:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 鬱(うつ )、又は、 引き篭り? 「 あるカブトムシの物語」

2023-08-04 00:52:52 | ★ 自然・いのち

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鬱(うつ )、又は、 引き篭り?

あるカブトムシの物語

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 4月のある日、お友達の M さんと R さんと3人で野尻湖の家に行きました。

 長野県の県境を越えて新潟県の「新井の道の駅」に行ったとき、ふと私の目に止まったのが「マット交換なしで成虫になります」「カブトムシ 本体価格500円」という直径10センチ高さ15センチの透明なプラスチックの円筒でした。

 よく注意すると、焦げ茶色のマットの中に、ローソク色をした太い 5 センチほどのカブト虫のかなり成長した幼虫が体を丸めているのが筒のプラスチック越しに見えました。

 遥か少年時代の好奇心が頭をもたげて、つい衝動買いしてしまいました。そして2日後にはその筒を薄暗い部屋に残したまま、東京に帰って忘れてしまいました。

 7月の半ば過ぎ、甥っ子の H とその長男の小学1年生の S と3人で、甥っ子が私の車を運転して3泊4日で野尻湖の家に遊びに行きました。草刈りをしたり、木を切り倒して暖炉の薪を作ったり、ヨットに乗ったり、遊びと労働の楽しい日々となりました。

 そして、私の寝室の薄暗がりにあのプラスチックの筒があるのを発見しました。よく見ると、蝋のような色の幼虫はいなくて、薄茶色の蛹(さなぎ)がじっとしているのが分かりました。筒をたたくと、その蛹はお腹を動かして、「俺は生きているぞ」と返事をしました。成虫になってからも放って置かれたら、きっと死んでしまっていたに違いありません。良いときに来させてくださった、と神様に感謝しました。

 家に帰って3日目の朝、筒の壁から見えるところには脱ぎ捨てられた蛹の抜け殻しか見えませんでした。慌てて蓋を開けてみると、黒光りした成虫のカブト虫が身動きもせず鎮座していました。期待に反して、立派な角を着けていないメスのカブト虫でした。そっと触ってみると、思ったよりも敏捷に動き、さっさとマットの中に潜り込んで見えなくなりました。あまりいじくりまわして神経質になられてもよくないと思い、その日はそのままにしました。

 2-3日観察しても、いつもマットに潜ったきりで変化がありません。朽ち木を発酵させて粉末にしたマットは、幼虫にとっては食糧であり身を護る環境であっても、成虫の口はもはやマットを食べるようにはできていないことは、少年の時の観察で知っていましたから、このままでは空腹でマットの中で弱って死んでしまうのではないかと心配して、細い棒で突っついて無理やりにマットから掘り出しても、触れば嫌だと動くけど、触らなければじっとして動きません。

実は、この間の消息を M さんに報告し、経過をやり取りしました。

〔私〕 「Mさん、暑中見舞い有難うございます。死んだ弟の3人の子供たちの末っ子とそのチビと深夜の20分前に野尻の家に着きました。甥っ子のHとチビのSはもう隣の部屋で爆睡しています。ここまでHが運転してくれたので、今回は楽でした。お休みなさい。」

〔私〕 「マットの中に入ったカブトムシの幼虫が今、蛹になっているのが、プラスチックの円筒の壁から見えます!刺激に対してかなり敏感に反応して動く!メチャクチャ感動的!蛹の頭の形から角のあるオスではないかと思う!

〔M〕 カブトムシ!勇ましく成長してましたね。よかった!野尻湖、満喫してくださいネ!」

〔私〕 「Mさん。カブトムシの蛹は、脱皮して黒い艶やかな成虫になりました。まだ目覚めたばかりで、動きは鈍いのですが、確かに生きています。

 期待に反して立派な角はなく、どうやらメスのようですが、そんなことはどうでもいい。感動的、神秘的。これも神様が造った。人間には作れない。それだけは確か。興奮して眠れない。なんて言いながら、5分後には爆睡か? Z z z!

〔M〕 「おはようございます。野尻の爽やかな朝をお過ごしと思います。カブトムシの神秘は素晴らしいですね。神父さまの感受性の新鮮さはどこから来るのかと驚きます。ある教授がよく16才の柔軟な感覚と今の知識が合わさったら最高だ!と言っていたのを思い出します。」

〔私〕 「大変!うちのメスのカブトムシ、鬱か、引き籠りか、タダのシャイか?

 サナギの殻を脱いでもう4日になるのに、挙動がおかしい!サナギからの脱皮は透明なビンの壁の所でやったので丸見えだった。成虫になったら黒茶色のマット(幼虫にとっては全部ご飯だった)をかき分けて上に出てくるものとばかり思っていたのに、一向に動こうとしない。マットを半分ぐらい取り除いて、上の空間を広げて、上から触ろうとしたら、マットの中に潜って姿が見えなくなってしまった。昨日と今日は福島県の相馬に行って夕方帰ってみたら、マットの上に出てきていた。やっと普通になったか、よかった、夕食のあと、広い場所に移して、甘いお水を浸したコットンを敷いたお皿を用意するつもりだったのに、見たらまたマットの中に姿を隠してしまっていた。成虫はもうマットは食べられないはずではないか!一体お前は何を考えているのか、心が知れない!私はただオロオロするばかり。」

〔M〕 「心配ですね・・・。活発になってくれるよう願っています。」

 それから私は、カブトムシをマットの筒から出して、強制的に成虫の生活に入らせるために、ホームセンターに行ってカブトムシの虫かごと、エサの甘いゼリーと木登りの木切れを買ってきて、底にマットを3センチほど敷いて、カブトムシを移しました。しかし、彼女はその薄いマットの中に潜り込んで身を隠し動こうとしません。その頑固さにほとほと困り果てました。そして、

