神が宿るところ

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大生神社(茨城県潮来市)

2017-12-09 23:03:56 | 神社
大生神社(おおうじんじゃ)。
場所:茨城県潮来市大生814。茨城県道187号線(矢幡潮来線)と同189号線(大賀牛堀線)の交差点(北の角に「特別老人養護ホーム いたこの里」がある。)から、187号線を北西へ約210m進んだところで右折(北東へ)、直進約470m。駐車スペースあり。
社伝によれば、創祀年代は不明であるが太古から当地に鎮座。飯富一族(オフ:多氏)が大和国から常陸国に移住した際、氏神として祀られたという。勧請元とされるのは、大和国(現・奈良県)式内社「多坐弥志理都比古神社」(通称「多神社」)とされる。神護景雲元年(767年)、大和国春日に遷座して現・「春日大社」が創建された後、大同元年(806年)に当地に遷還、更に大同2年(807年)に遷座して現・「鹿島神宮」となった。そして、その跡地である当地に別宮として「大生神社」が祀られた、という。よって、当神社は「元鹿島宮」、「鹿島の本宮」という呼び名もあるとのこと。なお、現在の祭神は「鹿島神宮」と同様、建御雷之男神(建御雷神)(タケミカヅチ)となっている。
当神社は「延喜式神名帳」にも載っていないし、所謂「六国史」にも見えない。従って、この伝承については色々と想像できるのだが、実際、後に「鹿島神宮」の末社となり、当神社の例祭には「鹿島神宮」の「物忌」(女性祭主、「跡宮」(2017年11月4日記事)参照)が出輿したというから、関係は深かったのだろう。もともと多氏というのは、初代・神武天皇の皇子である神八井耳命(カムヤイミミ)を祖とする一族で、神八井耳命が異母弟である第二代・綏靖天皇に皇位を譲り、自らは神祇を司る者になったとされる(「日本書紀」、「古事記」)。以来、多氏は祭祀を司る一族になったというが、多は「太」、「大」、「意富」、「飫富」、「於保」とも書き、多くの国造家の祖などともなっており、各地に有力者を生んでいる。有名なのは阿蘇国造家、科野国造家などであるが、東国では常道仲(常陸那賀)国造家が多氏出身であるとされている。「常陸国風土記」によれば、香島(鹿島)郡は、文化5年(649年)に下総国海上国造の領内の一里と那賀国造の領内の五里を分割して、香島大神(「鹿島神宮」)のために神郡として建郡された。よって、那賀国造家の意向が反映した可能性は高いだろう。また、「常陸国風土記」行方郡条には香島・香取の分社(複数)の存在が記載されているので、古代の行方郡にも「鹿島神宮」の勢力が強く及んでいたことが窺われる。(多分)通説的な考え方は、元々「香島大神」は現地の神であったのを、多氏の進出によりヤマト政権の東国侵攻のため「建御雷神」を祀るようになったのではないか、ということである。そして、管見であるが、当神社が「延喜式神名帳」等に載っていないのは、「鹿島神宮」が公式、当神社が非公式、つまり多氏プライベートの神だったのかとも思われる。


茨城県教育委員会のHPから(大生神社本殿)


写真1:「大生神社」鳥居


写真2:社殿正面


写真3:拝殿、本殿。本殿は安土桃山時代の天正18年(1590年)の造営で、茨城県指定有形文化財。なお、「大生神社樹叢」も県指定天然記念物。
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