:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・⑤

2012-04-30 01:06:07 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

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2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・⑤

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 同じ題で回を重ねすぎました。そろそろ飽きられる頃だと分かっています。だから、この辺で一区切りつけましょう。

 86の姉妹校の関係者が集まって、一体何が話し合われたのでしょうか。


今後の活動の構想を語るキコ氏


 ひとつは疑いもなくユダヤ教との対話促進です。キコのシンフォニ―「無垢な者たちの苦しみ」はユダヤ民族、イスラエルの民の、神秘的な苦難に満ちた歴史に光をあてたものです。目前に迫ったアメリカ公演、特にニューヨークのリンカーンセンターのエイブリ―フィッシャーホールでのシンフォニー演奏に賭けるキコの思いは深いものがあります。なぜなら、その成果如何は、彼の夢である「ドームス・エルサレム」の建設がかかっているからです。(私も5月4日にローマを発つ。夜中にこんなブログを書いている暇があったら、旅の荷作りでもした方がいいのではないか?)


この会議の重要な出席者の一人 ウイーンの神学校の設置者シェーンボルン枢機卿


 二つ目は、これからのアジアの宣教戦略についての話し合いです。アジアと言えば、日本もですが、日本の状況は今のところあまり思わしくありません。今はむしろ14億の人口を擁する中国と12億のインドです。中国は遠からず大きな社会的変化を迎えるかもしれません。このままの体制がいつまでも維持できるはずもないでしょう。その時には、宣教師の数は1万人いても2万人いても十分とは言えないのです。いまから備えが必要です。日本にだって、日本の教会に受け入れ態勢さえあれば、お金の神様の奴隷になって魂の闇に沈んでいる1億3000万の日本人に福音を伝えるという緊急課題のために、1000人も2000人もの宣教師がいても多すぎることはないのです。そんなことを言えば、夢みたいな、と一笑に付されるでしょうか。会議はミサや祈りを織り交ぜて進みます。


  

ギターをつま弾きながらミサの中で歌うキコ氏             説教をするシェーンボルン枢機卿    


 話は大きく脱線しますが、私は、今日バチカンの聖ペトロ大聖堂で、ローマ教皇による新司祭の叙階式に与ってきました。どこへでもカメラを持ち込んではばからない私としたことが、今日はどういう風の吹き回しか、祭服を着て司式に加わるのに、衆人環視の中で黒いごついカメラを肩に入堂の列に加わるのは不謹慎ではないか、と普段は全く機能しない良識が働いて、持ち込みを控えました。お蔭で、教皇ベネディクト16世を目の前にとらえるかぶりつきの特等席に居ながら、絶好の被写体の映像を一枚もお見せできないのはまことに残念至極です。年を取ったものだ。とうとう焼きが回ったな、と自嘲しました。

 私が司祭になった年、18年前にはローマの伝統的神学校のコレジオ・ロマーノから15~6人、我々のレデンプトーリスマーテル神学院からもやはり15人ぐらい、それにバチカンの外交官を養成するコレジオ・カプラニカから数名、それといろいろな修道会からも合計数名、合わせて50人前後が一度に叙階され、それはそれは盛大なものでした。それが、わずか20年足らずのうちに、教皇のお膝元で、我々のレデンプトーリスマーテル神学院から4人、誇り高きコレジオ・ロマーノからはそれより少ない3人、カプラニカ2人の合計たった9人の実に淋しい叙階式でした。

 世俗化に押しまくられて、若い世代の教会離れ、信仰離れはローマでもとうとう行き着くところまで行った感があります。このままではカトリック教会はもう終わりだ、何とかしなければ、と言う危機感に思わず武者震いが起きます。(話を戻します)


今後の世界宣教のあり方について 自分の意見を述べるドイツ人のコルデス枢機卿 (元バチカン信徒評議会議長)

わたしが ドイツ語の ボク キミ の親称に相当する "du" で互いに呼び合えるほど親しい仲の枢機卿はこの人しかいない

昔話になるが 四国のレデンプトーリスマーテル神学院が開設された当時 香川県の三本松の田舎で

神学校の裏の「とらまる山」一帯を開発して ローマ村(バチカン村)のテーマパークを開いて 

聖ペトロ大聖堂の3分の2のスケールのそっくりさんを建てて それを美術館の箱ものにして

その中にバチカン死蔵の美術品を長期貸与で持ち出して アジアに第二バチカン博物館を開いて

世界中から集客しようという地元の名士たちの夢を 本気で一緒に検討した仲だ

JALやANAや JTBなどの大手旅行会社 それに四国の地銀や関西の大手銀行まで食指を伸ばしてきた

だが あのプロジェクトはやらなくて正解だった 

一歩間違えたら バブルがはじけたあとに大赤字を抱えて潰れるところだったから クワバラ クワバラ


   

食事のテーブルで 左から キコ氏 ガリレアの東方教会の司教 コルデス枢機卿   (一人置いて) 右端はウイーンのシェーンボルン枢機卿

(シェーンボルン枢機卿のような人が次の教皇に選ばれればいいのに と思うのは私だけだろうか 何しろパパベネディクトはもうお歳だから・・・)

 

ミサの中で祭壇を香で清めるコルデス枢機卿


 世界中の86の姉妹校の設置者である86人の司教達のうちスケジュールが許して出席できた50数名と、86人の院長とその他の関係者を集めて討議された内容は、企業秘密(これは私が銀行マンだったころの用語ですが)なのでここに書くわけにはいきませんが、その代り、来賓で出席した駐イスラエル教皇大使に託されて代読されたカトリック教育省(-司祭養成に対する配慮、およびカトリック教育の推進・組織化を行うお役所)の長官ゼノン・グロコルゥスキー枢機卿の書簡の訳をご披露することにいたしましょう。


教育省長官の書簡を代読する駐イスラエルバチカン大使 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

カトリック教育省

公文書番号 228/2012

 

アントニオ・フランコ

駐イスラエル、並びにキプロス教皇大使

駐エルサレム、並びにパレスチナ教皇代理 宛

 

ローマにて、2012年4月2日

大使殿

 去る3月12日、私は貴方にキコ・アルグエロ氏が私を本年4月15日から15日までドームス・ガリレエで開催されるレデンプトーリスマーテル神学院の会合に招待されたことについてお知らせし、私が主催する別の会合のために、それらの日々に聖地に行くことが出来ないことを説明いたしました。そう言うわけで、私は貴方に、私とカトリック教育省に代って、レデンプトーリスマーテル神学院の会合に出席していただきたいと思いました。

 教会にとって最も重要な課題の一つに、明日の司祭たちの養成があります。最も本来的な性格からして宣教的である教会の未来は、その大きな部分が司祭たちの資質と、彼らの宣教への心構えにかかっています。

 だからこそ、カトリック教育省は 新求道期間の道 に対して、聖地でレデンプトーリスマーテル神学院の会合を組織したことについて祝辞を送るものであります。世界中の非常に多くの司教達によって極めて好意的に評価されているこれらの神学院は、福音宣教のため、特に新しい福音宣教のために重要な任務を遂行することが出来ます。事実、熱烈な宣教的・使徒的情熱を特徴とするレデンプトーリスマーテル神学院は、キリストのために魂たちを救いたいという望みに満たされて、特別によく準備されています。

 「あなた方は、その実で彼らを見分ける」(マタイ7:16)と神なる主は言われました。この福音的基準は、神学校についても当てはまります。事実、レデンプトーリスマーテル神学院は、様々な地方教会と普遍教会のために今までに生み出した数多くの善良な司祭たちのために喜ぶことが出来ます。

 同時に、聖地におけるこの会合は、すでに良いものであるレデンプトーリスマーテル神学院が、どうすればさらにより良いものになりうるかを検討しようとするでしょう。「天上の世界では異なるかもしれないが、この地上では、生きるとは変わることであり、完全になるということは度々変わることを意味する」(ジョン・ヘンリー・ニューマン、キリスト教の教義の発展、第1章、第1節)。ですから、この 集い に参加することは、典礼や他の形の祈りに与ることを通して、対話することのうちに、また経験を分かち合いキリストの弟子のあり方を共に生きることを通して、どうすればレデンプトーリスマーテル神学院はその学生たちを、急速に変化していく喜びと希望、嘆きと不安、の世界の挑戦(現代世界憲章1参照)によりよく備えさせることが出来るかについて、共通理解に達するに違いありません。

