神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

遠賀神社(山形県鶴岡市井岡)(出羽国式内社・その6)

2015-03-07 23:34:46 | 神社
遠賀神社(おがじんじゃ)。
場所:山形県鶴岡市井岡字和田181-1。「鶴岡工業高等専門学校」の北西、約500m。「鶴岡高専」校門前から国道345号線を東に約90m進んだところに「←井岡」という標識があり、左折(西へ)すると、約650mの真っ直ぐな参道。駐車場なし。
当神社の創建時期は不明。現在は「遠賀」を「おが」と読むが、本来は濁らずに「おか」であろう。元々は旧・岡山村(現・鶴岡市岡山)の伊波乎井(いわおい)、あるいは岩台というところに鎮座していたのを、天長2年(825年)に現在地に移転したという。旧鎮座地には神社の遺地と見られる跡があり、また、縄文時代中期から古代までの複合遺跡にもなっていて、石器・土器が出土している。江戸時代には土偶も出土していたといわれ、あるいは、古墳があったのかもしれない。したがって、聖地として「丘」を祀っていたのではないだろうか。
現在地への遷座については、一説に、天長2年(825年)に源楽上人が当地に勅願寺として「井岡寺(せいこうじ)」または「阿伽井坊 遠賀井寺(あかいぼう おかいじ)」を開山し、その鎮守として大山祇神(オオヤマツミ)を勧請したという。これにより、次第に神仏混淆して「岡大権現」と呼ばれたとされる。中世には、広大な境内地を有して「出羽高野」と称されたが、天正年間(1573~1593年)に兵火にかかり全山焼失、慶長17年(1612年)に最上義光によって再建されたという。江戸時代には仏式の伽藍が9院、末寺が6寺あったが、明治の神仏分離により神社と寺院の境界が分けられ、神社の方は式内社「遠賀神社」と認められたとのこと。なお、現在の主祭神は豊岡比賣神(トヨオカヒメ)であるが、この神は「伊勢神宮外宮」に祀られる豊受大神の別名であるとされる。

(注:「井岡寺」様からのご指摘により一部修正しました。2018.8.25)


「井岡寺の歴史散歩」のHP:参考になります。

玄松子さんのHPから(遠賀神社(鶴岡市井岡))


写真1:「遠賀神社」一の鳥居。社号標は「延喜式内 郷社遠賀神社」。社殿は丘の上。


写真2:同上、杉木立の中の参道


写真3:同上、社殿


写真4:隣接する旧・別当寺、真言宗智山派「大日山 井岡寺」入口。仁王門がある。


写真5:同上、護摩堂(学頭「不動院」)。「井岡寺」さんによれば、「本堂であった観音堂が神社に取られてしまった為現在の護摩堂を転用して」いるとのこと。本尊は十一面観音で、平安中期頃のものという。
コメント (2)
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