〔私〕 「うるさく続報です。心配して昼間にホジクリ出して観察しても、じっとして動かない。死んだのかな?と思ったけど、よーく見ると、口の脇から両方にくの字に突き出た短い触角だけは生きていることを示しているようだ!騙されないぞ、と軽く息を吹きかけると、ピッと触角は引っ込んで見えなくなった。そして一分半ほどすると、アンテナはソロソロと伸びてくるではないか!それを繰り返しても、それ以上のことは起こらないので、飽きてほったらかして置いたら、いつの間にかまた鬱の引き籠りで、焦げ茶色のマットの中に潜って姿を消している。もうヤッテラレン、とほったらかして寝たら、夜中にカサコソ、カサコソという音に目を覚まされた。起きてみると、活発に動いて何とか虫かごから出ようと無駄な抵抗を終わりなく続けていた。それを見ていて寝られなくなり、虫かごをドアの外に放り出して、やっと安眠を得たのだが、昨晩部屋の窓の鎧戸を閉め忘れて、早朝の明るさに目覚め、フト気になってドアの外を見たら、力尽きて絶望したのか、また鬱の引き籠りに戻ってマットの中に姿を消してしまっていた。

 ここまで来てやっと分かったこと。思えば、野尻でもカブトムシに出会うのは、夜の明かりが漏れる窓に、ブーン、ガチャンとくるのか、ブーン、バサッと来るのかのどちらかに決まっている。ガラスを直撃して下に落ちるのと、網戸に軟着陸するのとのどちらかだ。

 奴らは要するに夜行性だったのです。もともと、昼間に人間に付き合う気が全くなかっただけのことでした。

 それを、鬱だ、引き籠りだ、断食自殺志願ではないか?などと言われるのは飛んだ迷惑なことでした。

 それで、今朝一番に町田市緑山界隈で一番近くて一番大きそうな山の森へ連れて行って、人目につきそうにないクヌギの樹の所に放そうとしました。

 ところが、いざ放そうと思うと私の手にしがみ付いて、離れようとしません。引っ張ろうとしても後足の先の二つに分かれた鈎の先が私の手の肌に食い込んで痛いこと。

 

 ふと思いついて、無理に引き離そうとせずに手を縦にしたら、するすると指の先まで登ってマゴマゴしています。それを払って地面に落とし、背中を捕まえて思い切り放り投げました。

 早く強いオスに巡り合って、たくさんの子供を産めよ!と、別れの言葉を投げかけてやりました、とさ!

 神奈川の種と長野の卵の交配なら、きっと健全な子孫が増えることだろう、と期待しながら・・・。」

〔M〕 「あら、要するに夜行性だったということね!思わす吹き出してしまいました。よかったです。カブトムシの心配から放たれて、今夜はよく寝てください!」

 寝ますとも!これをブログにアップしたら。

 ところで、この単純なことに気が付かなかったのはなぜだろう。それは、少年時代のカブトムシはデパートか縁日の夜店で商品として売られていたカブトムシに慣れていたからだ。売り物だから、客の目に留まらなければならない。真昼のような電灯に照らされていても、隠れて寝る場所は与えられていない。潜り込むマットのない籠の中で買い手を待つしかなかったのだ。

 それにしても、カブトムシの足の鈎が食い込んだ手の傷は、しばらく痛く、赤く小さく腫れた。マットを食べて太った芋虫は、成虫になったカブトムシの曲がった針のように鋭い鈎の先に微量の劇物を備えることをどこで覚えたのだろう。謎めいている。

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★ 2018年01月31日 「皆既月食」

2018-02-01 00:11:06 | ★ 自然・いのち

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2018年01月31日 皆既月食

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夜10時過ぎに新中川の土手に出てみた。

空には夜だと言うのに雁がカギの手になって飛んで行った。

幸い空に雪雲はなかった。星さえ見えた。東南の空高く満月がかかっていた。

満月のちょうど半分ちょっとが地球の影に入っていた。

日食と違って、食の陰の線はくっきりしていない。

おかげで月が円盤ではなく、球体であるのがよくわかる。

新年早々、雪の信州に行って以来、カメラのバッテリーの充電を怠っていたので、

すぐ電池切れになって、多くの写真は撮れなかった。

カメラは脇において、飽かず荘厳な天体ドラマを眺めた。

皆既状態が1時間余り続いた。

月は天球に張り付いた10円玉のように赤茶けた鈍い光を放っていた。

天文少年のように興奮して自室の戻った。

教会法の教科書の翻訳の仕事を置いて、早く床に就かなければ。

起床の鐘は6時半。

3人の若い神学生との朝の祈りが待っている。

若い神父たちは世界中の旅人の集いでイタリアに行って、ここにいない。

私はひとりで3人の若者のベビーシッターとして日本に残った。

慎ましい奉仕だ。

(終わり)

 

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★ ローマ =自然の力に意外と脆い都=

2014-02-16 18:21:22 | ★ 自然・いのち

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ローマ

= 大自然の力に意外と脆い都 =

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雨続きのうすら寒い日々の合間に珍しく晴天。所用あってアペニン山脈を越えて長靴のふくらはぎのあたりのアドリア海方面へ。

峠のトンネルを抜けて振り向くと、グラン・サッソ(巨岩岳)の雄姿が見えたが、こんなことはまことに珍しい。

生半可な晴天の日は、周りの山に雲がなくても、この頂上だけはいつも厚い雲のヴェールに覆われて、姿を隠しているからだ。

 (グラン・サッソ ヨーロッパ最南の氷河があるアペニン山脈の最高峰2,915mは北アルプスの大天井岳より6.3m低い)

