:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ WYD-④ 〔映画〕 「ミッション」 の世界

2013-11-29 10:28:21 | ★ WYD 世界青年大会

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WYD-④ 〔映画〕 「ミッション」 の世界

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最初の巡礼地のイグアスの滝を見たとき、私は映画 「ミッション」 の事を思い出したと言った。

次の巡礼地はパラグアイにあるイエズス会の 「ミッション」 の史跡だ。

今回の巡礼に参加した70人余りの若者たちの多くは、

心の準備としてあの 「ミッション」 の映画を見てきたのだが、

そのころ私はまだローマにいてその機会に恵まれなかった。

あの映画と結びつけてものを書くには、古い記憶だけでは不十分と、ウィキペディアのページを開いた。

人間の記憶とはいよいよ曖昧なものだ。私は川に流され滝から落ちていく十字架の事を鮮明に覚えていて、

てっきり映画の最後の部分だと思い込んでいたが、実際は映画の主人公たちが登場する以前に宣教を試み、

失敗して原住民に殺され、十字架に括り付けて川に捨てられた憐れな宣教師の姿だった。

(以下、この色の字は私の言葉。)

 

 

ストーリーを再現するとおよそ次のようになる。

 巨大な滝へとつながるイグアス川の上流で、十字架にかけられた男がインディオたちの手で流れに押し出されていた。南米内陸奥地のインディオたちに神の教えをもたらそうとしたイエズス会の神父ジュリアンだ。彼は、十字架にかけられた無残な亡骸となった。

 

 

 彼のかわりガブリエルが布教にきた。殺気だった雰囲気の中で、彼はオーボエを吹き、その美しい音色にインディオたちの心は柔らいだ。1750年ごろ、スペイン統治下のパラナ川上流域では、キリスト教の布教が、険しい地形とジャングル、そして剽悍で誇り高い先住民グアラニー族の抵抗に阻まれ、多くの宣教師が命を落としていた。こうした中、宣教師として現地に送り込まれたガブリエル神父は、「音楽」を共通の言葉としてグアラニーの民の心をつかんでいく。

 やがて裸のグアラニー族の子供たちが、今日のウイーン少年合唱団顔負けの天使のようなポリフォニーの聖歌を歌い、おとなたちの手作りのバイオリンはヨーロッパに輸出しても通用するほどの精緻なものを生み出していった。

 一方スペインでは、神学者たちがこの裸の動物には人間の霊魂が宿っているか、それとも猿の一種か、と議論していた。


 一方、同じスペイン人植民者でありながらガブリエルとは犬猿の仲であった、軍人で奴隷商人のメンドーサは、許婚の女性をめぐるいさかいから自分の弟を誤って殺してしまい、一時は生ける屍のようになるが、ガブリエルのすすめで改悛、イエズス会に入会し、以後ガブリエルの指揮する布教活動の有能なスタッフの一人となった。

 

 グアラニー族への布教は急速に成果を上げていくが、農場での収益を平等に分配し、逃亡した先住民奴隷を惹きつける布教区は、植民地社会の有力者にとって次第に疎ましい存在となっていった。

 そのような折、スペイン・ポルトガル両国によって南米領土の国境線引きが行われ、イエズス会布教地区はポルトガル領に編入、先住民には布教村からの移動、宣教師たちには退去が命じられた。(当時のこの地域において、ポルトガル領では奴隷が合法で、奴隷狩りも行われていた。)

 (しかしスペイン領ではポルトガル領から奴隷を買うことはできたものの、奴隷収集は非合法であった。)だが宣教師たちはこれに背いて先住民と行動を共にすることを選択。植民地当局の軍隊が迫る中、ガブリエルが村人たちとともにミサを守る一方、メンドーサは宣教師のおきてにあえて背き、一度捨てた剣を再び取り、グアラニーの男たちとともに戦うことを決意する。現代のフランシスコ会のレオナルド・ボフ神父やイエズス会のグチエレス神父らの 「解放の神学」 の原点を見る心地がする。

 宣教師たちは死に絶え、ミッションの住民になっていたグアラニー族も、裸に戻り、文明を棄て、元の森の生活に戻るか、奴隷になってポルトガル人に使役された。そしてミッションは廃墟となった。

 

『ミッション』(The Mission)は、1986年のイギリス映画。1750年代、現在のパラグアイ付近を舞台に、先住民グアラニー族へのキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの生き様、彼らの理想と植民地社会の現実や政治権力者の思惑との葛藤を描く。1986年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー撮影賞、ゴールデングローブ賞脚本賞受賞。


では、ミッションの廃墟は今どうなっているか。このバスの運転手がご案内しよう。

ン?どこかで見たような・・・

 

いざ国境を越えてパラグアイへ

 

バスが止まると物売りの子供たちが寄ってくる。

裸になれば映画のエキストラが十分勤まるな、と思った


右手がミッションの入り口でございまーす!


中の芝生に入ると、こんなおしゃれな鳥たちがお出迎え


ここには立派なカテドラル風の教会があった。設計はスペイン人のイエズス会神父だが

その指導で石を加工して築きあげたのは全てグアラニー族の裸の原住民たちだった


パラグアイ観光局の案内人も、裸になればそのまま映画に出ることが出来そうだ

 

教会、イエズス会士の修道院、原住民の集合住宅、工場、作業所、etc. 

広大な敷地に数千人のグアラニー族の集合住宅が整然と並んでいた。

こんなミッション(宣教拠点)が何か所も展開し

インターネットこそなかったが、

のろし台の煙を使ってミッション同志が互いに通信し合い、団結して外敵(スペイン人?)に備えていた

 

居住棟の回廊部分

 

 

 

こんな繊細な彫刻も装飾も、彼らの手になった。改宗し洗礼を受けて深い信仰を持つにいたった。

 

一夫一婦制を受け入れ、一家族単位ででこんな空間に住んでいた

綺麗なモザイクの石の床は日本のウサギ小屋よりはるかに立派だった。

すくなくとも同時代の日本の民家と比べれば・・・。

 

 

無数にある石像の頭部。ヨーロッパ人の顔ではない。

右はスペイン人神父の骨だろうか。


見学に疲れると、ここでもギダーとボンギのリズムに合わせて、さあみんな輪になって踊りましょう!

