:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ WYD-⑦ 〔完〕 キコとの出会い

2013-12-26 18:21:59 | ★ WYD 世界青年大会

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WYD-⑦ 〔完〕 キコとの出会い」

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時計の針をすこし戻そう。

夜、くたびれ果ててあの巨大かまぼこ型の教会にたどり着くまでの数日の道中、

私たちは時たま下の写真のような光景に出合うことがあった。

下の例は、文無しでヒッチハイクしながらWYDの教皇ミサに行くフランシスコ会の神父とその仲間のようだった。

 

  

この時我々は、金持ちのイェフィームのように、無慈悲にもスピードも落とさず無視して走り抜けた。

我々はまさか運転手逮捕事件でWYDがパーになるとは夢にも思っていなかったから、

今思えば、自分たちが教皇ミサに間に合いたい一心で、人の事を考える余裕を失っていたのかもしれない。

(どのみち、2台のバスを合わせても、彼らを乗せきるだけの余席がなかったのも事実だったが・・・。)

あの日あの場所でまだ移動手段を確保していない彼らは、常識では教皇ミサに間に合っていないことになる。

それとも、他の親切なイェリセイ爺さんに拾われて、検問もパスして、我々を追い越して教皇ミサに間に合っただろうか?

とにかく、コパカバーナの浜辺を埋めた250万の若者の他に、我々や、恐らくこのヒッチハイカー達のような、

ミサに間に合わなかった人間が数百人単位かそれ以上いたとしても、全く驚くに値しない。

いずれにせよ、これら落ちこぼれ達も皆、神様から溢れる恵みを頂いてブラジルを去ることには間違いないのだが・・・。

ここまで書いて、ふと必要があってウイキペディアWYDの項目をみた。

そしたら、リオのWYDの参加者の数として370万人という数字が上がっていてビクッ!とした。

自分の思い違い、記憶違いだったか。今さら①~⑥の記述を訂正するのも面倒くさい。

とにかく、この数字は1995年のマニラのWYD500万人に次ぐ数字だ

 

WYDのクライマックスのミサが終わり、 交通規制が解かれ、大型ショッピングモールを出て、

我々が本当は二日前に到着するはずだったホテルにやっとたどりついた。

それは、ローマの基準で言えば三ツ星クラスで、近代的な小ざっぱりしたホテルだった。

 

だが、道を隔てたホテルの向かい側は、壁や建物のファッサードだけを残して、裏は廃屋か空き地のようだった。

壁には一面に落書きがしてあって、その前には椅子ひとつの物売りの小さな店がぽつぽつあるだけだ。

おや?右側の壁画は、天使の聖母マリアへの受胎告知の絵に見えないか? 

 

ホテルの反対側に白昼から寝ている浮浪者の姿もすっかり見慣れてしまった。まあ寝袋の私と50歩100歩だが?

極端な貧しさ極端な裕福さとが、極端に接近して露出している、のがブラジルの特徴ではないか。

夜、私はこのホテルで久しぶりにぐっすりと寝た。教会の冷たい石の床に寝た昨夜が夢のようだった。

 

370万人にとっては、昨日の教皇ミサがWYDの最後の最高のイベントだったが、

明けて月曜日の朝、私たちにはまだ大切な最後の行事が残っていた。

それは、新求道共同体の創始者のキコに会って、召命の集いに参加することだった。

コパカバーナの2日前の前夜祭と昨日の教皇ミサの席に、我々も、この旗を先頭に堂々繰り込むはずだったが・・・。

リオ郊外の見本市会場にある巨大な多目的ホールに、WYDに参加した新求道共同体の若者たちが集まり、

教皇ミサの翌日キコを囲んで召命の集会を持つ事は、過去のWYDから引き継がれてきた恒例のイベントだ。

50万人が集まった1993年のコロラドのデンバーでのWYDのあとはアメリカンフットボールのスタジアムであった。

120万人を集めた1997年のパリのWYDはブーローニュの森のロンシャン競馬場だった。

 

 

 

370万人が集った今年のWYDのあと、リオセンターを会場に10万人の新求道共同体の若者がキコと集まった。

 

日本のグループは正面のだだっ広い舞台のすぐ前のいい場所を確保した。


  

広いステージの奥には端から端までずらりと招待の司教や枢機卿たちが二列に並んでいる。大変な数だ。


ステージの下手の袖にはキコのオーケストラの一部が控えている。

 

 

キコがマイクの前に立つとこの恒例の召命集会は開幕だ

 

   

挨拶と激励の言葉を贈る、左のボストンのオマリー枢機卿は教皇フランシスコの教会改革8人衆の一人だ。   

          右のウイーンのシェーンボルン枢機卿は今回の教皇選挙のヨーロッパ代表格の候補だった。

 

  

世界中から集まった若者たちの熱気で満杯の会場は盛り上がる。 しかしこれで10万人か?という疑問も湧いた。

いや、そうでもない。左の写真の右奥、外の眩しい太陽の光で白飛びしているところを、絞り込んでズームで引き寄せると、

まあ、居るは、居るは!ホールから溢れた若者たちが、この多目的ホールの外を取り巻く広い芝生を埋めている。

建物の3方の広い開口部の外が何れもこの状態なら総勢10万人も有り得るか、と納得した。

(悪い癖でまたブログが長くなり始めた。先を急ごう。)

キコらの長い演説と歌や祈りが終ると、いよいよ召命の呼びかけに入る。

生涯を独身で福音の宣教者司祭として自分を神に捧げる覚悟のある若者は立って前に進み出なさい!