 

しかし、晴天も束の間、ローマに帰り着く夕刻には、空は既に雲に覆われ、西陽に虹が立つということは、

アペニンの山々にはすでに冷たい雨か雪が戻ってきた印だ。

 

神学校に帰り着くためには、公道を逸れてすぐ汚いどぶ川を橋で渡らなければならない。

以前ブログに取り上げた巨大土筆(つくし)の生息地だ。

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/5619b56211419a9dc6c3d1b4fc01f20e

普段の川幅は広くてせいぜい3メートル余り。生活排水や近くの工場の廃液で、夏は常に悪臭を放っている。

その夜、いつにない激しい嵐が襲ってきた。絶え間なく閃く稲妻と轟く雷鳴。窓や鎧戸をガタガタと鳴らし、

雨脚にビュービュー、ゴーゴーと風の音が混ざって、なかなか寝付けない。

やっとうとうとした頃、突然閉じた瞼の下の眼球が白い光で満ちた。そして耳を聾する雷鳴が響き渡り、

しばらくゴロゴロ、ゴロゴロ、と遠く長くエコーを引いた。

起き上がったが外はまだ暗く、部屋の灯りがつかない・・・? 停電とわかった。

手探りで自室のトイレに立つと、なんと、観音開きの窓が片側だけ雨風の中に開け放った状態だった。

強風にあおられて留め金がはずれ、一晩中強風にもてあそばれていたのだろうか。

これで寝られたら大した大物だ。

空が白んでも起床の鐘は鳴らない。それも道理、電動式なのだから。

見当をつけて部屋を出るが、聖堂も、食堂も薄暗く、ところどころにローソクが灯されていた。

神学校は丘の上だ。好奇心から傘をさして門の外に出て丘を下りてみた。

なんと、そこには全く見知らぬ光景が広がっていた。

 

エッ?!これがあの幅3メートルのどぶ川の変身???

夜中に偵察してきた神学生の話では、今はすっかり退いたが、

最盛期にはまだこれより40-50センチ水かさが高かったと言う。川幅もさらにこの倍ぐらい。橋は手すりまで水没。

テベレ川よりも広い大河の様相だったことだろう。まさに超異常な集中豪雨のなせる業だった。

 

  

午後、また見に行った。

すぐ足元でも、まだ小さな段差で水が泡立っている。しかしこれでも水嵩はだいぶ減った後だ。

 

つい数時間前まで、このポールの下の赤い線まで水に浸かったという話を聞いた。

 

  

水が引きはじめた後には、公道に通じる道には漂流物の堆積の山が。

このゴミを取り除かなければ外には出られない。

あの遮断機の向こうの橋が渡れなければ神学校は陸の孤島も同然だ。

神学校には外出禁止の通達が回った。


その夜、

夕食のメインテーブルの雰囲気は中世の騎士たちの晩餐風景と言ったところか。意外とロマンチックだ。

 

これは平山司教様の隣の私の席に坐ったままの写真。

 

3階の私の寝室への階段の壁際には一本のローソクが灯されていた。これで深夜までもつのだろうか?

 

次の日。

外界への道は橋の手前でゴミの山に20-30メートル塞がれ、相変わらず人も車も通行止め。

しかし、橋の右たもとの農家の庭を迂回すれば、公道に出られることが分かった。

それで、車で街に出た。

 

 

ローマ市内を流れるテベレ川。普段はアーチが出会う位置の下に高い石の橋脚があり

水面はその橋脚の下の土台のあたりにある。

今は橋脚はおろか、アーチも出会う前に水に沈んでいるではないか。

 

右の護岸は見える部分よりまだ2倍近くが水面下に隠れている。

そして、そこに左の並木の外側までの広い壇があり、散歩道やサイクリングが出来る回廊になっている。

普段の川の水は、下の並木の左側にあるもう一段下を流れているはずなのだが・・・ 

 

ローマのミニ「シテ島」(セーヌ川のノートルダム寺院のある中州)。ここでテベレ川は二つに分かれ川中島を作る。

中世からの古い病院は一階が水没寸前まで来ている。

 聞いたところではすでにコレジオ・クロアートは地下室に浸水がはじまっているようだ。

 

更に次の朝、同じ川中島を見に行った。水位が下がり、ビフォー・アンド・アフターの写真の対比を期待したが、

水位はほとんど変わっていなかった。土砂降りから普通の雨に変わったからと言って、

上流に今も降り続いている雨のため、一日ぐらいで水量は簡単に減るものではないのだろう。

 

水没寸前の川中島の病院を絵に描いている人がいた。長い階段の中間の踊り場の位置まで水が上がっている。

 

  

例外的な水位に水鳥たちも戸惑ったか。リオの岩山の上で羽を広げたコンドルを見てブログに書いたが、

同じように見栄を張っても、あちらは広げれば3メートル強。こちらの川鵜は目いっぱい広げて1メートルがせいぜいか?

