長野の県北、野尻湖畔の野ウサギが、北海道の知床に旅をしてエゾ鹿に出会った。カトリックの最高学府、ローマの教皇庁立グレゴリアーナ大学でも、「悪の根源」、「悪は何処から?」についての納得のいく講義にはついぞ出くわさなかった。そこで、欲求不満のウサギがエゾ鹿を相手に始めたのが、この「知床日記」です。誰でも「ああ、それなら納得!」と言えるような答えにたどり着くかどうか。野心的な挑戦です。あと何回続くことやら・・・・
〔ウサギ〕 眞・善・美・愛の究極の源である孤高の一者、ご自分のあふれる愛で全被造物を無から呼び出して、その被造物を一瞬一瞬ご自分の愛で支え続けておられる神(エヘン!上手に神を定義したでしょう?)のほかに神はないとすれば、善の神と悪の神の二元論は成り立ちませんね。しかし、この世の中に「悪」が、それも小さな悪から、世界を揺るがす巨悪にいたるまで、存在することは疑う余地のない現実でしょう?神が創らなかった悪がどうしてこの被造物界に存在するのか、さあ、じらさないで早く説明してください。
〔エゾ鹿〕まあ、そう焦らないで。ことは、論理的飛躍の誘惑を退けて、哲学的に強固な論理の連続的積み重ねの上に、それも、グレゴリアーナ大学の抽象的・観念表現によらず、哲学も神学も勉強しなかった人にも分かる平易な表現によって説明仕切らなければならないのだから,結構大変なのさ。(続きはまたすぐに書くつもりです)
陰の声(それにしても、こんなに退屈な話に、それも、何度開いてみても、いつも同じで、いつ更新があるか分からない怠惰なサイトに、それでも懲りずにアクセスし続けてくださる固定客がいらっしゃることに感激です。ブログの先輩の皆さんは先刻ご承知のことですが、自分の編集画面には、毎日のアクセス数が出ています。その数の乱高下から、顔も名前も分からない読者の皆さんの心の動きがびんびん伝わってきます。サボらず真面目に書けよ、と叱咤される思いです。)
2008-05-29 07:58:39
最近の私のブログ、週に一度も更新しないことが多いにもかかわらず、毎日、私にしては驚くべき数のアクセス。一体誰が?と思うと不気味。
私の生活にも変化が訪れるのかな?と言う予感がしています。そのことはこのブログの最後に書きましょう。
心の洗濯のために、戸隠の山を見に行きました。
午後の逆光の戸隠。戸隠神社奥社の駐車場。ここからの岩屏風のような眺めがわたしは好きだ。
一歩森に踏み込むと一面の水芭蕉。
足元にはカタクリ?の花。
この黄色い可憐な花の名は・・・?ええと、キンポウゲ??違う、リュウキンカですって!(有難う!)
足元の清らかな流れは木々を映して・ ・ ・ ・ ・
やっぱり水芭蕉は水の中がいいね !ちょっと尾瀬を思い出す。
目の高さには柔らかな木の葉が・・・・
こずえには元気な野鳥が。可愛い嘴は、くわえた大きなエサで隠れている(ちょっと残念!) 一瞬の出来事。シャッターの微かな音が消える前に、ブルブルッと羽音を残してもう姿は無かった。
さて、野尻湖の国際村に流されて、早くも2年の時が流れました。ローマに流されていた1年を加えると、3年間の司教命令による教区外居住。正直、つらいことが多かった。
55歳になってやっと司祭になり、その後も神学の教授資格を取るためにローマで学生神父をして、帰ってからは高松の神学校の建設に情熱を燃やした。ウオールストリートで、ロンドンのシティーで、霞ヶ関で、国際インヴェストメントバンカー時代と変わらぬ活動の場がそこにあった。充実した日々だった。
深堀司教様が引退されると、新しい司教様が着任された。今にして思えば、それが神学校解体の始まりだった。私は創造の喜びを味わった。解体作業を身体を張って阻止するであろう私の存在は、邪魔者であった。3年間、手も足も出ないところに置かれた。孤独、疎外感、冬の厳しい寒さ、慣れない自炊など生活の不如意なことの数々、経済的窮乏・・・・祈りと共にそれらを犠牲として捧げることだけが、神学校を救い、お金の神様の奴隷たち、世俗主義の闇にうごめく1億2700万の日本人の魂に、キリストの福音を告げる希望の火を消さぬための、わたしの武器だった。
最近、6月末には解体作業完了の発表をすると、司教様からのメールがあった。彼には、オメデトウと言うべきか?
バンザーイ!これで、私の教区外生活の必要性は終わった、と喜ぶべきか。
私は復活を信じる。神学校は不滅だと信じる。どのようにして?それは聖霊がご存知のこと。
神学校をつくり、福音宣教の情熱に燃えた若い神父たちを世に送り出す、創造の喜びは大きかった。
だが、破壊の負のエネルギーの巨大さ、その有能さには目を見張った。それも別の大きな喜び、快感だったのだろうか?
