:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 病める「福音と社会」

2023-04-25 23:35:45 | ★ LGBTQ+

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病める「福音と社会」

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 記録によると、2023年2月18日に以下のような投稿が「福音と司会」の編集者の山内継祐氏にメールで送られていた。彼はその受理を確認している。

* * * * *

福音と社会

「LGBTQについて思う事」

 谷口神父の記事を膝を打ちながら読んだ。今までこのような、LGBTQ運動に対する真実を、真っ向から切り込む意見をキリスト教関係者が述べるのを見た事がなかったからだ。

 私は個人的に興味があり、以前よりNHK等で時々放送しているLGBTQについての番組を観ていた。基本的に番組ではLGBTQの当事者達について好意的かつマジョリティである視聴者達に彼らの生きづらさや、理解を求めるものがほとんどである。その中でローズと名乗るトランスジェンダーの当事者が、結婚して20年以上も経ってから女装に目覚め、戸惑う妻を尻目に、金髪に真っ赤な口紅を塗り、ミニスカートで出歩く姿があった。そして自分の女物の下着を妻に洗わせ、身の回りの世話をさせている姿に非常に違和感を覚えた。また別の番組では、自分を男だと思う高校生の少女が、性別移行の処置を受け、詰襟の制服を身につけて一旦は望む通りな自分になったはずだった。その後やはり違ったと元に戻ろうとするも、一旦ホルモン治療を受けた身体はバランスを崩し、鬱病にもなり正常な社会生活は送れない姿を写していた。

 さらにここ最近流行りのSDGSの波に乗り脚光を浴びるLGBTQ運動について、一部の女性達が抵抗しているのをネット上で頻繁に見かけるようになった。彼らの主張はLGBTQの中でも主にT、トランスジェンダーについてである。なぜならトランス女性は女性ですという事で、女性自認の身体男性を、女性スペースにいれるべきという論調が高まってきたからだ。始めは私もはるな愛や、佐藤かよのような一般女性よりも可愛いらしいトランス女性をイメージしていたので、その問題性に気づけなかった。だが、海外からの情報も含めネット上に散見されるのは女性スペースに侵入する事に異常な執着を見せる、悍(おぞ)ましいモンスターのような男達の姿であった。その中にはトランスを名乗るオートガイネフィリア(自己女性化偏愛性倒錯症)の変態達も多く含まれ、目を覆うばかりの悍しい事実が広がっていたのである。

 書きたくもないが、彼らは女性トイレに侵入し、隣の個室から聞こえる女性の排尿の音に興奮し、女子トイレ内で女性用下着を身につけたあられも無い姿を自撮りし、自慢気にSNSに投稿しているのだった。またスザンヌみさきというトランスジェンダーのYoutuberが、女湯に入り、全くの男目線で女湯で見た光景を嬉々としてレポートする動画が炎上したばかりである。

 また今日も、心は女性と偽り、部下に性暴力を行った男が逮捕された。

 このような連中が女性スペースに侵入してきたらどうなるか。ただでさえ性犯罪の多い現状で、何が起こるか容易に想像がつく。

 ほとんどの女性は幼少期から、一部の異常な男達から何らかの性被害を受けてきたからだ。そして性自認が認められた先にある危険性に気づいた市井の女性達が大勢声を上げ始めた。

 ところが活動家達は彼女達にTERFのレッテルを貼り、トランスこそ守るべき一番の弱者とし、実際に危険に晒される女性と子供は無視し、女性達の口をヒステリックに塞ごうとしているのである。まさに朝田理論、お話にならない状況だ。

 女性達が危惧しているのは性犯罪だけではない。言葉巧みに洗脳を行い、思春期にありがちな自分探しに悩める子供達をトランスに導くようなやり方だ。

 そして時流に乗りトランスする事で脚光を浴びたい、承認欲求を満たしたい若者や、一部発達障害の若者も取り込みまるで最先端の活動のように持て囃されている。一時の気の迷いで、取り返しのつかない身体になり、ハイヤー氏の様に脱トランス活動に転換する若者も増えている。