半数は教皇によって派遣されて日本に 「ミッション」 に来た宣教家族の子供たちだ。

 

ブラジル領に戻り、この巡礼で初めで最後?のレストラン食

ブラジル名物キュラスコという焼肉料理だった

 

夜はまたイグアスの滝に近い体育館でごろ寝。

明日大事件が起きるとはつゆ知らず、早朝出発に備えてぐっすりと寝た

夢のなかで、高松の神学校の廃墟の庭にいて私は思った。

キリストは十字架の上で死ななければならなかった。

250年前のパラグアイでも、理想に燃えたイエズス会士の夢は空しく消えた。

この宣教家族の子供たちも、今おなじ歴史の波にもてあそばれている。

しかし、キリストは三日目に復活した!

(つづく)

 

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★ WYD-③ 世界最大の瀑布 『イグアスの滝』

2013-11-22 16:11:52 | ★ WYD 世界青年大会

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WYD-③ 世界最大の瀑布 『イグアスの滝』

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この巡礼の旅の最初の目的地は、ブラジルとアルゼンチンの国境にあるイグアスの滝だった。

どうしてこの場所が我々の巡礼地の一つに入っているのか

私は旅の日程の企画段階で関わっていないのでよくわからないが、

立案した若い司祭たちにはそれなりの意味付けがあったのだろう。

とにかく単なる観光だけでないことは確かなようだ。

そう言えば、

26-7年前に 「ミッション」 と言う映画を見たことがある。

目の奥に焼きついた幾つかのシーンの中で確か映画の終わりの頃だったと思うが

実際に人間が磔になっていたかどうか定かではないが大きな木の十字架が河を流れ下り

この大瀑布からゆっくりと落ちていくシーンを忘れることが出来ない。

この河はブラジルの500年に亘る宣教の歴史を、その最初の輝かしい成功と

それに続く悲劇的な失敗と、その失敗を乗り越えて辿った南米最大のカトリック国への道と、

現代の世俗化の波に呑み込まれて、毎年300万人以上のカトリック信者が

カトリックを棄てて新興宗教に流れていく現状をすべて見守ってきた。

かつて、キリスト教的ヨーロッパ世界で教会の長女と呼ばれていたフランスが

今や回教国になりつつあるように、ブラジルは急速にカトリック国の名を返上しつつある。

そんな時に初の南米出身の教皇が選ばれたのも偶然ではあるまい。

新教皇フランシスコは教会生き残りの命運をかけて、このブラジルに世界中の若者を招いた。

日本からの我々70人は、その使命に感じてこの滝の前に立っている。

この新大陸に最初にキリスト教が伝えられた時のドラマと

思わず神を賛美したくなるようなこの大自然の驚異との間に深い関わりがあり、

神の創造の神秘を想い人間の歴史を黙想するにふさわしい巡礼の場所であると思った。



南アメリカ大陸が発見され今のブラジルにヨーロッパ人が足を踏み入れたのは西暦1500年だと言われる。

映画 「ミッション」 に描かれたグアラニー族の原住民はまだ裸で生活していたと想像される。

原住民が奴隷として狩られ、動物のように使役されていた時代のことだ。

ヨーロッパの教会では神学者たちが真顔で「彼らはただの動物か、霊魂をもった人間か?」

「洗礼を授けてキリスト教徒に改宗させるに値するか?」

「動物の一種として使役するままが正当か?」

と議論し合っていた時代があった。


7月後半の南半球は冬で、ブラジルの南の方はけっこう寒い。日は短く太陽はすでに西に傾きかけていた。

滝に向かう前の集合写真。皆、滝のしぶきに備えて雨合羽を着ている。

6-7人欠けているが、それは私の周りでデジカメを構えている仲間だ。


この写真はインターネットから勝手に拝借したものではない。飛行機から自分で撮ったものでも、無論ない。

この深い逆U字型の谷は幅4000メートル高さ82メートル275の滝が集まった世界最大の瀑布。

この写真の全面が川で、画面左の端から右の端まで岩と樹木の間に見える白いものは

全て流れが速くなって白く泡立つ河の水なのだ。

滝が密集した一番奥の部分は 「悪魔の喉笛」 と呼ばれ、年中水しぶきで姿を隠している。

左手前20%がブラジル領、残り80%がアルゼンチン側に属する。

画面真ん中下の中段になっているところに川に沿って下から上へ細く蛇行している線が我々の歩いた遊歩道。

道の先端からは悪魔の喉笛の方角が微かに遠望できる。(以下の写真は自分で撮ったもの)

遊歩道に降りて行く道の途中で

虹は横に弧を描くものとばかり思っていたが、ここでは縦に立っていた

  

遊歩道を行くほどに激流は足の下を流れて右のはるか崖下の川に落ちていく

カメラのレンズは吹き上げて来る滝のしぶきでたちまち濡れていく

その水は左側の滝から轟々と落ちて岩に打ちつけている

動画でないと声をかき消す大音響と岩を震わす水の質量感は伝わってこない


滝の裏のような位置にあるエレベーターで上の台地に出ると見慣れない動物に出会った

 

ズーム目いっぱいで撮って引き延ばしたらこんな姿だった

中型犬ほどのこの動物 アライグマでもレッサーパンダでもない 顔が全然違う

1メートル近い長い太い尾が特徴的

日本中の動物園でついぞ見られたことのない動物だと思う

尖って反った鼻 三つの白い点はどれも目ではないみたい 

シャッター二回が精いっぱい アッと言う間に茂みに姿を消した


冬の太陽はつるべ落とし 早くも寒空には満月が昇り始めた

露出をマニュアルで -2 ほど落としていれば

月のうさぎさんが上向いているか下向いているか分かったのだが・・・

夜も更けて バスに揺られて体育館の冷たい床に寝袋を延べて寝る今夜の宿に戻った

 

(つづく)

追伸:罪のないコメントが入ったので応答しました。良かったら開いて読んでみて下さい。

右下の 「コメント」 ↓  をクリックしてください。

 

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★ WYD-② 歓迎パーティーと共同告白式(集団懺悔)

2013-11-16 16:21:24 | ★ WYD 世界青年大会

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WYD-② 歓迎パーティーと共同告白式(集団懺悔)

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 サンパウロ空港に着いたのは夜だった。バスは市内には入らず郊外のベッドタウンの或る教会に横付けした。