日本の司教団は、彼を支えた。
ローマは、そして特にベネディクト16世は、わたしたちの拠り所だ。
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛するものは、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとするものは、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕えるものがいれば、父はその人を大切にしてくださる。
(ヨハネによる福音書12章24-26節)
なんという慰めに満ちたみ言葉だろう。死ぬまで従順を身上として生きていこう。
戸隠のマイナスイオンの澄んだ空気のように、わたしの心も澄み渡っている。
そうだ、高松に帰ろう。そこがわたしの司祭としての召命を受けた原点なのだから。
〔ウサギ〕 前回は「心臓がどきどきして、胸が苦しくなって、頭ががんがんして、口の中に唾が溜まって・・・・」で終わったけど、それで、そのあと一体どうなったの?ねー、ねー、早く教えて!
〔エゾ鹿〕 まあ、まあ、落ち着いて。口の中には唾が溜まって、脇の下には汗をかきながら、暫らくの間、可哀想な坊やは必死で良心との葛藤に耐えていた。
「一口でいいから食べてみたいなー。」
それは坊やの偽らざる気持ちだった。それに対して、
「食べてはいけない!それは、お父さんの言いつけに背くこと。あの優しいお父さんを悲しませること。その愛を裏切ること。だから、食べたらきっと後悔するよ!お父さんの目をまともにみられなくなるよ!絶対に食べては駄目!」
その声は、坊やの心の奥底に響く声、誰か知らないけれど、坊やの心に語りかける確かに誰か別の人の声だった。食べたい!という自分の気持ちと、坊や絶対駄目だよ、という他者の声とがせめぎあって、身動きが取れなかった。
びっしょり冷や汗をかきながら金縛り状態にあったとき、もう一人、別の声が聞こえた。
「お兄ちゃーん!一緒に遊んでー!あら、チョコレート?!美味しそう。一ついただいてもいーい?」
お人形のように愛くるしくあどけない、悪餓鬼の妹だった。坊やは、心ひそかにその女の子のことが大好きで、この家に遊びに来るのは実はそのためでもあった。
「おひとちゅ、どーじょ!!」
その子が坊やにチョコレートを差し出した。なおためらっていると、不思議そうに見上げて、
「いらないの?一緒に食べないの?じゃー、もう遊んであげない!」
その瞬間、坊やの心のバランスが崩れた。女の子の小さな手から受け取ると、それを口に運んだ。口の中に、チョコレートの甘美さが広がっていった。美味しかった。(つづく)
2008-05-22 07:11:57
この温度差! 2008年5月18日発行の
「ヴァチカン機関紙」と「カトリック新聞」
( “L’OSSERVATORE ROMANO” vs “THE CATHOLIC WEEKLY” )
新求道共同体の「規約」は5年前に前教皇ヨハネ・パウロ二世によって既に5年間の期限付きで承認されていた。現教皇ベネディクト16世はそれを恒久的に承認する。
この温度差! 2008年5月18日発行の:
「ヴァチカン機関紙」 と 「カトリック新聞」
( “L’OSSERVATORE ROMANO” vs “THE CATHOLIC WEEKLY” )
《 「混乱と分裂に解決を」 4司教、教皇に現状訴える 》
vs
教皇様 《 運動体に対応する際に求められる賢明さと忍耐 》
この日のカトリック新聞(日本カトリック司教団の機関紙)の一面右半分を占めるトップ記事の見出しを活字の大きい順に拾うと、
「混乱と分裂に解決を」
「4司教、教皇に現状訴える」
●「20年越しの課題」高松教区立国際宣教神学院
●「道」の規約は未承認
● 神学院問題が解決しない限り
● あなたの忍耐と苦労に感謝しています
まるでそれに答えるかのように、同日付のオッセルヴァトーレ・ロマーノ紙(ヴァチカンの官報)は、教皇ベネディクト16世の司教たちへの訓話として、以下のような文章を発表した。その全文を訳したので、読んでいただきたい。そうすれば、ローマと東京の間にどれほど大きな落差、温度差があるかが一目瞭然になるだろう。
* * * * * *
信徒省主催の司教たちのための学習セミナー参加者に宛てた
ベネディクト16世の訓話
諸運動体に対応する際に求められる
賢明さと忍耐
司教達は、賢明さと忍耐をもって、様々な運動ならびに新しい共同体に対応しなければならない:パパ様は、5月17日土曜日、コンチストロの間での謁見に招かれた信徒省主催の学習セミナー参加者に対して、そう言われた。
枢機卿方、
司教職、並びに司祭職における敬愛する兄弟のみなさん、
親愛なる兄弟と姉妹たち!
