富知神社(ふくちじんじゃ)。祭神:大山祇神。
場所:静岡県富士宮市朝日町12-4。「富士山本宮浅間大社」(以下、単に「浅間大社」という。)の北西、約800m。県道414号線(朝霧富士宮線)沿い、富士宮信用金庫北支店の向かい側。駐車場有り。
「浅間大社」の項(2010年7月31日記事)で書いたように、同神社の現在の鎮座地には、もともと当神社が鎮座していたという。当神社の主祭神は大山祇神で、「浅間大社」の主祭神である木花之佐久夜毘売命の父神であるが、本来は「浅間大社」の地主神で、単に富士山を祀り、後世、山の神として大山祇神を当てたのだろうと思う。
神社名の読み方は静岡県神社庁のHPに従った(なお、中世には「福地明神」とも称された。)。本来、「富知」は当然「フヂ」と読むべきなのだろうが、もともと「富士山」の「フジ」の語源には諸説あって一定しない。古くは「フジ」と「フヂ」は音韻的にも区別があったと思われるが、万葉集などの分析からすると、この地域の方言として、区別が曖昧になっていたかも知れないらしい(しぞーか弁?)。
因みに、民俗学者・詩人の折口信夫は(「水の女」のなかで)、神名によく使われる「貴」(ムチ)が水に関係があるだろうとしている。「フチ」と「ムチ」は何か関係があるのかもしれない。「浅間大社」の社伝でも、木花開耶姫命は水の神であるとしている。一方、「浅間」(アサマ)は、語源的には阿蘇・朝日などとともに火山に関係があるらしい。だから、富士山は、もともとは山の神・水の神だったのが、後に火(山)の神になってしまったようだ。
さて、当神社が「浅間大社」に鎮座地を譲ったのはいつか。「浅間大社」の社伝によれば、同神社が山宮から現鎮座地に移ったのが大同年間(806~810年)であるとされるので、その頃だろうとされ、同時に同神社の摂社となったようである。なお、「浅間大社」の境内にある「湧玉池」の説明板にも記載されている「つかふべき数にをとらす浅間なる御手洗川のそこにわくたま」という歌がある。これを詠んだ平兼盛は天元2年(977年)に駿河守に任ぜられているから、その歌に「浅間(神社)」と「湧玉(池)」が読み込まれているということは、少なくとも延喜式神名帳成立の頃(10世紀初め)には現在の鎮座地にあったことはほぼ確実とされている。
玄松子さんのHPから(富知神社):http://www.genbu.net/data/suruga/fukuti_title.htm
写真1:「富知神社」正面。形ばかりのご神橋を設置している神社もあるが、ここでは実際に小川を渡る。
写真2:社殿正面
写真3:拝殿の前にある「鉾立石」。富士山本宮浅間大社境内(楼門前の石段の上)にも同様のものがある。
場所:静岡県富士宮市朝日町12-4。「富士山本宮浅間大社」(以下、単に「浅間大社」という。)の北西、約800m。県道414号線(朝霧富士宮線)沿い、富士宮信用金庫北支店の向かい側。駐車場有り。
「浅間大社」の項(2010年7月31日記事)で書いたように、同神社の現在の鎮座地には、もともと当神社が鎮座していたという。当神社の主祭神は大山祇神で、「浅間大社」の主祭神である木花之佐久夜毘売命の父神であるが、本来は「浅間大社」の地主神で、単に富士山を祀り、後世、山の神として大山祇神を当てたのだろうと思う。
神社名の読み方は静岡県神社庁のHPに従った(なお、中世には「福地明神」とも称された。)。本来、「富知」は当然「フヂ」と読むべきなのだろうが、もともと「富士山」の「フジ」の語源には諸説あって一定しない。古くは「フジ」と「フヂ」は音韻的にも区別があったと思われるが、万葉集などの分析からすると、この地域の方言として、区別が曖昧になっていたかも知れないらしい(しぞーか弁?)。
因みに、民俗学者・詩人の折口信夫は(「水の女」のなかで)、神名によく使われる「貴」(ムチ)が水に関係があるだろうとしている。「フチ」と「ムチ」は何か関係があるのかもしれない。「浅間大社」の社伝でも、木花開耶姫命は水の神であるとしている。一方、「浅間」(アサマ)は、語源的には阿蘇・朝日などとともに火山に関係があるらしい。だから、富士山は、もともとは山の神・水の神だったのが、後に火(山)の神になってしまったようだ。
さて、当神社が「浅間大社」に鎮座地を譲ったのはいつか。「浅間大社」の社伝によれば、同神社が山宮から現鎮座地に移ったのが大同年間(806~810年)であるとされるので、その頃だろうとされ、同時に同神社の摂社となったようである。なお、「浅間大社」の境内にある「湧玉池」の説明板にも記載されている「つかふべき数にをとらす浅間なる御手洗川のそこにわくたま」という歌がある。これを詠んだ平兼盛は天元2年(977年)に駿河守に任ぜられているから、その歌に「浅間(神社)」と「湧玉(池)」が読み込まれているということは、少なくとも延喜式神名帳成立の頃(10世紀初め)には現在の鎮座地にあったことはほぼ確実とされている。
玄松子さんのHPから(富知神社):http://www.genbu.net/data/suruga/fukuti_title.htm
写真1:「富知神社」正面。形ばかりのご神橋を設置している神社もあるが、ここでは実際に小川を渡る。
写真2:社殿正面
写真3:拝殿の前にある「鉾立石」。富士山本宮浅間大社境内(楼門前の石段の上)にも同様のものがある。