右は、鴨と川鵜の仲良し昼休み。

 

さらに2日ほどがった。しばしの晴れ間にさすがの大河も退いた。送電線の鉄塔の左手前の白っぽく乾き始めた土地は

上流から送られてきた砂に育ち始めた牧草が埋まったあたり。手前は埋まったのではなく、土壌が削られて流された部分だ。

洪水の前はこの視野全体が緑濃いい牧草地だった。これで今年の牧草の収穫は壊滅的か。


実は、この雨でローマ中の道路があちこちで寸断され通行止めになっていた。

路面の陥没もあったが、大部分は切通しや盛り土の法(のり)面の崩壊だ。

神学校周辺地域の停電は約24時間にわたった。

文明度の指標の一つに停電率の国際比較がある。1年間にその国で平均何分間停電するかを比べるものだ。

                            日本   16.0 分

                            ドイツ   36.5 分

                           フランス   57.7 分

                            米国   65.5 分

                            英国   81.9 分

 とくれば、ローマの今回の約24時間(1,440 分)は(もちろん局地的な事ゆえ単純比較は出来ないが)異常に長い。

どちらかといえばイタリアの停電率はアフリカやアジアの共産圏グループに近いのではないか?

と言われても、たいていのイタリア人は笑って意に介さない。

そのほか、ちょっとした雨で道がすぐ灌水し、

遊園地のウオーターシュートよろしく車が大げさな水しぶきを上げて走り回るのもローマの風物詩だ。

これらが今回のブログ「ローマ」に、=大自然の力に意外と脆(もろ)い都=と副題をつけた所以だ。

イタリア人の名誉のために付け加えるが、停電率の低い国の日本人の方がより幸せかと言うと、むしろ逆なのだ。

(おわり)  

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★ 《必読》 美しすぎる話 = 母の愛

2012-05-17 22:57:53 | ★ 自然・いのち

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《必読》 美しすぎる話 母の愛

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シカゴからロンドン経由でローマに帰った

東京=ローマと同じ7時間の時差に いささかボーっとした頭で 溜まっていた仕事に向かった

バチカン花見の常連の日本料理店の女将の息子から

福島の原発被災地の情報を読んでほしい フェースブックに書いているから と言うメールがあった

本音で言えば ブログとメールとツイッターだけで手一杯で これ以上広げるつもりはなかったのだが・・・

おっかなびっくり 始めてみたら さあたいへん

日本語だけではない 英語も イタリア語も コンタクト希望が一気に殺到した

中には イタリアのお友達も少なくなかった

その中で 私と親しい一人の女性の書き込みが目に止まった

趣旨に感動して 訳してお披露目する気になった どうせ時差ボケですぐには眠れないのだから

そんなわけで アメリカ日記は 次までお預け 話はまず以下の通り

 

 

絶望的な思いで一人の若い女性が産婦人科の医師を訪れて言った: 先生どうか助けてください。私は深刻な、非常に深刻な問題にぶつかっています・・・息子がまだ満一歳にもならないのに、私はまた妊娠してしまいました。こんなに続けさまに子供を欲しくはありません。せめて2-3年の間をおいてからと思っていましたのに・・・。

そこで医師は言いました: わかりました。で、私に何をして欲しいのですか?

婦人は答えました: この妊娠を中絶したいのです、それであなたの助けてが必要なのです。

すると医者は深く考え込んで、長い沈黙ののちに口を開いた: あなたの問題を解決するために、母体に危険が少ないいい方法が見付かったと思います。 

 

婦人は医師が彼女の希望を容れてくれたものと思って微笑んだ・・・。

すると医師は話を続けた: では奥さん、こんなに年の近い新生児を二人も抱え込まないようにと言うあなたの願いをかなえるために、貴女が今腕に抱いている赤ちゃんを殺すことにしましょう。そうすれば、貴女は次の子が生まれるまで9か月間ゆっくり休めるでしょう? もしどうしても殺さなければならないとしたら、この子にするかあの子にするか、別に違いはないでしょう? だとすれば、貴女の腕の中の子を犠牲にした方が、ずっと簡単でしょう?その方があなたの体の負担なしにすませられるのですから。

婦人はもう絶望を通り越して叫んだ: ダメ―!先生、それだけは絶対にダメです! 赤ん坊を殺すなんて、それは犯罪です!!! 。

医師は応えた:  私も貴女に同感です。けれども、貴女は私があなたを助けてくれると信じたのではなかったのですか?

医師はしばらく様子をうかがっていたが、どうやら自分の話が効果をもたらしたらしいことを悟った。彼女は、とうとう自分の腕の中にいる子供と、自分の胎内に宿った子供の間に、全く差異がないことを悟ったようだった・・・。

彼女は微笑んで言った: 先生、一週間後にエコーグラフのためにまたお会いしましょう。ちっちゃな弟の心音を聞いてみたいものですわ・・・。

この話、気に入っていただけましたか?

小さなもう一つの命を救うために、よかったらこ小話を 周りの人にも広めてくださいませんでしょうか。

 

 

カトリックでは 堕胎を犯罪 殺人とみなして認めない

現在世界で年間6千万の胎児が堕胎され 闇に葬られている

私は最近のブログ「インカルチュレーション そのー2」の中で、ある老司教との会話として 「ピルが解禁されるまでに

戦後日本で行われた人口妊娠中絶(堕胎=殺人)の数は約6000万件だった」と聞いた、と書きました。

キコのシンフォニーのテーマ「無垢な者たちの苦しみ」は、この堕胎の問題とも深くかかわっている

キコと教皇ヨハネパウロ2世の呼びかけにしたがう新求道期間の道を歩む若い夫婦は

この教えに忠実で その結果平均で5人の子どもを産むし 10人 13人の子沢山も例外ではない

(つづく) 

(コメントも届いています。右下のコメントをクリックして読んでください。)

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★ 〔号外〕 巨大土筆(つくし)=福島原発による突然変異?(ではありません)

2012-04-04 18:24:52 | ★ 自然・いのち

春の土手の土筆はこれですよね 袴を取ってゆでれば食べられるやつ・・・・

わたしなんか少年時代夢中になって取ったものです ところが・・・・

 

