:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「夢」

2011-11-07 20:30:45 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

 

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 「夢」 

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長野県、上水内郡、信濃町、野尻湖のほとりは、いま秋一色。 

東山魁夷の絵には「光昏」という作品がある。 

 

«光昏» 1955年)信濃町・野尻湖ホテルより黒姫山を望む 

 

金色の空、逆光の暗紫色の山、 

夕影の中にある紅葉の樹々。黒々とした湖面。

光と昏(くら)さ、華麗さと重厚さ。

 

かつて、私の小屋からは、今は無き野尻湖ホテルが真正面に見えていた。そこから魁夷はこの絵を描いた。

と言うことは、魁夷の描いた黒い湖面の対岸にある丘の中腹に私の小屋があるということだろう。

 私の庭の山桜の老木も、四本の太い白樺も、すでに葉を落とし切って冬支度が整っているが、対岸の森は魁夷の光昏の絵そのままの紅葉の真っ盛りだ。野尻湖を挟んでこちらがこの世、彼岸があの世を象徴しているという。

人は誰しも夢を見る。私も例外ではない。ここ数日、私は昼間は紅葉を見、夜は夢を見る。夢の中で、夢を見ている私を観察している夢の中のもう一人の私が、お前はその夢の内容をブログに書かなければ、と夢を見ている私に再三囁きかける。

目を覚ましたばかりの私は、その夢の内容をはっきり覚えていると確信するのだが、日が暮れて、いざそれを書き留めようとパソコンに向かう頃には、漠としてその詳細を一向に思い出せない。それが夢の夢である所以かもしれないのだが・・・。

昼間の意識の中で再現できない理由の一つは、夢の特性である無限の自由さではないだろうか。パソコンに向かう自分の頭は、論理的思考と、それが要求するストーリーの一貫性に引きずり回されて、夢の変幻自在な展開について行きかねるせいなのだろう。



人はマザコンと笑うのだが、夢の中では、私がまだ幼い時に他界した母の優しい顔が私に微笑みかけたかと思うと、次の瞬間には終戦直後に母と住んだ広島の原爆の荒野が眼前に広がっていて、気がついたらそれは実は女川町で見た津波の被災地の光景で、そこに立つ自分の頭上を飛ぶ海上保安庁のヘリの中に

 

 

座っている自分が見つめる測定機の針が示す放射線量は、まさに福島第一原発の圧力容器から検出されたキセノンの値で、メルトダウンした核燃料の再臨界した白熱の塊は、圧力容器の厚い鉄を溶かし、それを包む格納容器の底を突きぬけて、その下のコンクリートを溶かし、地球の中心に向かって地中深くゆっくりと沈んでいくのかと思ったら、突然に閃光と轟音とともに暴走し、気がつたら、元の広島の原爆の廃墟に母の手をしっかりと握りしめて、呆然と立ちつくしている・・・。あの時わたしは五歳、母はまだ二十歳代の半ばだった。


  

                    イタリア語の見出しには 「眼に見えない惨禍の震源地」 とあった


突然目の前で閃光が炸裂し轟音とともに黒雲が湧き上がり、みるみる頭上高く立ち上り、きのこ雲の傘の中から、鉄や、コンクリートや、燃料棒の破片やらが雨あられと降ってきた。津波のニュースに続いて、ローマのイタリア語の新聞の第1面上半分を占領したあの写真にそっくりの光景が再現された。我に返ったとき、母の姿はもうそこにはなかった。カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。

 

ここからは夢の中の話ではない。11月2日の読売には、福島の2号機の格納容器内の気体の中から、自然界には全く存在せず、ウランの核分裂に特有なキセノン133(半減期5日)とキセノン135(半減期9時間)が検出されたのを受けて、核分裂を抑えるホウ酸の注入が行われたと報じられた。しかし、大本営発表的なコメントには、1立方センチ当たり 10万分の1ベクレルとごく微量であった」 、と書かれている。

私は思った。1立方センチとは一辺1センチのサイコロほどの大きさだ。水道水の放射線量は1リットル当たり何ベクレルという発表が一般的な時に、敢えて小さなサイコロほどの分母あたりの線量で、ごく微量という言い方は、ことさらに小さく見せるための言葉のトリックでしかない。1リットル当たりのキセノンの放射線量は、実は「100分の1ベクレル」 になる。1000倍の違いがそこにある。これを「ごく微量」 と言えば嘘になるだろう。

同じような嘘は、3号機の爆発をただの水素爆発として片づけた政府、東電、マスコミの態度の中にもある。ローマでイタリアの新聞の写真を見たときから、私はあれは燃料貯蔵庫の核燃料の溶融と臨界と核爆発だと確信していた。「今さらどっちだっていいではないか。どうせ放射能はすでにばらまかれてしまっているのだから。」 という意見に私は同意しない。

「ノーモアヒロシマ」 という言葉がある。それは世界の誓いになった。 「ノーモアフクシマ」を世界の誓いにするために、3号機の爆発が溶融した核燃料の臨界に伴う核爆発であったか否かを究明することは大切なカギになると思う。私が間違っていたらむしろ幸いだと思う。しかし、間違いであったということは、実証されなければならないだろう。さもなければ、日本は再び、誰かが私腹を肥やすために原発はなし崩しに稼働し始め、エネルギー不足を口実に新規の建設が進められ、金儲けのために輸出され、いつか世界のどこかで、第2の、第3の 「フクシマ」 の悲劇が繰り返されることになるだろう。結果は、人類の緩慢な 「死」 であり、私たちは一人ひとり、それに対して責任がある。

 

私は「夢」という題でこのブログを書いた。この場合の「夢」は、イタリア語では「インクーボ」(incubo)、英語では「ナイトメーア」(nightmare)、つまり、「悪夢」 という意味に理解されたい。


コメント (2)
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