信徒省主催で、教会内の様々な運動ならびに新しい共同体に対する司牧的対応について反省するために開かれた司教セミナーに際して、貴方たちにお会いできるのは私の大きな喜びです。世界中から参加された大勢の司教様に感謝します。おかげさまで、セミナーは成功裏にその最終日を迎えることになりました。司教職における兄弟の皆さんと全ての出席者、とりわけ、信徒省の長官スタニスラオ・リルコ枢機卿と秘書のモンセニョール・ヨゼフ・クレメンス、並びにその協力者たちに、心からの一致と平和の挨拶を送ります。
信徒省が信徒の諸運動に関する司教セミナーを催すのは、今回が初めてではありません。1999年のそうした催しのことを私はよく覚えています。それは、その前年の5月30日に、私の敬愛する前任者ヨハネ・パウロ二世が開いた様々な運動と新しい共同体との出会いに続くものでした。当時、私は教理省の長官として、その討議に深く関与し、たくさんの重要な点について司教たちと率直で兄弟的な直接対話を確立しました。また、今回のセミナーは、ある意味において、私自身が2006年6月3日に開いた100以上の信徒集団に属する信徒たちとの会合を継続するものでもありました。そのような機会に、様々な運動と新しい共同体の経験の中に「キリストとその花嫁である教会の美しさの輝かしい印」が明らかになりました(2006年5月22日のメッセージ参照)。私は「様々な運動に属する親愛なる友人達」に対し、それらの運動が、キリストによって啓示され、使徒たちが証しし、その弟子たちの大家族を通して私たちに伝えられた真理と愛に生きることを学ぶ「一致の学校、歩みの伴侶」としてますます発展するよう励ましました。(同上)
教会の様々な運動と新しい共同体は、第二ヴァチカン公会議を現実化するために教会の中で聖霊によって鼓舞された最も大切な新しい事象であります。それらは、公会議直後、特に熱烈な約束に満ちた数年間、に生まれ広まりましたが、それはまた、最初から多くの苦難と試練の印をも伴っていました。パウロ六世もヨハネ・パウロ二世も、様々の斬新な形で活気と信仰と希望を全教会に再び与えてくれたこれらの信徒の新しい現実のほとばしりを受け入れ、識別し、励まし、擁護することに努めてきました。事実、当時すでに彼らは、これらの運動が喜びにあふれ、信仰の道理にかない、キリスト者であることの美しさに輝いていることに関して証言し、それらが教会そのものである交わりの神秘に帰属していることへの感謝の気持ちを表していました。私達は、気付かされ生きられたキリストとの出会いの貴重な体験を、全ての人と分かち合いたいという願いに突き動かされた彼らの力強い宣教の情熱の目覚めを目の当たりにし、それが真理と幸福への人間の心の深い渇きに対する唯一の真実な答えであることに気付かされました。
その際、神のご計画と今の時代の状況下における教会のミッションの観点から、このような新しい現実をどうすれば適切に包み込んでいくことが出来るかという問題が、未解決のまま残されていることを、見過ごしてよいものでしょうか。まさにそのために、多くの部分教会において、対話と協力が始められ、絶えずそれを深めていく過程で、司教たちの側からの数多くの指導や方向付けが相次いでいるのです。少なからぬ偏見や抵抗や緊張がすでに克服されました。しかし、全てのカリスマが、それぞれの特性を十分に尊重されて、最大限に、また自由に、キリストの唯一の体の建設に貢献できるようになるためには、教会の全ての構成要素とのより成熟した一致が促進されなければならないという重要な課題がまだ残されています。
アドリミナの訪問に際して、ドイツの司教たちのグループに私が宛てた勧告が、このセミナーの指針として選ばれたことを、私は大変高く評価しています。もちろん、今日は、たくさんの部分教会の牧者であるあなたたちにも、それをあらためて披露したいと思います。それは、「深い愛をもってそれらの運動に対処して下さるようあなた方にお願いいたします」というものです(2006年11月18日)。それに何も付け加えて言う必要は無いでしょう!愛はよい牧者を識別する印です。愛こそが、私たちに託された責務の信頼に足る効果的な遂行を可能にしてくれるのです。様々な運動と新しい共同体にたくさんの愛をもって向き合うことが、表面的な印象や偏見無しに彼らのありのままの姿を理解する上で不可欠です。それはまた、教会内の運動や新しい共同体が、新たな問題の種や、ただでさえ重い我々の職務にのしかかるさらなるリスクではないことを理解するのを助けてくれるでしょう。そんな心配はありません!かえって、彼らこそ主からの贈り物、キリスト教共同体全体を新しいカリスマによってより豊かにするための貴重な資源なのです。それゆえ、彼らに活動の場所を与える信頼に満ちた歓待に欠けるところが無いように、そして部分教会の生活に対する彼らの貢献を正しく評価するようにしてください。また、個別の問題に関する困難や無理解が排他的な態度を正当化することの無いように。「たくさんの愛」は賢明さと忍耐を鼓吹するでしょう。かれらの宣教的情熱、キリスト教的養成の効果的な道、教会に対する忠誠と従順の証し、貧しい人々の必要に対する感受性、召命の豊かさなど、われわれが知って評価することを学んだたくさんの賜物を、彼らが惜しみなく用いて、秩序正しく実り豊かな形で、全体の利益のために奉仕することが出来るように、真心のこもった賢明な方法で、様々な運動や新しい共同体に対して父性的配慮をもって密接に寄り添うことが、我々牧者に求められています。