ばらばらと若者たちがステージに上る階段に駆け寄った。

見る見るうちにバカ広いステージが埋まっていく。

みんな跪き、召命が本物であることを願う祝福の祈りを貰う。そして来賓の大勢の司教から按手を受ける。

続いて、先日訪問したカルメル会のような観想修道会に身を捧げる決意の女性たちへ呼びかけがあった。

 

彼女たちも来賓の司教たちの按手を受ける。この日、男子が約3000人、女子が2500人立ったと報告された。

日本のグループからも男の子が一人、女の子が一人立ったと聞いた。これを多いと思うか、少ないと思うかは見かたにもよるが、

10万人に対する上の数は、日本の割合の2倍以上か。

教皇ミサは受け身で参加するだけだが、この召命集会は10万人全員が

各自、自分はいま立つべきか、一瞬神の前に真剣に考え、能動的に参加する集いなのだ。

「次は3年後にポーランドのクラコビアで会おう!」 

というキコの檄とともに、召命の集会は終わった。

終っても、終点で満員電車から人が急いで下りるように、結びの一番のあと国技館の出口に人が殺到するように

若者たちは急いで動こうとはしない。多くは余韻を惜しむかのように、それぞれに輪になって踊り続けるのだ。

       キコの声に応えて立たなかった者も、自分の

       道を選びとったとの確信をもって家路につく。

  

解散時はもうごちゃ混ぜ。Tシャツの背中にサインを集めたり、ユニフォームの上着を交換したり、

いろんな国の若者が混ざり合って写真を撮ったり、撮られたり・・・(中央白髪は私)

(終わり)

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★ 〔2013年〕 クリスマスイブの 「夢」

2013-12-24 07:33:37 | ★ 日記 ・ 小話

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クリスマスイブの 「夢」

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 ナザレのイエス・キリストの誕生日とされる12月25日向けて、お祝いの挨拶を贈ります。

ローマ時間の24日午前3時ごろ、長い(と感じられた)浅い眠りとも深い夢とも言える思考の時間の後、誰一人居ない(普段は100人ほど住んでいる)静まりかえったローマの神学校の自室の電気スタンドだけつけて、パジャマのまま机に向かいました。

 

夢はなかなか捕えがたく、今までに一度だけブログで取り上げたままです。


 今夜の夢は、大天使ガブリエルが処女マリアに受胎告知した場面と、もう一つ、ヨゼフが婚約者のマリアの妊娠を知って悩んでいた時に、天使が夢に現に現れて、マリアは悪い男に強姦されたのでも、浮気して他の男と関係したのでもなく、聖霊(神の霊)の力で懐妊したのだと告げられて、納得して妻としたと言うくだりを、行きつ、戻りつ、していたようです。

 マリアの場合は白昼夢というか、昼間に天使が現れて、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」「あなたは身ごもって男の子を産む。」「神には出来ないことは何一つない。」と言った。そこでマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように。」と言ったことになっている。

 私は夢うつつの中で、一つの重大なことに気付いていた。それは、13歳の時に洗礼を受けて以来、ずっと重大な思い違いをしていたらしいということだ。私はずっと、受胎告知のとき天使はマリアに「神様はあなたを処女のまま妊娠させようとお考えだが、あなたは同意しますか?」と質問したように錯覚していた。そして、マリアが自由に「はい、同意します。私はいいですよ。」と答え、その答えの瞬間妊娠した、と考えていた。しかし、今夜の夢のなかの私は、いや、待てよ、天使は同意を求めていない。マリアが、「はい!フィアット!同意します。」と言っても言わなくても、お構いなく天使はマリアに「妊娠」するという事実を一方的に告知したのではないか。

 と言うより、そもそも、背中に大きな羽を生やした中性っぽい若い人間の姿をした天使が目に見える姿で現れて、マリアに解るアラマイ語(?)で話しかけたという芝居がかった話は、実は全部キリスト教の聖書に描かれた宗教寓話にすぎないのではないか。現実に起こった史実は、15-6歳か13-4歳の少女がある日、男とセックスした事実が無いのに妊娠しているという、なんともぶっきらぼうで全くあり得ないような現実に気付かざるを得なかった、と言うだけのことではなかったのか。

 神を信じない現代のそこそこインテリの人にも なるべくわかりやすいように説明をすれば、2000年ちょっと前のパレスチナの一人の少女の子宮の中で、彼女の卵子の一つが無精卵のまま細胞分裂を開始し、しかも彼女のDNAの女性の性決定因子が突然変異で男性の組み合わせに転換して胚になり胎児になり、彼女のお腹は大きくなっていったということだろう。無神論者でも、キリスト教を生理的に嫌悪する人であっても、自然放射線のいたずらか、はたまた宇宙飛来の素粒子に叩かれてか、その少女の胎内の卵細胞でそのような生物学的、生理的突然変異が起こったのが事実であったとしたら、あり得ないと言って頭から否定することは出来ないだろう。

 これらの事は、全て私の今夜の夢の中の話だ。

 しかし、もしそれが歴史上起こった事実だとすれば、前例がない、とか、実験で再現できないとか、要するに科学的にその可能性が証明できる、出来ない、を議論しても始まらないではないか。もし、あくまで「もしも」の話だが、そういう事実があったとしたら、それを受け止めようではないか、と合理主義者の私は言う。

