:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー2)

2015-05-27 03:34:19 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

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世界史の奇跡? = ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー2

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 準備は怠りなく整って 後はユダヤ人の兄弟たちを迎えるばかりだ

入り口ホールでは ドームスガリレアのスタッフと「黒い羊」たちが ユダヤ教のメロディーと歌詞の歌を歌って出迎える

(「黒い羊」については 下のブログ参照) 

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/b2c04c6083839293cffc095f6f93989b

 

ソウルのアンドリュー・ヨム・スジョン枢機卿は 参加者の先陣を切って到着した(右から3人目)

 

左の4人はユダヤ教のラビ(教師)特有の黒いつば着き帽子をかぶっている

右から2人目はウイーンのシェーンボルン枢機卿 先の教皇選挙では ヨーロッパ出身の有力候補だった

入り口の上のまるいガラス窓には 何やら紙が貼り付けられている それは

ガラスに描かれた十字架の横木の部分を隠すためだ

その紙には ウエルカム シャローム(平和)と書かれていた

ユダヤ教のラビが 十字架の印の下をくぐって キリスト教の建物に入るなんてあり得ないことなのだ

 

おや 2012年にニューヨーク、ボストン、シカゴで見覚えのある顔だ

エルサレムのユダヤ教大会堂のコーラス首席ソリスト チャイム・アドラー師だ 彼は今日再び 

ホロコーストの犠牲者の哀歌を歌うのだろうか

 

ホールの入り口には 縦長の見慣れたポスターがあった

これは ニューヨークのエイブリーフィッシャーホールの正面にも 楽屋口にもあったものと同じだ

 

ホールの中は ユダヤ教の要人たちと カトリックの高位聖職者らでいっぱいだった

オーケストラもコーラスも黒で盛装して 開演を待っている

この写真には大物がずらり 先ず右端が バチカンの信徒評議会議長のリルコ枢機卿

その左が シドニーのペール枢機卿 彼はフランシスコ教皇の改革8人衆の一人で 金融財政分野で大鉈を振るっている

その左の枢機卿は良く知らないが 右から4人目はソウルの枢機卿 そしてウイーンのシェーンボルン枢機卿

2列目真ん中は ドイツのコルデス枢機卿 高松の神学校建設の時 私は個人的に大変世話になった

 

 

(左)あいさつに立った国際ユダヤ協議会諸宗教会議会長のラビ・デビッド・ローゼン師    

(右)自己紹介とシンフォニーの解説をするキコ

 

いよいよ開演 指揮者トーマスハヌス 彼もカトリックに改宗する前はユダヤ教徒だった

最後には全員総立ちになって ヘブライ語で「シェマ― イスラエル」を大合唱した

その意味は「聞けイスラエル、主なる神は唯一の神!」だった

 

盛装したチャイム・アドラー師 ェルサレムのユダヤ教大会堂コーラスの首席ソリスト 

 

アドラー師の切々たる歌声に聞き入るデビッド・ローゼン氏(右手前) ペール枢機卿(その左奥)

 

この演奏会の司式者として カトリック側からの祈りをささげる ペール枢機卿

 

感激のうちに シンフォニーの演奏は無事に終わった

ヘブライ語でモーゼの十戒が彫られた石の壁の前で記念写真を撮るラビたちとその夫人たち

 

シンフォニーの後 遅い昼食が大食堂で始まった もちろんユダヤ教の戒律に従ったメニューで

 

メインテーブルには 右から コルです枢機卿 ペール枢機卿 キコ インドの枢機卿

こうして 一日目の主な行事は つつがなく終わった

(つづく) 

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★ 世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(そのー1)

2015-05-26 17:00:52 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

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 世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解への道(そのー1)

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キリスト教がローマ皇帝から迫害される非合法宗教から一転して、ローマ帝国の国教の地位に登って以来1700年間、キリスト教はユダヤ人を迫害し続け、相互に反目し、敵対し続けてきた歴史がある。「ユダヤ教は強烈な選民思想であり、排他的な思想であり、イエス・キリストの処刑に関わった張本人」などという考え方も広がっている。

 

ガリレア湖に反射する太陽 向こうはシリアのゴラン高原 日本のPKO部隊が長く居たところだ

 

