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日本版 「100の広場」 (原宿ー2)
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私の部屋の窓から川が見える ここから河口まで何キロだろう? 両岸は釣り船やレジャーボートが点々ともやってある
日曜日ともなると 朝からいろんな船が 次々と海に向かって下っていく
この日も 午後から原宿に向かった 代々木公園で フランシスコ教皇の呼びかけに応えて 街頭宣教をするためだ
待ち合わせ場所には すでに宣教家族二世の若い母親が着いていて
美人の母親は 代々木公園を訪れた若い人たちに囲まれて 何やら楽しげに話していた
人の目を引いたのは どうやらお人形のように可愛い青い目の双子の赤ちゃんのようだった
この子たちが一番優秀な宣教師なのよ と若い母親は私に言う
彼女は 双子ちゃんの愛くるしさに見とれて 思わず足を止めた未婚の娘たちに 何やら話しているようだ
(聞き耳を立てていたわけではない 多分こんな会話があり得たかな と想像して書いてみよう)
母親になるって素敵なことよ
あなたたちも早く結婚してたくさん子供つくりなさいな おろしたりしちゃダメよ
子どもは神様からの預かりものなんだから 神様はあなたたちを愛しているわ 本当よ わたし保証する
神様を信じるって 大切なことよ あなたたちにそのことを伝えたくて 今日わたしここに来たの
宣教家族が集まるところ 子供がとても目につく その数 一家庭平均5人とか
8人、10人、13人の子だくさんも全く例外ではない
30分遅れでスタート おや?今日はスローガンを書いた横断幕がないぞ?
それでも 真鍮の十字架を先頭に ギターを奏でて聖歌を歌いながら進む外人の群れに
公園に集まった人々は目を丸くして立ち止まる これだけでもパーフォーマンスとしては大成功だ
公園の奥深く 適当な芝生の広がりを確保すると 今日の街頭宣教が始った
先ず 司祭が聖書の朗読をする そしてその聖書のヵ所について相応しいお話をする しかし
まわりにビニールシートを広げて寝そべっている 若いカップルたち
耳ダンボの彼らに 話の内容は聞き取れているのだろうか?
せっかくの話 やはり マイクとスピーカー
せめて 電気メガホンくらいは必要だな と内心痛感した
続いて 兄弟の信仰告白があった 私は彼を良く知らない 多分双子の赤ちゃんの父親だろう
声が届かなくて よく聞き取れなかったが 私なりに要約すると 多分こんなことを言ったのではないか
私はイタリア人の宣教家族の子どもとして日本で育った
しかし 日本に馴染めず 日本での生活に満足できなかった
それで 高校を出た頃 一人でイタリアに帰って 故郷の普通の若者と同じように放埓な生活に耽った
自分が自己実現だと思ったことは 罪深い利己的な生活に過ぎなかった しかし 自分ではそれがわかっていなかった
そして イスラエルのドームスガリレアというコンべンション施設に送られた
そこでどんな生活が彼を待っていたかは 私のブログ
2012年「ガリレアの風かおる丘で」今年も何かが・・・③
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/b2c04c6083839293cffc095f6f93989b
を見ていただけば一目瞭然
全てを奪われ 厳しい規則の中で 最も低い労働を課され 自分の自由な時間もほとんどない生活の中で
彼は不思議な体験をした
自由もない 自分の時間もない 厳しい労働に日々
毎晩神の前で涙ながらに祈り 私はなぜこんな目に合わなければならない? 神様と格闘した
毎日 他人のトイレを掃除し ベッドメーキングをし 掃除や窓ふきや 食堂の給仕に明け暮れる毎日の中で
放蕩生活では見つけられなかった 充実感 幸福感 心の平安と 神との出会いを体験した・・・
一年間の体験を経て 彼は別人としてそこを出た
今は 親の背中を追って 日本に帰ってきて 結婚し 二世代目の宣教家族として 神の福音を宣べ伝えている
神様はいる キリストは復活した!!
