首塚稲荷神社(くびつかいなりじんじゃ)(正式には、単に「稲荷神社」。)。祭神:宇迦之御魂神。
場所:静岡市清水区草薙1124。清水有度第二小学校の南東、約300m。駐車場なし。
当神社の創建時期は不明。元は式内社「草薙神社」の境内摂社で、日本武尊東征の折、この地で地方豪族と戦ったときの戦死者の首を埋めた塚であるといい、北側の谷に流れる小川を「血流川」という、とされる。
しかし、「首塚」と称するのには、他にも2つの説がある。1つは、正治2年(1200年)、梶原景時が大内山で戦死した際、乗っていた名馬「磨墨」の首がこの地に飛んできた。また1つは、文明8年(1476年)、今川義忠(今川氏7代目)が急死すると、今川氏親(義忠の子、後の今川氏8代目)とその従兄弟の小鹿範満の2派に分かれて跡目争いが起きた。このとき、有度山東麓を本拠とした矢部一族は小鹿範満に味方して戦ったが敗れ、戦死した遺骨がおびただしく散らばった。これを村民が集めて埋葬し、付近に野狐が多かったことから、稲荷社を勧請して祀ったとする。
現地は予想以上の急坂の上にあり、南側は整然と区画された住宅団地であるが、ここだけ社殿辺りがほの暗くなっている。一方、参拝を終えて境内入口に出てくると、北側が開けていて、見下ろす眺めがとてもすばらしい。なお、当神社の北側に「草薙杉道」という地名があるが、これは当神社の杉に因んだものという。
写真1:「首塚稲荷神社」入口
写真2:稲荷神社の定番、赤い鳥居のトンネル
写真3:社殿
写真4:境内入口前からの眺望(北側)。見下ろしたところに、古代~近世の東海道、現代の国道1号線(静清バイパスも)、東名高速、JR東海道線・新幹線、静岡鉄道線などが通っている。正面が梶原山(牛谷山)で、5~7世紀の豪族の古墳が集中する「瀬名古墳群」があるところ。
場所:静岡市清水区草薙1124。清水有度第二小学校の南東、約300m。駐車場なし。
当神社の創建時期は不明。元は式内社「草薙神社」の境内摂社で、日本武尊東征の折、この地で地方豪族と戦ったときの戦死者の首を埋めた塚であるといい、北側の谷に流れる小川を「血流川」という、とされる。
しかし、「首塚」と称するのには、他にも2つの説がある。1つは、正治2年(1200年)、梶原景時が大内山で戦死した際、乗っていた名馬「磨墨」の首がこの地に飛んできた。また1つは、文明8年(1476年)、今川義忠(今川氏7代目)が急死すると、今川氏親(義忠の子、後の今川氏8代目)とその従兄弟の小鹿範満の2派に分かれて跡目争いが起きた。このとき、有度山東麓を本拠とした矢部一族は小鹿範満に味方して戦ったが敗れ、戦死した遺骨がおびただしく散らばった。これを村民が集めて埋葬し、付近に野狐が多かったことから、稲荷社を勧請して祀ったとする。
現地は予想以上の急坂の上にあり、南側は整然と区画された住宅団地であるが、ここだけ社殿辺りがほの暗くなっている。一方、参拝を終えて境内入口に出てくると、北側が開けていて、見下ろす眺めがとてもすばらしい。なお、当神社の北側に「草薙杉道」という地名があるが、これは当神社の杉に因んだものという。
写真1:「首塚稲荷神社」入口
写真2:稲荷神社の定番、赤い鳥居のトンネル
写真3:社殿
写真4:境内入口前からの眺望(北側)。見下ろしたところに、古代~近世の東海道、現代の国道1号線(静清バイパスも)、東名高速、JR東海道線・新幹線、静岡鉄道線などが通っている。正面が梶原山(牛谷山)で、5~7世紀の豪族の古墳が集中する「瀬名古墳群」があるところ。