 興味があるのは、そんなありえないような事実の当事者になった少女は、その事実とどう向き合ったかという問題だ。

 当時のパレスチナのユダヤ教社会の律法によれば、婚約中に密通して妊娠したふしだらな女は石殺しの刑を受ける事になっている。広場で真ん中に立たされ、ばらばらと飛んでくるこぶし大の石をよけて無意識に両手で頭をかばうが、ついに一発が後頭部を直撃し、くずおれうずくまった。しかし、息絶えて死ぬまで群衆から石つぶてを投げつけられる、と言う実に残酷な刑罰に処せられることになっていた。

 婚約者のヨゼフは、義しい人なら、彼女を会堂に突出し、その石殺しの処刑を求めなければならなかっただろう。

 身に全く覚えがないのに、あっと気が付いたら、自分のお腹が膨らんでいく。世に言う妊娠兆候が顕著になってきた。どうしたらいい?進退窮まった彼女は、自殺するか、堕胎するか(もし当時そんな可能性があったらの話だが)、或いは、身元の分からない村に逃れて娼婦にでも身を落とすほかはなかっただろう。またそうしても、乳飲み子を抱えて生き延びられる可能性は限りなく低かっただろう。両親にこっそり打ち明けても、父ヨアキムも、母アンナも信仰篤い律法主義者で、下手をすれば石殺しに突きだされるか、憐れに思い律法をまげて家族の中でかくまっても、家族ぐるみの苦難の道が待っている。狂人を装って、或いはあまりの苦しさに本当に心が壊れて、当てもなく彷徨い出る恐れもあっただろう。

 しかし、マリアは毅然として自分の身に起こったことは神の意志だと信じ、死を覚悟して真実を-と言うか起こったありのままの事実を-婚約者のヨゼフに告げる決心を固めたのだ、と私は思う。その事実を指して、新約聖書は「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と天使に言った、と寓話化したのだと考えると、すんなり理解できるのではないか。

 困ったのはヨゼフだ。そんなありえない馬鹿げた話を誰が信じられるか。自分と一度も関係していない婚約者のマリアから、私は神の霊の力で妊娠しました、これは神の意志、神の働きです、と言われて、はいそうですか、と信じられるだろうか。それは無理だ。

 ヨゼフに常識と理性があるならば、言うだろう。マリア、お前は嘘をついている。妊娠しているなら、強姦されたか、密通したか、どちらかしかないではないか。どうしてその真実を告白しない。嘘をついた上に、妊娠の事実を神の所為にするとは、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ、と怒鳴りたくもなるだろう。義しい人、律法を重んじる人であっても、強姦された事実を告白し、または密通の裏切りに対して心から後悔して赦しと憐れみを乞うというのならば、考えてもみようが、お前が嘘をつき通し、それを恐れ多くも神の所為にして白を切り通すというのであれば、石殺しもやむを得ない、お前の神をも畏れぬ強情の報いとしてそれも仕方のないことだ。真実を告白しないお前が悪いのだ。と、これが、普通の男と女の行き着くところだろう。

 ところが、ヨゼフは違った。聖書によれば、ヨゼフは正しい人であったので、マリアの事を表ざたにするのを望まなかった。思い悩んでいる彼に主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨゼフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

 何で聖書はこんなことを書くのかねェ?と夢の中の私は呆れている。これも、キリスト教的宗教寓話ではないのか。ポストフロイドの現代に生きる、キリスト教をとっくに卒業してしまったヨーロッパのインテリに、そんな夢の話、そのまま文字通り信じられるわけがないだろう。日本の高校を出た常識人だって、夢に天使が現れて問題が解決するなら、世話無いや、と言って笑って相手にしないだろう。天使がもっとどんどん現れて、世の中のややこしい問題を片端から解決してくれるというのなら、キリスト教の人気は回復するかもしれないし、何なら私も入ろうか、と彼らは思うだろう。

 夢の中の私は考えている。そうではない。ヨゼフはアブラハムの正統な子孫だ。アブラハムはユダヤ教的、キリスト教的、(ひょっとして回教もかな?)の信仰の父、信仰の太祖だ。アブラハムとその子孫には「神様にはお出来にならないことはない!」と言う確固たる信仰がある。ヨゼフにもこの信仰が機能した。

 マリアの純真な、純粋な、真剣な眼差しを見ながら、「私は嘘を言っていません、私は真実を告白しています。私は強姦もされませんでした、不倫もしませんでした。だのに、不思議なことに事実私は身ごもってしまったのです。これは神様の意志であるとしか思えません。私はそう信じます。あなたもどうか信じて下さい。」と言う命がけの真剣な訴えを前にして、アブラハムの信仰、「神様にはお出来にならないことが無い」がヨゼフの心に甦った。それなら、私もお前マリアの言葉を信じよう。世間に対しては私の子だということで押し通そう。私は神の子の父親になろう。そう決心して、心が平和になったヨゼフの内面的展開を、聖書は寓話化して、夢の中の天使の現れとしたに違いない。

 私が夢うつつの中で思弁したことは、2000年以上前のパレスチナの迷信深い文盲の一般大衆の理解を越えていたので、解りやすく、手っ取り早く宗教的真実を寓話化して記録に残したのだと思って、夢の中で納得した。

 下等動物では日常茶飯事の単性生殖が、最も高等な人間の女性の胎内で再現されたという、極端に稀な突然変異的な自然現象に対して、2000年前のパレスチナの処女マリアが、類まれな天才的理性の推論と、ユダヤ社会の深い信仰とが結びついて、冷静に事実を受け入れたことと、ヨゼフの「神様には不可能はない」として常識では有り得ないマリアの話を真実として受け止めたアブラハム的信仰のお蔭で、イエス・キリストは危ういところで闇に葬られることなく誕生することが出来た。

 その年、その日が現代の科学的歴史観ではいつであったにしろ(12月25日である可能性は限りなく低いが)、クリスマスおめでとうございます!

