富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)。祭神:大山祇命。
場所:静岡県富士市浅間本町5-1。富士市役所の北、約600m。富士市役所敷地の西端には富士市中央消防署があるが、その西側の道路を北上すると、正面。駐車場有り。
式内社「富知神社」の論社。社伝によれば、孝昭天皇2年、富士山山腹に創建されたとし、その後、噴火のため延暦4年(785年)に現在地に遷座したとされる。孝昭天皇は実在性が疑われる、いわゆる欠史八代の1人であり、この創建時期は信用できない。ただ、「浅間神社」を名乗るにも関わらず、主祭神が(木花開耶姫命ではなく)大山祇命であること、境内の神木(楠)が樹齢1200年ともいわれること、湧水が豊かな地にあること、特に中世以降に武将等の篤い信仰があったことなど、歴史が古いことや相応の由緒があることは確かだろう。また、一説に、もともと富士川は現在より東に流れており(富士川左岸に「島」がつく地名が多いのは、そこが中洲であったためだという。)、当神社はその淵(ふち)近くにあったから、「富知」となったともいう。
「式内社調査報告(第九巻)」(昭和63年1月)では、「富士山本宮浅間大社」の意見(当神社を含め「浅間神社」は「浅間大社」の末社であって、「富知神社」ではない。)や、当神社が式内社を称するになったのは明治以降である、ということなどから、当神社が式内社「富知神社」ではないと結論付けている。
それはともかく、今も当神社の北に富士山がよく見え、「岳南の総鎮守」と呼ばれて、特に富士市民の崇敬を集めている。また、中世には周辺に市が立ち、「三日市浅間神社」とも称されたが、今も富士市役所を中心とした市街地の近くに鎮座している。
冨知六所浅間神社のHP:http://www.fz6.jp/
静岡県神社庁のHPから(富知六所浅間神社):http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4404103
写真1:「冨知六所浅間神社」鳥居
写真2:社殿正面
写真3:神木の楠。木肌が蛇の鱗のようで、宿木や苔も生えていて、キングギドラか八岐大蛇のようにもみえる。
写真4:神池。湧水のようで、ここが和田川の源泉になっているらしい。
場所:静岡県富士市浅間本町5-1。富士市役所の北、約600m。富士市役所敷地の西端には富士市中央消防署があるが、その西側の道路を北上すると、正面。駐車場有り。
式内社「富知神社」の論社。社伝によれば、孝昭天皇2年、富士山山腹に創建されたとし、その後、噴火のため延暦4年(785年)に現在地に遷座したとされる。孝昭天皇は実在性が疑われる、いわゆる欠史八代の1人であり、この創建時期は信用できない。ただ、「浅間神社」を名乗るにも関わらず、主祭神が(木花開耶姫命ではなく)大山祇命であること、境内の神木(楠)が樹齢1200年ともいわれること、湧水が豊かな地にあること、特に中世以降に武将等の篤い信仰があったことなど、歴史が古いことや相応の由緒があることは確かだろう。また、一説に、もともと富士川は現在より東に流れており(富士川左岸に「島」がつく地名が多いのは、そこが中洲であったためだという。)、当神社はその淵(ふち)近くにあったから、「富知」となったともいう。
「式内社調査報告(第九巻)」(昭和63年1月)では、「富士山本宮浅間大社」の意見(当神社を含め「浅間神社」は「浅間大社」の末社であって、「富知神社」ではない。)や、当神社が式内社を称するになったのは明治以降である、ということなどから、当神社が式内社「富知神社」ではないと結論付けている。
それはともかく、今も当神社の北に富士山がよく見え、「岳南の総鎮守」と呼ばれて、特に富士市民の崇敬を集めている。また、中世には周辺に市が立ち、「三日市浅間神社」とも称されたが、今も富士市役所を中心とした市街地の近くに鎮座している。
冨知六所浅間神社のHP:http://www.fz6.jp/
静岡県神社庁のHPから(富知六所浅間神社):http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4404103
写真1:「冨知六所浅間神社」鳥居
写真2:社殿正面
写真3:神木の楠。木肌が蛇の鱗のようで、宿木や苔も生えていて、キングギドラか八岐大蛇のようにもみえる。
写真4:神池。湧水のようで、ここが和田川の源泉になっているらしい。