいます。

東日本を襲った未曾有の大震災、大津波に

一瞬にして家、財産、家族を奪われ、

原子炉の破壊による放射能に今なお苦しみ、

生きる希望を奪われた人々をかえりみて下さい。

彼らが、困難の中にも希望を失わず、

互いに助け合い、立ちあがることが出来ますように。

困難の中から貴方に呼びかける人々の祈りを聞き入れ、

必要な助けをお与えください。

私たちの主、イエス・キリストによって。

アーメン 


祈ることの他に、この会にはもう一つの機能がある、

それは、福島の原発被災地などで献身的に働いているボランティア―に、

その働きを讃えて「表彰状」を送ることだ。

この10日には南相馬で大きな集まりが持たれるが、早速6人のボランティア―に表彰状が届くはずになっている。

 

         

表彰状 イタリア語 オリジナル                             表彰状 日本語訳  

もちろん、実際に手渡される表彰状には、会長、名誉会長の肉筆の署名が入っている。 

 

この教会では、震災3周年に先立って、3月9日に大勢のイタリア人と、在ローマの日本人を集めて「ローマで 「《花は咲く》をうたい日本を想う」 集いがひらかれた。これはパリで同様の催しをしている団体がローマとスペインに呼びかけたもので、NHKのBSもそれに応えたものだった。

その時の映像がようやく UTube で手に入ったので、ご覧ください。


余計な広告が現れたら右上のXをクリックして消しましう。

 

 

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★ 軽い気晴らしに、借りてきた小話はいかがでしょう? 「ビジネススクールのケーススタディー」

2014-05-05 18:48:09 | ★ 教皇フランシスコ

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軽い気晴らしに、借りてきた小話はいかが?

「ビジネススクールのケーススタディー」

「RCグローバル社」の場合

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 「ターンアラウンドCEO」たち、つまり「死に体」になった巨大組織に、新しい生命の息吹を吹き込んで蘇生させる、カリスマ経営者とでも言いましょうか。IBMのルー・ゲルストナー、フィアットのセルジオ・マルキオンネ、そしてアップルのスティーブ・ジョブズなどがその典型です。彼らの成功の秘訣を分析し、それに学ぶゼミは、一流ビジネススクールに欠かせない必須教科です。

 ここへ来て、ハーバードのビジネススクールは、「RCグローバル社」をたった1年で見違えるように立て直した新しい最高経営責任者ホルヘ・ベルゴリオ(CEO)をゼミの新たなケース・スタディーのテーマに加えなければならなくなりました。

 エッ?IBMやフィアットやアップルなら知っているが、「RCグローバル社」なんて聞いたことがない、ですって?あなたは最も暖簾が古く、世界最大を誇るこの企業のことをご存知なくて、それでよくもまあビジネスマンが勤まりますね!深刻な経営危機に見舞われていたこの業界最古の巨大企業を知らないようでは、完全にモグリですよ。

 などと言って、人をからかうのはこの辺にしておきましょうか。

 

 

 

 「RCグローバル社」とは、世界宗教「ローマン・カトリック教会」のことで、その総本山のローマのCEO(最高経営責任者)ホルヘ・ベルゴリオとは、1年前に生前引退したベネディクト16世の後を受けて選ばれた、教皇フランシスコの本名のことです。

 アメリカ資本のプロテスタントのライバル企業ペンテコステ社は、新興国でのRCグ社のマーケットシェアーをものすごい勢いで食い荒らしています。かつてラテンアメリカで、アルゼンチン支社を経営していたベルゴリオ社長のお膝元でも、それは例外ではありませんでした。スキャンダルは顧客(信者)離れを招き、営業部門(神父たち)の士気は低下し、今の厳しい経済環境の中では珍しい終身雇用制を保証しているにも関わらず、新入社員(司祭希望者)のリクルートは一向にはかどりません。

 会社の財政状況も滅茶苦茶です。漏洩機密文書からは、バチカン銀行が腐敗と無能さのるつぼであることが発覚しました。その経営陣は分裂し弱体化していました。教皇フランシスコの前任者のベネディクト16世は、システィーナ重役会議室の壁を飾る年老いた髭面の創業者兼会長(天地万物の創造主なる神のことだろうか?)の介入で黒い噂のさ中に解任されました。