 ここまで書いてローマ時間では朝の6時25分。これから読み直して、ローマ字入力の誤変換などチェックして、適当な写真を一枚貼り付けてアップするまで、まだ1時間やそこらはかかるだろう。

 前に「夢」というテーマで東山魁夷の絵の夢を題材にしたブログ(2011年11月7日)を書いたが、今回の夢は本当にはっきりしていて、論理的で、覚めてもすぐに消えていかないで、文字にして書き留めることが出来た。


断っておくが、これはあくまで「夢」のメモであって、信仰告白でもなければ、まして神学の論文でもない。

あらためて、


Merry Christmas and a Happy New Year!


(つづく)

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★ WYD-⑥ 文豪 レフ・トルストイ

2013-12-20 20:57:11 | ★ WYD 世界青年大会

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WYD-⑥ 文豪 レフ・トルストイ

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 WYDの報告もようやく終わりに近づいた(後一回で終わるだろう)

ここでトルストイ作 「二老人」 と言う短編の要約を記そう。

それは私の一冊目の本「バンカー、そして神父」

http://books.rakuten.co.jp/rb/4122150/

の終わりの章の導入に用いた文章をさらに短くしたものだ。

それが WYD と何の関係があるかは、後を読めばすぐ明らかになる。

レフ・トルストイ

 ロシアの田舎の二人の老人が、エルサレムへの巡礼を思い立った。一人は金持ちでイェフィームといい、もうひとりはイェリセイという並みの出の男だった。

 二人の老人は、5週間歩き通し、やがて、凶作地帯に差し掛かった。途中、喉の渇いたイェリセイは、遠くに見える農家に水をもらいに行った。すぐ追いつくからという友達の声に、イェフィームは休まず歩き続けた。

 小屋に入ってみると、そこには飢え、病んで死にしそうな女と、男と、老婆と、3人の子供たちが倒れていた。イェリセイは持っていたパンを分け与え、井戸に水を汲みにいき、皆に飲ませた。買い物をし、暖炉に火を入れ、お粥を食べさせた。日が暮れかけたので、その日のうちに仲間に追いつくことをあきらめて、そこで一夜を明かした。

 翌朝からイェリセイは働き始めた。百姓道具も、着るものも、みんな食い物にかえてしまっていた彼らのために、全部新しく買い揃えた。四日目には出発するつもりだったが、また問題が起きた。

 旅は続けたいが、このまま見捨ててもいけない。「よし、もう少しここに残ろう。そうしないで、はるばる海を越えてキリスト様をさがしに出かけても、自分の心の中のキリスト様を見失ってしまうことになる。」 と決心して、イェリセイは眠りに付いた。

 一日がかりで全てを整え、翌朝、みんなが寝静まっているうちに、イェフィームのあとを追って旅にのぼった。明るくなると、あらためての残りの金を数えてみた。とても海を越えて旅が出来る額でないことがわかった。しかたなく例の村を迂回して、家路についた。

 喜んで迎えた家のものには、ほんとのわけを話さなかった。「なあに神様のお導きがなかったのよ」とだけ言った。

留守家族は円満に栄えていた。

 一方、イェフィームは、イェリセイが病人たちのところに泊まる事にした日、少し歩いてから腰を下ろして、そのうち寝てしまった。やがて、目を覚まし、なお日が暮れるまで待ったが、イェリセイはやってこなかった。ひょっとすると、寝ている自分に気がつかず、もう通り過ぎてしまったのではないかと思って先へ進んだ。今夜の宿で落ち合えるかと思ったが、出会えなかった。イェフィームは、仕方なくそのまま旅を続けた。

 エルサレムに着いて、巡礼の目的地、キリストの聖墳墓教会に参った。ミサが捧げられているその場所には、群衆がひしめき合って、身動きが出来なかった。

 主のお墓の礼拝堂を見つめていると、なんと不思議なことだろう!みんなのいちばん前に、貧相な身なりの小柄な年寄りが立っていた。その年寄りが振り向いた。それは紛れもなくイェリセイその人だった。しかし、どうしてそこにいるのか、不思議だった。

 ミサが終わって群衆が動き出すと、イェリセイを絶えず目で追ったが、とうとう見失ってしまった。

なお6週間かけて、キリストゆかりのあらゆる聖地をくまなく巡り歩いて、イェフィームは家路に就いた。

留守家族は様々な不和といさかいで崩壊していた。

 

私たちの巡礼はイェリセイ爺さんの聖地巡礼にどこか似ている。

 イェフィームのように金持ちでない我々は、大手の旅行代理店に言い値の大金を払って無難な旅を計画しなかったかもしれない。しかし、現地の知人を信頼して安いオファーのバス会社に決めたことが、この惨憺たる結果につながったとしても、誰の落ち度でもない。そのことを70匹の素直で大人しい羊たちは本能的に知っているのだ。彼らにとって、巡礼が当初のスケジュール通りに運ぶかどうかはさほど重要ではない。彼らにとっては、この旅を通して神様が自分の進路の選択について何を語ってくださるか、こそが大切だった。

 金持ちのイェフィームの場合は違った。彼にとって聖地の聖墳墓教会に辿りつくことが最優先の課題だった。だから、その目的の障害になるものは道々全て切り捨てて進んだ。連絡が取れなくなったイェリセイ爺さんを探すために時間を失うことも論外だった。聖地では有名な巡礼スポットをきっちりカバーして、達成感に満ち足りて帰路に着いたに違いない。しかし、家で彼を待っていたものは?