 トランス旋風が巻き起こる海外では主にトランス女性による問題が次々起きているが、リベラルのファシスト達により無視され、逆に差別者として糾弾されている。LGBTQ に対する批判はすべてヘイトとし吊し上げる異常性は谷口神父の記事にある通りである。

 またトランス女性を容認する事で被害を受けるのは主に女性達と子供だが、被害の対象にならない男性がトランス女性を擁護し、声を上げる女性達の声を塞ごうとする様子はまるで正義を装った新手の女性迫害の惨状だ。彼らは被害を恐れる女性達に石を投げる前に、加害者である男性に向って加害を無くすよう訴えるべきである。トランス差別をするなと言うのなら、まず加害者をなくせと言いたい。女性からすれば、実態が不明な「心は女性」と言う身体男性を信用できるわけがないのだ。

 奇しくも先日のグラミー賞では、人気歌手でゲイのサム・スミスとトランス女性のキム・ペトラスが大ヒット中の曲「Unholy 」を歌い、サタンそのもののパフォーマンスを披露した。

 LGBTQを擁護するリベラルなクリスチャン達は、トランスジェンダーの不都合な現実から目を逸らさず、自分達が推進するその活動の先にあるものをしっかりと見るべきである。

 リベラルなクリスチャン達の善意と正義感を利用して、サタンは狡猾に神に背くよう誘導しているのである。

増田圭子

* * * * *

 実際は、約束に反して、この投稿記事は「福音と社会」(Vol.326)には掲載されていなかった。

 私は不審に思って、編集者山内継祐氏になぜ載らなかったのかを問い合わせたところ、彼からは、直接投稿者に面会して原稿の変更(追加)を依頼して了承されたのに、その変更記事が届かなかったので掲載しなかったから、という返事だった。

 しかし、その釈明は事実に符合しない。 ストレートに言えば 真っ赤 な嘘である。

 なぜなら、投稿者は―以下のやり取りを見てもわかる通り―いったんは検討を約束したかもしれないが、その後の展開を見て、最初の投稿内容の変更の必要性を感じなくなって、元のまま掲載することを求め、それを編集者は了解していたからだ。(以下はそのやり取り):

From: john19xxxx@gmail.com
Sent: Saturday, March 25, 2023 2:54 PM
To: フリープレス 山内 <hkeisuke@freepress.co.jp>
Subject:

山内さま

増田圭子さんから、以下の文の転送依頼がありました。

山内様

先日はありがとうございました。 (投稿者が編集者の要求で面会に応じたときのこと。カッコ内谷口加筆)

あれから、LGBT に寄り添う一文を考えていました。 (編集者に求められた加筆のこと)

この2週間で刻一刻と事態は変化し、

とうとうパパ様(教皇)も、トランスイデオロギーは危険だと声明を出しました。

https://twitter.com/2022meimei3/status/1634714757101129728?s=46&t=Y710t4T7y4Ii7tqfnT7Juw

今までこの問題に関心のなかった、一般男性たちも注目し始め、もはや以前のようなLGBT 擁護の声は、だんだんと小さくなり、むしろおかしなイデオロギーに反対する声の方が大きくなっています。

福音と社会の編集部に届く批判も、減ってきているのではないでしょうか?

ここ最近では、トランスジェンダーのよだかれん氏が、トランスジェンダーを女性スペースから排除するなと発言し、大勢の女性たちから非難をされていました。180センチもある大男が、このように軽々しく発言することは、まさにトランス女性は男であるという証明でしかありません。

LGBT当事者たちからも、続々とLGBT 法案は不要で、むしろ社会の分断を生むだけだという声が上がっています。

ですので、もう一部の活動家達に忖度する意味はなくなってきたと考えます。

先日校正をして下さったそのままの文章で、掲載していただけないでしょうか?

