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教皇フランシスコ 〔改訂版〕
― 教皇の生前退位と新教皇選出劇の裏を読む ―
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新教皇フランシスコについて何か書かねば、何か書きたい、と思いつつ、あっという間に51日が過ぎてしまいました。こんなに長い間ブログの更新を休んだことはかつてありませんでした。しかし、一時ローマを離れて、旅烏を続けている私に届く情報は極めて限られていて、しかも、多くは二番煎じであるうえ、全てに目を通す時間もありません。だから、いま書けることはと言えば、行間に感じ取る私の個人的・主観的印象だけです。間違っているかもしれないし、論証不能な一方的な思い入れの域を一歩も出ないとも言えます。でも、いつまでもブログ更新を怠っているわけにもいきませんので・・・。
(1) コンクラーベ
どういうわけか、ローマ教皇の退位と選挙が日本のメディアにこんなに賑やかに取沙汰されたことがかつてあったでしょうか?
おかげで、コンクラーベが日本語の 「根くらべ」 のイタリア語なまりではなく、「鍵で閉じ込める」 と言うラテン語であることぐらいは、今や日本人の常識でしょう。それはスマホやアイポッドなどのなかった中世に、選挙人・被選挙人の枢機卿たちを、外部の政治的、宗教的、経済的勢力の圧力や干渉から遮断する上では効果的だったでしょうが、現代にどれほどの意味があることか・・・?
(2) 黒い煙と白い煙
選挙の行方を外部の人が推し量る唯一の手がかりは、伝統的にシスティーナ礼拝堂の屋根の上の煙突から出る煙の色だけであるということは、裏を返せば、繰り返される投票の結果がどうであれ、その記録と証拠を一切残さないために、毎回投票用紙を即座に焼却処分する必要があったということでしょう。
また、コンクラーベの中でどんなに熾烈な駆け引きや戦いがあったとしても、一旦誰かが三分の二以上の得票を得て選ばれたなら、システィーナ礼拝堂から再び世間に出てくる枢機卿たちは、その経緯について、墓場まで完全に秘密を守り通すという約束事が厳格に守られねばならない決まりです。そのことは、今回のフランシスコ教皇の選出後、彼を選ぶに至ったコンクラーベの中身がどうであったかについて、一切何も漏れてこないことからも明らかです。
そう考えると、今回の選挙直前の下馬評にホルヘ・ベルゴリオ枢機卿の名前が全く上がっていなかったことが良く理解できます。それは、前のコンクラーベの中身の機密厳守が良く機能したことを物語っています。しかし、前回のコンクラーベに臨んだ枢機卿たちは彼が今回の最有力候補の一人であることは、コンクラーベに入る前から先刻承知のことであったわけで、とりわけベネディクト16世はそのことを一番強く意識していたに違いありません。
(3) 緘口令にほころびが?
その緘口令が次の教皇の選出の頃には解除されるということなのでしょうか。そうではありますまい。
だとすれば、教皇フランシスコが誕生した途端、どこからともなく「実はベネディクト16世を選んだコンクラーベで、ベルゴリオ枢機卿は第二位の得票だった」とか、「決選投票の前の投票の結果では、どちらも3分の2には達しなかったものの、ベルゴリオがラッツィンガーを抑えて優位に立ったらしいのに、ベルゴリオが『どうかわたしを選ばないでくれ』と涙して同僚枢機卿たちに懇願し、その結果、最終投票ではベルゴリオが票を大幅に減らして二位になり、ラッツィンガーに3分の2以上の票が集まった。」と言うような「いかにもありそうな裏話」がまことしやかにささやかれていのは一体どうしたことでしょう。
誰も「わたしがリークした」と名乗り出て、証拠をもって真実を語る立場にない以上、結局全ては闇の中ですが、いずれにもせよ、ベネディクト16世教皇自身は自分が選ばれたときの経緯を忘れたはずは決してありません。
(4) スキャンダル
初のドイツ人教皇ベネディクト16世が、若い頃ヒットラーユーゲントと関係があったとか、ペドフィリア(小児性的虐待)問題の処理に責任があったとか、「烏(カラス)」事件、つまり教皇の寝室から機密文書が執事を通して漏えいしたスキャンダルや、バチカン銀行による黒い資金の洗浄疑惑、それにとどめを刺すかのように、バチカンのナンバー2(国務長官)のベルトーネ枢機卿の身辺にまで黒い噂が立つに至って、バチカンの混沌は収拾がつかないところまで行ってしまった観がありましたが、それでも突然の生前退位の爆弾発言直前までは、教皇が最側近のベルトーネ国務長官を更迭し、蜥蜴(トカゲ)の尻尾切りで彼に一切を負っ被せて去らせ、新しい国務長官を任命して体勢の立て直しをはかる以外に手はないのではないか、と考えていました。
(5) 生前退位
しかし、結果から見れば、急激に体力が弱ってきた(特に足が衰えた)ベネディクト16世ではありますが、もともと学究肌で政治家ではなく、行政手腕に長けてもいない老人として、新しい国務長官を選んでそれと組んで体制の立て直しをはかる気力も興味もすでに失せていたのではないでしょうか。
それよりも、自分が生前退位という600年ぶりのウルトラCを使って、全ての問題を未解決のまま一身に背負って ― 国務長官も道連れに ― 自分とともに過去に葬り、新しい教皇に注目が集中し、新しい体制がダイナミックに動き出す陰で、諸問題を静かに埋葬する道を選んだのではないでしょうか。今のところその目論見は的中しているように見受けられます。現に、誰も新教皇フランシスコを前教皇の末期に騒がれていた過去の諸問題の新しい追及ターゲットとして責任を迫る気配が全くみられないからです。
(6) ではそれだけでしょうか?