キリスト教からすれば、ユダヤ人は神から遣わされるメシア(救世主)を待ち望みながら、ナザレのイエス=キリストをメシアとして認めず、ローマ人に売り渡して十字架につけて殺した「神殺し」の民であり、ユダヤ人からすれば、キリストは偽メシアだったから排除されるべきは当然で、彼らは今も、本当のメシアの来臨を待ち望みながら、そのために日に3度祈りをささげている。

そのユダヤ人に対して、キリスト教徒がどのような感情をいだき、どのように彼らを扱ってきたかは、シェークスピアの「ヴェニスの商人」を読めば、その一端がうかがえる。そこではユダヤ人は金持ちだが強欲で無慈悲で邪悪なものとして描かれ、キリスト教徒は清廉で知恵に満ち愛に溢れていて、最後のどんでん返しでキリスト教徒がユダや人の鼻をあかすという筋書きになっている。

近い過去における反ユダヤ主義の生んだ最も不幸な出来事は、ヒットラーの率いるナチスによるホロコースト(絶滅収容所における大量虐殺)だった。その犠牲者の数600万人とも言われる。

 

アウシュヴィッツ強制収容所の正面に向かって伸びる鉄路

 

ホロコーストで民族存亡の危機を経験したユダヤ人は、数次の中東戦争を経て、パレスチナにイスラエル国を強引に建設し、多くのパレスチナ難民を生み出した。IS(イスラム国)がやっていることと大差ないやり方で国を作った。違いは、国際ユダヤ資本とアメリカやイギリスを味方につけたか、それらを敵にまわし、なおかつ野蛮なえげつないやり方に走ったかだ。然し、神の名において他人の土地を奪った点では同じではないだろうか。 

この不幸な歴史に、決定的な転換をもたらしたのが、聖教皇ヨハネパウロ2世とキコの二人の存在だった。

ヨハネ・パウロ2世は1979年、教皇として初めてアウシュヴィッツ強制収容所を訪問。1983年には教皇として初めてローマの大シナゴーグ(ユダヤ教に会堂)を訪れ、2000年3月(ミレニアム)には聖地を訪問し、「ユダヤ教徒は我々の兄である」と宣言し、キリスト教の歴史におけるユダヤ教徒への対応への反省を公式に発表した。

キコは、カトリックのミサの中に、ユダヤ教の過ぎ越し祭の要素を再発見し、ユダヤ教の祭りの歌のメロディーとヘブライ語の歌詞を豊かに取り入れて、たくさんの聖歌を作曲してカトリック典礼をより豊かなものにした。さらに、ガリレア湖のほとりの丘の上にドームスガリレアというコンヴェンション施設を建設し、ユダヤ人との交流の場を開いた。この施設には年間10万人以上のユダヤ人が訪れている。さらにシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」を世界中で演奏し、多くのユダヤ人たちを招いてホロコーストの犠牲者を悼んだ。

キコは、去る5月の4日から7日まで、キリスト教2000年の歴史で初めて、世界中のユダヤ教のラビ(教師)たちを招待して、シンフォニーを聴かせ、ユダヤ教とカトリックの宗教交流のコンヴェンションを開催した。世界中から120人のラビたちがその招きに応え、日本からは東京のユダヤ教会堂のラビ夫妻が参加してドームスガリレアで一堂に会した。

 

ドームスガリレアの入り口前の芝生に立つ聖教皇ヨハネパウロ2世像

 

開催に先立って、180人ほどの演奏家が、スペインとイタリアからやってきた。私もキコに呼ばれて参加した。5月2日から指揮者トーマス・ハヌスの念入りの特訓が始った。

 

コンヴェンションホールでの合同リハーサル風景

 

汗ビッショリになって棒を振り続ける指揮者トーマス・ハヌス

 

キコのコーラスの最大の特徴は若い妊婦さんの多いことだ この2枚の写真の中に

明らかにそれと分かるのが少なくとも3人 他に目立たないのが何人いるか 知っているのは神様だけ

 

彼ら ただ音楽を演奏するだけではない 時間には祈り ミサにもあずかり

ミサの終わりには 祭壇を囲んで みんな輪になって踊る ユダヤ人たちのように

準備は急ピッチで進んだ ユダヤ人の心情に配慮して 食堂の大きなキリストの十字架像も 聖母マリア像も取り除かれた 

ホールのガラスドアの握り手も 急遽斜め線を加えて4の字型にして ユダヤ人の手が十字架に触れたことにならないように工夫が凝らされた

あらゆるキリスト教のシンボルを消したのは ユダヤ人の心情に配慮してのことだ

 