谷口神父様の書評が炎上した時とは状況が違ってきているのです。パパ様の声明を受けた今、むしろ正平協議会、カトリック新聞が谷口神父様に謝罪するべき事態になってきています。

どうかご一考いただけないでしょうか。

増田圭子

以上です。(谷口)

* * * * *

それに対して、編集者は以下のように返信しています。

From: hkeisuke <hkeisuke@freepress.co.jp>
Sent: Saturday, March 25, 2023 7:32 PM
To: john19xxxx@gmail.com
Subject: お取り次ぎへの感謝とご相談

谷口神父さま

増田さんのお便りを転送していただき、ありがとうございます。

増田さんお申し出の趣旨、了解しました。カトリック社研内での私の立場に変化がない限り、次号に掲載させていただきます。

そこでお願いなのですが、私が増田さんの原稿に赤入れした「整理稿」の現物を、増田さんご自身にお目通しいただくため、お預けしたままになっています。再度赤入れすることも可能ですが、増田さんのお手元にある整理稿との間に食い違いが生じるといけませんので、コピーをお取りになった上で、小生宛に現物を返送していただけないでしょうか。整理稿の内容のまま掲載します。

今月中に落手すれば、次号締切に間に合いますので、この旨を増田さんにお伝えいただければ幸いです。

山内継祐 拝

* * * * *

それを受けてなされた最後の交信は:

From: john19xxxx@gmail.com <john19xxxx@gmail.com>
Sent: Tuesday, March 28, 2023 12:58 PM
To: 'hkeisuke' <hkeisuke@freepress.co.jp>
Subject: RE: お取り次ぎへの感謝とご相談

山内さま

ふりがな「たけだけしい」を「おぞましい」に訂正するように伝えたと連絡したら、すぐ折り返しに「ありがとうございました」という返事がありました。(いずれもラインのSMSです。)

谷口

さらに、

From: hkeisuke <hkeisuke@freepress.co.jp>
Sent: Tuesday, March 28, 2023 4:49 PM
To: john19xxxx@gmail.com
Subject: RE: お取り次ぎへの感謝とご相談

 

谷口さま

ルビ訂正の件、承知しました。

山内

* * * * *

 これが、326号発行前の最後の交信でした。編集者は投稿者に対して、3月末の時点では、この投稿が掲載されることを、ジャーナリストのプライド道義「首」に賭けて確約したことになっています。

 それなのに、普段は発行と同時に関係者に贈られるはずのサンプル誌が私にも投稿者にも届かなかったので、はてな?と思って請求したら、数日後、私宛に2冊とどきました。

その驚きの結果は 不掲載「ボツ!」でした。

 編集者山内氏は「福音と社会」Vol.325のP.106の【編集部から】に「カトリック司祭・谷口幸紀執筆者の「書評」について、(中略)多様な意見が寄せられています。それらは(中略)誌上でご紹介してまいります。」と記している。それなのに、増田さんの投稿だけはなぜ載せられなかったのかの説明がない。

 自分の投稿は「ボツ」にされて、その代わりに掲載されたほかの投稿を見て、彼女の反応は、普段冷静な彼女らしくもなくやや取り乱して(?)いるかの感もありますが、まず、彼女の気持ちを聞いてあげて下さい:

今、「福音と社会」を読み怒りに震えています

なんですかあれ

真実を見ずに、活動家の一方的な主張を鵜呑みにし、

谷口神父様を悪者に仕立て上げるあれじゃあ、

元々私の文なんて載せる気なかったんじゃないですか

山内さんには心底失望しました

「福音と社会」にも

無知な大馬鹿たちがまんまとサタンの片棒担いで、正義ヅラとは

欧米は問題山積で、バックラッシュがおきているのに、

周回遅れでなにトンマな記事のせてるんでしょうね

 

いずれ自分たちのしたことを恥じるようになりますよ

あれじゃ、パパ様(ローマ教皇)の声明も目に入ってないんでしょうね

今の時代ネットを見ていない、ってこういうことです

 

主要なメディアはすでにサタンに取り込まれていますからね

 

* * * * *

どうです!この小気味よい威勢の良さ!ふだん冷静で控えめな彼女、大爆発です‼

事前に本人の了承を求めたら、「恥ずかしい、これは神父様だけに書いたのだから」と同意はキット得られそうにないので、敢えて彼女に無断で暴露します!(ごめんなさ~い(+_+)!) (ブログがアップされた後、それを読んだ彼女の同意とサポートが得られました!)