教会には2時間も前から現地の新求道共同体の兄弟たちが遅れた我々を辛抱強く待ち受けていた。

今夜、自分の家を開放して見ず知らずの我々を泊めてくださる人たちだ。


地元の司教さんの歓迎の挨拶があって、

たっぷり時間をかけて70人余りの今夜の引き取り先の家庭への割り振りがあって、

それから歓迎パーティーの遅い夕食があった。


 

      心のこもった豊かな食事だった          果物は豊富で手造りのデザートも美味しかった

 お料理は全て共同体のお母さんたちの心のこもった手作りだった。

明らかに日系ブラジル人とわかる顔もあった。

 

 夜が明けると、一同は教会に集まり、共同告白式(赦しの秘跡)に与かる。キコは様々な集まりや巡礼の最初に、必ずこの式をするよう指導する。何故か?それは、わたしたちが神の前に集う時、一人一人が自分の罪の赦しを受けて清められることなく、罪を抱えたまま世俗の精神を持ち込んだとしても、決して望ましい霊的成果が期待できないことをよく知っているからだ。


  

教会前の道を隔てて向い側にはイタリアンピザ屋さんのお店が 教会に三々五々集まる兄弟たち


ホームステイ先の家庭の柔らかいベッドで休んだ一同はこれから赦しの秘跡を受ける

聖堂の左手奥にはこの教会の共同体の歌い手たちがそれぞれの楽器を持って支援に集まっている

 

ギター、ボンギ、タンバリンは定番、

それにヴァイオリン、フルート、クラリネット、パイプオルガン、ハープなどが加わることもある

 

 聖書の朗読があって、司祭のお説教があって、導入のお祈りが終り、司祭たちが互いに3-4メートル離れた場所を選んで立ち、歌手の一人がギターに合わせて歌い始めると、個人的告白に入る。

 信者の告白を聴く前に、司祭同士が罪を告白して、互いに赦しを与え合う。それはそうだろう、罪をいっぱい抱え込んだ司祭が告白を聞くなんて、自己矛盾ではないか。

 信者は心に定めた司祭に近づき、みんなの見ている前で立ったまま罪の告白をする。司祭は助言の言葉を与え、償いを命じる。信者は司祭の前に跪き、司祭から罪の赦しを受け、司祭に手を取られて立ち上がる。BGMのようにギターに合わせた歌声がうまく掻き消してくれるので、告白の内容も司祭の勧めの言葉も周りに座っている信者には聞き取れないようにうまくできている。


 

司祭はどんな罪の告白を聞いても驚かない。 聞いた内容は一人の胸にしまって墓場まで持っていく。

 

相応しい助言をして、償いを命じ、赦しを与える。  おや、こんな小さな坊やまで? 罪がなんだか分かるのかな?

 

  ひとあたり告白が終ると、司式司祭はみんなを「平和の挨拶」に招き、一同は周りの兄弟たちと互いに抱擁し合って「主の平和」と言いながら挨拶をする。

 この大切な式が終ると、教会の中の空気が心なしか軽やかになり、光に満ちたように感じられるから不思議なものだ。心の準備は出来上がった。みんなの心も一つになった。いざ、「巡礼」へ向けて出発だ!

 そうだ、これはただ「世界青年大会」と言うイヴェントに参加するだけのものではない。ましてや、教会から補助金を貰える割安海外旅行、楽な観光旅行に行けてラッキーと言う類の上っ滑りなものではではなおさらない。それは、苦労して旅費の全額を自前で工面して、神様の前に自分の進路を見極める魂の遍歴、真剣な祈りと識別の、けっこう肉体的にもキツイ巡礼の旅なのだ!

(つづく) 

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★ 〔報告〕 教皇フランシスコのWYD (世界青年大会) -混沌迷走の大旅行-

2013-11-15 17:41:05 | ★ WYD 世界青年大会

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〔報告〕 教皇フランシスコの WYD

(World Youth Day in Brasil)

-混沌迷走の大旅行-

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 去る2013年7月18日-9月1日までブラジルのリオ・デ・ジャネイロで教皇フランシスコ主催のワールド・ユース・デー ( 世界青年大会)に向けて出発したことは、既に出発当日にアップしたブログに書きました。 

 いつかその報告と総括をと思いながら、このところ、長い重いテーマが相次いでしまって、チャンスを逃していました。今回は、なるべく軽く短いスライドショー的にまとめて、3回ぐらいで終わりたいと思っていますので、どうかよろしくお付き合いのほどをお願いします。

  

われわれ関空組をカタールのドーハ空港まで運んだ機体

ここで成田発組と合流

 

 

ドーハで乗り込んだ機内の座席のにある液晶パネルには、サンパウロまでの航路が表示されていました

これで地球を約4分の1週

 

どのように纏めようかと考えました。

時系列に沿って話題を拾っていくのが一番無難なのですが、 

テーマも織り交ぜて進むとしましょう。

 

〇 超格巡礼旅行は如何にして可能になったか?

 リオデジャネイロから焼き鳥の串で地球の中心めがけて正確にグサリ!と突き刺すと、串の先は北海道の石狩平野に突き出ます。つまり、ブラジルは日本から見れば地球の真反対。日本から一番遠い国です。そこまで70人余りの団体が往復して、二週間巡礼して、泊まって、食べて、それで一人25万円で上げるには、どうすればいいか。どういう手品を使うのか?

 ブラジルはヨーロッパがすっぽり入るほどの大国だ。飛行機でサンパウロに着いてからは、日本の常識では、一回1時間2万円ほどずつかけて飛行機でi移動するはずの距離を全て、8時間かかろうが、10時間かかろうが、12時間かかろうが、二台のバスで数百キロの道を走破する。日本のように高速道路が四通八達しているわけでもないのに・・・。夜は体育館や教会の床に寝袋を延べて寝るか、運が良ければ新求道共同体の家庭に分宿ホームステイする。食べ物は質素な炊き出しやパニーニ(サンドイッチの一種)などタダで頂ける物で腹を満たす。ホテル泊やレストラン食は例外とする。


  

例えば、夜はこんな具合にして泊まる もちろん男女は厳格に隔離される


例えば、食事はワンプレート ワァ!美味しそう!