 

預言者的経営者の誕生

 たった1年で事業は大幅に信頼を回復しました。この新しい最高経営責任者は大変な人気です。非常に辛口の観客であるアメリカのカトリック信者の85%が彼を支持しました。RCグローバル社の小売部門の業績は回復基調です。営業マン(神父)たちは今や「フランシスコ効果」の話でもちきりです。70代半ばのアルゼンチン出のお爺さんが、いったいどうやってこの世界で最も野暮ったい豊満企業を生き返らせることに成功したのでしょうか。

 第一は、古典的な資質の初心に帰ることでした。フランシスコは彼の組織を再び一つの使命に集中させました。それは貧しい人たちを助けるという視点です。彼の最初の決定は、教皇の宮殿を棄てて、他の50人ほどの神父たちや日曜日の訪問者たちと共同で利用する宿舎を自分の住居として選ぶことでした。彼は自分の教皇名として、貧しさと動物たちの友であることで有名な聖人の名前を選びまし。彼は少年刑務所に収容されている12人の若者の足を洗いそれにキスしました。彼はルネッサンス時代から教皇が身に着ける習慣になっていた「毛皮で縁取りした贅沢なビロードの肩マント」を廃止し、ベネディクト16世ご愛用の教皇用の「赤い靴」を普通の黒い短靴に替えました。そして、「フル装備の高級メルセデス・ベンツ」を無視して、使い古したフォードに乗ることにしました。

 この新しい焦点は、会社が教義上の議論や、華美な儀式を演出するなどの、「付帯的な業務」に支出する資金を節約することを可能にしました。「貧しさ優先の戦略」は潜在的成長力が最も大きく、また競争が最も苛烈な新しいマーケットに正確に照準を合わせています。

 この新しい戦略的焦点に沿って、教皇は二つの効果的な経営手法を採用しました。一つはブランドの再編です。彼は明らかに堕胎ゲイの結婚については伝統的な教えを支持しますが、前任者よりは口うるさくないやり方を取ります(たとえば、「人を裁く私は一体何者か?」と同性愛について自問します)。もう一つは構造改革です。彼は教会の機構・組織を見直すために、教会の管理部門を点検し、バチカン銀行を分解修理するために、いわゆる「ザC8」と呼ばれる枢機卿8人衆の改革グループを任命し、世界4大会計事務所の一角を占めるKPMG(「神のコンサルタント」と呼ばれる)を雇い入れました。

 はたしてうまく機能するでしょうか?権威ある批評家で名うての企業乗っ取り屋ルー・シッファーは、それらは全部お線香の煙と虚像に過ぎない、と言いました。他の人たちは、女性のより大きな役割分担を含むさらに大幅な変化が必要だと主張します。会長(神様)の態度は解りません。或るアナリストは、酷い災厄に見舞われていないということは、受け入れられている印ではないかと言います。他の人たちは、奇跡を行う彼の動きは謎めいている、と言いました。


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 この文章はもちろん私のオリジナルではありません。知人がメールで送ってくれた英文の記事を、興味本位でざっと訳したものです。誤訳を指摘されても弁解しません。必ずしも原文に忠実でないことも認めますが、この英文の原稿を送ってくれた友人のメールによれば、そのソースは “The Economist on iPad” となっていました。写真もその記事から取ったものです。

 英語版の「エコノミスト」の手にかかると、教皇フランシスコとカトリック教会はこういうことになるのでしょう。なるほど・・・、と感心させられました。私は、その書き方が気に入っているわけではありません。ここまで漫画化するのは如何なものか、とむしろ批判的です。

 しかし、教会の外で成功しているキリスト教信仰を生きていない大人たちにかかれば、こんな見方をする事も出来るのだ、ということ知る上では参考になると思って、敢えてブログで取り上げました。

 軽い気晴らしぐらいのつもりで読み飛ばしてください。これを契機に生真面目な議論をされると、私はドギマギ戸惑うことになりますので、それだけはどうかご勘弁のほどを。

(おしまい)

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