天神森古墳(てんじんもりこふん)。
場所:山形県東置賜郡川西町大字上小松1037-1。JR米坂線「羽前小松」駅東口から北へ約300m。「川西町フレンドリープラザ」に隣接(北側)し、同所に広い駐車場有り。
「天神森古墳」は、東北地方最大級の前方後方墳。全長75m、高さ4.2m、後方部幅51m、前方部幅12mという大きさで、幅6m、深さ0.4mの周溝が廻らされていた(数値は現地説明板による。)。古くから古墳ではないかと言われていたが、かつては「東北地方には古墳は存在しない」とされていたため詳しい調査は行われなかった。その後、近隣の市町村で古墳が発見されたため調査の機運が高まり、ようやく昭和58年に発掘調査が行われた。その結果、墳丘は全て人為的な盛土(約6千立方m)によるものと判明し、葺石や埴輪はなかったが、墳丘や周溝から出土した底部穿孔広口甕型土器などを分析した結果、古墳時代前期後半(4世紀末頃)に築造されたものと推定された。なお、主体部の埋葬部分は未調査となっている。
因みに、古墳名の由来は後方部墳頂に通称「亀森山天満宮」が祀られていたことによるが、同神社は天津神・少彦名命(亀森天神)と菅原道真公(天満天神)の二座を祭神とする。別当寺であった真言宗醍醐派「亀森山 大円寺」所蔵の縁起によれば、天徳4年(960年)、分霊を勧請して創始。戦国時代以降、長井氏、伊達氏、上杉氏など代々領主の崇敬を集めた。かつて小松地区は商業や文芸が盛んな宿場町として栄え、中世には「天満宮」は連歌の神様として盛んに信仰された。しかし、江戸時代以降、連歌の衰退と共に社殿も縮小し、明治の火災で焼失した後は再建されずに石祠のみとなっているという。創祀の際、どこから分霊を勧請したかは明らかでないが、「太宰府天満宮」(福岡県太宰府市)の創建が延喜19年(919年)、「北野天満宮」(京都市)が天暦元年(947年)なので、創祀伝承が正しければ、かなり早い時期の勧請ということになる。また、天津神も祀る、ということで、「天満宮」勧請前に古墳自体に対する信仰があったのかもしれない。
ところで、「天神森古墳」に隣接して複合文化施設「川西町フレンドリープラザ」がある。作家の故・井上ひさし氏は川西町(旧・小松町)出身で、昭和62年に蔵書7万冊を元に「遅筆堂文庫」を開設したが、これを核に町立図書館、劇場を併設して造られたもの。氏が原作したテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」は、この「天神森古墳」をモデルにしたという説もあるらしい。
写真1:「天神森古墳」。西側(前方部側)に入口

写真2:左側:前方部、右側:後方部。間のくびれがわかる。

写真3:同上

写真4:後方部墳頂に「布留天神社」(「亀森山天満宮」)の石祠がある。

写真5:後方部を東南側から見る。
場所:山形県東置賜郡川西町大字上小松1037-1。JR米坂線「羽前小松」駅東口から北へ約300m。「川西町フレンドリープラザ」に隣接(北側)し、同所に広い駐車場有り。
「天神森古墳」は、東北地方最大級の前方後方墳。全長75m、高さ4.2m、後方部幅51m、前方部幅12mという大きさで、幅6m、深さ0.4mの周溝が廻らされていた(数値は現地説明板による。)。古くから古墳ではないかと言われていたが、かつては「東北地方には古墳は存在しない」とされていたため詳しい調査は行われなかった。その後、近隣の市町村で古墳が発見されたため調査の機運が高まり、ようやく昭和58年に発掘調査が行われた。その結果、墳丘は全て人為的な盛土(約6千立方m)によるものと判明し、葺石や埴輪はなかったが、墳丘や周溝から出土した底部穿孔広口甕型土器などを分析した結果、古墳時代前期後半(4世紀末頃)に築造されたものと推定された。なお、主体部の埋葬部分は未調査となっている。
因みに、古墳名の由来は後方部墳頂に通称「亀森山天満宮」が祀られていたことによるが、同神社は天津神・少彦名命(亀森天神)と菅原道真公(天満天神)の二座を祭神とする。別当寺であった真言宗醍醐派「亀森山 大円寺」所蔵の縁起によれば、天徳4年(960年)、分霊を勧請して創始。戦国時代以降、長井氏、伊達氏、上杉氏など代々領主の崇敬を集めた。かつて小松地区は商業や文芸が盛んな宿場町として栄え、中世には「天満宮」は連歌の神様として盛んに信仰された。しかし、江戸時代以降、連歌の衰退と共に社殿も縮小し、明治の火災で焼失した後は再建されずに石祠のみとなっているという。創祀の際、どこから分霊を勧請したかは明らかでないが、「太宰府天満宮」(福岡県太宰府市)の創建が延喜19年(919年)、「北野天満宮」(京都市)が天暦元年(947年)なので、創祀伝承が正しければ、かなり早い時期の勧請ということになる。また、天津神も祀る、ということで、「天満宮」勧請前に古墳自体に対する信仰があったのかもしれない。
ところで、「天神森古墳」に隣接して複合文化施設「川西町フレンドリープラザ」がある。作家の故・井上ひさし氏は川西町(旧・小松町)出身で、昭和62年に蔵書7万冊を元に「遅筆堂文庫」を開設したが、これを核に町立図書館、劇場を併設して造られたもの。氏が原作したテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」は、この「天神森古墳」をモデルにしたという説もあるらしい。
写真1:「天神森古墳」。西側(前方部側)に入口

写真2:左側:前方部、右側:後方部。間のくびれがわかる。

写真3:同上

写真4:後方部墳頂に「布留天神社」(「亀森山天満宮」)の石祠がある。

写真5:後方部を東南側から見る。