事ここに及んで、編集者の山内氏はなおおめおめとその職にとどまっていられるのでしょうか?それとも、もう辞表は叩きつけて、きっちり落とし前を着けていたら、それはそれであっぱれですが。

彼は、「ほかにいろいろ当たってみな断られた。これについてカトリックで書けるのはあなたぐらいしかいない」、と言って持ち上げて、「書いたら大反響になるよ」と言ったら、「それこそ望むところだ」と言わんばかりの余裕を見せていた編集者だったのに。

それが、「カトリック新聞」も、「カトリック正義と平和協議会」も、どうやら編集者のバックである「JOC」もそろってあちら側に回してしまって、「福音と社会」の管理者との板挟みになって、弱気にも生き残りをかけて日和ってしまったのでしょうかね。そんな彼を見たくなかったな。

いうまでもなく、「カトリック新聞」も「正義と平和協議会」もカトリック司教団のもとにある。今や、日本のカトリック司教団はフランシスコ教皇の教えから離反してしまったのだろうか。もしそうなら、すっかり病んでいるというほかはない。

教皇様はそのような傾向を憂い、厳しく警鐘を鳴らしておられるのに・・・

まあ、いずれにしても、「福音と社会」なんて、御大層なタイトルを語ってはいるが、私のドタ感で測れば発行部数1000部にも満たない、したがって、定期購読者はその7掛けに満たない泡沫出版物に過ぎない(推定が間違っていたら、お叱り下さい、訂正にはやぶさかではない。日本のカトリック教会そのものが信徒数40万人のミニ宗教団体だ。

そんな小さな世界の中で、不掲載は怪しからん、ボツにされて悔しい、などとコップの中の嵐を呼んでも、けち臭い話ではありませんか。それより、そのボツのおかげでこのブログに取り上げられ、発行部数の何倍もの社会の良識ある人々の目に事実が届く結果になったのだから、かえって良かったのではないか。「瓢箪から駒」というべきか。

「福音と社会」には、編集者の上司に発行人がいるようだが、その発行人はVol.326 の表紙裏に「読者様へのお詫び」という一文を乗せている。

 「お詫び」しなけれればならない事態を直接招いたのは編集者だろう。しかし、その人物の上司には同等の共同責任がある。政界や普通の企業なら、責任者の処分をもって、お詫びの落とし前をつけるか、その上司が身を引くのが筋というものではないか。しかし、今、屋台骨の山之内氏を切ったら、次号からの発行を続けることが出来ないから、その解雇は同時に「福音と社会」誌の廃刊を意味する。

 編集者は発行人のその弱みを利用して、ジャーナリスト魂を燃やして、約束通りに増田さんの投稿記事を載せることもできたのではないか。しかし、増田さんの記事を没にすることによって、発行人は「福音と社会」の廃刊を免れ、編集者は―本意か不本意か―首がつながったというズブズブの馴れ合いということか。

 私は、編集者がかつて「カトリックグラフ」を編集していた時、「金大中の KCIA による拉致事件」を大手の「アサヒグラフ」や「毎日グラフ」を出し抜いて、政府の緘口令にも逆らって、単独スクープしたときの歴史的快挙のことを今鮮明に思い出す。ヤクザのような KCIA に怒鳴りこまれて震え上がった発行人「生母の騎士」修道会は、編集責任者山内氏を即時解雇し、「グラフ」誌は廃刊にした。その後の彼の目の醒めるような身の処し方を、今、敬愛の情をこめて思い出している。あなたは解雇されても、親の土地と家のすべての私財をなげうって、破産するまで「カトリックグラフ」を一人で出し続けた。あの時の山内氏のカッコよさはどこに行ってしまったのか。

