:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ デュッセルドルフ-1

2011-06-25 16:19:09 | ★ 旅行

 

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デュッセルドルフ-1

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空飛ぶ教皇と呼ばれたヨハネ・パウロ2世は、教会の明日を担う世界の青年達と直接交流するために、2年に一度の「世界青年大会」(ワールド・ユース・デー)を世界各地で開催する先鞭をつけ、現教皇ベネディクト16世もそれを継承している。 

今年は8月15日の聖母マリアの祝日を中心にスペインのマドリッドでそれが開かれる。200万人以上の参加が見込まれと言う話も聞いたが、もし本当なら、その日325万人のマドリッド市の人口は一気に1.6倍に跳ね上がる計算だ。 

今回は、その準備として、ヨーロッパの「新求道共同体」の若者たちを対象にした集会がドイツのデュッセルドルフで開かれることになった。

気持ちだけは若者に負けないつもりながら、すでに70歳を超えた私は、ローマから夜行バスで22時間の過酷な旅にはさすがに腰が引けた。しかし、デュッセルドルフと言う言葉の響きには、私にとって特別なものがある。それは、血気盛んな30歳代の半ばに4年近くを過ごした私にとっては最初の海外生活の土地だったからだ。当時、私はコメルツバンクと言うドイツの銀行の社員だった。

ローマの沢山の教会が積極的にこの企画に協力する。ティーンエイジャーから30歳台までの青年男女を中心に、それぞれの教会が独自の企画で参加するようだ。私は、思い悩んだ末、ぎりぎりに「カナダの殉教者教会」の企画に参加を決めた。その教会からは200人余りの若者が、4台のバスを連ねて出かけることになっていて、私は3台目のバスの添乗神父を仰せつかった。

出発の前日の夕方には、参加者を対象に「赦しの秘跡」が執り行われた。このブログの読者の大部分にとって「赦しの秘跡」は聞きなれない言葉に違いないから、念のために解説する。

「赦しの秘跡」とは、別の言葉では「集団懺悔式」、又は「共同告白式」とも言う。要するに、大勢で集まって、聖書の言葉を聞き、聖歌を歌い、その後で一人ひとり神父に近づいて前の懺悔以来の自分の罪を告白し、神の名において赦しを受けるという式だ。

皆の前、聖堂の各所に立つ司祭の一人に近づき (この日はたまたま200人の若者に対し9人の司祭が聞き手にまわった)、みんなの見守る中、立ったまま司祭と向かい合い、自分の罪を赤裸々に、しかも淡々と告白する若者たちの姿は、罪にまみれて70年の人生を歩いてきた老神父にとっては、毎度のことながらとても感動的な場面である。

青年たちは司祭にはっきり聞きとれるしっかりした声で告白する。そんなことをしたら周りの人にまる聞こえだろうと心配するなかれ。それを、ギターに合わせて聖歌を歌う歌い手の声がかき消すから、3メートルも離れれば告白者と司祭の会話は近くの会衆に全く聞き分けられない仕掛けになっている。

このセレモニーは、次の日バスに乗って2000キロ近い巡礼の旅に立つための絶対不可欠の前提なのだ。心の奥に罪の影を宿したままでは、稔りある巡礼は期待できない。

いま時の日本の若者たちの中に、自分が神の前に罪人であることを認め、自分の心の動きのどの部分が罪であるかを意識して正直に告白し、その赦しを神に求める真摯な魂がどれだけいるだろうか。その意味で、イタリア社会は世俗化し堕落したとはいえ、腐っても鯛、まだキリスト教社会の残滓は一部に息づいていると思った。

次の日、午後5時半の集合で、実際にパスが動き出したのは7時半と言うのも、日本人の私には、今もって理解できないのだが、サービスエリアの15分のトイレ休憩が簡単に40分~45分に延びるのもイタリア的と言えばイタリア的だ。



夜が明けて、まわりを見ると北イタリアの山岳地帯だった。スイスとの国境を過ぎて湖のほとりを走って、また国境を超えて南ドイツに入る。


遅い昼食がホテルで待っているから、先を急ぐぞ。トイレ休憩は15分厳守! と言っても、全く効き目は無い。てんでに、好きなようにたばこを吸ったり、パニーノ(サンドイッチ)をかじったり、おしゃべりをしたり・・・いい気なものだ。



何しろ、4台のバスに分かれている自由奔放なイタリア人の若者200人余りを統制するのは並大抵のことではない。恐れた通り、ホテルには5時半過ぎに着いて、遅い昼食の話はいつの間にか消え失せていて、しかも誰も文句を言わない。馬鹿正直に何も食べずにバスの中で出発の早からんことを祈っていた日本人神父が分かっていないだけの話なのだ。腹を減らして不機嫌になるだけ損と言うわけ。

