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WYD-④ 〔映画〕 「ミッション」 の世界
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最初の巡礼地のイグアスの滝を見たとき、私は映画 「ミッション」 の事を思い出したと言った。
次の巡礼地はパラグアイにあるイエズス会の 「ミッション」 の史跡だ。
今回の巡礼に参加した70人余りの若者たちの多くは、
心の準備としてあの 「ミッション」 の映画を見てきたのだが、
そのころ私はまだローマにいてその機会に恵まれなかった。
あの映画と結びつけてものを書くには、古い記憶だけでは不十分と、ウィキペディアのページを開いた。
人間の記憶とはいよいよ曖昧なものだ。私は川に流され滝から落ちていく十字架の事を鮮明に覚えていて、
てっきり映画の最後の部分だと思い込んでいたが、実際は映画の主人公たちが登場する以前に宣教を試み、
失敗して原住民に殺され、十字架に括り付けて川に捨てられた憐れな宣教師の姿だった。
(以下、この色の字は私の言葉。)
ストーリーを再現するとおよそ次のようになる。
巨大な滝へとつながるイグアス川の上流で、十字架にかけられた男がインディオたちの手で流れに押し出されていた。南米内陸奥地のインディオたちに神の教えをもたらそうとしたイエズス会の神父ジュリアンだ。彼は、十字架にかけられた無残な亡骸となった。
彼のかわりガブリエルが布教にきた。殺気だった雰囲気の中で、彼はオーボエを吹き、その美しい音色にインディオたちの心は柔らいだ。1750年ごろ、スペイン統治下のパラナ川上流域では、キリスト教の布教が、険しい地形とジャングル、そして剽悍で誇り高い先住民グアラニー族の抵抗に阻まれ、多くの宣教師が命を落としていた。こうした中、宣教師として現地に送り込まれたガブリエル神父は、「音楽」を共通の言葉としてグアラニーの民の心をつかんでいく。
やがて裸のグアラニー族の子供たちが、今日のウイーン少年合唱団顔負けの天使のようなポリフォニーの聖歌を歌い、おとなたちの手作りのバイオリンはヨーロッパに輸出しても通用するほどの精緻なものを生み出していった。
一方スペインでは、神学者たちがこの裸の動物には人間の霊魂が宿っているか、それとも猿の一種か、と議論していた。
一方、同じスペイン人植民者でありながらガブリエルとは犬猿の仲であった、軍人で奴隷商人のメンドーサは、許婚の女性をめぐるいさかいから自分の弟を誤って殺してしまい、一時は生ける屍のようになるが、ガブリエルのすすめで改悛、イエズス会に入会し、以後ガブリエルの指揮する布教活動の有能なスタッフの一人となった。
グアラニー族への布教は急速に成果を上げていくが、農場での収益を平等に分配し、逃亡した先住民奴隷を惹きつける布教区は、植民地社会の有力者にとって次第に疎ましい存在となっていった。
そのような折、スペイン・ポルトガル両国によって南米領土の国境線引きが行われ、イエズス会布教地区はポルトガル領に編入、先住民には布教村からの移動、宣教師たちには退去が命じられた。(当時のこの地域において、ポルトガル領では奴隷が合法で、奴隷狩りも行われていた。)
(しかしスペイン領ではポルトガル領から奴隷を買うことはできたものの、奴隷収集は非合法であった。)だが宣教師たちはこれに背いて先住民と行動を共にすることを選択。植民地当局の軍隊が迫る中、ガブリエルが村人たちとともにミサを守る一方、メンドーサは宣教師のおきてにあえて背き、一度捨てた剣を再び取り、グアラニーの男たちとともに戦うことを決意する。現代のフランシスコ会のレオナルド・ボフ神父やイエズス会のグチエレス神父らの 「解放の神学」 の原点を見る心地がする。
宣教師たちは死に絶え、ミッションの住民になっていたグアラニー族も、裸に戻り、文明を棄て、元の森の生活に戻るか、奴隷になってポルトガル人に使役された。そしてミッションは廃墟となった。
『ミッション』(The Mission)は、1986年のイギリス映画。1750年代、現在のパラグアイ付近を舞台に、先住民グアラニー族へのキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの生き様、彼らの理想と植民地社会の現実や政治権力者の思惑との葛藤を描く。1986年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー撮影賞、ゴールデングローブ賞脚本賞受賞。
では、ミッションの廃墟は今どうなっているか。このバスの運転手がご案内しよう。
ン?どこかで見たような・・・
いざ国境を越えてパラグアイへ
バスが止まると物売りの子供たちが寄ってくる。
裸になれば映画のエキストラが十分勤まるな、と思った
右手がミッションの入り口でございまーす!
中の芝生に入ると、こんなおしゃれな鳥たちがお出迎え
ここには立派なカテドラル風の教会があった。設計はスペイン人のイエズス会神父だが
その指導で石を加工して築きあげたのは全てグアラニー族の裸の原住民たちだった
パラグアイ観光局の案内人も、裸になればそのまま映画に出ることが出来そうだ
教会、イエズス会士の修道院、原住民の集合住宅、工場、作業所、etc.
広大な敷地に数千人のグアラニー族の集合住宅が整然と並んでいた。
こんなミッション(宣教拠点)が何か所も展開し
インターネットこそなかったが、
のろし台の煙を使ってミッション同志が互いに通信し合い、団結して外敵(スペイン人?)に備えていた
居住棟の回廊部分
こんな繊細な彫刻も装飾も、彼らの手になった。改宗し洗礼を受けて深い信仰を持つにいたった。
一夫一婦制を受け入れ、一家族単位ででこんな空間に住んでいた
綺麗なモザイクの石の床は日本のウサギ小屋よりはるかに立派だった。
すくなくとも同時代の日本の民家と比べれば・・・。
無数にある石像の頭部。ヨーロッパ人の顔ではない。
右はスペイン人神父の骨だろうか。
見学に疲れると、ここでもギダーとボンギのリズムに合わせて、さあみんな輪になって踊りましょう!
半数は教皇によって派遣されて日本に 「ミッション」 に来た宣教家族の子供たちだ。
ブラジル領に戻り、この巡礼で初めで最後?のレストラン食
ブラジル名物キュラスコという焼肉料理だった
夜はまたイグアスの滝に近い体育館でごろ寝。
明日大事件が起きるとはつゆ知らず、早朝出発に備えてぐっすりと寝た
夢のなかで、高松の神学校の廃墟の庭にいて私は思った。
キリストは十字架の上で死ななければならなかった。
250年前のパラグアイでも、理想に燃えたイエズス会士の夢は空しく消えた。
この宣教家族の子供たちも、今おなじ歴史の波にもてあそばれている。
しかし、キリストは三日目に復活した!
(つづく)