高岩神社(たかいわじんじゃ)。
場所:秋田県能代市二ツ井町荷上場字五輪台23。国道7号線(二ツ井バイパス)「二ツ井高架橋」のところから側道を下り、秋田県道317号線(西目屋二ツ井線)を北へ約1.1km、「→大沢ゴルフ」という案内板のところを右折(東へ)、すぐに「藤琴川」に架かる橋を渡り道なりに約1.2km。農場の廃屋?付近に「高岩神社入口」という案内板と鳥居がある。鳥居前に2台分程度の駐車スペースあり。そこからは徒歩、約30分。神社前に広場があり、そこまで自動車で行けなくもないようだが、歩いたほうが無難。
創立年代不詳。「高岩山」(333.7m)の山中にあり、天安年間(857~859年)に円仁(慈覚大師、第3代天台座主)が開山したともいう。参道や当神社付近には多くの奇岩・巨石があり、特に「高岩山」山頂には「雄御殿岩・雌御殿岩」という霊岩があり、古くから里人の信仰の対象となっていたとされる。現在の祭神は高皇産霊神、神皇産霊神ほか。
当神社の御神体とされていたのは円仁作との伝承もある阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩の木像で、「高岩山」は鎌倉時代末期から修験道の行場となっていたらしい。「密乗寺」という密教寺院を中心に多くの修行僧が集まっていたが、雇われ僧兵による軍事力も蓄えていたところから、浅利氏と(檜山)安東氏の争いの中で、16世紀終わり頃「高岩山」は焼き払われ、「密乗寺」も廃寺となったという。その後も修験の霊場となっていたが、明治5年に修験道が禁止され、「高岩神社」が成立した。社殿は、京都「清水寺」のような「懸造」(「舞台造」)の上にあり、間近に巨岩や洞窟などがある。参道途中の巨岩・奇岩も面白く、確かにパワー・スポットとしての存在感がある。
秋田県神社庁のHPから(高岩神社)
写真1:「高岩神社」参道入口の鳥居
写真2:参道途中の「五輪堂」。鎌倉時代末期~室町時代初期頃のものと推定される五輪塔を納めている。ここが「密乗寺」跡らしい。
写真3:同じく参道途中の「七廻杉」。推定樹齢550年・高さ約33mの巨木で、息を止めて周囲を7回回ることができると願い事が叶うとされる。
写真4:参道途中。このような巨石が至る所にある。
写真5:同上
写真6:社殿下の鳥居と社号標
写真7:社殿(懸造)
写真8:社殿前の岩
写真9:社殿横の洞窟
写真10:社殿裏の巨岩
場所:秋田県能代市二ツ井町荷上場字五輪台23。国道7号線(二ツ井バイパス)「二ツ井高架橋」のところから側道を下り、秋田県道317号線(西目屋二ツ井線)を北へ約1.1km、「→大沢ゴルフ」という案内板のところを右折(東へ)、すぐに「藤琴川」に架かる橋を渡り道なりに約1.2km。農場の廃屋?付近に「高岩神社入口」という案内板と鳥居がある。鳥居前に2台分程度の駐車スペースあり。そこからは徒歩、約30分。神社前に広場があり、そこまで自動車で行けなくもないようだが、歩いたほうが無難。
創立年代不詳。「高岩山」(333.7m)の山中にあり、天安年間(857~859年)に円仁(慈覚大師、第3代天台座主)が開山したともいう。参道や当神社付近には多くの奇岩・巨石があり、特に「高岩山」山頂には「雄御殿岩・雌御殿岩」という霊岩があり、古くから里人の信仰の対象となっていたとされる。現在の祭神は高皇産霊神、神皇産霊神ほか。
当神社の御神体とされていたのは円仁作との伝承もある阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩の木像で、「高岩山」は鎌倉時代末期から修験道の行場となっていたらしい。「密乗寺」という密教寺院を中心に多くの修行僧が集まっていたが、雇われ僧兵による軍事力も蓄えていたところから、浅利氏と(檜山)安東氏の争いの中で、16世紀終わり頃「高岩山」は焼き払われ、「密乗寺」も廃寺となったという。その後も修験の霊場となっていたが、明治5年に修験道が禁止され、「高岩神社」が成立した。社殿は、京都「清水寺」のような「懸造」(「舞台造」)の上にあり、間近に巨岩や洞窟などがある。参道途中の巨岩・奇岩も面白く、確かにパワー・スポットとしての存在感がある。
秋田県神社庁のHPから(高岩神社)
写真1:「高岩神社」参道入口の鳥居
写真2:参道途中の「五輪堂」。鎌倉時代末期~室町時代初期頃のものと推定される五輪塔を納めている。ここが「密乗寺」跡らしい。
写真3:同じく参道途中の「七廻杉」。推定樹齢550年・高さ約33mの巨木で、息を止めて周囲を7回回ることができると願い事が叶うとされる。
写真4:参道途中。このような巨石が至る所にある。
写真5:同上
写真6:社殿下の鳥居と社号標
写真7:社殿(懸造)
写真8:社殿前の岩
写真9:社殿横の洞窟
写真10:社殿裏の巨岩