:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 友への手紙 インドの旅から 第8信 怪僧ビプラサーラ

2020-11-26 00:00:01 | ★ インドの旅から

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友への手紙

ーインドの旅からー

第8信 怪僧ビプラサーラ

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記事と写真は一致しないが、セイロンの高地の仏教の遺跡で 私の頭の後ろに巨大な涅槃像が

 

セイロンで知り合った若者の一人 一緒に世界遺産のシーギリアロックに登りに行く

190メートルの岩頭には宮殿があった。

 

今も残っているシーギリアレディーと呼ばれる壁画(ウイキペディアから借用)

 

 え?セイロンってどこの国?と言う人が多数を占める時代になってしまったか?と、ふと思います。

 今のスリランカは1964年の東京オリンピックのころにはまだセイロンと呼ばれていました。その国名は、バンダラナイケ未亡人が首相の時代に変更されましたが、彼女はサッチャー首相、メルケル首相などよりずっと前に、世界で初めて女性首相になった人でした。

人口の70%が仏教徒のシンハリ族。12%がヒンドゥー教徒のタミール族。そして10%の回教徒と7.45%のキリスト教徒はマイノリティーという多民族、多宗教国家です。

 私はその国での体験を当時次のように綴っていました。

 

第8信 怪僧ビプラサーラ

(ビプラサーラの写真が見つからなくて残念!)

O君、お元気ですか。近況を報告しましょう。

 セイロンに着いたぼくは、先ずセイロン政府の文化事業部のようなところを訪ねた。一か月前にセイロンを訪問されたN教授から紹介状をもらっていたからだ。そこから役所の車でアートギャラリーに連れていかれた。ちょうど美術展の最中で、民族色豊かな健康的な美術工芸作品が並んでいた。若い芸術家たちは生き生きとしていた。そこには世界共通の雰囲気があった。

 ややあって、達磨さんのような不敵な面構えの黄衣の僧があらわれた。この美術館の持ち主のビプラサーラ尊師だった。その日、彼は私をセイロン一のモントラピニャホテルの昼食に招いてくれた。正午から翌朝まで食事をとらぬと言う怪僧の戒律に従って、十一時からの食事となる。すばらしいメニューだった。他にも数名のセイロンの文化人が来ていたが、会話はなかなか高尚なものだった。

 ヤシの葉が風にそよぐサンゴ礁の海を見晴るかしながら、テラスで食後のひと時を楽しんでから、ぼくは彼の修道院を訪れた。

 ちょうど夕べの供養の時間だった。素朴な仏教徒の女や子供たちが、浅い皿にとりどりの色の花をこぼれんばかりに載せて、本堂の入り口に並び、その皿を手から手に渡して、最後に仏像の前のテーブルにならべる。夕暮れのココナツの森のなかで祭りを繰り広げる村人たちのサリーの色、盆に盛った花を回す彼女たちの楚々たる身のこなし、その何とも言えぬ自然な景色に、つい自分も人々の輪の中に入って、花のお皿を回させてもらった。難しいことは何も分からぬ人々、そこに一種の美しさがあった。

 しかし、この修道院の図書室にはたくさんの共産党の新聞雑誌がそろっていた。共産主義的な青年運動はこんなところから指導されていたのだろうか。

 怪僧ビプラサーラは、米、ソ、をはじめ日本にも来たことがある。彼はただの文化人にはとどまらず、政治的、経済的にも絶大な影響力を持っている。彼が一緒であれば、どんな荷物も税関フリーパス。彼が右向けと言えばセイロン中の警察が右を向くと言う伝説があるほどだ。仏教徒の指示で首相になったバンダラナイケが、仏教徒の利益を十分にはからなかったため、仏僧の手で暗殺され、その仏僧は絞首刑に甘んじるというお国柄だ。バンダラナイケの未亡人は次の選挙で首相になったが、夫の暗殺による身の不幸を無知な農民たちに訴えて回った彼女の選挙戦を評して、時のタイム誌が「涙するやもめ」と評したのもセイロンならではのことか。