 

ユダヤ人たちが 自分たちの固有の祈りを奉げることができるよう 特別の部屋も用意された

ユダヤ人ラビたちは ここでユダヤ教の礼拝を奉げることだろう

あと3日もすれば 世界中からユダヤ教の指導者たちが集まってきて

カトリックの枢機卿や 司教たちとここで歴史的な対話をすることになっている

世界史の転換点となり得る重大なイヴェントの前夜の姿だ

(つづく)

  

 

 

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★  日本版 「100の広場」 (原宿ー2)

2015-05-22 10:15:01 | ★ 現代カトリックの宣教「100の広場」

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日本版 「100の広場」 (原宿ー2)

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私の部屋の窓から川が見える ここから河口まで何キロだろう? 両岸は釣り船やレジャーボートが点々ともやってある

日曜日ともなると 朝からいろんな船が 次々と海に向かって下っていく

 

 

 

この日も 午後から原宿に向かった 代々木公園で フランシスコ教皇の呼びかけに応えて 街頭宣教をするためだ 

 

 

待ち合わせ場所には すでに宣教家族二世の若い母親が着いていて

美人の母親は 代々木公園を訪れた若い人たちに囲まれて 何やら楽しげに話していた

 

 

 

人の目を引いたのは どうやらお人形のように可愛い青い目の双子の赤ちゃんのようだった

この子たちが一番優秀な宣教師なのよ と若い母親は私に言う

彼女は 双子ちゃんの愛くるしさに見とれて 思わず足を止めた未婚の娘たちに 何やら話しているようだ

(聞き耳を立てていたわけではない 多分こんな会話があり得たかな と想像して書いてみよう)

母親になるって素敵なことよ 

あなたたちも早く結婚してたくさん子供つくりなさいな おろしたりしちゃダメよ

子どもは神様からの預かりものなんだから 神様はあなたたちを愛しているわ 本当よ わたし保証する

神様を信じるって 大切なことよ あなたたちにそのことを伝えたくて 今日わたしここに来たの

 

 

宣教家族が集まるところ 子供がとても目につく その数 一家庭平均5人とか

8人、10人、13人の子だくさんも全く例外ではない

 

 

 

30分遅れでスタート おや?今日はスローガンを書いた横断幕がないぞ?

それでも 真鍮の十字架を先頭に ギターを奏でて聖歌を歌いながら進む外人の群れに

公園に集まった人々は目を丸くして立ち止まる これだけでもパーフォーマンスとしては大成功だ

 

 

公園の奥深く 適当な芝生の広がりを確保すると 今日の街頭宣教が始った

先ず 司祭が聖書の朗読をする そしてその聖書のヵ所について相応しいお話をする しかし

まわりにビニールシートを広げて寝そべっている 若いカップルたち

耳ダンボの彼らに 話の内容は聞き取れているのだろうか?

せっかくの話 やはり マイクとスピーカー 

せめて 電気メガホンくらいは必要だな と内心痛感した

 

 

 

続いて 兄弟の信仰告白があった 私は彼を良く知らない 多分双子の赤ちゃんの父親だろう

声が届かなくて よく聞き取れなかったが 私なりに要約すると 多分こんなことを言ったのではないか

私はイタリア人の宣教家族の子どもとして日本で育った

しかし 日本に馴染めず 日本での生活に満足できなかった

それで 高校を出た頃 一人でイタリアに帰って 故郷の普通の若者と同じように放埓な生活に耽った

自分が自己実現だと思ったことは 罪深い利己的な生活に過ぎなかった しかし 自分ではそれがわかっていなかった

そして イスラエルのドームスガリレアというコンべンション施設に送られた

そこでどんな生活が彼を待っていたかは 私のブログ

2012年「ガリレアの風かおる丘で」今年も何かが・・・③

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/b2c04c6083839293cffc095f6f93989b

を見ていただけば一目瞭然

全てを奪われ 厳しい規則の中で 最も低い労働を課され 自分の自由な時間もほとんどない生活の中で

彼は不思議な体験をした

自由もない 自分の時間もない 厳しい労働に日々

毎晩神の前で涙ながらに祈り 私はなぜこんな目に合わなければならない? 神様と格闘した

毎日 他人のトイレを掃除し ベッドメーキングをし 掃除や窓ふきや 食堂の給仕に明け暮れる毎日の中で

放蕩生活では見つけられなかった 充実感 幸福感 心の平安と 神との出会いを体験した・・・

一年間の体験を経て 彼は別人としてそこを出た

今は 親の背中を追って 日本に帰ってきて 結婚し 二世代目の宣教家族として 神の福音を宣べ伝えている

神様はいる キリストは復活した!! 