 ブルータス、お前もか?と言いたい。「福音と社会」という日本のカトリックの一郭がまた一つ、LGBT を背後から操っているサタンの軍門に下って去勢されてしまった。この転落の後遺症には重いものがある。

 

 

 

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★ 久しぶりの野尻湖の遅い春

2023-04-21 00:00:01 | ★ 野尻湖・国際村

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久しぶりの野尻湖  遅い

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 4月16日日曜日、今年初めて野尻湖の山の家を開けに行く。窓の下の斜面にはやや遠くコブシの樹が花盛りだった。望遠で引き寄せると花の形までわかる。

 

ベランダのわきの山桜は風にはらはらと花吹雪。

 

と思ったら、霧が出てきた。山の天気は変わりやすい。

 

きっと今夜は雨だろう。降り出す前に水辺におりてみた。

 

晴れていれば、正面に雪を頂く妙高の勇姿がそびえていているはずなのだが・・・

 

 4月17日 薪割りをしたり、スーパーに買い物に行ったり、県境を越えて新潟県の赤倉温泉に入りに行ったり。

 

4月18日 朝までに雨は止んで、水芭蕉を見に戸隠の奥社へ。修験道の山はのこぎり状の尾根に薄いガスをまとっていた。

 

 

足元にはまだ消え残った雪が。あと何日で姿を消すのだろう?

 

戸隠神社の奥社はこの鳥居からまだ30分の道のり。最後は険しい石段だ。

 

鳥居の足元には下馬とあり、昔はどこかに女人禁制の札もあったか・・・

 

 

 トレッキングコースは長・短お好み次第。水芭蕉の群生地も道しるべが教えてくれる。真っ盛りを期待したのに、まだ白い蕾が湿原からやっと顔をのぞかせたたばかりで寂しかった。緑の葉はまだ出ていない。やはり盛りは初夏を待たねばならないか。

 若いころには、夏の「はるかな尾瀬♬♪」に何度も行ったものだった。

 

 寒いと思ったら、季節はずれのボタン雪が降り始めた。83年の人生で、ふとすれ違った素敵なお嬢さまたち。 さっき戸隠の峰がかすんで見えたのは雪だったのか?

 

 

 池塘の水芭蕉の花もこれでは首を引っ込めたくなるわけだ。今日のトレッキングは雪のため中断。最短コースで車に戻って暖をとる。

 

4月18日 夜通しの雨が朝は濃い霧に変わった。霧が晴れると初めて青空になった。昼はリッチに山の上のレストランを予約して出かけた。森の道を行くこと30分。このアクセス道路は私のお気に入りだ。小さな峠を越えて田畑や農家を眺めながら、ゆっくりと食欲を準備するドライブになる。あたりにはあらゆる花が一斉に咲きそろう。

 

どの木もみんな若々しく装う。秋にはもう一度紅葉で目を慰めてくれるのだ。

 

この木は梅でも桜でもない。さりとて、リンゴでもナシでもない。はて、何の花?

 

路傍には道祖神石仏

 

この木、遠目には枝ぶりがリンゴに見えたが、花が違う。だが、果樹特有の剪定をほどこされた枝ぶりは、絶対に桜ではないと思う。

 ようやく丘の上のレストランにたどり着く。2代目で先代の社長の奥さんはプロテスタントの牧師さんだった。だからチャペルがある。そこで結婚式を挙げて、こちらで披露宴という流れになる。私も日本人の花嫁とアメリカ人のカトリックのカップルの結婚披露宴をこのレストランで祝ったことがある。そこには、タンザニアから嫁いできたフィディアさんという小柄な女性がウエイトレスをしている。彼女は働きながら故郷に学校を建てるなど、明るく優しく素晴らしい活躍をしている。彼女の数奇な人生を描いた絵本も売っている。たまたまカトリック信者で神父の僕とはもう長いお付き合いだ。