 だから、こういった政府に対するクーデターの一つが未然に発覚し、たまたまその指導者がカトリックだったりすると、そのままただでは収まらなくなる。それを機会にカトリックに対する弾圧の度が日増しに激しくなったことは確からしい。これも怪僧の糸引くところだろうか。しかし、彼は僕に対して非常に親切だった。

 セイロン、それは考えていたより面白い国だ。歴史や文化ばかりではなく、現在の政治、経済、宗教などの実情をもっと知りたくなった。けれど、先を急がなければならない。印度でもたくさんの事をしなければならないのだ。

 O君、この次の便りは多分マドラスからだと思う。マドラス、そこは2000年前、キリストの12使徒のひとり聖トマの殉教の地だ。では、また近々。

 

セイロンは仏教やヒンズー教の遺跡だらけ 一群の青年たちと仲良しになった

 セイロンは取りあえず民主主義の統一国家だが、多数派のシンハリ族の仏教徒に対して、インドに近い北部地方のタミール人ヒンズー教徒が独立運動を企てる不安定要素を抱え、共産主義者の影響も強かった。

 セイロン紅茶のプランテーションが広がる中部高原地帯は気候が優しく、セイロンの政府が優遇政策を示したのを受けて、一部の日本人富裕層の間では、退職金をセイロンの国策銀行に供託して移住することが流行って、現地人使用人にかしずかれて優雅な老後を過ごした日本人たちがいたことはあまり知られていない。

 共産主義者の政僧ビプラサーラ師が当時のセイロン社会全体を代表するものだとは思わないが、彼との出会いは私に多くのことを考えさせてくれた。

 新型コロナウイルスの第三波が重大局面を迎えている今、呑気に「インドの旅」でもあるまい、と言う声もある一方で、「いいね!」、「続きを読みたい」と言う声も聞こえる。もしかしたら少数の声に応えるうちに、多くの読者に飽きられ見捨てられているのかもしれないと言う不安もある。

 

 第三波に突入して以来、政府のコロナ対策には危険な矛盾が見え隠れする。

 どこまで続くか分からない下り坂で、ブレーキとアクセルを同時に踏み込んだら一体どうなるか?エンジンを加速する力はブレーキより強いに決まっている。しかし、やがてはブレーキが過熱して壊れてしまったらどうなる?そうなったらアクセルを踏むのをやめてももう手遅れだ。くだり坂でブレーキが壊れたら速度が上がってカーブを曲がり切れずにクラッシュするのは目に見えている。ブレーキを踏むときにアクセルから足を離すのが運転の常識ではないのか。そんなことさえ政府は理解できないのか?

 だから、多少の命の犠牲には目をつぶっても経済を救わなければ社会が立ち行かない、と言う論理は正しくない。

「多少のいのちの犠牲には目をつぶる」と言うとき、切り捨てられるのは社会の弱者だ。その犠牲の上に生き延びようとしているのは誰か。コロナは「いのち」の尊厳の平等性をあらためて思い出させてくれる。それを否定するエゴイズムは決して許されてはならないと思う。

 そもそも、「コロナ禍」と言う捉え方が間違っている。そこには、コロナは悪いもの、忌むべきものと考える。早く過ぎ去って以前の平穏な生活に戻れることを願う後ろ向きの姿勢が目立つ。

 コロナは天地を創造した神様から贈られた試練ではないか。「立ち止まって考えなさい、人間の弱さを謙虚に認めなさい。弱い人、貧しい人への愛に目覚める時です。」と言う呼びかけに耳を傾けなければならないのではないか。

 コロナ禍を忌み嫌い、どうかこの悪を早く取り去って下さい、と神に祈るだけの信者たちの姿を身近に見て、「それは違うだろう!」叫んでも理解してもらえない状況に、落胆と焦りを深くしている。

 信仰とは何か、回心とは何かをあらためて自問する今日この頃だ。

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★ 友への手紙 インドの旅から 第7信 月夜のデッキ

2020-11-18 00:00:01 | ★ インドの旅から

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友への手紙

ーインドの旅からー

第7信 月夜のデッキ

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今回の手紙は短い。そして、難しい話は一つもない。自分が読み返してみても好きになれる数少ない一編だ。皆さんも楽しんでください。