 

 

まるく円をえがいて座った仲間たちが その証しを聴いている 

しかし 私がローマの「100の広場」で体験したようなこと 

つまり 次第に人垣ができて 人々が話に耳を傾けること は起きていないように見受けられた 

 

 

体験談 証しが終わると 二人ずつ組になって 代々木公園に散って 人々に声掛けをすることになった

正直 私の苦手な場面だ 気恥ずかしくもあり また怖くもあった

イタリア人の若者と一緒にでかけた 人はいっぱいいる さあ誰に声をかけよう

見ると 若いお父さんが二人の小さな坊やと 飛行機を飛ばそうとしていた

私は若いころ飛行機には目がなかった 紙飛行機 手投げグライダーから 本格的ラジコン飛行機まで

人並み以上に手先が器用で 作るのが大好きだったが 操縦技術は下手くそで 処女飛行で墜落させてお釈迦 という場面もあったが

それでも満足して 性懲りもなくまた新しい機体の制作に夢中になっていた

手投げグライダーがうまく飛ばなくて 坊やが苦労していたので 近づいて 声をかけ うまく飛ぶようにしてやった

それでごく自然に お父さんとの話しが始まった

私は もと外資系銀行で働いて そこそこお金持ちだったが 心に平和がなかった

回心して 神を信じて 神父になって貧乏暮らしになったが 今は幸せだ

 人間の命はこの世で尽きるものではない

神によって永遠の幸せに入るために創造されたものだ・・・

そこへ おチビちゃんを連れた若い奥さんが トイレから帰ってきた

主人が見知らぬ爺さんと話しているのを 胡散臭そうに眺めると 子供たち三人を束ね 主人を次の行動に促した

私の声掛けはそこで終わった

こんどは 若い外人の父親と乳母車の子供を捕まえて 話しかけようとしたが

両手を顔の前にバツ印に構えて 「私たち その手の話は苦手なんです・・・」と 尻ごみの姿勢

よく見ると さっき二人組で散った仲間の一人だった 大爆笑!

 

 

物売りが売って歩いているのだろう 大人から 小さい子供まで 盛んにシャボン玉で遊んでいる

公園中 初夏の風の中を 虹色のシャボン玉が流れていく

まるで 心地よい日差しに誘われて 代々木公園に繰り出した人々のようだと思った

一瞬のあいだ 風にもてあそばれながら色とりどりに輝いて あっという間に消えていくシャボン玉のような はかない人生

キリスト教は 人間は神に象って創造されたもの 神の似姿 

永遠に生き続ける不滅の魂をもった 高貴な存在だと教えている ただの儚いシャボン玉ではない

だが どうすれば この公園に集まっている人びとに そのことに気づかせることが出来るだろうか と考える

 

 

解散後 原宿の駅前で ハーリークリシュナか何かの出家者が 孤独にチラシを配っていた

ああ カトリックも オウムも この人も 原宿・代々木公園の日本人には どれもみな同じに見えているのかもしれないな

と醒めた心で考えた

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反省と来年への申し送り事項

時間厳守で毎回同じ時間にスタートすること

毎回おなじ場所からスタートし 同じ場所で展開すること (あちこち変えてみないこと)

横断幕は忘れないこと カトリックの行動であることを暗に示すために 教皇フランシスコの写真を横断幕に着けるがいいだろう

 人だかりがして 人垣ができるまで 音楽と歌とダンスをしっかりつづけること

聖書朗読や お説教や 体験談・信仰告白は 内容がしっかり人垣に届くように マイクやスピーカーを整備すること

二人ずつ当てもなく散っても 話かけられた人にも 話しかける側にも 心の準備ができていないことが多いから 余り効果的でない 

むしろ 体験談 信仰告白に重点を置き 中断無しに続けるほうがいいだろう そして

立ち止まって耳を傾ける人がいたら その人にに声掛けをする方が 実り豊かではないだろうか

(以上)

 

 

 

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