新しい諸カリスマが本物であることは、教会の権威の識別に常に自らをゆだねようとする彼らの恭順な態度によって実証されています。既に、多くの教会内運動と新しい共同体が、聖座の認知を受けています。したがって、彼らが全ての教会のための神からの賜物であると見なされることに関しては、疑いを差し挟む余地はありません。まだ誕生の過程にある他のものは、部分教会の牧者によってよりデリケートに、注意深く見守られる必要があります。しかし、識別と指導の奉仕に召されたものは、そのカリスマの上に横暴に立ち振舞ってはなりません。むしろ、聖霊が唯一のキリストの体の建設と拡張に協力するために多様性を生かそうと望んでいるときに、それを画一化してしまおうとする誘惑と戦いながら、それらを窒息させてしまう危険を冒さないように気をつけなければなりません(1テサロニケ5:19-21参照)。聖別され神の霊に助けられ、教会の頭であるキリストのうちにあって、司教は、良いもの、真実なもの、美しいもの、個々人と共同体の聖性の増大に資するものを認め評価するために、カリスマを吟味し、試さなければなりません。矯正のための介入が必要になった場合も、それが「たくさんの愛」の現われとなりますように。様々な運動と新しい共同体は、独自の集会の自由と彼らのカリスマへの忠誠を大切にしますが、同時に彼らは、その忠誠と自由が、ペトロの後継者に結ばれた司教達によって管理され、保護され、導かれている教会との一致によって、制限されることなく保障されるものであることを十分に承知していることをはっきりと示しています。
司教職における親愛なる兄弟の皆さん、この会議の終わりに際して、叙階のときに受けた恵みが、皆さんの内にあって活力を取り戻すように勧めます(2テモテ1:6参照)。全ての人のために教会の中で神の霊ご自身が引き起こされた驚くべきことがらを私たちがよく理解し、大切に護ることが出来るよう、私たちを助けてくださいますように。使徒たちの女王である至聖なるマリア様に、あなたたちの一つ一つの教区を委ね、あなたたちに心からの愛に満ちた使徒的祝福を与えます。この祝福は、司祭たち、修道士たち、修道女たち、神学生たち、カテキスタたち、全ての信徒たち、特に、今日あなたたちの心に委ねられた教会の様々の運動と新しい共同体のメンバーにも及びます。
〔ウサギ〕 「ファンダメンタル・オプション」ってなーに?聞いたことないな。
〔エゾ鹿〕 それはまあ、平たく言えば「基底的選択」とか「根底をなす選択」ということかな?
〔ウサギ〕 エーッ?ちっともひらたくなんかない。ますます分かんないよ。
〔エゾ鹿〕 それでは、何かたとえで説明するとしよう。優しいお父さんが、小さな坊やに、「遊びに行った先のお友達の家で出されたお菓子は、たいてい何を食べてもいいよ。だけど、チョコレートだけは絶対駄目だよ。だって、お前はカカオアレルギーなんだから」と。
いい子の坊やは、お友達のお母さんが出してくれるおやつをいつも喜んで食べた。けれども、チョコレートが出ると、すぐお父さんの言いつけを思い出して、手を出さなかった。自分の家で食べたことがなかったから、食べないことにたいした意思の努力も必要なかった。それどころか、お父さんの言いつけを今日も守った事で、内心誇らしく思い、いい気分だった。家に帰って、お父さんに、今日「○○君のお家でチョコレートが出たけれど、お父さんに言われていたから僕食べなかったよ」というと、お父さんは「坊やはいい子だね」といって褒めてくれて、膝の上で優しくしてくれた。とても嬉しかった。
ところが、お友達の中に一人凄い悪餓鬼がいた。その子のお母さんは、坊やのアレルギーのことを知らずに、おやつにチョコテートを出してくれた。坊やは、この日もお父さんの褒めてくれるときの優しい顔を思い浮かべながら、当たり前のことのように手を出さなかった。
すると、悪餓鬼はいった「おや、どうして食べないの。いいから、お前もたべろよ。これ美味しいんだぞー!」
「だって、お父さんが食べたら駄目だって言ったもの。僕、アレルギーなんだって。食べたら悪い副作用が出て、死んじゃうんだって。だから、お父さんの言うとおり、僕食べない!」
「バッカだなー、お前。チョコレート食べて死んだなんて話、聴いたことないよ。お前の父さん、餓鬼のころ貧しくてチョコレート食べられなかったもんだから、ひがんで、お前にも同じ思いをさせようとして、嘘ついてるんじゃない。アレルギーになんてなるわけないさ!美味しいんだぞー、これ!」
そういって、悪餓鬼はチョコレートを一つ口に放り込み、さも美味しそうに、むしゃむしゃと食べて見せた。彼の口から、噛み砕かれたチョコレートの甘い香りが漂ってきて、思わず坊やの口の中に唾が湧いてきた。
「おいしそうだなー、欲しいなー、食べたいなー。でも、だめだ、分かったらきっとお父さんがっかりする。叱られるかも・・・。」
