:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 〔修正版〕シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」郡山公演

2016-12-12 08:33:42 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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〔修正版〕シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」郡山公演

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昨夜このブログをアップした時には単純な、しかし重大な変換ミスを見落としていました。今朝、12月12日朝読み直して愕然!慌てて修正版を載せます。赤字が訂正した箇所です。

今年もあと3週間。今年はいろいろな出来事がありました。中でも、去る5月6日の郡山公演は、結果的には非常に出来が良かったという内外の評判が定着したようです。しかし、その声は実際に郡山の県民文化センター(2004席)をほぼ満員にした聴衆の皆さましかわからないことでした。

私は、ふと思ってインターネットで "The Suffering of the Innocents" というキーワードを使って検索をかけてみました。そしたらどうでしょう?まず2013年6月27日のブダペストのオペラ座での演奏が目に飛び込んできました。再生回数は19,629回。指揮者はまだキコの最初の専属指揮者、若いスペイン人パウのおとなしい控えめな指揮によるものでした。

2012年5月8日のニューヨークフィルの本拠地、リンカーンセンターのエーブリーフィッシャーホールでの演奏は再生回数165,319回。この時も私は現場に居ました。(当時のブログ参照)

ユーチューブには、他にも432,528回などと言うのもあります。とにかくたくさんの会場の演奏が、何万、何十万と言う再生回数で自由に見られることに意を強くしました。

それなら、郡山のDVDもこのブログで見られるようにしても叱られることはなさそうです。皆さん、百聞は一見にしかずです。新しい指揮者、トーマス・ハヌスのダイナミックな指揮で別の音楽のように生まれ変わったキコの「罪のない人々の苦しみ」を聴き比べてみてください。

きっと、これまでの私のブログの紹介が、あながち的をはずしてはいなかったことを、ご納得いただけるのではないでしょうか。

https://drive.google.com/file/d/0B1k0_H6yYMJvVnJjdTc4VmI2cjQ/view?usp=sharing 

上のURLをクリックしてください。簡単に見られるはずです。

 

 

 

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★ シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」を語り合う会(郡山)

2016-12-07 14:38:48 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」を語り合う会(郡山)

(2016年12月5日)

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師走の朝早く江戸川の家を出て、車は一路常磐道を北上した。

行く先は郡山市のビューホテル。

今年の5月5日、郡山市民文化センター(2004席)の素晴らしいホールで演奏されたキコのシンフォニーを聞いた人々が集まって、感想を語り合う会に私たちは招かれた。

どんな集まりが待っているのだろうかと思い巡らしながら、小春日和の常磐道のドライブは快適だった。

用意された部屋の広さに釣り合った13人の男女が私たちを待っていた。私たちとは、グレゴリオ、ピラル、若いサムエルに私の4人。私たちは似たような会を東京でも、広島でもその他の都市でもすでにいくつか経験している。しかし、郡山の場合は特に印象的だった。私たちがお膳立てしたのではなく、招かれた形になったことがまず違った。昼食が準備されていた。

 

写真はお開きの前にテーブルの一辺に集まって集合写真を撮った

食事と懇談が終わると、あのコンサートの日の感動と、感想が時間をかけて語り合われた郡山市は日本の「楽都」と呼ばれる音楽のきわめて盛んな都市だ。海外から数十人のオーケストラが来たことも、有名な指揮者が来たことも、クラシックの名曲が演奏されたことも珍しくなかった。しかし、コーラスも含めて200人を超える海外からの大音楽集団が市民文化センターのステージを埋めたのはホール開闢以来のことだそうだ。

福島から東京への移動日を使っての追加公演企画が持ち上がったのが上演一か月前、ポスターが出来てPR活動が始動したのが僅か2週間ほど前だった。地元の音楽専門家は、経験から客席が空っぽの悲惨な大失敗に終わることを確信して、思いとどまるように真剣に助言してくれたのに・・・。それなのに、蓋を開けてみたらウイークデーの真昼間の1時半に2000席がほぼ満席になったのはまさしく奇跡だった。杉並区の人口の半分にも満たない郡山市(33.5万人)で、2週間のPRで2000席を満たすことは、人間的に考えて絶対に不可能でなければならなかった。このホールの歴史で今後2度と再び起こらないだろうと断言してもいい不思議な出来事だった。