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 〔号外〕 巨大土筆(つくし)

=福島原発による突然変異?(ではありません)

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問題はこいつです これって 頭の部分の形ちょっと違ってませんか

 

じつは ローマの神学校に上がる坂の始まりのところに汚いどぶ川があって

その両岸は 薮や雑草で荒れ放題なのですが

昨日は車で徐行して通るとき 何か気になるものが目に入って

車を停めて近づいた らこれでした

素手で草むらに手を突っ込んで2-3本摘み取ろうとしたら ひだり手の甲に激しい痛み 慌てて手をひっこめました

( 何故左手? 私は生まれたときから ギッチョ なのです )

とにかく なにかにかぶれたみたいで 寝るまでヒリヒリ痛みました 

 

今日は 掃除のおばさんに頼んで ゴム手袋を手に入れました

完全武装で いざ再度挑戦

そして 採れたのがこれです ちょっと大きくないですか 

 

ちょっとどころか 巨大 といってもいいと思いませんか

 

部屋に戻って 早速に計測

写真の縦いっぱい 右の定規は 日本の30センチのではなく イタリアの40センチものです

このブログを書いているノートパソコンの端が黒く見えていますが これが折れるとこまでで24センチほど

メガネや時計とも比べてみてください

 

緑色の煙のような胞子が飛び出す頭の部分だけでも私の親指や人差し指ほどもある

日本の土筆 どんなに大きくても 右端のボールペンのの長さがせいぜいです

太さにいたってはボールペンの半分以下でしょう

 

さっそくヤフーイタリアで検索してみました

"fiore di equiseto" (つくし)

で調べまわったけれど 一番上の写真と同種のものしか出てきません

でも日本人の空手の先生の奥さんの イタリア人女性が言っていたのを思い出しました

イタリアの「土筆」には 大きいのと小さいのと 二種類あるのよ と 

実はホッとしました


東北に突然こんなのが出現したら 恐ろしいことです

恐らく 事故原発がばらまいた放射能による 突然変異と思われるからです

そんなことにならないように祈りましょう

でも チェルノブイリの実例を見ると

今後 がんの発症率 奇形児の生まれる確率は

確実に増えるのです

人間の驕りのツケというべきでしょうか

大自然の美を創造した神様を想うべき時です

ローマにも福島の子どもたちを内部被ばくから護るために

地道な活動を続けているグループがいることを ご報告します

今後半世紀以上の いや 半永久的な戦いです



話は まだ終わりではない 謎が残った 歌に

♪ つくし ♪ 誰の子 ♪ スギナの子 ♪


あれっ? そうだ スギナがいないぞ !

猛烈な捜索が開始された

捜すこと15分 あったぞ! これだろう いや これに違いない

草の間に一本だけ見つけた

  

この角みたいなやつ 草でもない 木でもない たしかに蘇鉄や羊歯類の顔をしている

これがニョキニョキと延びたら 腰ぐらいの高さのスギナになるのではないか

やっと納得 これで一巻の終わりです

 


 

 

 

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★ 春の訪れ、生命の季節

2011-02-25 04:39:01 | ★ 自然・いのち

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春の訪れ、生命の季節

 私が、世の神父族の中ではいささか規格はずれであることは敢えて否定するものではないが、
結婚式の司式はこの神父でなければ厭だと言って、若い共稼ぎの給料からローマ往復の旅費を
わざわざ送って寄こしたカップルも、只者ではない。

(以下は、実はちょうど一年前、実に悲しい事情で私のブログが 「炎上」 し公にリリーズ出来なくなっていた頃に、ひっそりと書いたものです。マル一年遅れて、いま制限なしにアップ出来ることを神様に感謝しつつ、時を超えてまるで今日このごろの出来事のようにお目にかけることができる幸せをかみしめています。)



 (ローマの「日本のための神学校」を訪ねてきた二人。現院長平山司教様とスワレス元院長と)

 去年の11月1日、(実は2009
のこと)私に祝福されて挙式した彼らが、二人とも仕事を辞めて新婚旅行に旅立ってから、そろそろ4カ月近くになるか。東南アジア、インド、ネパール、近東を回り、先日ようやくローマに辿りついた。

 180円~400円で食べ500円で泊るような、そんなバックパッカーの旅を重ね、今はスペインの巡礼地、
サンチャゴ・デ・コンポステーラに向けて、ブルゴスから526キロの道を、彼らなら徒歩で歩き通すかもしれないぞ、
と思った。(コルコタではマザーテレサの「死を待つ人の家」でボランティアーをしたりの真面目な珍道中の全ては、
彼らのブログに詳しく書かれているから、興味のある人は「新米☆夫婦求道の旅」という題の
http://blog.goo.ne.jp/jimyung6v6118 を見てやっていただきたい)

 さて、そんな彼らに、この旅で初めてで、もしかしたら最後かもしれないまともな日本食屋に連れて行って
たらふく御馳走をしたら、美味しい~!と大喜び。
 せっかくローマまで来たのだからと、初代教会のキリスト教徒の地下墓所、カタコンベに彼らを連れて行った。
すると、カタコンベの上の緑の台地は新しい生命で満ち溢れていた。

 新しい命、遠くに点のようにみえるのがそれ。



 遠くに白い子羊が群れを離れてとぼとぼ歩いていた。まさに、聖書の「迷える子羊」、それは私のようでもあって、
愛おしかった。
 300ミリのズームで引き寄せて、やっとこの大きさに撮れた。しきりに「メ~~~ェッ!」と高く細い声で鳴いている。

 悪戯のつもりで、母ヒツジの真似をして、低音で「ベ~~~エッ!」とやったら、向きを変えてトコトコやってきた。



 「エーッ!?」まだ来ちゃうの?ズームを広角側に回す手が間に合わない! 全く恐れる気配がないうぶな子羊。本当に僕を母親と思ったか?