悪餓鬼は、またもう一つのチョコレートを二本の指でつまんで、彼の目の前に突き出し、それをゆっくり自分の口の中に放り込んだ。またも、甘い香りが漂ってきた。
「美味しそうだなー。欲しいなー。でも、だめだめ。お父さんが悲しむ。僕はいい子で居なきゃ。・・・でも、もしお父さんが嘘ついてるのだとしたら?いや、そんなわけあるはずがない、あの優しいお父さんに限って。・・・だけど、おいしそうだなー!一つぐらい食べても、黙っていればわかんない?!でもそんなことしたら、お父さんの顔、まともに見られなくなる。」
心臓がどきどきして、胸が苦しくなって、頭ががんがんして、口の中に唾が溜まって・・・・。
(さて、この子はその後どうなったでしょう?続きをお楽しみに。)
グアムに着いた最初の月曜日、先ず日本クラブを訪れた。そこで再会を果たしたNさんを通して、私は一冊の本に出会った。それは、「地獄の虹」と題する一人の牧師の数奇な運命を綴ったものだった。
かつて、住友銀行の取締役に就任したばかりのエリート銀行マンが、ある日突然仏門に入った、というニュースが小さなショックを伴って丸の内、霞ヶ関を駆け抜けたことがあった。私が外資系の投資銀行を辞めて、カトリックの司祭になった時、その国際版として、「ウオールストリートからバチカンへ」と持ち上げる人たちがいた。
しかし、この本の主人公の生涯は、そのスケールの大きさ、運命の悪戯の過酷さ、転進のダイナミックさにおいて、全く他との比較を超えていた。私は、その夜、一睡もせずにむさぼるよう読み進み、空が白むはるか前に、興奮のうちに読み終えて、やっと短い眠りにつくことが出来た。
戦前の沖縄。貧しい父親が、妻子を残して、太平洋の島テニアンの農場に出稼ぎに行った。貧困に耐え切れなかった母親が、子供たちを棄てて男に走った。8歳のとき、長男の荒垣三郎だけが、父親の後を追って島を出てサイパンへ渡り、その後、熱心な軍国少年として実業学校に通っていた。17歳のとき太平洋戦争がサイパンを襲った。大本営から切り捨てられた南洋諸島の守備隊の運命は過酷を極めた。
民間人として、何度も死線をさ迷いながら、九死に一生を得て生き延びた三郎は、ゲリラ戦の中で一人の憲兵に出会い、彼に付き従った。その憲兵の命令で、アメリカ軍に投降した日本兵の捕虜収容所に潜入し、アメリカに協力的な捕虜のリーダーを二人暗殺する命令をうける。
実行後、収容所から逃亡して抵抗部隊に戻るが、結局、憲兵ともどもアメリカ軍に捕まり、日本軍が米兵に加えたのと同じ方法による殺人的拷問を受ける。裁判では、暗殺を命令した憲兵の裏切りで、殺人の単独犯として死刑が確定、グアムに移送される。
あとで、憲兵が自分に全ての罪を着せて、自身は無罪放免になったのを知り、怒りと絶望で野獣のような日々を送る獄中で、たまたま聖書に出会った。彼は、信仰の光に照らされ、洗礼を望み、模範囚となり、死刑から無期懲役に減刑され、さらに多くの人の嘆願が実って、9年間の獄中生活の後、トルーマン大統領の特赦で刑を解かれる。その後は、獄中で立てた誓いを守り、沖縄に帰って牧師として働くという展開である。
牧師として成功を収めた荒垣三郎は、民放テレビ局のドキュメンッタリー番組制作のため、自分の歴史を辿る旅に出る決心をする。
収容所内の最初の殺人現場に立った牧師は、凶器として使った銃剣を握り締めるように右拳を固め、その手を見つめて言った。(以下、本からの引用)
「この手で・・・・。この手で、私は、やってしまいました・・・・。」
声が重い。悔いであろう、その頬がかすかに歪む。
「あの、死んでいった人の最後の声・・・・。今も忘れられません」
牧師の目が陰り、しばたく。
「私は、間違っていました。(私が殺した)Aさんこそが、正しかったのです。事態を正しく認識していたのです。(私たちの)脅しにも屈せず、正しいと信じることを貫いた・・・。私は、右も左もわきまえず、ただ憲兵の命令を遂行することが、天皇陛下のため、御国のためと思い込んで、罪を犯してしまいました。これ以上恐ろしい罪はありません。胸元で固く握り合わせた両の手が、かすかに震えた。「いまはひたすら、許しを求め、Aさんのご冥福を祈るほかありません。罪を悔い、神に祈りを捧げます」瞑目し、頭を垂れて動かなかった。白日のもと、カメラの眼に身をさらして、荒垣牧師は立ち尽くした。その目から涙がこぼれ落ちた。
第二の殺人現場は、収容所の外だった。第一の殺人のあと、収容所にいられなくなった憲兵と荒垣は、脱走してジャングルの元の部隊に身を寄せていた。今回、テレビカメラを伴った追憶の旅の果てに、苦労して探し当てたその場所で、(以下、本からの引用)
「ここだ、・・・・」
つぶやき、じっと葦原を見まわす。視線が止まり、緩やかに地に落ちた。
荒垣牧師は目を閉じ、黙して動かなかった。
(撃て、の指図に従って、三郎は拳銃の引鉄をひいた。元日本兵Bは茅原に倒れ込んだ。とどめを!と憲兵がいった。三郎は心を凍らせ、第二弾を放った。)
「ここです。第二の殺人を・・・・」
ようやく顔をあげた牧師の目は昏く、苦渋に満ちている。
「私は、なんという罪を・・・・」
荒垣牧師は瞑目して頭を垂れた。
「神よ、・・・・。亡き方の冥福とご家族の平安を・・・・」