演奏の最中、たくさんの人が感動の涙を流していたことを、出席者たちが証言した。(ベートーヴェンを聴いても、モーツァルトを聴いても、カラヤンが棒を振っても、こんなに大勢が涙を流す現象は起きない。)感情表現の控えめな日本人が、演奏が終わるやいなや、1階も2階も3階も割れるような拍手とスタンディングオベーションだった。前日の福島でも、次の日のサントリーホールも、満席にこそなったものの、これほどの熱気はなかった。オーケストラとコーラスの出来栄えも3会場のうち郡山が最上だった。

地震、津波、放射能汚染の3重苦は福島も同じなのに、郡山の場合「罪のない人々の苦しみ」への共感はなぜそんなに強かったのだろうか?

世界中を巡業しているキコのオーケストラとコーラスの団員も、「日本ツアーは良かった!!」、という点で皆の意見が一致している。指揮者のトーマス・ハヌスも、作曲者のキコ自身も大満足だった。「日本だったらまた行きたい!」、と言う声が彼らに会うたびに私の耳に届く。誰言うともなく、「次は広島と長崎だ」と、いうことになっているらしい。

あの苦労をまたするのかと思うと、立ちすくんでしまう私を、後ろから押し出すようにその声が迫ってくる。私は12月18日にまたローマに戻る予定だが、キコはこの年末年始私のいるローマの神学院に住み込んで、改築なった聖堂の正面の壁に壁画を描くことになっている。その壁面の広さ、バチカンのコンクラーベ(教皇選挙)が行われるシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの大壁画「最後の晩餐」のそれよりもさらに広いという。なんというスケールの怪物かと、同じ1939年生まれの私はただ舌を巻くばかり。

 

     足場の組まれているのが増築部分。   

 

この壁面はシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」の絵よりも大きい

同じ屋根の下に居れば顔を合わす機会も多かろう。そうだ、キコに会ったら言おう。「あなたに本気で行く気があるのなら、私は2018年5月に長崎、広島(もしかしたら関西でもう1か所)のツアーの日程を組む用意がある!」と。

その時、郡山ではこのブログの読者の皆さんの想定外の「まさかのサプライズ」があるかもしれないと言う漠たる予感が私を包む。(私はハラハラ、ドキドキしながらその日を待ちわびている。)

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★ シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」のDVDを見る会 《広島》

2016-07-08 22:44:46 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」

DVD を見る会 《広島》

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 広島駅にほど近い幟町の高級マンション街の一角、太田川の川岸の桜並木の木陰のテラスで昼食を頂き、「大人の休日割引」の利く新幹線「さくら」に乗った。大阪で「ひかり」に乗り換えて東京に着くまでに、昨日の出来事をブログに残そうと思う。

キコは郡山公演でも、東京はサントリーホールの公演でも、最後に「後日、皆さん集まってシンフォニーの感想を語り合う会を開いてください」と言い残して日本を去っていった。広島からわざわざ東京まで聴きに来たKさん一家は、どうせ集まりを開くなら、と私に声をかけてくださった。場所はKさん宅の応接間。実は6年前(?)のその場所でK家の長男の結婚式を私が司式したという、実にご縁の深いご家族だ。 

 リビングの壁の大きな画面には、皆さんが三々五々揃うまで、KFB福島朝日テレビが制作したシンフォニーの1時間物のドキュメンタリー番組を流して間を繋いだ。 

 

11時もまわった頃、予定の人の顔は大体そろったようだった。16-7人だろうか。今日は東京のサントリーホールでの演奏ではなく、5月6日の郡山公演のDVDが披露されることになっていた。 

 ハイビジョンの画面はなかなかきれいで、それを私のカメラで撮った画像もブログに使えるぐらいの画質を維持している。 

 子育ての真っ最中の若いお母さんたちも見に来て下さった。福島出身のご婦人もいた。思いが重なって涙ぐむ人もいた。キコの音楽が終わって、復興ソング「花は咲く」が演奏される場面では、その曲の歌詞が配られて、皆で一緒に歌った。気恥ずかしかったが、頑張って私も歌った。 