 ワーッ! ほんとうに来ちゃったよ~! 僕の掌とくらべるとその大きさ(小ささ)がよく分かるでしょう?



 よく見ると、まだお腹の下には黒く変色した臍の緒が・・・・生まれてやっと数日しか経っていないことの印だ。



 目を転じると、同じような子羊がそこにも、ここにも・・・・もう、うじゃ、うじゃ!



 元気な子は、もう飛んだり、・・・

    

 跳ねたり!・・・・              突っかかったり!・・・・

     

 そうかと思うと、じっと座って動かないのも・・・その顔は平和そのもの!



  手を差し伸べても、フン!と知らぬ顔。



 なんだよう、と撫で回したら・・・・

 うるさいな~!せっかく昼寝してたのに~!と、のっそり立上がって群れの方に歩いて行った。
振り返る顔が「臍の緒くん」のより小さく見えるのは、何週間かお姉さんだからだろうか?



 アバッキオというイタリアの羊の骨付き焼き肉料理は実に美味しい。
旧約のイスラエルの民は、モーゼに引き連れられて急いでエジプトを発つとき、アバッキオを食べた。
それには1歳までの子羊が一番! 

 今は亡き高松の深堀司教様の大好物で、こいつらを見ていると、よく二人で食べに行った日々のことが懐かしく想い出される。

(「教皇暗殺事件」の落ちを書かなければと焦っていますが、ここ2週間、日本からの来客が相次いでいて、-明日も新たに3人が東京からやってくるので忙しく-思うに任せません。そんな訳で、未発表の古いものを取り出してつなぎとしています。ご了承を!)

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★ 禁じられた遊び

2008-06-08 04:45:57 | ★ 自然・いのち

2008-06-08 22:39:47

 

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禁じられた遊び

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ここでギターの繊細なメロディー「禁じられた遊び」をBGMとして流せれば最高なのですが、ブログ編集の技術が未熟で残念です。どうか、想像力を駆使して、このブログを開けているあいだ、心の耳であのメロディーを聴いてください。

まず、この最初のなんだかわけのわからない写真の説明から入りましょう。
右側の黒っぽい塊は、何年か前に私が切り倒したミモザの古木の切り株です。腰掛けて野尻湖を見下ろすためにちょうどいい高さに残してあります。その前にホームセンターで買ってきた芝生が一枚。その四隅にラベンダーの苗。お線香がもえていて、よくみると赤いカップローソクも・・・・。さて、真ん中の変わった物体が曲者です。
サルバドール・ダリが晩年に創ったキリストの架刑像ですが、十字架の縦木も横木もないところがミソです。銀製のオリジナル。時価ウン十万円を言ってしまっては品がなくなりますね。四国の公園の芝生に、三町合併による「東かがわ市」誕生を記念して、二年間に亘りダリの野外彫刻展を誘致したときに、記念にコレクションのオーナーから個人的に贈られたものです。19体の大きな彫刻のうち一体は、今もその公園に永久保存されています。
もうお分かりでしょう?!これ、動物のお墓ごっこです。誰、いや、何が葬られているか、ですか?それが今日の話題です。
窓辺の机の前で、パソコンに向かってブログを書いていたら、突然カーテンの向こうのガラス窓に「コツン」と「ドン」の中間ぐらいの音がしました。不審に思ってカーテンを開けると、窓の高さまで積んだ暖炉用の薪の上に、黒と橙と白の鮮やかな色の野鳥がちょこんととまり、首をかしげてわたしを見上げているではありませんか。ガラス越しとは言え、野鳥が人の気配にも逃げて飛び去らないなどと言うことがあり得ましょうか?ところが、その小鳥は逃げるどころか、こちらに何かを訴えかけるように見上げ、動こうとしません。
もう一度よくみると、なんと、その小鳥の足元の薪の上に、もう一羽の野鳥が、瀕死で横たわっているではありませんか。羽の色は全く違うが、つがいの雌が、ガラスに激突して首の骨を折ってしまったのでしょうか。ツバメだって夜の蝙蝠だって、普通は別荘の窓に自爆するなんてとんまなことはしないものです。まして白昼堂々。きっと、恋の飛翔に夢中になって、前後の見境もなく二羽もつれ合って舞っていたのでしょう。
そして、愛する彼女が傷ついて、突然恋の終わりに見舞われて、すっかり途方にくれた小鳥が、必死でわたしに救いを求めているのでしょうか。
台所の流しの下から、茹でたスパゲッティーのお湯を切るために使うステンレスの半球形のざるを取り出し、庭履きのサンダルを突っかけて、ゆっくり偲び足で近寄りました。エサに釣られた雀でも、ここまで距離を詰められたら絶対に逃げるはずなのに、雀よりはるかに警戒心の強い森の野鳥が、じっとして動きません。愛するもののそばを、死んでも離れたくないかのようでした。その上に、無慈悲にもステンのざるがサッと被せられました。ヤッター!

かごの鳥、ならぬ、プラスティック製の整理箱の中のオスの野鳥。図鑑がないので名前不詳。
(mari さん、有難う!あなたのコメントのお陰で分かりました。間違いなくキビタキのつがいでしたね。 www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta.html をお借りします。そこでは生き生きとしたキビタキの姿と鳴き声が見られますネ。)

 



アジサイの花の上に移されたメス。まるで眠っているよう。鴛鴦や鴨の仲間はそうだけど、小さい野鳥にも雌雄でこんなに羽の違うのがいたんだ。

 



ここから、禁じられた遊びの始まり、ハジマーリ!