M君、明日はセイロンだ。素晴らしく静かな今宵の海は、粉々に砕かれた月を浮かべてキラキラと輝いていた。

 深夜を過ぎても、フロントデッキでは、我らエコノミークラスの貧しい旅人たちが、月夜のダンスパーティーを楽しんでいた。

ギター、チャイニーズバンジョー、ハーモニカ、フルート、トランペット、ウクレレ、みんな愛用の楽器を持ち寄った。ドラムはその辺の空き樽が用いられ、歌い手は台湾人の青年が買って出た。

満月以外の誰が計画したわけでもなかった。

偶発的で、しかもとても自然な雰囲気が盛り上がった。

 ぼくもアイルランド人のお姉さんにリードされてぎこちなく踊ってみた。まんざら悪くはなかった。

 ところで、原発反対のデモはどうだった?こちらの新聞でずいぶん古くなったニュースに接して、少し心配になったものだから・・・。怪我などしていなければいいがと思って。

これは君へのお見舞い状だよ。

7信はこれだけ。 

当時わたしは反戦運動-特にベトナムの政治囚のこと—、反公害運動、同和問題など幅広く頭を突っ込んでいたが、反原発も例外ではなかった。

しかし、遠く日本を離れて異国の海を行くうちに、それらはいつのまにかみな遠くの出来事のように思えてきた。

 いまは、この船の中だけが自分の世界だった。マルセイユと横浜を往き来するフランスのラオス号は、タイタニックやダイヤモンド・プリンセスのような豪華船とはまるで違う地味な貨客船だったが、それでも特等、一等、二等、エコノミーと乗客の格差は歴然としていて、我々が外の空気を吸うことのできるのは、船首の投錨機のまわりの雑然としたスペースだけ。デッキチェアーひとつあるわけでもない実に殺風景な場所だったが、そこで出会う貧しい乗客たちは日を追って親しみを増していった。

 受験英語のままでほとんど話す練習のできなかった私は、アイルランド人のお姉さんから英会話を教えてもらったりしていた。

 シンガポールを出港し、マラッカ海峡を抜けてインド洋に出た頃には、若者たちはみな互いに知り合うようになっていた。波静かな夜、満天の星空の下で、誰が企画したわけでもないのに、いつの間にか楽器が和音を奏で、一組、二組とダンスが始まった。僕もアイルランド人のお姉さんに手を取られて立ち上がった。上智の学生会の資金集めパーティーで、壁の花一掃のために無手勝流で踊ったほかは久しくこの道に縁がなかったが、いつの間にかその雰囲気に溶け込んでいた。

 ゲーテではないが、思わず「時間よ、止まれ!」と言いたくなるような・・・、こういうのを青春と言うのだろうか。今あらためて淡い郷愁に耽っている。

 

 

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★ 友への手紙 インドの旅から 第6信 焼け跡のような景色

2020-11-10 00:00:01 | ★ インドの旅から

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友への手紙

ーインドの旅からー

6信 焼け跡の景色

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1964年、東京オリンピックの頃の日本は、まだ戦後の貧しさを引きずっていた。貿易収支は赤字。1ドル360円の固定レートで、渡航者には外貨持ち出し規制がかけられていた。JRの最小区間料金が10円、20本入りの紙巻きタバコが30円の時代の話だから、単純に計算すると、当時の1ドルは今の15倍、1500円以上の値打があったことになる。

いま思えば、その頃の私は、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれていることに異常な関心を持っていた。

それにはまず家庭の事情があった。

私が小学校に上がったばかりの頃この世を去った母が、ピュア―なプロテスタント信者であり、姉も母の母校の神戸女学院に入ってそこでプロテスタントの洗礼を受けたが、私はカトリックのミッションスクールでカトリックの洗礼を受けた。私が上智大学で心惹かれた後輩がたまたま山梨英和出身のプロテスタン信者だったことも関係していたかもしれない。だから、プロテスタントは私にとって極めて身近な存在だった。