 DVDの鑑賞が終わると、自己紹介と感想を述べあう時間になった。全員が何かを話した。立って話しているマリアはスペイン人で2児のお母さん。小さい時に宣教家族の一員として両親にくっついて日本にやってきた。異国に移り住んで日本社会に溶け込むまで、色んな苦労をしたという話も出た。ピンクの半袖の女性が初めから何故か涙を流していた。腕組みの男性は私より3つほど年上で、ベトナム戦争に参加した元米軍将校だが、彼の戦場体験のほんの一部を聞いて、皆深い印象を受けて押し黙ってしまった。 

 ちょうどお腹の空いたころに会は終わった。みんなで手作りのカレーを食べて和やかに余韻を楽しんだ。キコのシンフォニーのコンサートは、音楽会会場で終わるその場限りのイヴェントとは一味違った、不思議な余韻を日本の社会に残していったような気がする。

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★ こんな素敵なコメントを頂きました

2016-06-19 00:00:05 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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シンフォニー

こんな素敵なコメントを頂きました

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3.11 東日本大震災の記念チャリティー音楽会

頂いたコメント

5月7日の東京公演では感激しました。CDとケリグマを買い求め、翌週から私の所属する教会でCD観賞会やケリグマ講読を行い信徒みんなで感激を分かち合いました。(「ケリグマ」はキコの自伝的処女作)

残念なのは、合唱団のコーラスの歌詞があれば、もっと感激したと思います。何処かで調達できないでしょうか。

機会あるごとに他の会合でも同じような分かち合いをしたいと思います。

そこで、こんな返事を書きました:

〇✖さま
    素敵なコメントありがとうございました。
    さっそく作曲者のキコに歌詞を請求して訳してご披露いたしましょう。
    少々時間を要するかもしれませんが、ご忍耐ください。

                              谷口幸紀拝

 

いきなり東京のサントリーホールでの日本初演で、シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」全5楽章は、会場をほぼ満席に埋めた人々から大好評を博した。作曲者のキコ・アルグエイヨ(スペイン人)自身も、もちろん日本初デビュー。

1700席の福島会場、県文化センターは満席を超えて人が会場に溢れるという見通しになって、演奏家の着替えの控室に借りていた400席の小ホールを急遽開放し、巨大ディスプレーを舞台に設置して大ホールの演奏を同時中継する準備までした。

それだけではない、福島県下で一回だけの公演はもったいないということで、当初東京への移動と東京観光に予定していた6日を潰して、午後1時半という異例の時間帯に、緊急追加公演が決まったのがわずか1か月前のことだった。2000人収容の大ホールでクラシック調のコンサートを計画して満員にするのは、長い時間かけて慎重に準備をしても容易なことではないというのが、プロの常識だ。それをゼロから1か月前にホールを予約てし、それからポスターやチラシの印刷に入り、正味2週間の宣伝でやろうというのは、常識ある専門家100人が100人とも、それは無理だ、不可能だ、絶対にやめるべきだという忠告の大合唱の中で敢行された。結果はほぼ満員になり、演奏後は万雷の拍手とスタンディングオベーションで熱気に包まれ、ある意味で東京のサントリーホール以上の盛り上がりになったことは、ただただ奇跡という他はなかった。歴史には3日で城を築いたという伝説があるが、まさにそれに匹敵すると私自身が驚いている。

東京のサントリーホールも無事に無難に乗り越えた。

6月4日にはKFB(福島朝日テレビ)制作の1時間物のドキュメンタリー番組が完成して放映されたが、私はあとでそのDVDを見せてもらって、その番組の質の高さに脱帽した。

とどめを刺すように、キコのシンフォニーのオーケストラ用の楽譜の要望が舞い込んだ。キコのシンフォニ-『罪のない人々の苦しみ」が日本のオーケストラによって演奏されるかもしれない可能性が見えてきた。キコもその求めを快諾して、私はいまPDFのファイルにまとめた総楽譜の届くのを首を長くして待っている。

 

 

 

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★ シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」日本公演と教皇フランシスコを結ぶ糸

2016-05-09 23:20:36 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」日本公演と教皇フランシスコを 結ぶ糸

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サントリーホールでのリハーサル風景はいろいろ撮ったが 舞台の袖で司会の一部を受け持つ自分が