 私は 新求道期間の道 の指導者たち、及びこの重要な会合に参加するためにドームス・ガリレアに参集された枢機卿、司教、並びに神学校の養成担当者たち全てに対して、繰り返し感謝したいと思います。神様があなた達の共にされた時間、あなた達の交わされた討議を祝福し、この 集い が聖霊の働きによる豊かな稔りを結びますように。

 この機会に、あなたに最高の個人的敬意を表したいと思います。

 

カトリック教育省 

長官 ゼノン・グロコルゥスキー枢機卿

(終わり)

 

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★ 黒くなったり、白くなったり (ガリレアの風・・・④ )

2012-04-27 07:39:08 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

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黒くなったり、白くなったり

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2012年「ガ リ レ ア の 風 か お る 丘 で」 今年も何かが ・・・ ④


「ガリラヤの風かおる丘で」 ・・・③ で = ガリラヤの丘の黒い羊たち = と言うのを書いたら、すかさず 「黒くなったり、白くなったりするのですね」 という、突っ込みメールが届きました。それにつられて悪乗りするわけではありませんが、予定外に 

=ガリラヤの丘の白い羊たち= 

についてちょっと書いてから先に進むことに予定を変更しました。


 話を複雑にしないために、一旦は敢えてカットしたのですが、実はドームス・ガリレアには「白い羊の群れ」ともいうべきもう一群の若者たちが実在するのです。

 「黒い羊」たちが、まさに「地獄」のような、地下の窓もない核シェルター、ナチスの強制収容所のようなすし詰め環境に押し込められているかと思えば、このいわゆる「白い羊」たちは、文字通り「天国」のような、陽光がさんさんと降り注ぎ、爽やかなガリレアの風が吹き渡る小ざっぱりした二人部屋に優雅に暮らしているのです。

 

中央の円筒形のミニチャペルをコの字型こ囲むの棟割長屋のような個室に

「白い羊」たちの神学生が二人ずつ住んでいる

彼らは同じ年恰好てありながら レストランのウエイターも ベッドメーキングも トイレの掃除もすることなく

優雅にお祈りと勉強三昧である 白と黒は まさに天国と地獄ほどの隔たりがあり

日常生活では彼らは互いにほとんど交わることがない


 世界に86ヶ所展開しているレデンプトーリスマーテル神学院の姉妹校の一つがイスラエルにもあって、それがまさにこのドームスの一隅におかれているのです。そこの神学生たちは、地獄の住民とほぼ同じ世代の若者で、将来の宣教師を目指して日々研鑚に励んでいます。


  

円筒形のチャペルの中では 多分24時間だと思うが 神学生が二人ずつ交代で 聖体顕示台の中のパンに現存するキリストを昼夜礼拝している

その彼らの頭の上にはブロンズの彫刻群像が


この群像もキコ氏とその弟子の彫刻家たちの合作だ

12人の弟子たちに山上の垂訓を説いているイエスの姿

それはイエスが最初の宣教者たちを養成している姿だ いわば最初の神学校の姿だと言ってもいい

 

 

空の鳥をよく見なさい とイエスが言うと 鳥ならここに居ますよ とハトが言う お蔭で私ら糞だらけです 先生なんとかしてくださいよ

と白い頭の弟子たちは言う

 

カファルナウムのユダヤ教の会堂の遺跡に行った。すると、緑の木陰で男の子が姉妹たちに聖書の箇所を朗読していた。

 このあたりでイエスはユダヤ人たちに多くの教えを宣べられた。 例えば次のような言葉だ。


  

 

空の鳥をよく見なさい。

種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(マタイ6章26-27節)

   

  

  

頭上を悠々と舞う鳥たち

 

なぜ、衣服のことで思い悩むのか。

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。

まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。(マタイ6章28-30節)

 

   

名のわからない青い花            とげだらけのアザミの花   

白からピンクまでグラデーションのあるマーガレットの一種?

  

     レモンの花に受粉するミツバチ           この花イスラエルにいっぱい 誰か名前知りませんか?

 

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6章31-33節)

「はい、わたしは今何不自由なく生活しています」(影の声)

 

全くその通りです と カエルは言う

 近くに赤い丸い屋根が見えた ギリシャ正教会の建物だ

中に入ると神父さんが退屈そうに土産物の店番をしていた

 突然、外ででけたたましい叫び声が聞こえた なんだ? と、飛び出すと

声の主 放し飼いのりっぱんオスの孔雀ではないか お願い! ちょっとだけポーズして!

するとどうだ 日本語が分かったのだ

ハイ ポーズ! どんなもんだい 上野動物園にに行ったって なかなかこう注文通りにはいきませんよね

 

 何の話でしたっけ? 脱線もここまで来るとプロ級ですね。えーと、あ、そうでした。今回のテーマは「黒くなったり、白くなったり」でしたね。そういうわけで、地獄(核シェルター)の住民と天国(明るい太陽のもとのマンション)の住民とは、同じドームス・ガリレアの敷地の中で、同じ年頃の若者の二つのグループが、反目することも、牽制しあうこともなく、淡々と住み分けて共棲している姿は、何か不思議な気がしませんか。

 黒い羊たち、社会から足を踏み外しかけた彼らの多くは、ここで自分を見出し、自分を大切にして、逞しく巣立っていく。

 白い羊たち、躓くことなくいい子ですくすく育ってきた彼らは、今はまっしぐらに明日の宣教師を目指して恵まれた環境の中で研鑚に励んでいる。

 中には、黒い羊だった子が、一念発起して、白い羊の仲間入りをして、神学生として再スタートを切るものもいる。そういう子たちこそ、人の痛み、人の弱さに対して深い共感をもって接することの出来る素晴らしい神父になるのではないでしょうか。かく言うわたくしもかつては札付きの黒い羊でした。

おしまい 

 

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★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・③

2012-04-24 11:23:41 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

たまには、重い能の舞台の幕間に、軽い狂言が入るのもいいでしょう。

今回は頭の疲れない写真中心の小話をどうぞ。


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★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・③

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= ガリラヤの丘の黒い羊たち =

 


この黒く変色したへその緒を下げた真っ白な子羊 まだ生まれて二、三日目でしょう

これは ローマの旧アッピア街道に沿った野原で2009年の春に撮ったものです

旧約のイスラエルの民は春の過ぎ越しの祭りに 新約のイスラエルの民(カトリック教徒)は春の復活祭の頃に

好んでこの一歳以下の子羊の肉を炭焼きにして食べる習慣があります それが実に香ばしく美味しいのですよね

この子羊に関連した記事は 私のブログ 「春の訪れ、生命の季節」 に詳しく書きました

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/27516228455c4ec55fd1a67071e8eed5

よかったちょっと寄り道をして URLをクリック して読んでから 先に進んでください

その方がこのブログの内容を立体的に味わうのに役立つかもしれませんので・・・


 先のブログで、ドームス・ガリレアを訪れるユダヤ人観光客をヘブライ語の歌で歓迎する職員たちの写真を紹介しましたが、よく見られましたか? 大部分が年若い男性たち-少年たちと言ってもいい-であることに気付かれましたか?

 彼らは、ユダヤ人観光客を歓迎してギターやボンゴや、チャランゴやタンバリンなどを奏でて ♪ シェマ― イスラエール ♪ を歌ったり、






 食堂での給仕、客室のベッドメーキング、パス・トイレの掃除、タオルの交換、ホールの掃除、etc. のサービスに当たるためにここに住んでいます。

 若くきびきびした動作の好感をもてるこの若者たちは、ホテルマンの養成学校の生徒かと見間違えそうですが、実はそうではありません。彼らは正真正銘の 「ガリレアの黒い羊たち」 なのです。

 新求道期間の道を歩む家庭は多くが子沢山で、たいていはみんな親の背中を見ながら育ち、親たちとおなじ強い信仰を保ちながら思春期を乗り越え、やがて彼ら同志で結婚して、宣教精神に燃えた子沢山のクリスチャンホームを築いていきます。

 ところが、そんな家庭にも稀に毛並みの違う子供が生まれることがあります。小さい時から親に反抗し、暴力をふるい、非行に走り、教会に行かず、学校もさぼり、悪い仲間と麻薬を吸ったり、窃盗をしたり、女の子とあらぬ関係になったり、とにかく親泣かせの悪餓鬼どもが生まれることがあるものです。とくに、共同体の活動で指導的な役割を担う立派な親たちの家庭で、そういうのが生まれることが多いというから、世の中は皮肉なものです。