牧師の頬がかすかに震えた。
「天の主なる神様、私はきょうここに再び立ち、この恐ろしい罪を心から悔いるとともに、亡くなった方に哀悼の意を表わし、神の前にいまひとたび、罪の赦しを求めるものであります。あのような戦争が二度と起こらないように、世界の平和のため、人類の救いのために、私は神の福音をかかげて、献身したいと思います。罪深い弱い私でありますけれども、神にきよめていただき、力を増し加えていただきまして、神のみ業のためにお用いくださいますように・・・・」
引用すべき箇所をもう一つだけ選ぶとすれば、それはやはり、裏切り者の憲兵との再会の場面だろう。荒垣は、執念で彼を探し当てていた。
戦後9年。新宿の繁華街の裏通り。そこは、二階建ての古い下宿屋だった。城島健男はいるか・・・・。家の前に立って、三郎は気持ちを静めた。遠く雷鳴が聞こえた。
玄関の戸を開け、声をかけると、50年配のおかみが出てきた。三郎は尋ねた。
「城島さん、いますか」
「はい、2階に。どちらさんで?」
「友達の荒垣が来たといってください」
「はいはいお待ちを」
おかみは気さくに受けて、脇の階段を上がっていった。
「城島さーん。お客さんですよー!」
おかみの声は聞こえるが、答える声は聞こえない。
「もうすぐ下りてきますから」
「すみません」
三郎は頭をさげた。城島は降りてこない。
外で待とう、と思った。雷鳴が聞こえた。見上げると、空に灰色の雲がひろがっている。
腕を組み、じっと待つ。こうして、グアムの刑務所では処刑のときを待った。死の恐怖に苛まれ、城島憲兵伍長に対する怨念に燃えて・・・・。あの頃のことが、遠い、悪夢のように思える。
15分あまりたった。まだ城島は下りてこない。
30分は経過した。三郎の中に疑念がひろがる。
稲妻が光った。雷鳴が響きわたった。三郎は立ち上がった。
(逃げた!?)
三郎は走った。建物の裏へまわって、二階を見上げた。外に出られるつくりにはなっていなかった。表にもどって、窓を見上げた。洗濯物が干してあり、窓から逃げた気配もない。城島は部屋にいるはずだ。
一陣の風が砂ぼこりをまきあげた。三郎は、また戸口の石段に腰を下ろし、考えた。
(彼は、いま、何を思っているのだろう?)
(三郎が復讐に来た、と・・・・)
彼は、秀れた勇敢な軍人だった。祖国を護るために献身する彼の信念に、三郎は心酔した。
三郎は、徹底した軍国主義教育を受けた。その結果、天皇のため、国のためと確信して、彼に命じられるままに、殺人の罪を犯した。
彼もまた、軍国主義の教育を受けた男である。ともに民族の危急存亡にかかわる戦争の時代を生きなければならなかった、同じ哀しみを背負っていた・・・・。
戦い終わったとき、ひとを裏切っても死から逃れようとした、人間の弱さ、ずるさ・・・・。それも、生まれながらにして原罪を背負った、人間なればこそか・・・・。
(彼も苦しんで生きてきた・・・・?)
(それを救うのは、神の愛のみ・・・・)
沛然と雨が降りだした。稲妻が走り、雷鳴がとどろいた。
ふと、背後で戸の開く気配に、三郎は振り返った。
「・・・・!?」
城島健男が立っていた。三郎は立ち上がり、面とむかった。
城島は、うつむいたまま、黙っている。三郎は言うべきことばを失った。
ようやく、城島がゆっくり顔をあげた。いくらかやつれたか・・・、目が暗い。内心のおののきが浮き出て見える。
「城島さん」
三郎は呼びかけた。
見返した彼の目に、ちらと怯えが走った。
「荒垣三郎ですよ」
「・・・・」
城島はうなずいた。
「しばらくです」
城島は、黙って目を伏せた。
「死刑を免れて・・・・、元気で、帰ってきました」
「・・・・」
「恐れないで下さい」
「・・・・?」
城島が顔をあげて、訝しげに三郎を見た。三郎は言った。
「私はもう、昔の荒垣三郎ではありません」
「・・・・?」
「私は、生まれ変わりました」
城島がまじまじと三郎を見た。三郎は微笑んだ。
「イエス・キリストを信じて、クリスチャンになりました」
「・・・・?!」
城島は目を見ひらいた。
「城島さん。昔のことは、忘れましょう」
「ん?!」
城島はかすかに驚きの声を発した。三郎は城島の目を見ていった。
「私は、あなたを、悪くは思っていません」
「三郎君・・・・」
城島の目がたちまち潤み、涙があふれた。三郎は手をさしのべた。
「城島さん」
「三郎君・・・・」
城島は両の手で三郎の手を握りしめた。
「すまなかった! 三郎君、赦してくれ、赦してくれ!」
城島は、はらはらと涙を落とした。
「赦していますよ、赦していますよ、城島さん」
三郎も涙ぐんだ。城島は泣いた。声をあげて泣いた。
風が吹きつけ、しのつく雨がふたりを濡らす。三郎は言った。
「城島さん。私は、神の前に罪を悔い改め、神のために献身することを誓ったんです」
「三郎君・・・・」
「あなたも苦しんだでしょう?」
「うん・・・・、うん・・・・。それに、ながい間、病気をして・・・・」
「私は思います。罪を悔い改め、赦されて、神の愛に生きることですよ。それを、あなたに言いたくて・・・・」
「ありがとう・・・・」
城島は涙を流し、うなずいた。
「おかげで、私はいま幸せです」
「三郎君・・・・」
「互いに、助けあって生きて行きましょう」
