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バチカンに咲く不思議な桜
6分咲きで、もう真っ白く散り敷く? 何故??
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桜の花は満開を迎えたかと思うと、はや散り始める。花の命はみじかくて・・・、と歌にもなるほど、いさぎよく散り急ぐところが、日本人の美意識にピッタリくるものであるらしい。
しかし、どこの花博士に聞いても、いさぎよすぎて、6分咲き、7分咲きで、はや地面が真っ白になるほど散り急ぐ慌てものの桜なんて聞いたことがない。
人工交配種のソメイヨシノでも、散るのは満開を過ぎてからと相場は決まっている?まして満開期の長い山桜系では、絶対にあり得ない話ではなかったか?
それがローマにはあったのだ!それもバチカンの庭園に!!
かつて四国の東かがわ市が、四国に「宣教神学院」を開いたもらった記念として、聖教皇ヨハネパウロ2世にソメイヨシノの苗木20本あまりを寄贈しようとしたことがあった。
20世紀末から21世紀への変わり目に、息の長い交渉の甲斐あって、2004年に実現したプロジェクトだった。そこへ阿波踊りの乗りの良さで、徳島の文化人有志が山桜系の「蜂須賀桜」5本をかついで合流した。
去る2月20日、4年ぶりで3度目に同じ徳島のグループが、外務省政務官のフランシスコ教皇宛桜親書を携えて、花見に訪れた。皆さん洗礼を受けたカトリック信者ではないのだが、その2日前には朝から教皇の一般謁見に参列し、11億の信者の頂点に立つ法王の姿を間近に見て感激のひと時だった。
目の前1-2メートルのところを11億の民(信徒)を束ねる教皇フランシスコは通過した。
3億のオバマ大統領でも、1億の天皇陛下でも、こう近しくはいかない
7-8か国語を駆使して呼びかける教皇フランシスコ
ミケランジェロのデザインした派手な制服のスイス衛兵
さて、いよいよバチカン庭園で目出度く花見の会となった。午後は人払いして、教皇が護衛もつけず散歩ができるバチカンの奥まった庭園に私たちだけで自由に入った。
10年前、私が徳島の農園で一本ずつ念入りに吟味して選び、慎重に空輸した苗木は、私の親指の太さ、私の背丈ほどのひょろりとしたものだったが、今は幹の周りが60センチの立派な樹に育って、蜂須賀桜はちょうど6-7分咲きという頃合いだった。
みんなで ♪「さくら、さくら」♪ を合唱し、木の升に日本酒を満たして乾杯をした。銘柄もズバリ蜂須賀桜、ときたものだ。
♪
木に近寄って見ると、まだ固い蕾をいっぱい残して、満開までは1週間はあるかと思われた。それなのに、木の下の芝生を見ると、何としたことか、そこには花がもう真っ白に散り敷いているではないか。
私はその異常さに目ざとく気づいて、ギョッとした。これは日本では絶対にあり得ない光景だ!だのに一体何故?
しかも、この異変に気付いているのはもしかして私だけ?
ギャー!という叫び声が桜の木から聞こえた。木の枝で何かが動いた。咲いたばかりの花が一つヒラヒラと落ちてきた。またギャー!と聞こえて、また花がヒラヒラ と落ちてきた。ああ、なるほどこれか!と納得がいった。
カメラのズームを1000ミリの望遠にして枝の間を探していると、居た、居た!青い羽に緑の長い尾。小さな目に曲がったくちばし。多分野生のインコの類だろう。そいつらが数羽、咲いたばかりの桜の花を、嘴で一瞬くわえたかと思うと、下へポイと落とす。これで地面に散り敷く白いものが、ばらばらの花弁ではなく、五枚の花びらがまだくっついたままなのも理解できた。
鳥は花の中心の一滴の蜜を吸って、その花をポイと下に落としていたのだった。
日本にはこの手の野鳥はいない。そしてヨーロッパではここにしか 蜂須賀桜 はない。
私も子供の頃、満開のつつじの植え込みに入って、花を取って、チュッと甘い蜜を吸ってはポイ、をして遊んだのを懐かしく思い出した。大人になってからも、ある少女に真っ赤なサルビアの花の蜜を吸うことを教えてもらって、二人で夢中になって吸って楽しんだこともあったっけ。
日本の鶯も同じ目的で梅の花に寄るのかもしれないが、花を食い散らかして落とすような不作法は聞いたことがない。イタ公のインコはいたずらが過ぎるというか、やることがいかにもイタリア人らしいな、と思った。
最期に大役が残った。外務省政務官の教皇宛て桜親書を教皇フランシスコに手渡すという大任がまだあった。その親書は霞が関の外務省から発つ直前の一行に関空で届いた。一方、私に予告が入ったのはその2日前だった。メールに添付された本文のイタリア語訳を準備するだけでも冷や汗ものの綱渡りだった。まして、バチカンの高官とアポイントメントを取って、荘厳に手渡し式を演出し、証拠写真を撮って日本の外務省に送る段取りをつける時間の余裕など全然なかった。
幸い今の清貧の教皇は、伝統ある贅沢な教皇宮殿の奥まった最上階に住むことをやめていた。花見した桜の園から地続きに、国務省の前を通って、人気の少ないバチカン国鉄の終着駅の角から坂下のガソリンスタンドのある広場を横切れば、教皇の部屋があるアパート「サンタマルタ」の玄関まで、制止する衛兵に遭遇することもなく徒歩で近寄れることは知りぬいていた。
徳島からの一行 教皇が他の職員と一緒に住む質素なアパート「サンタマルタ」をバックに
エイ!ままよ、ぶっつけ本番のハプニング以外に名案はない。みんなでパパ・フランチェスコのアパートに押し掛けようではないか。入り口には地味な服装の警備員が二人立っていた。
一同を10メートルほど手前に待機させ、団長さんと二人で警備員に近づき、趣旨を話すと、「了解、《親書》はそこの詰め所でお預かりいたします」と慇懃に応対してくれた。
アパートなら、ピンポーンとチャイムを鳴らして、「教皇さーん、宅配便でーす!」と言えば、ドアが開いて教皇さんがハンコを片手にヒョイと顔を出すかと思ったが、なかなかそううまくは行かないものだ。
これで後日、教皇フランシスコのサイン入りの返書が無事外務省に届いたら、俄か大使の重責は果たされたことになるのだが、さて、結果やいかに。
(おわり)