 思い余った親が、キコ氏に相談すると、彼はそのどら息子をドームス・ガリレアに一時引き取ることになります。ヨーロッパやアメリカが多いのですが、時には途上国からも送られて来ることがあります。

 そのような若者は、所持金もパスポートも取り上げられ、朝早くからお祈りをし、ミサに与り、決められた労働をし、聖書を勉強し、まるで軍隊の兵役についたか、戒律の厳しい修道院に入ったかのような生活をさせられます。

 彼らが住むところはブンカーの中です。ブンカーとはドイツ語で地下壕のこと、現代風に言えば地下の核シェルターのことです。イスラエル政府は、大勢の人が集まる会場や宿泊施設には、アラブ世界からの核兵器や細菌・化学兵器の攻撃に備えて、シェルターの設備を法律で義務付けています。ここドームス・ガリレアにも、結構広い物々しい窓一つない地下ブンカーがあります。平時には無用の長物のこのブンカーを、黒い羊(ブラックシープ)の寝ぐらにするとは、キコ氏も実によく考えたものです。後はたっぷり食べさせ、仕事着を与えれば、それ以外は人件費ゼロの有能な労働力として彼らを活用します。それで、若者が奇跡のように更生・自立していくとあっては、いいことずくめの一石三鳥、いや四鳥の名案と言うほかはありません。


  

左は潜水艦の中の隔壁のような鉄の重い気密扉。中は兵舎の中か、フィリッピン娘達に売春を強要するピンククラブの

ヤクザ監視付き宿舎のようだ


二段になった蚕棚式ベッドはアウシュヴィッツの強制収容所を思わせる


 国を離れて遠くイスラエルのガリレア湖のほとりの人里離れた丘の上。囲いは無いが、お金もパスポートも車もなければ、脱走してもイスラエルの社会に紛れ込んで一生生き延びられる算段はつかないというものだ。初めのうちこそふてくされて、じたばたするが、やがて観念して大人しくなり、そのうち多くは明るいいい顔の逞しい青年に育ち、やがて別人として巣立っていきます。

 これは、目立たないけど、このドームス・ガリレアで日々起こっている大きな奇跡です。

 実は、上の白い羊の写真を巡るブログの中で紹介した日本の若者も、これを書いている私自身も、かつてはれっきとした「ブラックシープ」(黒い羊)たちだったのです。 神様に不可能はない!

(おしまい)




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★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・②

2012-04-23 11:50:39 | ★ ガリラヤの風薫る丘で


ドームス・ガリレア 空から眺めると大きくて複雑な施設だが 地上から正面に回ると意外と低い単純な建物に見える


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2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・②

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正面玄関のガラスの扉の上の絵は 漁師の船の錨と二匹の魚


 カトリックの宗教施設であるこのドームス・ガリレアに、最近は年に12万人ほどのユダヤ人が訪れるようになった、と前回のブログに書きました。何故そんなことが?まずその疑問に答えなければ、先に進むことが出来ません。

 すでに書きましたように、ユダヤ人が忌避する十字架の印が、目立つところには一つもないという配慮も確かにあります。しかし、ただそれだけのことでしょうか。アメリカをはじめとして、世界中からイスラエルを訪れるユダヤ人は、たいてい土産話の種にと一度は観光でガリレア湖にやってきます。すると、ユダヤ人経営の旅行会社は、観光の目玉の一つとして、必ずと言っていいほどこのドームス・ガリレアをルートの中に組み入れるようになりました。別に話合ってお互いの金銭的利害が一致して了解が出来ていると言うわけでもないのです。自由に中を見て歩いても別に一銭も金を要求されるわけでもない。今回の世界の神学校の会議のような行事などで部外者の立ち入りが制限されていないことだけ事前に電話で確かめておけばいいらしいです。「ではあとで行きますからね」とだけ告げて、どやどやと乗り込んでくる。立ち寄ってお客さんに見せると、みんな喜ぶ。それで、いつの間にか自然にそうなったのでしょう。(一人1ユーロずつ取れば12万ユーロ、それは、えーっと、1,200万円になる。年間の建物補修費は出るのになー、もったいない。オット、これは元銀行マン神父のそろばんでした。キコ氏は何でもタダ。そうでなきゃ!蔭の声

 観光バスを乗り付けて、案内嬢が上のガラスの扉から客を中に案内すると、たいてい準備が出来ていて、ヘブライ語の歌と音楽で歓迎される。ちょっとしたサービス精神のサプライズで人々は大喜び、まずすっかり心が和む。 歌は決まって、

♪ シェマ―イスラーエール ♪ シェマ―・イスラーエ~~ルー ♪ アドナーエロヒムーゥ アドナーァエハー ♪

で始まるヘブライ語の簡単な歌です。

訳せば 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。・・・」

 ユダヤ人、イスラエルの民の聖典「モーゼ五書」の中の「申命記」6章4節のこの言葉は、ユダヤ教徒なら、寝ても覚めても忘れることのできない神の言葉、神の掟です。その言葉を、キリスト教の、カトリックの施設に足を踏み入れた途端に美しく力強い歌声に乗せて聞かされた時の気持ちを思いやってみてくださ。胸がいっぱいになって涙ぐむ人だっているかもしれない。


ユダヤ人観光客を歓迎して 「シェマ―イスラエ~~ル ♪♪」 と歌うドームスの職員たち


 彼らの大きな発見と喜びは、このヘブライ語の歌がこの建物に関わっている者たち自身にとっても、ふだんの祈りのことば、いつもの歌いなれた歌として使われているらしい、ということです。つまり、キリスト教徒なのに、旧約聖書のユダヤ教徒の聖句をヘブライ語で歌っているものたちがいると言うことです。じじつ、私はローマの共同体で、ことあるごとにこの歌を集いの中で歌っています。

 ロビーを抜けて中に入ると、そこにはユダヤ教の聖書の言葉がいたるところに氾濫している。これも彼らにとっては新鮮な驚きです。ここで働いている若い優秀な神父たちは、ヘブライ語もアラブ語も話す、などなど・・・。



 これが、彼らの歴史に、そして心の奥に刻まれた偏見と反感の対象であるキリスト教の、あのカトリックの施設かと、彼らは目を疑うのです。

そして、極め付きはこれだ!


外から見たこの図書館 そこにはガラスの球体の一部が覘いている

中に入って見ましよう



図書館の壁には高価な古い希少本がぎっしり並んでいるが

真ん中にはあの外から覘いていた青いガラスの半球の本体がほとんどの空間占領している

そしてその中心に なにやら防弾ガラスのケースに守られて 安置されているものがある



これなんだかわかりますか?

「トラー」 すなわち ユダヤ教の儀式で用いられる旧約聖書の巻きものです

推定約300年前のもの と言うのが どれぐらいの価値のものか私にはわかりませんが

ユダヤ人たちはここでこれに出会って深く感激する

 ユダヤ人たちは、自分たちがアブラハムの子孫、神に選ばれた民、イスラエルの民であると思っている。その多くはユダヤ人特有の顔立ちや人種的特徴を共有している。それに対して、このドームスに関わるカトリック信者たちは、自分たちのことを新しいイスラエルの民だと思っている。神の民、イスラエルの民であるユダヤ人達を年上の兄弟、兄たちと感じ、自分たちカトリック信者をその年下の兄弟、弟たちと感じて、彼らに対して敬意と親近感を抱いている。そのことが、この施設に入ったとたん、ユダヤ人観光客の心に自然に伝わるのではないでしょうか。

 このドームス・ガリレアの施設を着想し、それを具体的に設計したスペイン人の一信者(神父でも司教でもない)キコ氏は、最近「無垢な者たちの苦しみ」と言う題の組曲風のシンフォニーを作曲した。ギターも弾くし歌も歌うが、全く楽譜の読めない彼としては、ちょっとした冒険だった。彼はその曲をこのドームスの円形のホールにエルサレムをはじめイスラエル中のユダヤ教指導「ラビ」達を招いて、彼らの前で自前のオーケストラとコーラスを動員して演奏した。結果は大好評。聴衆は感激し大反響を呼んだ。キコの音楽は、2000年、いや4000年以上にわたる、イスラエルの苦しみと悲しみに満ちた虐げられた民の心に理屈抜きで染み透る力があったのです。