長時間かけて部屋割をして、夕食が終わったのが8時過ぎ。昨晩はバスの中でほとんど寝ていない。やれやれこれでやっとベッドに入れるか、と思ったら、10時からミサをするだとさ。何が10時なものか。10時になんか始まるわけがないとふてくされて、10時半にホールに下りていったら、係りがミサの設営中。まだほとんど誰も来ていない。ミサが終わったら深夜をはるかに過ぎていた。

そのミサの最後には祭壇のまわりを輪になって踊る。復活したキリストの喜びがあふれる高揚した瞬間だ。



明けて、集会当日の朝。宿から会場のスタジアムまでの6-7キロの道のりは、徒歩で巡礼することになっていた。



ドイツ語で用意した「神様はあなたを愛しています!」 などと書かれたスローガンの横断幕を先頭に、長い列をなして進む。

 

ギター、ボンゴ、バイオリン、タンバリン、カスタネット、持って歩ける楽器なら何でも、を奏でて、歌いながら練り歩く。途中、歩き疲れると道を逸れて公園に入り、芝生の上で朝の祈りを唱え、歌を歌う。



歌えばみんな踊り出す。黒い服の若者はやがて神父になる神学生達。



また道へ出て会場までの残りの道を歩く。ドイツ語が出来ればそれに越したことは無いが、イタリア語でも、スペイン語でも、何でも、相手に通じる言葉を探して、片端から道行く人に語りかける。人々は好奇心の目でながめ、アパートの窓から顔をのぞかせる。

若者たちの話に耳を傾ける道行くドイツ人


ライン川の橋を渡って左に折れると、後は会場まで川沿いの道を行く。ラインはヨーロッパの河川交通の幹線だ。大型の船がひっきりなしに上下する。


目的の会場のスタジアムが近付くと、前晩デュッセルドルフの郊外や、近隣の町や、オランダやベルギーなどに泊った全ヨーロッパからの若者たちが続々と到着し、指定のゲートから続々と中に入る。



午後3時ごろ、ほとんどの若者を飲みこんだ屋根付き大スタジアムは、若者の熱気にむせかえった。椅子も何もないフィールドは座り込んだ若者で一杯。

 

10万人ぐらい入るかなと思われる会場、長辺に大きなステージが設置され、その正面のスタンドは最上段まで、左右が中段まで、約3万人の若者で埋まった。

  

 

ステージの後ろにはキコ氏の描いた壁画の巨大な幕が。天井には同時通訳のFM電波の周波数が。ここには8カ国語が上がっているが、実際にはモナコなどの小国も数えると45ほどあるヨーロッパ諸国の内20カ国前後から若者が来ている。

   

 

ここでこれから一体何が始まるのか?


   

                                            それは次回のお楽しみ!


                   (つづく)

 

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★ 教皇暗殺 (完)-改訂補足版

2011-06-06 17:30:46 | ★ 教皇暗殺事件

 

 

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教皇暗殺事件 (完)

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一枚の写真に端を発して、実に長く続いたこのテーマ。無理やりねじ伏せて、今回できっぱり終わりとします。今度は本当です。ご安心ください。

 

最終回は、かいつまんで最後に残った4つの問題点をざっと処理します。 

 

    あの写真は本物か?

    巨大な嘘と小さな嘘

    ファティマの予言は完結したか?

    では秋田の聖母のメッセージは?

 福島原発と関係があるのか、ないのか?

 

 私は今、ドイツはデュッセルドルフの空港ターミナルビルにつながったマリティムホテルの広々としたロビーのソファーに腰を下ろし、耳に優しいBGMを聞きながら、黒ビールを片手にこれを書きはじめている。

 実は、昨日の午後エアーベルリンの格安切符でロ―マに飛ぶはずだった。ところが、チェックインの手続きがなかなか進まない。やっと電話を置いたカウンターのお姉さん。済みません「ダブルブッキング」が発生しました。本機はあいにくすでに満席です。まことに残念ながらお乗せすることが出来ません。

被る不利益をひとしきりアピールするのを聴き終わった彼女は、迷惑料として100ユーロお支払いする。食事つきの5つ星ホテルも用意した。これで赦してくれないか、と条件交渉に出た。

現役の銀行マン時代なら、他社便を乗り継いででも今夜中にローマに飛ばせろと言っただろうが、今は貧しい優しい神父さん。これも格安切符に伴うリスクのうちか、とあっさりと妥協した。一日遅れにはなるが、結果的に100ユーロ以下でローマまで飛べて、おまけにタダ飯付き豪華ホテルでゆっくり休めるのもまんざら悪くない。