まるく円をえがいて座った仲間たちが その証しを聴いている
しかし 私がローマの「100の広場」で体験したようなこと
つまり 次第に人垣ができて 人々が話に耳を傾けること は起きていないように見受けられた
体験談 証しが終わると 二人ずつ組になって 代々木公園に散って 人々に声掛けをすることになった
正直 私の苦手な場面だ 気恥ずかしくもあり また怖くもあった
イタリア人の若者と一緒にでかけた 人はいっぱいいる さあ誰に声をかけよう
見ると 若いお父さんが二人の小さな坊やと 飛行機を飛ばそうとしていた
私は若いころ飛行機には目がなかった 紙飛行機 手投げグライダーから 本格的ラジコン飛行機まで
人並み以上に手先が器用で 作るのが大好きだったが 操縦技術は下手くそで 処女飛行で墜落させてお釈迦 という場面もあったが
それでも満足して 性懲りもなくまた新しい機体の制作に夢中になっていた
手投げグライダーがうまく飛ばなくて 坊やが苦労していたので 近づいて 声をかけ うまく飛ぶようにしてやった
それでごく自然に お父さんとの話しが始まった
私は もと外資系銀行で働いて そこそこお金持ちだったが 心に平和がなかった
回心して 神を信じて 神父になって貧乏暮らしになったが 今は幸せだ
人間の命はこの世で尽きるものではない
神によって永遠の幸せに入るために創造されたものだ・・・
そこへ おチビちゃんを連れた若い奥さんが トイレから帰ってきた
主人が見知らぬ爺さんと話しているのを 胡散臭そうに眺めると 子供たち三人を束ね 主人を次の行動に促した
私の声掛けはそこで終わった
こんどは 若い外人の父親と乳母車の子供を捕まえて 話しかけようとしたが
両手を顔の前にバツ印に構えて 「私たち その手の話は苦手なんです・・・」と 尻ごみの姿勢
よく見ると さっき二人組で散った仲間の一人だった 大爆笑!
物売りが売って歩いているのだろう 大人から 小さい子供まで 盛んにシャボン玉で遊んでいる
公園中 初夏の風の中を 虹色のシャボン玉が流れていく
まるで 心地よい日差しに誘われて 代々木公園に繰り出した人々のようだと思った
一瞬のあいだ 風にもてあそばれながら色とりどりに輝いて あっという間に消えていくシャボン玉のような はかない人生
キリスト教は 人間は神に象って創造されたもの 神の似姿
永遠に生き続ける不滅の魂をもった 高貴な存在だと教えている ただの儚いシャボン玉ではない
だが どうすれば この公園に集まっている人びとに そのことに気づかせることが出来るだろうか と考える
解散後 原宿の駅前で ハーリークリシュナか何かの出家者が 孤独にチラシを配っていた
ああ カトリックも オウムも この人も 原宿・代々木公園の日本人には どれもみな同じに見えているのかもしれないな
と醒めた心で考えた
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反省と来年への申し送り事項
時間厳守で毎回同じ時間にスタートすること
毎回おなじ場所からスタートし 同じ場所で展開すること (あちこち変えてみないこと)
横断幕は忘れないこと カトリックの行動であることを暗に示すために 教皇フランシスコの写真を横断幕に着けるがいいだろう
人だかりがして 人垣ができるまで 音楽と歌とダンスをしっかりつづけること
聖書朗読や お説教や 体験談・信仰告白は 内容がしっかり人垣に届くように マイクやスピーカーを整備すること
二人ずつ当てもなく散っても 話かけられた人にも 話しかける側にも 心の準備ができていないことが多いから 余り効果的でない
むしろ 体験談 信仰告白に重点を置き 中断無しに続けるほうがいいだろう そして
立ち止まって耳を傾ける人がいたら その人にに声掛けをする方が 実り豊かではないだろうか
(以上)