 この会社はワインとリンゴ酒で世界的に有名だが、農場のリンゴの樹もブドウの樹もまだ葉も花もつけてはいない。

 

 レストランの窓の外に急に雲がわいてきた。遠い山が海に浮かぶ島のようになった。

 

レストランの周りには色とりどりの草花が

 

 

 その夜、100年前にプロテスタントのドイツ人牧師が、日本人の大工さんを指導して建てたこの小さな山小屋には、どっしりした暖炉がある。太いマキを燃やし、ワインを味わいながら夜更けまで音楽を聴く。至福の時だ。明日は山を下りて、またシャバに戻ることになる。

 4月19日、峠を二つ超える近道で長野盆地に下るのだが、その前に、念のため秘密の花園をチェックしに林に入る。実は、家のすぐ目と鼻の先の思いがけない場所に、水芭蕉の小さな群生地があるはずなのだが・・・。

 

あった!戸隠の森よりも圧倒的に緑の葉が育っている。戸隠の森より野尻湖は300-400メートル標高が低いからだろうか。

 

長野盆地に下りきるあたりにりんごの果樹園があった。

 やっと出会ったりんごの花。初めて見たのはドイツだった。その後ヨーロッパの各地で。そして今信州で。白い花だが、蕾の時はほのかにピンク色をしているのがなんとも愛らしい。

 帰りの新幹線は昼過ぎなのに少々混んでいた。缶ビールいっぱいで昼寝をしているうちに東京に着いた。神様がお許しなら、今年もまた何度か山の隠れ家に篭りたいものだ。

 天候に恵まれたのか、恵まれなかったと言うべきか、実に目まぐるしく天気の変わる3日間だった。

(終わり!ただそれだけ)

 

 

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★ カトリック新聞4月2日号の「意見」欄 

2023-04-01 00:08:50 | ★ LGBTQ+

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カトリック新聞4月2日号の「意見」欄

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 カトリック新聞の4月2日号には、「意見」欄に山下暁子という名の人の記事が載っていました。

 その記事には、私が神父であることを熟知したうえで、私を「谷口幸紀氏」と呼び、私の書いた書評を、編集者の市川真紀さん、小宇佐敬二神父様と全く同じ言葉を使って性懲りもなく「無知と偏見、差別や侮蔑、憎悪に満ちたヘイト記事」だという決まり文句のレッテル貼りをしています。

 しかし、そのようなレッテルが全く事実に反したでたらめの真っ赤な嘘であることは、「書評」(上)(中)(下)の全文を私のブログで読んだ数千人(あるいはそれ以上)の読者の皆様がすでに知っておられる紛れもない事実です。もし、まだ読んでいない人がいたら、ぜひご自分で原文を読んで確認してください。(2月22日にアップした 9、10、11編前のブログです)

 それが見え透いた嘘であるのを承知の上で、まだ性懲りもなく敢えてそのような投稿に大きな紙面を割いて掲載したカトリック新聞は、日本のカトリック教会の広報誌としての品位信用を自分で地に落としめていることに気が付かないのでしょうか。恥ずかしい限りです。

 私がレッキとしたカトリック司祭であることは、2019年11月の教皇フランシスコが司式した東京ドームでの教皇ミサで共同司式を認められたことでも明らかです。それを知りながらカトリック新聞の編集部が山下氏の投稿の「氏」を「神父」に直す当然の校正上のイロハを敢えて適用しないままに放置しているのも、ずいぶんおかしな話です。

 教皇フランシスコは2023年3月10日夜、ナショナルカトリックレジスター(National Catholic REGISTER)誌のインタビューに答えて、「今日ではジェンダーイデオロギーは最も危険なイデオロギー的植民地化である(ideological colonization)」と述べられました。なぜ最も危険だと言うのかとの問いに対して、教皇は、「なぜなら、それは男であることと女であることの差異とその価値を曖昧にするものだからだ」と答えられました。教皇はこうも言われました。「すべての人類は差異の間に存在する緊張関係の中にあるべきものであり、人類は差異を通して成長すべきものだ。ジェンダーの問題はその差異を薄め、世界を同質化し、全てを退屈な似通ったものにしてしまうが、これは人類の召命に相反するものである」と断定されました。