注意深く墓穴を掘る。




そっとムクロを入れ、・・・・





静かに横たえる。お祈りをして、・・・・





あとは、土をかけ、芝生を張り、十字架を置き、蝋燭とお線香に火をつけると、無事「禁じられた遊び」はお仕舞い!葬儀に神妙に参列した彼は、ふたを開けるや否や、天に向かって矢のように飛び去っていきました。彼女の魂を追うかのように。
それにしても、よくおあつらえ向きの芝生が一枚手元にあったものだ。それに、4株のラヴェンダーの苗はどうしたの?誰も不思議に思いませんか?
実は、この禁じられた遊び、この日が初めてではなかったのです。
ほんの数日前、国道18号線の白いガードレールの側に、瀕死の雀が横たわっていました。拾い上げられ、見取られて、ここに運ばれ、手厚く
葬られました。 

 



墓穴を掘る手が馬鹿に慎重だったのは、先に入っている小鳥の眠を邪魔しないためでした。ミモザの切り株の上に敷きつめられた小鳥のえさを布団にして、静かに埋葬を待つ在りし日の雀ちゃん。




居直って凄んだら、上智大学の外国人神父・教授たちも震え上がったあの元全共闘ゲバ学生。すっかり白髪になって気が弱くなったけど、もともとはこんなおセンチな孤独な男なのです。
もう40年も前のことか・・・・、そう、わたしがまだドイツのコメルツバンク本店に勤務していた頃のことです。ミュンヘンの南にキムゼーと言う湖水があります。その岸辺の凍てつく冬の寒さの中で、コートの襟を立てて森を散歩していたとき、わたしは一羽の瀕死の小鳥と出会ったことがあります。手袋を脱いで両手のひらに包み込んで暖めてやるほかになすすべはありませんでした。最後に手の中でブルブルッと身を震わして息を引き取りました。あの掌の感触、まるで昨日の出来事のように、決して忘れることが出来ません。たまらなく悲しかった。大きな樫の木の根元に、ゆっくり時間をかけて埋葬の儀式をしました。木の枝をくくり合わせて小さな十字架を立てて祈りました。お金の神様の後を追って目の色変えて走っていた国際金融マンの素顔の一面でした。遠くの森にシカの姿がありました。

+ + + + + + + + +

復活するのは人間だけですか?あるペット好きが聞きました。スコラ神学でがっちり頭を固められたわたしは、無慈悲にも答えました。理性と自由意志を供えた人間の魂は、復活のとき肉体を返していただいて永遠に生きるが、個々の動物は個体としては復活しない、と。(だから上の話の中の小鳥たちも土に帰ったままになる。)
わたしをどの人間よりもイッパイ慰めてくれたネコちゃんだけは復活させて返していただきたいわ、神様、それって駄目なんですか?と訊ねた人がいる。
人間が復活するとき、肉体をもって復活する。復活する肉体との関連で、今の物理的世界も(もちろん高められ霊化されてではあるが)天と地の再生として永遠の復活に参与する。だけど、ネコのクララちゃんはねー?ちょっと、分からないなー!まあ、神様に聞いておきましょう。

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★ ローマの空

2008-05-12 12:09:53 | ★ 自然・いのち

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ローマの空

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私の部屋のPCを置いた机に向かうと、正面の窓からローマの空が見える。

昼間に窓を開け放って外を眺めると、目の下に中庭が、遠くにアペニンの山波が見える。

来年も、1月にはその山が雪に覆われ、昼は白く、夕べにはピンクに染まって見えるだろう。

 

 

机の上にコンパスを置くと、青い針が真左に・・・つまり北は左で、正面が真東ということになる。

 

 

だから、冬の朝、鐘の音に合わせて5時半に起き、朝の祈りを終えて、朝食も終えて部屋に戻る頃、正面やや右の方から太陽が昇って来ることになる。

(もちろん晴れていればの話だが・・・)

 

 

雲が少なければ、こんな朝はもう見慣れた景色だ。

 

アペニン山脈が雲に覆われていて、こちらが晴れなら、こんな感じかな?

 

 

近くに雲が、遠くにも雲があって、中間の空が晴れた日は、こんな表情。

 

 

薄い高曇りの日は、空一面に朝焼けが広がる。 しかし、こんな日に限って午後から雨になる事が多い。

 

 

そんな中、フィウミチーノ空港に着陸する飛行機が音もなく過ぎっていく。

 

 

少し時間が早いと、日の出前の空はこんな感じのことが多い。

 

 

神様に見守られて、何の憂いもなく平和な時間が過ぎていく。神に感謝!

クリスマスが近い。私は大きなクリスマスプレゼントを待っている。ひょっとしたら、今夜にもその良い知らせの香りをかぐことができるかもしれないのだ。宇宙の悠久の歴史の中で、空が同じ表情を見せることは二度とない・・・・。

 

 

《 おしまい 》

 

 

 

 

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★ 夜空が笑った日

2008-05-10 12:08:49 | ★ 自然・いのち

 

 

 

  夜空が笑った日  

 

昨晩、庭を散歩していると、綺麗な三日月が目に入った。12月9日、月齢 3.7 の上弦の月だった。

こんなに小さくても、鎌の刃の部分が少しぎざぎざしているのは月のクレーターの影だろう。それを眺めていると、急にちょうど昨夜と同じ12月の初め、日本で 「空が笑った」 晩のことが想い出された。