 イスラエルのユダヤ教を代表するラビは、このシンフォニーを聴いたあとの挨拶の中で、旧約の太祖アブラハムの孫のヤコブ(別の名をイスラエルと言う)の12人の子供たちの話をしました。

 末っ子のヨゼフは父イスラエルに特別可愛がられていい目を見ていた。それをねたんだ11人の兄たちは共謀して、ヨゼフをエジプト人の隊商に奴隷として売りとばした。奴隷ヨゼフはエジプトで出世してファラオの宰相(総理大臣)になった。飢饉がパレスチナを襲ったとき、イスラエルは息子たちにエジプトに下って穀物を買ってくるように言った。11人は自分たちの売りとばした弟ヨゼフがエジプトで宰相になっていることを知って驚き、仕返しを恐れたが、ヨゼフは兄たちを赦し、和解し、父と兄たちをエジプトに呼んで大切にした、と言う話がある。2000年前にナザレのイエスをローマ人に売渡し十字架の上で殺した先祖たちは、実は末の弟をエジプト人に売り渡したイスラエルの11人の息子たちだった。いま長い苦難の歴史の後、11人の兄たちの子孫である我々ユダヤ人は、王の宰相となったヨゼフに相当するキリストに出会い、和解する時が来たのだ、と。これ、ユダヤ教の大教師(ラビ)の口から出た言葉ですよ。

 2000年の歴史の中で、かつてユダヤ教指導者のトップのラビの口から、キリストとキリスト教について、ユダヤ人とキリスト教徒の関係について、旧約のイスラエルの民と新約の新しいイスラエルの民(キリスト教徒)との関係について、兄と弟の絆について、これほど明白な肯定的な説明を聞いたことがあったでしょうか。これほどの言葉を引き出すことに成功したドームス・ガリレアの建物の雰囲気と、そこで演奏されたキコの音楽の力に、私は内心舌を巻いた。

 キコ氏は、このシンフォニーをもってアメリカに殴り込みをかけるつもりのようです。この5月4日ら15日までの間に、ボストン、ニューヨーク、シカゴと、アメリカの有名な交響楽団のホームグラウンドに乗りこむつもりです。ニューヨークフィルのホームベース、リンカーンセンターの「エイブリ―・フィッシャー・ホール」は5月8日と決まっています。この結果を見て、彼は日本でも演奏することに意欲を燃やしています。その時は私がマネージャーなのだそうです。そんなわけで、私は今回のアメリカツアーにも同行することになりました。


「無垢な者たちの苦しみ」のニューヨーク演奏会のポスター

 写真は キコ氏の横顔と 民族抹殺工場アウシュヴィッツのユダヤ人移送貨車

(下の方 5月8日8時開演 の下に 「入場無料」 とあるが 実際はニューヨークのユダヤ人上流社会の招待客で一杯になる)


 またどうやら話半分で一区切りするときが来たようですね。 続きます。


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★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・

2012-04-20 07:36:14 | ★ ガリラヤの風薫る丘で


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2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・

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 ウイーンのシェーンボルン枢機卿、 元信徒評議会のコルデス枢機卿をはじめ、世界中に86の姉妹校を展開するに至ったレデンプトーリスマーテル神学院の、それぞれの設置者である各国の86人の司教のうち50人余りと、神学校の院長や私のような関係者、合計250~60人が、今年もイスラエルのガリレア湖のほとりのイエスの 「山上の垂訓」 の丘の上にある ドームス・ガリレア に結集しました。

 

完成したドームスガリレアの航空写真 今回わたしが宿泊したのは手前一番下の段の右から3つ目のテラスの奥の部屋だ

各室とも国際基準で5つ星のデラックスホテル並みの設備が整っている

上の左の丸いのが大ホール その右の四角いのが図書館

下の段の左側はマンション風の居住空間に囲まれた円筒形のチャペルの上に山上の垂訓のイエスとと弟子たちの群像が

 

 ドームス・ガリレア と言う総合施設は、キリスト降誕紀元2000年の聖年に前教皇ヨハネパウロ2世がこの丘の斜面で数十万人の世界の若者を集めて「世界青年大会」を開催したのを機会に、教皇自身が第一期工事の落成式を執り行った記念すべき建物で、今や世界のユダヤ教徒とキリスト教(カトリック)の出会いと友好の場となりつつあります。

 

2000年の聖年に教皇ヨハネパウロ2世が主催した世界青年大会は

新求道共同体のリーダーのキコ氏がイスラエル政府から借り上げて造成した緩やかな斜面に展開して開かれた

画面右端の黒い熱除けの巨大テントの下 赤い絨毯のプラットホームに教皇や枢機卿・司教たちが

その前の白い服の集団は神父などの聖職者

イスラエル中から駆り集めた約4千台のバスの駐車場はこの画面の外4キロ離れたところにあり 若者たちはそこから歩いた

左上 ヘリコプターの細い尾の上の方 山裾の C の字型に土が露出しているあたりが今のドームスのある場所

この日 エルサレムからヘリコプターで飛来した教皇の野外ミサに与った青年たちの数は20万人余りだったと記憶する

年寄りの私もその中に居た

 

 左下のテラスにある円筒形の小聖堂と その上の山上の垂訓のイエスと弟子たちの群像 

これもキコ氏とその弟子たちの共同作品 眼下に広がるのはガリレア湖

 

  カトリックの-と言うか-キリスト教の施設には必ずと言っていいほど、目立つところに十字架が立っているものです、厳格なユダヤ教徒-とくに聖職者であるラビたち-は、十字架を掲げた建物には決して入らないものです。ところがこのドームス・ガリレアには目立つ場所に十字架がない。だからというわけでもないでしょうが、このドームスには近年ユダヤ教徒の訪問者が著しく増加し、昨年あたりで年間12万人ほどのユダヤ人がこの建物の入り口を通って行ったということです。


上の段右側の図書館の外観


 シェークスピアのヴェニスの商人にあるように、過去2000年間、ユダヤ人はキリスト教徒によって卑しめられ、貶められてきました。それは、キリストは「神の子メシア」であり、「人になった神」であると信じるキリスト教から、キリストを殺した民、つまり 「神殺しの民」 として断罪されてきたからです。しかも、なぜか優秀な民族であるユダヤ人は、その優秀さの故に嫉妬され、迫害されてもきました。そして、常態的にゲットーに押し込められ、時には民族の存亡にもかかわるような-例えば、ヒットラーによるホロコーストのような-抹殺の対象にもなるのでした。

 ところが、先の教皇ヨハネパウロ2世の時、ユダヤ教徒、つまりイスラエルの民とカトリック教会との関係は、かつてないほど友好的になりました。 (私のブログ 「ちょっとさわやかな話」 

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/af28860920e0e8f809dab37c43c1cbdb 

を参照してください。)

 ところで、ユダヤ民族、イスラエルの民、と言うのは実に神秘的と言うか、不思議な民族で、神に選ばれた民の自覚を持ち、音楽や科学や金融や国際政治の分野などで優秀な能力を発揮し、少数民族でありながら世界史に強い影響を及ぼす反面、すでに触れたとおり、歴史の古い時代から度々民族の存亡にかかわるような苦難に見舞われ、しかもその都度しぶとくそれを生き延びてきた民族です。

 ユダヤ教の信仰の太祖アブラハムが、遊牧生活を捨てて神の約束したカナンの地に定住すると、その孫のヤコブの時代に7年間の干ばつに見舞われ、そこには住めなくなってエジプトに移住を余儀なくされましたが、エジプトでユダヤ人の数が増えると、警戒したエジプト人によって奴隷の地位に落とされて辛酸をなめることになります。モーゼに引き連れられてエジプトを脱出して自由の身になったかと思うと、40年もシナイの砂漠を放浪することになり、やっと再び約束の地に戻ったものの、ヤーヴェの唯一神の信仰を離れて周りの民族のきれいな女達と結婚して彼女らの神の偶像崇拝に流れたため、ヤーヴェの神の罰を受けてバビロンに滅ぼされ、生き延びたものはバビロニアに捕囚として連れ去られ、長い奴隷の苦しみの後、やっとイスラエルの地に戻ることが出来ました。強力な指導者メシアを待望する中で、キリストが現れたが、政治的な指導力を発揮しないキリストに失望し、偽メシアだと思って 十字架の上で始末したら、キリスト降誕70年目にローマ軍にエルサレムを攻め落とされて国を失います。その後は、世界中にディアスポラ(流浪の民)としてに散り散りになり、国を建てることは愚か、個人として土地を持つことも許されず、窮屈なゲットー(居留地)に押し込められ、やむなく金融や商売で身を立てても、成功すると(ヴェニスの商人のように)嫉妬を買って苛められます。復活祭の日曜日の前夜には、金で買収された貧しいユダヤ人が、キリスト教に改宗を強いられ衆人環視の中で洗礼を受けさせられるというような忌まわしいことが、ローマのカトリックの教会で最近まで公然と行われてきたという話も聞きました。(私のようなキツイ言い方では身も蓋もないこの話も、表向きはもちろんもっと優しい美談に仕立てあげられるのでしょう。が、結局のところ実態には何ら変わりがありません。)