しかし、世間一般では、カトリック教会が「旧教」と呼ばれ、プロテスタント教会は「新教」と呼ばれていて、前者は「旧約聖書」を、後者は「新約聖書」を、それぞれの聖典とする、というようなとんでもない誤解が通用するような時代だった。

そんな時代に、私はカトリック教会の閉塞感を打ち破ろうと模索しながら無意識のうちに―須賀敦子の言葉を借りれば―「カトリック左派」の道を歩き始めていた。そして、そういう姿勢が当時の教会の中では受け容れられないものであるという事情は、海外でも同じであったことが須賀敦子の体験からもわかる。 

だから、以下の旅日記はそんな時代背景の中で書かれたものとして読んで頂きたい。

 

 

6信 焼け跡の景色

Sさん、お元気ですか?

 

 昨日シンガポールを出港しました。これからセイロン(スリランカ)まで最後の航海です。

 まず、マレー半島の南端の都市国家の印象を、色が褪せないうちにお届けしましょう。

 シンガポールの初日は、船の中で仲良くなった連中と、ポンティアックの新車を借りてドライブしました。植民地的に良く整った美しい街。植物園など亜熱帯の強烈な太陽に照らされて、日本では考えられないほど多彩だった。二日後の月曜日には、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの連合軍のジェット戦闘機や爆撃機の大編隊が到着すると聞いた。ベトナム戦争との関係か?

 終戦直後、まだ少年だったぼくは、よく伊丹空港に占領軍の飛行機を見に行ったのを思い出す。滑走路のはずれまで行って、鉄条網をからめた杭の根元に自転車を倒し、自分もクローバーの絨毯に寝っ転がって、未来のジェットパイロットを夢見ながら、キーン、ゴーッ!と低く頭上をかすめるジュラルミンの塊を飽かず眺めたものだった。今はまた、フッとそんな無邪気な心で次々と着陸する大編隊を迎えて見たくなった。不安定な東南アジア、マレーシアの華僑問題など一切わからない童心に返って・・・。

 ところでSさん。目をつぶって緑したたる草原や湿地や森の広がる処女地と、崩れ落ちたレンガや、溶けて曲がった鉄棒などの累々とした焼け跡とを思い浮かべて下さい。どちらも家が建っていないという点を除けば、何という違いでしょう。前者は蜜の香りが漂っているのに対して、後者は焼け焦げた臭いをとどめている。ぼくはシンガポールでまるで焼け跡を見るような体験をしたのです。それも二度までも。その次第は次のようでした。

 2日目、ぼくのタクシーのドライバーはシンガポールに住むインド人だった。彼はたまたまカトリック信者で、マリア様のメダルなど首から下げていた。祖国インドで開かれるカトリックの国際的祭典に参加するためにはるばる日本からやってきた青年を自分の車に乗せることが出来た幸運にいたく感激して、自分のアパートに連れて行って自慢の息子に紹介してくれたうえで、「明日も是非手前の車でご案内を」ということになった。

 さてあくる日、ひとまわり街を走った彼はこう切り出した。「あなたはインドに行こうとしているが、向こうではインドのお金が要るだろう。インドに入ってから銀行で両替するとレートは低い。だからいま私がずっと良い率で替えてあげるから是非ここで替えていきなさい」と。

 ぼくはこう言うことにはうとかったので、彼がカトリック信者だということですっかり信用して、かなりの額のドルをインドルピーに替えた。シンガポールはホンコンなどと同様に自由港だから、ブラックマーケットでは色んな通貨が動いている。それがドルやポンドならすぐ右から左へと流れていくが、低開発国の通貨となるとなかなかそうはいかない。どこでもダブついて厄介物扱いだ。そこで、そういう国への旅行者を見つけると、闇値で売りつけると言うわけだ。