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その日は朝から、思いがけず雪がちらついた。温暖な瀬戸内の東讃地区にある神学院で、12月のはじめに雪が降るのをわたしはその年初めて見た。紅葉はいつになく鮮やかで、雪と美しいシンフォニーを奏でて目を慰めてくれた。

その寒空の下、東かがわ市のバチカンフレンズが、私の一時帰還を祝うために集まった。前市長、現市長、現副市長、市の職員など十名あまりが集まって、鍋料理を突っつきながら、懐かしい話に花が咲いた。もう4-5年も前のことだが、この顔ぶれが、香川・徳島の市民80人余りを連れて、バチカンの庭園に桜の苗木を30本植えてきた。

教皇が護衛無しに散歩をするあたりの小道に沿って、桜並木をプレゼントしたのだった。バチカンの庭園には世界各国から寄贈された珍しい樹木が数多く植わっているが、日本から贈られたのはこの我らの桜が初めてということだった。次の年からさっそく花をつけ、去年などたいした見栄えだった。

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実はあの日、副市長さんが車で迎えに来られるまで、私は日が沈んだばかりの西の空を、三脚にすえたカメラのファインダーから睨んでいた。お目当ては月と金星と木星だ。その晩はこの状態だった。

 

月は左上の雲の中に半月に近く、二つの星は今にも西の山陰に沈もうとしている。

お分かりかな?何十年に一度、珍しく大接近した金星と木星が右下の雲の間に斜めに並んでいるのが。

拡大するとこんな具合だ。明るいのがヴィーナス。暗いのがジュピター。雲の他に比較できるものが側にないので、ただの二つの光の点に過ぎない・・・・

もう10日ほども前のことになろうか?私は車を運転しながら、何気なく日暮れて間もない西の夜空を見上げて、はっとした。夜空が笑っている。私に向かって微笑みかけているではないか。もしカメラを車に積んでいたら、すぐに停めて、夜空の笑顔 を証拠写真に収められたのだが・・・・、まことに残念!

その後、日を追うごとに月と星の距離は広がり、月はみるみる肥えて姿を変えながら、星々のすぐ下から遠く左上に足早に離れていった。

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「夜空が笑った」 とは、どういうことかって?それは絵に描けばこのようになる。鎌のように細い三日月と二つの星が、まるで笑っている顔の目と口のように見えませんか?

 

《 おしまい 》

 

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★ ローマのキツネと日本のタヌキ

2008-04-26 12:04:36 | ★ 自然・いのち

今日は息抜きに

ローマのキツネ日本のタヌキ

と言うテーマで書きましょう。

 

私は、この夏、ローマで野生のキツネの写真を撮ることに成功した。姿は何度か見ていたが、肝心の時にカメラを持っていなかった。この朝早く、芝生の上をゆっくり歩いている姿を見つけた。場所は神学校の敷地の中。距離にして50~60メートルはあったが、デジカメを構える気配でこっちを向いた瞬間をとらえた。そしてシャッター音でさっと姿を消した。まるで幻を見たようだったがたった1枚だが、映像は残った。神学校の周りには、キツネも、いたちも、ハリネズミもいる。広い牧草地と森に囲まれた郊外だから、当然と言えば当然だが・・・

 

 

ちょっと胸にキュンと来るような、そんな雰囲気感じしませんか。周りの牧草地は飼料用の麦の一種を植えている。その実を食べて野ネズミが繁殖する。その野ネズミをキツネが狙うという食物連鎖らしい。子育て中かもしれない。

夏休みに日本に帰ってきた。ローマに向けて関空を発つ前に、この春にアシジをご案内したご夫婦の家に泊めていただいた。少年時代からの夢、堺市周辺の天皇御陵、古墳群を案内してもらうことになった。最大の仁徳陵古墳を見た後、近くの御廟山(ごびょうやま)古墳に回った。住宅に囲まれた静かな堀には鴨やシラサギがいた。

 

 

この古墳、すんでのところで墳丘を崩し、濠を埋め、宅地に造成されそうになったそうだ。濠に橋を架け、そこを重機が渡ってまさに墳丘を崩しにかかろうとした時、住民の反対運動で造成工事が未然に防がれ、橋は破壊されて、以来太古の静けさを取り戻したという。車をおいて、宅地を抜けて、濠に沿って歩みを進めると、やがてその壊された橋が見えてきた。

おや?橋の上に何かいるぞ!・・・もう少し近づいて見て驚いた。どうやらタヌキ?ではないか。

 

 

馬鹿にどっしり落ち着いている。最初の写真のローマのキツネより尻尾は短いが太く、全体にポッテリ太って色も濃いい。目の周りが黒いのも、まさにタヌキそのものだ。目を移すと、あっ!まだいた。

 

 

こいつ、壊れたコンクリートの橋の上に、ポニヨッ と臥せっている。メタボ体質そのものだ。・・・おや、まだいるぞ。

こいつら一体ここで何をしているのだ?

 

 

もっといる! ワッ、いっぱいいる。

 

 

どいつもこいつも、まあ恥ずかしげもなくコロコロ太って。タヌキ汁にしたらさぞ美味かろうと思った。

お濠に守られて、天敵がいないせいか、実に平和な顔をしている。ひと山ほどある古墳のどこかに穴を掘り、餌になるものも豊富なのだろう。こんなに人里の真ん中にありながら・・・・。

わたしは、人を見てさっと姿を消したローマの痩せた孤独なキツネの方が、愛おしいと思った。

今回は、哲学も、宗教も、寓意も何もありません。ただ、野生の動物の写真だけ。たまにはいいでしょう?

 

《おしまい》

 

 

 

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