 第二次世界大戦中は連合軍の側に賭けて、その見返りにアメリカなどの後押しでようやく約束の地に建国を許されたまではいいが、その後は、国土を死守するために周りのパレスチナやアラブ諸国と絶えず戦争を重ねねばならず、核攻撃により一夜にして全滅する悪夢に苛まれながら回教圏の敵意の前に戦々恐々として生きなければならないユダヤ人のつらい運命をつくづく不思議に思います。彼らがどんな悪いことをしたと言うのでしょう。旧約聖書によれば、彼らは神から選民として特別に愛されたことになっていますが、それに対して他の民族の嫉妬を買ったとでもいうべきなのでしょうか。

 過去2000年の世界史の流れの中で、同じ唯一の創造主の神を拝むユダヤ教とキリスト教は、近親憎悪と言うか、常に犬猿の中であったのが、この10年ほどの間に、急速に関係が改善されてきたような気配が漂い始めたのです。いったい何が起きようとしているのでしょうか。ノストロアダムスの預言ではないが、世の終わりの前に流浪の民ユダヤ人はイスラエルに国を再建し、イエス・キリストが真のメシアであったことを認めてユダヤ教とキリスト教は和解する、と言うような予言がありますが、もしかしたら人類の終末(滅亡の日)が近いのではないかと(私に言わせればそんなことは馬鹿げた全くあり得ない話に思えますが)、真剣に囁く人が出てきてもおかしくない空気さえあります。

 私は、今回のブログを書き始めたときは、全く別のコンテクストで、ドームス・ガリレアにおける今年のレデンプトーリスマーテル神学院の姉妹校の集いで何が行われようとしているのかを、淡々と報告するつもりで書き始めたのに、出だしから話は思わぬ方向に発展して、すでに一回分の量として足りるほどの長さになってしまいました。今から本題に入れば、一回には読み疲れがしてしまうにちがいありません。思い切ってここで区切り、全体を3回ぐらいに分けて、次はなぜドームス・ガリレアにユダヤ人が惹かれてくるのかを説明し終えて、最後に今回の集まりの意義に触れて終ろうかと、方針を転換しました。

では、次回をお楽しみに。


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★ (一部補足) 2012年 聖土曜日 復活の徹夜祭

2012-04-12 15:18:10 | ★ 復活祭の聖週間

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2012年 聖土曜日 復活の徹夜祭

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炎の右側の助祭が地面に置いて手で支えているのが復活の大ローソク 大きいでしょう

 

2012年4月7日 聖土曜日 復活の徹夜祭は 夜の10時に始まった

会衆は一週間前の枝の日曜日にキリストの十字架によって押し開かれた正面の大扉を通って

聖堂の中に入って 明かりを既に消して 暗闇の中に待機している

聖堂の外では赤々とかがり火が焚かれている

三位一体の神の おん父の創造的愛を象徴するかのような この炎から

御子キリストをかたどった 直径12~3センチほどの太い重い復活の大ローソクに火が移されると

助祭の一人にヨイショとばかりに捧げ持たれたローソクを先頭に 司祭団と侍者たちが暗闇の聖堂に入る

電気を使った人工の光が消えた真っ暗闇に佇む人々にとって 一本のローソクが放つ光は

どんなに遠くからでも見える希望の光を象徴している

助祭が聖堂の入り口を入ってすぐのところで 低い声でメロディーをつけて


♪ キリストのひか~り (Lumen Christi) ♪

と歌うと 会衆は

♪ 神に か~んしゃ (Deo gratias) ♪

と歌って答える そして主任司祭だけが 手にした小さいローソクに大ローソクから火をもらうが まだ大ローソクの周りは闇だ


次に 聖堂の後ろから三分の一ほどのところに常設されている洗礼盤の前で 助祭はまた大ローソクを高く掲げ より高い声で

♪ キリストのひか~り (Lumen Christi) ♪

 と歌い 会衆は また

♪ 神に か~んしゃ (Deo gratias) ♪

と応え 主任司祭は周りの司祭たちと助祭たちが手に持つローソクに火を配る

すると 大ローソクの周りに小さな明かりの島が生まれる


続いて祭壇より前の 教会の内陣の手前まで進むと

助祭と会衆はさらに高いトーンで歌声を交わし

今度は司祭たちの手から周りの会衆に火が配られる すると見る見るうちに 光の絨毯は聖堂の隅々まで伝搬していく


                     右上寄りの大きな光の点は復活の大ローソクの明かり 

聖堂内がほの明るくなり  火をもらった子供たちのうれしそうな笑顔も 光の中に浮かび上がる

 

私は カトリック教会の一年間の沿った中で この復活の徹夜祭の光の祭儀ほど美しい儀式をほかに知らない

神の創った世界は 人間の罪で闇に沈んだ その闇に処女マリアに宿ってこの世に入った神のひとり子イエスの愛の火が点った

友のためなら命を捨てるほどの愛の火 (イエスはそれを十字架の上で示して見せた) は

人の心から心へと伝わり 世の光となって闇を照らしていく

キリスト教の福音が人々の心に愛の火を点し 世の光となって広がっていく姿を 目に見える形で示してくれる光の祭儀

神の栄光の讃歌が朗々と歌われ 真夜中の闇の空に教会の明るい鐘の音が響き渡るとき

40日間の断食と節制と痛悔と回心の季節の終わりが告げられ キリストの復活の喜びが爆発する

人々は抱擁し合い 接吻し 「キリストは蘇られた」 と一方が挨拶すると もう一方は 「キリストはまことに蘇られた、アレルヤ!」 と挨拶を返す

そして 聖堂の照明がともされ 復活の大ローソクだけを残して 各自の手元のローソクは吹き消される

それを見ていると なるほど 世俗化した現実の快適さと裕福さのまばゆい価値観が支配する社会の中では

キリストの愛の教えは まるで人工照明の中に光を失う復活のローソクのように すっかり色あせて見えなくなってしまうものだと納得する

世俗的価値観のまぶしさに幻惑されていただけにすぎない自分の心の闇に気付き 本当の光を渇望することの必要性を思い出すために

ときには 病や災害も 気付きのきっかけとして 大切な役割を担うことがあリ得るのかな とも思う


 

光の祭儀の後を受けて み言葉の祭儀が続く


旧約聖書の創世記第1章の天地の創造譚から始まって ユデオ・クリスチャンの伝承にある神の救済の歴史が 延々と朗読される

ひとつの聖書朗読の前に信徒による短い導入の話があって 朗読の後に祈りがあって 歌があって 次の朗読に移っていく

子供たちも参加する

可愛い子供たちの合唱や 子供たちの賢い信仰上の質問に たじたじの親たちが 大汗かいて答える場面も挿入される

今年はたまたま 私の属する第4共同体のダリオが 子供たちに親としての苦労と信仰体験を語って聞かせる場面があった

 