インドの場合、何らかの理由で一度国外に流出した紙幣を再び国内に持ち込むことは法律で禁じられていた。しかし僕はそんなこと知らなかったし、彼もその点を隠していた。考えようによってはいくら外貨事情が苦しくても、自国の発行した通貨を引き取らないと言うのは変な話だ。どこの家にも玄関があれば裏口もある。だから、今度のこともキツネとタヌキになったつもりでお互いに利用し合えばいいのかもしれない。それでも、この取引は非合法の誹りを免れない。入国時にバレたら私の旅行はそれだけで一巻の終わりだった。自分の無知に付け込まれ、自分は自分で欲に目が眩んで、まんまと騙され、法を犯した。背負い込むリスクを知っていたら、きっと思いとどまっていただろう。カトリック信者同志だからと気を許したことを痛く後悔した。信仰とビジネスは別物なのだ。

 しかし、思えば、ぼくは既に四谷のイエズス会の総会計ビッター神父から平然と闇ドルを買って日本を出ていた。当時海外に出る信者ならみんなやっていたから私もやった?しかし、それも日本の法に触れる行為だった。どこが違う?現に、ビッター神父は外為法違反で臭い飯を喰った豪の者だとあとで聞き知った。

その時、ぼくはふとベルメルシュ事件のことを思い出した。イエズス会であれ、サレジオ会であれ、修道会の組織は世俗的な目で見ればれっきとした国際的シンジケートだ。外貨や物品に関しても、違法性のある取引に手を染める誘惑はさぞ多いことだろう。一人のスチュワーデスの死をめぐって「黒い福音」として世を騒がせたあの忌まわしい事件も、容疑者の神父の間一髪の出国で、白黒つかぬまま忘れられようとしている。宣教の妨げとなる躓きは一刻も早く世間から忘れ去られるがいい。しかし、キリスト者各自は、自己に対する戒めとしていつまでも忘れてはならない。地上の教会は常により清くなることが出来るのだということを。

もう一つの話を簡単にしよう。

シンガポールでプロテスタントの大きな教会を見に行った。カトリックの教会が豪華でプロテスタントの教会が簡素だと言う日本的イメージは、東南アジアの旧植民地では必ずしも当てはまらない。この教会も石造りの古く立派なものだった。牧師さんに挨拶して中を見せてもらっていると、一人の中年男が話しかけてきた。この教会の伝道師だと言う。彼は、「日本の青年と聞いて話がしたくなった。かまわなければ町の見物にお供したい」と言うので、気安く一緒に出掛けた。彼は道々親し気に僕の腕を取って親切の限りを尽くしてくれたので、お礼に夕方レストランで食事を共にして別れることにした。その時、彼はこんなことを言い出した。

「あなたはカトリック、そしてわたしはプロテスタント。しかし同じクリスチャンだ。私たちの教会は経済的にあまり楽ではない。もしあなたが教会一致の精神から、私たちの教会になにがしかの献金を申し出てくれたら、それを私はビショップに取り次ごう。彼はあなたのために神に祈り、あなたの名を恩人のリストに加えて永く記憶するだろう。前にも寛大に20ドル寄付していった旅行者がいた。快く10ドル置いて行った人もいた。道々あなたは心の広い青年だと感じていた、云々・・・」。

ぼくは先の両替詐欺でクリスチャンは特に注意すべき人種だと学習していたので、(インドルピーなら腐るほどあるが、彼のお目当ては虎の子のUS$だ)今度もこんなペテン師に10ドルも着服されてはたまらないと思って、「それは良いお考えですね。では献金のついでにそのビショップとやらにお会いして『あなたはこんな親切な伝道師さんを持たれてお幸せですね』と、半日案内してくれた労をねぎらうことにしましょうか」と言ったら、彼は、「ビショップの屋敷は遠いから、疲れたあなたをこれ以上歩かせたくないし、今は面会の時間でもない。それともあなたはクリスチャンの私の言葉を信用しないのですか?」と気色ばんで開き直ってきた。

正体を見た思いがした。そこで、ビショップ宛てのねんごろな言葉に添えて、貴重な米ドルを少々渡した。彼は何故、「町を案内してやったのだから、ガイド料を米ドルでよこせ」と率直に言えなかったのだろう。