実は、ここからセルフサービスで取ってきたもの


贅沢は敵だ 神父たちも感謝して美味しくいただいた

着ているのは日本で作ったユニホーム 胸には JAPAN と書いてある

背中にはWYDのイメージをデザインした絵がプリントされている


 もちろん募金もした。ローマで名士やマスコミを集めて、信仰ある貧しい日本の若者たちが巡礼に旅立つという触れ込みで、チャリティーパーティーを開いたし、国内では素人コーラスを編成して全国チャリティーコンサートツアーをして資金を稼ぎ出した。Etc.Etc.

 

 

ローマのチャリティーパーティーで宣教家族の娘として

一体私はイタリア人か日本人か?

自分のアイデンティティークライシスに苦しんだ体験を話すクリスチーナ


パーティーの席で、教皇ヨハネパウロ2世に世界青年大会(WYD)の開催を勧めた経緯と

その来歴など、ご自身のかかわりを話すコルデス枢機卿


ローマの夏の長い夕暮れ 屋外のカクテルパーティーはいつまでも続く

 

日本でのチャリティーコンサートのために練習した曲を現地のホームステー先の家族たちに披露する仲間

 

 自分の人世の岐路となる大切な巡礼と位置付けて、なんとしても参加したい一心から、

若者たちはみんな懸命にアルバイトをしてお金を貯めた。足りない分は借金もした。

教会からの補助は一切ないのだから。


 とにかく歌って踊って!踊って歌って!

 私はこんなに踊るのが好きな若者の集団を見たことがなかった。集団の中の何人かは常にスーツケースの他にギターを背負っている。あるいはタンブーリ(アフリカ風の太鼓)やボンギなどの打楽器を腕に抱えている。ちょっとの待ち時間を見つけると、まず誰かがギターをかき鳴らす。すると男の子の打楽器や女の子のタンバリンが鳴り始め、一同が歌い始める。踊れる曲は何曲もある。歌が始まると自然発生的に女の子たちが輪になって踊りだす。男の子もその輪に加わる。やらせておけば20分でも30分でも飽きずに踊っている。ステップはユダヤ教の過ぎ越しの祭りのものだと聞いたことがあるが、そうだろうか。元気な女の子は、そのリズムを二倍に刻んで、早い激しい踊りに変えて、くるくる回り出す。男の子も負けてはいない。


サンパウロの空港に着いても 迎えのバスがすぐに来るはずもない

そんな時ロビーではたちまちギターが鳴り出して歌が始まって輪になって踊り出す娘たち

 

空港ビル内の通行客もびっくりして足を止める (サウンド入りの動画でなくて残念!)


神父たちも一緒に踊る


体育館でのミサが終っても男の子たちはギターを奏で続ける そして


 

若者たちは輪になって踊り続ける 一体これ何なんだ? この歓喜と陶酔は???


 おっと、メンバーを紹介するのを忘れていました。この70人余りの集団の大多数は、新求道共同体のメンバー、特に第2世代の若者たちで、多分半数が日本人、半数がいわゆる宣教家族の子供たちで、その起源はスペインかイタリアが多い。彼らは両親がヨーロッパ人だから、見た目には外国人だが、小さいときに日本に来たか日本で生まれたかで、日本語は方言のおまけつきでペラペラ、考え方も物の見方も同世代の日本人とほとんど変わらない。

さて、長くならないうちに初回はこの辺で終わりましょう。こんな調子で始まった巡礼。

この先どんな事件、どんなサプライズが待っているか?

最後はどんな結末を迎えるのか? 

筋書きを知っている本人が一人でドキドキワクワクしていてはしょうがないですよね。

すみません!

 

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★ 〔一部加筆〕 日本のために 2 助祭誕生 =ローマ教区の召命事情=

2013-11-14 21:08:07 | ★ 新求道共同体

〔11月16日 一部加筆〕

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ローマ教区の召命事情

=日本のために2助祭誕生=

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去る10月20日(日)

ローマ市の中心にあるサン・ジョヴァンニ・ラテラノ教会でローマ教区の助祭叙階式が厳かに行われました。


 

サンジョヴァンニ・ラテラノ教会

 

 ラテラノ教会は、コンスタンチン大帝が313年にキリスト教を公認した後に建てたバジリカとしては、最古のものだと言われています。そのため、全ての教会の母とも呼ばれ、聖ペトロの後継者のローマ教皇の座、つまりローマの司教座は、バチカンの聖ペトロ大聖堂ではなく、今もこのラテラノ教会に置かれています。

 

内陣の奥の中央に繊細なモザイクで飾られた白い大理石の美しい椅子があります

教皇の玉座、つまりローマ教区長の司教座です

教皇がこの使徒座に座って

信仰と道徳について教会の教えを荘厳に宣言するときは

聖霊の特別な護りによって決して誤ることがないと教会は教えます

いわゆる教皇の不謬権」と言う教義で、プロテスタント教会の決して受け入れられない主張です

さて、

この玉座の真後ろには何の装飾もない質素な小部屋があります、

それは、かつてローマ教皇の居城だったラテラノ宮殿につながっています。

教会の正面から暴徒が乱入して来たら、教皇は素早く身をひるがえして

玉座の後ろの隠し戸から小部屋に逃れて鍵を閉め、宮殿の安全な場所に移る仕掛けです

このバジリカで、今から20年以上前にも今回と同じように助祭叙階式がありました

私は、式に花を添えるミニオーケストラの一員としてフルートを吹いていました

リハーサルの日、私はこの小部屋で一人練習をしていました

あたりにはバチカンの警備員もおらず、内陣はガランとしていました

その気になれば、この玉座に ヒョイ!と座ることぐらい造作もないことでしたが

うっかり座ったら、お尻が腫れるか、天から雷が落ちるか

とにかくただ事では済まないという畏れに襲われて

小心にもこの遊び心は不発におわりました

今こうして司祭としてこの玉座を眺めるたびに、今さらそんなバカはできませんが

ああ、あの時に座っておけばよかった、とチョッピリ悔いを残した次第です。

 

 冒頭からとんだ脱線をしましたが、真面目な話に戻りましょう。この日、教皇に代ってローマ教区を治めるヴァリーニ枢機卿は、11人の神学生を助祭に叙階しました。その内訳は新求道共同体が運営するレデンプトーリスマーテル神学院が 7人ローマの伝統的教区立神学校のコレジオ・ロマーノが 3人、そして外交官養成所などとしても知られるコレジオ・カプラニカが 1人でした。