ダリオは可愛い5人の娘たちを育てているうちに 労災事故に遭い 両足の膝から下を失った

さらに子供をつくることは事故を境にあきらめたが すでに生まれている子供たちの信仰教育については 夫婦で細心の注意を払ってきた

屋内は杖なしに義足だけで歩き 屋外は障害者用の電動車いすを使うが 

家庭内では義足も脱いで 半ズボンから棒くいのような短い脚を露出して 毛虫のように這い回る父親の姿を 娘たちは毎日見ている

その彼自身が かつては離婚家庭の子どもとして 親の愛を知らず 信仰も希望もなく すさんだ少年・青年時代を過ごしたこと

たまたま 友達を通して今の共同体を知り 神を見出し 美しい妻と愛する子供たちに恵まれたが

事故で生活は一変した・・・ だが事故を通して神は自分に語りかけ 回心に導かれ

世俗的価値観の追及をやめ 子供たちに自分の持つ最大の宝 「信仰という宝」 を伝えることを

生涯の最高の使命 生きがいそのものとしていることを 淡々と語る

彼自身の子共達に向けて語りかけているのだが 居合わせた全ての子どもたちに

そして この夜復活の徹夜祭にたまたま参加したすべての大人たちの胸に 

司式する主任司祭の雄弁な説教の影が薄くなるほどの感動と説得力で迫るものが 彼の信仰告白にはあった

その後もさらに朗読が続き 最後の福音の朗読があって み言葉の祭儀が終る頃には すでに深夜0時を回っていた


次は 洗礼式だ


 今年 この教会では 復活の徹夜祭の中で3人の洗礼が予定されていた

 

 

先ずは一人目の男の赤ちゃん 見ると 若い母親のおなかには 順番を待つ次の子がすでに宿っている気配だ

 

  

 

ナティビタ (主のご降誕) 教会の8角形の洗礼盤は 大人の浸しの洗礼にも対応出来るだけの大きさがある だから赤ん坊には悠々だ

父と 子と 聖霊のみ名によって 汝に洗礼を授ける

助祭はそう唱えるうちに 素っ裸の赤ん坊を3度 すっぽり頭まで水に沈めて洗礼をする

 

 洗礼盤を取り囲んで楽しげに眺めている子供たちも わずか数年前には みなこうして裸ん坊で水をくぐったのだった

娘になりかけている女の子は それを思い出して チョッピリ恥ずかしそうでもある


 

二人目の赤ん坊も ジャブン!  ジャブン! ジャブン!! とやられた


  

赤ん坊は水に対しては動物的な本能で反応するので 水の中に沈めても大丈夫なのだそうだ では大人ではどうだろうか


この日の3人目の受洗者は うら若い女性だった 聞いたら ブラジル娘で わけあってイタリア人の中年夫婦に養女として引き取られてきたのだそうだ

 

 
 

 

 

 

 

 

 

        


右側 世俗に通じる聖堂の入り口側の段を降りて洗礼の水に入る

 

父と 子と 聖霊のみ名によって・・・と唱える間に 頭まで3度水に浸かる

魚にとって水は生きる場所だが 人間など哺乳類にとっては 水は死を象徴する 東北の津波はまさにそれだった 


洗礼を受けた後 左がわ つまり祭壇の側の段を上って教会の中に入る

水に沈んだとき 罪と死の恐れの奴隷の古い人に死んで キリストの復活の命を身にまとって

新しく生まれ変わる

(ここで余計なこと 低俗なことを 敢えてひとつ言わせてください)

カトリック教会の中には 共同体が浸しの洗礼を行うと聞いて 見たこともないのに あらぬ噂を広める人たちが現れた

曰く

プロテスタントの一派ならいざ知らず カトリックでありながら 全身を水につけて洗礼するなんて なんと不謹慎な 異端的ではないのか?

水から上がった女性の体を想像してご覧 濡れた体にに布が張り付いて肌が透けて見えて 裸同然になるではないか いやらしい! と

これは 見たことのない人しか言えない 想像の産物なのだが

そういう誹謗中傷に対して あらゆる言葉による弁明は全く無力だ

そんなことを触れて回る人に言いたい

一度よく見てください 上の品位に満ちた美しい大人の女性の浸しの洗礼式を

どこに問題がありましたか? 百聞は一見にしかずではないですか

カトリック教会に一大変革をもたらした第2バチカン公会議は 攻守所を変えて

「今後カトリック教会は浸しの洗礼を本来とするが 額に水を流す注ぎの洗礼も 従来通り許される」

と言う意味のことを明言している 本来の姿を忠実に実行するものを誹謗中傷するために

見たこともないのに 想像だけでいやらしく悪く言う

しかも 悪いことに 同じような心根の人たちの間ではそれがまるで事実であるかのように信じられ 見境なく言い広められていく

そんな人には 奥さんに内緒でインターネットのポルノを見過ぎではないですか と言いたい 全く嘆かわしい限りだ!

おっと 神聖な復活の徹夜祭を 下らぬ話で汚してしまいました どうかお赦しください 先を続けます


洗礼の部が終ると復活祭のミサの部に入る

 

 

16の角のある銀の大盃になみなみと注がれたぶどう酒と 8角形のお皿の上には手で焼いた種無しパンが

この夜の会衆約600人余りとして

10人の司祭・助祭がひとつの盃からそれぞれ60人にぶどう酒を飲ませる 一枚のパンも60片に裂いて配ることになる

 

 

洗礼を受けたばかりのピッカピカのブラジルのお嬢さん これから初聖体拝領になるのだが 今日の祭儀の中では特別に目立つ存在だ 

 

(もう書く方も 読むほうも いい加減くたびれましたね このあと 復活祭のミサは普段通りつつがなく進んだ とだけ報告します) 


〔以下省略〕 で 最後はいつものように 祭壇を囲む踊りと音楽で 朝の2時半ごろに 全てがつつがなく終わったのでした

深夜をまたいで延々と4時間半の徹夜祭でした 皆さんほんとにお疲れ様

 

 

 

キリストの復活を祝う喜びが爆発して 踊りながら思わずキスをするものも


 

二重三重の環になって踊りながら 喜びの余韻は少しずつ落ち着きを取り戻していく

 

 各共同体は この後レストランに場所を移し それぞれお祝いのテーブルを囲んで食事を共にする

午前3時に大御馳走? それもそのはず あるものはまじめに36時間近く水や牛乳だけの断食をした

いわば ラマダン明けの回教徒以上に腹ペコなのだ

実は ミサそのものがそうなのだが この 「一緒に食べる」 と言う行為が 共同体の一体感を養う上で 非常に大切な要素となっている


会食(アガペ=愛の食卓) は朝4時半過ぎに終わった 

 

 最後に一言 私の属するこのナティビタ (主のご降誕の教会) 小教区では40年ほど前に共同体が導入された

主任司祭は これに対して斜めに身を構えて 全面的には支持してくれなかった

だから 初めは共同体が産まれかけても 産まれかけても 流産を繰り返し

いま頃ようやく 9つの共同体が育つところまでたどり着いた

(同じように40年前に導入されたほかの教会では 20以上 教会によっては30以上の共同体が花開いてる)

事 復活の徹夜祭について言うと

以前は主任司祭を中心に 復活の徹夜祭は伝統的な古い方式に固執して行われていた

だから 今日のような新しい典礼は共同体だけで他の場所を借りてやってきた

ところが 世俗化の波はイタリアにも日本にも等しく押し寄せていて 

若い世代の教会離れと 残った信者の高齢化で すっかり活力が失われ

 教会でする復活の徹夜祭は年を追うごとにさびれ

「徹夜祭」 の名は空洞化し 妥協して夕方から始まり夜が更ける前に早々と終るように 簡略化して行う習慣が広まったが

ところが それでなお衰退に歯止めはかからず ある時点からは  

ついに ばらばらにやっていた共同体の徹夜祭をひとつにまとめて教会でやり 

共同体スタイルに統一して それに一般の信者も参加することで やっと 「徹夜」 で行う本来の姿を取り戻した

ローマの教会では全体の4分の1ほどで似たり寄ったりの形になってきた

ローマで起こったことは いずれ一呼吸遅れて全世界に 従っていつかは日本でもそうなるものと思われる


(おしまい) 