今朝はバスタブにたっぷり熱いお湯をはり、くつろいだ。何しろ、温泉好きが、ローマの神学校では何カ月もシャワーだけの生活に甘んじているのだから、まずは極楽だ。

 

しかし、何故デュッセルドルフへ?それは次のブログで。だから、今は内緒! どうぞ、お楽しみに。

 

   

ホテルのロビーから勤務に向かうクルー達              エアーベルリンの主翼のフィン    

 

とにかく、上の4つの点に短く答えて、教皇暗殺のテーマときっぱりお別れしなければならない。

 

   あの写真は本物か?

私は「断固偽物、合成写真」だとして譲らない。フォトショップのソフトなどをうまく使えば簡単に出来そうな気がするからだけではない。

 

自分のカトリックの信仰の中に、世の低俗な心霊写真の次元を持ち込みたくないという思いも確かにある。しかし、何よりも、私が日ごろお付き合い申し上げている神様やマリア様がそのような悪趣味のお方たちでないということをよく知っているからだ。

 

   巨大な嘘と小さな嘘

世の中には我々貧しい庶民を虫けらぐらいにしか思っていない一握りの人間たちがいる。私は国際金融マン時代に彼らと非常に近い距離にいた。そいつらは時として-いやしょっちゅう-とんでもない巨悪を行い、平気で大ウソをつく。

 たとえば、ドイツでは、市電やバスや地下鉄には日本のような自動改札機がない。ただ乗りしようと思えばやり放題だ。ところが、たまに抜き打ち検札員が突然乗り込んでくる。現行犯は、過去数週間、いや、数カ月の得した分を全部吐き出すほどの罰金を取られたうえ、公衆の面前でこっぴどく辱めを受ける。だから身に沁みて、もうやめようと思うのである。

ところが、巨悪がやらかす犯罪行為は、電車のただ乗りのようなかわいらしいものではない。しかも、でかいほどやり得の上、お咎めが全くない。人一人殺せば、時効まで怯えて逃げ回らねばならないし、捕まれば死刑か無期が待っている。ところが、何千人、何万人を殺せば、英雄として讃えられる。戦争が終わっても、裁かれるのは負けた方の指導者だけで、勝った方は同じようなこと、いや、もっとひどいことをやらかしても決して裁かれることがない。だから戦争はやる以上は絶対に勝たなければならないのだ。

 ケネディーを暗殺して歴史の流れを変え、自分は信じられないほどの利益を手にしながら、オズワルド独りに罪を着せて大ウソをついて口を拭っている巨悪がいた。

最新の電子誘導技術と全米の航空管制システムを巻き込んで歴史に残る一大惨劇を演出しておきながら、それを一握りのアラブゲリラのハイジャック事件と言う大ウソで幕引きを謀り、おまけに反国際テロの戦いという大義名分を国民から白紙委任で取り付けて、イラク、アフガニスタンへと進攻した巨悪に対しても、不思議なことに表立って疑問の声が上がらないのはなぜか。

 

教皇が暗殺され、奇跡的に一命を取り留めたことが世界の記憶に残らず、その背景も深く追究されずにあっさりと歴史的過去に葬られようとしている。

 


世界の大衆、庶民を私は決して馬鹿だとは思わない。彼らは、巨悪の存在を動物的嗅覚でうすうす感じとっている。それが、しょっちゅうとんでもない見え透いた大嘘をつくことも知らないわけではない。福島原発事故に関する東電や政府の嘘も、可愛いいながらその系列に属する。しかし、庶民、大衆はなぜかその巨悪の吐く嘘を甘んじて受け入れ、進んでそれを信じるそぶりをして見せる。嘘に騙されそれに酔うことに心地よさと安ど感を得ているようにさえ思われる。

 それは、自分たちも小さいは小さいなりに薄汚れていて、叩けばホコリがいっぱい出ることを知っているからだ。巨悪をまかり通らせてやろう、そのかわり自分の小悪もお目こぼし願いたい。あれに比べれば自分なんて善良なものさ、と言って自分を慰め居直るための必要悪なのだろうか。

例外的に、真実を求め、正義を要求する変わり者が現れると、みんな「お願いだから面倒を起こさないでくれ、騒ぎを始めないでくれ。お前のような存在はかえって迷惑なんだよな」と言って押さえにかかる。