本番中は カメラを持ってうろうろ動き回るのはいささか憚られたので 写真がない 

開演前 舞台裏にある控室の廊下で懐かしい顔に巡り会った

右側はヨーゼフ・コルデス枢機卿

聖教皇ヨハネパウロ2世の時代 キコの「共同体」の保護者 兼 監督者としてお付き合いがあった

聖教皇ヨハネパウロ2世の時代に日本に新しい神学校が誕生した時 彼と親しく接触した

直接ドイツ語でお話しができる 気さくで遠慮の要らないお人柄だ

8日の日曜日には 四谷の上智大学にあるイエズス会の建物でミサをとり行われたが

わたしはキコの側を離れるわけにはいかなかったので成田に残った 

左側の白い式服の人物はグアムのアンソニー大司教だが

キコのコンサートを聴くために5-6人の側近を連れて来日した

わたしはグアムのチャランパゴ教会の臨時主任司祭を勤めたとき 度々彼のお屋敷に招かれた

 

駐日バチカン大使のジョゼフ・チェンノット大司教も今回のコンサートの来賓の中に居たが

本番前は秒刻みで走り回っていたので 当日の彼の写真を撮りそこなってしまった

千代田区3番丁のバチカン大使館で何度もお会いしている

今回のシンフォ二-への招待状も直接届けに行った

サントリーホールでは 彼は

教皇フランシスコに次ぐほどの重要なポスト

バチカン市国の国務長官とならぶ福音宣教省長官フィローニ枢機卿からの

このコンサートに宛てたメッセージを 英語で代読してくれた

フィローニ枢機卿は 私の見るところ温厚でバランスの取れた優秀なバチカン官僚だが

自分で火中の栗を拾うタイプの人物ではない

イスラエルでの 世界のユダヤ教の指導者を招いてのキコのコンサートには

教皇フランシスコ自身が短いメッセージを寄せたが

今回のコンサートにフィローニ枢機卿が心のこもった長目のメッセージを届けた背景には

教皇の明白な意思が見え隠れする

教皇フランシスコはフィローニ枢機卿を使って またキコを使って

一つの重大なメッセージを日本に向けて発信していると私は思う

そのことは 今後次第に明らかになってくるだろう

以下に 駐日バチカン大使チェンノット大司教が代読したフィローニ枢機卿からのメッセージの

全訳を引用する

*******

2016年5月

皆様

コンサートで用いられる言語は、相違の壁や、無理解の海や、エゴイズムの山を越えることのできる「音楽」という普遍的な共通言語です。

このコンサートのテーマは「罪のない人々の苦しみ」です。苦しみとは、人の体や心に襲いかかる万人に共通の避け難い状態であり、誰もが生涯に渡って経験するものです。しかし、一口に苦しみと言っても、苦しむ人自身の苦しみもあれば、苦しんでいる人の苦しみに共感する人の苦しみもあります。そして、その反対は無関心という、今の世界に信じられないほど広まっている現象です。

キリスト者であるわたしたちは、神様が苦しみに対して無関心ではいられず、わたしたちの苦しみをご自身で担ってくださったことを知っています。想像を絶する愛の神秘です。しかも、その苦しみは、罪のない人を襲うときに特にその酷さを露わにします。

キコ・アルグエイヨ氏はこの曲によって、見事に聴衆の心をとりこにします。「罪のない人々」とは一体誰のことでしょう?私はホロコーストや、広島、長崎の犠牲者のこと、また福島の被災者のことに思いを馳せます。シリア、イラクで残虐な殺戮の被害者となっているヤジディ教徒や、キリスト教徒、イスラム教徒、女、子供、年寄り、そして自分を守る術を持たない人々のことを思っています。数え上げればきりがありません。

もし痛みを癒す薬がないとすれば、だれがわたしたちを救えるでしょうか?イエスは、自分の十字架を背負って彼に従わない者は、自分の命を失ってしまう、と教えられました。苦しみには取っておきの薬があります。それは赦しと憐みです。キコの音楽は、彼だけが与え得る特別な感性によってそのことを雄弁に物語っています。

この音楽の中に、私たちは神様の息づかいと声を聞き取ることができるのです。 

福音宣教省長官 

フェルナンド・フィローニ枢機卿

〔訳・文責:谷口幸紀〕

 

 

 

 

 

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★ 【訂正】 シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」東京公演を語り合う会

2016-05-09 00:48:46 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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【訂正】シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」東京公演を語り合う会

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以下の記事の中の住所が間違っていました!! 