「ありがとッ・・・・」
恩讐を越えて、男たちは肩を抱きあい、ともに涙顔で微笑んだ。
*************
夜を徹してこの260ページ余りの本を読みきったとき、私の心に一つの確信が芽生えた。それは、神はご自分の選んだ人に、望むがままに、ご自分の恵みと照らしを豊かに、あふれるほど、お与えになる、と言うことだ。
誰がその選びにかない、誰がかなわないかは、神様だけが知っておられる神秘に属し、人間の側から理由をただすべきものではないのだろう。
また、たまたま聖書と出会い、その教えに忠実に歩むものには、神様は差別なく、惜しみなくご自分をお与えになるということ。それは、キリスト教の中で言えば、宗派や教派の枠を超えて、限りなく自由に分け与えられるということ。
荒垣三郎牧師の場合は、たまたま彼を導いたのはセブンスデー・アドベンチスト教会だった。
私は、正直に告白すれば、カトリック教会からそう教えられてきたから、キリスト教の他の宗派に対して、いささかの偏見を持っていた。
その後、ルッターなど、もともとローマカトリック教会の真面目な神父だったものが、腐敗した教会の改革ののろしをあげ、その後プロテスタント教会を形成していった歴史の必然に対しては、それなりの理解と評価と敬意を持つようになったつもりだった。しかし、それ以外の、特に、その起源に対する十分な知識のないキリスト教諸派に対しては、今日まで一定の偏見を植え付けられたままでいた。それが今、新たな照らしを受けた気がする。
荒垣牧師の例が示唆するところは、神の霊は望むとき、望む人にその賜物を送り、力強い信仰の証を立てさせることができるということであった。
カトリックも、プロテスタントも、もろもろの教派も、みな同列に並べて相対化しようというものでは無論ないが、どんな教会、教派の中にも、神に愛され、立派な信仰の証をする魂は生まれ得るということは紛れもない事実であり、その裏返しは、どんなに立派なオーソドックスな教会の中にも、神をも恐れぬファリサイ人や偽善者が大手を振ってまかり通っていることをも意味する。
最も優れたユダヤ教徒でもあったナザレのイエスの前に立ちはだかり、彼を抹殺した当時のユダヤ教の指導者たちは、イエスから「まむしの末裔」と呼ばれ、「天国の鍵を独り占めにして、人々が入るのを妨げ、自らも入ろうとしない」という痛烈な非難を浴びせられた。
時代は移ろっても、その構図はいつの世も変わらない。大切なのは、教派・教団のスケールや、歴史的正当性ではない。一人ひとりが、いかに忠実に福音を生き、回心の実を結ぶかであろう。このことは、キリスト教の枠を超え、あらゆる宗教、イデオロギーにも当てはまりうる。神の霊は、自由に神の望むところに吹くのである。
私は、荒垣牧師に是非あやかりたいと願う。しかし、その反面、彼が今日あるために通らなければならなかった数々の試練、困難、苦しみを知るにつけても、その十字架の大きさ、重さの前に、心震え、強くたじろぐものである。
〔エゾ鹿〕 この間、ウサギさんは、良心の中身は人によって、時代によって、文化によって、かなり違う相対的なものだといったね。しかし、「これは、善いことだからしなさい!これは、悪いことだからしてはいけない!」と心の一番奥深いところで聞こえてくる良心の声の中身は、個人によっても、時代によっても、環境によっても変わらない絶対性を持っているとは思わないかね?それと、良心の声は自分の声ではなく他人の声だということも、万人に共通な絶対的真理だと思うけど、どうかね?
もし、良心の声が自分自身の声だとしたら、自分にとって好ましいこと、心地よいこと、得になること、自分のほしいままな欲望を満たしてくれることを「善」と呼び、好ましくないこと、やりたくないことを「悪」だと自分で決めれば、厄介な良心との葛藤など生まれてこないわけではないだろうか?葛藤があるということが、良心の声が自分の声とは違う、自分から独立した、他者の声だということの決定的証拠になる。自分の存在のもっとも奥まった深いところに響く他者の声、それが「良心の声」の本質だとは思わないかい?
〔ウサギ〕 他者って誰さ?善い天使?それとも、あなたの神様自身?けど、「良心の声など聞くな!恐れずお前の欲望を満たせ!」と誘惑する、悪魔の囁きもあるものね!?
〔エゾ鹿〕 たまには君もいいこと言うね。しかし、せっかくだが、その枝道に入り込むと、話が複雑になって収拾がつかなくなるから後回しにして、今はもう少し先まで進んでみることにしよう。
〔ウサギ〕 ちぇっ!またはぐらかされた。仮に、百歩譲って、良心の声は決して「悪をなせ」、「善から遠ざかれ」とは言わない、という限りにおいて、良心の絶対性を認めるとしよう。また、その絶対性が時代によって逆転することもなかったという意味で、普遍性も認めるとしよう。さらに、自分の深奥に響く声でありながら、自分の恣意的な思いによって微動だにしない、誰か他の人格からの声えであることも認めてもいい。
しかし、良心の声を強くはっきりと聞く敏感な魂と、遠く小さくしか聞こえず自分の行動に余り大きな影響を感じない魂と、ほとんど良心の声など聞いたことのない鈍感な魂とあるように思われるが、この強弱の相対性はどう説明してくれるのですか?
