日吉廃寺塔址(ひよしはいじとうあと)。
場所:静岡県沼津市大岡1282-1にある「山神社」境内。JR東海道本線「沼津」駅の東北、約1km。沼津信用金庫大岡支店(住所:沼津市大岡日吉1700-2)の向かい側(北側)の狭い道路の奥(行き止まり)。駐車場なし。
JR東海道本線の線路に接する、「山神社」(沼津市大岡)の境内に古代寺院の塔のものとされる礎石が並べられている。この付近に白鳳時代(7世紀後半)から平安時代初期(9世紀)にかけて存続していた寺院跡と推定されているが、何ら資料が残されておらず、所在地の地名をとって「日吉廃寺」と呼ばれている。最盛期には、寺域は東西1町(約109m)、南北2町(約218m)の広さがあったとされる。「山神社」境内の北側に線路が走っているが、その線路の向こう側(北側)にまで寺域が広がっていたらしい。礎石は現在17個あるが、大正6年の調査で、線路の北側から10個が発見され、境内に移されたという。その後、昭和30年代の数次の発掘調査により、地表の塔の礎石の下から更に古い形式の瓦が発見され、調査にあたった軽部慈恩氏の推論によれば、当初は飛鳥寺式の伽藍配置(塔を中心に東西に金堂)であったが、何度か火災に遭い、法起寺式伽藍配置(西に金堂、東に塔、北に講堂)で再建されたらしいという。したがって、この塔址の礎石配置は再建後のもの。「日吉廃寺」は駿河国で最古クラスの寺院で、現・沼津市指定史跡。
官寺なのか豪族の氏寺だったのかも不明だが、天武天皇9年(680年)に駿河国から伊豆国が分立されたとき、駿河郡駿河郷にあった国府を安倍郡(現・静岡市葵区)に移したとされる。駿河郡駿河郷というのは、現在の沼津市大岡付近といわれているので、まさにこの「日吉廃寺」の周辺ということになる。
沼津市のHPから(日吉廃寺)
同
写真1:「山神社」鳥居・日吉廃寺跡の入口
写真2:「山神社」社殿。祭神:大山祇神
写真3:境内の日吉廃寺の礎石。線路脇で、直ぐ傍を電車が通っている。
場所:静岡県沼津市大岡1282-1にある「山神社」境内。JR東海道本線「沼津」駅の東北、約1km。沼津信用金庫大岡支店(住所:沼津市大岡日吉1700-2)の向かい側(北側)の狭い道路の奥(行き止まり)。駐車場なし。
JR東海道本線の線路に接する、「山神社」(沼津市大岡)の境内に古代寺院の塔のものとされる礎石が並べられている。この付近に白鳳時代(7世紀後半)から平安時代初期(9世紀)にかけて存続していた寺院跡と推定されているが、何ら資料が残されておらず、所在地の地名をとって「日吉廃寺」と呼ばれている。最盛期には、寺域は東西1町(約109m)、南北2町(約218m)の広さがあったとされる。「山神社」境内の北側に線路が走っているが、その線路の向こう側(北側)にまで寺域が広がっていたらしい。礎石は現在17個あるが、大正6年の調査で、線路の北側から10個が発見され、境内に移されたという。その後、昭和30年代の数次の発掘調査により、地表の塔の礎石の下から更に古い形式の瓦が発見され、調査にあたった軽部慈恩氏の推論によれば、当初は飛鳥寺式の伽藍配置(塔を中心に東西に金堂)であったが、何度か火災に遭い、法起寺式伽藍配置(西に金堂、東に塔、北に講堂)で再建されたらしいという。したがって、この塔址の礎石配置は再建後のもの。「日吉廃寺」は駿河国で最古クラスの寺院で、現・沼津市指定史跡。
官寺なのか豪族の氏寺だったのかも不明だが、天武天皇9年(680年)に駿河国から伊豆国が分立されたとき、駿河郡駿河郷にあった国府を安倍郡(現・静岡市葵区)に移したとされる。駿河郡駿河郷というのは、現在の沼津市大岡付近といわれているので、まさにこの「日吉廃寺」の周辺ということになる。
沼津市のHPから(日吉廃寺)
同
写真1:「山神社」鳥居・日吉廃寺跡の入口
写真2:「山神社」社殿。祭神:大山祇神
写真3:境内の日吉廃寺の礎石。線路脇で、直ぐ傍を電車が通っている。