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★ 聖木曜日 洗足式

2012-04-06 23:44:02 | ★ 復活祭の聖週間

~~~~~~~~~

聖木曜日 〔洗足式〕

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写真の黒い薄い手提げの中には、白衣と略式祭服のストール(ストラ)が入っている

銅の洗面器と水差しとその後ろの白いのは大判の手拭い

私の今夜の商売道具はこれだ

 

      

夜の10時ごろ 部屋の壁に沿って共同体の仲間が36~7人 式の始まるのを今や遅しと待っている

 

カントーレのジュゼッペが始まりの歌を先導する

 

一同が唱和すると 歌の半ばで私が入堂し 朗読台の側の十字架に向かって一礼する

 

私が定位置に着くと 今夜の式が始まる

(今日はカメラを兄弟に預けた だから目障りにも私ばっかり目立つ羽目になるが ごめんなさい)

次々と聖書の朗読があって 4番目のヨハネの福音の13章は私自身が朗読した (以下、要約のみ)

 

さて、過越祭の前のことである。

イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

夕食のときであった。
イエスは、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。

「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。
はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。
このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。

はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」


今夜の私は上の聖書の場面のイエスの役を演じる 兄弟たちはイエスの弟子になった気持ちで式に与る


先ず 隣のヴィトの前にひざまづいて 足を洗う その隣のセルジオは靴下を脱いで準備に入る

(後ろ向きでは 何をしているのか見えないので 数人飛ばします)


銅の水差しから人肌に温めたお湯を足にそそぎ 水差しを介助のものに渡すと

私は手で丁寧に彼女の足を洗う


肩にかけていたタオルの端で濡れた足をきれいにに拭き取る


拭き終わると 仕上げにその足の甲にしっかりとキスをする 

頬であろうが足であろうが 他人の肌にキスをするときの感触は同じだ

この一連の動作を40回近く繰り返す 一人平均約1分としても 結構な時間がかかる

初めの15人ぐらいまでは 跪いたままで膝で歩いて移動することができる

そのうち 膝と腰が痛くなる やがて背中も痛くなる

動作が鈍くなり しまいに立ちあがって腰や背中を伸ばして 一息つかないと続けられなくなる

また 二人か三人の足を洗ってキスして 立ち上がる

全員の足に接吻して立ちあがった時には 額に脂汗がにじんでいる

ああ 今年も無事にやり通した と言う安堵感が湧いてくる・・・

ここまでは ヨハネの福音書の記述にほぼ忠実に進んだ

イエスは12使徒の・・・いや 裏切り者のユダがすでに抜けているから11人の足を洗ったが

私はその3倍以上の足に接吻をした

問題はその後


   

見ていると 共同体の兄弟たちが それぞれ自分の左隣りのものの足を洗い始めた 

もちろん接吻で仕上げるところは同じだ

洗われたものが 次は自分の左隣を洗う

こうして みな一人ずつを洗って一回りすると ハイ出来上がり パチ、パチ、パチ!

ちょっと待ったー! 聖書にはなんて書いてあった? もう一度よーく聞いてください

ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。

そうです イエスが模範を示した通り 私たちも互いに足を洗い合わなければならない はずでした

自動的にお隣さんを洗って順送りして それでシャンシャン ではないのです。

実は 聖書を朗読した後 洗足式に入る前に 私は一発強烈な説教をしたのでした 曰く

皆さん 私はこれから主イエスがなさったように 皆さんの足を洗います

その後で皆さんはそれぞれ隣の人の足を洗うでしょう 私はそのやりかたを敢えて変えろとは言いません

しかし 皆さんがやろうとしていることは聖書の記述に忠実ではありません

ユダヤ教 キリスト教の伝統では 足を洗うのは奴隷の仕事でした

それをイエスは私たちに お互いに対してするようにと命じました

「足を洗う」は日本ではやくざが堅気になるときに使う言葉ですが (・・・これはイタリア語の説教では言わなかった)

キリスト教的には 足を洗うとは 敢えて奴隷に身を落とし 相手に対して犯した罪を告白して 許しを願い 和解を求める印です

私はこの一年間 心の中であなたを裁いていました あなたを憎んでいました あなたを軽蔑していました

無視してきました あなたに嘘をついていました 隠し立てしていました 視姦してきました・・・

どうか赦して下さい!

何があったかみんなの前で言葉にしては言わないけれど

黙ってその人の前に進み出て足を洗ってその足に接吻することを通して

何かわだかまるものがあったことを暗示し 赦しを願い 和解を乞う これは厳粛な儀式なのです

夫が妻に 妻が夫に AがBに CがDに だからどうか足を洗わさせて下さい と跪く

それが出来なければ 成熟した大人の信仰を持ったクリスチャンとは言えない!

できないんですねェ なかなかそれが

特定の誰かの前に進み出るのは恐ろしく勇気がいる

それ以上に ある人が自分に向かって進んでくる時の圧迫感・緊張感も半端ではない

それで 無作為に隣の一人を洗ってお茶を濁す なんて人間て駄目なんだろう

新求道共同体というカトリックの特異な集団ではこの40年余りの歴史の中で

少なくとも最初の20年ぐらいの間は 周りのカトリックの多数派から迫害されながら このヨハネの福音の言葉通り

忠実にと言うか 原理主義的に と言うか

とにかく みんなまじめにそれを実行していたものでした

日本の兄弟たちは 今でも大体まじめにやっていると思います

それが 教皇のおひざ元のローマでは 勢力を得て 教会内的にも認知されるようになると

内部からモラルのゆるみが始まったとでもいうか 形骸化が始まったというか・・・

私は この傾向に断固同意しないものであります!

外に出ると 夜中の12時を回っていた

中空に半月より太い月が輝いていた・・・


(おわり)

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★ 〔号外〕 巨大土筆(つくし)=福島原発による突然変異?(ではありません)

2012-04-04 18:24:52 | ★ 自然・いのち

春の土手の土筆はこれですよね 袴を取ってゆでれば食べられるやつ・・・・

わたしなんか少年時代夢中になって取ったものです ところが・・・・

 

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 〔号外〕 巨大土筆(つくし)

=福島原発による突然変異?(ではありません)

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問題はこいつです これって 頭の部分の形ちょっと違ってませんか

 

じつは ローマの神学校に上がる坂の始まりのところに汚いどぶ川があって

その両岸は 薮や雑草で荒れ放題なのですが

昨日は車で徐行して通るとき 何か気になるものが目に入って

車を停めて近づいた らこれでした

素手で草むらに手を突っ込んで2-3本摘み取ろうとしたら ひだり手の甲に激しい痛み 慌てて手をひっこめました

( 何故左手? 私は生まれたときから ギッチョ なのです )

とにかく なにかにかぶれたみたいで 寝るまでヒリヒリ痛みました 

 

今日は 掃除のおばさんに頼んで ゴム手袋を手に入れました

完全武装で いざ再度挑戦

そして 採れたのがこれです ちょっと大きくないですか 

 

ちょっとどころか 巨大 といってもいいと思いませんか

 

部屋に戻って 早速に計測

写真の縦いっぱい 右の定規は 日本の30センチのではなく イタリアの40センチものです

このブログを書いているノートパソコンの端が黒く見えていますが これが折れるとこまでで24センチほど

メガネや時計とも比べてみてください

 

緑色の煙のような胞子が飛び出す頭の部分だけでも私の親指や人差し指ほどもある

日本の土筆 どんなに大きくても 右端のボールペンのの長さがせいぜいです

太さにいたってはボールペンの半分以下でしょう

 

さっそくヤフーイタリアで検索してみました

"fiore di equiseto" (つくし)

で調べまわったけれど 一番上の写真と同種のものしか出てきません

でも日本人の空手の先生の奥さんの イタリア人女性が言っていたのを思い出しました

イタリアの「土筆」には 大きいのと小さいのと 二種類あるのよ と 

実はホッとしました


東北に突然こんなのが出現したら 恐ろしいことです

恐らく 事故原発がばらまいた放射能による 突然変異と思われるからです

そんなことにならないように祈りましょう

でも チェルノブイリの実例を見ると

今後 がんの発症率 奇形児の生まれる確率は