〔エゾ鹿〕 おや、ウサギさん、今日は馬鹿に冴えているね。その点はまさに相対的で、百人百様、何か納得の行く説明が必要だね。しかし、今日はここまで。
〔ウサギ〕 なーんだ、つまらない。せっかく話が面白くなりそうになったのに。実は、困っているのではないですか?また、長考一番なんてやらないでくださいよ!
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★ ローマの空 ★
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私の部屋のPCを置いた机に向かうと、正面の窓からローマの空が見える。
昼間に窓を開け放って外を眺めると、目の下に中庭が、遠くにアペニンの山波が見える。
来年も、1月にはその山が雪に覆われ、昼は白く、夕べにはピンクに染まって見えるだろう。
机の上にコンパスを置くと、青い針が真左に・・・つまり北は左で、正面が真東ということになる。
だから、冬の朝、鐘の音に合わせて5時半に起き、朝の祈りを終えて、朝食も終えて部屋に戻る頃、正面やや右の方から太陽が昇って来ることになる。
(もちろん晴れていればの話だが・・・)
雲が少なければ、こんな朝はもう見慣れた景色だ。
アペニン山脈が雲に覆われていて、こちらが晴れなら、こんな感じかな?
近くに雲が、遠くにも雲があって、中間の空が晴れた日は、こんな表情。
薄い高曇りの日は、空一面に朝焼けが広がる。 しかし、こんな日に限って午後から雨になる事が多い。
そんな中、フィウミチーノ空港に着陸する飛行機が音もなく過ぎっていく。
少し時間が早いと、日の出前の空はこんな感じのことが多い。
神様に見守られて、何の憂いもなく平和な時間が過ぎていく。神に感謝!
クリスマスが近い。私は大きなクリスマスプレゼントを待っている。ひょっとしたら、今夜にもその良い知らせの香りをかぐことができるかもしれないのだ。宇宙の悠久の歴史の中で、空が同じ表情を見せることは二度とない・・・・。
《 おしまい 》
★ 夜空が笑った日 ★
昨晩、庭を散歩していると、綺麗な三日月が目に入った。12月9日、月齢 3.7 の上弦の月だった。
こんなに小さくても、鎌の刃の部分が少しぎざぎざしているのは月のクレーターの影だろう。それを眺めていると、急にちょうど昨夜と同じ12月の初め、日本で 「空が笑った」 晩のことが想い出された。
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その日は朝から、思いがけず雪がちらついた。温暖な瀬戸内の東讃地区にある神学院で、12月のはじめに雪が降るのをわたしはその年初めて見た。紅葉はいつになく鮮やかで、雪と美しいシンフォニーを奏でて目を慰めてくれた。
その寒空の下、東かがわ市のバチカンフレンズが、私の一時帰還を祝うために集まった。前市長、現市長、現副市長、市の職員など十名あまりが集まって、鍋料理を突っつきながら、懐かしい話に花が咲いた。もう4-5年も前のことだが、この顔ぶれが、香川・徳島の市民80人余りを連れて、バチカンの庭園に桜の苗木を30本植えてきた。
教皇が護衛無しに散歩をするあたりの小道に沿って、桜並木をプレゼントしたのだった。バチカンの庭園には世界各国から寄贈された珍しい樹木が数多く植わっているが、日本から贈られたのはこの我らの桜が初めてということだった。次の年からさっそく花をつけ、去年などたいした見栄えだった。
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実はあの日、副市長さんが車で迎えに来られるまで、私は日が沈んだばかりの西の空を、三脚にすえたカメラのファインダーから睨んでいた。お目当ては月と金星と木星だ。その晩はこの状態だった。
月は左上の雲の中に半月に近く、二つの星は今にも西の山陰に沈もうとしている。
お分かりかな?何十年に一度、珍しく大接近した金星と木星が右下の雲の間に斜めに並んでいるのが。
拡大するとこんな具合だ。明るいのがヴィーナス。暗いのがジュピター。雲の他に比較できるものが側にないので、ただの二つの光の点に過ぎない・・・・
もう10日ほども前のことになろうか?私は車を運転しながら、何気なく日暮れて間もない西の夜空を見上げて、はっとした。夜空が笑っている。私に向かって微笑みかけているではないか。もしカメラを車に積んでいたら、すぐに停めて、夜空の笑顔 を証拠写真に収められたのだが・・・・、まことに残念!
その後、日を追うごとに月と星の距離は広がり、月はみるみる肥えて姿を変えながら、星々のすぐ下から遠く左上に足早に離れていった。
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「夜空が笑った」 とは、どういうことかって?それは絵に描けばこのようになる。鎌のように細い三日月と二つの星が、まるで笑っている顔の目と口のように見えませんか?
《 おしまい 》