この日のために私は5年間準備してきました。

サントリーホールのリハーサル風景

シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」東京公演は無事終わりました。その日の最後に、作曲者キコは、5月10日(火)7時半からスペイン文化会館(セルバンテス)

http://tokio.cervantes.es/jp/default.shtm

千代田区六番町2-9、TEL 03-5210-1800で会いましょう、と言いました。

今回のコンサート印象の生の声をお聞きしたい、と。

是非皆様お揃いでお集まり下さい。

前祝で歓談するキコ

(つづく)

 

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★ キコのシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」は健在

2016-05-04 23:05:25 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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キコのシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」は健在

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5月4日11時過ぎ、シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の作曲者キコは成田の第2ターミナルの到着ロビーに姿を現した。

ぎりぎりまで大集会のスケジュールをいくつもこなし、連日徹夜態勢で働いたまま休む間もなく飛行機に乗って、機内でも全く眠れていないと彼は言った。

わたしより11か月年上のキコのどこに、この超人的エネルギーが潜んでいるのだろう。

4月30日に三々五々日本に入った一行200人余りは、成田で3日間リハーサルをして、今朝、ミサの後5台のバスに分乗して、福島に発っていた。わたしはキコを迎えるために成田に残り、短く挨拶と必要な報告をすると、後は彼を付き人たちに託して、わたしは新幹線でバスを追い越して、福島のリハーサル会場に先回りした。

 

ロビーで迎えの私に気付いたキコ

 

成田の国際文化会館はゆとりのある施設でありがたかった。

30日朝8時に成田に着いて、ホテルは午後4時にならないとチェックインできない。だれも不平を言わず、5月の太陽を浴びて芝生で時間をつぶす。

幾つかの部屋に分かれてヴァイオリンはヴァイオリン、ヴィオラはヴィオラとパーツごとに練習する。

 

ハープは屋外で孤独に練習に耽っていた

毎朝ミサで始まる ミサの中で祈りをささげる指揮者のトーマス すぐ隣のブロンドが奥さんのヤナ

ミサは国際文化会館の小ホールを使って毎日行われた

ミサの後は毎日リハーサル

プロ、セミプロの集団であってもスペイン、イタリアを中心にメンバーはヨーロッパ中から集まってきた寄り合い所帯。 息がピッタリ会うまでにはある程度の時間が必要なのだ。

練習が終わったら電子ピアノの周りに集まってカンツォーネやスペインの民謡が

すぐに踊り出すのがこの集団の特徴

秘書のアナはよく働いてくれた。

明日5月5日は福島公演

本番は4時から

5年間準備してきたコンサートツアーがいよいよ現実となる 5月6日は郡山の追加公演、5月7日は東京のサントリーホール

(つづく)

 

 

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★ 新中川に春が来た

2016-03-15 16:27:56 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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新中川に春が来た

シンフォニーの準備はどこまで?

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ここ2週間余り、コンサートの準備に忙しすぎて、ブログの更新にまで手がまわらなかった。福島公演のテコ入れに週に何度も福島入りが続いたり、VIPの招待状の発送をしたり・・・ 

 

私の部屋の窓から、新中川の水面が見える。ここはレジャーボートの係留地だ。

 

窓の下の土手には春の午後の日差しが暖かく・・・

 気分転換に外の空気を吸いに土手に上がったら、

思いがけなくも、土筆が生えていた。春の訪れだ。

 

 

 

部屋の中では、アナ(帽子)とラケル(右側)がチラシや招待状の発送の事務で忙しく働いている。なんとささやかな、ささやかな、手作りの現場だろう。

どうやらチケットぴあへの委託戦略を誤ったらしい。同じS席でも中央のいいところは先に売り切れて、両端の席はいつまでも売れ残っていた。それで、あわてて他の列も中央を新たにぴあに渡した。

皆様、まだいい席残っていますよ。どうかよろしくお願いいたします。

それにしても、何と時の流れの早いことか。余すところたったひと月半。この調子で行くと本番まであっという間に時が過ぎるだろう。しなければならないことが山積しているというのに・・・。

どんな仕上がりになるのか、期待と不安が交錯する。

(つづく)

 

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★ 【改訂版】 3月 《イェヌーファ》 東京公演

2016-03-01 04:45:07 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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【改訂版】