確実に増えるのです

人間の驕りのツケというべきでしょうか

大自然の美を創造した神様を想うべき時です

ローマにも福島の子どもたちを内部被ばくから護るために

地道な活動を続けているグループがいることを ご報告します

今後半世紀以上の いや 半永久的な戦いです



話は まだ終わりではない 謎が残った 歌に

♪ つくし ♪ 誰の子 ♪ スギナの子 ♪


あれっ? そうだ スギナがいないぞ !

猛烈な捜索が開始された

捜すこと15分 あったぞ! これだろう いや これに違いない

草の間に一本だけ見つけた

  

この角みたいなやつ 草でもない 木でもない たしかに蘇鉄や羊歯類の顔をしている

これがニョキニョキと延びたら 腰ぐらいの高さのスギナになるのではないか

やっと納得 これで一巻の終わりです

 


 

 

 

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★ 〔補強改定版〕 ローマの復活祭(1)=枝の日曜日

2012-04-04 08:30:32 | ★ 復活祭の聖週間

★ 〔補強改訂版〕

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ローマの復活祭(1)=枝の曜日

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今年はたまたま4月1日 復活祭の日曜日の前の日曜日を カトリック教会は 「枝の日曜日」 と呼ぶ

この1週間は神父たちは結構忙しい

私のようにローマで自由な神父は あちこちから声がかかり たいがい郊外まで出向することが多いのだが

幸い今年は自分の共同体のある市内の「主のご降誕教会」で仲間たちと祝うことができた

この日曜日 イエスが群衆から救世主メシアとして歓呼の声で迎えられ 謙遜にロバにまたがって

棕櫚やオリーブの枝を打ち振り、万歳!ホザンナ!と叫ぶ群衆の中を エルサレムに入城するのを記念する

この日 群衆がイエスに期待したものは革命家 地上の政治的解放者 彼らのメシアだった・・・・

写真は 主任司祭のドン・ピエトロから棕櫚の枝を渡されるアレッサンドラとその後ろは夫のマウロ

みんな20年以上の付き合いの共同体のメンバーだ

ここは教会から直線距離で1キロほど離れた普段はあまり使われない小聖堂

空き屋の小聖堂と言っても 四国の高松の司教座聖堂より よっぽど大きく立派な建物だ

枝の授与式が終ると 信者は行列をして 目的の教会に向かう

エルサレムに向かうキリストと群衆のように

 

光線の具合で上の写真よりやや暗いが 同じ聖堂の中 左手前は棕櫚の枝を渡し続ける主任司祭

棕櫚の枝をもらった信者は祭壇の後ろの内陣に枝を持って立つ

今日キリスト役の主任司祭は 年に一度 自分の教区民一人一人を名前で呼んで一声かける

牧者と羊の絆の確認の瞬間だ だから渡し終えるのに小一時間はかかる

前の会衆席が空になり 祭壇側の内陣が立錐の余地もないほどいっぱいになると

一同はギターの伴奏に合わせて 信仰宣言を高らかに歌い上げる

 

♪ われは天地万物の創造主 全能の父である神を信ず 

 おん独り子イエスキリストを信ず 

 (彼は)聖霊によって宿り 処女マリアから産まれ 

 (人類の罪を贖うために) 苦しみを受けて十字架の上で死に 葬られ 

 三日目に死者の中から復活し 

- - - - - - 

- - - - - -

 (我々の)肉体の復活 永遠の命を信じる 

 アーメン ♪  アーメン ♪  アーメン 


それから一同は小聖堂から外に出て 教会まで行列をして 街を練り歩く

 

   

聖堂の外には 必ずジプシーの女が-たいてい子供を抱いて-物乞いをしている

ちょっと離れたむこうの石段の下では

白いガウンを着せられた少年が配られた棕櫚の枝やオリーブの枝の実費をカバーするための献金を集めている

 

   

教会前の広場は雑然とした駐車場の様相だが 信者はその隙間を埋め尽くして今や遅しと行列の出発を待つ

どこからともなく湧いてきた緑のキャップのボーイスカウトがこんな日はやけに目立つ

 

 

 まさに行列に出ようとする司式者たち 金銀の装飾を施した聖書を胸元に持つのはシルバノ

この小教区に属する3人の永久助祭の一人 司祭が生涯独身なのに対し 永久助祭は既婚者だ

教会からお手当をもらわない名誉職だが お祭りでは結構役がある

右の写真のオリーブの枝で飾った十字架を捧げ持っているのはロレンツォ 彼も永久助祭 

実は 私も同じような司祭の祭服を着て神妙に司祭団の一員をなしているはずなのだが

カメラをしっかり握って手放さない 日本なら 堅物の律法主義的な信者夫人から

祭服を着てカメラを持つなんて不謹慎な とお叱りが飛んでくる いや絶対に!

しかし ここはローマだ 誰も咎めはしない おおらかなものだ

ここの空気が私には合っているのかも・・・

 

行列の通る道はあらかじめ交通規制が敷かれ車は来ない

十字架を先頭にしずしずと

 

     

行列にはこの婦警さん一人だけエスコートしてくれる パトカーは先で道路を遮断している

行列が通りかかるとガソリンスタンドで働く青年も十字を切る

色が浅黒く顔立ちの彫りから見てインド人かスリランカの人だろうか

 

行列はそんなに整然とはしていない 70年代のべ平連のフランスデモみたいといっても もう誰もピンと来る人はいないわけだ

それにしてもボーイスカウトが目立つ イタリアではカトリックのいい子の少年団ぐらいに思われているが

実態はカトリックとは無関係

日本ならキリスト教の教会は圧倒的マイノリティーだから ボーイスカウトと言えば天理教や神社の方が数が多い

要するに軒先を借りられればどんな宗教でもいいという無節操さがある

生真面目な新任の主任神父さんとスカウトのリーダーの間で意見の対立があった

数日後 彼は子供たちを連れて近所の別の宗教に寄生先を変えた

カトリック信者や司祭が加盟すれば即破門になる秘密結社フリーメーソンと どこかで繋がっているという話をローマで聞いた

イタリア人はボーイスカウトの子どもたちと そのリーダの大人たちをからかって

パッツォの姿をした子供たちと 子供の姿をしたパッツォたちの集団

と呼ぶ 「パッツォ」 とは イタリア語で 「気違い」 のことなのだが・・・・

イタリア人たちは平気でどぎつい冗談を言ってケロッとしている

 

 小聖堂を出て緩やかな坂を下ると2000年以上前からあるローマの城壁にぶつかる

そこからVの字に折れて 教会に向かう 教会は旧城外にある

 

道端の柱にはスポーツ雑誌の広告が 

 

城壁からトゥスコラーナ広場までの直線道路の両側のユダの樹は 赤紫の花盛り

キリストを裏切った12使徒のひとりユダの名にちなんだこの木 ユダは後で絶望して首をつって死んだことになっている

一説によると ユダは12使徒の中にタダ一人潜入した熱心党の一味

キリストに地上の革命家を期待し イエスを仲間に引き入れようとしたが失敗した

 こんな華奢な木で首を吊ったのか それとも花の色からユダのの色を連想したものか・・・

 

 

路上駐車の車の屋根越しに美容院のウインドウが

 

   

行列は無事教会までたどり着いた 我々の苦労に満ちた人生の旅路の終点に天国の門が (教会の正面中央のも扉がそれを象徴する)

助祭が捧げた十字架の横木の先でこのドアをコンコンと叩くと バーッと二枚の扉が内側に開く (キリストの十字架の生贄が天の門を開いたといいたいのだろう)

群衆はその扉から聖堂内に入った(写真右) これから枝の日曜日のミサが始まる 

 

 祭壇の周りに子供たちを集めてお話をするご機嫌のドン・ピエトロ主任司祭 彼は常にこの教会のプリマドンナだった

話はとても上手で もう何十年もこの教会に君臨してきた (が 長すぎて弊害もあった)

10年以上前から 彼は司教に昇進するぞ と噂されながら何故かとうとうならなかった

また 今年こそ引退と噂されながら これまた数年が過ぎた 今年の夏こそ と人は言うが ほんとかな?

彼は諸宗教対話に熱心だ その熱が嵩じて 教会の地下に貧しい回教徒たちを住みつかせている

カトリックの聖堂の下で 日夜コーランの祈りが捧げらられているのではないか

私たちカトリック信者の共同体が教会の施設を使うときなど 

ドン・ピエトロから鍵を託されている下働きの色の浅黒い回教徒の信者さんに気兼ねするはめになる

ン? これって何かおかしくない? と日頃から私は疑問に思っているのだが・・・・

昼をとっくに回ったころ 枝の主日のすべての儀式が無事に終った

私たちの共同体は これから郊外のレストランで一緒に食事をすることになっていた

 

   

道端にはタンポポの花が

 

 昔のブドウ農場の倉庫を改造したレストランでくつろいで食事をする

20年以上の付き合いの50人ほどの共同体 互いに生活の裏の裏まで知り合った仲だ 喧嘩もした

こんな席が 自然と本音の信仰の分かち合いの場になる

若い夫婦には子供が多い 子共達ばかりで別のテーブルで食事をとっている

もう年かさの子共達から結婚し始めている たいていあちこちの同種の共同体の子共達同志の結婚だ

こうして強い信仰的空気の中で育まれた子沢山の家庭がネズミ算で増えていく計算になる

 

 

外はもう初夏のような陽気で 新緑が美しい

 

(おしまい) 

 

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