 教皇フランシスコは、彼の10年の在位期間を通して、「植民地化のイデオロギー」という言葉を頻繁に用いてこられました。特に開発途上国への援助資金が「避妊」、「堕胎」、「不妊化」、そして「ジェンダーイデオロギー」と結びつけられる場合について語る場合に、この言葉を用いておられます。

 また、2016年にポーランドの司教たちと対話したときには、「今日、子供たち―子供たちですよ!―が学校で誰でも男のまたは女の性を選ぶことが出来ると教えられている。なぜそのようなことを教えるのですか?なぜならそのような教科書が彼らにお金を渡している人々や機関から提供されているからです。これらの『イデオロギー的植民地化』の形態は影響力の強い国々からの支援もうけているのです。そして、これは酷いことです。」さらに、「なぜなら、往々にして人々は少し思慮が足りなすぎて、それがまるで進歩への道であるかのように信じている」からだとも語っておられます。

 教皇様に言わせれば「彼らは『性差の尊重がなんであるか』ということと、すでにジェンダーの人間論である『性嗜好がなんであるか』の区別が出来ていない」のです。

 そして、この「往々にして少し思慮が足りなすぎて、それがまるで進歩への道であるかのように信じている」人々の中に責任の重い司牧や教育の現場を担う何人かの聖職者や修道女方が含まれているのは誠に残念なことです。彼らは、教皇様がご指摘の通り、「性差の尊重が何であるか」またジェンダーイデオロギーが言う「性嗜好が何であるか」の識別さえもできていないのです。

 私は、教皇様に言わせれば「少し思慮の足りなすぎる」人々が牛耳っている「カトリックの広報誌」によって悪し様に書き立てられることをむしろ名誉なこと、光栄なことだと思っています。私たちの唯一の主、イエス・キリストも、同時代のユダヤ教の指導者たちに同じようにあしらわれたのですから。

 とにかく、谷口幸紀氏の書いた「無知と偏見、差別や侮蔑、憎悪に満ちたヘイト記事」などというものは「福音と社会」には掲載されていません。そこにあるのは谷口幸紀神父の書いた、教会の正統な教えに沿った真っ当な「書評」です。

 そして、山下氏の意見投稿を掲載したということは、カトリック新聞が信仰と道徳の守り手であるカトリック教会の普遍的立場をかなぐり捨てて、教皇様が最も危険なものと言われるLGBTイデオロギイーに偏向し、加担し、毒されていることを明白に示すものであります。同様の傾向は「カトリック正義と平和協議会」にも見られます。彼らがいま叩いているのは、教皇庁のイニシャティブで始まった「正平協」がまだ世界の平和と社会の正義を守るために健全に機能していた頃の活動の猛者(もさ)、大先輩の国内委員長だった人物であるとは、よくも相手を間違えたものだと言いたいですね。

 イデオロギー化したLGBT論とその背後にある確信犯的勢力(悪魔)の問題は、看過できない重要さと深刻さと危険性を孕んでいます。

 カトリック新聞は、私の書評を叩いている暇があったら、どうしてこの教皇様の大切な指摘をこそ紙面で紹介しないのか、全く理解に苦しみます。

 

これが教皇様が最も危険と考えるジェンダーイデオロギーの目に見える姿です

彼らに取り込まれレインボーの旗を持たされて犠牲になるのは人類の未来を担う幼い子供たちです

その背後にあってすべてを操作し働いている存在の名前は、人間よりはるかに賢い霊的実在である悪魔(サタン=お金の神様=資本)です

 

狙われているターゲットは明日の教会の基礎細胞である「家庭」を担う子供たち

彼らの将来は一体どうなるのでしょうか?

 

 

今日は4月1日 

これがエイプリルフールであってくれればよいのですが・・・

 

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