3月 《イェヌーファ》 東京公演

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先日朝日新聞に以下のような広告を見つけました。

この春、クラシック界注目の公演! 魂を揺さぶる究極の愛のオペラ

ヤナーチェク 〈新制作〉

《イェヌーファ》

新国立劇場

T. ハヌス 指揮

東京交響楽団

新国立劇場合唱団

S27,000円 A21,600円 B15,120円 C8,640円 D売り切れ

《イェヌーファ》 の一シーン (ネット上に公開された写真から)

ヤナーチェクのオペラ「イェヌーファ」と言っても、ピンと来る人はかなりの音楽通に限られるのではないでしょうか。あらすじから察するに舞台は近い過去の東欧の田舎の恋愛と危機とその克服の物語りです第一印象としては、S席27,000円 は貧しい庶民の懐にはなかなか手の届きにくい値段だなーと思いました。

  この値段は 指揮者トーマス・ハヌス の日々高まりつつある日本での評価に負うところが大ではないかと私は思いました。そのトーマスが、一旦チェコに帰ったあと、5月再び来日してサントリーホールで指揮をします。

私は昨年5月イスラエルでトーマスがキコのシンフォ二-を初めて指揮して以来、この1月にマドリッドで会ったのが3度目で、奥さんや7人の子供たちを含めてすっかり仲良しになりました。もちろん新国立劇場のオペラ「イェヌーファ」にも招いてくれました。それは私の無知を打ちのめすすばらしいものでした。第3幕では、思わず涙を流してしまいました。単なる美しいメロディーやハーモニー、舞台の華やかさなどから来る感動とは一味違った、ヤナチェックという作曲家の深い精神性のなせるわざでした。もちろん、トーマス・ハヌスの指揮も大いに貢献してのことだったと思いますが、・・・。

そのトーマスが、キコの処女作「罪のない人々の苦しみ」の専属指揮者になったのです。今後キコが作曲するであろう交響曲の新曲も彼が指揮することになるはずです。私は2012年のアメリカツアー以来、世界中どこであれ、殆どすべての演奏に立ち会ってきました。皆さん、百聞は一見に如かずです。演奏終わって帰るとき、きっと不思議な興奮に包まれていることでしょう。失望はありえないと思います。どうか、ものは試しです。是非ご来場ください。

 

福島公演: 5月5日 6時00分開演。 福島市文化センター

  東京公演: 5月7日 6時30分開演。 サントリーホール

ホームページ URL: http://goo.gl/oq5tbX

 このブログは一部改訂しました。最初のものはいささか内容の掘り下げ方が足りなかったと反省しています。

 

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★ 福島と東京の温度差

2016-02-19 22:54:24 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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福島東京温度差

「キコのコンサート」ニュース

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私は福島に何度足を運んだことか。もうかれこれ10回を下らないのではないか。「福島第一原発は二町にまたがるが、その一方の大熊町役場は会津若松に疎開していた。もう一方の双葉町は役場をいわき市に疎開していた。浪江町は二本松市に、葛尾村は三春町に、富岡町は郡山市に、飯館村は飯野町に、といった具合に、たいていは2階建てのプレハブ役場を建てて不便な疎開生活をしていた。町民や村民も役場のかたわらやあちこちの仮設住宅にひっそりと分散して、冬の寒さと不自由な生活にひたすら耐えていた。

雪の中の 富岡町 郡山事務所

1月、2月、降りしきる雪を衝いて、でこぼこの雪道を1日300キロも走った日もあった。伊達市にも、広野町にも、川内村にも、川俣町にも足を運んで、キコのシンフォニーに被災者の皆様をご招待するために挨拶に歩いた。何しろ、北海道と岩手県に次いで日本で3番目に広い県のことだ。半端な行脚ではなかった。

役場と共に疎開してきた町民の仮設住宅 買い物も 医療も何もかも不便な中で じっと耐えるしかないのか?雪が降る。

東京を出る時は暖かでも、雪模様の福島や郡山に降りると、底冷えがした。風評被害だけ残して、都会の人の心の中ではすっかり風化し忘れ去られようとしているが、福島の人々の苦しみはまだ現在進行形なのだ。