今回の教皇交代劇には、待ったなしの時間とのギリギリの競争がなかったでしょうか?偉大な福者教皇ヨハネパウロ2世の没後のコンクラーベでは、決選投票に残った二人の間で時間の問題に関して何らかの暗黙の駆け引き(あるいは「無意識の数合わせ」とでも言い換えましょうか)がなかったでしょうか?その要素は
① 福者教皇ヨハネパウロ2世が亡くなられたときすでに78歳だったラッツィンガー枢機卿にとって、すぐに自分が後継教皇に選ばれなければ、年齢的に次のチャンスは絶対にないことはだれの目にも明らかだったこと。
② 福者教皇が亡くなった時まだ69歳だったベルゴリオ枢機卿には、「次の教皇」が短命なら、まだ「次の次」の座につくチャンスがあったこと。
③ ずば抜けて偉大だった福者教皇ヨハネパウロ2世直後では、誰が新教皇になっても、見劣りは絶対に避けられないこと。
この ①、②、③ の要因を調和的に融合させる道は、
教皇ヨハネパウロ2世 → ラッツィンガー枢機卿 → ベルゴリオ枢機卿
の流れ以外によりよいシナリオはなかった、と言うことではなかったのでしょうか?教皇ベネディクト16世が退位した時、ベルゴリオ枢機卿は既にベネディクトが登位した時のより二つ若いだけの76才に達していたことは、それがぎりぎりのタイミングであったことを物語っています。
(7) 教皇フランシスコの名前
歴代266番目の教皇が、史上初めてアシジの聖フランシスコの名を採ったことの意味合いは何だったのでしょうか?
彼は魚や小鳥に説教をしたという詩的な逸話で有名な ― ある意味で日本人に最も知られ愛された ― カトリックの聖人です。聖フランシスコの最大の特徴は、①「清貧の聖者」、②腐敗し堕落した当時の教会を刷新し立て直した「改革の聖者」、だったことです。
聖フランシスコが世を去ってから約800年にわたって、誰もその名を自分の教皇名として採用しなかったということは、裏を返せば、誰一人として「清貧の教皇」、「教会刷新と立て直しの教皇」を表看板に堂々と掲げる勇気を持ち合わせていなかった、と言うことではなかったでしょうか。新教皇が名前負けしない偉大な業績を残すことを祈りたいと思います。
(8) 「黒い教皇」か「白い教皇」か?
イエズス会と言う修道会の世界のトップ、つまりバチカンの目と鼻の先に国際本部を構えるイエズス会の総長は、いつのころからかその黒い僧服にちなんで「ブラックポープ(黒い教皇)」という異名を戴き、バチカンを、そして世界のカトリック教会を、裏から操る陰の権力者とささやかれるようになっていました。
今のニコラス総長は、イエズス会の元日本管区長を務めた人物ですが、その二代前のペドロ・アルぺ総長も元日本管区長でした。私は若い上智の学生だった頃、四谷の聖イグナチオ教会でこのアルぺ管区長のミサに与かり、侍者の役を度々務めたことがあり、親しみを覚えるのですが、彼は黒い教皇になった後、初代総長聖イグナチオ以来歴代終身制であった伝統を破って、1983年に生前辞任しました。
表向きは前教皇同様に健康上の理由からでしたが、いくつかの点で福者教皇ヨハネパウロ2世との方針の違いもあり、辞任に追い込まれたというのが真相のようです。黒い教皇が白い教皇に対して弓を引いて逆に敗れたということでしょうか。
白い教皇に一致しない黒い教皇アルぺ総長の方針に同意できなかったアルゼンチンのイエズス会士ベルゴリオ管区長(つまり、新教皇フランシスコ)は、抗議の印として管区長の職を辞任しました。
その辞任を受けて教皇ヨハネパウロ2世は彼を首都ブエノスアイレスの大司教に取り立て、さらに自分の後継者としての被選挙権のある枢機卿に任命したのでした。その時すでに黒い教皇への道をなげうったイエズス会士ベルゴリオに、後日白い教皇になる道が準備されていたということも出来ましょう。
現在の黒い教皇ニコラス総長は、おおむね二代前の故アルぺ総長の路線を受け継いでいるのではないかと思われますが、同じイエズス会出身の白い教皇と黒い教皇の対峙と言う図式が、奇しくも新たに再現される結果となったと言えないでしょうか。
これは「インカルチュレーション」(福音の土着化)と言う「間接宣教」のイデオロギーと、「ケリグマ」(良い知らせ=福音)を単刀直入にぶっつける「直接宣教」の対峙の図式でもあるのです。
この「インカルチュレーション」については、私の近著 《 司祭・谷口幸紀の 「わが道」 》 (フリープレス刊) の第III章 「キリスト教が異文化に受肉する条件」 に54ページにわたって展開していますので、ご一読をお勧めします。 ↓ をクリック!
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(おわり)