 私が同じラテラノ教会で叙階されたのは20年前ですが、その頃はローマ教区全体で合計40人ほどが叙階され、その内わけはコレジオ・ロマーノとレデンプトーリスマーテル神学院とがほぼ同数だったと記憶します。それが、この20年間で教皇のお膝元での司祭召命は全体で約4分の1に激減し、特にコレジオ・ロマーノの衰退ぶりが目立ってきました。

 さらに、今年の叙階式で特筆すべきことは、レデンプトーリスマーテルの7人の内、2人が元高松の神学校で養成を受けた韓国人のダミアノ神学生とイタリア人のダビデ神学生だったことです。高松で日本語の教育をみっちり受けた2人は、来年5月には新教皇フランシスコが聖ペトロ大聖堂で行う初めての叙階式で晴れて司祭に叙階され、一旦はローマ教区に帰属することになりますが、将来環境が整えば、ローマ教区から宣教師として日本に派遣されることがほぼ決まっています。

 

助祭叙階直前のダミアノ(左)ダビデ(右)両神学生の晴れやかな顔


 ローマ教区には337の小教区教会がありますが、そこで働く司祭を養成するはずのコレジオ・ロマーノから、たった3人の司祭しか生まれなかったということは、大変危機的な状態だと言うほかはありません。

 生涯独身をとおすことが条件の司祭職への召命の減少は、現有司祭の待ったなしの高齢化と共に、全世界のカトリック教会の屋台骨を揺るがす深刻な問題で、日本だけではなく総本山のローマも決して例外ではないということです。

 新求道共同体の創始者のキコが、世界の宣教のためにローマに設立したレデンプトーリスマーテル神学院はそのとき認可された「定款」によれば、そこを卒業した司祭は、3年間ローマ教区に奉仕した後は、新求道共同体の精神に従って全世界に宣教に旅立つものと定められています。

 ところが、上のような召命の激減による慢性的な司祭不足が顕在化した今日、教皇代理のローマ教区長ヴァリーニ枢機卿は、3年の奉仕が終っても、たレデンプトーリスマーテル出身の司祭に、宣教に旅立つ許可を与えるのを渋るようになってきました。そのため、ヴァリーニ枢機卿と新求道共同体の創始者のキコとのあいだの調整が微妙になってきたようです。なぜなら、キコは世界に今なお増え続けているレデンプトーリスマーテル神学院の院長などの養成者として、ローマで3年の務めを終えた優秀な司祭を世界に派遣したいと思うのに、ヴァリーニ枢機卿は彼らをローマに引き留め、司祭不足解消のために小教区に貼り付けて使いたいと考えるからです。

 今年の叙階式の例からも明らかなように、今やレデンプトーリスマーテル神学院は、ローマ教区の司祭供給源として、欠かすことのできない存在になりつつあるのです。


  

安土桃山時代にイエズス会に入ったペトロ・カスイ岐部はローマに渡り、1626年にこのサンジョバンニ・ラテラノ教会の上の2枚の写真のチャペルでで司祭に叙階されました。祭服に着替えて式の開始を待ちながら、カスイ木部が日本人として初めてエルサレムの土を踏んだときのことなど色々と教わりました。


  

      香を持つ侍者を先頭に         行列の最後から入堂するヴァリーニ枢機卿


叙階式の中で聖書を授与される日本のためのダビデ神学生


無事揃って叙階された11人 その後ろはオーケストラとコーラス

左手一番奥に小さく白い大理石の教皇のカテドラ(聖座)が見える


 レデンプトーリスマーテル神学院がローマで開かれて以来、世界中の司教たちが競ってその姉妹校を誘致する動きが相次いでいます。今は無き高松の神学校もその最初の7番目の設立(1990年12月聖母無原罪の御宿りの祝日)でしたが、その後23年の間に、世界中の姉妹校の数はついに100校を超えるまでになりました。

 閉鎖された高松の神学校も、そのまま消滅することはなく、教皇ベネディクト16世によってローマに移植され、「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」と名付けられて健在で、今年も日本のために宣教師を2人生んだわけです。

 全世界に展開する姉妹校は、いずれも各地の司教の要請に応えて新求道共同体が設立したもので、院長以下のスタッフは共同体のメンバーであり、教育・運営方針も共同体の精神に基づくものですが、共同体が取得し整備した土地・建物は、そっくり司教区に寄贈され、教会法上は教区の財産になります。

 それは何故か?それは、新求道共同体がカトリック教会の聖座から正式に認可された「規約」の中で、「新求道期間の道は教区において無償奉仕するカトリック養成の道程である以上、固有の財産を所有しない。」(規約第1編第4条 「物的財産」 第1項)と自ら謳い、土地建物などの物的財産の所有を一切放棄しているからです。そして、一旦司教区の所有に移転した物的財産は、司教が変わり、方針が変われば、いかように処分されても、全てを神に委ねて甘んじて受け入れるのです。

 2代前の深堀司教様が誘致をきめ、私なども募金と建設に奔走し、多数の協力者の宣教への熱い期待のこもった寄付で出来上がった高松の神学校も、規約に定めるとおり、高松教区に寄贈されましたが、教区財産に編入された以上、司教が交代し閉鎖の方針が打ち出されれば、占有権や使用権を主張することもなく、スタッフ一同求められるがままに黙して退去するわけです。

 数億の寄付金と心血を注ぎ込んで建設し、かつては大勢の神学生で賑わった神学院の建物が、ただの廃屋として空しく放置されているのを見ると胸が締め付けられる思いがしますが、これもキコが選んだ「偽りのない清貧」の道の代償として受け入れるべき苦難と理解しています。

 これはカトリック教会の2000年の歴史の中でも画期的な出来事と言えます。なぜなら、「新求道共同体」、または、正式には「新求道期間の道」と呼ばれるものの実態は、従来の修道会とも、「オプスデイ」のようないわゆる「俗人区」とも異なる、それらよりも一歩進んだ新しい現実だからです。そして、共同体の「規約」の草案を見たとき、教皇ヨハネパウロ2世はこの「物的財産放棄」の条文を見て、さすがの教皇も「キコ、本当にこれで大丈夫なのかね?」と懸念を表明されたということでした。高松でその心配が現実になったわけですが、今後も世界のどこで、いつ、同じ問題が発生するか、予断を許しません。(太字、11月16日加筆)