 WYD の参加についても、飛行機で移動し、快適なホテルに泊まり、リオでの公式行事に参加し、教皇の野外ミサには上席で与かり、主な観光地をゆっくり巡り、ブラジルの土産をどっさり買い込み、無事に帰国できれば大成功。その上、参加者を募るチラシにあった助成金までもらえたとあっては、いいことずくめの格安海外旅行と言うことだろう。

 我々イェリセイ組は、神様が次々に差し向けて下さる想定外のハプニングや試練を、信仰をもって受け止め、予定の変更やスケジュールの遅れの不都合にもしなやかに対処し、心から満足していた。彼らが体験した無数のエピソードの中から2-3の例を紹介しよう。

 4000ドル事件で、あらかじめ組まれていた予定が全部狂った以上、あとは手探りで前に進むほかはなかっただろう。各所で態勢を立て直すのに手間取り、理由が明かされないままの待ち時間も長くなる。そんなとき一同は何かしら有意義なことを探して時を埋めていく。

突然コーラスが聞こえ始めた。日本を発つ前に、資金稼ぎを兼ねたコンサートツアーで歌いこんできたから、息はピッタリ合って、ハーモニーにも磨きがかかってきた。

 仲間を引き取ってくれるホームステイ先の家族が集まった時など、聴き手がいると見るや、さっと集まって歌うのだが、はてな?今ごろ誰に向かって歌っているのだろうか?

 かき分けて前に出たが誰もいない。 ???と思ったが、良く見ると、いや、居た、居た!彼らの前にショボクレたオジサンが一人、可愛い顔をしてチョコンと椅子に座らされていた。


 

王様のように玉座に座ってコーラスを聴くオジサン。  楽しく明るく歌いかける若者たち

 どうやら、この可哀想なおじさんが、希望のない不幸な顔をして地べたに坐って物乞いをしているのを見つけて、少しのお金をあげて、「神様はいるよ!神様はあなたを愛しているよ!」 と囁きかけ、元気づけるために王様のように手近な椅子に座らせて、彼を囲んでコーラスを聞かせてやっているらしかった。カメラを向けると、嬉しそうにこちらを向いた。ここしばらく、彼が笑ったことがあっただろうか。今日の彼は、嬉しくて泣いていた。

 行きずりの我々が彼のために歌ったからと言って、明日からの生活が急に安定する保証は何もない。それでも、何もしてあげられないから、せめて歌を聴かせたいのだ。

 私は、この日の出来事が、もしかしたら彼の人生にとってただ一度の、神さまと人から注目され、大切にされ、愛された、生涯忘れられない特別な思い出として残ることを知っている。

ついでにこんなエピソードも付け加えよう。

 深夜の運転手逮捕事件で生じた決定的な時間の損失を取り戻そうにも、私たちは飛行機に乗り換えることも出来ず、近道もなかった。動かせないWYDの教皇ミサに追いつくためには、有意義な交流や祭儀の予定も、必要な休息さえも殆ど犠牲にして、ただひたすら予定のコースをバスで走り続ける他に方法はなかった。

 そんな追い詰められた状況の中でも、リーダーの若い神父たちが省かなかった予定が一つあった。それは、名もない小さなカルメル会の女子修道院の訪問だった。それはいわゆる観想修道会のひとつで、一旦入ったら、世間と隔絶した塀の中の閉じられた空間で、祈りと犠牲と労働にすべてを捧げ、生涯をそこで終える厳しい修行の場だ。

 ここに私たちと同じ新求道共同体の精神を生きる姉妹が入っている。彼女を訪れ、入る前の彼女の歴史と、入ってからの今の生活の体験をきいて、私たちの半数以上を占める若い姉妹たちの今後の進路選択の参考にしようと言う試みだ。

 彼女は青春を謳歌する多感な普通の少女から、キリストの愛に触れられてこの生活を選び、いま「キリストの花嫁」として生きることがどんなに幸せなものであるかを淡々と語った。


彼女の笑顔に曇りはない


  

左の彼女はまだ体験入会1週間目。右の写真には我々の一行の中でただ一人洗礼をまだ受けてない青年がいた。シスターたちは格子から手を差し伸べ、彼の心に信仰が育ち洗礼に至ることを日々祈ると約束した。


 まだ付き合う相手に巡り合っていない女の子も、彼氏と一緒にこの巡礼に参加した子も、一様に真剣にその告白に聞き入った。愛している彼女が自分を棄てて、修道院に入ると言い出したらどうしようと、一瞬不安になった彼氏もいたかもしれない。今もって彼氏に巡り合えない自分は、ひょっとしてこういう生活に召されているということか、と考える子もいるかもしれない。彼氏が自分を棄てて、突然神父になる、宣教師になると言い出しはしまいかと言う恐れを内心抱きながらこの巡礼に参加している子もいないとは限らない。