それでも頑張る馬鹿がいると、民衆は彼を権力者に売り渡し排除する方向に走る。少なくとも、私は知りません、関係ありませんという態度をとる。一方、大真面目に立ち上がった正義漢も、民衆はついてこない、とても勝ち目はないと悟ると、いつの間にか大人しくなる。やり過ぎて消され犬死した先例からも学んで賢くもなるだろう。

人類の歴史の中に、たった一人、とんでもない大馬鹿がいた。2000年前のパレスチナに生きた歴史上の人物、ナザレのイエスがその人だ。彼は、当時の同胞ユダヤ人の偽善と諸悪を向こうに回しただけではない。地中海世界の覇者であったローマ帝国の政治的、社会的、道徳的悪を全部向こうに回しただけでもない。誇大妄想もそこまで行くかとあきれるほど、人類の最初の人間から、歴史の終焉を目撃するであろう最後の人間たちに至るまで、生きとし生ける全ての個人と集団の外面的、内面的一切の悪を根源的に正し、罪を償い、神と和解させ、罪の結果歴史に入った死を打ち倒し、復活と永遠の命を回復しようという狂気の野心に燃えて、一人立ち上がった。さっそうと舞台に登場し、救世主の魅力で民衆を引きつけ、この世の悪の根源に毅然と立ち向かった。しかし、その過激さに肉親は彼を狂人と思い、世俗的見返りを期待して追随した弟子たちも、そのあまりの純粋さの前に引けてしまって、最後には皆彼から離反した。孤立し、結局は十字架の上で想像を絶する苦しみの中で哀れな最後を遂げ、全ては失敗に終わった。

彼を信じて彼の真似をする者は、みな彼と同じ運命を辿る。復活を永遠の喜びを信じることの出来た人は幸いだ。

【補足】

私はこのブログの主たるターゲットとして、キリスト教徒でない人、特にカトリック信者でない人に、自分の信仰の世界がどれぐらい共感を呼び得るかということを試すこと、を置いている。だから、こういう書き方になる。しかし、現実には、クリスチャンの方々も結構見ておられることを感じる。その方々は、上のような突き放した終わり方では物足りないというか、不満を持たれているようだ。カトリックの神父ともあろうものが・・・と言う非難も招きかねないことを承知している。そこで、多少それを和らげるために、1-2 付言したい。

第一は、キリストは確かに失敗者としての姿を持って生涯をおえた。釈迦牟尼やマホメッド(ムハンマド)のように、一大宗教の教祖、開祖として、弟子たちに囲まれて大往生を遂げることは無かった。それなのに、一旦は散り散りになった弟子たちが、キリストは復活した、死に打ち勝った、永遠の命が我々にも与えられたと言い出して、激しい迫害にも沢山の殉教者の血を流しながら耐え、貧しい人たちを中心に広まり、4世紀初めにはローマ帝国の事実上の国教の地位に着き、以来今日まで綿々と続いている。その人口も今日現在:

キリスト教全体  19.0億

回教        10.3億

ヒンズー教     7.6億

仏教         3.4億

と言う順番だ。敗者の宗教のパラドックスを私はそこに見る。

第二は、キリスト教を信じることのなかった人も、キリスト教の説く永遠の救いに与る豊かなチャンスがある、ということ。

こう書けば、キリスト者も不満をひっこめてくれるだろうか。だからどうした、と言う問いはすぐ出るだろうが・・・

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地中から掘り出され6年ぶりに地上の空気に触れた

福者ヨハネ・パウロ2世教皇の棺

 

    

     ファティマのマリア像の冠にはめ込まれた

     教皇を撃った銃弾

    ファティマの予言は完結したか?

教皇ヨハネ・パウロ2世は、ファティマの予言通り、凶弾に斃れ、しかし奇跡的に助かった。バチカンは、これをもってファティマの予言は完結し、過去のものとなったという「公式見解」で幕引きをしたがっているように見受けられる。

バチカンの中の巨悪と戦おうとしたヨハネ・パウロ1世は即位33日目に謎に満ちた死を遂げた。しかし暗殺の噂が消えない。ヨハネ・パウロ2世は予言通り銃弾を受けた。彼の歴史的な役割を思えば、KGBの犯行説も頷ける。

では、ヨハネ・パウロ2世ほどの歴史的インパクトをもった教皇が再び現れたとしたらどうだろう。私は、歴史は繰り返すと思う。

教皇が、巨悪に対して、信仰と道徳の立場から一歩も引かぬ姿勢を貫いたら、同じ運命を辿らないと誰が保証出来るだろうか。

反対もまた真実かもしれない。第二次世界大戦中教皇であったピオ12世のことを、ヒットラーのナチスに対して対応が十分厳しく無かったと言って非難する人がいる。600万人のユダヤ人の虐殺や、広島・長崎の原爆を回避する鍵を彼は確かに握っていたはずだった。かれは殺されなかった。