 それは、過去に前例がないために極めて理解されにくいのですが、そもそも新求道共同体は「教区において無償奉仕するカトリック養成の道程」であって、在来型の「団体」でも「組織体」でもないのです。それは、信徒たちが集まって「カトリック養成」=信仰教育=の手助けのために教会に「無償奉仕」するためのひとつの 「道」 を意味するに過ぎないのです。




 ところで、長いカトリック教会の歴史の中には、かなり辛辣な風刺や冗談が無数にあります。その中の一つに「全知全能の神様にも知らないことが三つある」と言う一群の冗談があります。同じ題でも、誰がそれを語るかによって内容はバラエティーに富んでいるのですが、例えば、イタリアの或る修道会の神父から聞いたこんなのは如何でしょうか。

 「全知の神様も知らないことが3つ或る。それは、

女子修道会の数が世界に幾つあるか、

イエズス会の神父が何を考えているか、

  清貧のフランシスコ会の財産がどれほどあるか」 だと。 

如何ですか?

 敬虔な子女が3人寄れば、すぐ新しい修道会を作りたがる。だから、いま世界に一体いくつ女子修道会があるか、神様も数えきれない、と言う意味でしょう。

 イエズス会の神父が何を考えているか解らない、は説明を要しません。

 清貧の聖者アシジのフランシスコが始めたフランシスコ会が、世界中にどれほど莫大な資産をため込んでいるかは、神様も知らない。それは確かにそうかもしれないと思いました(笑)

 同じ冗談でも、バージョンが変わってイエズス会士が言うときは、自分たちのことは棚に上げて、代わりにドミニコ会を辛辣に風刺したものを入れる、と言った具合です。(冗談ですよ、あくまで冗談!ムキなって怒らないでくださいね!)

 修道者と言うものは、「清貧、貞潔、従順」の3つの誓願を立てて、建前としては個人的所有を放棄することになっています。しかし、その実態はどうか。多くの大修道会では清貧の誓願の対価として、莫大な財産を背景に修道士たちを護り養い、その生活の安定と贅沢さは世間の大多数の人々の比ではない、と言う皮肉な現実があります。これは、中世の封建時代以来、教会の歴史を通して非常に大きな矛盾でありスキャンダルの種だという指摘を受けることがありますが、私には反論も弁明も出来ません。

 新求道共同体の創始者はこの種の欺瞞と躓きを自分たちの働きの中から取り除くことに野心的な挑戦をしたのです。その手段が、集団として土地・建物に代表される「物的財産」の所有を一切放棄することでした。


式が無事終って香部屋(控室)に戻った一同

ミトラ(とんがり帽子)を被って杖を突いているのが

「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」の院長、平山司教


左からアンヘル副院長、ダビデ、平山院長、ダミアノ、そして私(院長秘書)


 年が替われば、教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂で、教皇になって初めての司祭叙階式を行います。そのときローマのために9人の司祭と日本のために2人の司祭が生まれるでしょう。これは私たちにとって非常に意義深い出来事ではないでしょうか。

(終わり)

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★ 不発に終わったイタリア語の説教-4 (完)

2013-11-07 12:34:20 | ★ ローマの日記

 

  

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不発に終わったイタリア語の説教-4 〔完〕

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 私は無神論者の友人の「偲ぶ会」で、人間が死んだら事実上無に還るという彼の立場を受け入れた。死んで肉体が滅んで五感を失ったら、たとえ霊魂が不滅であっても、その霊魂は世界も他者も自分自身も認知できず、空間の拡がりも時の流れも感知せず、無意識の闇に永遠に眠り続けるばかりで、存在しないも同然の状態に残ると思われるからだ。

 肉体が永遠に滅んだら、人間存在は無に還元されるというのが、科学的頭脳の我が友人の現実感覚だった。彼は何の慰めも受け付けないし、私にも経験的には反論する手がかりがない。人間が肉体と霊魂から成り立っていても、五感がブラックアウトしたら、不滅のはずの霊魂も無意識の深い眠りの闇に落ちて存在した痕跡すらも検知できなくなるだろう。

 もしそうなら、いくら宗教が観念的に霊魂の不滅を説いても無意味ではないか。無神論者の勝利か。カトリックの信仰は空しいのか?

 もし肉体が滅びっぱなしなら、確かにそういう帰結も受け入れざるを得ないかもしれない。

だが、どっこい、そうでもないようだ。

 人間が肉体と霊魂からなっていて、もし霊魂が不滅だとすれば、肉体が再生し回復されさえすれば、霊魂は目覚め、再び生きる喜びを謳歌することができるのではないか。もし霊魂が肉体を取り戻せば、五感は再び機能し、人は麻酔から醒めたときのように時間の中に目覚め、外界を認知し、自我を取り戻すだろう。

そんなことは可能か?

 キリスト教は可能だと言う。 

 現に、キリスト教の最大のお祭りは復活祭だ。(銀座のクラブやデパートのクリスマスではない。)その核心は「肉体」、つまり「からだ」の復活だ。厳密に言えば、同一人格性を保証する同じDNAを持った個体の再生だ。

では、キリストは本当に体をもって復活したか?

 答えはもちろん “YES!” だが、その検証は、実は意外に込み入った話になる。私はそれを一冊目の本「バンカー、そして神父」(亜紀書房)の300ページから「復活」の章、特に「キリストの空の墓」のくだりで詳しく書いたからここでは敢えて繰り返さないが、興味を持たれた方は是非お読みいただきたい。

http://books.rakuten.co.jp/rb/4122150/

 キリストが十字架上の受難と死を通して「死」に打ち勝って本当に復活し、人類のために死を滅ぼしたというのなら、「終わりの日」に我々一人一人が体をもって復活することも可能なのではないか。しかも、生前キリスト教に出会い、それを信じて死んだ魂だけでなく、そうでない人々の魂も差別なく復活して肉体を回復するのであれば、これは万人にとってありがたい福音ではないか。

 ところで、私はこのテーマの第2話で、「人の子の再臨」(世界の終末)まで、今から1000年なのか、100万年なのか、数十億年先なのか、誰も知らない、と言った。

 そして、キリストはその終末のとき、「人の子」

「果たしてこの地上に信仰を見出すだろうか?」

と言う問いを発したが、それは、もうすぐこの世の舞台から退場する私とその同世代人にとって、何の関わりもない遠い未来の話なのだろうか。イエスは、問いかけている相手に直接関わりのないことを言っているのだろうか。それは単なる彼の独り言か?