 実は、この巡礼の旅は彼らの多くにとって、単なる海外旅行、あるいはWYDと言うイベント参加の旅ではなく、生涯の進路を識別する真剣な道行きなのだ。

 今付き合っている彼女は、彼氏は、本当に生涯の伴侶になるべき相手か、神様はわたしを神父に、修道女に、呼んでいるのではないだろうか、まだ相手にめぐり会っていないが、結婚に召されているならどうか相応し相手を与えて下さい、とか、様々な祈りが心を駆け巡っている。

 日長一日バスに乗り続ける移動の間どうするか?ただ漫然と単調な景色を眺め、居眠りをし、隣の席とお喋りをするだけではない。一緒に「教会の祈り」(昔、神父がラテン語で唱えていた「聖務日祷」)に沿って、朝、昼、晩の祈りをする。黙想をする。歌を歌う。ロザリオの祈りを唱える。一人一人、順番に前のマイクのところにやってきて、あらためて自己紹介をする。自分の信仰の遍歴を分かち合う。聖書をランダムに開いて、出てきた聖句について、自分のインスピレーションに従って短い感想を述べる。神父がそれをフォローする。等々。結構バラエティーに富んだメニューで時間が埋まっていく。

 トルストイの話に戻る。私の理解では、この短編はトルストイ自身の聖地巡礼体験に基づいて書かれたものではないかと思う。そして、二人の老人は、実はトルストイの心の中にある二つの面を分けて人格化したものだろう。トルストイ自身は金持ちの地主だが、彼の心の中にはイェリセイ的な信仰と愛がある。しかし、結果的にはイェフィームとしての自分が勝ち、巡礼を完結して帰途に就いた。イェリセイになり切って旅を途中で放棄できない自分があった。彼の晩年は崩壊した家庭生活を抜け出して旅に出て、孤独な死で終っている。

 この70人の若者たちの多くは、決してトルストイのような金持ち、成功者、になることはないだろう。しかし、彼らはトルストイの心の半分であるイェリセイ爺さんの生き方を実践することは出来るだろうとわたしには思われる。

(つづく)

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★ WYD-⑤ 大アクシデント発生! 巡礼は風前のともし火?

2013-12-07 19:11:38 | ★ WYD 世界青年大会

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WYD-⑤ 大アクシデント発生! 巡礼は風前のともし火?

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 2013年7月23日はイグアスの体育館を出て、日本人移民の多いロンドリーナの町へ行って、日系ブラジル人への宣教とミサをする予定で、長距離バス移動に備えて、早朝5時起き、7時出発と言う発表だった。

 前晩のレストランが深夜に及んだので、これは厳しいスケジュールだったが、それでもみんな頑張って、7時には入り口に勢ぞろいした。しかし、待機しているはずのバスの姿が無い。この施設には、他にも大勢の若者が泊まっていたが、我々より遅い出発予定のグループが、迎えのバスに乗って次々に出ていき、一番早く発つはずだった我々だけが最後に取り残された。それでもバスは来ない。

 年寄りの私はすぐ異変の臭いを嗅ぎ取ったが、敢えて平静を装った。経験から自分は意外に危機管理に強いと知っていたが、ここで表に出て指揮をとったら、若い神父たちの顔を潰すことになる。

 なんでもない。ただ運転手の携帯が応答しないだけ。サンパウロのバス会社はまだオフィスが開いていないが、もうすぐ連絡が取れるから、大丈夫!大丈夫!と彼らは言う。

 出発後にバスの中でするはずだった朝の祈り(教会の祈り)を、野外の空気の中で一緒にした。祈りも黙想も歌も終わったが、やっぱりバスは来ない。みんなはと見ると、ギターと太鼓を鳴らして楽しく輪になって踊ったり、おしゃべりをしたり、芝生に寝袋を延べて足りなかった睡眠を補ったりと屈託がない。疑いも、不満も、苛立ちのかけらも全く感じさせない。こいつら天使たちか、ただちょっと足りないだけか?なんて、内心ひどいことを考えたものだ。ああ、神様ごめんなさい。 

 見かねて、リーダーの神父に、誰にも言わないから本当の事を言ってくれないかと迫ると、実は4000ドル(約40万円)を強要してきたが、手持ちの現金にそんな余裕はなく、ブラジルの共同体の有力者を通して、後で必ず払うから取り敢えずすぐにバスを出してくれるように交渉中、と言う。

 恐れが的中した。そう言えば、昨夜レストランの片隅で、何やら深刻な話し合いをしている様子が目に止まっていた。これは現場の運転手の不当なゆすり行為ではないか。遠方の有力者の口約束では切り抜けられるはずがない。

 バスを出してしまったら、約束なんか反故にされるに決まっている、と思う彼らは、いちかばちかの勝負に出ている。

 本当の事を話して、みんなから現金を集めて用意する他に前へ進む道はない、と言うのが世間を知っている私の結論だったが、楽観的な交渉の努力はなお空しく断続的に続けられた。

 世界中から250万人の巡礼が教皇フランシスコ主催世界青年大会(WYD)に向かって殺到している。ブラジルの動かせる観光バスは高値で総動員だ。この売り手市場で、足元を見てバス料金の割り増しを吹っかける者が現れても驚くに値しない。

