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WYD-⑦ 〔完〕 「キコとの出会い」
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時計の針をすこし戻そう。
夜、くたびれ果ててあの巨大かまぼこ型の教会にたどり着くまでの数日の道中、
私たちは時たま下の写真のような光景に出合うことがあった。
下の例は、文無しでヒッチハイクしながらWYDの教皇ミサに行く、フランシスコ会の神父とその仲間のようだった。
この時我々は、金持ちのイェフィームのように、無慈悲にもスピードも落とさず無視して走り抜けた。
我々はまさか運転手逮捕事件でWYDがパーになるとは夢にも思っていなかったから、
今思えば、自分たちが教皇ミサに間に合いたい一心で、人の事を考える余裕を失っていたのかもしれない。
(どのみち、2台のバスを合わせても、彼らを乗せきるだけの余席がなかったのも事実だったが・・・。)
あの日あの場所でまだ移動手段を確保していない彼らは、常識では教皇ミサに間に合っていないことになる。
それとも、他の親切なイェリセイ爺さんに拾われて、検問もパスして、我々を追い越して教皇ミサに間に合っただろうか?
とにかく、コパカバーナの浜辺を埋めた250万の若者の他に、我々や、恐らくこのヒッチハイカー達のような、
ミサに間に合わなかった人間が数百人単位かそれ以上いたとしても、全く驚くに値しない。
いずれにせよ、これら落ちこぼれ達も皆、神様から溢れる恵みを頂いてブラジルを去ることには間違いないのだが・・・。
ここまで書いて、ふと必要があってウイキペディアWYDの項目をみた。
そしたら、リオのWYDの参加者の数として370万人という数字が上がっていてビクッ!とした。
自分の思い違い、記憶違いだったか。今さら①~⑥の記述を訂正するのも面倒くさい。
とにかく、この数字は1995年のマニラのWYD500万人に次ぐ数字だ。
WYDのクライマックスのミサが終わり、 交通規制が解かれ、大型ショッピングモールを出て、
我々が本当は二日前に到着するはずだったホテルにやっとたどりついた。
それは、ローマの基準で言えば三ツ星クラスで、近代的な小ざっぱりしたホテルだった。
だが、道を隔てたホテルの向かい側は、壁や建物のファッサードだけを残して、裏は廃屋か空き地のようだった。
壁には一面に落書きがしてあって、その前には椅子ひとつの物売りの小さな店がぽつぽつあるだけだ。
おや?右側の壁画は、天使の聖母マリアへの受胎告知の絵に見えないか?
ホテルの反対側に白昼から寝ている浮浪者の姿もすっかり見慣れてしまった。まあ寝袋の私と50歩100歩だが?
極端な貧しさと極端な裕福さとが、極端に接近して露出している、のがブラジルの特徴ではないか。
夜、私はこのホテルで久しぶりにぐっすりと寝た。教会の冷たい石の床に寝た昨夜が夢のようだった。
370万人にとっては、昨日の教皇ミサがWYDの最後の最高のイベントだったが、
明けて月曜日の朝、私たちにはまだ大切な最後の行事が残っていた。
それは、新求道共同体の創始者のキコに会って、召命の集いに参加することだった。
コパカバーナの2日前の前夜祭と昨日の教皇ミサの席に、我々も、この旗を先頭に堂々繰り込むはずだったが・・・。
リオ郊外の見本市会場にある巨大な多目的ホールに、WYDに参加した新求道共同体の若者たちが集まり、
教皇ミサの翌日にキコを囲んで召命の集会を持つ事は、過去のWYDから引き継がれてきた恒例のイベントだ。
50万人が集まった1993年のコロラドのデンバーでのWYDのあとはアメリカンフットボールのスタジアムであった。
120万人を集めた1997年のパリのWYDはブーローニュの森のロンシャン競馬場だった。
370万人が集った今年のWYDのあと、リオセンターを会場に10万人の新求道共同体の若者がキコと集まった。
日本のグループは正面のだだっ広い舞台のすぐ前のいい場所を確保した。
広いステージの奥には端から端までずらりと招待の司教や枢機卿たちが二列に並んでいる。大変な数だ。
ステージの下手の袖にはキコのオーケストラの一部が控えている。
キコがマイクの前に立つとこの恒例の召命集会は開幕だ
挨拶と激励の言葉を贈る、左のボストンのオマリー枢機卿は教皇フランシスコの教会改革8人衆の一人だ。
右のウイーンのシェーンボルン枢機卿は今回の教皇選挙のヨーロッパ代表格の候補だった。
世界中から集まった若者たちの熱気で満杯の会場は盛り上がる。 しかしこれで10万人か?という疑問も湧いた。
いや、そうでもない。左の写真の右奥、外の眩しい太陽の光で白飛びしているところを、絞り込んでズームで引き寄せると、
まあ、居るは、居るは!ホールから溢れた若者たちが、この多目的ホールの外を取り巻く広い芝生を埋めている。
建物の3方の広い開口部の外が何れもこの状態なら総勢10万人も有り得るか、と納得した。
(悪い癖でまたブログが長くなり始めた。先を急ごう。)
キコらの長い演説と歌や祈りが終ると、いよいよ召命の呼びかけに入る。
生涯を独身で福音の宣教者司祭として自分を神に捧げる覚悟のある若者は立って前に進み出なさい!
ばらばらと若者たちがステージに上る階段に駆け寄った。
見る見るうちにバカ広いステージが埋まっていく。
みんな跪き、召命が本物であることを願う祝福の祈りを貰う。そして来賓の大勢の司教から按手を受ける。
続いて、先日訪問したカルメル会のような観想修道会に身を捧げる決意の女性たちへ呼びかけがあった。
彼女たちも来賓の司教たちの按手を受ける。この日、男子が約3000人、女子が2500人立ったと報告された。
日本のグループからも男の子が一人、女の子が一人立ったと聞いた。これを多いと思うか、少ないと思うかは見かたにもよるが、
10万人に対する上の数は、日本の割合の2倍以上か。
教皇ミサは受け身で参加するだけだが、この召命集会は10万人全員が
各自、自分はいま立つべきか、一瞬神の前に真剣に考え、能動的に参加する集いなのだ。
「次は3年後にポーランドのクラコビアで会おう!」
というキコの檄とともに、召命の集会は終わった。
終っても、終点で満員電車から人が急いで下りるように、結びの一番のあと国技館の出口に人が殺到するように
若者たちは急いで動こうとはしない。多くは余韻を惜しむかのように、それぞれに輪になって踊り続けるのだ。
キコの声に応えて立たなかった者も、自分の
道を選びとったとの確信をもって家路につく。
解散時はもうごちゃ混ぜ。Tシャツの背中にサインを集めたり、ユニフォームの上着を交換したり、
いろんな国の若者が混ざり合って写真を撮ったり、撮られたり・・・(中央白髪は私)
(終わり)