「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか?」

というのは、何億年先かもわからない遠い未来の終末のとき、科学が驚異的発展を遂げていく中で、キリストの教えは人類の間で尚も命脈を保っているだろうかとか、たとえ生き延びていたとしても、本物の信仰を持った人が残っているだろうか、とか言う意味で理解されるべきものだろうか。

 それとも、もしかして、イエスは私に、

「お前はどう思う? お前の場合はどうなんだ?」

と問うておられるのではないだろうか。悲しいことに、私は50歳になってからローマで神学の勉強を始めて、大急ぎで-わずか4年半で-神父になったので (注)、大切なギリシャ語を全部端折ってしまったから、残念ながら聖書の原典が私の期待するようなニュアンスの解釈を許すものであることを自分で検証することが出来ないのだ。(注) 哲学課程は昔ドクターコースまでやった時の単位が認められて全部免除された。

 体が復活するとき霊魂は眠りから覚める。全身麻酔の時がそうだったが、人は五感が封じられて眠りにつき、次に目覚めるまで、外界も自分自身も時間の流れも知覚しなかった。

 だとすれば、死から復活までの時間の経過は、その間の歴史の展開とともに、たとえそれが何万年、何億年であったとしても、全く感知されないだろう。本人の主観からすれば、麻酔が効いて眠りに落ちたときと、次に麻酔から醒めたときはピッタリと隣り合った二つの瞬間の出来事だった。もっと言えば、私の死の瞬間と私の復活の瞬間は、同じ一瞬のこちら側とあちら側だということだ。つまり、私の死ぬ時と人の子が来る時(この世界の終末の時)とは、同時だと言い換えてもあながち誤りではないだろう。

 私が死ぬときはいつか知らない。それは今日この時、今のこの瞬間かもしれない。だから、実存的には

「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか?」

と言うイエスの問いは、別の言葉でいえば、

「今、お前には信仰があるか?」

と問われているのと同じではないのか?だとすれば、それは関係のない遠い未来の他人事どころの話ではない。

 私の大切なOL嬢は、あの夜、あの時、その瞬間まで、まさか自分が交通事故で頭を打って意識不明になるなんて、夢にも思わなかったに違いない。しかも、打ち所が悪かったら、そのままこの世と 「おさらば!」 だったかもしれなかったのだ。

 私の話が正しいとすれば、その時もし彼女が死んでいたら、その死の瞬間が彼女の意識の中では「人の子が来るとき」、つまり終末の日、天と地が新たにされるとき、だったはずだ。何故なら、彼女が死んでから世の終わりまでにこの世で歴史が何億年流れていようとも、五感を封じられた彼女の霊魂は、その長い時間の経過を全く経験しないまま目覚めの時を待っていたからだ。

 彼女は、心理的には死んだその同じ瞬間に復活して目覚め、「新しい天と地」に喜びのうちに誕生するだろう。そして「人の子」は優しく彼女を迎えてくれるにちがいないのだ。

 「人の子が来るとき」つまり「キリストの再臨の時」=「私の死の時」=、

「地上に」、即ち「私自身の中に」

「人の子」 「信仰を見いだすことができる」 ことを私は切に願いたいと思う。

 私の友人も、この世を去った時すぐ彼岸で目覚め、私の話が正しかったことをすでに確認したに違いない。そして今頃私と繋がっていたことを喜んでいることだろう。なぜなら私は彼の復活を信じて神の前に祈っていたからだ。彼の魂は、この世の終末をすでに先取りして、新しい天と地の至福の中で、明日私が追い付いてくることを楽しみに待っている。

 これこそ、何億年先の未来への “BACK TO THE FUTURE!!” つまり、われら空想科学少年たちの真骨頂ではないか。

 我々の時空の世界と、天と地が新たにされた彼岸の世界とは、次元と位相が不可思議にねじれて、現在と遠い未来が互いに接していると言う他はない。

 これが、面倒くさいおばさんの「長い繰り言の懺悔」を別室で忍耐強く聞いているうちに、時間切れでミサの司式が出来なくなり、不発に終わった私の拙いイタリア語の説教の概略だ。

 それを私は、行き場を失った話をアシジのフランシスコが小鳥にしたように、ブログの向こうにいる顔の見えない人々を相手に無防備にも書いてしまった。そして、ふと我に返って、とんでもないリスクを背負いこんだものだと気が滅入っている。

 わずか30人ほどの互いを知りぬいた信者たちの前で、その場限りで消えていく話を思い付くままに大風呂敷を広げて口にするのと、誰が読んでいるかわからないブログの世界に、それを文字に固定して残すのとでは大違いだ。

 いつ誰にどこから足をすくわれるか分かったものではない。だから、言葉の足りないところ、誤解を招きかねない部分については、教会の教導職に恭順するものであることをあらかじめ申し述べておきたい。

コメントは大歓迎。

だが、事前承認の形を取らせていただいているので悪しからず。

なお、この一連のブログは、

(1)から(4)までひと続きのものなので、

正しい理解を得るために、是非もう一度はじめから順を追って読んでいただきたいと思う。


(完)

 

コメント (3)
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★ 不発に終わったイタリア語の説教-3

2013-11-01 18:22:32 | ★ ローマの日記

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不発に終わったイタリア語の説教-3

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前回は、本題を脱線して太字で大書した副題の 「火葬場」 のほうに滑ってしまったが、

本題はあくまで 「不発弾」 処理作業だ。それは 

「神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

と言うイエスの謎めいた問いにどう答えるべきか、と言い直してもいい。

 

 

 私は去る9月23日に、大切な友人の 「偲ぶ会」 都内で開いた。彼との出会いは自分が国際金融業から足を洗って、ローマで勉強をして神父になってからだから、期間としては20年足らずと決して長い付き合いではなかった。