夜、気温が下がると凍って危ない山中の道

しかし、気候とは裏腹に、福島の人々の心は温かだった。キコが200人余りの音楽家を連れて、数千万円をかけて、福島の地までやってきて、「天災」の上に放射能の「人災」を被った人々と連帯し、音楽を通して「再生と復活」の希望のメッセージを伝えに来てくれるのを、ただ座して眺めているだけでいいものだろうか、という問いが自然に人々の心に生まれた。自分たちも何かしないではいられない思いが湧いてきたのだろう。

道はでこぼこ 視界も悪い

福島県も福島県教育委員会も、福島県市長会も、町村会も、福島市も難なく「後援」申請を許可してくれた。地方新聞・テレビ局も、全県レベルの各種団体も約50件の後援が取れた。すべて、福島の有力者の協力と口利きによるものだ。

飯館村の菅野村長はコンサートの初めに「福島の現状」について話して下さる。福島県合唱連盟や、お母さんコーラスや、3つの高等学校のグリークラブが、コンサートの最後に歌う「花は咲く」の合唱をサポートするために多数参加することも決まった。県内それぞれ1000軒以上ある美容院や床屋さんにもコンサートのポスターは張り巡らされる。この分で行けば福島の会場は間違いなくいっぱいになるだろう。福島の下からの盛り上がりで現地事務局も生まれた。福島の雪の冷たさとは裏腹に、人々の心は今熱く燃えている。

こんなに美しい会津磐梯山を私はかつて見たことがない

一方東京はどうだろう。サントリーホールという超一流の会場は取れた。しかし、東京都を始め、後援を依頼した先々の反応は冷たかった。そんな中で福島第一原発のある大熊町と双葉町の「後援」は実にありがたいものだった。

協力を期待した人々は、素人の私たちのお手並み拝見とばかりに遠巻きに見守るだけで、手弁当で手伝いに駆けつけてくれる人はまずいない。大東京の都会の砂漠の中で、わずかな無名の理解者たちの協力を得て、闇の中を手探りで孤独に奮闘するほかはないのだろうか。公演当日が近づくにつれ、私は危機感を募らせている。

しかし、海外からは強力なサポートがある。バチカンからははるばるコルデス枢機卿の列席が決まった。同枢機卿は聖教皇ヨハネパウロ2世の時代、教皇の特命を受けてキコの運動の保護と指導に当たった人物だ。フランシスコ教皇の時代に、彼の出席は今回のコンサートに対するバチカンの認知と支持を意味するものだろう。昨年5月のイスラエル公演の前例から察するに、今回も福島・東京の2会場で教皇フランシスコの3.11被災者に宛てたメッセージが読み上げられる可能性は高い。隣国ソウルの枢機卿を始め100~150人以上も、中国や台湾、フィリッピン、グアムなど、アジア各地からも参加が噂されている。日本の司教様たちの間にも2-3人以上の来臨が内定している。

東京のコンサートに来ることが決まったローマのコルデス枢機卿

しかし、東京の一般市民の手応えはまだほとんど感じられない。当日、舞台は整って、定刻に明るい照明がオーケストラとコーラスを照らし出したが、客席は暗く誰も座っていなかった、という悪夢を見る。人は、他愛ない楽観主義から、「きっと大丈夫だよ」と慰めてくれるが、私の胸騒ぎは静まらない。

福島は熱く燃え、東京は冷たく凍てている。この違いは何処から来るのだろうか。わずか5年の時の流れの中で、福島は70年前の広島・長崎並みに、東京人にとって、もう歴史的過去に葬り去られてしまったのだろうか。人々の目は過去の福島ではなく、未来の東京オリンピックに向いているように思えてならない。

2011年3月、イタリアの新聞の1面上半分を飾った福島第一原発の爆発の写真(私は核爆発だっと信じている。左端は天皇の写真。

赤い字の見出しは「目に見えない破局の震源地」と読める。

福島第一原発は東京電力が建設したものだ。その電力は福島のためではなく首都圏の住民を潤すためのものではなかったか。際限を知らぬ消費生活の奢り高ぶりの罪のつけを背負わされたのが、福島の人々ではなかっただろうか。この福島の「罪のない人々の苦しみ」に寄り添うことこそ、まさにキコのシンフォ二-の普遍的テーマなのだ。

 

アウシュヴィッツの強制収容所の正門に向かう一本のレールとユダヤ人を運んだ貨車のイメージ

首都圏にお住いの被災者の皆様は無料でご招待いたします。

(以上)

 

 

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