東大神(とうだいじん)。東大社(とうだいしゃ)ともいう。
場所:千葉県香取郡東庄町宮本406。JR成田線「下総橘」駅の南西、約2km。県道267号線(下総橘停車場東城線)沿いにあるが、そちらは神社の裏手に当たる。駐車場有り。
社伝によれば、創建は景行天皇53年(123年?)。景行天皇が日本武尊の歴戦の跡を尋ねて東国に行幸したとき、当神社裏の白幡という地に船で上陸し、7日の滞在の後、東海の鎮護として創建されたという。主祭神は玉依姫命(タマヨリヒメ)で、相殿にその夫君の鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を祀る。創建当時は、「東宮」、「八尾社」と称したというが、下海上郡の総社として康和4年(1102年)に堀河天皇から「総社玉子大明神(そうじゃおうじだいみょうじん)」の号を受けたとされる。現在では「東大神」、「東大社」共に正式名称として使用されるほか、地元では「オオジン様」と通称されているという。因みに、千葉県宗教法人名簿、千葉県神社庁HPではともに「東大神」となっている。東総地区では「~神社」ではなく、「~大神」という名の神社が他にも多く、当神社だけが特別ではない。
さて、当神社の裏(北側)、県道を越えたところに「雲井岬」という場所があり、かつては当神社の神苑であったというが、現在は「雲井岬公園」として整備され、ツツジの名所となっている。「岬」というのは、ここが古代には海に突き出した岬であったとされるためで、現在も西側が谷になっていて、水があれば入江のような地形である。その入江の、岬の向かい側に小さな鳥居と石祠(「白旗宮」)があり、ここが上記の「白幡」という場所らしい。景行天皇が船で着き、行宮を設けた際に、土地の乙女が織った白布を玉座に敷いたので「白幡の郷」、あるいは「幡敷の郷」と呼ばれるようになったという。
なお、当神社では、香取市貝塚の「豊玉姫神社」(前項「良文貝塚」参照)、旭市見広の「雷神社」と合同で、20年毎に銚子市の外川港へ神輿渡御する式年大神幸祭が行われている(片道約30km!)。これは、康和4年(1102年)に海上郡高見浦(現在の銚子市の外川港町付近)の海上が大荒れとなって治まらず、土地の人々が非常に困窮した。そこで、海上郡総社であった当神社に朝廷より宣旨があり、臨時に祭礼を行ったところ、海が静まり陸上では大豊作になったとされるのを記念して始まったという。「玉子大明神」の称号を受けたのは、このときの功績によるもので、地元の人々は式年大神幸祭(通称「オオジン様のオオミユキ」)を何回拝んだかを長生きの尺度として自慢の種となっているという。
千葉県神社庁のHPから(東大神)
「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(雲井岬つつじまつり)
同(式年三社銚子大神幸祭)
写真1:「東大社」正面鳥居。社号標は「東海鎮護 東大社」となっている。
写真2:社殿
写真3:同上。社殿も境内も良く手入れがされている。
写真4:「白旗宮」。当神社の裏手(北側)に数軒の住宅があるが、その西側の畑と雑木林の間を北へ約150mのところにある。ここが景行天皇が上陸した「白幡」という場所らしい。
場所:千葉県香取郡東庄町宮本406。JR成田線「下総橘」駅の南西、約2km。県道267号線(下総橘停車場東城線)沿いにあるが、そちらは神社の裏手に当たる。駐車場有り。
社伝によれば、創建は景行天皇53年(123年?)。景行天皇が日本武尊の歴戦の跡を尋ねて東国に行幸したとき、当神社裏の白幡という地に船で上陸し、7日の滞在の後、東海の鎮護として創建されたという。主祭神は玉依姫命(タマヨリヒメ)で、相殿にその夫君の鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を祀る。創建当時は、「東宮」、「八尾社」と称したというが、下海上郡の総社として康和4年(1102年)に堀河天皇から「総社玉子大明神(そうじゃおうじだいみょうじん)」の号を受けたとされる。現在では「東大神」、「東大社」共に正式名称として使用されるほか、地元では「オオジン様」と通称されているという。因みに、千葉県宗教法人名簿、千葉県神社庁HPではともに「東大神」となっている。東総地区では「~神社」ではなく、「~大神」という名の神社が他にも多く、当神社だけが特別ではない。
さて、当神社の裏(北側)、県道を越えたところに「雲井岬」という場所があり、かつては当神社の神苑であったというが、現在は「雲井岬公園」として整備され、ツツジの名所となっている。「岬」というのは、ここが古代には海に突き出した岬であったとされるためで、現在も西側が谷になっていて、水があれば入江のような地形である。その入江の、岬の向かい側に小さな鳥居と石祠(「白旗宮」)があり、ここが上記の「白幡」という場所らしい。景行天皇が船で着き、行宮を設けた際に、土地の乙女が織った白布を玉座に敷いたので「白幡の郷」、あるいは「幡敷の郷」と呼ばれるようになったという。
なお、当神社では、香取市貝塚の「豊玉姫神社」(前項「良文貝塚」参照)、旭市見広の「雷神社」と合同で、20年毎に銚子市の外川港へ神輿渡御する式年大神幸祭が行われている(片道約30km!)。これは、康和4年(1102年)に海上郡高見浦(現在の銚子市の外川港町付近)の海上が大荒れとなって治まらず、土地の人々が非常に困窮した。そこで、海上郡総社であった当神社に朝廷より宣旨があり、臨時に祭礼を行ったところ、海が静まり陸上では大豊作になったとされるのを記念して始まったという。「玉子大明神」の称号を受けたのは、このときの功績によるもので、地元の人々は式年大神幸祭(通称「オオジン様のオオミユキ」)を何回拝んだかを長生きの尺度として自慢の種となっているという。
千葉県神社庁のHPから(東大神)
「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(雲井岬つつじまつり)
同(式年三社銚子大神幸祭)
写真1:「東大社」正面鳥居。社号標は「東海鎮護 東大社」となっている。
写真2:社殿
写真3:同上。社殿も境内も良く手入れがされている。
写真4:「白旗宮」。当神社の裏手(北側)に数軒の住宅があるが、その西側の畑と雑木林の間を北へ約150mのところにある。ここが景行天皇が上陸した「白幡」という場所らしい。