 彼は私が渋谷で主催するようになったサロンの最初からのメンバーの一人だった。

 彼も私も頭の構造は理科系だ。彼はIT産業に進み、先端企業で活躍し、ビルゲーツやソフトバンクの孫氏などとも面識があったらしい。しかし、非常に難しい病を得て、まだこれからと言う齢で第一線を退き、体調管理に専念する生活に入った。

 それでも彼は月一の、そして私がローマに拠点を移してからは帰国の度に不定期に開くサロンに、ほぼ皆出席だった。何日もかけて体調をチューンアップし、サロンの夕べの数時間を終えるとすぐ静養に戻るという生活ではなかったかと思う。それはまるで社会にまだ現役で生きていることを確認する大切な儀式のようにも見受けられた。

 彼は実証的頭脳の持ち主で、確信犯の無神論者だった。神の存在を信じない。人間の魂の不滅を信じない。死後の世界を信じない。一方、カトリックの神父の私はゴリゴリの有神論者だが、二人は神の存在を廻って議論を戦わすことはなかった。

 2人の接点は、少年のようにSFの世界に関するものだった。ローマと東京の間で、様々な科学的テーマについて長いメールのラリーがあった。最後の頃で愉快だったのは、遠い将来実現するかもしれない宇宙エレベーターに関するものだった。人間が住む巨大な静止衛星と地上との間をカーボンナノチューブで作った索道を伝って宇宙エレベーターが行き来するという空想科学の世界だ。

 赤道上3万5786キロの静止軌道から垂れ下がってくる索道は、上は衛星に固定されるとして、それを地上の1点にアンカーすることが出来るかどうかで、喧々諤々の長いメールラリーを楽しんだことが忘れられない。

 彼はこんな形で私と繋がることを通して、間接的に私の信じる魂の世界神の世界との接点を保とうとしていたのではないかと思う。生前彼は「死は全く怖くない。しかし、死と共に自分の存在が全くの虚無に還るかと思うと、無性に寂しい。」と漏らしていた。

 彼が亡くなったとき私はローマに居たが、日本に帰った時 「偲ぶ会」 をサロンの初期のメンバーだけ招いて、奥様のご厚意で彼の家の居間で開くことができた。みんなと、もし彼が生きていたら絶対よしてくれと言っただろうな、と笑いながら、サロンのメンバーの前では初めてのカトリックのミサを強行した。そして、下手な長い説教の中で、彼の口癖、「死と共に自分の存在は全くの虚無に還る」を容認する話をした。出席者は有名大学の元経済学部長夫妻とか、かつて金融・ビジネスの先端にいた顔ぶれも多く、数名はカトリック信者でもあったが、特に異議を唱えるひとはいなかった。

(注:カトリック信者の皆さんには、この考えがカトリックの教理や神学に抵触も矛盾もしていないことを、「カトリック教会のカテキズム」や「新カトリック大事典」などに照らして確かめているので、どうか躓かないでいただきたい。

私がここでこの話をするのは、本題の

「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

と言うイエスの問いへの答えと直結するテーマだからだが、

まだその結論を出す前にもう一つ言わなければならないことがある。

 

 

 今回日本を離れる直前、私がかつて高松で洗礼まで導いたOLが、仕事帰りに歩道のない夜道を歩いていて交通事故に遭い、乾いた田んぼに跳ね飛ばされ頭を打って気を失い、全身打撲に加えて鎖骨を骨折した。手術は4時間半に及んだが、家には彼女が看ているやや痴呆の始まった老母が居るだけで、こんな時には役に立たず、ほかに身内はいなかった。だから私がその夜ずっと付き添った。

 麻酔が覚めた彼女に聞いた。麻酔が効きはじめて意識を失ってから目覚めるまで、時間の経過や周りの出来事を何か知覚したか?答えは NO!だった。では何か夢を見たか?答えはやはり NO!だった。それは、私がかつてドイツで検査のために病院で全身麻酔を受けたときや、去年ちょっとしたお腹の中身の摘出手術で入院して全身麻酔を受けたときの体験と一致した。

 人間存在は肉体の五感が完全に封じられると、外界の存在も自分の存在も時間の流れも一切知覚できなくなってしまう。人間は肉体と霊魂の二つからなると教会は教えるが、その相互関係は一方のブラックアウトは同時に他方の完全なブラックアウトにつながるほど密接不可分で、物質でできた肉体が機能を停止すると、魂は外界はおろか、時の推移も、自分自身の存在すらも、全く知覚出来なくなることが経験によって知られる。

 一時的状態である全身麻酔でさえそうであるなら、人間がによって肉体を失い、五感が単に機能を停止するだけにとどまらず、肉体の崩壊と共に五感そのものを完全に失った魂は、外界も、自分自身も、時の流れも、一切意識できなくなってしまうことは必定ではないか。

 ローマの火葬場の話ではないが、人間の肉体が風に乗って散り、水に溶けて流れてしまったら、魂は仮にあるとしても、沈黙の暗闇の中に眠った常態になり意識も完全に消滅するから、人間存在は私の友人の言ったように事実上「完全な無に還元された」のとどこが違うだろうか。そして、いくら魂の不滅を信じても、その魂と密接不可分に結ばれていた肉体が永遠に失われたとしたら、その魂の存在自体が有名無実で、完全な無になって永遠に失われたのと同じことではないだろうか。

 そう考えてくると、「死んだら私は無になる」「死ぬのは怖くない。しかし、死んで無になるのであれば、私は無性に寂しい」と言う彼の心情に完全に共感できるし、何も反論できないのである。

 プラトンやアリストテレスに基礎を置いたキリスト教哲学が支配した時代は既に終わった。カントやヘーゲルや現象学や実存主義の哲学を経て、科学や心理学が飛躍的に進歩し、世俗化が進んだ今日の世界で、ただ天国や地獄や来世の報いを説くだけでは、現代の知性を信仰の世界に繋ぎ止めておくには不十分だ。そのことは、教皇フランシスコのお膝元ローマの火葬場の現実をみれば、一目瞭然ではないか。

「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

イエス様、悪いけどこのまま行けば多分ダメですね。

と答えるしかないのだろうか?

 

しかし皆さん、これはまだ私の話の終わりではない。

どんでん返しの結論まで、あともう一回のご辛抱を!

 

コメント (1)
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