 時間だけはいたずらに流れて行った。バスで半日走って、昼休みに開かれるはずだったパニーノ(パンに肉と野菜を挟んだもの)の袋も食べ尽くされた。

 やっと現実に目覚めて、皆が呼び集められ、事実が明らかにされ、予定外の現金の収集が行われたのは、確か午後の2時ごろではなかったか。

 共同体の収集の仕方は一風変わっている。必要額の4000ドルが提示されるだけだ。仲間の人数を頭において割り算すると一人60ドル弱になるとみんな理解するが、貧しい若者たちの事だ。60ドルの現金を持ち合わせていないものもいるかもしれない。最初に決められた参加費以上に出すことに抵抗を感じる者もいるだろう。他方では、その気になりさえすれば100ドルもそれ以上も出せる者も中にはいるだろう。みんなきっちり頭割りの60ドルしか出さなかったら、出せない人、出したくない人がいることを想定すれば、全部で4000ドルに届かないことは初めから明らかだから、自分が幾ら出すべきか、あとは本人と神様の問題になる。

 お金は拝むべき尊いもの=「神様」=ではなく、手垢に汚れた「必要悪」にすぎないという観点から、たいてい黒いビニールのゴミ袋が回される。みんな拳に裸の現金を握り、袋の中に手を突っ込んで放す(ゴミのように棄てる)。あとは、二人以上の計算係が数えて結果を報告する。足りなかったときは、あと幾ら足りないからと言って、もう一回ごみ袋を回す。たいていそれでことが足りる。誰が幾ら出したのか、本人と神様しか知らない仕組みになっている。(出せないのもいる。少ししか出さないのもいるに違いない。しかし、多く出すのもいるのだ。)

 幸い今回は一回目の収集で目標額を上回った。ドル、円、現地通貨、ユーロも少々、合わせて4000ドル相当以上集まった。本当にいい子たちだ。

 自称危機管理に強い私に言わせれば、定刻朝7時にバスの姿はなく、運転手が携帯電話に出ないなら、9時にバス会社の対応を見極めた上、10時には非常事態を宣言してこの収集を決行すべきだった。しかし、それはビジネスの世界で難局を何度も潜り抜けてきた「荒海の老狼」の言うことだ。ここは、対応に右往左往し、この結論にたどり着いた若いリーダーたちを、よくやったと労うべきだろう。

 こうして貴重な日中の時間がマル一日分失われた。ロンドリーナの日系人との交流、街頭宣教、現地の信者たちとの合同ミサなどの予定が全部吹き飛んで、夜遅く疲れ果てて到着し、ひたすら寝るだけとなった。

 4000ドル事件の遅れで、その後の日程はもはや全部あって無きが如し。最後までずれ込み、キャンセル、順送りの連続となった。

別の機会に起きたもう一つの事件の事も、ここで合わせて報告しよう。

 数日後のこと、前晩の宿を提供してくれたサンパウロの兄弟たちと一緒に、その日の夜までにリオに入り、翌日はコパカバーナの海岸のWYD会場で早めに陣取りをして、前夜祭に参加し、そのまま砂浜で野宿して、次の日のクライマックス、教皇の250万人野外ミサに与かるはずの時だった。

 サンパウロの兄弟たちのバスは予定の時間に来て待機したが、我々のバスがまた姿を見せない。地元の兄弟たちは仕方なく出発を遅らせて待ってくれた。数時間遅れて我々のバスがやっと着いた。しかし、一台しか来なかった。今度は、金の要求ではなかった。もう一台は故障していま修理中、もうすぐ直るからあと少し辛抱してほしい、と言う話だった。

 それを知った現地の兄弟たちは諦めて、遅くなっても今夜のうちに宿にたどり着けるようにと、そそくさと発っていった。そうしないと彼ら自身のWYD参加が危うくなるからだ。

 だいぶ経ってからさらに悪いニュースが入った。修理は今日中には間に合わない。代わりのバスを探しているが時間がかかりそうだ、と言うことだった。

 この時期、250万人の若者がブラジル中のバスを借り切って動き回っている。遊んでいる予備のバスなどすぐに見つかるわけがないではないか。案の定、とっぷり日が暮れて、とっくにリオの宿に着いているはずの頃になって、やっと代わりのバスがやって来た。昨夜のホストファミリーは既にリオに発っていないから、今夜はもうこの町には泊まれない。月夜の道をひた走りバスの車内泊で少しでも後れを取り戻せば、まだぎりぎりWYD参加できる可能性が残っているのではないか?


                              

         その夜の月は半月よりやや太っていた  (よーっく見て頂きたい 南米の人々は月を日本人とは逆さまに見ている)

         (左 リオの月) 子供のころから南米に行ったら自分の目でこれを確かめたいとずっと思っていた (右 野尻湖の月)


 待つことにはすっかり慣らされたが、待つという仕事は結構体力を消耗する。窮屈な姿勢と悪路の振動に耐えながら何とか車中で浅い眠りに落ちた頃、突然バスは止まった。なんだ?車内灯は消えているし、外にも人家の明かりはない。時計を見ると深夜の2時を回っている。どうやら荒野の一本道で警察の検問に引っかかったらしい。


ブラジルのパトカーは日本の白黒ワンちゃんより色彩豊かで恰好いい いいツラ構えだ!