カトリックの教会の内部にいるいわゆる進歩派の中には、避妊や少子化に対すて教会の従来の厳しい妥協のない教えを和らげたり、司祭の妻帯や女性司祭に対して道を開こうとしたり、あらゆる世俗化の現象に水面下で妥協を図ろうとするような動きがある。それに対して、保守頑迷のレッテルをはられることを恐れず、毅然として立ち向かう教皇に対しては、巨悪による排除の理論が教会の内部からも働く可能性は常にある。教皇ヨハネ・パウロ1世の無念の死はその例ではなかったのか。

私は、現教皇ベネディクト16世が公衆の面前に身をさらす時にふと見せる、固い身のこなしや、何処となく怯えたような彼の目付き(少なくとも私にはそう見える)を見る時、彼自身もいつやられるかわからないという思いを抱いているのではないかと余計な想像をしてしまう。彼の身辺のセキュリティーがなりふり構わず厳重であることと合わせて、そう思うのである。


まだ気になることがある。、ヨハネ・パウロ2世に対してはアリが一人で2発のピストルの弾を発射したが、ファティマの第3の予言の終わりの部分をよく読むと、「一団の兵士が」「何発もの銃弾を」と言う言葉がある。これはまだ実現していないのではないか。同じような悲劇がこれからもまだあるという意味ではないか。

 

    では秋田の聖母のメッセージは?

 福島原発と関係があるのか、ないのか?

  私がまだドイツの銀行で働いていた頃、秋田市郊外の湯沢台で、身の丈せいぜい60センチほどの白木のマリア像が100回あまり涙を流したという出来事があった。私も、日本に帰国した折に、予告なしに雪道を訪ねて行ったことがある。修道院に至る最後の急な坂でタクシーがスリップして、進まなくなり、20~30分時間をロスして辿りつくと、2-3人のシスターと数人の敬虔な婦人たちが祈っていた。異口同音にたった今までマリア像は泣いておられました。ほら見てくださいという。

  見ると、顎から胸、足もとまで濡れた跡があり、水を吸った像の木肌が変色していた。この素朴な人たちが、不意の訪問者の前で口裏を合わせて狂言をしているとは思えなかった。その意味で、私もその涙の半目撃証人の一人だと言っていいだろう。

  大切なのは、不思議な出来事そのものではない。その出来ごとに伴って与えられた聖母マリアからのメッセージである。今ローマに居て詳しい資料は手元にないが、要は、耳が聞こえなくて重度の障害者手帳を持っていたシスターSに「世界がこのまま罪深い生活を続けるなら、災いが来る。そうならないように、悔い改めて回心の業に励みなさい。」と言う趣旨のメッセージであったと記憶する。これは、特に戦後の日本のなりふり構わぬ拝金主義、享楽主義に向けられた一種の警告ではなかっただろうか。日本のカトリック教会の中枢部は、一度は一連の不思議な出来事とメッセージを、シスターS個人の「超能力」によるもとして公式に否定した。(超能力なんてカトリックの神学概念にあっただろうか?)自ら涙の目撃者であり、その結論に満足しなかった地元の司教様が、自分の良心かけて独自に再調査し、教会の信仰と道徳に反しないと結論付けて今日に至っている。

  私は、当時そのようなメッセージに大した注意を払っていなかった。ただ、そのメッセージを受けたシスターSが、重度の障害にも関わらず、底抜けに明るい健康な精神の持ち主であったことと、何度かの訪問を通して、私の心病んだ妹に対して常に優しく、妹も非常になついていたことを懐かしく思い出す。彼女は、勘のいい人で、人の唇を読むことに長けていたから、一対一で顔を見合わせている時は、普通の人のように会話が出来る。しかし、後ろから声をかけても全く気付かない。

  そんな彼女が、マリア様からあらかじめ告げられていた通り、ある日ミサの中で聴力を回復した。祭壇で鳴らされた鈴の音を聞いたのをきっかけに、奇跡的に治った。彼女は、その後正直にも、感謝しながら保健所に長年所持していた障害者手帳を返しに行った。私は、以前には全く不可能だったこと、つまり遠隔の地にあって彼女と電話で話すことを、その後何度もしたのだった。

  福島の原発事故が、マリア様の予告した「災い」と関連付けて考えることは不自然だろうか。不謹慎だろうか。私たちは真剣に悔い改め、回心しなければならないのではないだろうか。

 

 

本当にこのテーマはこれでお終い!

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