大自然の中では犬の糞でさえ調和の美に輝いている。しかし、キリスト者が偽善で腐ると、焼け跡のような荒涼たる様相を呈する。

美しい自然の調和に、超自然の美を添えたいものだと思う。大伽藍の焼け崩れた廃墟には、新しい神の家を建てよう。

Sさん、あなたはまだ具体的信仰を持たぬ人として、この話をどう読まれましたか。あなたの魂はまだ超自然の口づけを待つ処女地なのです。

ではお元気で。

若い頃の私はカトリックとプロテスタントの違いに過敏だったが、80歳になった今、違いよりも両者の親和性により関心がある。

この心境に達するまでにはいろいろな出来事があった。姉が、どういう心の変化か、若くしてカトリックに改宗し、そのままシスターになり、アフリカの最貧国ブルキナファソに宣教に行ってしまった。その後、マラリアと肝炎に罹って帰国した。そして、東京は中落合の聖母病院の外国人患者の受付兼通訳をして晩年を過ごした。肝臓がんで亡くなってはや2年になる。これも、そうした出来事の一つだった。

 

プロテスタントから改宗してカトリックの修道女になったばかりの姉

 

今、私はこれまでのブログがご縁で知り合った一人のプロテスタントのご婦人と交流がある。彼女はある教会の長老の地位にあり、知性に溢れ音楽の才能に恵まれた「プロテスタント左派」と呼ぶにふさわしい心の広い教養人だ(失礼があったらこめんなさい)。私の拙いブログには度々丁寧なコメントメール寄せられ、私もそれにお答えする仲になった。

キリスト者はいま宗派を超えて、世界中で共通の敵と向き合っている。世俗化した社会。神不在の社会。神聖なもの、超越的なものが見失われ、世をあげて「お金の神様」の奴隷となって地に這いつくばる姿がグローバル化した世界。

私たちキリスト者はこの希望も救いもない状況との戦いに負け、今は後退に次ぐ後退を余儀なくされている。キリスト教以外でも、長い間人々の魂を引き付けてきた真面目な宗教は、一様にこの負け戦の中で苦悩している。世界中どこでも、栄えているのはお金の神様とその化身であるご利益宗教やカルト宗教ばかりだ。

心ある宗教者は、違いを超えて、世界を創造し人間を愛し、その魂の永遠の救済を願う「神」の復権のために手を取り合わなければならない。人間は本能的に愛されたいと欲している。死を越える永遠の命にあこがれている。人間の苦しみに答えを与えなければならない。この世の闇に光をもたらさなければならない。

中性ヨーロッパの人口の半数以上を死に追いやったペストのパンデミックの後に、プロテスタント改革が起こったという事実は実に示唆に富んでいる。16世紀、人口4.5億の内、1億人が死んだという。イングランドやイタリアでは人口の8割が死に、全滅した町や村もあった。そのペストの効果的な治療法は日本の北里柴三郎博士の出現まで300年も待たねばならなかった。

COVID-19のパンデミックはまだ始まったばかり。この1年足らずの間に、世界で5000万人以上が新型コロナウイルスに罹った。今後、半年以内にその数は1億人に達する勢いだ。来夏の東京オリンピックまでに有効なワクチンが出回るかどうか注目される。コロナレースではトランプ選手が1000万人以上の患者を出して金メダルに輝いた。

コロナパンデミックの後に、その教訓に学んで、宇宙における「生ける神」の復権に向けて、宣教活動を新たにしなければならない。ペストの後にプロテスタント改革が起こったように。

 

     

中世のペストの治療に当たった医者のマスクとガウン   COVID-19の医療従事者の姿  

 

ペストもコロナも人間の弱さ、愚かさ、を思い知らせるために「天の生ける神」から贈られたものだ。

もし、コロナ後まで生き延びることが出来たら、キリスト者はグローバル化した世俗主義と「お金の神様」への奴隷状態に対して、「神様の現存」を掲げて、宗教の復権のために果敢な反撃に立ち上がらなければならないと思う。 

 

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