 何しろ教皇フランシスコと言う第一級のVIPめがけて世界中から大量の外国人が流れ込んでいる。最も恐れられるのはテロ攻撃だ。団体バスの中に不審者が紛れ込んでいないとも限らない。リオを遠巻きに幹線道路では其処ここで徹底した検問を実施している。重装備の体格のいい警官が2階建てのバスに乗り込んできて、パスポートの写真で一人残らず首実検してまわる。やっと乗客全員にOK! が出た。やれやれ、これであと一眠りすれば明日の昼ごろにはリオに着くか、とホッとしたが、そうはどっこい、いつまで待っても動き出す気配がない。

検問所の陣容はかなりなものだ


 外に出てお巡りさんに聞いた。不審者はいなかったのだろう?どうして行かせてくれないのか?曰く、乗客は全員OK! だった。だが運転手の一人は駄目だった。トラックの免許は持っていたが、客を乗せた大型バスを運転できる免許を持っていない。その上薬物反応も出た。この男はここで逮捕だ。運転させるわけにはいかない。そんなご無体な!


彼が逮捕された問題の無免許・薬中の運転手。観念したか、ふて腐れて寝たふりだ。

4000ドル事件も彼の仕組んだことか?こんな男に我々のバスを運転させた会社の責任はどうなる?


 このだだっ広いブラジルの荒野の一本道で、この深夜に運転手を取り上げられて、我々は一体どうすればいい?ブラジル中の動けるバスは全部出払い運転手も総動員体制だ。今頃遊んでいる運転手を見つけるなんて奇跡に等しい。それに夜が明けても9時ごろまではバス会社に事情を伝えることすら出来ない。代わりの運転手が見付かっても、それをここまで連れてくるのに、どれだけ時間がかかる?トイレは?水は?食料は?


 


 やっと交代運転手が着いたのがいつ頃だったかはっきり覚えないが、ヨーロッパがそっくり納まるほど広いブラジルだ。飛行機で1時間かそれ以上の距離を、貧しい我々はひたすらバスで移動する。8時間、10時間のバス移動は当たり前の話。すでに予定より丸1日分ほど遅れている。

 

これらの写真は、二つの事件の間の移動中にサービスエリアのテレビに映っていた教皇フランシスコの映像

 教皇は数日前からリオに入ってWYDの公式行事をこなしていた。 (右はリオの司教座大聖堂の教皇ミサ)  

 

 我々がリオの郊外に近づいたころには、はるかコパカバーナの浜辺の会場では教皇を囲んだ前夜祭がもう終わろうとしていた。我々はと言えば、夜遅く、とある教会にバスが横付けされたのだった。

 

夜遅くたどり着いた教会のポスターの教皇フランシスコに挨拶するメンバーの女の子


 ガランとした広い教会堂の木のベンチやコンクリートの床が今夜の宿だ。WYD世界青年大会のクライマックスは既に始まっているというのに、今夜我々は会場からほど遠いところで冷たいコンクリートの床に寝袋を広げて死んだように寝ている。腹の減ったものは三々五々連れ立って近所のコンビニに餌の調達に行った。


   

 

      何処でも好きなところで心ゆくまでお休み ベンチは狭くて傾いている 床は平らで広いが冷たい       


 明日の10時の教皇ミサに間に合って会場の入るためには朝5時起きかとひとり覚悟をしたが、リーダーの神父は、みんな今日は遅くなって疲れているから、明日の起床は8時だ、という。 ???! ・・・そうか! きのうのうちにリオの宿に泊まり、今日早いうちからコパカバーナの砂浜に陣取りをして、今頃ゆっくり前夜祭に参加することの出来なかったものは、明日の朝少々早起きしたぐらいでは、もう250万人の若者に埋め尽くされた会場に割り込むことはおろか、交通規制で会場に近づくことすら不可能なのだと深く思い知らされた。ははるばる日本からWYDに参加するためにやってきたのに、すぐそばまで来ていながら、その会場の熱気に触れることもなく、すごすごと日本に帰る運命がとっくの昔に確定していたのだった。

 それならば、せめて早いうちに夕べたどり着くはずだったホテルに入って、テレビでWYDの実況を見ようではないか、と提案したが、会場から半径何キロとやらは、テロ対策か何かで、夕方5時まで許可のない車は一切通行禁止なのだそうだ。悪いことに、我々の宿は一部その禁止区域を通らなければ近づけないのだ。これで万策尽きた感じだった。しかたなく、我々はWYDとはおよそ関係のない郊外の大型ショッピングモールで時間をつぶし、食事をし、通行規制が解かれるのをひたすら待つ羽目になった。自棄(やけ)になって買い物をしようにも、虎の子の現金は4000ドルの一部に吸い上げられてすでになかった・・・。

 それでも、このおとなしい70匹の子羊たちは、文句ひとつ言うでもなく、平和に楽しげに、この理不尽な運命のいたずらを甘受し、それに諾々と身を委ねている。


私の隣の席の彼女は疲れて椅子にずり落ちて寝てしまった (なぜロザリオの十字架をくわえているの?)


 お前たちはどうして不満をぶちまけず、泣きごとを言わないのか?と怒りたくなる。

 では、この詰めの甘い計画は大失敗だったのか?

 そうではない!

 なぜそう断言できるのか?

  それはこの次の話にとっておこう。

  (つづく)

コメント (4)
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